かつて諏訪花柳界の中心として栄えた、諏訪市大手町。その大手町にあった老舗割烹(かっぽう)「宗藤本」の女将(おかみ)、波瀾万丈の人生を歩んだ藤森弘子さん(86)=同市湖岸通り五=が、自叙伝的回想録「まぼろしの花街 大手」を長野日報社から発刊した。製糸産業の全盛時代より諏訪の町を花柳界から見つめ、その華やぎを語り継いだ交友録。関係者は「大手町の往時を後世に伝える貴重な資料」と出版を祝福している。
 藤森さんは「宗藤本」の4代目。大手町で生まれ育ち、結婚して夫の故邦守さんとともに諏訪の花柳界を担った。今となっては残された大手見番の看板と、ごくわずかとなった芸者に名残を留めるに過ぎないが、昭和の初めは200人を超える芸者が芸を磨き、界隈は毎晩三味線の音が響いた。元日には稲穂を挿した島田姿で、あいさつ回りする光景があった。
 戦争を節目に時代は変遷、宗藤本も激動の時を乗り越えた。が1959年、料亭を閉じて諏訪湖畔にホテル宗藤を創業。五木寛之、瀬戸内寂聴、阿川弘之の各氏ら多くの文化人も宿泊したが、2000年には後継者がいないことなどから、惜しまれつつ廃業した

昭和34年から平成12年頃まではやっていた事になるホテルであるが、昨今の嫌煙状況から最近まであったとは考えられない。やはり電話番号などから推測しても、開業の昭和34年から39・40年あたりになるのではないかと思う。