Tanzanight

『Long way Home』 第二章(2)

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 「それで、そもそもどういう事なのよ?」

 いれたお茶を持って居間に入った私が座布団の上で落ち着く間も無く、夕凪さんは突然詰め寄ってきた。

 「そもそもって…、何よ。」

 言葉の真意が測れずに私は言葉を濁す。

 「もう1ヶ月も、まひるもアナタも遠場くんまで突然学校来なくなったりして! それなのに、どうしてアナタだけこんなトコにいるのよ!?」

 いきなり胸にグサッと刺さるのがわかった。

 何も事情を知らない夕凪さんだから、そう思うのも仕方ないと言えばそれまでなのだ。 だが、今の私にその言葉は辛すぎた。なぜならそれは、誰よりも私自身が一番知りたい事だったから。

 何で、ここにまひるが居ないの? ここはまひるの部屋なのに。まひるが帰ってくる場所のはずなのに…。いつも傍にいて笑っていたまひるが…いつだって隣にいて、やかましいくらいに跳ね回っていたまひるが…今は、どこにも…居ない。

 逆に言えば、なんでまひるの居ない場所に私が居るのか。その方が不思議にさえ思うくらい。自分のいる場所がわからくなってくる。

 動揺する私の様子に、夕凪さんは怪訝な顔をした。何か言うのを待っているのだろう。でも、私は何も言えなかった。言う言葉が見つからなかった。

 しばらく待って私が何も言わないと判ると、夕凪さんは私の顔を覗き込むようにして言った。

 「何が…あったの?」

 「ううん…、私は、体調崩したからしばらく入院してただけ。まひるがいる所なんて分からないし、透も…どこ行ったかなんて知らない。」

 私は、すぐバレるような嘘をついた。

 実際入院したのは確かだし、二人の行方も知らない。だからそれぞれの言葉に間違いは無いのだが、質問の答えになっていないから結局同じ事だ。こんな事しか言えないと、自分自身に対する嫌悪感で胸の奥にじわっと暗い澱が積もる。

 しばらくの沈黙があった。

 その静かさに耐えられなくなった私がそっと顔を上げて夕凪さんの様子を見る。夕凪さんはあからさまに怒った顔をしていた。そして、眼が合ったのを合図に声を張り上げる。

 「あ〜はいはい! つまりアレね。私なんかには言えない事情って訳だ!」

 「『なんか』って……。」

 「だってそうでしょう? 突然3人揃って居なくなったと思ったら、まひるは行方不明になってるし、遠場くんとアナタは休学しちゃうし。」

 「休学!?」

 あきれた様な視線が私を見た。眼が怒っている。と言うより白い視線はどこか冷たい。

 「休学届出したのよ、遠場くんが。しかも自分のだけじゃなくアナタの分までね。」

 「そう…、透が…。」

 「何。知らなかったの? 先生にもロクに説明しないで、届けだけ出してったから職員室は大変だったらしいわよ。ただでさえまひるが家出した原因追求で揉めてたのに、同じ日から来なくなったアナタ達まで学校休むって言うんだもん。同じ原因なんじゃないかって、柳川だけじゃなく責任問題で滅茶苦茶だったんだから! まぁ、いい気味だけど。」

 そこまで言うと夕凪さんは一息ついたが、何も言わない私を見ると、少し声をやわらげて続けた。

 「結局さ。届けを出した遠場くんはそれっきり顔出さないし、アナタはアナタで最初っから居場所がはっきりしない。それなのに先生達が考えることと言えば、大ごとになると学園の評判が下がるって心配ばっかり。オマケに生徒の間ではアナタ達ふたりが駆け落ちしたんじゃないかって噂まで流れ始めて…。私だって何も知らないのに、『親しかったから』って理由でみんな聞いてくるんだもん。いい加減疲れたわ。」

 ためいきをついた。口調は既にあきらめの雰囲気を漂わせている。

 「で、何があったの?」

 そう言って、覗き込むようにして聞いてきた。その表情には既に怒りは見えない。どこかさっぱりとした、でも何か不に落ちないような気持ちがそのまま現れている。

 「さっきの話、嘘でしょ? 何も知らないなら、なんでこの部屋にいるのよ。」

 「それは…。」

 口ごもる私。

 「…本っ当に、私には言えないのね。」

 うつむいたままの私の前で、深いため息が聞こえてきた。気まずい空気だけが空間を満たす時間が流れ…ふと、夕凪さんが壁の時計に目を止めた。

 「もうこんな時間…。用事あるから、とりあえず今日は帰る。」

 そう言いながらカバンとコートを手に取る。

 「それじゃ。」

 あっさりとそう言って、夕凪さんは出て行った。

 それを見送った私は、玄関の壁に手をついて、深いため息をついた。

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 そして次の日の昼過ぎ、彼女はまたこの部屋の呼び鈴を鳴らした。

 それは昨日とは違い、いたって普通の押し方だったけれど…ドアの手前まで行った私は何となく分かってしまった。

 そうなるとドアを開けるのも声をかけるのもためらわれて、玄関の壁によりかかったまま落ち着かない時間が流れる。しばらくしてまた呼び鈴が鳴った。どうすればいいか分からず、居間へ戻ることも出来ず、居心地の悪さに胃の辺りが熱くなる。

 そして不意にトントン、とノックの音がした。そして続く呼びかけの声。

 「桜庭さ〜ん。」

 やっぱり、と思った。夕凪さんだ。

 「いないのかな…。」

 迷っているような声。

 私はこのままここに居るのが辛くなって、部屋の奥に逃げ込みたくなってきた。しかし奥に向かって足が動いた瞬間、足元に何かが当たる感触。同時に足元から響いたガタン、という音で私はそのままの体勢で凍りついた。いつの間にか泣きそうになっていた顔で、私はゆっくりとドアの方を向く。

 そして、

 「…居るのね?」

 夕凪さんの妙に落ち着いた声が聞こえてきた。もう遅いと知りながらも私は息を呑む。

 「何で…、開けてくれないの?」

 私は、返事が出来なかった。すると、突然その声が大きくなる。

 「なんで開けてくれないの! 何も聞かせてくれないのよ! もう会ってもくれないの!? 私だけ邪魔者扱いなの!? 桜庭さん! 答えてよ!!」

 声と一緒に、ドアを叩く音が大きく何度も響いた。だが彼女自身にそんな気は無いとしても、私にとってその声と音は私を責めるものでしかなかったのだ。逃げることも出来ず、私は自分の腕で身体を締め付ける。

 「本当はまひるがどこ行ったのか知ってるんじゃないの!? 遠場くんと3人で何してるのよ!そりゃ確かに私は、あなたたちとはちょっと距離あったかもしれないけど、まひるの事は私だって心配なの! わかるでしょ?ねえ!桜庭さん!!」

 真剣な声は言葉以上に彼女の気持ちを伝えてくる。それだけに、その気持ちが私には辛かった。

 しばらく経った。大声だった夕凪の声が次第に小さくなってくる。そして口調が落ち着いてきた頃には、ドアのこちら側にかろうじて届く位の声になっていた。

 「……最近、屋上に行くのよ。前よりも寒くなったけど、お昼どきになると何となく行ってみるの。でも…誰も居ない。当たり前だけどさ。」

 私は口を固く結んで聞いていた。夕凪は構わず続ける。

 「コンロ持ち込んでラーメンのお湯沸かしてた遠場くんも居ない。まひるのために箸を半分に折ってあげてたあなたも居ない。あんなに笑ったり騒いだりしてた、まひるの姿も……無い。あそこ、実は結構怖いよね。寒くて風強くて、高くて…さ。ホント、私達よくあんな所でワイワイやってたと思う…。」

 夕凪が話している間、私は何も言えずに壁際でじっとしていた。

 そして、ふと夕凪の言葉が途切れたとき…ドアの向こうからゴン、という音が鳴った。一瞬、夕凪がこぶしを叩きつけた音かと思ったが、もしかしたら額を当てた音かもしれない。
そしてしばらくのち、小さな声が聞こえてきた。

 「香澄〜〜〜。教えてよぉ〜。」

 ハッとする。息を呑む。何か言ってしまいそうになって、思わず両手が自分の口を塞いでいた。懐かしい響きの声。違うと分かっていても私の心はそれを理解してくれない。

 「………………………………………やっぱダメか。まひるが困った時のマネしてみたんだけど…。」

 しばらくして、アハハハハ…、と乾いた笑い声が聞こえてきた。

 「うん、わかってる。私はまひるじゃないもんね。ゴメン、変な事言って。」

 その声にはさっきまでの怒った調子は無い。むしろ少し自嘲気味の声だ。でもそれを聞いた私は、一枚のドアを隔てたこちら側で無言のまま思いきり左右に首を振っていた。まるで子どもが『イヤイヤ』をするように、ギュッと眼を閉じて、口を押さえたまま思いっきり。

 変な事なんかじゃない。そう叫びたかった。彼女の気持ちが、痛いほど良く分かったから。私だけじゃない。彼女もまた、あの声が聞きたくて、たまらないのだ。でも……いま声を出してしまったら、私はきっと、もうまひるを待つ時間に耐えられなくなる。張り詰めた気持ちが切れてしまう。私は必死で気持ちを押さえつけた。

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 そして…少し経って、静かな声が聞こえてきた。

 「ねえ……。」

 その言葉の穏やかさに、私はうつむいていた顔を上げ、ドアに顔を向けた。

 「全部終わったら……教えてくれるんだよね。きっと。」

 ひとり話し続ける彼女の言葉は、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。

 「わかってる。たぶん何か事情があるんだから…香澄の口から言えないのは、仕方ないよね。」

 気が付けば、夕凪はごく自然な言い方で私を名前で呼んでいた。

 「美奈萌…。」

 名前が口をついて出てくる。

 「待ってるから。きっと教えてくれるって思ってるから。だから…、いつか…。」

 そして、ちょっとだけの沈黙が流れたあと、

 「……………じゃあ、ね。」

 というひと言と、それに続いて歩き去る足音がした。

 遠ざかっていく足音に、次の瞬間私は思わずドアを開けていた。

 「美奈萌!!」

 エレベーターの方へ歩いていた美奈萌が、通路の途中で振り返る。

 でも、引き止めるには中途半端な高さに片手を上げたまま、それっきり私は何も言えなかった。

 「あ…。う……。」

 そんな言葉にならない声しか出てこない。眼を合わせることが出来ず、顔が違う方を向く。

 美奈萌は顔だけ振り返った格好で立ち止まったまま、しばらく私を見ていた。だが私が何も言わないとわかると少し微笑み、軽く手を振ってエレベーターホールに消えて行く。

 私はそのまま通路にいたが、結局、1階のエントランスを出ても町へ向かう美奈萌が振り返る事は無かった。

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 美奈萌が見えなくなってからどれ位経った頃か、私は玄関の中に入った。後ろ手にドアを閉め、ドアに背を当てたまましゃがみ込む。…涙が後から後から出てきて、止まらなかった。

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