H16★おかんのぼやきはこちら
ただいま!玄関を開けてびっくり。我が家の構造上仕方ないこととはいえ玄関の先にあるのは脱衣所!なっ、なんと舅のかつて逞しかったという自慢?の裸体が真正面に。ドアはあるのに閉めてないから玄関から丸見え!!これってちょっと迷惑だよね。トイレも開けっ放しで用足しをしている。満州の広大な青空便所を経験してきた人間は細かいこと気にしないんだよね
朝、主人を駅に送っていくときなど自転車で駅を目指している高校生を追い越しながら、思わず微笑んでしまう。あまり子どもが好きとはいえない私だったが、自分のおなかに子どもがいるときはほかの妊婦さんがよく目に入り、保育園に行くころには同じ年頃の子どもたちが気になり、小学校になれば小学生が目に付き、中学になったら中学生が、高校になったら高校生が目に入る。そして子どもが成人した今子どもたちすべてがいとおしく思える。誰に遠慮することなく愛情を届ける対象がいたことの幸福を改めて感じてます。そんな気持ちを自分の子どもや若い人に伝えてあげたなら少子化も少しは解消されるかしら・・・・・?
朝四時『あっ、痛て!!』隣に寝ていた主人のただならぬ叫び声で心地よい睡眠を断ち切られた。『何?どうしたのよ』昨晩ハガチに咬まれてしまった私は今日は主人かと思いながら問うと、寝返りを打とうとした瞬間に腰が痛くて動けなくなったといって呻いている。これがかの有名なぎっくり腰?と思い『ぎっくり腰じゃないの』と言うと『寝返り打とうとしただけだぞ』と認めるのが嫌なのか不機嫌な返事が返ってきた。とはいえトイレに行きたいらしいが身動きできず本人も認めざるを得ない状態だ。問題は我が家に尿瓶は無いこの緊急事態をどう回避すべきか、私の頭の中で家中の代替品が駆け巡る、洗面器?浅くて周りに跳ねそうだダメ!中にキッチンペーパーを敷こうか?いや、高さのあるゴミ箱のほうがいいか?現在冷蔵庫の中の麦茶が入っている瓶が最適だ!!でも後で使えなくなっちゃう・・・・・私の頭がフル回転している間に、呻き声を上げながら階段を這って下りている。どうやらプライドが許さないらしい。あぁ〜よかった!麦茶の瓶を犠牲にしないで済んだ!!あれ〜私の中で優先順位がおかしくなっている。何とか用は足したものの2階に上がることは出来ず居間で残り少ないお休みタイムを過ごす破目になってしまった。男の人って意外と気が弱いのよね私まで居間で寝ることになってしまった。病院での診断も骨盤が左右の高さが違っている典型的なぎっくり腰とのこと・・・・・本人若いつもりでもしっかりおじさんですから、『残念!』
今年度は農業統計調査があり、自分の住んでいる地域を担当させていただきました。個人の財産である田畑の所有面積や経営状況を調査するわけですから嫌がられて当然と覚悟を決めていたのですが、どこのお宅でも好意的に対処してたことに感激です。地元の人間だからこそ内情を知られたくはないだろうと思いますが本当にありがたかったです。家の先代たちの築き上げてきた人徳にも感謝ですね。地域でよく思われていなかったらあんなに気持ちよく協力はしてくれなかったのではと思います。我が家のご先祖様と区の皆様に心から『ありがとう』です!!
最近の教育では競争や順位付けを極端に排除しているような気がするのは私だけでしょうか? 幼稚園では主役と脇役が出来るのがよくないといって劇ではなく、皆が一緒にやれるお遊戯にするとか、運動会で順番をつけないとかTVなどで見聞きします。私も子どもの頃クラスで劇を発表しましたが、私はいてもいなくてもわからないその他大勢の生徒役でした。もちろん主役はクラスの中の優等生!!でも学校は勉強だけでなく社会性を身に着ける場でもあるならば、現実の社会に於いてそれぞれの役割を担って係わり合いながら生きていること、端役のようでも料理の隠し味のように絶対に必要なことを教えてほしい気がしています。運動会でいくら順位をつけなくとも見ている人の目には明らかに、また走っている子どもたちの心にも順位は存在してしまうのに・・・・・不思議です。大切なことは私もいつか主役をやってみたいとか思う向上心を育てることとか、思い通りにならない経験で人の痛みを理解することとかといったことが大切なのではないかと思いますけどどう思いますか?
大人社会には競争が存在していますよね。将来放り込まれてしまう世界が競争社会なのである程度の免疫がないと潰れてしまう子どもが出てしまいそうな気がしますがどうなんでしょうかね? 思い過ごしですかね!!
8年前小学校を卒業した次男たちは卒業式の日に、二十歳歳を迎えた成人の日に自分たちでその時の思いを描いた学校のバックネットの前で会う約束をした。5年生まで1クラスで6年生にってはじめて2クラスになった仲間たちですから、子どもたちもさることながら親同士もまとまりがよく子どもたちと一緒に8年後集まろうと約束した。本当に実現できるかどうかは疑問だったけれども、幹事の子どもたちは約束を守ってくれた。親子でのクラス会信じられますか?子どもたちは数名がそれぞれの事情で欠席しただけですし、親も半数以上の方が出席をしてくれるという盛大なものに・・・・・
8年前のお別れ会の乗りのままに約束した親子のクラス会、二十歳にもなった子どもたちが嫌がらずに企画をしてくれたことに対して驚きと感謝の気持ちでいっぱいだ!!当日は私たちも何の違和感もなく8年前の父兄に戻ってしまい楽しい時間をすごすことが出来た。男の子は背丈も伸びて大人ぽくなり頼もしい感じ、女の子はみんな綺麗になってしまい誰なのかわからない子も何人かいた。この時ばかりは時間の流れを痛感したが、笑ったりふざけたりした顔の中に昔の面影が見え隠れしていた。
子どもたちのお陰で今この時間を共有できたこと一生の思い出にんることだろう。