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 この項では吸血鬼に関して、偉大なるヴァン・ヘルシング教授の研究を元に、その特性を論じてみよう。そもそも吸血鬼とは何者なのか。なぜあれほど魅力的な存在なのか。吸血鬼に対する理解への、一助になれば幸いである。
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 研究家であるマシュウ・パンソン氏は、吸血鬼(Vampire, Vampir, Vampyre)という言葉の語源は明確でなく、一般的にはスラブ語源であるという説が有力であるとする。この語は、リトアニア語のwempi(飲む)に由来するか、もしくは語幹pi(飲む)に接語辞vaあるいはavがついたものかもしれない。
 その他に考えられる語源としては、トルコ語のuber(魔女)や、セルボ=クロアチア語のpirati(吹く)などがある。独逸文学者の種村季弘氏はこの説を支持しており、北方トルコ語で吸血鬼を意味するuberがセルビア語のVampirに相当するという。種村氏は同時に、ギリシア語で「血」を意味するVamと「餓えている」を意味するPrienの合成語であるとする、十八世紀初頭の書誌学者ヨーハン・クリストフ・ハーレンベルグ氏のギリシア語源説を紹介している。
 いずれにせよ吸血鬼を表す単語vampire(あるいはvampyre)という言葉が最初に登場したのは、1732年に出たメヅヴェギアのアルノルト・パウルの事件の検察報告の翻訳と、5月に出た「政治的吸血鬼(原題:Political Vampires)」である。
 日本で「吸血鬼」という言葉が使われ始めたのは明治時代以降のことであり、江戸時代には「血を吸う不死者」という概念は存在していなかった。しかし屍喰鬼というより広い妖怪まで含めれば、赤ん坊を喰らう般若、死体を持ち去る火車などが存在する。第二次世界大戦後になると、西洋とは別の体系に属する吸血鬼が、「吸血鬼ゴケミドロ」「血を吸う人形」「血を吸う眼」「血を吸う薔薇」といった映画で報告されている。
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 それまで民間伝承でのみ語られてきた不死者が、吸血鬼として初めて文献によって紹介されたのは、ジョン・ポリドリ氏が1819年に記した「吸血鬼(原題:Vampyre)」だと言われている。その後、多くの、しかし不完全な文献によって吸血鬼の報告がなされる中、レ・ファニュ氏が「吸血鬼カーミラ(原題Carmilla)を1872年に発表したことで、その性質が一般にも知られることとなる。
 しかし吸血鬼を世界で最も有名な怪物とした功績は、ブラム・ストーカー氏がヘルシング教授の冒険譚を報告した「吸血鬼ドラキュラ(原題:Dracula)」にあることは間違いない。1897年に上梓されたこの本によって、ヘルシング博士の業績は永遠に人々の記憶に残るものとなった。その後多くの研究者によって様々な吸血鬼の正対が語られてきたが、ヘルシング教授の研究に反する誤記も多く存在するのは悲しい事実である。特に映像作品における吸血鬼への愚弄は、吸血鬼に対する誤解を多く生み出し、一時期、これら愚劣な映像作品による影響で、吸血鬼といえばのろまな道化役にまでおちぶれていた。
 しかし1975年、吸血鬼に襲われたアメリカの田舎町を描いた「呪われた町(原題:Salem's Lot)」を、スティーブン・キング氏が上梓したことで状況は一変する。キング氏の名著は現代にも吸血鬼が存在し、人々を襲い続けていることを世に知らしめた。翌年にはアン・ライス氏がサンフランシスコで吸血鬼との会談に成功、その一部始終を綴った「夜明けのヴァンパイア(原題:Interview with the Vampire)」を発表。吸血鬼は不死の怪物としての地位を、完全に取り戻す。近年でも1995年、ナンシー・コリンズ氏が「ミッドナイト・ブルー(原題:Midnight Blue)」によって、人間社会に隠棲する吸血鬼たち闇の一族を報告している。我が国では小野不由美氏が大作「屍鬼」によって、近代日本における吸血鬼の生態を明らかにしたことは、記憶に新しい。
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 ヴァン・ヘルシング教授の研究によれば、一般的な吸血鬼の眷属に見られる特徴とは、以下の通りである。
・不死(人間の生き血を吸い生き続け、時に若返る)
・吸血鬼を殖やす(吸血鬼にするかどうかは選択できる)
・飛行(そのままの姿で飛ぶものと、変身して飛ぶものがいる)
・怪力(人間数十人分の力を持つ)
・催眠(人間を罠にかけたり、混乱させたりする)
・身体の大きさや体積を変える
・元素を支配する(風や雨、その他の自然の力を操る)
・動物を支配する(昆虫、鼠、梟、蝙蝠、狐、狼などを操れる)
・変身(蝙蝠、犬、狼、蝶、鼠、蝗などに変身する)
・影が無く、鏡に映らない
・はじめて家に入るときは、その家の住人の許可が無くては入れない
・太陽が昇ると、魔力が効かなくなる(死ぬわけではない)
・ゆるい水の流れや、潮の流れの中もスイスイ通れる
・十字架とニンニクが苦手
 ここで注目すべきは、太陽に関する記述である。ヘルシング教授によれば、吸血鬼は太陽の光を浴びて滅ぶことはない。現に「吸血鬼ドラキュラ」の中で二回、ドラキュラ伯爵が昼の間に襲ってくる描写がある。民間伝承においてもほとんどの吸血鬼が太陽の光をいやがらず、ポーランドやロシアでは昼間から徘徊する吸血鬼の話が多く残されている。
 日光を浴びて吸血鬼が燃え尽きる、という印象的な特徴は、1922年の映画「吸血鬼ノスフェラトゥ(原題:Nosferatu, eine Symphonie des Grauens)」によって、初めて報告された吸血鬼の弱点であり、1958年のハマー・フィルムによる映画「吸血鬼ドラキュラ(原題:Horror of Dracula)」によって確立された。
 以後、この太陽光は吸血鬼のスタンダードな弱点として定着していき、「呪われた町」「夜明けのヴァンパイア」「屍鬼」などでも、時を越えて同様の性質が報告されている。反対に太陽の光を苦手としない吸血鬼の報告は少なく、近年では平野耕太氏の「ヘルシング」に登場するアーカードがその特徴を受け継ぐ。もっともアーカード(Alucard)の正体を思えば、その特性を持つことは当然と言えよう。
 吸血鬼研究に残された最大級の謎の一つは、彼らがどのようにして子をなすか、というものである。これに関してはヘルシング教授も、吸血行為にあるとする以外、明らかにしていない。近年ではある種のウイルスが吸血行為によって血管に進入し、人細胞のDNA情報を操作、人間を吸血鬼という別種の生物に生まれ変わらせる、という説が有力視されている。しかしウイルス原因説でも、人であった時の記憶や性格をそのまま引き継ぐケースと、全く別人格に変貌してしまうケース、相反する二つの症状を説明しきることは出来ない。
 筆者は、ナンシー・コリンズ氏の「感染者は細胞の急激な変化に耐えきれずに死亡、死者の魂が去った隙間に悪霊が進入し、脳細胞に残った人としての記憶情報を利用する」という説を支持したい。
 吸血鬼が人間との間に生殖行為を行うと報告した例もあり、特にスラブのジプシーの間では吸血鬼と人間の混血であるダンピールの話が残されている。このダンピールに関しては諸説あり、最も一般的なのは父親(吸血鬼)と同等の力を持つ超能力者で、吸血鬼ハンターを生業とする、というものである。しかし生まれつき身体がゼリー状で生まれてすぐに死ぬとか、ただの人間であるとする伝承も残っている。ダンピールによる吸血鬼狩りは1959年にユーゴスラビアで行われたのが最後であり、現在ではダンピールは絶滅したものと考える人もいる。
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 先に示したように、日光は一般的な吸血鬼の弱点とならない。ニンニクは吸血鬼が苦手とするものであるが、退治するまでには至らない。現代の吸血鬼の中にはこの弱点を克服し、イタリア料理を好む者もいる。
 最も有効なのは心臓に杭を打ち込むことであるが、吸血鬼が眠っているところを発見しなければならず、襲われたときの対処法とはなりづらい。
 十字架や聖水も吸血鬼に対する有効な武器と思われてきたが、S・キング氏の報告では、信仰無き者が用いた場合、何の役にも立たないという。その意味で、聖体は最も強力な武器となるが、信仰者であっても一般人が手に入れることは不可能である。やはり拳銃やショットガンと言った火器を用い、脳または心臓を破壊することが簡便且つ確実な方法であろう。その際、銀の弾丸を使うとより効果的であるとされる。
 高位の吸血鬼は他人の心を操る、精神的な超能力を持っている。この能力を吸血鬼同士の戦いで使用するという例も、ナンシー・コリンズ氏によって報告されている。この戦いに敗れた吸血鬼は精神を犯され、脳出血などにより脳を物理的に破壊され、完全な死に至る。その際、余剰な精神力が周囲の人間に影響を及ぼし、凶悪犯罪が大量に発生するきっかけになるという。
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 この項の最後に、吸血鬼研究に役立つ、いくつかの文献を紹介しよう。吸血鬼に関する書物はそれこそ星の数ほど出版されており、ここに示した本はそのごく一部にすぎない。しかしどれもがあなたが吸血鬼に立ち向かう時、有益な助言を与えてくれるであろう。

吸血鬼カーミラ シェリダン・レ・ファニュ著 創元推理文庫「吸血鬼カーミラ」収録
若く美しい貴族の令嬢ローラは、事故にあったカーミラという若い女性を助ける。彼女はローラが子供のころに見た夢の女性とうり二つであり、ローラの家にあったマーカラ・カルンシュタイン伯爵夫人ともよく似ていた。カーミラと出会ってから日ごとに衰えていくローラのもとに、家族の友人である将軍が訪れる。将軍の娘を殺したミラーカという女性もまた、カーミラにそっくりであるという。
 物語全体に漂うゴシック的雰囲気と、レズビアンを連想させる強烈なエロティシズムで、名作の誉れ高い吸血鬼文学の傑作。女吸血鬼カーミラ・カルンシュタイン伯爵令嬢のキャラクターは、後の吸血鬼像に多大な影響を与えた。
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吸血鬼ドラキュラ ブラム・ストーカー著 創元推理文庫
若き弁理士ジョナサン・ハーカーを雇った、トランシルヴァニアの古城の主は吸血鬼だった。ロンドンに上陸し、次々と人を襲うドラキュラ伯爵を倒すため、ジョナサンとその新妻ミナをはじめとする仲間たちは、ヴァン・ヘルシング教授に助けを求める。人間の英知だけを武器に、不死の怪物との戦いがはじまる。
 それまで伝承の中でしか語られなかった吸血鬼像を確立した、間違いなく吸血鬼文学の最高傑作の一つ。文章は複数の登場人物による一人称形式で綴られており、作者の並々ならぬ筆力がうかがい知れる。その筆力が産み出すドラキュラ伯爵の恐怖感は、現代でも健在。
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呪われた町 スティーブン・キング著 集英社文庫
故郷であるニューイングランドの田舎町セイラムズ・ロットを訪れた作家ベン・ミアーズは、街を狙う吸血鬼の存在を知る。恋人や仲間を次々と殺され、街の住人も吸血鬼にされていく中、ベンと両親を殺されたマーク少年は、吸血鬼バーローに絶望的な戦いを挑む。
 キング・オブ・ホラー、S・キングの初期の傑作。他のキング作品同様、徹底して描写される日常風景とキャラクターの心理描写が、吸血鬼という超自然をもリアルな存在としている。またこの作品では、キリスト教対アンチ・キリストの図式がより明確にされ、神を信じ切れなかったキリスト教信者の終末が残酷に描かれている。
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夜明けのヴァンパイア アン・ライス著 早川文庫
現代のサンフランシスコの夜、吸血鬼ルイは人間のジャーナリストに吸血鬼としての自分の生涯を語り始める。ルイを闇の眷属に迎え入れたレスタトは、美しいが傍若無人。主人に愛想をつかしたルイは、少女吸血鬼クロウディアと共にヨーロッパに渡り、そこで吸血鬼の一族と出会う。
 トム・クルーズ、ブラッド・ピット、アントニオ・バンデラスらが出演し、映画化された人気作。続編に「ヴァンパイア・レスタト」「呪われ者の女王」「肉体泥棒の罠」がある。現代社会の影に生きる吸血鬼たちの憂鬱を退廃的に描き、生きる死者たちに新たな魅力を与えた。悲劇的な魅力を持つ聖少女クロウディアは、あらゆる吸血鬼文学の中で最も記憶に残る女吸血鬼の一人である。
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ミッドナイト・ブルー ナンシー・A・コリンズ著 早川文庫
大富豪の一人娘デニーズ・ソーンは、ロンドンで吸血鬼モーガン卿に襲われる。一度は死んだはずだったデニーズだが、現代医学の助けにより、人間としての記憶を持ったまま吸血鬼ソーニャ・ブルーとして復活した。モーガン卿に復讐を誓うソーニャだったが、やがて自分に与えられた運命を知ることになる。
 吸血鬼や人狼、グールらが人知れず社会を形成し、人間界にも影響を与えているとする設定と、Tシャツに革ジャン、裂けたジーンズと、吸血鬼のイメージを一新する主人公が新鮮。ナンシー・コリンズはDCコミックスで原作者を務めた経験があり、その為か、良い意味でコミック風味が盛り込まれている。続編に「ゴースト・トラップ」「フォーリング・エンジェル」番外編に「ブラック・ローズ」がある。
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屍鬼 小野不由美著 新潮文庫
寂れた山村、外場に、桐敷一家が越してきた夏、異常な数の死者が出る。死してなお蘇る、伝説の屍鬼が蘇ったのか? 寺の若御院、清信と、友人で医者の尾崎敏夫が真相に気が付いたときには、すでに村は死によって包囲されていた。生き残った人間と屍鬼との戦いの中で、清信は桐敷家の一人娘、沙子の存在を忘れることができなかった。
 キングの「呪われた町」の舞台を日本の山村に移し、純和風ホラーに仕立て直した意欲作。僧侶が主人公であるにも関わらず、キングの作品が持っていた宗教観が欠落した結果、人間対吸血鬼の戦いが動物的な図式に当てはまってしまったのは残念。逆に屍鬼の科学的な解釈は、いかにも現代日本的か。
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吸血鬼の辞典 マシュー・バンソン著 青土社
原著は1993年の発行。世界各地の民間伝承から、文学、映画、演劇まで、吸血鬼に関するありとあらゆる情報を網羅したエンサイクロペディア。特に映画をはじめとする記述が多く、最近の吸血鬼に関する動向がよくわかる。著者が言っているように、読んで楽しめる吸血鬼研究書。
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ヴァンパイア 吸血鬼伝説の系譜 森野たくみ著 新紀元社
Truth In Fantasyシリーズの一冊。吸血鬼に関する情報が簡潔にまとまっており、入門書としては最適。ヴラド・ツェペシ公、ジル・ド・レイ、エリザベート・バートリー公爵夫人など、実在の『吸血鬼』に関してもページを割いていて、中世ヨーロッパの猟奇犯罪に関しても詳しくなれる。
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