はじめに

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僧が問うた。犬にも仏の性がありますかと。 和尚が答えた。「無」と。

、聞いたことがある人は多いでしょう。海外でも有名です。
でも、禅問答というと、わからないことの代表みたいに思われていませんか?

無門関は、 禅のテキストの中では一番有名なものの一つですが、その第一則はこれだけです。
第四則は「達磨には何故髭がないのか」、第七則は「お粥を食べたら食器を洗いなさい」 ? ? ?

、とは何だかかっこいいことのようです。
白い砂と石、黒々と墨が踊る掛け軸、日本建築の美が凝縮された禅寺、
そこには何かがありそうです。何か面白いことがありそうです。

私は無門関の不思議な面白さの虜となり、その内容を理論的に理解しようとしました。
これは私の20年に亘る謎解きの結果です。

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無門関の全四十八則は、800年前に一人の和尚が様々な書物や語録から選び出したものです。
猫を斬ったり、草鞋を頭に載せたり、水差しを蹴倒します。
仏とは何かと問われ、乾いた糞かきへらだ、と答えます。
平常心とは何かと聞かれ、平常心であろうとすることが平常心ではない、と言います。

安心、 それは強固な宗教を持たない日本人が、長い間求め続けてきた「心の安らぎ」だと思います。
禅はその日本人の心を捉えてきたのでしょう。

しかし、これは宗教のページではありません。
無門和尚の課題を、ビジネスから自然科学、バイオスフィアからクローン、不確定性原理から無量宇宙、 最新のテーマと理論をあてはめ、禅の公案を判りやすく、筋道立てて解釈しようとしたものです。


とは何か、仏性とは何かという問いは、自分とは何か、この世とは何かという問いでしょう。
無門和尚は無門関の全則でそれを追求し、最終第四十八則で答を示している、と思います。
それを解き明かす鍵を無門和尚は並べて見せてくれました。

のない関所、無門関の世界を理論的に楽しんでいただき、
現代の心の安らぎを見出していただければ光栄です。