キラはお城の二階部分にあるベランダから庭園を見渡していた。ここは舞踏会が開かれている大ホールからも離れていて現在は見張りもいない穴場であった。庭園では薔薇の装飾が施されている噴水から絶え間なく水が天をめがけて噴き上げており、お城からあふれる光に反射して水がきらきらと輝いていた。その傍では先ほどからシンと一人の少女が出会い始めの男女の例に漏れず初々しくお喋りに興じている。キラは腰ぐらいまでの石壁に両手を軽く乗せて二人の様子を見守っていた。こうなることはわかっていた。シンを幸せにするための第一歩は順調に進んでいるようだった。ようやくシンのためにひとつ役立ててキラはほっと安堵する。それと同時にぬぐいきれない寂しさも感じていた。助ける対象に一度芽生えた愛情は魔法の杖のように簡単に消え失せてはくれないのだ。だが健やかに恋心を育んでいく二人をキラは微笑ましく見守っていた。この寂しさは今まで何度もそれこそ数え切れぬほど経験したことであった。慣れた寂しさがキラの手を止めることはない。
「こんなところにいたのか」
 歩く足音で気付いてはいたが、キラは自分の方に向かってくる人物をあえて振り向くことはせず淡々と挨拶を返す。
「こんばんは、王子様」
「それで妖精の仕事は首尾よくいってるのか?」
「おかげさまでね」
 王宮の正統な世継ぎである王子、アスランは庭園に視線を投げたままのキラに苦く笑いを漏らしながら隣に立った。
「感謝が伝わってこない態度だな」
「感謝してるよ。まさか王宮や王族には魔法が効かないなんてね。君が助けてくれなきゃシンは舞踏会に来れなかった」
「王族に魔法が効いたら大変なことになるだろ?混乱を防ぐために俺たちは代々魔法よけの呪文をかけてもらっているんだ」
「面倒なことをするね。僕たち妖精は悪いことはしないのに」
 キラは穏やかに呟いて依然として庭で楽しそうに語り合っているシンたちに目をやっている。アスランもキラと同様に庭園にいる二人に視線を向けた。
「あの少年がシンか。お前がどうしても舞踏会に連れて来たかったという…」
「そうだよ。君が手配してくれたおかげでシンは運命の人と会えたみたいだ」
 キラの顔には相変わらず微笑が浮かんでいたがどこか隠し切れない憂いもにじんでいた。キラが見ていると、シンは少女の無邪気な行動に顔を赤くして照れているようだ。二人で特別な時間を過ごし、二人の間にわけもなく愛が生まれていく、そういう瞬間だった。順風満帆で未来ある姿を見ていると、キラはシンを舞踏会に連れて来てよかったと心から思い、喜びが生じてきた。それは寂しさを超えた温かいものであった。
 当初キラはアスランに頼らず自分の魔法でシンの舞踏会行きを手配しようとしていた。しかし王宮の役人に魔法をかけようとしたところで跳ね返されてしまい、その時王宮には魔法が効かないと気が付いたのだ。しかしシンを舞踏会に連れて行くことがシンの幸せの第一歩だと妖精の直感が告げていたのでキラはどうにかそれを手配しなければならなかった。どうやらキラ自身が王宮に出入りすることは自由にできるようだったので、キラは思い切って王子であるアスランの前に直接現れて声をかけたのだ。キラが思っていたよりもアスランはキラの言葉を丁寧に聞いてくれてすぐに信じてくれた。そしてキラの手助けを快諾してくれたのだ。だからキラはもちろんアスランに感謝の念を抱いている。キラはまだ視線を庭に落としながら首をかしげた。
「でもアスラン、君は舞踏会に行かないの?君の結婚相手を探すための舞踏会なんでしょ?」
「父上が勝手に開いたんだ。俺は最初から興味がなかった」
「そう、だけど君と踊るのを心待ちにしてる素敵な女の子がたくさんいるのに放置するなんてひどいんじゃない?」
 キラはちらりと覗いた舞踏会の様子を思い出して呟く。アスランに求愛されるのを期待している可愛らしい少女たちがたくさん来ていたのをこの目で見ていた。しかしアスランは噴水から地に落ちていく水のきらめきを眺めながら眉をひそめる。
「結婚する気もないのに期待させる方が可哀想だろ」
「ふーん、まあいいけどね」
 そこで二人の会話が途切れ沈黙が降りる。柔らかい夜風が吹いて二人の髪の毛を優しく撫でていった。アスランは庭から視線を外し、隣にいるキラを見つめた。宮廷楽団が奏でる音楽が大ホールからかすかに漏れ響いてきている。堂々としてどこか軽快なワルツが二人の空間を通り過ぎていった。
「キラ、俺は」
「言っても無駄だよ」
「何を言うつもりかわかってるのか?」
 驚いたように目を見開くアスランに、キラは笑った。
「妖精の僕に助けてもらいたいんでしょ?」
 キラの言葉にアスランは硬い表情になり口を閉ざす。ここに来てようやくキラは庭から視線をはがし、アスランの方へと顔を向けた。月光がキラの顔を不思議に照らしている。
「でも駄目だよ。悪いけど僕が助けるのは不幸な人だけなんだ。君は王子様という身分で顔も綺麗だし頭もよくて運動神経も抜群だ。これほど恵まれている人も中々いない。そんな君を僕が助ける?」
 キラは石壁から体を離しアスランに微笑んだ。
「君は僕を必要としてないでしょ」
 アスランは落ち着いた顔のまま真剣な眼差しでキラを見つめていた。
「キラ、俺のことじゃない。お前はどうなんだ」
 キラは一瞬驚いた顔をしたがその直後楽しそうに微笑を返す。
「悪いけど、王子様、僕は誰も必要としてないんだ」
 それだけ言うとキラは迷いなくぱっとアスランの前から消えてしまった。キラが立っていたところには白い光の粒子が飛び散り、それもやがて夜風に混じって消えていく。宮廷楽団のワルツの音色が軽快さを増していき明るい音楽に変わっていた。アスランは自分と音楽が奇妙にひどくかけ離れているのを感じながら庭園に視線を戻す。
 庭園ではシンと少女が楽しい舞踏会の音色を聴きながら二人で手を取り合って幸せそうに小さく笑っていた。




 


 舞踏会が終わって数週間後、キラは一枚のポスターを見つめて迷いつめていた。キラは出来うるのであればアスランにあまり近づきたくなかった。どうにも気が乗らないが、しかしシンの幸せのためにはこの道が最善なことも確かである。だからキラは自分の仕事をまっとうするために潔くシンにポスターを渡した。それは王宮が新しい兵士を募集しているという告知ポスターであった。もし雇われれば兵士は王宮で寝食を与えられ給料も出るので自立を必要としている今のシンには好都合な要素しかない。
 舞踏会から帰った後、シンは明らかに今までのシンとは異なっていた。目標を得たことで生き生きと過ごし、家の家事をできるだけ迅速に終わらせてステラに会いに出掛けていた。義理の母親の目をごまかすためにキラも何度か手助けしてやっている。幸せそうなシンを見ていてキラも嬉しかったしこのまま幸せになってほしいと心から思った。
 シンはしばらくの間キラが渡したポスターに見入っていた。そして顔をあげたとき、シンの心はもう決まっているようだった。
「キラ、俺王宮付きの兵士に応募してみる」
「うん、シンならきっと受かるよ。君と僕が最初に会った時のこと覚えてる?君、箒で僕に襲い掛かってきたじゃない?いい剣さばきだったから、あの時から君に剣の才能があるって分かってた」
 キラが微笑むとシンは少し罰が悪そうに頭をかいた。
「あの時はごめん。俺、キラが妖精だって言っても信じられなかったから」
「気にしないで。妖精を信じないのなんて当たり前のことだよ。僕も自分が妖精じゃなかったら信じないぐらいだ」
 軽やかに笑うキラにシンはぎゅっと拳を握った。穏やかな午後の陽光が惜しみなく二人に降り注いでいる。キラがいつもシンを覗き見ていた大きな木にも明るい太陽の光が当たり、木の葉が悪戯な風を浴びてさざめいた。シンは拳をといて今までにないほど真剣な眼差しでキラを見つめる。
「キラ、俺幸せだ。たぶん、絶対これからもっと幸せになる!全部キラのおかげだ。キラのおかげで俺は幸せになれた。本当にありがとう」
 シンの紅の瞳が嘘偽りなくシンの気持ちをキラに伝えてきて、キラは息を呑んだ。何かから開放されたように心が喜びで浮き上がる。しかし同時にちくりとした痛みがキラを襲った。何度もしてきた経験、幾度も繰り返される瞬間だ。キラは自分が必要とされなくなる瞬間の喜びと痛みにのみ込まれて言葉が出なくなる。シンはそんなキラには気付かずキラに笑いかけた。
「キラ、俺何度言っても言い足りないぐらいあんたに感謝してる。けど、もう後は自分の力でやらなきゃいけないと思うんだ。あんたにばっか頼ってたら、かっこ悪いだろ?だから」
 キラは硬直していた顔をなんとか動かして首を振る。喉が干からびていて数度空気だけが漏れたがようやく声を絞り出した。
「シン、君が本当に大丈夫になった時まで僕は君を見守っていたいんだ。だからまだ君の傍にいさせて」
「あんたがそうしたいならそうしなよ。キラ、俺のためにありがとう」
 シンが照れたように笑ったので、キラもお返しするように柔らかい笑みをこぼした。






 そうしてシンは自分の力で生まれた家を出て行った。予想通り義理の母親が非常に抵抗したが、義姉のフレイがシンの味方をしてくれたので思っていたよりは難なく家を出ることができた。その別れ際、フレイは決まりが悪そうな顔でシンに謝った。
「今まで悪かったわ。私…」
「いいんだ。俺いま幸せだし姉さんのこともずっと好きだよ」
「その…母さんが私に残す財産の内、半分はあなたに必ず返すわ。だから…」
「姉さんの結婚式、今度サイって人と開くんだろ?俺のことも呼んでくれ。絶対祝いに行くから」
 微笑んだシンにフレイもやっと笑みを漏らす。
「ありがとう、シン」
 二人はそのまま別れ、シンは王宮の兵士としての一歩を踏み出した。キラが驚いたことにステラという少女も同時に王宮の兵士として応募していたようで、シンと同期で入隊した。シンいわくステラは貴族の家系らしいがもともと愛人の子供だったようで生家を出るのに躊躇いはなかったようだ。そして武術を習っていたステラも優秀な成績で晴れて王宮付きの兵士に合格したようである。
 キラはお城の屋上の隅に座りながら、シンとステラが他の兵士たちと一緒に訓練に励んでいる姿を眺めていた。ルナマリアという上官が厳しくしごいていたが、シンもステラも汗をかきながらも目覚ましく上達していっている。シンたちの足元にある緑の芝生が朝露に濡れて瑞々しく、みんなの努力を反映して輝いているようだった。
「ハッピーエンド…かな?」
「お前はどうなんだ?」
 キラの後ろでまた聞き知った声がしてキラは小さく息を吐いた。会いたくない人物に見つかってしまい心がざわめいていく。それでもこの土地はその人物のものだったのでキラが文句を言う筋合いはなかった。屋上の縁に座ったままキラが軽く振り返ると、やはりアスランの姿が見えてキラの顔が穏やかにほころぶ。
「王子様、君もたいがい暇なんだね。他にやるべきことがあるんじゃない?」
「お前のやるべきことは終わったのか?」
 キラは裏庭で訓練をしているシンに視線を戻し肩をすくめた。
「そうだね。シンはもう僕がいなくても大丈夫だ。このまま幸せになってくれると思う」
「じゃあキラ、お前は次はどこに行くんだ?」
「君には関係ないでしょ。君の知らないどこか。君の知らない誰かのところに行くんだよ」
 そのままキラは屋上の縁に立ち上がってひょいとアスランの傍へと華麗に着地する。キラが至近距離に来てもアスランの表情は変わらなかった。キラは首をかしげて微笑んだ。
「ねえアスラン、僕に何か用があるの?新しく王宮の兵士を募集したりして、なんだか僕は君におびき寄せられている気がするんだけど」
「俺は必要なことをやっているだけだ。俺に近付いてくるのはいつだってお前の方からじゃないか」
 キラは視線を少し上に向けて考えこむ。確かに舞踏会のことで最初にアスランに近付いたのもキラからだったし、今もキラが勝手に王宮に忍び込んでいるのでキラから近付いているとも言える。その事実に気付いてキラは笑った。
「そうだね。僕の方が君に近付いているのかも。でも安心していいよ。僕はもうここには来ない。どのみち今日で最後のつもりだったから」
 裏庭から訓練兵たちの休憩時間を告げる鐘が聞こえてくる。どやどやと楽しそうにざわめきながら、訓練兵たちは自分たちの居館へと列をなして入っていった。にわかに静まり返ったお城の屋上でキラはたった一人王子と向き合っていた。ここには二人以外誰もいない。キラの手から魔法の杖が現れて、キラはその杖の先端をアスランに向けた。しかしアスランの表情はなおも変わらなかった。
「俺には魔法は効かない」
「分かってるよ。でも脅してるんだ。もしかしたら効くかもしれないでしょ?君も杖を向けられたら怖いはずだ」
「キラ、何を…」
 キラはアスランに杖を向けたまま視線でアスランを黙らせた。
「アスラン、僕は君たち王族に怒っているんだ。どうしてこの国には妖精が助けなきゃいけない人がこんなにたくさんいるの?どうして可哀想な境遇の人たちがこんなにもたくさんいるの?」
「キラ、」
 キラの目が鋭く光る。
「それはね、アスラン、君たち王族の怠慢だ。良いところだけ取ってみんなに返さないなんて、僕は許さないよ」
「キラ、俺は」
 言葉を重ねるアスランにキラは首を振った。そして同時に鋭い瞳がやにわに柔和なものへと変わり、キラは穏やかに杖を下ろした。
「分かってる。君は優しくて賢い。きっと君は偉大な王様になれるよ。僕なんかいなくても、きっと。だから頑張ってね。僕も応援してるから」
「キラ!」
 キラが今にも姿を消してしまいそうでアスランは繋ぎとめようとキラの名前を叫ぶ。しかしキラはもうこれ以上言うことはないというようにアスランに背中を向けお城の縁へと登っていった。キラは最後にシンにだけ挨拶をして消えようとしているようで、アスランは声を張り上げる。
「キラ、俺の話を聞け!くそ!」
 屋上の縁から今まさに裏庭に飛び降りようとしているキラに向かってアスランは大声で怒鳴った。
「正義のヒーロー、フリーダム!ヒーローのくせにお前は人の話も聞けないのか!」
 瞬間キラの体が面白いほどぴたりと止まった。まるで石化の魔法をかけられたようにキラの動きが不自然に止まったので、アスランはようやくため息をつきキラに近付いていく。屋上の縁に立ったままで凍り付いているキラの手をアスランは引っ張りキラを抱きとめて自分のところに無事に下ろした。今までにないほど近い距離でアスランはキラを見つめながら呟く。
「まったく。お前は昔から変わっていないんだな」
 まん丸に見開いた目でキラは息をつめてアスランをじっと見返していた。その緊張を解いてやるようにアスランはキラの背中を何度かさすってやる。するとようやくキラは小さく息を吸い込み、また吐き出した。呼吸が正常に戻ってきたのに、今度はその代わりというようにキラの心臓が爆発的な異常を知らせ始める。
「ア…スラン…なんでその名前…フリーダムって…」
「何でって?俺がアレックスだからに決まってるだろ?幼い頃、俺は母上を亡くしたショックで全てに心を閉ざしていた。それを見かねた父上が静養のために田舎の遠い親戚のところに俺を送ったんだ。危ないからと俺はそこではアレックスと名乗っていた。そういう時に、幼いお前が俺の前に現れたんだろ?『僕は正義のヒーローフリーダムだ』って」
「だ…けど…」
「ああ、俺はお前のおかげで幸せになったさ。あの時もそう言ったが、それは今も変わらない。だけど俺の言う意味をお前は間違って受け取っていた」
 愕然としているキラにアスランは淡々と言葉を続ける。
「心を閉ざしていた俺に好きな人ができた。俺はお前のおかげで幸せになった。確かに昔そう言った。そう言ったからお前はもう俺に妖精は必要ないと判断して、俺の前から消えてしまったんだろう?だけど、俺が言いたかったのは…」
 アスランはキラの両肩を掴む。キラは動転して口がきけなくなっていたが真正面からアスランに見つめられて心臓がおかしいぐらいに暴走していた。アスランは眉を寄せながら口を開いた。
「俺は他の誰でもなくお前が好きだったんだ。お前がいたから俺は幸せだった。お前がいなかったら、俺は一生誰とも結婚できないし幸せになれない。キラ、俺と結婚してくれ」
 キラの手からぽろりと魔法の杖が落っこちていく。生まれて初めてキラは自分の武器を自分から手放していた。そしてキラの顔が緩やかに赤く染まっていく。キラは頭が沸騰して、ただただアスランを見つめ返していた。そこに訓練兵たちの休憩終了を告げるベルが裏庭から鳴り響いて、そのかん高い音が不意にキラの頭を揺さぶった。
「は、はあ?け、結婚!?って君、頭おかしくなったの!?」
「キラ」
 キラは取り落とした杖を手早く拾ってアスランの下半身に突きつけた。
「寄って来ないでよ。寄って来たら君の性器を台無しにする魔法をかけるから」
「キラ、俺に魔法は効かない。わかってるだろ?」
「いや、まだ君自身には試してないから分からないよ。本当は怖いんでしょ?だったら僕に近寄らない方が身のためだ」
 アスランはキラの脅しを無視してキラに歩み寄り、動揺するキラから魔法の杖を取り上げてしまった。キラはそれを取り返そうとアスランに手を伸ばすが逆に手を掴まれる。
「アスラン!」
「キラ、お前の返事がほしい」
 キラを無理やり無力な状態にしているくせに、アスランの瞳はやけに優しかった。キラは顔を赤くほてらせながら、自分の心臓の音に耳をすませる。どきどきしていて正気じゃなかった。キラは確かに昔一番初めに目を奪われたあの子供を一番初めに愛していた。そしてそれ以来その子供への愛はキラの心の奥でずっとひそかに息を続けていた。誰にも代えがたいぐらい、キラの視線を初めに奪ったあの子供がキラをずっととらえていたのだ。だからキラはアスランに会った時に心がざわめいたのかもしれなかった。アスランに会うと普通じゃないぐらいに心が沸き上がるので、キラはアスランに会うのが嫌だったのだ。それはつまりそういうことかもしれないのだが、キラは顔を赤らめたままアスランの手を振りほどきアスランを睨んだ。
「僕は妖精だ。それにれっきとした男だ。君と結婚なんてできない。僕にはやらなきゃいけない仕事があるんだ」
「キラ、じゃあお前はこの先もまた一人で生きていってそのまま一人で死んでいくつもりか?」
「それは……だけど…っ」
 キラの瞳が揺れる。繰り返される痛みと喜び。そして確かにキラはずっと孤独だった。妖精は人を幸せの輪に入れるけれども、妖精自身がその輪に入ることは決してないのだ。人を幸せにする喜びを味わい、愛情を抱いたその人と永遠に別れる痛みを味わう。それがキラたち妖精の本分だった。だからキラは俯いて吐き捨てる。
「僕の仕事はそういうものだ。人を助ける…それをやらないで自分の幸せなんて追えない」
 元気に訓練をしている兵士たちの掛け声がまた響いてくる。アスランはキラから視線を外して屋上から広がる途方もない景色に目をやった。高台にあるここからは国中の方々まで見渡せた。家々が並び、商店の煙突からは煙が立ち昇っている。それを穏やかに眺めながらアスランは微笑を浮かべた。
「キラ、お前は俺たち王族のことを批判したよな?怠慢で良いところだけ取っているって。俺もずっとそう思っていた。俺たちは変わらなければならないんだ」
 キラは顔を上げてアスランを見つめるがアスランはまだ目の前に広がる景色を眺めていた。
「俺たちはもっと不幸な人を減らさなければならない。大変な境遇の人を助けなければならない。俺たち王族には関係ないことだと放置して苦しませていてはいけないんだ」
 アスランはキラの方に向き直り、真剣にキラを見据える。
「キラ、お前にも手伝ってほしい。お前の魔法が必要なんじゃない。お前自身が俺には必要なんだ。お前の心はきっとこの国を幸せにする。お前が一人で国中を飛び回って誰かを助けていくよりも、きっともっとたくさんの人が幸せになれる」
 キラは思いがけない言葉に胸をつかれた。動揺を隠せないまま戸惑っていると、アスランがキラの手をもう一度掴み魔法の杖をキラに握らせた。
「キラ、嫌ならいいんだ。お前に無理じいをしたくない。ほとんど俺の我侭みたいなものだからな。ただお前にも幸せになってほしかったから…だが、お前自身が決めてくれ。お前が決めなきゃいけないことだ」
 アスランはそう言って微笑むとキラに背中を向けて立ち去っていく。その背中を見つめながらキラは返ってきた魔法の杖をぎゅっと握り締めた。遥か昔に一度経験したアスランを喪失する痛みがまた蘇ってきてキラの心臓が血を流す。去っていくアスランを黙って見ていることなんかできなかった。あふれだす想いがキラの心を震わせて、キラは我慢できずに声を張り上げて叫んだ。
「アスラン!」
 アスランが振り返る。その瞳は相変わらず優しくて、昔とまったく変わっていなくてキラは胸を埋め尽くしていく恋情を誤魔化すように声をとがらせた。
「アスラン、君の言っていることだけを聞くと、まるで国のために僕が必要みたいだ。君は国のために妖精の僕と結婚したいって言うの?」
「キラ」
 アスランはもう一度ゆっくりとキラに近付いてくる。キラは目を逸らしたまま不機嫌に顔をしかめていた。
「キラ、俺は俺の気持ちからお前と一緒にいたいんだ。お前が男でも妖精でも何でもよかった。お前と初めて会ったあの瞬間から、俺はお前に心を奪われていたんだ。キラ、お前はどうなんだ?」
「僕は…」
 キラは今まで助けてきたありとあらゆる人たちの顔を思い浮かべた。どの人もとても大切で愛している人たちだった。うろたえたようにキラがアスランの顔を見つめると、アスランのエメラルドの瞳が穏やかにキラを見返していた。それにキラの心臓がまた荒れ狂っていく。キラがアスランに感じる感情はシンたちに感じるものとはまったく別物だった。それは温かい微笑ましい愛情なんかではなくて、独占欲を伴ったもっと生々しくて汚い愛情だった。キラは唐突にアスランの全てが欲しくなってアスランの腕を引き寄せ、その唇にキスをする。唇を離したキラは視線を逸らすように下を向いて呟いた。
「僕だって…君が欲しい」
 アスランは我慢できずにキラを抱き締めて囁いた。
「キラ、やっとお前を捕まえた」



 キラとアスランは離れていた時を埋めるようにそのまま屋上のベンチに座って色々な話をしていった。そしてふとキラは気になることを思いついて首をかしげる。
「だけど僕と君が結婚した場合、子供はどうするの?男同士だから生まれないんじゃない?」
「お前は妖精なんだからその辺はどうにでもなるだろ」
「はぁ?言っとくけど僕は体を変える気はないからね」
 キラが怒ってアスランを睨もうとしたところ、アスランはおかしそうに表情を緩めた。
「キラ、実のところ俺は子供のことは気にしてない。なるようになるさ。第一世継ぎが必要な国になるかどうかもまだ未定なんだ」
「え?」
 アスランはキラと視線を合わせて和やかに微笑む。
「国中のみんなが幸せになれるように、これから二人でこの国を変えていくんだろ?何がどうなるかはまだ分からないが、お前がいればきっと俺もこの国も幸せだ」
「アスラン…」
 キラは照れたように呟いてから晴れ渡った空を見上げる。生まれた時に住んでいた場所は空の上だった。キラは一番最初に自分を愛してくれた人を思い出す。
「女神様は僕を怒っているかもな」
『あら、怒っておりませんわ。存分に幸せになってくださいな、キラ』
「女神様!?」
 突然耳に響いた声にキラは驚愕して慌てて立ち上がる。
『ですがキラ、あなたが幸せになる代わりにたくさんの迷える人々をもっともっと幸せにしてさしあげてくださいな』
 女神様の声が清らかに優しくキラの上に降り注いだ。だからキラは顔をほころばせてしっかりと頷く。
「誓います、女神様」
『あなたと皆様に幸がありますように』
 女神様の慈愛に満ちた声が祈るように世界に広がって消えていった。キラはアスランの方を向いて笑みをこぼす。
「頑張ろうね、アスラン」
「ああ」
 裏庭から活力に満ちた若者たちの声が盛んに響いてきた。未来ある人たちを応援するように今日も太陽は頭上で燦燦と輝いていた。





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ハッピーエンドすぎて自分を褒めたい。でもシンデレラとはかけ離れていてなんだこれは状態ですね。
みんなを幸せにできて私も幸せです!
(2012.6.5)