賢信の戦った日々

入院中のことを日記のようにしてつづっています。
この中のことはあくまでも私の記憶です。
かけられた言葉などはあやふやです。
相手はそんな意味で言ったのではないかもしれませんが、
私はそう感じたというのもあります
2002/07/31    賢信誕生
我が家の賢信は4人目にして初めての男の子です。
子供は沢山欲しいと思っていましたが、賢信を妊娠したのは予定外でした。
計算からしても かなり排卵が送れていたことになります。
 5ヶ月の時に男の子と診断されました。素人の私がみてもはっきりとわかるくらいうつっていました。
嬉しかったです。予定日は8月20日。
 しかし、その途端引っ越しが決まりました。
時期的に主人が多忙な時期だったと言うこともあり 梱包はほとんど一人でやりました。
慣れない土地、前は沢山知り合いがいたのに 全く誰も知らない。主人お帰りも遅い。その上 下の階からはうるさいと苦情が来る。
ほとんど鬱になりました。外へ出ていくのが大好きだった私は あまり外へも行かなくなりました。
イライラして 子供にあたる。そして後悔する。そんな繰り返しでした。
7月31日 この日は主人と長女の誕生日です。
明日産まれればいいなあと言いながら寝た私は 明け方 破水していることに気が付きました。それと同時に3分間隔の陣痛。「アカン!はよ行かな間にあわん。」
主人を起こし、眠そうな子供と病院へ向かいました。空けたばかりの静かな町並を覚えています。
出てくるとやっぱり男の子。心なしか声も低い。授乳の度にオムツの中を覗いては「男の子だあ」と実感しました。
退院後もおむつを替えるとき 恥ずかしいやら どうかえていいのやら、男の子を持つ親に話を聞いては「なるほどー」と感心していました。
 今まで女の子は「わからん」と言ってあまり名付けに興味のなかった主人が初めて「賢」と言う字をつけたいと言いました。
 字画などを考慮して 賢信 と名付けました。
 賢信は黄疸がかなりキツクでました。早く産まれたせいでしょうか。何度も病院に行ってビリルビンの数値を調べました。
 1ヶ月健診の時 数値があまり良くないので大学病院を紹介されました。
 大学病院へ行くと母乳性と言うことが判明し、2日ほど母乳を控えることで かなり改善されました。
 賢信はよく泣く子でした。泣いているか、おっぱいにぶらさがっていました。
いつ寝るの?と聞きたくなるほど。寝たと思っておろしても すぐになく。寝るときも私が腕枕をしていないと駄目な子でした。
 とにかく私の後をつけ回します。台所に立っていると足にしがみつき 何度もズボンを脱がされました。
 でも そこは4人目。こちらも余裕がある。可愛い可愛い泣いても可愛い。
「ほんまないてばっかり〜」と言いながらも抱っこするのが嬉しかったです。
ハイハイも勇ましく、ペタッペタッと音を立てながら 私の方に突進してきます。
 持った物はあちこちにゴンゴンぶつけます。「こらっ」と怒るとニヤアと笑いながら また、ゴンゴン
机の上の物は全て下に落とす。ティッシュは全部出す。特にお尻ふきはお気に入り。
とにかくじっとしていない。私が抱っこしていても、ワサワサ動く。私から少し離れてイタズラしてすぐに私の所に帰ってくる。
お姉ちゃん達には王子様と呼ばれていました。
王子様はとても可愛がられました。
 ブラシを持つと髪の毛をといでくれるのですが、それが叩くようにとぐのでとてもいたいんです。
しかし、お姉ちゃん達は誰がといでもらうのかを争っていました。
 賢信も良く心得ていて、あまり無茶をしない長女には絶対の信頼を置いていました。
 逆に可愛がっているつもりだろうけど無茶をする3女が近付いてきても顔を背けていたし、3女が抱っこをすると怒っていました。信用がなかったようです。
 つかまり立ちもかなりうまくなりました。
タッチ、お歩きはまだでしたが、長女も遅かったしそんなに気にはしていませんでした。
 誕生日を間近に控えたある日 いきなり昼のおっぱいがとれました。
ご飯も沢山食べてるし 断乳しようかあ。と断乳決行。意外にすんなりとれました。
その1週間後の出来事でした。
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Last updated: 2008/3/16