| 「貴様ら!」 母との別れを思い出して、紗蘭の体に再び力がみなぎる。ヌレオンナの手を払うと、地面に落ちた武器に手をかけるが、腕が痺れて上手く握れない。妖物たちの間に緊張が走るが、すぐに嘲笑がおこる。 「一刻は自由に動けないと、言っただろう」 紗蘭とヌレオンナの間に割って入ったイヌガミが、足下に転がる長剣を取り上げた。その重さに少し驚いたように顔をしかめたが、両手で構え直すと鋭く研ぎ澄まされた先端を紗蘭の胸元に突きつける。 「おとなしくしていれば命だけは助けよう。ヤマコの遺志もあるし、女奴隷として飼ってやってよいぞ」 「貴様らの奴隷になるくらいなら、死んだ方がましだな」 紗蘭は不敵な笑みを浮かべると、自ら一歩を踏み出した。長剣の先がなめらかな鎧の表面を滑り、左肩に埋め込まれていく。真っ赤な血が浅黄色の上着を染め、紗蘭の顔が苦痛に歪んだ。しかしこぼれ落ちる血の一滴一滴と共に、平衡感覚が戻ってくる。 「何?」 突然の行為にイヌガミが一瞬怯んだ瞬間、紗蘭の前蹴りがその鳩尾を狙って放たれた。長剣から手放したイヌガミが後ろに跳躍して蹴りをかわすと、紗蘭の右手が地面に落ちる直前の剣の柄を握り、片手で軽々と翻す。イヌガミは剣先を避けようと、更に一間ほど飛び下がる。しかし地面に降り立ったその上衣は切り裂かれ、鋭い切り口から血が飛び散り、鮮やかな紅色の臓腑がこぼれ落ちた。 「ぐはあっ!」 鮮血と汚物を撒き散らしながら、イヌガミが地面をのたうち回る。それまでは余裕があった妖怪たちの間に、動揺が走った。 「自らを傷つけて気付け代わりにするとは、大した度胸だこと。イヌガミよ、お前には、ちと荷が重かったようだね」 化け物どもの騒擾を、首魁である女妖の心底楽しそうな声がたちまち静める。悠然と微笑みながら紗蘭と対峙すると、腰の帯に挟んだ短剣に手をやり、精巧な彫りの柄を掴んで引き抜いた。唐造りの細身の剣が、月光を受けて輝く。 「今度はあたしが相手だよ。さて、はじめようか」 「来い! 真っ二つにしてやる」 それに応えるように紗蘭が両手でゆっくりと剣を掲げ、刀身を右肩の上に乗せて必殺の構えをとる。左肩の傷が疼いたが、続けて繰り出す斬撃を鈍らせるほどではない。 女妖は五間の距離を置いて、逆手に持った短剣を目の前で構えている。うかつに斬りかかれば、短剣の連撃が襲ってくるのは必定。長剣と短剣では攻撃範囲が広い長剣の方が有利に思われるが、間合いに踏み込まれて接近戦になれば、扱いが容易な短剣の方に分がある。ヌレオンナの構えを見て、それが容易に可能な技量を持つことを悟った。 何とか隙を見出そうと紗蘭は相手の左へ、左へと足を進めるが、ヌレオンナも蛇身ゆっくりと回転し、常に上半身を正対させてくる。お互いの体から溢れ出す殺気が見えるようで、その場の誰もが二人から目を離せない。 (血が止まらない。一撃で決める) 生命をかけた真剣での立ち会いは、ただでさえ体力を削る。傷を負った紗蘭の方が圧倒的に不利だ。そう判断した紗蘭は、相手に向かって走り出した。 「いや、本当に楽しませてくれる。しかし、まだまだだねえ」 ヌレオンナは突進してくる紗蘭をめがけて、短剣を投げつけた。完全に虚をつかれ、眉間を狙う剣を避けるために、紗蘭の剣先が僅かに遅れる。その瞬間、ヌレオンナはたわめた蛇身の筋肉を解き放つと、地を這うように紗蘭の足下に滑り込み、振り下ろされる柄頭めがけて掌底を突き上げた。 (しまった!) このままでは剣を弾き飛ばされ、踏み込みに合わせた攻撃がくる。紗蘭は咄嗟に自分の武器を諦め、頭上に投げ捨てることによって、辛うじて踏み込みを弱めた。ヌレオンナの掌は的を失って空を切ったが、間髪を入れずに顎を狙った左肘の一撃が放たれる。紗蘭は僅かに上体を反らすことで、紙一重でこれをかわす。紗蘭と女妖が交差し、位置が入れ替わったところで、二人の動きが止まった。 見物を決め込んでいた化け物たちから、思わずため息が漏れる。誰もが信じられないといった表情で、紗蘭とヌレオンナを交互に見ている。それほど見事な攻防だった。剣が振り抜ぬかれていたら、首魁の一撃は間違いなく致命傷だったであろう。咄嗟に防いだ紗蘭の技量も尋常では無い。 しかし武器を持ってこそ、人は妖物と対等の戦いが可能である。徒手空拳では分が悪い。相手から視線を逸らさずに、紗蘭は周囲を伺い、目の端で慣れ親しんだ長剣を探す。 「捜し物はこれかい?」 配下の化け物に紗蘭の長剣を手渡されたヌレオンナは、重さを確かめるように二度、三度、片手で軽々と長剣を振るった。緩やかな動きだったが、剣先が空気を切り裂くその僅かな動きだけでも、女妖が一流の剣士であることが察せられる。相手の技量を冷静に判断し、紗蘭は覚悟を決めた。 (ここで死ぬか) そう思うと、余計な力が抜けた。せめて最後に一撃だけでも与えようと、紗蘭は腰に差した短刀を手にする。騰黄組の組頭の故郷である九州で一般的な、丸い形をした把頭の蕨手刀(わらびてのかたな)と呼ばれるその短刀は、紗蘭が最初に扱い、幼い頃から慣れ親しんだ武器だ。しかし刃渡り一尺に満たない短刀は、いかにも心許ない。 その時、屋敷の塀の外から、聞き慣れた大音声が響き渡った。 「妖怪共! 勅命により、誅に伏す! おい、紗蘭! どこにいる? 生きているなら返事をせんかっ!」 組頭の声に続いて、雄叫びが上がった。紗蘭の後を追ってきた兵が、正門を突き破ってなだれ込んでくる。 「ちいっ、騰黄の連中かい。お楽しみを邪魔して、無粋だね。お前ら、相手をしておやり」 ヌレオンナの指示で、妖怪どもが兵に向かっていく。たちまち館の前庭は戦場と化した。 「紗蘭! 紗蘭! おお、そこか」 組頭がようやく女妖と対峙する紗蘭を見つけたが、化け物どもに行く手を塞がれ、二人に近づくことができない。 ヌレオンナは騰黄の戦士たちを阻む部下の動きを確かめると、何を思ったのか、微笑みを浮かべながら紗蘭に話しかけてきた。 「お前の身を思ってここまで追ってきたとは、良い仲間をお持ちだねえ、姫様。せっかく集まってもらったのだから、連中にも宴を盛り上げてもらおうか」 そう言って手にした長剣の刃を白い歯でくわえると、柄を握った両手に力を込めた。 バキッ! 空気を震わす鋭い音が鳴り響き、何十匹という妖怪を切り捨てた鋼の剣身が二つにへし折れる。対してヌレオンナは全くの無傷。いや、欠片が口内に当たったのか、真っ赤な唇の端から紅の血が一筋流れ出し、きらめく刃との対比が何とも艶めかしい。 「紗蘭、一旦引け! 蕨手刀で倒せる相手じゃない」 組頭の声が聞こえた方向に向かい、ヌレオンナが首を振る。その唇から何か光るものが飛んでいくのが、やけにゆっくりと見えた。 「うおっ」 「お、組頭!」 「おお、そんな……」 銀色の軌跡を残して折れた刀身が飛んでいった先から、兵たちの悲鳴が上がった。慌てて振り返る紗蘭には、自分の動きがまるで水の中のように緩慢に思える。しかし振り返って倒れた組頭を見るまでもなく、その身に折れた剣身が刺さっていることがわかっていた。 「く、組頭ーっ!」 襲いかかろうとする化け物を短剣で牽制しながら、ようやく組頭の傍らにたどり着く。僅かに遅れてきた一番隊の副隊長が、組頭の身体にすがりつく紗蘭の背中を護ってくれた。急所は外れているが傷が深いらしく、組頭の体の下は血を吸った地面が真っ黒だ。 「しっかりしてください」 「なに、これしきの事じゃ、死なんよ」 組頭は血の気が失せた真っ青な顔でなお笑い、自分の太刀を紗蘭の手に握らせた。刃渡り一尺八寸、分厚い片刃の直刀は飾りが一切無く、実用一点張りの無骨な姿が騰黄の長に相応しい。 「こいつを使って、父様、母様の敵を取ってこい。ここで見ていてやる」 共に死線を越えてきた太刀は、紗蘭にとって組頭同然。これ以上の助けがあるだろうか。黙ってうなずく紗蘭の頬に、知らずに涙が流れた。子供の頃から大切に育ててくれた。自らの死に際しても、紗蘭の身を気遣ってくれる。この人を死なせるわけにはいかない。この人のためにも、ヌレオンナを倒さなくては。 「組頭を頼む」 副隊長にそう言い残すと、ヌレオンナの元にとって返した。蛇身の妖怪は、先ほどと同じ位置で待っている。まるで愛おしい恋人を待つ娘のように、期待に身を震わせながら。 「くくく、ますますいい顔におなりだ。憎しみと怒りで、煮えたぎっている。さあ、あたしを楽しませておくれ」 「言いたいことはそれだけか」 紗蘭は両手を右肩の上に掲げ、再び得意の構えに入った。攻撃の直前まで剣筋を見せない工夫か、常と違い更に両手を上げて得物の直刀を背中に隠し、ヌレオンナの視界から完全に消している。 対するヌレオンナの手には長剣の片割れが残っていた。折れたとはいえ一尺あまり。並の短剣と比べても遜色ない。それどころか双手で扱う柄の重量がある分、先ほど同様投げつけられた場合の殺傷力は大きい。 「さあ、来な! 騰黄の鬼姫!」 「化け物め!」 ヌレオンナの呼びかけに、紗蘭が走り出した。 「阿呆が、二度目は無いよ」 女妖はその場を動かない。上半身をゆらゆらと左右に揺らしながら、剣を持つ右手を地面に垂らし、矢のごとく襲いかかる女戦士を悠然と待つ。 「とおーっ!」 気合いと共に全身の体重を掛けた一撃が、ヌレオンナの頭上目がけて振り下ろされる。瞬間、ヌレオンナの身体が沈むと、右腕が無造作に振り上げられた。 「紗蘭!」 痛みで霞む視界に、血を撒き散らしながら空を舞う紗蘭の両腕を、組頭は確かに見た。しかし蛇妖の剣は、紗蘭の腕に吸い付かれたように止まっている。 そもそも紗蘭の腕は、左手しか振り下ろされていない。ヌレオンナの一撃を受けたのは、その手に握られた蕨手刀だった。短いが頑丈な刀身に、ヌレオンナの剣が食い込んでいる。振り下ろす肘を咄嗟に折りたたみ、両手切りならば手首の位置に蕨手刀の一番丈夫な部位を持ってきたのは、長年の修行が成せる技だった。 「やるじゃないか」 ヌレオンナが思い切りよく剣を捨て、身体を引いて体制を立て直そうとする。接近戦なら素手でも勝機はあるとの判断は正しい。しかし流石の女妖も慌てていたのだろうか。紗蘭の得物が、蕨手刀だけではなかったのを忘れていた。 「逃がすか!」 引き下がる女妖に、紗蘭の右腕が振り下ろされた。直刀の煌めきが、雷閃のごとく襲いかかる。ヌレオンナは蛇身をくねらせ一撃を避けようとしたが、すんでの事に間に合わなかった。左肩から袈裟懸けに切られた傷口からは骨が見え、屋根より高く血が吹き上がる。 「ふふ、おもしろかったよ、鬼姫殿。楽しませてもらった褒美に、この首くれてやる。持って行きな」 自らの血を浴びて深紅に染まった顔に笑みさえ浮かべつつ、ヌレオンナは敗北を認めた。 「父様と母様の敵、取らせてもらう」 紗蘭は太刀を八相に構え直すと、ヌレオンナの白い首筋目がけて振り下ろした。 |
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| 「太平の世だ。お前がもたらした平和だよ」 「私だけじゃありません。騰黄の皆で勝ち取った平和です」 正月の準備で賑わう西の市を連れだって歩いているのは、騰黄の組頭と紗蘭である。あの夜、逃げる妖怪たちが放った火により館は全焼。騒ぎに紛れて何匹かは取り逃がしたが、大半はその場で切り捨てられ、屍は陰陽寮の学者によって引き取られた。ヌレオンナの首級は切り落とされてなお、微笑んでいたという。 騰黄組が結成されて以来の大勝利だったが、騰黄の兵にも死傷者が多かった。特に組頭の傷も思ったより深く、三ヶ月が過ぎた今でも一人では歩くのは不自由している。その間、紗蘭は一日も欠かさずに組頭の面倒を看ていた。紗蘭に取っては当然の礼だったが、手厚い看護を受けながら組頭の悩みは日に日に募っている。 「で?」 「はい?」 二人きりならば遠慮もないだろうと、思い悩んだ末に紗蘭を連れ出した組頭の心配は、その将来にあった。 「親戚の貴族様から便りがあったそうじゃないか。ヌレオンナも倒したことだし、そちら様にご厄介になってはどうかね。今度は本物のお姫様だ」 親の敵の妖怪を見事に討ち取った姫君として、今や京で紗蘭の名を知らぬものはいない。不遇の孤児には声も掛けなかった親戚の貴族たちも、鬼姫の威光を少しでも自分の出世に利用しようと、紗蘭を引き取るべく醜い争いを始めていた。組頭にはそれが不快でたまらない一方で、やはり貴族としての生活をさせるのが紗蘭のためでは無かろうかという迷いがある。 「ああ、そのことですか。それならとっくに断りました」 「なっ、こ、断っただと?」 持ち前の大声を張り上げた組頭に、市の客の視線が集まる。当の本人は痛む脇腹を抱えて、なお声を荒げた。 「わしに相談もせずに勝手に決めおって。何を考えてるんだ」 「いいんです。騰黄の兵としてこの歳まで育てられた身です。いまさら宮廷での生活など、とても」 紗蘭とて年頃の娘だ。本来なら内裏で女官を勤めてもおかしくない身分だと、甘い言葉が綴られた手紙を前に、寝ずに悩んだ。しかし現在、応えた紗蘭の顔には迷いが無く、そのことが組頭の心に絶えずあった不安を消し去った。 「おれはなあ、お前が自分の生き方を後悔していないかどうか、ずっと心配だったんだよ」 「どうして後悔なんか……。私には生んでくれた父母と、育ててくれた組頭と、一緒に戦う仲間がいます。それで充分に幸せです」 思ってもいなかった言葉に、組頭は目頭が熱くなる。それを誤魔化そうと、慌てて顔を逸らす様子がおかしいと紗蘭が笑った。 「ば、馬鹿。空だ、空を見てたんだ。ほれ、あそこに鳥が……」 指さす組頭につられて、紗蘭も空を仰ぎ見る。二人で見上げる冬空は、どこまでも蒼かった。 |
| 完 |
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