時は天平勝宝五年、前年華々しく開眼会が執り行われた東大寺大仏の加護もなく、奈良の都平城京の夜は魑魅魍魎が支配する妖怪の天下となっていた。その恐ろしさに盗賊の類も人間の尊厳を捨て、化け物の手先となる者まで出る始末。都の中心を貫く朱雀大路は日が落ちれば行き交う人影さえ見えず、時折聞こえてくるのは魔物に襲われる人々の悲鳴だけであったという。
 妖怪変化に対抗しうる天才陰陽師、安部晴明が登場するのは、時代が下った平安の世である。平城の京を護る陰陽師はせいぜい呪符を書くか、結界を張る程度の術しか持たない。都の荒廃をなげいた先帝聖武親王は直轄の天兵として、陰陽の呪法が効かぬ妖怪を武力によって退治する戦闘集団「騰黄組(とうこうぐみ)」の結成を密かに命じられた。
 騰黄とは帝を護る聖獣である。狐の姿で背に二本の角があり、肩の辺りから火焔が燃え、尾が体長の倍あると伝えられ、中国の史書に記された黄帝が乗って天下を周遊したという八翼の龍もまた、騰黄であるという。妖怪退治の天兵に、この霊獣の名を冠された親王のお心が忍ばれる。
 南九州の職業武人、隼人の流れをくむ騰黄組は、遣唐使がもたらした最先端の武装に身を包み、影となって平城京を闇から守る最後の砦である。今宵も人知れず、妖怪と騰黄の戦いが繰り広げられようとしていた。


 降り注ぐ蒼白い月光が美しい秋の深夜。平城京のほぼ中央、薬師寺からほど近くにある貴人の館からは、鉄錆に似た血の匂いが大通りにまで溢れ出ていた。近頃都を脅かす、盗賊の仕業である。館の中では、盗人たちが倉から持ち出した酒を片手に、その日の獲物をいたぶっていた。
「くくく……いい女は匂いまで違うなあ。体中から甘い匂いがしやがる」
 女官の豊かな胸に顔をうずめ、肉付きの良い太股を撫でていたひげ面の男が呟いた。
「い、いや……あっ!」
 全裸に剥かれた女は身をよじって男の舌から逃れようとしたが、部屋の隅に無造作に投げ出されている館の男たちの死体が目に入ると、全てをあきらめたように盗人に身をゆだねた。
 野卑だが訓練された盗賊どもは、殺戮を生業とする戦闘集団だ。雇われた護衛の兵は声を上げる間もなく斃され、館の男たちもひとり残らず殺されている。
「女もお宝も、高く売れるぞ。お頭さまも満足してくださるだろ」
 別の男が床に転がった半裸の女官の上に腰掛け、瓶から直接酒を飲みながら、女の腰をいやらしい手つきで撫でまわしている。女官の顔は表情を失い、目の焦点も合っていない。彼女の目の先には、館の主人の生首が転がっている。
 寝殿の中心に張られた御簾を囲み、あちこちで同じような陵辱劇が繰り広げられていた。あいにく女にありつけなかった盗人は、自分の順番を待ちながら仲間に辱められる女たちの艶かしい肢体を、杯を片手に好色な目で眺めている。淫行の香りと酒の芳香が混じり合い、果物が腐ったような天酸っぱい淫靡な薫りで館は満たされていた。
「こうやって貴族の館ぁ襲うのは、何度やってもたまりませんなあ」
 倉から持ち出したきらびやかな衣装や、輝く宝玉を身にまとった盗人のひとりが、部屋の中央に吊された御簾に声を掛けた。その声に応え、とても人とは思えない巨大な影が、御簾に浮かび上がる。その影が地の底から響くような太い声を発する。
「特に今日の獲物は味がいい。極上の一品だ」
 針金のような毛で覆われた女の胴ほどもある巨大な腕が現れ、黄色く尖った爪で御簾を切り裂く。姿を現した声の主は巨大な狒狒(ひひ)、それもただの狒狒ではない。全身を黄金色の剛毛で覆われた体は、身の丈八尺三寸、小山のような体は優に七十貫を越える。そこだけ毛が生えていない顔は墨を塗ったように黒光りし、ただの獣で無い証拠に知性を宿した二つの目が人間の手下を見据えていた。口端からは一筋、紅い液体が零れ落ちている。
「へへへっ、貴族の娘っこは、肉の味も違いますか? ヤマコの旦那」
「ああ、この味は最高だ。なんならお前も喰らってみるか?」
 狒狒の妖怪、ヤマコの巨躯の下には、館の主の娘の屍が転がっていた。白い肌が引き裂かれ、ぬめぬめとした臓腑が蠢いている。生きたまま喰われる恐怖と、躯を引き裂かれる痛みに、死んでなお、その顔は絶望の叫びをあげていた。
「いえ、滅相もねえ。おれっちは遠慮しときやす」
 大きく裂けたヤマコの口端から、血の泡に塗れた象牙色の牙が見えた。流石の盗人の顔も青ざめ、生きている女を抱きに、震えながら仲間のもとに戻っていく。怪物は血走った目を細め、娘の右腕を無造作に引き千切ると、血の滴る断面を長い舌で舐めまわした。


 女の悲鳴と生臭い血の臭いが漏れる館の周辺には、新たな人影が集まりつつあった。影たちは館を囲む木堀に張られた紙片をいちいち確認しながら移動し、やがて五条大路に面した正門前に集まりはじめる。その時、東に見える若草山の頂にかかった満月が、影の姿を浮かび上がらせた。
 武人だった。ただの武人ではない。三十名を越える屈強な男たちは全員、薄もえぎ色の衣と朱色の胴鎧を身に付け、昼間の都ではまず見ることがない舶来の武具を手にしていた。彼らこそが、平城京の夜を護る騰黄組である。
 正門の前に陣取った一団の中、一際目を引く筋肉の塊のような大男が、兵士から差し出された紙切れに目を通していた。本来なら魔物を封ずるはずの呪符だが、その手下になり下がった人間によって猥雑な絵が描かれている。
「ふん、尻を拭く役にも立たん呪符ばかり作りおって。陰陽の拝み屋どもはどこに行った? 獲物が逃げんよう、せめて館の周囲に結界を張らせろ」
 大男は野太い声で部下に命令を下すと、熊のような手で呪符を丸めて道脇に放り投げた。
「組頭、やつらとっくに尻尾を巻いて逃げ出してますぜ。この辺りにいるのは、うちら騰黄だけです」
「役立たず共が……。まあよいわ。一番隊はわしと供に館に突入する。残りは館の周りを固めろ。化け物は殺せ。盗人どもは、抵抗すれば切ってよし。館の貴人は、一人でも多く助け出せ」
 組頭と呼ばれた大男が手短に指示を下すと、騰黄の兵たちが持ち場に向かって動き出す。訓練された俊敏な動きを満足げに眺めていた組頭だが、一番隊を率いるはずの隊長の姿が見えないことに気づいて部下の動きを制した。
「待てっ! 紗蘭の姿が見えんが、奴はどうした?」
「あのー、紗蘭殿なら先程一人で館に入りました。なんでも組頭の特命で、先行して化け物を殺してくると言ってましたが」
 突入の準備をしていた一番隊の兵士が、首を傾げながら申し出た。
「あやつめ、また独断で動きおって。作戦の変更だ! 中は紗蘭に任せる。他の者は館の周囲を固め、ネズミ一匹逃がさぬように備えろ!」
 組頭の命令に従い、武器を構えた兵士たちが館の周りを固めていく。
「いくら親の仇とは言え、化け物となると後先考えずに行動しよる……」
 眉をひそめて呟く傷だらけの無骨な顔を、白い月の光が照らし出していた。


 寝殿の中では、正体不明になるまで酔った盗賊団による狂宴が続いていた。その中心では妖怪ヤマコが娘の残骸を喰らい、大きく裂けた口からは骨を噛み砕く、いやに湿った無気味な音がもれ聞こえる。その恐ろしい光景を見て、女たちは命乞いのために、自らすすんで盗人どもの獣欲の前にその身を投げ出した。
 喧噪から離れた部屋の片隅では盗人のひとりが、まだ年端もいかない娘の身体を後ろから押さえつけていた。色白の美しい娘だったが、伽の相手をさせるには、いかんせん若すぎる。縛られて、隣の部屋に転がされていたのを、この男が慰みに連れてきたのだ。怯えるばかりで、今にも泣き出しそうな少女を見て、これは豊満な女官を犯していた仲間が声をかけてきた。
「おい、おい、いくら相手がいないからって、そんな小便臭い小娘をどうする気だい?」
「馬鹿言え、こういうのがいいんだよ。まだ固いのを嬲るのがいいんだ」
 男はにやにやと下品な笑いを浮かべながら縄をほどくと、少女が着ているものを脱がせはじめた。どこをどうするのか、少女が手足を動かして抵抗すればするほど、するすると着物が剥がされていく。
「どれ、そろそろ頂くとするか」
「ひいっ! いや、いやです。やめて下さい」
 少女が必死で抵抗するが、男の力にかなうはずもない。たちまち床に押し倒され、股を大きく割られた。
「なに、すぐに気持ちよくなる。いや、おれの自慢の太魔羅で気持よくさせて……」
「心まで畜生道に墜ちたか。助けるに値しない下司が」
 どこからともなく囁く声に盗人の動きが止まったそのとき、シュッ! 空を裂く鋭い音が響き、生首が血をまき散らしながら床に転がった。
「く、曲者、だ……」
 首は自分が死んだことに気がつかないまま、床の上から少女に最後の言葉を語りかける。首を無くした胴体から勢いよく吹き出す血で部屋中が真っ赤に染まり、死体の下で血だるまになった少女が我を忘れて叫んだ。
「ひーっ! ひ、人殺し!」
「だ、誰かいるぞ! 敵襲だ!」
「灯りだ。灯りを持ってこい!」
 敵を探して右往左往する者。刀を取りに闇雲に走り出す者。女たちも恥を忘れ、裸のまま部屋から逃げ出そうとする。たちまち寝殿の中は、蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「うろたえるな。敵ならば、ほれ、そこに居るわ」
 ヤマコが女の残骸を抱きかかえながら手下の人間を制し、死体の向こうに跪いた人影に問いかけた。
「貴様、何者だ?」
「騰黄組一番隊隊長、紗蘭(さら)。妖怪ヤマコとその一味だな? 勅命により、誅に伏す」
 月明かりを背にした影が口を開く。透き通った鈴の音のような声だが、幾つもの修羅場をくぐり抜けてきた盗人共を震え上がらせる、氷のような響きがあった。
「さ、紗蘭? 騰黄組の紗蘭か?」
「騰黄の鬼姫だーっ! 妖怪殺しの鬼姫だぞ!」
 慌てふためく男たちの中へ、人影が一歩進み出た。寝床を照らす燭台の明かりに一人の少女の姿が浮かび上がる。
 平城の時代は髪を結い上げるのが婦女子の常識だったが、少女は長い黒髪を紅く染めた革紐でまとめて、腰まで垂らしていた。かたちのよい小ぶりの唇や、切れ長な目の大きな黒い瞳にまだ幼さを残す端正な顔には、猛者揃いの戦闘集団を率いる威厳がすでに備わっている。館の外を護る男たちと同じ七分袖の上着と袴は薄もえぎ色に染められ、そこから伸びた駿馬を思わせるしなやかな長い手足は雪のように白い。簡素だが頑丈な朱の胴鎧を服の上に着込んでいるが、成熟しきっていない百合の蕾のように可憐な肢体の線は、無骨な兵装の上からも明らかだ。
 手甲をはめた右手には、鮮血で鈍く光る巨大な両刃の剣があった。刃長だけで三尺近くある長剣で、その重量を支えるため両手で扱える柄と拳を守るための鍔を備えている。唐の名も無き刀匠が鍛えた一刀で、切れ味こそ日本の刀に劣るが鎧の上からでも相手の身を砕く重量と、鉄槌で叩いても傷一つつかない頑丈さを有している。
 この美しい男装女侍こそ、妖怪、人間を問わず、平城京中の悪党に『騰黄の鬼姫』として知られた騰黄組一番隊隊長、紗蘭だった。鬼姫は部屋の中の惨状をゆっくりと見ながら、盗人共に警告を発する。
「館の周りはわれらが包囲した。武器を捨て投降する者には、危害を与えない。ただし」
 紗蘭はそこで言葉を切ると、ヤマコの腕に抱きかかえられている娘の死体に視線を移した。化け物が死者に対する尊厳を持つはずもないが、それにしても徹底して破壊された屍は無残の一言につきる。
(喰っていたのか、あの娘を……化け物め)
 金色の毛に埋もれた黒檀のようなヤマコの顔へと、男装の戦士は怒りに燃えた視線を向ける。紗蘭の身長は、魔猿の胸元にも届かない。自然と相手を見上げる格好になったが、臆す様子もなく断罪を宣言した。
「助けるのは人間だけだ。お前は私が斬る!」
「斬る? わしを斬ると言うのか、紗蘭とやら? おもしろい、騰黄の鬼姫の剣、見せてもらおうか」
 凶獣は邪悪な意志を映し出す瞳で、小馬鹿にしたように彼女の顔を見下ろす。  紗蘭は大剣を握り直した両の拳を柄ごと右肩に引きつけ、右八相の構えからさらに両腕を思いっきり振りかぶって、長大な刀身を鎧の肩当てに預けることで、怪物の侮辱に応えた。自らの半身を盾とする代わりに渾身の一撃を放って相手を躱す、戦場で鍛え上げられた必殺の構えだ。黄騰組の兵にも扱いかねる大剣を組頭から与えられた紗蘭は独自の刀法を工夫し、その技は絶妙の域に達していた。実際、この構えから繰り出す斬撃で、多くの妖怪を葬っている。
「ほう、少しはやるようだな」
 隙一つない構えから殺気が立ち上るのを見てとると、妖猿は抱えていた女の屍骸を放り投げ、丸太のような二本の腕を胸の前で交差させて迎撃の態勢を整えた。十本の指にはかぎ爪が光り、耳まで裂けた口から巨大な牙を覗かせて相手を威嚇する。
 次の瞬間、紗蘭はしなやかな全身の筋肉に力を込め、獲物を襲う猫科の猛獣のように、魔猿に向かって飛び出した。
 ガキッ!
 弧を描いた剣先をヤマコの鋭い爪が受け止め、体ごとぶつかった紗蘭の動きが一瞬止まる。ヤマコの面に醜い笑みが浮かんだが、次の瞬間、振り下ろされた剣尖は化け物の右腕を異常な角度に折り曲げ、幅広の刀身が左の肩口にめり込む。大剣の重量と紗蘭の俊速が、化け物の怪力に勝ったのだ。
「グオアアオオオオオオオオ!!」
 口から血の混じった泡を飛ばし、怪物が身を砕かれた激痛で叫び声を上げた。針金のような毛で被われた皮膚を傷つけることは出来なかったが、剛剣の一撃は鎖骨と肋骨を粉砕し、その下の肺腑をも破壊している。いかに化け物といえども致命傷だ。巨体がその場に崩れ落ちる。息をひそめて決闘を見ていた手下の盗賊が頭の敗北をさとると、蜘蛛の子を散らすように思い思いの方角へ一斉に走り出した。自分を見捨てて逃げ出す手下を冷めた目で見ながら、ヤマコが呟く。
「くくっ、不覚をとったな。まさかこんな小娘にやられるとはなあ……」
 紗蘭は剣を逆手に持ち替えると、断末魔の表情を浮かべる魔猿の頭上高く構えた。
「紗蘭とか言ったな、小娘。わ、わしのこと、覚えているか?」
 振り上げられた切っ先が止まった。
「わしが下っ端の頃だ……襲った家の人間は一人残らず殺すか、仲間の妖怪に売り払うよう教えられていた。それが一度だけ、小さな娘を取り逃がして……親方にえらく怒られことがあった。その娘に殺されるとは、因果応報というやつか……」
「!? お、お前、あの時の? おい、言え! 母さまをどうした? どこに連れて行った?」
 紗蘭は剣を放り出し、ヤマコの胸ぐらを掴んで、瀕死の獣を揺さぶる。
「し、知らん。ヌレオンナ様に、ち、直接訊ねてみることだ……」
「ヌレオンナ! それが、あの化け物の名か?」
 魔猿の首がわずかに頷いた。すでにその目は濁り、死が近いことが明らかだ。紗蘭は焦った。
「どこだ? そいつは今、どこにいる? 答えろ!」
「あのお方なら、さ、左京一条南大路にある館跡に居られる。今はもう、隠居なさっているが、へ、平城京に巣くう妖怪を統べるお方だ……」
 その言葉を最後まで聞かず、倒魔の天兵は剣を担ぐと表に飛び出した。従って彼女は知らない。妖怪が発した最後の言葉を。
「ば、馬鹿が、すっ飛んで行きおった。蟲よ、あの娘のことを、ヌレオンナ様に知らせろ……放っておくと、脅威になる、今のうちに始末……ゴフッ!」
 ヤマコはそこまで言うと、血の塊を吐き出して息絶えた。半開きになったその口から、羽の生えたムカデといった不気味な姿の蟲が一匹這い出すと、夜空に向かって飛び去っていった。
第二話へ続く
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