おおがね・としひこ
1943年、愛知県生まれ。
‘68年、京都大学医学部卒業。

早くより癌の告知、医療情報の公開、医師の生涯教育を症唱、自ら実践する。医学専門書のはか、小説、エッセイ、コミックの原作を手がける。主な著書に「メスよ輝け」(ホーム社)、「ナースのマナー」(金原出版)「外科医のセレナーデ」(集英社)、「私が出会った外科医たち」(金原出版)など。‘99年より淡路島の町立診療所に赴任、現在に至る。

本誌1994年〜4号月〜19975月号までの3年間にわたって連載された小説『わが愛はやまず』」が単行本になりました。乳がんに冒された主人公・中条志津との死ぬまでの数年間を映像的に描いた秀作です。

手術を託した外科医との秘められた過去を状線に、罪と罰、愛と悩しみの葛藤が巧みに織り成され、読者を冒頭からぐいぐい引き込むスリリングな展開の物語になっています。作者の高山路欄さんにを伺いました。

ナースを主人公とする小説をお書きになろうと考えられたのはなぜですか?

「エキスパートナース」の当時の編集長から依頼を受けたのです。コミック「メスを輝け!!」の原作者としての私に期待してくださったのでしょうが、「果たして期待に添えるものを書けるだろうか」と悩み、1週間じっくり考えました。これえまでの¥であった医者、ナース、そして私自身の来し方を思いめぐらしました。

主人公・志津は、先生の理想の女性でもあるわけですか?

そうですね。不倫に走った女性が理想的像かと詰問されれば言葉に窮しますが、愛の1つの形を彼女の生き様を通して描きたかったのです。

ナースとしての志津は、どうですか?

それはもう完璧に近いです。立ち居振る舞い、言葉使い、品性、専門的な力量は言うに及ばず。そして内からあふれ出てくるよう「慈愛」のようなものが加われば満天でしょう。

患者さんとの関係でも、押しつけではなく、常に一歩引いたところから支えている。医師とも自然体で対等に付き合える。行ってみれば「バランスのとれた人間」であること。それが医療従事者には必要の要素でしょうね。私は病院の勤務医として30年勤め、あまたのナースを見てきましたが、少数ながら、そんな人がいました。中条志津は、そうしたナースたちを思い浮かべながら描きました。

志津は、乳がんと知って、かつての恋人である外科医に執刀をしてもらいに行きますよね。そこから夫や子供たちに秘め続けた過去の“罪”が明らかにされていくわけですが。

これこそがこの小説のミソです。ヒロインは、仕事で見せる「強靭さ・冷静さ」の反面、情熱的で、一途で、非常に人間くさい面も持っている。「聖」「俗」が同居している人間です。死に至る病も“罪”というも因果のもたらした報いである“天罰”と受け止め、愛するものとの離別に思いを馳せて苦悩しながらも深くこれを甘受していくヒロインの生き様を、じっくり読み取っていただければ幸いです

このストーリーにはモデルがあるのでしょうか?

それはあります、いろいろと。志津の娘・三宝の恋人である医学生は、若き日の私です。あとはご想像にお任せしますが・・・・・。

「不倫」や「不義の子」といったテーマから三浦綾子さんの「永点」を思い浮かべる人がいるようですが。

いえ、日頃から念頭にあったのはナサニエル・ホーソンの「絆文字」と大佛次郎の「帰郷」で、この2つをミックスしたような作品を書きたいと思っていました。

先生のペンネーム「高山路欄」の由来を教えてください。

和洋折衷です。「高山」は戦国時代の武将で高槻城主であった高山右近からとりました。右近は利休七哲の一人で、優れた茶人でもあり、キリシタン大名で後に  受けて国外追放され、マニラで殉死しましたね。「路欄」はフランスの文豪ロマン・ロランからとりました。「路欄」自体の意味は「身を焼き尽くすまでひた走る」といったところでしょうか。

先生は優れた外科医としての実績を捨てて、平成11年から僻地医療に取り組んでいらっしゃいますね。何か動機があったのでしょうか?

「エキスパートナース」から依頼を受けてこの小説を書き始めてまもなく、責を担っていた病院で信じられないような造反事件が起きて、人間不信に陥りました。金銭的にも理不足な債務を押しつけられ、奈落のどん底に突き落とされました。

しかし、この小説を書くことによって、そうしたつらい現実を一時なり忘れることができましたし、やがて、主人公佐倉のように、医者を志した少年の日の初心に返って僻地医療に従事しようという心境に至り得たのです。

現在は、ゆったりとした時間の流れの中で、地域に根ざした医療を行えている幸せをしみじみと味わわせてもらっています。