LONDON便り
入学してすぐに試験があり習得別クラス分けで7段階の一番下のクラスからのスタートという自慢できない状態から何とか這い上がり、上から3番目のクラスまでたどり着いた。ヨーロッパで権威のあるケンブリッジ゙検定という英語検定の4級を受ける準備のためのクラスに入るにも試験があり、当初の目標でもあったので挑戦したのだが落ちてしまった。ところがが基準には満たなかったが割といい成績だったということで特別に入れてもらえることになった。昔からの特技で先生と仲良くなるのが上手なせいかなと心の中でにんまり!!
大英博物館の規模の大きさに両親は驚いていた。確かに古代ギリシャ・ローマ・エジプトの収集物は種類、展示数ともに充実している。ここでは世界中の歴史的、文化的な展示物に接することが出来るがアジアに関していえば地理的条件ゆえかお粗末な感が否めない。日本関連の展示物は特別企画として『日本刀』が展示されていた。大英博物館全体の醸し出す壮大な空気とは対照的に日本刀の並ぶ会場は鋼の放つ鈍く冷たい光が緊張感のある張り詰めた空間を作り上げていた。日本人の技を誇りに思えた瞬間であった。昼食は博物館前の店でイギリス名物のフィッシュ&ポテト、ご当地ビールで乾杯!ちょっとびっくりしたのは母が注文したオムレツ。ちょっと厚めの薄焼き卵が半分にたたんだ状態で出てきて『えっ、オムレツって西洋料理よねぇ!これがオ・ム・レ・ツ?』と母。まぁ、これも貴重な異文化体験のひとつといったところだ。俺なりに市内の有名な観光スポットに案内をしたわけだが、几帳面な日本人気質のおとんがあまりにも時間にルーズなバスに苛つき、遊ぶことに不慣れなおかんはまるまる二日間の観光も、何もすることのない夜にも退屈して最終日は『もういいよ。空港直行で!』とまぁ欲のないこと。そんなわけで空港まで送って行き別れたがこのロンドンの地に親子でいることに感激していたから、金銭的には負担をかけているが少しは孝行できたかな?保証のない出世払いのオーナーさまこれからもよろしく!!
南からの眺めがいいと言われている英国国教会の主教座を担っているセント・ポール寺院は世界3大聖堂のひとつだ。その佇まいと装飾には圧倒される中の光が映し出す美しいステンドグラスは筆舌しがたい崇高な異空間を創り出している。狭い螺旋階段を登るとロンドン市街を見渡せる展望台になっている
ロンドン到着の翌朝、ホテルでの朝食に両親は驚いていた。日本の旅館で食べるような品数豊富なバイキング料理を想像していたからだ。2〜3種類のパンと飲み物、ハム・チーズ・ヨーグルトに季節の果物といったぐあいで手の込んだものなどはない!さらに日本だったらこんなもの出さないと文句を言っていたのが果物だ。りんごなど小さいうえに甘みがなく硬い、オレンジも酸っぱいと・・・。まぁ、これがロンドンってところで、伝統ある町並みや壮大な歴史を有する奥深い国家のイメージに反して、食事はあまり褒められたものではない。だが慣れるもので俺はそれでもこの国がやはり好きである。食事はともかく観光は天下の大英博物館からと勇んで行ったが開館時間前だった。仕方ないので周辺の土産物店を散策して絵葉書を購入、『ありがとうございます』などと日本語で言いながら手渡されたおつりが少ない。英語で指摘したら『ソーリー』といって訂正したが、ポンドに慣れていない日本人はいいカモと思ったのかなという気がした。俗にいう単純な労働に従事している人は有色人種が多くここの店員もアラブ系のようだった。差別という見えない壁を感じながら外国で生きている人たちなのだろうか。なんとなくもの悲しさを覚えてしまう!!
無事ホテルのチェックインも済んで時差ぼけでちょっとテンションの低い二人を連れてビクトリア駅周辺のイタリアンレストランで夕食をとることにした。そこには長野オリンピックで記念撮影をしたと思われる写真が飾られていた。聞いてみるとそのレストランのオーナーの従兄が長野オリンピックに参加したということだそうだ。異国で日本の写真を見るとうれしく感じるこの感覚はなんだろうか?この日は学校の友人と約束があったのでおとんとおかんにはゆっくり休んでもらうことにして俺だけ飲みに出かけた。おかんは付いて来たそうだったが俺としては冗談じゃねぇ〜てっ!!
とうとう複雑な気分のこの日がやってきた。なんと海外が初めてという両親がロンドンに来ると言うのだ。高校生の娘さんがアイルランドに留学している知人の夫婦とヒースロー空港まで一緒とか言っていたが海外旅行経験なし、英語は中学レベルでもかなり怪しい二人がどうやって出入国するのか正直心配していたが何とかたどり着いてくれた。ヒースロー空港で俺が迎えに行ったゲートと違うところに着いたため1時間近く合流できないと言うアクシデントはあったものの地下鉄でバッキンガム宮殿の最寄り駅になるビクトリア駅に無事に到着。宿泊はビクトリア朝様式の鉄道駅ホテル『シスル・ビクトリア』で駅構内と直接つながっていてなかなか便利だ。がしかし3日間二人を案内しなくてはいけないわけでかなり微妙な心境である。
エリザベス女王の公式住居であるバッキンガム宮殿の前を馬に乗った衛兵たちが通り過ぎていく様は美しく威厳に満ちていた。
2月に高校の友人で我らが個性派(自分主義)バスケット部を良くまとめてくれたH主将がロンドンに遊びに来てくれた。数人の友人が俺が在英中に尋ねていくぞと言っていたが本当に来るのは彼くらいと思っていたら案の定だった。大学4年の彼は以前に3週間ではあるがカナダにホームステイをしたことがあるので、イギリスでも何とかコミュニケーションをとることが出来ると思っていたそうだが、第一声は英語と米語は違うと滅げていた。ホストマザーに頼み込んで彼を自分の部屋に泊めてもらうことにした。授業後と週末を利用して市内観光をした。こちらに来て5ヶ月とすこし経っているがまともな観光をしていないので、俺の友人に会いたいと言う韓国の留学生仲間と名所を見て回って俺としてもいい思い出となった。彼が帰るときにホストマザーにお礼にとスパゲッティを作ってあげたたら、彼女は大感激でぜひコックになるようにと薦めていた。スパゲッティ好きでイタリアンのレストランでバイトしている腕は確かにすごいと俺も思っているが、奴は有名大学で心理学を学び来期は国立大学の大学院に進む予定だからまっそれはないだろう。この5日間は俺にとっても彼にとっても思い出深い滞在となった。
昔ながらの町並みを多く残しているロンドンはスクエアと言われるロータリー状の広場を中心に四方八方に道が広がっている。道路に沿って弧を描いた石造りの町並みは中世を感じさせてくれる。有名なロンドンブリッヂは俺の好きな水色が鮮やかに映えてとても美しいと思った
冬休みのラストイベントはスイスで過ごすことになっている。スイスから英語を学びに来ている55歳のママさん学友の招きを受けてパリからいざスイスへ!! 息子さんの部屋を提供してくれた。実を言うと俺自身は彼女とそれほど懇意にしているわけでもないが友達の友達つながりで同行させてもらった。本場アルプスでのスノーボード!! これはちょっと自慢できるかも、イェ〜イ
スペインの友人の家から戻り、新年のカウントダウンをパリのエッフェル塔で迎えるために日本人の仲間2人といざフランスへと勇んで出かけたが、予約した宿がいけなかった。パリの中心地より少々離れているのは承知のうえだったのだが交通手段がローカルな鉄道のみだったとはうかつだった。パリに着いたのが夜の10時だったため、エッフェル塔を彩る華やかな花火とともに記念すべき海外での初カウントダウンを迎えれば宿にたどり着くことは出来ない。予約した宿に泊まるには、楽しみにしていた芸術の都パリで世界中の人たちとのグローバルなカウントダウンが出来ないという究極の選択を迫られてしまったのだ。仕方なく男3人での侘しい新年を迎える事を選んだ俺らだが、その電車は40分遅れで到着する有様。海外はおおむね時間にアバウトでどこの国でも特にアクシデントが無くともこんな調子のようで、交通機関が時間どおりに発着するのは日本くらいなのかもしれない。日本だったらみんな怒ってしまうだろうと思いながら電車に揺られていた。
12月下旬になるとクリスマス・新年と大きなイベントを含んだ三週間程度の冬休みとなるため母国に帰る人、ヨーロッパ各地を旅行する人などさまざまだ。ぼくはスペインの友人に誘われ彼の家に行くことにした。EU内で移動するのは飛行機を利用しても格安ですむので非常にありがたい。とっ…とっころがスペインの空港に降り立ってまもなく財布が無いことに気が付いた。手持ちが少なかったのでATMで引き出そうとしたらカードの入った、いや、免許証も入っていた財布が無い!! 正直顔面蒼白状態、顔から血の気がうせていくのがわかった。あのカードは俺の命綱、日本からの送金を受け取る唯一の手段なのに・・・・・
後で聞いた話だがスペインは治安があまりよくないそうだ。西洋人の中にあっては目立ってしまうアジア人、ヨーロッパにいるアジア人は金持ちだと思っているのだろうか?俺は貧乏留学生なんだぞ!! 俺から取ったりするな。年末カウントダウンはパリで迎える予定だったのにどうしよう。
正式名称はウエストミンスター宮殿、ゴシック様式の集大成といわれている国会議事堂だ。有名なビッグ・ベンを有する壮厳な佇まいは見る者を圧倒する。テムズ川に沿って南北に長い建物は見る場所によってさまざまな表情を見せてくれる。ライトアップされた夜の議事堂もなかなかなのものだ。
日本を発つときから学校で日本人とグループを組むことだけはすまいと考えていた俺の友人は、韓国・ブラジル・メキシコ・スペイン・スイス・ETS・・・・・一番気の会う友達はブラジルの友人で相当の金持ちらしい。自宅はプールを2つ所有、パーティーを開けるフロアーのあるような家らしくブラジルまで自費で来てくれれば後は全額持ってくれるといってくれていた上流階級の御曹司だ。しかし裕福な家庭に生まれ育った彼は自国の貧富の差に心を痛めていて18歳という若さで将来弁護士になって貧しい人を助けてあげたいと熱く語っていた。23歳の俺の立場はどうなるんだ?!
膨大な量の展示物に圧倒される。世界中の歴史的資料や彫刻・調度品・美術品、丁寧に見ていたら何日もかかってしまいそうだ。現にこの日はエジプトのエリアのみの見学しかすることができなかった。ピラミッドやスフィンクスが子どもの頃から好きだったのでとても楽しい時間と空間だった!!
初めての週末、かの有名な大英博物館に行ってみた。イギリスの場合博物館・美術館の入館料として徴収していないところが多い。貧乏学生には非常にありがたいことだが、コインを入れる場所は用意されているので大部分の人は入れている。
9月27日 今日からセント・ジャイルズ・ロンドン ハイゲート校で学生生活を始める。能力に応じた7ランクのクラス分けをするためのテストを受けた結果は一番下のクラス!! 今日もまた安っぽいプライドを叩きのめされる結果となった。アジアの留学生には在りがちということだが何の慰めにもならない。屈辱的な出発とはいえ自ら望んだ語学勉強は勉強嫌いの俺にとって学ぶことの楽しさを始めて味合わせてくれた。
9月26日9時40分頃、両親と弟、友人の絵美とその婚約者が見送ってくれた成田空港から大韓航空で旅立ち韓国ソウルの仁川空港を経由してロンドンのヒースロー空港に降り立ったのは時差が8時間というロンドン時間の9月26日の夕方だった。留学サポートの関係者とヒースロー空港で会ったがホームステー先までは一人で行かなければならず困惑してしまった。ホームステー先にたどり着くまで迷い尋ねても言葉が通じない、聞き取れ無い!! 自分の能力の低さに愕然とし挫折感のみが襲ってくる。やっとのおもいでホームステイ先に着いた時には疲労今般の極限状態といっても過言ではない。