(14) ヒマラヤの人と自然



  「花」 


 ーその1ー ブルーポピー(ネパール)

 ブルーポピーは、「高山植物の女王」であり「幻の花」と言われています。簡単に近寄れない
 高所に育ちます。この花は雨と風を嫌い、土壌も水はけのよい斜面に限定されます。シーズン
 が短く、観賞時期は雨季のトレッキングとなり、水量を増した川の流れは人を寄せつけませ
 ん。それゆえに「幻の花」と言われ、瓦礫の岩陰にひっそりと咲く花です。
(ネパールのブルーポピー)
(2008,1,1)


―その2― ブルーポピー(チベット)


 ネパールヒマラヤのブルーポピーは「幻」と言われます。山が厳しく雨や風、土砂崩れなどの
影響で人をも寄せ付けないことにもよります。しかし、チベットの場合は高原台地の高所を探
せばよく目にすることが出来ます。広い高原台地のものよりヒマラヤ山脈に近いほうが見事な
花をつけます。開けた台地のためネパールのものより、何となく明るさがあります。近年、チベ
ットのブルーポピーは、気象条件のためかだんだん少なくなっています。
  (チベットのブルーポピー) (2008,2,1)



 ―その3― シャクナゲの花 (アンナプルナ)


 「山が燃えている」、そんな言葉がぴったり当てはまるのがゴラパニ峠から見たシャクナゲ林
 です。山一面が真紅に染まる。その林の中は花のトンネルです。
 プーンヒルからの眺めは、蒼い空に浮かぶ純白のヒマラヤ・ジャイアンツ、ダウラギリ峰と、そ
 の裾野に広がる真紅に燃える石楠花は、まさに蒼、白、真紅の見事な三段染めの世界となっ
 て眼前に広がります。ポカラからゴラパニ峠を経てガンドルンへのルートは圧巻です。
 (シャクナゲとダウラギリ峰) (2008,1,1)



−その4−シャクナゲの花 (ソル・クーンブ)

 ネパールの東部、ソルとクーンブの山の民は昔チベットの東部民族がヒマラヤを越えてやっ
 てきたと言われます。丁度、シャクナゲの花咲く高所に生活圏を持つため、このクーンブのシャ
 クナゲはアンナプルナ地方ほど多くはないが、村々や山道を彩り、生活の匂いが漂います。

 (ナムチェ村を彩るシャクナゲの花)   (ロバの通う道とシャクナゲ)     (アマダブラムとシャクナゲの花)

 (2008,2,1)


ーその5ー ネパールの桜!(カトマンズ)
    
桜前線北上、春爛漫の日本は天下の名桜が到る所で満開。日本の春は桜前線と共にやって
 くる。しかし、ネパールの場合は少し趣が違う。一般にネパールの桜は春よりも秋に眺められる。
私は 一足早い11月にネパールのヒマラヤ桜を楽しんでいる。カトマンズ市内にも桜並木はある
が、排気ガス のため余り美しい花はつけない。空気のきれいな郊外に見事な桜の花があり、枝
垂れ桜や日本から持ち込んだソ メイヨシノ?がある。ポカラの山には「ヒマラヤ桜」が見事に群
生している。
 カトマンズの王宮通りの桜を眺めていて、不思議な現象に気が付いた。ネパールの桜は春に
 咲く日本の桜と違い、桜シーズンは11月から寒さに向かう時期のため、日本の桜のように花び
 らはすぐ散ることなく、楽しめる日数が長くなる。そして、花は散らずに枝についたまま寒さで萎
 んで枯れていくものが多い。カトマンズ市内は排気ガスの影響もあるのだろうか。やはり、郊外
 の花見がよかった。

  (カトマンズ盆地郊外、ドリケルの桜)                      (カトマンズ郊外の枝垂れ桜)



ーその6 ー ヒマラヤの春一番!(クーンブ)

 春のヒマラヤを歩いていて、突然地面から突き出して咲く花に驚いた。先ず花を咲かせ、そ
 れから背丈を伸ばす。5000mの高所に咲く花は背丈の短いものが多い。しかし、この花はやが
 て背丈が伸びるのだから、ゆっくり花をつけてもよさそうなものだ。新芽をヤギやヤクに踏み荒
 らされたり、食べられることもあるので真っ先に花をつけるのだろうか。

  (花を咲かせてから背丈を伸ばすアヤメ)                              
                                                           (2008,4,1)


ーその7 ー 五月の街を彩るジャガランタ!(カトマンズ)

 近年、カトマンズの街は排気ガスと車の埃の影響で景観が損なわれている。しかし、カトマン
 ズの5月はジャガランタの花の色に覆われる。由緒ある建物を取り囲み、公園の中、リングロ
 ードなどに多くみられる。そしてこの花は、散るとあたり一面が紫色となり、風情がある。

 (カトマンズ王宮通りから時計台方面を見る)
                                                 (2008,7,1)


ーその8ー 五月の街を彩る黄色い花!(カトマンズ)

 5月のカトマンズは大木の花に包まれる。その代表的なものが前出の青い花のジャガランタ
 と、そしてもう一つがこの写真の黄色い花。名前を忘れたが、この花も地味ながら大木に見事
 な花をつけてカトマンズの街を飾る。




ーその9ー 高所に咲く花! (ゴーキョ・ピーク)

 ヒマラヤは高いというイメージから、いつも雪に覆われていると思い、「寒くて大変でしょう」と
 言ってくれる人が多い。ヒマラヤは登山のできない夏の雨期に雪が降る。乾季は天候がよく雨
 や雪はあまり降らない。そう考えるのが一般的だ。三浦雄一郎氏がエベレスト登山で「暑さとの
 闘いでもある」と言ったのは、乾季のヒマラヤは好天のため高所でさへ昼は太陽の照りつけで
 大変な暑さとなる。
 ヒマラヤの夏、雪の降る雪線は標高約5000m前後だ。下の写真はゴーキョ・ピークの500
 0m地点。降っては消える雪の合間に、岩陰にひっそり咲いているアズマ菊科の花があった。
 この高さでは寒さで背丈が伸びず、地面に花が咲いているようだった。

 (雪の降る高所5000mで花を付けるアズマ菊科の花)

                                                  (2008,8,1)


  「人」 


 ―その1― 山の子供たち(アンナプルナ

 1979年、初めてのネパールで初めて山村の子供たちに出会ったときの写真です。ポカラから
 ベグナス湖を経てクディに向かう峠でこの子供たちに会いました。早朝のことでした。真っ黒に
 こげた硬いトウモロコシをかじりながら、小さな鍬を手に畑作業に向かうところでした。
 生活のために学校へ行くことも出来ない子供たちを見て大変ショックを受けました。成長して
 果たしてどのような生活をしているのだろう。

             (早朝から働く子供たち。今はどうしてる?)



 ―その2― シェルパーニ (クーンブ)

 ヒマラヤに生きる山の民、特にシェルパ族はネパール山岳民族の中で最も高所に生活の基
 盤を作りました。ヒマラヤを越えてチベット東部からやってきたと言われます。私が感動を受け
 たのは、標高3000m以上の高所、クーンブ地区に住みついた人々でした。男はシェルパとして
 登山やトレッキングの人を助け、女はシェルパーニと呼ばれ家を守るために厳しい自然と闘っ
 ています。村人の結束は強く、神仏に敬虔な山の民に惹かれました。

(クーンブのシェルパーニは強し!)
 (2008,1,1)



  ―その3― クーリー少年 (クーンブ)


 ヒマラヤ・クーンブ地区の中心はナムチェバザール。ここはクーンブ・ヒマラヤの登山とトレッ
キングの基地である。ネパール・ヒマラヤが解禁になると同時に登山隊が訪れ、やがてトレッ
キングがポピュラーになり、ナムチェバザールは急速に発展した。土産屋だけではない、登山
やトレッキングのグッズを売る店も軒を連ね、ロッジは増える一方となる。郵便局や銀行、今で
はパソコン・ショップもある。2007年はカトマンズから携帯電話も通じるようになり、不自由のな
いところとなった。
 そのナムチェバザールを支えているのがクーリー(荷運び)たちだ。カトマンズから車で運ば
れた荷は終点ジリの町からクーリーたちが日用品から肉、野菜、米、石油まで担いで運ぶ。一
週一度のハート(土曜日の青空市場)に合わせて露営をしながら10日間の荷運びの仕事をす
る。最低70kgの荷を運ぶと言う。そのクーリーの中に一人の子供がいた。父親の仕事を助ける
ために始めた14歳のマグちゃんだった。
 2回目に会った時は、少し大きな荷物を担いでいた。辛そうに休んでいるが、もう一人前のク
ーリも近い。次は仲間と楽しく仕事をしているマグちゃんに会いたい。

  (一生懸命に家のために働く少年クーリーのマグちゃん、頑張れ!)



  ―その4― 陽だまりの母子 (アンナプルナ)


 アンナプルナとダウラギリの峰々を展望するにはゴラパニ峠までポカラから2日間のトレッキ
 ングで行ける。「ヒマラヤの見える町」ポカラを出て登山口からトレッキングを開始する。長閑な
 寒村を歩くトレッキングは却って私たちの心が和む。
 昼下がりの陽射しを浴びる母と子に出会った。心温まる姿だった。このルートは細々と生きる
 山村の姿、学校に学ぶ子供たちとの触れ合いがあり、この赤ちゃんの成長も楽しみだ。

  (すやすやと眠る子供を抱く母親、幸せそうだ)



 ―その5― 板を作る少女 (ソレリ)


 カトマンズからヒマラヤの玄関口、ルクラに飛行機が飛ぶ。その中間にパープルという飛行
 場があり、近くにソレリ・バザールがある。ここはネパール東部のマオイストによるテロ事件が
 最初に起こった町だ。50名もの警察官が殺戮に遭った。その小さな町から南に1日歩いたと
 ころで一人の少女に出会った。ククリ(ネパールのナタ)で木を削り、大きな板を作っているよう
 だった。手を休めて明るい笑顔を見せてくれた。

  (道端で大工仕事をする少女?)
(2008,3,1)



 ―その6― 村で出会った人 (ランタン)


  ヒマラヤトレッキングは、カトマンズから山の飛行場まで飛ぶことが多い。しかし、ランタン谷
 はカトマンズから最も近く、バスを利用して行くことができる。私はブルーポピーを求めて、この
 谷を6年間も続けて訪問した。この谷のお祭は8月。近くの聖地ゴサインクンドのお祭もあるた
 め、若者はカトマンズから村に戻る。村を流れるきれいな水場にロッジの小母さんがいた。何
 度か通ううちに顔見知りになった。
 村のお祭にランタンの若者が集まっていた。村で祭り用の衣装に着替えて友だちと出かけ
 る。この日はラマホテル(ランタン村の下部)で集結し、聖地ゴサインクンドのお祭りに出かける
 ところだった。15名ほどの若い男女は、小雨の中、歌を唄いながら元気に聖地ゴサインクンド
 を目指して登っていった。

 (ランタン村で出会ったロッジのおばさん)                    (お祭のため着飾った娘さん)



―その7― 山で出会った子供たち (クーンブ)


 ーその1ーで、私が初めてアンナプルナ・ヒマラヤで出会った子供たちを紹介しましたが、この
 写真は、私が初めてエベレスト方面に訪れた1981年の子供たちです。学校に行くこともでき
 ず、家の手伝いをしています。履物はなく、服装は想像を絶するものでした。右の写真は最近
 の山の子供たちです。指定された服装を身につけ、全員学校で勉強しています。

  (山の子供たちを見て驚いた。子供たちも私たちを見て驚いていた)     (現在の山の子供たち)



―その8― 麦の穂を摘む少女 (ソレリ)


 1999年9月、ホテル山水の従業員の村を訪ねた。カトマンズからパープル飛行場へ飛んで、
ソレリ・バザールの町から山を越えてカスタープ村へ向かった。飛行機から眺める山村の麦畑
は黄金色で美しかったが、現実はやせ細った麦がパラパラと実っているものだった。竹で編ん
だ大きなドッコに少女は無言で麦の穂を摘んでいた。そんな山村をその日は9時間も歩いた。

 (無言で麦の穂を摘む少女)
                                                           (2008,4,1更新)



―その9― 学校へ通う少女 (ムクチナート)

 チベット文化圏、ジャルコットで出会った少女。果てしなく続く殺伐とした道を少女は歩いてい
た。歩くことだけが自分の移動手段だ。彼女たちは距離の観念を比較するものがない。来る日
も、来る日も当たり前のように数時間かけて学校へ往復する。学校へ行くことが今の彼女たち
の心を支えている。

 (仲良く学校に通う少女)
                                                 (2008,5,1)



―その10― ヒマラヤで出会った日本人 (ゴーキョ)


     三浦雄一郎氏75歳エベレスト登頂 おめでとうございます!

 三浦雄一郎氏がエベレストに登頂されました。70歳の登頂に次いで、75歳でエベレスト登頂
成功でした。
 時の人「三浦雄一郎氏」と時々ネパールでお会いします。初めの出合いはヒマラヤ・ゴーキョ
の谷でした。ストックを両手に一人で下りて来られました。何と体に錘をつけて背中にも重い荷
を担いでおられたのです。70歳でエベレストへ挑戦を決めて、そのトレーニングを始めた頃で
す。
 高校の校長先生として、生徒さん十数名を連れてヒマラヤでの教育でした。たまたま、その日
は生徒さんはマチェルモ4470mで高所順応日となり、三浦氏が一人でエベレスト挑戦のトレー
ニングでゴーキョ・ピークから下山中でした。誰もいない道でばったり出会いました。
 二人で立ち話をしましたが、私がカトマンズで小さなホテルをやっていることをご存知でした。

  (ゴーキョの谷、パンガの上部でお会いした三浦雄一郎氏)

 三浦雄一郎氏は、5年間のトレーニングの後、見事70歳でエベレスト登頂を果たされました。
早速、カトマンズで登頂祝賀会をいたしました。象に跨って祝賀会場に凱旋されました。
(70歳でのエベレスト最高齢記録達成祝賀会で)

 そして2008年、75歳でエベレストへ挑戦です。チベット側ベースキャンプから挑戦することを
決定されました。2007年10月、その下見に出かけられる前日、カトマンズで三浦氏の75歳誕生
祝いパーティをしました。その席で三浦氏はきっぱりと登頂を成功させますと話されて、翌日チ
ベットBCへルート下見に出発されました。
(三浦氏75歳誕生日の祝賀会場で)

 今回のエベレスト登山には、いろいろ障害がありました。その一つは中国のチベット騒乱、オ
リンピック聖火のエベレスト頂上での点火式という二重のトラブルにより、中国側ルートからの
登頂ができなくなり、そして又、ネパール側からの登頂にもストップがかかり、大幅な日程の変
更を余儀なくされました。
 その上、三浦氏の前日にネパール人による世界最高齢登頂など、思いもよらないことが起こ
りましたが、日本を代表する冒険家ですから、又何かをやってくれると信じています。

                                                  (2008,6,1)


―その11― タライの子供 (チトワン)

 チトワン動植物自然公園を訪問した。象プラントには沢山の成長期の象がいて、小象と戯れ
ることもできました。写真はそこに隣接した家の子供で、お父さんは象プラントで仕事をしてい
ます。その日、川向かいのジャングルからサイが渡ってきて驚いたが、時々餌を求めてやって
くるらしく、子供たちは気にも留めない様子だった。

 (チトワンの象プラントで出会った兄弟)


―その12― 炉辺の火を守る少女 (ソル)

 ヒマラヤの雪解け水が流れる谷間のキンザ村の小さなロッジでのこと。ジリからナムチェバ
ザールに荷を運ぶクーリーたちが行き交う村のロッジは、炉辺の日が絶えることがない。水を
汲み、湯を沸かし、火を守る少女。貧しい家を離れて、ロッジに雇われている子供だった。

 (学校にも行けないこの少女は、朝早くから夜遅くまで働き、仕事の合間に毛糸を編んでいた)
                                                  (2008,7,1)


―その13― 宿題をする兄弟 (ソル)

 カトマンズからジリへバスで向かい、そこから歩いて3000m級のヒマラヤ中級山地のソル地域
に向かった。そこには高所のクーンブ・シェルパ族と違い、緑豊かな世界にシェルパ族の生活
がある。作物も豊かで生活がしやすい地域だ。高所のナムチェバザールに荷を運ぶクーリー
(荷担ぎ)が通う道のロッジで、暗いランプで宿題をする兄弟に出会った。

  (手元の暗い灯りの下で宿題をする兄弟。畳一畳が二人の生活の場だ)


―その14― 宿題をする双子の姉妹 (クーンブ)

 ヒマラヤ展望のゴーキョ・ピークに向かうと、ポルツェ・タンガの川底に古びた小さなロッジが
ある。学校が冬休みで、お祖父さんのロッジへ遊びに来た姉妹と出会った。寝る時には、シェ
ルパ族の習慣の通り、素っ裸でお祖父さんの寝床に飛び込んでいった。

 (お祖父さんのロッジへ遊びに来た双子の姉妹)
                                                  (2008,8,1)


ーその15− 母と子



 ランタン谷の最奥の村キャンジン・ゴンパ(3850m)に生きる母(左)と子


ーその16− スワヤンブーナートで働く少女ー

 カトマンズ、スワヤンブー寺院の参道で、「祈りの灯明」を売る少女


ーその17ー 秋の収穫


 アンナプルナ・エリアのガンドルク村で、逞しく、しかも自信に満ちて生きる村人の姿を見た

ーその18ー ネパールのお祭り


 ネパールの大祭「ティハール」に「ドシレ」という子供たちの踊りが見られる。母親たちも楽しそうだ
                                                           (2010,12,20


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