Tanzanight

『Long way Home』 第四章

4.

 しばらくしてシャワーの音が止むと、風呂場の方から「香澄〜。」と呼ぶ声がした。私は脱衣所そばの廊下まで行き、壁に寄りかかって声をかける。

 「何?」

 「ここのバスタオル使っていいかぁ?」

 「あ〜。はいはい勝手に使いなさい。でもピンクのと黄色いのはダメよ。青い方なら使っていいから。」

 「ん、助かる。それと…、もうひとつあるんだが。」

 突然真面目な声を出してきた透に、何かと思って問い返す。

 「今度は、何?」

 「香澄。男物の着替え、持ってないか?」

 ズッ、と腰が砕けた。

 「持ってるわけないでしょーが!!」

 「無いならこの際、お前のでも構わないのだが…。」

 「貸せるかぁ!!」

 「そうか…、仕方ない。自分の予備を出すか。」

 「持ってるなら最初っから出さんかーーー!!」

 「予備は予備だからな〜。いきなり遠出する事もあるから一応持っておきたいのだが…。ああ、さっきまで着てたの洗うから、洗濯機使っていいかぁ?」

 思わず頭を抱えた。まったく、コイツのペースに巻き込まれるとこっちが疲れる。

 「あ〜もう、勝手にしなさい! まったく、アンタって人は…。人の家に来てるのにお風呂やら洗濯やら遠慮ってもんが無いんだから。まぁ、風邪ひかれても困るから仕方ないけどさ…。」

 相手をするのに疲れ、もう放っておくことに決めて居間に戻る私に、背中から声が追いかけてきた。

 「香澄〜。洗剤はどこだ〜?」

 「すぐ上の棚!見えるでしょうが!」

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 「……だいたい私が居なかったらどうするつもりだったのよ。これでも時々、買い物くらいには出かけてるのよ?」

 クッションに座って紅茶を飲みながら、私はお風呂から上がってきた透に言った。

 実際のところ最近は前にも増してめっきり外出することが減ってきていた。まひるに会えなくなってからというもの、だんだん体の中にある気力の最大値みたいなものが減ってきている気がする。

 眠っても、休んでも、身体の芯が変にだるくて何もする気が戻って来ない。部屋にいるときはずっとまひるとの思い出を想い続け……、透が来たときだけ、前みたいに騒げる私が戻ってくる。

 「今まで留守のときは出直してたんだが…。そういや雨の時は来た事なかったな。」

 風呂場から出てきて私の前であぐらをかいて座った透は、重ね着したシャツと薄手のズボンに着替えていた。こういった着替え用の服を一式持ち歩いている辺り、準備が良いというか旅慣れているというか。

 「とりあえず、助かった。シャワー浴びたら落ち着いた。」

 そう言って透はペコンと頭を下げる。それを見て、思わず「どういたしまして」と私が頭を下げようとした寸前……透は頭を上げた反動のままゴロン、と仰向けに寝転がり、足を投げ出した。

 「……あんたね。人の家に来ていきなりそんな態度とる? 普通。」

 白い目で睨む私。ハタから見てどんな顔をしているかはこの際気にしない。

 「そう言うな。ここ数日は忙しくて、ろくに休む暇も無かったんだ。少しくらい多めに……見てくれ……。」

 「まったく。あんたって人は。」

 その傍若無人ぶりにやれやれと首を振った私だったが、ふと見ると、透は寝転がったまま既に寝息を立てていた。

 「まったく…あんたってひとは…。」

 苦笑混じりにもう一度そうつぶやきながらも、私はタオルケットを持ってきて透にかけてやった。

 そして改めてその顔を覗き込む。初めて見る透の寝顔は、いつものとぼけた顔とも違う、どこか穏やかな表情だった。

 その様子に、透でもこんな顔するんだな……と思ってしまう。

 寝ている透の表情はあまりにも涼やかで、あの行動力はどこから出てくるのだろうと不思議なくらいに無防備だった。そして、その寝顔は私が今まで見ていたどの透とも一致しない。

 ずっと引っかかっていた。いつも学校で見ていた、あの浮世離れしてつかみ所の無かった透が本物なのか、それとも、あの夜にプエルタで見せた驚異的な行動力が本当の透なのか……。まひるがいなくなってから生活が一変してしまった私にとって、ただでさえそれ以前の記憶はあやふやで……。そう、全て誰かに聞いた物語なんじゃないかという気さえしているからなおさらだ。

 でも、この寝顔を見た今となっては…それもどうでも良くなってしまった。

 私はしゃがみ込んでいた体勢のまま、顔を上げて窓に目をやった。さっきまで外の景色を映していた窓の外はもう暗くなっていて、今は部屋の光景が映りこんでいる。かろうじてわかる窓の外には時折り激しくなる風で雨粒が叩きつけられていた。

 「今日は帰れない…、か。」

 やれやれ…とため息をついて、私は膝を崩してその場に腰を下ろした。

 「仕方ないよね、追い出すわけにもいかないし。通路でずぶ濡れになったのは……、一応、私にも責任があるんだし。」

 そう口に出して言ってみる。誰かに向けたわけじゃない。自分を納得させるためだ。いくら私でも、さすがに同年代の男とひとつ屋根の下で一夜を過ごすなんてこと、平気なわけは無い。

 それでも、実際に口に出してみることで少しは落ち着いた。

 同時に昔のことを思い出す。そういえば…まひるも私の家に泊まった事があったっけ。もっともあの頃は男だなんて思いもしなくて、ただの可愛い女の子だと思っていたから出来たことだけど。

 あの時も夜中までわいわい騒いだな〜。それであのコがコテンと寝ちゃったから私が小さな身体を布団まで運んで寝かしつけて……。

 と、そこまで思い返したところで、あの夜まひると一緒にお風呂に入った事も思い出した。一瞬で顔が真っ赤に熱くなったのがわかる。私は考えるのをやめて両側の頬を手のひらで軽く叩くと、窓の外を眺めて深く深くため息をついた。

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 窓に当たる雨の音が小さくなってきた。

 しばらくぼおっと外を眺めていた私は、視線をすぐ傍の寝顔に移す。

 「やっぱり、ちょっとやつれたかな…。」

 間近に座って眺めると、さすがの透の顔にも疲れが出ているのが分かった。目の下には薄くクマが出ているし、頬も少しこけている気がする。

 あの夜まひるが居なくなってから、透は文字通り休む間もなく探し続けていた。

 それは普通なら既に執念と呼ぶに近いものなのだろう。でも、やっている透自身はそういったところを微塵も見せようとはしなかった。いつも通り何を考えているのか判らない顔をして、いつも何かを考えている。そう、普通の人間ではとても思いもつかないようなことを。

 そうやって、自分の持つ全ての情報網やツテを使って情報を集め、自分でも歩き回って調べ続けて……。今なら分かる。もし彼の知識が、行動が、そしてその人脈が無ければ、私達の運命なんてプエルタの夜で既に終わっていたのだ。それも…いとも簡単に。

 そう思い至って、改めてこの透という人物の奥深さを知った気がした。このひょうひょうとした顔で、それでいて誰にも真似できない行動力で。あの時見た透は、それまで私が知っていた透の枠に収まるような人ではなかった。それを、私はあの夜に思い知らされた。

 もしかしたら、この男なら本当にまひるを見つけてしまうかもしれない…。そう自然に思っってしまった自分に驚き苦笑する。

 「こんなにとぼけた顔してるのにね…。」

 私は手を伸ばし、眠っている透の額にかかっていた彼の前髪をよけた。汗をかいているのか額に張り付いた髪は少し濡れていた。でも気にせず、そのまま前髪を上げるように何度か彼の頭を撫でる。次第に、どこか少し荒かった寝息が穏やかになっていくのを感じた。

 私はハンカチを出して透の額の汗を拭き、またもう一度、頭を撫でた。

 外からはもう、月の光が挿していた。

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 次の朝起きると、既に嵐は遠くに去っていた。

 外には穏やかな風が吹き、そろそろ春が近いことを教えてくれている。

 結局透は一晩床で眠ったあと、朝早くにまた出て行った。

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 今朝私が起きて寝室から出て行ったときのことだ。ちょうどその時、透は居間の真ん中に座ってかばんから出した何枚かの大きな写真のようなものを床に広げているところだった。そばには丁寧に折りたたまれたタオルケットと毛布が重ねてある。

 居間に入った私に気づき、透は片手を上げて私に声をかけてきた。

 「よお、起きたか。」

 「おはよ。…早いのね。」

 「ん〜。おかげさんでよく眠れたからな。香澄もかわいい寝顔だったぞ。」

 ピシッ、と私の身体が硬直した。それに気付かず、写真を広げる手元を見て話しながら顔を上げる透。

 「ああ、安心しろ。手は出していないから…。って、うわぁぁ!!」

 「…少しでも手ぇ出してみなさい…。死んだ方がまし!!!!ってくらいぶっとばしてあげるから。」

 その時透の顔に浮かんだ表情は、あの天使と対峙した時にさえ見せなかったくらいの恐怖だったと思う。

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 「と、とりあえず…、今までで一番の成果がこれだな。」

 シャワーを浴びて戻った私に、透はそう言うと一枚の大きな紙を差し出してきた。そこにあるのは大きく広がる森の写真。…というより森しか見えない。

 「これが…どうしたの?」

意味がわからず聞く私に、

 「こっちの全体写真が元々の撮影範囲で、この四角で囲まれた部分を拡大したのがそれだ。真ん中あたりに白いのが見えないか?」

 そう言って、透は手元の写真を指差した。言われてみれば、こっちの写真には中央に小さく何か白いものが見える。

 「まだはっきりとは判らないが…。どうやら、鳥にしては大きいらしい。」

 ふ〜ん、と曖昧にうなずく私に、透は無意味に緊迫した表情をしながら続けて言った。

 「そしてそいつの話によるとだな、もしかしたら、これは片翼なんじゃないか。ということなんだが。」

 「片翼……って言うと羽が片方!? まひる? ひなた? え?そうなの!?」

 「そう慌てるな、まだわからん。分析は依頼してあるから、今はまだ待つしかない。なかなか期待は持てそうだがな…。」

 透になだめられ、何とかすっかり慌てていた状態から落ち着きを取り戻すと、私は気になっていたことを聞いた。

 「でも片翼って…、飛べるの?」

 まひるが空に消えた時の事を思い浮かぶ。でもアレは『飛ぶ』と言えるものではなかった気がする。

 透も同じ光景を思い出していたのだろう。すこしだけ渋い顔をした。だがすぐその表情を消して言う。

 「まあ、それも含めてまだわからんのだ。だが…、何となくまひるらしいといえばらしい気もしないか?」

 「こんなトコをふらふら飛んでるとこ?片っぽの翼だけでよたよたしてるとこ?それとも、こんな形で私たちに見つかっちゃうとこ?」

 「ま、だいたいそんなトコだ。」

 どことなく楽しそうな顔で答える透。それを見て何故か私も嬉しくなり、改めて写真を眺めた。

 「でもこんな写真よく撮れたわね〜。航空写真って、こんなに広いところもキレイに写せちゃうんだ〜。」

 「いや、それは前のとは別クチだ。軍事衛星の衛星写真。」

 さらっと透が言う。

 「軍…事、衛星!?」

 「そ。某軍事大国のな。もっとも、別の場所を狙った写真から部分的に切り出したものだから画質はあまり良くないが。そこだけを狙ったんなら羽根の一枚一枚までくっきり写せたんだろうが…。」

 残念だ、と首を振る透。だが私はどこか嫌な予感がしていた。

 「ねぇ、本来撮ろうとしてた別の場所って、ドコ?」

 「敵対してる某国の軍事基地〜♪」

 いつもの調子で平然と言い放つ。

 「ちょっとアンタ! そんな写真どっから手に入れてんのよ!?」

 「安心しろ、まひるの写ってる場所は基地からかなり離れてる。」

 「そーゆー問題じゃない! そんなの簡単に手に入るもんじゃないでしょ?どっから持ってきたのかって聞いてるの!!」

 思わず透の襟元につかみかかる。

 「決まってるだろ、裏ルートだ。」

 含みのある笑みを浮かべて透が言う。

 「裏ルートって、あんたどうやって…。」

 「ふっ、秘密だ。」

 両手をあげて知らん顔。

 「またそれかアンタわ!!」

 襟元をつかんでぶんぶん振りながらつめよる私だったが、がくんがくんと頭を振られながらも透のすっとぼけた顔は変わらない。

 「し、しし、心配するな。知り合いのツテで手に入れただけだ。危ない橋を渡ってるわけじゃ、ななな…、ない。」

 そう聞いて、「そう…。」と私が手をゆるめかけた時、透は横を向いたままボソッとつぶやいた。

 「…俺はな。」

 ニヤリと笑みを浮かべる透の横顔。

 「アンタってやつはぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 もう一度しっかり、今度は首筋をつかんで思いっきりぶんぶん振ってやる。結局、透はフラフラしながら「じゃ、行って来る。」と出て行った。

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 その日一日、私は久々に軽い気分に浸ることが出来た。

 思ったより早くまひるが見つかるかもしれない。やっぱりまひるはいたんだ。どこか知らないけれど深い森の奥で。近くに基地があるなんて少しも気づかずにアチコチふらふらしてるんだ。まひるらしいと言うかなんと言うか…。帰ってきたら何言ってやろうかな。…いきなり「バカ!」かな。「心配させて…。」かな。やっぱり「まひるぅ〜〜。」って抱きつくのが一番かな。どうしよ〜かな〜。あ、まひるってにぎやかなの大好きだからパーティー開いたら喜ぶかな?食べ物たくさん用意して。あのコお肉好きだもんね〜。…となると来るのは…まひると、ひなたと、私と透。美奈萌も心配してるだろうから呼ぼうかな。ん、でもそうなると羽は隠さなきゃいけないのか?5人中2人が大きなリュック背負ってるパーティーってどんなだろう…。その妙な光景を想像したら、自然と笑みまでこみ上げてきた。実際のところあまり気がせいても仕方ないのは分かっているのだが、どうしても気分が浮かれてしまう。でもパーティーか…。いいな〜。

 私はその日一日日暮れまで、そんな風にまひるが帰ってからする事やパーティーの飾りつけを考えながら過ごした。

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 だが、その夕方、透は肩を落として帰って来た。

 「すまん。間違いだった。」

 明らかな失望の色を漂わせている。朝のたわけた様子からはわからなかったが、実は透もかなりの期待をしていたらしい。私も同じだった。今日一日浮かれて軽くなっていた分の身体の重みが、今になって一気に肩にのしかかってきたような気がして、身体も気持ちも沈んでいった。

 「信頼できるヤツだったんで真に受けたのがまずかったのかもしれんが…。変に期待させてすまなかった。限界まで拡大して画像処理したら、正体が判った。」

 居間に座った透は、肩を落としたままそう言った。

 「…違ってたの?」

 「珍しい種類の鳥だそうだ。片翼に見えたのは旋回しているところだったからだろう、だとさ。馬鹿馬鹿しい!」

 イラついている。透が言葉にそのまま感情をのせて話すのは珍しい。いつもとは違ったその反応に、疲れ過ぎなんじゃないかと私は心配しかけた。が、

 「おまけに『怪人ハッピーフランソワ』め、散々期待させるようなこと言っておきながら「勘違いしただけで俺に責任は無い」とかぬかしやがって!『全宇宙阿波踊りパラダイス』の時に地球代表の座をゆずってやった恩を、よくも仇で返してくれたもんだ!!こうなったら夏の『裏通り主催 怪談流しソーメン大会』では眼に物見せてくれる!……って、電話か。はい、こちら『ふさふさコリンズぅ』!」

 ……いつもの透だった。私は一層、肩がずんと重くなった気がした。

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