アニメなコラム バックナンバー

第一回  細田守監督に注目せよ!              2001.01.20

第二回  ロケハンするアニメはいい!!         2001.01.26

第三回  「浦沢義雄」ってそういうことだったのか!   2001.02.11

第四回  ねこぢる草を買ったワケ           2001.2.21

第五回  おジャ魔女どれみは正義である。 2001.3.21up 2001.4.5改訂

第六回  御贔屓監督・舛成孝二               2001.5.23UP

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第一回   2001.01.20

細田守監督に注目せよ!

待ちに待った細田守監督の「劇場版デジモンアドベンチャー第一作」「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」がDVDで発売された。2作カップリングで、細田監督のスペシャルインタビューの映像特典付ということで、実に待った甲斐があったというものだ。(これで後はTVシリーズの第1シリーズをDVD化してくれれば)

細田守(A)監督は、私が今、最も注目している新進の監督のひとりである。現時点で監督作品が、上記2作品、演出作品が「ゲゲゲの鬼太郎(第4作)」「ひみつのアッコちゃん」で数本とそのキャリアは浅い。(演出以前は原画をやっていた)その為認知度は、低い。しかし小黒裕一郎氏が編集長をつとめる雑誌「アニメスタイル」や「アニメージュ」等で特集が組まれることもあり、感度の高いマニア、デジモンファンの間でその名前は、広まっているようである。

私自身が細田監督の名前を意識したのは「デジモンアドベンチャー(TV第一期)」で彼が演出を担当した、第21話「コロモン東京大激突!」の回からで、この回を見たときの興奮は忘れないものがある。見た瞬間、「何もかもが、段違いに違う」才能のキラメキを感じさせてくれる。その回を見たあと、これ以前に作られた劇場作品が、細田監督の手によるものであることを知ると、速攻レンタルで借り鑑賞。20分という短編にも関わらず、その雰囲気、出来栄えは、そこらのエセ映画とは比べ物にならないほどに「映画」としての完成されていた。この99年当時ほとんどといって良いほど、細田守という監督とこの「デジモン劇場版」第一作に関する情報がなく、その素性の知れなさ「いったい何故どうしてこんな作品が、無名の監督に作れてしまったんだ」と興奮しまくった。

そして次の年の「デジモン劇場第2作」が再び細田監督の手によって作られることを、知るともう嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。で、「東映アニメフェア」に二十も後半過ぎた大人が「絶対に面白いから」と友人を引き連れて、劇場に赴いてしまったわけである。ニ作目はとにかく「面白い」の一言に尽きる。一作目が、20分でドラマらしいドラマがなく、ビジュアルイメージや技術的な側面に惚々れするどこか実験的作品なのに対し、2作目は、ちゃんとしたキャラがいて、物語があり、地に足のついたエンターテイメントに仕上がっている。無論それだけではなく、後にビデオで繰り返し鑑賞してみると、その構成、演出等、全く、隙や無駄がない、ほぼ完璧なつくりであることがわかる。これは、宮崎駿監督や庵野秀明監督の作品にも通じることで、こういった作品は、何度見ても飽きがこず、見返すたびに新たな発見がある。これがまだ監督2作目であることを考えると、その才能の高さを実感する共に、今後、彼の動向に注視したくなるのは、事の道理というものでは、なかろうか。

「デジモン」を知らない、という人は、とりあえずこの劇場ニ作品だけでも見ることを強くお勧めする。そして「細田守」この名前を覚えていて損はないはず。将来、大物になる予感がひしひしとするのだ。

未来のオタクの為に

さて、少し話は変わるが、「劇デジモン」DVDの発売にあわせる形で「DIGIMON MOVIE BOOK」集英社/本体¥1429/ISBN4-08-779095-9)が発売された。デジモンのファンブックはこれ以前にも何冊か発売されているが、今回の本はかなり特別だ。表紙が太一らキャラクターではなく、デジモンの舞台の一つとなる光が丘団地の実景写真、の上に小さいデジモンのシルエットが並んでいるというもの。一見してデジモンの本とは、わからない。

内容は「劇デジアド」の一作目とニ作目の解説本といったところなのだが、その内容の濃さに驚かされる。

カラーページでは、各シーンを追いながら、演出意図の解説をかなり詳しく書き(専門用語ももちろんありあり)、CGやデジタルを使った製作工程も解説されている。モノクロページでは、設定資料(キャラデザイン・作画監督の中鶴勝祥氏、山下高明氏のコメント付)、細田守監督のロングインタビュー、その他美術、脚本家のなどの主要スタッフのコメントとプロフィールなど盛りだくさん。ある意味子供向け作品であるにも関わらず子供を無視した作りであることは、一切ふり仮名をふられていないことからも、想像できる。

こういう本は例えば、最近では「人狼」や「BLOOD」など大人向けのマニアックな作品では、必ず出版されるが、子供向け作品では、あまり作られることはない。しかし、こういった本は10年くらい前は意外と当たり前だったような気がする。

中学生当時私が「ナウシカ」や「ラピュタ」で宮崎駿監督に傾倒し始めた頃、徳間書店から「ロマンアルバム」というファンブックが発売されていた。この本が「DIGIMON MOVIE BOOK」とちょうど似たようなつくりになっていた。(というよりこっちが「ロマンアルバム」を手本にしているのだろうけど)

こういった形式の本を読むことで私自身、アニメの製作過程を知ると共に作り手がどのように作品にかかわっているか、立体的に感じ取れることができたし、作品を違った視点で楽しむことを覚えたと思う。

そう考えると、この「DIGIMON MOVIE BOOK」は、マニアな成人向けと取ることもできるが、個々の作品ではなく「アニメ」自体に興味を持ち始めた、小学5,6年生や中学生にとって非常によいテキストになるのではないかと見ることができる。そして細田監督の作品は非常に細かいところまで、気を配って作りこまれており、テキストとする上でも、最良の素材といえる。この本を手に取った、若人が、次世代を担うクリエーターになるか、はたまた、私のようなオタクになるか、それはわからないが、そのきっかけを与えてくれるのではないかと期待してしまう。


第二回    2001.01.26

ロケハンするアニメはいい!!

「ロケハン」とは、ロケーションハンティングの略、通常の映画では、撮影のための場所を探すことをいうが、アニメでは、スタッフが舞台設定となる街や地方を訪れ、空気や雰囲気をつかみ美術や演出に生かすというもの。つい先日買った「Spirit of Wonder 少年科学倶楽部・前編」(脚本・監督・絵コンテ・演出 安濃高志)の封入ブックレットに、この作品が、イギリスのブリストルを訪れロケハンしたことが紹介されていた。実際、その成果が作品に反映されており、「空気感」を持たせることに成功している。

私の記憶が正しければ、アニメでロケハンを最初に行ったのは、高畑勲監督の「アルプスの少女ハイジ」で、宮崎駿も、この作品にレイアウト・場面設計(注釈)で参加している。知ってのとおり「ハイジ」は雄大なアルプスの自然を見事に描き、海外で放送された時、誰もこれが日本人によって作られたと、信じなかったそうだ(都市伝説くさいはなしだけど)

これを機に高畑勲、宮崎駿監督は作品を作る時、多くの作品でロケハンを行っている。また押井守監督も、「劇場版パトレイバー」で東京の風景をロケハンし、「攻殻機動隊」では香港をロケハンしている。

第一回で紹介した「劇場版デジモンアドベンチャー」第一作、第ニ作とも、お台場、島根にロケハンし、実景を元に美術をおこしている。

アニメでは、架空の世界を描くが、そのイメージ自体は、現実の世界を写し取ったものになる。描かれたものが結果として実在しない架空の風景であったとしても、ただの記憶だけで描いた世界と、実在のモデルをもとに描かれた世界では、空気感、実在感が違う。そういう意味でスタッフが実在する風景を肌で感じ、それを作品に反映させることのできるロケハンは、作品の質を向上させる上で、大きな意味を持つといえる。

しかし、現実問題としては、作品の性格や、予算の都合から、これを行う作品は多くはない(ことさらにロケハンしたことを強調する作品が多くないだけかもしれないが)

そんな中でSpirit of Wonder」はOVAでは珍しくロケハンを行っており、スタッフの意気込みと意識の高さを感じさせるものがある。

さて、全くの余談だが、「果てしなく青いこの空の下で」というマイフェイバリットなエロゲーがあるのだが、この作品も、スタッフの故郷や田舎をロケハンして作られている。そのこと自体は後々に知ったのだが、我ながらロケハンした作品にハマリやすい体質なのだなあと実感した次第。

要するにロケハンする作品にはいいものが多い、作品の格があがる!と私は思うのだ

注釈

レイアウト:カメラ、キャラ、背景の配置等、原画を描く上での設計図

場面設計:作品の舞台となる村や町の配置、家の間取りなどの設計、「Spirit of Wonder」でも関根昌之氏が担当、地味ながら演出上重要な役職。この役職がある作品は珍しい、ジブリなどの劇場作品以外、最近では「Niea_7」で採用されていた。


第三回

「浦沢義雄」ってそういうことだったのか!

ここ2、3年気になる脚本家がいた、浦沢義雄である。「はれときどきぶた」「デジモン」などをきっかけにその名前を意識するようになり、「忍たま乱太郎」で、かなり重要な役割を果たしていたということまでは、わかり、また、一部でかなり定評のある脚本家であることも解ってきたのだが、その詳しい経歴、素性がどうにもよくわからなかった。しかし、アニメージュ3月号で、小黒裕一郎氏の担当する「この人に話を聞きたい」というインタビューのコーナーで取り上げられたのが浦沢義雄氏だったのである。ありがとう小黒裕一郎!

さて、これまで疑問だった彼の出自にかなり興奮した。アニメ作品のデビューは「新ルパン」だったそうだが、それ以前に、放送作家として、「コント55号」や「カリキュラマシーン」などコントの仕事をしていたそうだ。そして私が一番驚いたのは、彼が日曜朝の不思議コメディーシリーズの脚本をしていたことだ。「ロボット8ちゃん」「バッテンロボ丸」「ペットントン」「どきんちょ!ネムリン」「勝手に!カミタマン」「もりもりぼっくん」など、タイトルを聞いただけで、ああ、あれか!と思われる20代の方は大勢いるのではないかと思う。これらの作品に浦沢義雄は参加しており、特に「ペットントン」では全話脚本を担当したという。「ペットントン」の脚本をやっていたということを知って、浦沢義雄の持つ独特のセンス、微妙な味わいのあるギャグの源流が何処にあるのか、その答えの回路がつながった気がする。

アニメ関係の資料しかあたっていなかったので、特撮、実写系のことまで気がまわっていなかったとはいえ、これだけの仕事をしていた人に、最近になって気付いたというのは、私自身のオタクレベルもまだまだであることを痛感してしまった。

さて、浦沢義雄氏であるが、この春から桜井弘明監督「パラッパラッパー」に、シリーズ構成、脚本で参加することが決定しているので、おおいに期待したい。


第四回  2001.2.21

ねこぢる草を買ったワケ

OVA「ねこぢる草」を買ってきた。ねこぢるの大ファンである。というわけでは、もちろんない。無論ねこぢるが嫌いなわけではなく、どちらかというと、好きなほうだ。が、それだけでは高いお金を払ったりしない。レンタルではなく、わざわざ買ってしまったのには、それなりの理由がある。

当サイトの趣旨を理解されていれば、答えは解ると思う。それは、もちろんこの作品のスタッフにある。

監督は「ナデシコ」で有名な佐藤竜雄、そしてこの作品の最大のキーマン湯浅政明の存在が最大の購入の動機となった。彼の担当は脚本・演出(佐藤竜男と共同)絵コンテ・作画監督となっており、実質、彼の為にあるような作品だといっていい。

湯浅政明。代表作は「クレヨンしんちゃん」の劇場版の作画、設定デザインなど。「クレしん」を見たことのある人ならば、その動きのおもしろさ、気持ちよさを知っているのではないかと思う。その「動き」を作っているのが彼であり、その独特のセンスと才能で注目を集めているアニメーターである。(彼の仕事については雑誌「アニメスタイル」に詳しい。)

ここ最近の傾向としてアニメは、押井監督や大友監督の流れからリアル指向の動きや表現を重視する作品が多く、また美形キャラを如何にきれいに描けるかが平均的アニメファンからは重視されがちだったため、マニアックか子供向けで地味なところでの仕事が多く、「動き」自体に魅力のある湯浅政明は、これまでおおきな注目を集めてこなかった。しかし、この「ねこぢる草」がつくられたことで、その状況は、多少変わるのではないだろうか?

ねこぢるはもともと「ガロ」という超マニアな雑誌で漫画を描いていて、自殺をきっかけに、思わぬところから火がつき、今では、カルトな人気を呼んでいる。知名度十分な原作であり、かつそのファンは、いわゆる美少女やメカといったアニメのメインストリームとは違った嗜好を持っているのではないかと思う。そういった人間が手に取ることで、この作品を見ることで、たとえ無意識であっても、湯浅政明の卓抜したセンスと才能が広く知られることになるだろう。

これはあくまで私自身の、推論ではあるが、「ねこぢる草」の企画自体が湯浅政明の為にあったのではないだろうか?ねこぢるの作品をアニメ化すれば、それなりのセールスは見込める。しかし下手なアニメをつくれば、それこそファンからブーイングものだろう。それでもアニメ化に踏み切れたのは、「湯浅政明」という才能が「ねこぢる」という才能に出会えば、必ず面白くなる。という読みがあったからに違いない。エグゼクティブプロデューサーの大月俊倫、監督の佐藤竜雄もそれを承知のうえでこの作品を作り上げた、そして湯浅政明の名が世界に浸透することを願った。私にはそんな気がしてならないのだ。

さて、肝心の本編の内容だが、「すごい」の一言に尽きる。海外のアート系アニメのコンベンションに参加させてもおかしくないくらいだ。ぜひとも見ていただきたい。


第五回   2001.3.21up 2001.4.5改訂

おジャ魔女どれみは正義である。

言うまでもないことかもしれないが、「おジャ魔女どれみ」は近年もっとも正しいアニメである。いまさらではあるが、そのことを、今一度確認しておきたい。

おジャ魔女どれみは、企画的に正しい。

「どれみ」は、「女児向け玩具宣伝番組」であることが前提である。その為に企画として所謂「魔法少女もの」は、アニメ制作会社、玩具会社双方にとって、過去の経験と実績があり、かつ視聴者になじみもあり、リスクが少ない。と同時にアニメの歴史からいっても、アニメファン、オタクにとっても思い入れの深いジャンルであり、彼らを消費者に取り込ねる可能性を秘めている。「どれみ」はそのことを承知の上で、にある種の確信犯的に設定やデザインを作りこまれている。しかし、だからといってオタクにべったり擦り寄って、媚びを売るようなまねはせず、あくまで「少女向け」の内容を貫いている。この選択が、視聴者と消費者のマ間口を広げる上で、真にもって正しい。

「おジャ魔女」どれみはスタッフ的に正しい

「どれみ」の第一期、の監督佐藤順一は、大ヒットシリーズ作品「セーラームーン」の第一期を手がけ、「夢のクレヨン王国」他、少女向け作品で大きな実績を残してきた監督であり、信頼性の最も高い監督である。その監督が作品の立ち上げに関わったという時点で、作品の質は、ほぼ保証されていた。共同監督にして現在一人でディレクターを務める五十嵐卓哉も、佐藤順一のもとで仕事を続け、実力をもっており、作品を安定させている。そのもとで、キャラデザイン・作画監督の馬越嘉彦、をはじめ、脚本の栗山緑、影山由美、吉田玲子など、長期化するシリーズの中、各話で見せる切れ味のよさは、まさにライトスタッフの仕事といって良いだろう。

「おジャ魔女どれみ」のオープニングは正しい

どこの馬の骨とも知れない有名ミュージシャンなんぞを、起用せず、作品の内容とイメージに沿った歌を作り、使用することはアニメソングとして絶対的に正しい。

「おジャ魔女どれみ」は泣ける!よって正しい

「どれみ」には、涙腺にぐっとくる、名サブタイトルが何本かある。そして何より「無印」「♯」各シリーズのラストは、泣ける!アニメの最終回はやはり泣けなければ、ダメだ。視聴者である子供の心に、感動を刻みつけ記憶に残らない作品は、すぐに消費され、忘れられ去られるだけである。そういう意味で「どれみ」は確実に子供の心に残るはずである。

「おジャ魔女どれみ」は市場的に正しい

「どれみ」は少女向け作品であることが、前提であることは先に述べたが、男子児童が見ないとは限らない。その子供は、きっと変身シーンに心トキメかせているに違いない。魔法少女の変身シーンは、アニメが到達した視覚快楽の極致であり、それを子供のころに刻み込まれれば、オトナになってもパブロフの犬的にその快楽に支配される。「魔法少女アニメに、心トキメかせ、感動して泣いてしまった男の子」の行き着く先は、オタクしかない。つまり将来のオタク産業の消費者を生産しているのである。「どれみ」には市場の確保という「義」があるのだ。

以上、簡単ではあるが、ここに「おジャ魔女どれみ」の「正しさ」と「義」が証明されたわけである。よってここに高らかに宣言しよう!

おジャ魔女どれみは「正義」である!


第六回

御贔屓監督・舛成孝二

2001.5.23UP

ながらく待たされたOVA「R.O.D」の第一巻が発売された。

この作品、世間的には、小説版も手がけているスタジオオルフェの倉田英之の原作・脚本ということで注目を集めているのではないかと思う。しかし私にとっては、個人的にものすごく贔屓にしている監督である舛成孝二氏が作るということで、ずーっと楽しみにしていたのだ。

舛成孝二監督は、特別強い個性や作家性を持った演出家というわけではない。しかし、この数年、その仕事には、注目すべき点が多々ある。

舛成孝二の演出の肝は、キャラクターをたたせる為の演技や仕草、小道具の使い方にあると思われる。演出としては極当然のことをしているに過ぎないのだが、ここまでこだわりを感じさせ、丁寧に作っている監督はそうはいない。それ故に、フィルムの隅々にまで、気が配られており、繰り返し見たくなる魅力を持ち得る。「R.O.D」においてもそれは如何なく発揮されている。(と、これを書いている最中に「リスキーセフティー」見たくなって舛成コンテ回を見直してしまった。)

私が舛成孝二氏を意識したのは相当以前のことだ。「NG騎士ラムネ&40」という作品にアホのようにはまっていた時期があり、そこで、絵コンテ・演出として舛成氏は参加(当時は「ますなりこうじ」とひらがな表記)しており、氏の担当した回の出来は抜きん出ていた。OVA版「NG騎士ラムネ&40EX」では監督を務めたが、これは当時必ずしも満足の行くものではなかったが、私が舛成孝二の名前をはっきりと意識するきっかけとなった。

その後、彼の仕事は、TVアニメの演出・コンテ以外では、OVAの監督が主となるが、本数的にはかならずしも多くない。一番目立つ仕事といえば、AIC・パイオニア系作品のED演出だったりする。このEDが手抜きなのかセンスなのかわからない微妙な味わいで、それを追いかけるという楽しみを提供してくれていた。しかしOVA作品に関しては、作られた当時は企画的に興味を引かず倦厭していた。

再び舛成孝二の名前を意識し直すのは、「アンドロイドアナMAICO2010」からとなる。この作品からスタッフクレジットで漢字表記するようになったため「ますなりこうじ」と同一人物だとは、当初気付かなかった(クレジット表記を漢字からひらがなにする人は多いけど逆は珍しいと思う)「MAICO2010」脚本・黒田洋介の巧みな構成と舛成孝二の丁寧な仕事があいまって、思わぬ秀作となった。続く「臣士魔法劇場リスキー☆セフティ」も黒田洋介と組んでの仕事となったわけだが、これが私の嗜好のツボに見事にハマる作品となった。

ツボが何かと一言で言うならば「眼鏡」なのだが。

黒田洋介にしても、倉田英之にしても、他作品で「眼鏡っ娘キャラ」を出している。(黒田「くるみ2式」倉田「まりんとメラン」)だが、他作品と比べてみた時、舛成作品において、「眼鏡」はキャラを立たせるための小道具として用いられている点で、大きく違う。眼鏡好きとして、その演出手法に惚れこまずにはいられない。

個人的にその能力に信頼を寄せている監督が、自分の嗜好に沿う作品を作ってくれるということは、私にとって本当に珍しい事である。面白くても嗜好にそぐわない、嗜好的にはOKだけど作品的にはNGということは実に多い。

自分が以前好きだった作品に参加していた演出家が、徐々に力をつけ円熟にいたり、私の個人的嗜好に応えてくれる作品を作っている。

私がアニメを見る上での(スタッフを重視するという)思想的な立ち位置と嗜好的な立ち位置の幸福な一致がここにある。

そういう意味で「リスキー」に続いて「R.O.D」を作ってくれた舛成孝二監督は、今現在のところ相当エコ贔屓したくなる監督のひとりである。世間的にそれほど認知もされていないしヒット作にいまだ関わっていないという点でも判官贔屓に拍車がかかるというものであろう。


願わくば今後も私の嗜好に応えてくれる作品を手がけてくれることを祈りつつ、舛成監督を応援していきたい。

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