フィギュア17評 その2

最終回

うおー、つばさとヒカルはどうなっちまうんだよ〜、
っとボルテージがあがったところで臨んだ最終回。

結末としては、あれで間違いなくよかったと思う。


が、しかし、
この作品の価値を

日常描写&心理描写>戦闘

と見出してしまっていただけに、消化不良、物足りなさを感じてしまったというのが正直なところだ。個人的にはマザーマギュアなど5分で倒して、ヒカルを失ったあとのつばさをねっちり描いて欲しかった。

戦闘を通して、つばさの自立・成長がが着地するという描き方は、他のバトル中心の作品なら至極当然の作劇だろうが、「フィギュア17」という作品においては、ここまでの展開ではそれを極力避けてきた事なので、「違うだろう」と思ってしまう。
(はたと思い出したが、1話見たときは、地味な日常描写の多さに「大丈夫かいなこの作品」とか思っていたのにいい加減なものだ。)

と、見終わった直後は、あっさりしすぎてると感じてしまったが、逆に言えば、「ヒカルを失った後のつばさ」というのは12話まで書き込んできたキャラ描写を視聴者がしっかりと受け止めていれば、いくらでも想像できることなので、それを描きすぎれば明らかな蛇足になってしまう。
過剰な描写を極力避けた作品スタイルからすれば、ベタベタなお涙頂戴で無理やり泣かせるような最後にしないのも、これは当然の帰結であり、そういう意味でこれはこれで綺麗な最終回だったのかもしれない。


高橋ナオヒト監督とキャラクターデザイン・作画監督の千羽由利子は、この「フィギュア17」の前に「To Heart」「鋼鉄天使くるみ」でコンビを組んでおり、今作はその成功を受けてのものなのだろう。(それ以前に高橋監督は「ベルセルク」という男くさいハードな原作モノもこなしているが)
「To Heart」は原作が人気美少女ゲームの学園恋愛モノ。「くるみ」はハーレム色の強い美少女アクションコメディ。
この二作品と比べてみると、「フィギュア17」は作品の枠組みはわかりづらく(これまで述べてきたとおり「変身美少女SFアクション」と呼ぶには、誤解しか生まない。)率直に言ってしまえば、初動段階で、娯楽として観客を惹きつけ、楽しませるということにことごとく失敗しているように思える。だがそれは翻ってみれば、アニメ的なお約束の枠組みを意識的にさけ、キャラの生活描写、心情描写を愚直なまでの正攻法でもってドラマを描こうとしているわけで、その制作姿勢には、敬服に値する。


細部への評価としては、片目をつぶらなければならない欠点もあり、作品の魅力をつかみ、味わいを感じるようになるまでに時間を要するのは確かに難点かもしれない。
ただその欠点を補って余りある異彩な魅力を放っている。その魅力に引き込まれてしまえば、その欠点を克服してみることができてしまう、そういう作品だ。

傑作・秀作と呼ぶのは憚られるが、言うなれば「愛すべき佳作」と評したい。

蛇足

最終回でもしヒカルが消滅せずに助かって、「その後つばさと仲良く暮らしました。」
なんていうオチにならなくて本当によかった。
この作品が自らのテーマに忠実ならそうは絶対にならないだろうし、スタッフもそうはしないだろうと信頼してたけど。

ココ最近、諸般の都合で「実は生きてました」とかモラトリアムなオチがつく作品が多い中で、すっぱり綺麗に終わらせてくれたというのは実に気持ちよかった。