シンの上官であるキラ・ヤマトはあらゆる意味で有名な人物だった。驚異的な力を見せ付けたフリーダムの元パイロットであり、終戦になるまで大活躍したストライクフリーダムの使い手でもある。そしてコーディネイターの中でも抜きん出た力を持っており、戦闘だけではなくプログラミングの能力もずば抜けていた。加えて戦争を止めた三隻同盟の中の重要人物であり、その交遊関係も際立っている。オーブ元首のカガリ・ユラ・アスハの実弟であり、有名なラクス・クラインの愛人などという噂まで存在していた。その上、元プラント議長の子息でありフェイスにまで昇進しているアスラン・ザラとは無二の親友と言われている。これだけ聞くとキラ・ヤマトという人物は完全無欠のたいそうな傑物だと皆が思うらしいのだが、実際のところ彼はそんな人物では決してなかった。それどころか彼は皆の期待を裏切り、シン・アスカという男の恋人を持っていた。




へたれ彼氏と強気彼氏の誤算




「キラさん、またサボりですか?」
 キラの部屋に入った早々シンはうんざりとした。今度こそ仕事をしていると期待していたのにキラの机の上にはまだ手すら付けられていない書類がどっさりと山盛りに乗っている。当のキラはといえば、真剣な瞳でパチパチと高速でパソコンのキーボードを叩いていて、入室したシンの方には見向きもしない。
「キラさん、何やってんですか?どうせまたアイドル育成ゲームでもやっているんでしょう」
 シンはそちらに近づいていきキラのパソコンの画面を覗き込もうとした。するとキラは突如覚醒したように驚くべき素早さでスクリーンの上に覆いかぶさってしまう。
「だめだめ!この子は僕のものなんだから!見るのも禁止だよ!」
 キラが仕事中に遊んでいたことに加えてその大げさな態度すらもシンを苛立たせ、シンの目が冷たく細まった。
「別に何でもいいですけどとにかく仕事してください!」
 しかしそうは言ったがシンはキラのパソコンのスクリーン上にいた得体の知れない変なキャラクターを見逃さなかった。それでもキラが警戒したようにまだスクリーンに覆いかぶさりシンを窺っているので、シンは不機嫌なままパソコンが見えない位置へと下がってやる。そこでようやくキラは安心したのか陽気に椅子に座り直したのだが、一方のシンはキラとは反対に疲れた顔をして大きな溜め息を漏らした。
「まったく少しは尊敬するところを見せてくださいよ。最近のあなたはひどいです」
「じゃあ例えば僕が何をしたら君は尊敬するの?」
 パソコンの電源を落としたキラはぎぃっと椅子に深く腰かけてシンを仰ぎ見た。しかしキラの手は気楽な様子で机の上のジュースに伸びていきそれを飲み始める。シンが見ている短期間の間にもそのどろどろの特製フルーツジュースはどんどん姿を消していきキラの胃袋へと収まっていった。キラが立てるストローのチューっという音や氷がカランカランと崩れる音までもがシンの苛立ちを否応なく増大させていく。まったくやる気の感じられないキラの態度にシンの柳眉が逆立った。
「例えばですね、あなたは飲み食いするのも惜しんで、こういう溜まった仕事を自分から一生懸命片付ける姿勢を皆に見せるべきなんです!」
 シンはバンバンと机の上の書類を力強く叩いて主張する。しかしキラは嫌そうな顔で書類を一瞥するだけだった。
「だってそれつまらないよ」
「つまらなくたってあなたの仕事ですっ」
 誠意の感じられないキラの答えにシンの語気が自然と強まっていく。それもそのはずで、実はシンは艦長からじきじきにキラの管理を任されていた。もしキラが仕事をサボればシンが艦長から小言を言われ、その上最終的にはキラのやり残した仕事をシンがやる羽目になるのだ。現時点においてさえキラのせいで闇で処理した仕事はすでに数えきれなくなっている。そういうシンの努力と苦労の代わりに当のキラが何をしているかと言えば重要なことは何もしていないのだ。シンに言わせればキラは自分勝手に遊んでいるただの給料泥棒だった。キラの仕事の姿勢にシンはいつも腹を立てていたがその構図は今も変わらない。しかしキラはそんなことは意に介さずのん気にジュースをもう一口飲んで肩をすくめる。
「僕がやらなくても解決する仕事だったら、それこそ僕がやらなくたっていいじゃない」
「でも上の人はあなたを信頼してあなたに任せているんです」
「つまらないことだよ」
「そんなこと関係ないでしょう!?それが白服を着た人の台詞なのかよ!」
 いつまでもうだうだ言うだけで動かないキラにシンの怒りがとうとう爆発して気が付けば噛み付くように怒鳴っていた。キラは怒られたのが気に入らないようで不満げに顔をしかめている。そしてキラはそのまましばらく足をぶらぶらと揺らしていたが突然何かを思いついたのか元気よく立ち上がる。そして満面の笑みでシンに近づいていった。そんなキラの一挙手一投足にシンは自然と警戒しながらも負けじとその場に足を留めてキラを睨んだ。
「何をするつもりですか。仕事をしてください」
「要するに、君は――」
 キラは軽快にシンの傍に歩いていき目の前でぴたりと足を止める。そして眉をひそめているシンにキラは軽く微笑んだ。
「欲求不満なんだよ」
 その言葉と同時にキラはシンの唇にキスをした。キラの舌がシンの口腔内にまで入ってきて口内を優しくなぶられる。こんなことでごまかされるもんかと思ったが、シンもまだまだ青かった。途端に体に熱がともってきて抑えが効かなくなる。その上キラが息継ぎの最中に情欲のこもる声で煽るように小さく息を吐くものだからシンの鼓動はますます速まっていった。身体の中心に熱が集まっていって脈打っている。シンはとうとう我慢できなくなり本能のまま勢いよくキラをソファーに押し倒した。一気に余裕のなくなったシンを見て、キラ自身も頬を上気させながら悪戯そうに笑った。
「勤務中に性行為なんて赤服が泣いちゃうよ」
「うるさいです!馬鹿上官!」
 シンはその忌々しい口を黙らせてやろうとキラを押さえつけ、今度は自分から強引にその唇を塞いでやった。




「もう別れたら?」
 ぐったりと格納庫にしゃがみこんでいるシンを見かねて、ヴィーノが同情したように声をかけてくる。シンは今日も今日とてキラが仕事をサボったせいで大量の仕事を押し付けられ、それらを全て処理した後だった。キラのサボり日数を考えると自然と頭痛が襲ってくる。(キラさんと付き合ってから…いや、付き合う前からだけど、とにかく最近のキラさんのサボリ具合は本当にひどい)シンは生気のない顔でヴィーノを上目遣いに見上げた。
「別れるって?」
「だからーキラ隊長とだよ。キラ隊長は恋人のシンに甘えてるんだろうけどシンは大変なんだろ?だったら別れるのもひとつの手なんじゃないかって話」
「…そりゃ、大変だけど」
 別れるなんて考えたこともなかった。キラに苦労させられているのは事実だったがシンはやはりキラが好きなのだ。ヴィーノは整備にいそしんでいた手を止めて難しい顔をしているシンを振り返る。
「今日だってどうせキラ隊長はお前に仕事を押し付けたんだろ?」
「うん、まあ…」
「それで当のキラ隊長はどこに行っちゃったんだ?」
 ヴィーノにそう問われてシンは何も返事をできずに黙りこんでしまった。深く考えたくなかった。シンの中でキラへの恨みがふつふつと沸いてきて、シンは膝の間に顔を埋めて拗ねたように呟く。
「キラさんはラクス・クラインと出掛けたよ」
「ええ!?マジで!?…お前、いいの?」
 恐る恐るシンを窺ってくるヴィーノにシンは顔を歪ませる。
「そんなこと言ったって口出しなんかできないだろ」
 シンだって言われるまでもなく嫌だった。恋人が自分に仕事を押し付けた挙げ句、女と遊んでいるなんて腹が立つ。それにシンは列記としたキラの恋人なのにどこかないがしろにされているようで心がもやもやした。まるで今のシンは仕事を片付けるだけの都合のいい道具のような気さえしてくる。シンが珍しく沈んだ顔で大人しく座っているのを見て、ヴィーノはやれやれと首を振った。
「まあシンがどうするかは好きにすればいいと思うけどさ。別れるのも一つの選択肢ってことは覚えとけよ」
「…分かったよ。サンキュー」
 シンは溜め息をついてなんとか立ち上がった。明日までに終わらせなければならないキラの仕事がまだたんまりと残っている。シンは何で自分がキラの仕事で頭を痛めなければならないんだと憂鬱になりながら格納庫を後にした。




 次の日昼過ぎになってからシンはキラの部屋を訪れた。朝キラが食堂に顔を出さなかったことに続いて、昼にも現れなかったので少し心配になったのだ。食堂の人も今日キラは食堂に来ていないと言っていて、シンはもしかしたら自分がこの前キラに言った飲み食いを惜しんで働くべきという言葉をキラが意識しているのではないかと思った。(キラさんは心を入れ替えたのかもしれない)そういう期待が浮かんできたので、昨日の件にはまだ腹を立てていたがそれはそれ、これはこれで、シンはもしキラがきちんと仕事をしているのであれば少しは優しくしてあげてもいいと思っていた。だから何にも食べていないキラのために気を遣って昼ごはんを運んであげることにしたのだ。その際に仕事中でも食べやすいようにと料理スタッフにわざわざそういうものを特別に作ってもらった。こぼさないように気をつけて歩きながら、シンはいそいそとキラの部屋に向かう。
「キラさん、ご飯持ってきました」
「あ、シン、ありがとう」
 シンを見た途端、キラの顔は太陽を浴びて花がほころぶようにぱっと輝いた。その笑顔にシンはきゅんとして頬を染め、改めてキラが好きだと実感する。しかしふくらんだその愛の熱は直後無残にも砕かれた。キラの笑顔に気を取られて最初は気付かなかったがよく見るとキラはまたもや仕事をほったらかしてパソコンをいじっているのが目に入る。おかげでシンの心は急速に冷え切っていき、ぶるぶると怒りに震えながらシンは声を張り上げた。
「仕事をしているかと思えば、あなたはご飯も食べずにまた遊んでいたんですか!いい加減にしてください!」
「え?」
 シンは極限まで怒りが頭に燃え上がって持ってきていたご飯を丸ごと勢いよく地面に叩きつけた。ガチャーンと盛大に皿が割れ、お盆が弧を描いて宙を飛んでいき、おかずとスープが辺りに飛び散る。シンはもうどうなろうと知るもんかとやけっぱちな気分になっていた。(キラさんは結局俺なんかどうだっていいんだ。パソコンとアスランさんとラクス・クラインとカガリ・ユラ・アスハさえいれば!)
「ちょ、ちょっとシン!?どうしたの?」
 キラはいきなりぶち切れたシンに戸惑いの声を漏らして、散乱したご飯や皿に困惑気な視線を送る。シンはそれでも勢いが止まらず、治まらない怒りに任せて床に落ちてるお盆を蹴っ飛ばす。びゅんと飛んでいったお盆がキラの真横すれすれを通り過ぎていきキラの髪をふわりとなびかせた。そしてお盆はそのまま壁にぶつかって跳ね返り地面へと落下する。キラは唖然としてそれらを目で追うことしかできなかった。シンは怒ってはいたが心は泣きそうで、体をわなわなさせながらあふれ出る怒りに任せて大声で叫ぶ。
「大体あなたは昨日だってラクス・クラインと遊びに行ったりして!」
「え?」
「ラクス・クラインの愛人だって噂もあるしやっぱり色々とやっているんですか!?」
「え、なに?」
「じゃあ俺は一体アンタのなんなんだ!ただの遊び道具かパシリなのかよ!」
 シンの渾身の叫びにキラはしばらく呆然と絶句していた。しかし数秒が経ちキラの目が何度かしばたたかれ、不意に爽やかな笑みがこぼれる。
「何を言っているの。シンは僕の恋人でしょ。僕、キラ・ヤマトの大好きな人、それがシン・アスカ、つまり君」
 その言葉に、シンはどのように返事をしようか迷って口を開けたり閉めたりする。しかし結局キラを睨みつけながら、シンは今一番気にかけていることを自分の心に忠実に聞くことにした。
「俺を好きって言うなら、アンタは何で他の人とデートなんか…」
「ラクスは僕の大切な友達だよ。友達だったら遊んだり相談に乗るのぐらい当たり前でしょ?シンだって異性の友達いるじゃない」
 キラに諭すように言われて、シンはそれでも納得がいかなくてムスッとした顔をする。キラの言葉が本当なのかいまいち信用できなかったし、シンの見たところラクス・クラインは中々凄そうな人物だったからそんな関係で納まっているのか怪しく思えた。しかし当のキラは椅子に深くもたれてそんなシンを穏やかに眺めているだけでそれ以上の言い訳も補足もしてこない。その余裕たっぷりな様子が逆にシンの苛立ちと焦燥を増大させるのだが、それでもここはキラを信じることにした。シンは結局のところキラが大好きだったし、大好きということはシンにとってはその人を信じることと同義であった。ひとまずラクスに関しては納得に至り、シンの根っから単純な心に沸騰していた激情が嘘のように引いていく。キラはそんな変化を読み取ったのか穏やかに微笑んで首をかしげた。
「わかってくれた?シン」
「なんかムカつくけど、一応わかりました」
 ぶっきらぼうに返事をする一方でシンはこのまま引き下がってはいけないと尚も力を緩めなかった。いま現在キラのペースに完全にハマってしまい大ピンチだったが、とにかく仕事の件だけはどうにか改善してほしいとシンの語気がまた強まる。
「それじゃあせめて溜まった仕事をもっとちゃんとやってくださいっ。これだけは絶対にどんな言い訳も立ちませんよ!」
「だって、それは当然部下のシンの仕事でしょ?」
 それでもキラはあくびれもなく、しれっとそう言い放った。その信じられない身勝手さに、シンの開いた口が塞がらなくなり意気込んでいた気力が意思に反してどこかに消えていく。もしかしたらこの人には何を言っても無駄なのかもしれないという絶望的な考えすらも頭をよぎった。(こんな人を好きになるなんて俺はドMだったのだろうか。いや違う。俺はどちらかと言えばSのはずだ)そんなどうでもいいことがシンの頭の中でぐるぐると回っていき混乱を極めながらもシンは不意に我に返った。
「もういいです」
 そうして結局シンの口からは諦めたような一言だけがぽつりとこぼれ落ちた。キラは臆面もなく手をひらひらと振って合図する。
「それじゃあ散らかしたご飯、ちゃんと片付けておいてね。今度食べ物を床に投げ落としたら、君を四つんばいの裸にして君の舌で床を綺麗に掃除させるから」
 微笑みを絶やさないキラとは対照的にシンは極度にひきつった顔をしながらおとなしく部屋を退出して掃除道具を取りに行った。




 それから幾日も経ったがキラは相変わらず仕事をサボってパソコンで遊んでばかりいた。シンは今日の朝方(あさがた)起こったことを思い出して足音も高く苛々と通路を歩いていた。朝も早くにキラに呼ばれたのでシンはキラの部屋に急行したのだ。シンが部屋に入った途端、パソコンの前に陣取っているキラは赤く充血した目と濃い隈でシンを出迎え、遠慮もなく大きいあくびをこぼした。そして今度はキラの口から「朝ごはん持ってきて」と言う言葉を浴びせられたのだ。シンが念のため事情を聞いてみれば、キラは昨日からずっと徹夜をしていたらしかった。キラのパソコンからは相変わらずチャラチャラだのピコンピコンだのおよそ仕事とは程遠い音がずっと漏れ聞こえていた。徹夜してまでアイドル育成ゲームをするザフト軍隊長なんてシンは聞いたこともなかった。ザフトはキラを首にした方がいいのではないだろうかと真剣に考えてしまう。もしキラに恋をしていなければ、シンはこの体たらくな隊長をとっくに司令部に密告していたところだった。
 シンの口からまた大きな溜め息が漏れる。この前ヴィーノに言われたことがふと頭をよぎった。それでもシンはキラと別れるなんて今もまだ考えられなかった。シンとて、自分がなぜこんなにキラを好きなのか疑問に思うことはあった。実際キラの良いところを探す方が難しい気がするのだ。あえて言うとしたら顔ぐらいしか思い浮かばない。それ位キラはシンにやりたい放題だった。
 そして現在の時刻は昼である。シンはどうせ今度はキラに「昼ごはん持ってきて」と言われるだろうとすでに予想していた。だからそう言われる前に食堂でご飯を作ってもらい、キラのために運んでいる最中なのだ。キラが褒めてくれないから、シンは自分で自分を自画自賛したかった。(俺はよく頑張っている良い部下だし、良い恋人だよな)
「入りますよ、キラさ……って、寝てる?」
 シンが部屋に入ると、キラは自分の腕を枕にしながら机に顔をうつぶせて寝息を立てている。(まあ、徹夜するぐらいゲームをやっていれば当然疲れて眠くもなるよな)
「仕方ないな…」
 シンはご飯を別のテーブルに置いて壁に備え付けられた棚へと歩いていく。暖房がよく効いている部屋だったが、それでも少し心配だったから棚から毛布を取り出してキラに優しくかけてやった。その時ふとキラのパソコンが目に入る。キラはパソコンの電源を付けっぱなしにしていてスクリーンからは光が漏れ出し、軽快な音楽が流れ出ている。シンは好奇心を抑えられずキラが寝ているのをいいことにそのスクリーンを覗いてみた。この前少しかいま見た時と同じ、そこでは小さく奇妙なキャラクターが画面の中で左右にうごめいていた。
「何だこれ。変な顔のキャラだな」
 (キラさんってこんなのが好きなのか、趣味悪いな)シンはそう思いながら寝ているキラの横からそのキャラクターをしげしげと眺めてみる。誰かに似ている気がした。とてもよく知っている顔だと思い、そこでシンは唐突に気が付く。(え!?これって…俺!?)シンは虚をつかれて体重を支えている腕に更に力を込めて身を乗り出した。そうすると、今度は画面の中のキャラクターがはっきりと見えた。短い黒髪がほうぼうにはねていて、そのキャラクターは赤い目で辺りを睨みつけている。ザフト軍の赤服まで着ているその人物はパソコンから流れる明るいBGMに合わせてスクリーン上を不気味に歩き回っていた。そして急に立ち止まったかと思うと、そっぽを向いて頬を染めながら『完成までもうすぐだぞ!キラさん頑張れ!』とこちらを不器用に励ましてくるのだ。
「え…」
 シンは呆然と立ちすくみ、キラを驚愕した目でちらりと見やった。パソコンを見られるのをあんなに嫌がっていたキラは秘密を知られてしまったというのにのんきに眠ったままだった。シンはまたパソコンに目を戻し、その時ふとその小さなキャラクターの下層にあるアプリケーションに気が付いた。シンがマウスを使っていじっていくと、それはアイドル育成ゲームとは程遠いプログラムのようで、難しい用語と数字の羅列が画面を埋め尽くしている。そこをまた少しいじるとファイル名が出てきた。
「『デスティニーガンダムの改良モデル』…?これは…プログラミングファイルだ…」
 シンは衝撃を受けて今度こそあっけに取られた。簡単なプログラムではないのは一目でわかる。とても長い時間をかけて構築されているもので、シンが読んでもすぐには把握しきれないプログラムだった。ひたすら遊んでばかりいると思っていたキラが実はずっとシンのためにこの作業を地道にやっていたことを知りシンは愕然とした。しかしそういう視点でこれまでを思い返してみればキラの言動は全て一致しているのだ。他の人ができることは他の人がやって、キラはキラにしかできないことをやっていたというわけだ。
「ん…シン…?」
 眠そうな目をぱしぱしと瞬いてキラがゆっくりと顔を上げる。さすがにシンがこれだけ堂々と周りで動いて喋っていたせいで起きてしまったらしい。眠りから覚めたキラは初めはぼんやりとしていたが、その目が徐々にシンを捉えていった。そして次にキラの視線がパソコンの方に移り、もう一度今度は高速でシンを振り返る。その顔は珍しく冷静さを欠いていて少しだけ青ざめてさえいるようだった。
「あーあ…バレちゃったか」
 キラはがっくりと肩を落としそのまま机に突っ伏した。シンは様々な感情が入り混じってキラをただじっと見つめていた。キラはその視線に気付いて頭を上げ、恥ずかしそうに頬を染めてシンから逃れるように目を逸らす。
「もう…シンには見られたくなかったのに。自分のパソコンにこんなキャラクターを作って動かしてるなんて馬鹿だと思うでしょ」
 キラは顔を赤らめ一人ぶつぶつと呟いた。
「シンをモデルにした自作アプリケーション…。こんなの本人に見られるなんて最悪だ。本当に最悪…絶対見られないようにしてたのに…」
 そこまで言ってキラはとうとう耐えきれなくなったのか急に席から立ち上がり部屋を出ていこうと足早に歩き出す。しかし横を通り過ぎるキラの手をシンはしっかりと掴んで引き留めた。
「そうじゃなくて、」
「え?」
「何ですか、このデスティニーの改良プログラミングは」
「ああ…」
 キラはパソコン上のキャラクターのことをまだ引きずりながらも仕方なさそうにシンに向き直る。
「君のモビルスーツをもっと性能良くしたかっただけだよ。今度のミネルバの地球降下命令に間に合わせたくてね」
 シンの脳内回路が一気にあふれた情報に追いつかなくて、戸惑いを隠せないままシンの口からぽつりと声が漏れた。
「何で…」
「え?」
「何でそんなこと」
 シンの問いにキラは眉をひそめてさらりと答える。
「だって君は僕の恋人じゃない。好きな人をもっと強くしてあげたいって思うのはふつうの感情でしょ?それに――」
 キラはシンがまだ困惑げに眉を寄せているのに気が付いてシンの方へと手を差し伸べた。そしてシンの頬を両手で優しく挟んで、ふっと柔らかく笑いかける。
「僕はシンを信頼してるんだよ。君の心はまっすぐだ。君なら死なないし、きっと皆を守れるだろうってね」
「キラさん…」
 シンはキラがこんなにも自分を信じていて、こんなにも自分のために頑張って働いていた事実を知り、キラへの想いがシンの心に急激にあふれ出した。沸き上がるその想いをどうにか消化しようと格闘したが、どうやっても消化できずシンの中でキラへの愛が怒涛のごとくこぼれ出す。だから結局強い衝動に駆り立てられるままシンはキラを勢いよく抱き締めた。驚いたキラの体が後ろへと一歩後退するが、それでもシンは制御できない感情に動かされて、ただ強くキラを抱き締める。(これだったんだ…俺がキラさんを好きな理由…)
「キラさんって…かわいい…」
 シンに突然思いっきり抱き締められてキラはひどく戸惑っていたが、その内キラの顔にふと笑みが生じた。そしてキラはシンの背中をぽんぽんと優しく叩いてやる。シンはキラを抱き締めながら自分を恥じる気持ちが沸きあがっていた。この瞬間に至るまでシンはキラの悪口を散々言い立てていたし、勘違いからとはいえキラのことをとても怒っていたのだ。それを猛反省して、そしてキラを大好きだと思い知る。シンの中でキラへの愛情が際限なくあふれ返り、胸の内がまるで穏やかな陽光を浴びたように温まっていった。
 しばらくしてようやく落ち着いたシンに、キラは申し訳なさそうに微笑んだ。
「このプログラミングにまだちょっと時間がかかるから、もうちょっと仕事を手伝ってもらえる?」
「はい、もちろんです」
 シンは曇りない笑顔で頷き、二人はソファーに移動して手を握り合った。二人の空間に温かい空気が広がっていき、自然とキラの笑顔が嬉しそうなものへと変わっていく。
「じゃあシン、これからも僕の面倒を見てね。ほら、僕って少しいい加減じゃない?」
「大丈夫です、任せてください。ずっと俺がキラさんについていますから!」
「そう、良かった。このプログラミングが終わった後も君は僕の仕事を手伝ってくれるんだね。シンって本当に良い子だね」
「え?」
 ここでシンは何かがおかしいと気付いた。キラの言う台詞が少し変な気がしたのだ。しかしそう思った瞬間シンの頭にある事実が蘇る。(そういえばキラさんはパソコンにかじりつくずっと前から仕事をサボりがちだったじゃないか!何も俺のために始まったことじゃなかったはずだ)シンが恐る恐るキラに視線を投げかけるとキラはその瞬間を狙っていたようににこやかに微笑んだ。
「シン、これからも頼りない隊長を宜しくね」
 その笑顔はとても清らかで可愛らしいのに裏に何かよこしまなものが漂っているようでシンはごくりと唾を飲み込む。しかしそれでもシンにとってはキラは大切な恋人なのだ。だったらシンが答える言葉はひとつしかなかった。
「はい…」
「ありがとう、シン。大好きだよ」
 楽しそうに笑う恋人を横目に眺めながらシンは今後も続く恋人からの災難を思ってがっくりと力が抜けていく。しかし恋人からもたらされるものは何も災難だけではないのだ。この恋人が隣にいてくれるだけでシンは何にも代えがたい喜びを感じられる。それに何はともあれ恋人が楽しそうに笑っているのだ。その笑顔を見ている内に、シンのこわばっていた顔も徐々に緩まり笑みが浮かんだ。そして隣にいる意外にも恥ずかしがりやな面を持つ可愛い恋人の耳にシンはそっと愛の言葉を返してやった。








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本当のタイトルは「俺のキラさんがこんなに可愛いわけがない」でした(笑)
数年前に書いたものを全面修正!バカップルなシンとキラも好きです!
(2012.7.4)