賢信の戦った日々

入院中のことを日記のようにしてつづっています。
この中のことはあくまでも私の記憶です。
かけられた言葉などはあやふやです。
相手はそんな意味で言ったのではないかもしれませんが、
私はそう感じたというのもあります
2003/07/26    突然
その日も朝から38、4度の熱。
しかし、我が家の子供達はみんな熱というと39度以上が当り前。賢信も過去に2度39度以上を出したことがある。
嘔吐下痢の風邪が流行っていると聞く。ヘタに病院行ってうつるのも嫌だ。
 昼からは幼稚園の夏祭りの手伝いも行かなければいけない。それまでにしないといけないことは沢山ある。食欲もあるし、目も開いている。もう一日様子診てみよう。と思い病院へは行かず。
家で用事をこなす。
 13時過ぎ お姉ちゃんのご飯まで取ろうとして怒られる。食欲は旺盛。
 14時 台所でボーっとしている賢信を見つける。「あんなところで寝ようとしている」とビデオを回す。しばらくボーっとした後、私の方に泣きながらハイハイしてくる。のんきな私は「またくるの〜来なくていいよ〜パパの所へ言ったら?」と言っている。
 その後ウトウトと眠り始める。が、そこへ賢信の大好きな婆ちゃん(私の母)がやってくる。
賢信は声を聞いて飛び起きる。賢信は本当に婆ちゃんが大好きで、婆ちゃんが来るとずーっとひっついている。長女達が婆ちゃんに近付くと怒るし、私の所へはおっぱいを飲みに来て、飲み終わると「おまえに用はない」と言わんばかりに婆ちゃんの所へ行く。
 そして15時頃婆ちゃんに抱っこされ スイカを食べていました。
 15時半に私は幼稚園へ向かいました。
 16時に上の子供たちと婆ちゃんが幼稚園にやってきました。賢信はパパとお留守番です。
 18時半頃 バザーを終えて、家に帰ると 主人が賢信の足を押さえつけていました。
「どうしたん?」「いやウンコがとまらへんねん」
 賢信は普段から便秘気味でした。3〜5日便秘して、一気に大量のウンコを出すというのを繰り返していました。臭いも凄いし、ウンコを出すときも苦しそうで、足を持ってやらないとウンコが出ないので病院と保健所に相談していましたが、異常はない様子を見てと言われていました。
 だから、「あ ウンコでたんや。良かった」位に思っていました。主人と足を持つのを変わりました。足は熱くはありませんでした。
そろそろ終わりかと思い、おむつを替えようとした途端、ウンコが出てきて私の足につきました。婆ちゃんと交代し、着替えていると「ちょっとおかしいで」ど声がします。
 なんとなくただならぬ空気、薄暗くなってきた部屋の電機をつける手が震えます。
電気をつけるとぐったりとした賢信が婆ちゃんに抱っこされています。
「熱が42度ある!」
 慌てて、お茶を持ってきてとにかく飲ませました。ごくっごくっごくっ 凄い勢いで飲みます。
 どうしよう!救急車!いや、大阪で救急車を呼んでも大きい病院には連れていってくれない。行って、この近辺で評判の悪いあそこの2次病院だろう。それでは駄目だ。よし、とりあえずかかりつけの病院へ電話して そこから頼み込んで脅迫してでも大きい病院へ連れていってもらおう。
 私がこう考えたのは 小さないのちという会が講演を開いたというニュースをみたのがきっかけでした。病気で子供を亡くした親の会。救急車を呼んだのに搬送先がない等小児救急の向上を訴えると言う内容でした。私はそのニュースを見て、ネットで調べ、そこの代表の坂下さんと連絡を取って 昔住んでいた近所のサークルに講演に来てもらったことがあるのです。その中で、救急車を呼んでも適切な病院へ行くとは限らない、大阪では1次2次3次病院と分かれていると言うことを知ったのです。
この判断が良かったかどうかはわかりません。しかし、私は今となっては良かったと思っています。
かかりつけに電話すると「小児科医はいないから42度もある子の対応ができない」と断られました。土曜日の夕方。診てくれる病院は思い当たりません・・・
黄疸のとき診てもらった大学病院へ行こうか。イヤ 遠いし、診てくれるとは限らない。アウトだったら次行くところに困る。そうだ、公園で聞いた病院がある。そこは近いし、前を通りかかったときは大きい病院だった。小児科があるかどうかわからないけど行ってみよう。
 上の子を婆ちゃんに任せ 主人と車を走らせます。暮れかかった町を主人がものすごいスピードを出すので怖かった記憶があります。
病院へ着き、「熱が42度あるんです!」と叫びました。保険証を出して初診を書く手が震えます。「とりあえず名前と住所だけでいいから中へ!」とすぐ通してくれました。
 看護師さんが体温を測り始めます。
38.39.40ものすごい勢いでぐんぐん上がっていきます。思わず「止まって!」とさけびました。熱は41.8度あったと思います。
 他に2人ほど待っていましたが、すぐに診察に通されました。
 血液検査と点滴の処理のためいったん外へ出ます。磨りガラス越しに賢信が処置されているのがわかります。「うう〜ん」賢信はうなるだけで泣きません。「パパおかしいよ泣かないよ!」主人は黙っています。
 ほどなくして中へ通され賢信を抱っこすると嘔吐が始まりました。
 子供の嘔吐は何度か診たことがありますが、いつものように「おえ〜」と言う物でなく「おえっおえっ」と短く何度も嘔吐します。
 嘔吐物もものすごく熱い。何度も何度も吐きます。何十回吐いたでしょうか・・・
血液検査の結果が出ました。検査結果はさほど悪くない様子。しかし、「念のために1日だけ入院しましょうか」と言われました。
私はイマイチ状況が理解できませんでした。しかし、主人はかなりヤバイと感じていたようです。 主人は個室を希望していました。
 看護士さんが「あの子早く上に上げてあげたいのよ」と言っている声が聞こえます。
 病棟に上がる前に 看護士さんに「今日は 小児科で一番偉い先生が当直やから安心してね」といわれました。「ここは何かあっても対応できるのですか?」と聞くと、「出来ますよ」「全部できますか?」と聞くと「大丈夫ですよ。できますよ」といわれました。
 その後 胸のレントゲンを撮って病棟にあがりました。
 509号室。9=苦 嫌な数字 嫌な気分の部屋だ。入院説明を受けた後、看護士さんに「朝起きたら おっぱいをあげていいですか?」と聞きました。「いいですよ」といわれました。あんなに おっぱいが大好きだった賢信。断乳したのが原因じゃないかと凄く後悔したんです。起きたらおっぱいをあげよう。それで大丈夫だ。
朝になれば 目が覚める。朝になれば・・・
 入院の用紙には不明熱とありました。
主人が荷物を取りに行きます。
 賢信にお茶をあげたくて仕方がありませんでしたが、コップがありません。
主人が来るのをまっていました。
 賢信は嘔吐は止まりましたが、下痢が止まりません。そのうち、白いフワフワとした粘膜のような物が出てきました。腸の粘膜?それを看護師さんに渡し、ひたすら朝になるのをまっていました。
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Last updated: 2008/3/16