Tanzanight

『Long way Home』 プロローグ〜第一章

プロローグ

 あの夜、私が裏手にある荷受け場から出てプエルタの表に回った時、そこは既に警官と凄い数の野次馬で埋め尽くされていた。

 そんな中、私は迷わず野次馬の群れに突っ込み、掻き分けて進んで行った。さっきベッドをぶつけられた所が痛むが気にしてはいられない。目的は分かっているのだ。まひるだ。まひるはきっと、この中心に居る。

 そして厚い野次馬の層を抜けた私の眼にまひるの姿が飛び込んできた。遠すぎてよく見えないが、まひるは沢山のスポットライトの中、血だらけで倒れている。

 「まひる!!」

 そう叫んでまひるに向かう私。

 しかし、その身体は何者かによって遮られた。慌てて腕を振ってもがく。勢いが止まったことで一瞬、まひるの姿が遠くなったような錯覚さえ覚えて背中が寒くなる。

 「まひるーー!!」

 その寒気を伴った怖さから逃れようと、私はもう一度大きく叫んでまひるに向かって飛び出した。遮る何者かの腕を振りほどき、私は大きく足を踏み出す。

 「まひる!!」

 しかしすぐにまた別の何かが私の邪魔をした。肩から当たってどけようとしたが相手は動かず自分の傷の方が痛む。前を向こうとした顔もぶつかって、その身体で視界がふさがれる。

 「離せぇぇ!!私は!!まひるのところに!行くんだぁ!!」

 叫びながら暴れた肘がどこかに当たって相手が一瞬ひるみ、身体がよろめいた。その隙に進もうとした私だったが向こうはすぐにまた私を抑えようとしてくる。そこでようやく、私を遮っているのが警官だと認識する。

 そしてそれに気を取られた一瞬の間に、私の進路は複数の腕によって遮られていた。私はひるんでしまった自分を心の中で罵ると、かろうじて保たれた視界をこらす。そこには、さっきよりも近くに見えるまひるが居た。

 「まひる!!」

 かろうじて動く片手を遮る腕の隙間から伸ばす。でもこんなに近くに来たというのに、まだこの手はまひるに届かない。閉じた指は空を掴んだ。悔しさに唇を噛み締める。

 そしてその時、私の眼は誰よりも早くそれに気付いた。

 一瞬置いて辺りにざわめきが走る。

 それまでじっとしていたまひるの身体が動いたのだ。弱々しく腕を上げようとしている。

 腕を持ち上げようと手を地面につき、その先についた長い爪が地面を掻いて、滑った。カチャリ、という音が鳴り響く。その音に、私の前にいた警官の肩がビクッと動いた。

 続いて血と泥で汚れた羽根がゆっくりと半分だけ持ち上がり…バサッという音と共に力無く地面を叩く。

 そしてそれが引き金となり、他の警官にも一斉に緊張が走る。私を押さえつけている警官の身体もこわばった。

 まひるが何かを言った。誰にも聞こえないくらいの小ささだったけれど、きっと私のことを呼んだ声だ。私にはわかる。

 でも続いてまひるが起き上がろうと顔を上げた時。近くから聞こえたカチャ、カチャ、カチャ、という音に恐怖が走った。ハッとして傍の警官を見ると、その手に持ったピストルの撃鉄を上げていた。

 カチャ。同じ音がその銃から鳴って、それを握る手に力が入る。そのまま見上げた先の、銃を握る警官の顔には深い恐怖が彫り込まれていた。

 私はその表情の意味に気づき、声を張り上げた。

 「まひる!ダメェーーー!!」

 邪魔する警官を掻き分けて飛びだそうとする。

 精一杯の力を込めて、止めようとする腕を振り払う。まひるを抱き上げて、守らなければ、かばわなければ、まひるが危ない!

 しかし、行方を遮るように周りを囲んでいた沢山の腕で私の身体は再び押し戻された。そして今度こそ身動きが取れないくらい押さえつけられる。

 その私に向かってまひるが腕を伸ばした。弱々しく片腕が動き、爪が地面にこすれ、羽が引きずられる。その痛々しい姿に私の胸の奥が締め付けられる。

 「ダメ!来ないで!!」そう言いたいのに、思いだけが空回りして言葉が出てこない。心の中でまひるに来て欲しい想いと、それがもたらす結果の恐怖が衝突する。喉がカラカラに渇ききっている。

 そして、

 「かすみぃ〜〜〜〜!!」

 確かに聞こえた。私を呼ぶまひるの声。それは、私がこれまで聞いたことが無いほどに辛い色に染められて響いた。その声に私の声が重なる。

 「来ちゃだめーーーーーーーーー!!」

 でも、私の叫びは……、直後に鳴り響いた、沢山の花火の様な音に掻き消された。

 近距離で無数の火が吹き、甲高い音に耳がキーンとして何も聞こえなくなる。

 音の無い視界の中…。まひるの身体はゆっくりと、まるで映画のスローモーションの様な静かさの中で斜めになって、崩れ落ちた。唯一最後まで上がっていた腕だけが一瞬遅れ、スローが切れたようにパタッ、と地面に落ちる。まひるの身体全体が…力を失って沈み込む。

 「い、いやぁーーーーーーー!?まひるーーーーーーーっ!!!」

 静かになった周囲に、私の声だけが高く、大きく鳴り響いた。

 そして、夜は終わった。

 ひと晩だけの魔法は解け、

 全てはあるべき姿に戻りゆく。

  (ねがぽじ)香澄ENDより引用)

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  〜「ねがぽじ」香澄ENDアナザーストーリー〜

   『Long way Home』

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1.

 部屋の空気をを入れ替えようと思い、私は窓際に立った。そして窓を少しだけ開ける。地上5階ともなると風の強さも地上とは違うので、今日みたいに風の強い日はあまり大きく開ける事が出来ないからだ。私はそれを、ここに来て初めて知った。

 私がまひるのマンションに越して来てから2週間が過ぎていた。それ以来、私はほとんどの時間をこの部屋で過ごしている。必要な物を買うときだけ出かけるが、それも出来るだけ手早く済ませて早く帰る。自分の居ない間にまひるが帰ってくるかもしれないと思うと、どんなにちょっとの間でも出たく無いのが本心だから。

 だから、住んで3日目くらい経った頃から窓際の外から見える場所に私の制服をかけることにした。

 私はここに居るよ、まひる。

 あのプエルタでの夜、まひるは片方の羽だけで空へ飛び立った。無数の銃声が響いてまひるが崩れ落ちた瞬間、元々大きいと思っていた背中の羽が一瞬震えを起こしたのだ。そしてけいれんにも似た動きを見せたかと思うと、それまで見ていたものよりさらに何倍にも広がって…、一度だけ大きく羽ばたいた時には小さなまひるの身体を真っ暗な空へと放り上げていた。

 片方の羽だけだからとても真っ直ぐとは言えず不恰好な飛び方だったけれど、それでもその羽ばたきは彼女の姿を私の前から消し去ったのだ。

 羽ばたきで起こった突風に皆が顔を覆う中、私はずっと、空を見ていた。

 夜が明け、あの騒動の中で「まひる」という名を叫びつづけていた私は警察へ呼ばれた。でもプエルタの中で発見された唯一の被害者は行方不明だった鈴原琴美と判明したし、暴れた天使の残骸はどう見ても人のものではなく、「まひる」に該当する被害者は見つからない。

 結局、警察の目の前で空へと姿を消した『爪と羽を生やし空へ飛んで行った化け物』が正体不明として残ったが、それが高校生「まひる」だとは誰も想像すらしなかったのだろう。あのめちゃくちゃな状況下で私が錯乱したという結論に落ち着いて、私はすぐ開放された。

 それは、高ぶっていた気持ちが治まるにつれて天使にベッドをぶつけられた時の怪我が痛み出したのも要因だろうが、もしかしたら私の父か、まひるの親から手が回ったのかもしれない。

 透は警察に呼ばれなかった。と言うより、プエルタ裏の荷受け口から抜け出して正面へ回ったところまでは確かに一緒にいたのだが、まひるが去って、野次馬が居なくなり、私が気付いた時には既にその姿は無かった。警察沙汰になるのを避けたのか、それとも何かすることがあったのか。とにかく、私が怪我の治療で数日入院していたこともあって、彼とは全く連絡が取れなかった。

 ひなたは、あの夜から家に帰っていない。

 まひると一緒に行ったのか、別のところにいるのか。結局、まともに話したのは昼間のカフェと夜に怒鳴りつけた時くらいだったかな…と思い返す。

 あの子を最後に見たのは、天使の後ろで泣きじゃくりながら、反撃を受けてぼろぼろになりながら、それでもひたすらに衝撃波を放ち続ける小さな姿だった。

 まひるの両親はあのあと少し荒れたという。二人っきりの娘が二人同時に突然居なくなったのだ。突然の出来事への驚きや悲しみだけでなく、仕事特有の世間体に関して夫婦間のいさかいもあったらしい。そして、その矛先は学園へと向けられた。

 事情を知らない夕凪さんと放送部の後輩の子が、まひるが行方不明になったと聞いて家を訪ね、学校で起こっていた数々のこと――今思うと、あの頃の事は全てどこか別世界の話のように思えること――男だと分かってからの、教師や生徒達、学園の対応を話したのだ。

 その結果、どうやら『家出』の原因はその環境にあったという事に落とし所を見つけたらしい。何せまひるの父親は代議士だ。使うまでもなくその権力には事欠かない。

 結果、脅迫に近い説得をしていたという責任をとって教師の柳川は辞職に追い込まれ、嫌がらせをした生徒は悪意と自己防衛の境界判断が難しいという理由で、ちょっとしたお説教だけでおとがめ無しとなった。まひるについては家出から戻るまで学籍を保留ということになったらしい。

 夕凪美奈萌、彼女とも会っていない。元々まひるを介しての付き合いだったから私と彼女の間には直接の接点が無いし、今回の件は誰にも話さないと決めていた。透も同じだろう。あいつもきっと、誰にも話さない。

 プエルタの事件から2週間。

 警察からまっすぐ入院させられた病院を出て数日経って、やっと私はこのマンションに来ることができた。止められるのを無理言って退院したせいなのか、まだ体の調子が悪くてなかなか来れなかった。

 でも本当はすぐにでも越してきたかったのだ。まひるが飛んで行った瞬間が頭から離れず、少しでもまひるがいた場所に居たいと思っていたから。

 でもやっぱりそう簡単には行かなかった。家を出るという私に猛反対の親を説得する所から始めた上に、この部屋を借りているのはまひるの両親で、そのまひるは家出したことになっている。いくら当人同士が親しいからといって、向こうの親から見れば単なる友人に過ぎない私をすぐに住まわせてくれるはずも無かった。

 結局、親を通して頼み込んだ結果、まひるが帰るまでの間、『以前からひとり暮らしをしたいと言っていた』私がここに住み、その間の家賃はマンションのオーナーである私の親が持つということで落ち着いた。……と言うより、全部私が押し切った。私の心は、既にここに来ていたのだから。

 そして、やっとの思いでこのマンションに来ることができた日のことだ。鍵を開けた私は部屋の中で待っていた人物に出会った。

 「よう、遅かったな。」

 今さっき鍵を開けたばかりのはずの私の目の前で、部屋の真ん中に座り込んでカップラーメンをすすっていた人物がいたのだ。そいつはこちらを振り向いてひとこと言うと、平然と片手を上げた。

 予想していなかった出来事に私は持っていたバッグを落とし、一瞬唖然とする。

 「なんでアンタがここにいるのよーーーーー!!!?」

 怒鳴る私だったが、その人物、遠場透は気にした様子も無くスープを飲みながらハシで窓を指して言う。

 「あっひ。窓からはひった。」

 「窓………ってここ5階…。あ、鍵は?ガラス破ったの!?」

 私の質問に、透がスープを飲み干す間が空く…。そしてぷはぁ〜、息をつくと、まるで少しも間が空いていなかったように平然と、

 「ふっ、安心しろ。何も壊しちゃいない。第一俺が、そんなコソドロみたいにケチなマネすると思うか?」

 何故か勝ち誇ったように胸を張る透。

 「…この前みたいに、置きカギ使って玄関から入ったとか。」

 「なめるな。俺は同じ手を2度も使わん。」

 チッチッチ、と言いそうなジェスチャーを手に持った箸でする。まったくこいつは…。思わず感心したくなるくらい、人の神経を逆立てる方法を知っている。

 「じゃあ…、どうやって入ったのよ。」

 「秘密だ。」

 言っても無駄な相手だけにため息をついていた私に向かい、帰ってきたのはそっけない返事。さっきの言葉が意味深だっただけに何かと思ってしまう。

 「秘密!?何言ってんのよ、ここにはこれから私が住むのよ?」

 「知ってる。でも秘密は秘密だ。…さて、それじゃそろそろ行くとするか。」

 話をそらされてむくれる私だったが、透はそんな事はお構いなしに食事の後片付けを始め、ゴミを入れた袋をぶら下げる。

 「これから住むんだろ?すまんが、このゴミ頼んでいいか。」

 「そりゃ構わないけど…。何、もうどこか行くの?」

 「ああ、まだ調べたい事がある。今朝帰ってきて、ここには様子を見についさっき寄っただけだからな。」

 「帰って来たって…、どこか行ってたの?」

 たずねる私に顔を向けると、透は真面目な顔をして当たり前のように答える。

 「わからんか、天狗の住む森だ。」

 はっと息を呑む。ひなたが出会うまで、まひるが住んでいた森!

 「場所の特定に手間取った上になかなか広い森でな。いろいろ探して歩きまわってたら帰りが今日になった。」

 「それで!まひるは!?」

 身を乗り出す私。

 「…居なかった。」

 短く答える透。

 「居なかったの?」

 「ああ。」

 一瞬、肩を落としかけた私だったが、すぐに顔を上げた。

 「それじゃ!何かあった?まひるに関係しそうな物!!」

 「…特に何も。」

 「何も…無かったの?」

 「これといったものは特に。ひなたが迷い込んでまひるが森を出てから、もう何年も経ってるからな。さすがに痕跡みたいなものは残ってなかった。テントを張って夜も居たんだが…。」

 「そう…。」

 その話を聞いて、肩を落とす私。でも同時に、落胆しているハズなのになぜか少し安心している自分に驚いた。心のどこかで、まひるがそこに帰って、そして、そのまま………。そう、恐れていた自分がいたらしい。透はその私の様子をちょっと横目に見ただけで何も言わずに窓の方を向き、また話を続けた。

 「どうやら、ひなたと一緒にまひるが森を出たのと前後して、地元からも天狗が出るという噂は消えたらしい。まひるに追われて、ヤツも他の場所へ行ったんだな。そのせいか、行ったときにはどこにも立ち入り禁止の立て看板は無かった。今じゃ地元の人も普通に山に入っているようだ。」

 「じゃあ、まひるは…。」

 「まあ、あの森へ帰ることは無いだろうな。」

 しばらくの間、沈黙が部屋に立ち込めた。

 透が何を考えていたのか、表情からは読み取れない。しばらくたって、「さて、行くか。」と立ち上がった透は、見上げる私に言った。

 「心配するな。きっと探し出してみせるさ。アイツは方向感覚無いからな〜。迷子になってるなら俺たちで見つけて、連れ戻してやらんと。」

 「…うん。」

 帰ると聞いてまさかまた窓からかと思ったが、さすがの透も帰りはちゃんと玄関から出るらしい。ベランダに置いてあった靴を持って玄関に向かう。

 そして靴を履きながら、見送る私に言った。

 「ああ、あとアイツが帰ってきたときのために、この部屋に監視カメラを仕掛けといた。だから着替えの時はカメラの前でするようにしてくれ。…場所は秘密だが。」

 「カメラァ!?」

 すぐそばの脱衣所にあった籐のバスケットをつかみキッと睨む私に、透はさっとドアの外に逃げて、声だけで答える。

 「冗談だ。今思いついたばかりだからしてない。…やっとけば良かったかな。」

 「 透!!」

 声と共に投げつけたバスケットは、一瞬早く閉じられたドアにぶつかって、落ちた。

 「…あの、バカ…。」

 玄関から戻った私は引越しの第一段階として、とりあえず部屋中をひっぺがしてカメラを探すことにした。

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