エキノコックス症について

 

 エキノコックス症とは,サナダムシの仲間(条虫)であるエキノコックスが人へ感染することによって引き起こされる病気です。世界的に重要なエキノコックスには2種あり、単包条虫(学名はEchinococcus granulosus)と多包条虫(Echinococcus multilocularis)がそれにあたります。日本,特に北海道で問題となっているのは多包条虫です。多包条虫は人へも感染することがあり、重篤な疾病を引き起こします。以下,多包条虫について解説しますが,日本では多包条虫よりもエキノコックスと言う名前の方がよく知られているので,本稿では,多包条虫のことをエキノコックスとして説明します。

 

 多包条虫(エキノコックス)は本来キツネと野ネズミの間で伝播する寄生虫です。寄生虫が一つの世代を全うする過程,例えば,ある親虫(成虫)から次の世代の親虫になるまでの過程を”生活環”と呼びますが,図1に示すようにエキノコックスの生活環では,1)虫卵,2)幼虫,3)成虫の3段階の過程が必要になります。さらに,幼虫と成虫はそれぞれ異なる種の動物に寄生し,エキノコックスは動物の捕食者-被捕食者関係(たとえばネコとネズミのような喰うものと喰われるのもの関係)をうまく利用して生きています。それでは,エキノコックスの生活環と「なぜエキノコックスが問題なのか」について細かくみていきましょう。

 

エキノコックスの生活環(図12参照):

 エキノコックスの虫卵は感染した肉食獣(キツネや犬など)の糞便に出て、周囲の地面や水に混ざったりや植物等に付着します。この虫卵は埃、食物や飲水などとともに動物に食べられるわけです。虫卵を食べたからといって全ての動物が感染するわけではありませんが,虫卵を食べて感染した場合,その動物の体内,とくに肝臓には幼虫が育ちます。このように幼虫に感染する動物のことを中間宿主と呼びます。エキノコックスの中間宿主で最も重要な動物は野ネズミですが,野ネズミが虫卵を食べた場合には,虫卵は小腸内で孵化して,小腸から肝臓へ移動し,肝臓に多包虫と呼ばれる幼虫組織を作ります(※エキノコックスの幼虫型をとくに多包虫と呼びます)。多包虫は小さな袋がいくつも繋がったような形で発達していき,やがてその中に繁殖包と呼ばれる新たな袋が形成され,さらにその内部に原頭節と呼ばれる構造が作られます。このように,多包虫は非常に複雑な構造をしています。

 この多包虫に感染した野ネズミを犬やキツネなどの肉食獣が捕まえて食べると感染します。成虫に感染する動物を終宿主と呼びます。寄生虫は犬やキツネの小腸内で成虫となり,発育,成熟して虫卵を作ります。虫卵が犬やキツネの糞便に出るようになるのは,感染後約1ヵ月ほどしてからです。成虫の寿命は2-4ヶ月程度と推定されています。これがエキノコックスの生活環で,エキノコックスは自然界では,おもにキツネと野ネズミに,それぞれ成虫と幼虫が寄生して生活を営んでいます


  

 

人における感染:

 人は虫卵を何らかの理由で食べてしまうことによって感染します。人が虫卵を食べると野ネズミと同じように体内(主に肝臓)に幼虫(多包虫)が発育します。したがって,人は中間宿主と言うことになります。あり得ませんが,仮に人が感染した野ネズミを食べたとしても,人に成虫が感染することはありません。人は終宿主にはならないのです。また,人から虫卵が出ることはないので,たとえ密接な接触があっても人から人へ感染がうつることはありません。

 多包虫が人に感染した場合,強い病原性を発揮します。人の肝臓で多包虫はゆっくりと発育していきますが,多包虫が小さな間はほとんど病害がありません(数年間は無症状で経過します)。しかし,数年から十数年の時をかけて多包虫が大きくなると肝臓の障害が起こり,腹部膨満感,腹痛,発熱,貧血,黄疸や腹水貯留などの症状が出てきます。放っておくと,肝機能不全となるばかりでなく,多包虫が他の臓器に転移し,各所で障害が出て,死に至ることもあります。

 さて,人に対する治療ですが,現在,薬剤のみで完璧に治療することはできません。人での幼虫感染では外科的な切除,すなわち手術によって多包虫を取り除くことが必要です。外科的切除は,多包虫がまだ小さい時期であれば可能ですが,多包虫が大きくなったり,他の臓器へ転移したりすると非常に困難になります。したがって,できるだけ早期に発見することが大事になります(人の検査について(補足2)参照)。

 

日本の現況(北海道):

  エキノコックス症は日本においては北海道のみで流行していると考えられています。北海道では,2004年度までに累計482人の患者が確認されており,毎年20名前後の新規患者が報告されています。

 北海道で初めて患者が見つかったのは礼文島で,1937年です。千島列島から同島に移入されたキツネが持ち込んだものと思われています。それ以降,1960年代まではエキノコックス症の発生は礼文島に限られていましたが,1965年に道東で患者が見つかったことに始まり,北海道各地で感染動物あるいは患者が見つかりだし,現在では北海道本島全域がエキノコックスの汚染地域となっています。さらに,1980年頃からキツネの感染率も徐々に高くなり,最近10年間の感染率は40%前後を推移しています。したがって,以前より流行が活発になっており,住民への感染の危険性が増えていると言えます。

 さらに,飼い犬からも感染が見つかっています。犬は終宿主となり虫卵を出すため,犬の感染は人にとって非常に危険です。1997年から2004年までの間に検査希望者の飼い犬を対象に調査した結果では,3,688頭中10頭(0.3%)の感染が確認されています。さらに,少なくともあと14頭は感染の疑いがあり,そのうちの5頭は感染の疑いが非常に高いと言う結果が出ています。これらがすべて感染していた場合には感染率は0.7%になります。この調査は検査希望者の飼い犬を対象としているため,この結果を必ずしも全体に当てはめることは適当ではありませんが,北海道の登録件数は約26万頭であり,非登録犬を合わせると40万頭ほどいると考えられるため,計算上は約1,0002,600頭の感染犬がいることになります。実際の感染頭数については慎重に評価するべきですが,少なくとも北海道に感染犬が相当数いることは確実のようです。

 

日本の現況(北海道以外):

 道外においても80名ほどの患者さんが報告されていますが,その多くは北海道に住んだことのある方です。しかしながら,その中には北海道や海外流行地での滞在歴のない方も含まれています。この方たちがどのように感染したのかはわかっていません。動物では,ブタや犬の感染が本州で報告されています。ブタは人と同じように中間宿主となるため,虫卵を食べて感染します(図1)。感染したブタは北海道から移動したとは考えにくいため,一時的にせよ,その豚舎の周りに虫卵を出していた動物がいたと考えられています。犬の感染は現在までに2頭確認されていますが,1頭は北海道から移動した犬であり,もう1頭もおそらく北海道からの移動犬であろうと考えられています。これら以外にも,3頭,確定までには至りませんが,感染の疑いがあるものが報告されており,いずれも,北海道で飼育中,あるいは,旅行などで一時的に北海道に犬を連れて行った時に感染したのではないかと思われています。このような報告があるため,本州では野生動物の調査が行われましたが,エキノコックスは検出されず、まだ本州での定着(野生動物の間での流行)は確認されていません。動物の移動に伴って北海道からエキノコックスが本州に持ち込まれ,そこで流行することが危惧されています。

 

犬における感染:

 キツネと同様に、犬は多包虫に感染した野ネズミを食べて感染します。キツネから直接感染することはありませんし、虫卵を食べても、感染しません。

 犬が野ネズミを食べる機会はその動物の飼い方により違います。完全に室内でのみ飼育されている犬は野ネズミを食べる機会はありませんが、散歩の途中などで野原や山林近くで鎖を放したりすると、野ネズミを食べる機会があります。特に,自然の豊かなところではキツネや野ネズミも生息していることが普通です。このような地域での犬の放し飼いは最も危険です。

 犬は小腸に成虫が寄生しますが,成虫の病原性はほとんど無く、たいていの場合無症状です。まれですが,普通の固形便に加えて、粘液の塊を排便したり、下痢をすることがあります。エキノコックスの成虫が糞便とともに出てくる例もありますが、成虫は非常に小形(長さ1-3mm程度)の白色の虫体で、顕微鏡で観察しないとわかりません

 感染しているかどうかを知るには,獣医さんを介して,専門機関へ検査を依頼することができます。ペットの糞便を 5-10 グラム送付するだけで検査可能です。飼い主さんの知らない間に飼い犬がエキノコックスに感染して虫卵を出していると,飼い主さん本人やその家族にとって非常に危険です。ちなみに,幼虫に感染した人の場合とは異なり,成虫に感染した犬に対してはよく効く駆虫薬がありますので,たとえ犬が感染していても完全に駆虫することができます。

 飼い犬の感染予防や感染していた場合の対処法など,詳しい情報が,北海道大学・大学院獣医学研究科・寄生虫学教室のホームページ(http://133.87.224.209/index.html)に掲載されておりますので,参考にご覧ください。

 

エキノコックスにかからないようにするには(個人的対策)

 人は虫卵を食べて感染しますが,具体的にどのように感染するのか,詳しいことはいまだにわかっていません。したがって,虫卵が口に入らないようにするにはどうすればいいのか,感染ルートをいろいろと予想して,その予想ルートそれぞれに対処するしかありません。

 まず,水や食べ物からの感染が考えられます。キツネのいるような場所の沢水や設備の悪い井戸水は飲まない,あるいは一度沸騰させてから飲む。生で食べる野菜や果物などはよく水洗いしてから食べる。とくに山菜などはよく洗う必要があります。

 次に,埃などにまみれて虫卵が偶然口に入って感染する可能性も考えられます。山菜採りやハイキング,農作業など,キツネのいるような場所で活動した後は,うがい,手洗いを励行する。キツネの多い場所で作業した場合には,靴洗いや作業着の着替えを行いシャワーを浴びるなど,普段から心がけることが大事です。

 また,キツネを居住地に近づけないことも対策の一つとして挙げられます。キツネが寄ってくる生ゴミや畜産廃棄物など適切に処理する必要があります。

 犬の飼い主さんは,自分の犬が野ネズミを食べる機会がないように飼育管理を行う必要があるでしょう。番犬や猟犬など,野ネズミを食べる機会をなくすことができないような場合は,定期的に駆虫薬を与えるというのもいい方法だと思います。

 最後に,人の感染は発見が遅れると重篤化します。犬の感染は発見が遅れるとそれだけ虫卵を出します。したがって,人も犬もエキノコックスにかかっている可能性のある場合は,早急に検査を受けることが大切です。

 

ネコにおける感染について(補足1):

 あまり大きく騒がれておりませんが,実は,猫も,感染した野ネズミを食べることによってエキノコックスに感染します。ただし,後述するように,猫から虫卵が出るのはあまり多くないと考えられています。

 猫はエキノコックスに感染しても,通常無症状です。小腸内に成虫が寄生しますが,エキノコックスにとって猫の腸内環境は良くないため,その発育は悪く,虫卵を作って猫の糞便中に出すことはまれと考えられます。北海道庁による猫の調査(91頭検査)では5(5.5%)が感染していたことが報告されていますが,いずれも虫卵は出ていません。我々も北海道の猫401頭の検査を実施しましたが,現在までエキノコックス虫卵を出している猫は見つかっていません。また猫への実験感染を行っても虫卵が出たことはありません。しかし,ヨーロッパでは虫卵を出している猫が見つかっており,日本においても感染猫の一部は虫卵を出す可能性があると考えられます。猫についてはまだ調査数も少なくデータが不足しており,人への感染源としての危険性についてはまだ不明といったところです。

 

人の検査について(補足2):



 現在北海道の各市町村の保健所では、住民のエキノコックス血清検査を無料で実施しています。感染したペットの飼い主や接触のあった人には血清検査を受検されることをお勧めします。感染後すぐには抗体価が上昇していないことが予想されますので、しばらくして血清検査を再度もしくは定期的に受けることが重要です。保健所の担当の方に相談される事をお勧めします。

 北海道以外に住まれている方は,まず最寄りの病院に相談し,その病院から北海道立衛生研究所疫学部血清科まで連絡してもらって,血清検査を依頼することができます(有料)。

 

犬・猫の検査について(補足3):

 一般の小動物病院でも簡単な虫卵検査(糞便中に出された虫卵の検出)は実施できます。しかしながら,エキノコックスの虫卵は他の近縁な寄生虫の虫卵と区別できず,エキノコックス様の虫卵を見つけたからといって,すぐにエキノコックスと断定はできません。専門機関で検査してもらう必要があります。国内では合同会社・環境動物フォーラム(http://www.k3.dion.ne.jp/~fea/)が唯一のエキノコックス検査の専門機関で,獣医さんを通して検査を依頼することができます。感染動物が見つかった場合の対応を考慮し,一般の飼い主さんからの直接の依頼は受けておりません。必ず獣医さんを介して依頼する必要があります。

 

エキノコックスと法律(補足4):

 エキノコックス症は平成11(1999)41日 より施行された感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)で、四類感染症に分類され、医師がエキノコックス症の患者を診断した場合,都道府県知事に報告する義務ができました。その後,動物由来感染症における獣医師の責任が強化され,この感染症法を改正し,200410月から獣医師によるエキノコックス感染犬の届け出制が施行されました。20051月には早くも初の届け出がなされ,現在までに5例(北海道4例,埼玉県1例)の報告があります。

 

おわりに

 エキノコックス症に対しては法律が整備され,ヒトの患者と感染犬の発生状況が把握できるようになりました。しかしながら,これだけではエキノコックス対策は完結しません。北海道に蔓延するエキノコックス症を抑え,さらに,道外へ広げないためにどうすればよいのか,これからも検討を続けていかなければなりません。法律の整備はエキノコックス対策の第一歩にすぎません。これまで我々は北海道の野生ギツネの駆虫を試みてきました。駆虫薬入りの餌を定期的に散布することによりかなりの成果が上がっています。エキノコックスを撲滅できるのか,あるいは私たちが感染予防に徹することで共存の道があるのか,まだまだ課題はいっぱいありますが,最善の道を模索しながら,今後も人と動物の福祉と健康について考えていきたいと思います。