今回紹介するのは、「冷淡な傍観者」という概念です。

これは、いまから50年ほど前に、ラタネという人が提案したものです。これは、ある事件が発端になって考え出されたものであるので、その事件を書いたほうが分かりやすいと思います。


さて、いまから50年程前に、ある事件がおきました。こう書くと、「〜強盗事件」とか、「〜の乱」とかイロイロ考えてしまいますが、ごく普通の(といっても変ですが)殺人が起きました。あるホテルの一室で白昼堂々、人が殺されたのです。凶器はナイフで、何度もそのナイフで刺され、出血多量で被害者は亡くなってしまったのです。

さて、これだけだと全く今回のテーマには結びつかないのですよね。ただの火曜サスペンス劇場になっちゃいます。問題は、ここからです。この殺人事件がおきたホテルの隣には、もっと高い大きなホテルがあったのです。そして、その高いホテルから殺人の瞬間を目撃した宿泊客は、たくさんいたのです。

(「家政婦は見た」シリーズを思い浮かべたあなた、ちょっと惜しいです(笑)」





し か ぁ し !




そのたくさんいた宿泊客は、誰も警察に電話をしたり、ホテルのフロントに連絡したりすることをしなかったのです。

その理由は、こうでした。その殺人現場があまりにも多くの人に目撃されやすい状況にあったことから、目撃者一人一人が「誰か通報しているだろう」という気持ちになって自分が通報しなくても大丈夫だ、という気持ちになっていたとラタネは考えたのです。

こうして、たくさんの目撃者がいるにもかかわらず、その目撃者が多い(あるいは、目撃しやすい状況にある)とかえって、目撃者それぞれが「自分以外にもたくさん人はいるし、だれかがやるだろ」という錯覚を抱いてしまうことから、「冷淡な傍観者」と名づけたのです。

これは、殺人事件に限らず、日常でも多く見られる現象ですよね。街にゴミが落ちていても、誰かが拾ってくれるだろう、あるいは、掃除の係の人が働いてくれるだろう、といったように考えしまいませんか?だから、街中にゴミが落ちていてもそれを片付けようとは思わないし、俺が近くのコンビニまで持っていって捨ててやろうって、ならないですよね?

僕だってやりたくないですよ、そんなこと。

でも、自分の部屋が汚かったら、自分で片付けますよね?それは、自分がやらなければ、他の誰もやってくれないと分かっているからです。「ドラえもん」でもいない限り、自分の部屋は自分で掃除するしかないですもん。

あと、駅のホームとかで人が急に倒れたこと、ないですか?僕は何度か遭遇した事があるんですけど、そういう時って一瞬、行動が遅れるんですよね。それはおそらく、

「倒れた人がいるんだから、助けに行かなくては」という気持ちと、

「こんな医学の知識のない若造が行って、何の役に立つんだ?僕よりも適任者がこの中にいるかもしれない」

という気持ちが働いているんだと思います。

僕は、この話を聞いて非常に納得できたのですが、みなさんはいかがだったでしょうか?