トリノオリンピックで唯一のメダルを獲得した女子フィギュアスケートの荒川静香さんは本当に美しかったですね。主人がロシアのスルツカヤ選手に異常反応していた。『彼女はスルツカヤ、俺はツルスカヤ!!』淋しくなった頭髪に観念したのか自虐ギャグを飛ばしていた。『バーバー・我が家』のバリカンオリジナルヘアーで下後頭部がサバ猫カット(本人は気づいていない)に満足している可愛いサゴちゃん(沙悟浄)でした
母方の祖母が97歳の天寿を全うし旅立ちました。40歳頃に亭主に先立たれてから娘6人と末っ子の長男を女手ひとつで育て上げた苦労人の祖母でした。小学校までは盆正月に母に連れられ泊まりに行きました。そこにはあまり感情を表に出すこともなくただひたすらに働く無口な祖母がいました。6人の娘を借金をすることなく嫁がせたと聞いていますがそれはそれは並大抵の苦労ではなっかたろうと想像できます。6人の娘のうち新所帯だったのは2人ですから、それぞれの娘たちから姑や小姑、はたまた旦那の愚痴を散々聞かされた祖母はいつも『おめぇが悪い』『我慢しやぁしぇ』と嗜めていたのを記憶しています。母として現代のように女性の経済力が無い時代に娘にかけてあげられる唯一の言葉だったのでしょう。末っ子の長男が結婚する頃には祖母も随分と歳を重ねていました。孫の歳に近いお嫁さんは明治生まれの祖母から見れば価値観や食事にもギャップがあったようです。母をはじめ叔母たちは『私たちには厳しいくせに嫁には遠慮してあ〜もいわねぇ』『自分の子に辛くあたって嫁にはニコニコいい顔してる』だとか言っていました。自分の娘たちの愚痴を聞き続けてきた祖母は息子夫婦が仲のよいことが何よりだと考えていたであろうと私は思っています。亡くなった人の思いを大切にしてあげることが残された者の役目と思いますが、母の実家と叔母たちの間に不協和音が流れていることに心が痛みます
図体の大きい雛鳥のお陰でつましい生活を強いられてしまい、100円ショップで買った洗濯専用のハンガーが折れてはビニールテープでぐるぐる巻きにして使っている始末です。イカ飯を作った残りの汁で姑の作品である自家製大根を煮てイカ風味の煮付けといった具合にケチケチ生活真っ盛りてな感じ!! 私たち子どものために一生懸命って言うじゃな〜い、でも当の本人はなんとも思っていませんから・・・・・残念!!  トホホ
最近、我ながら強くなったよなと思うのね。ちょとしたことでいたずらに傷ついたり泣いていた若い頃が嘘のようで、BS付き、ビデオ・DVDを接続してある我が家で一番大きなTVはもう私専用になりつつあり、主人は寝室にある20年も前に購入した赤いプラスチックの14インチTVで見ている。態度もだんだん大きくなってきたし、最近の口癖は『何かあったら私が両親の面倒見るからあんたは財産を全部放棄して出て行ってちょうだい』となってしまった。女って怖いかも・・・・・旦那様方お気をつけあそばせ!!
家のばか息子ときたら語学勉強で外国に旅立ったはいいが、自分のカードローンの支払いを弟に押し付けて行ったそうです。今まで何かを送ってほしいなどといってこなかった子が、食料品を送ってと要求してきたのでおかしいと思い問い詰めたら、お金も渡されず親にも内緒という頼まれごとを引き受けたとのこと。頼む方も頼む方だし、安請け合いしてお金がなくて親に泣きつく方もどうかと思うし、私の子育ては?マークがいくつも付きそうです。情けなくて泣きたいよ!!
家のおとんときたら、中学と高校の両方のコーチを掛け持ちしていたのをこの秋から高校のみにするいっていたのに、やっぱり中学にもちょこちょこ顔を出しているようだ。もう何年も前になるが、親戚の人たちが手伝いに来ている稲刈りの最中田んぼの真ん中にさっきまで使っていた稲刈り機をそのままに稲刈りを放り出し、中学の部活に行ってしまったことがある程だから、いまさら驚きはしないがまさしくだめだこりゃ!! 『あんたの脳みその皺はバレーボール柄か』などと私に言われてもなんのその、『ハイそうで〜す』といって土日は朝もはよから出て行く始末。息子がほとんど家にいないので舅、姑は気が引けるらしく、私は大抵のことを許されてる気がする。だから本当は実に運がいいのかも。いひひひ・・・・・
2003年にNHKがBS放送で『冬のソナタ』を放映して以来、俗にいう韓流ブームにどっぷりとはまってしまいました。先日は夜10時半から韓国ドラマのDVDを見はじめて朝の4時半まで見ちゃたのです。なんとその日は木更津まで車で行かなければならなかったのに、やちゃいました。運転しながら頬をたたいていたので何とか無事にたどり着いたのですが、初々しさのないおてもやん状態じゃありませんか。が、この日がとりわけ特別なわけではなく、ほぼ毎日深夜1時か2時ごろまで見ているんですよ。本気で主人があきれているわけですわ。