賢信の戦った日々

入院中のことを日記のようにしてつづっています。
この中のことはあくまでも私の記憶です。
かけられた言葉などはあやふやです。
相手はそんな意味で言ったのではないかもしれませんが、
私はそう感じたというのもあります
2003/07/27    痙攣
賢信はボーとしています。寝ているのか起きているのか・・・
目を半開きにして 動きません。
日付が変わり夜中の2時、主人が荷物を持ってきたので、お茶をあげようと思いました。
口にコップをつけるも反応無し。ストローの反対側を指で押さえ、口の中に入れてやりました。すると、舌をペロペロと出して飲んだので 少し安心し、添い寝をしながらウトウトしていました。
明日 仕事がある主人を家に帰し ひたすら朝になるのを待ちました。
 朝3時頃 チュッチュッと妙な音が聞こえてきました。
何かと思い起きると 賢信から聞こえてきます。
 賢信はおっぱいをすうときのように舌を動かしていました。
 「賢信!どうしたん!賢信!」おかしい!ナースコールをします。
どうしましたか?ときかれるも答えられません。「何か おかしいんです!来て下さい」そう叫びました。
 看護師さんが賢信を見て「これは痙攣かもしれない」といわれ、私は慌てて布団をめくりました。
 すると、左側だけが硬直していました。
私は泣きながら「おかしいです!片方しか硬くなっていない!」そういいました。
すると看護士さんが「あ、今こっちも硬くなってきました。」と言われ触ると全身が硬くなっていました。
先生がやってきて、薬をするも とまりません。 私は外へ出されました。
取り乱す私を看護師さんが安心させようと「大丈夫、熱性痙攣ですよ。痙攣を見るのは初めてですか?」そう聞かれました。「いいえ 姉たちが2人もっています。でも、違うんです。お姉ちゃん達のと違うんです!」そう叫びました。
私はすぐに主人を呼び戻しました。
「髄液とCTをとります。」処置室に移動します。
髄液を取り、CTをとりました。髄液を取った後、すぐに「髄液は綺麗でした。というのも菌が入っていたら濁るんです。検査に出さないとはっきり言えませんが、大丈夫と思います」そう言われました。
CTを取った後、主人がやってきました。
抱き上げる賢信の体は異常に重たくなっていました。
髄液を取ったため 真っ直ぐに抱っこしなければいけません。
部屋に帰って少しすると「頭は大丈夫そうだ。でもどうしてこのようになっているのかわからない」そういわれました。
しかし、不安は消えません。何か大きな事が起こっていることだけはわかりました。
 しばらくすると、賢信がせき込み 喉を詰まらせました。ナースコールをし、吸飲の処置を受けました。
 その時 賢信は「んんん〜」とうなっていました。看護師さんが「ごめんな。苦しいなあ」という声が聞こえました。
これが私が聞いた 最後の声でした。
チアノーゼがでていました と看護士さんが先生と話している声が聞こえます。チアノーゼ?顔が黄色くなるやつ?
 再び部屋に入り 主人と「今日は寝たらアカン」と話していました。すると主人が急に「あいつ息していないんとちゃうか?」と言うので、慌てて布団をめくりました。
 胸が動いていない!慌ててナースコールをしました。病室があわただしくなります。 
 「救急カートを!」「送管の用意!」「あの部屋を空けて!」横で見ている私はパニックになりました。何度も外へ行かれますか?と聞かれましたが、拒否しました。
 主人にうながされ外に出、他の入院患者の方のことも考えず叫びまくりました。
「賢信!賢信!頑張れ賢信!」
次に見たのは裸にされぐたっとなった賢信が 送管され、手で揉むポンプをつけられながら、先生に抱かれナースステーションに一番近い部屋に連れていかれるところでした。
 その時の映像が今も忘れられません。焼き付いているというのでしょうか 手も体もぐたっとなって抱っこされて、賢信が生きているのか死んでいるのかもわからず、ただ、叫んでいました。
 しばらくして、声がかれると 後はただ、ただ、泣いていました。このときが一番苦しいときでした。
 主人の親戚と私の姉がやってきました。
13時頃ようやく 会えることになりました。
次は504号室。4・・・また嫌な数字。
病室へ入ろうとした時 一瞬ためらいました。しかし、一歩踏み出すと会いたいという気持ちが先行しました。
 シュートン シュートン 呼吸器の音が聞こえます。静かな部屋。4人部屋を一人で使っている。隅に追いやられた他のベット。
 はいって左手に賢信が寝ていました。
その時私がどうしたかよく覚えていません。
多分 賢信の左側に座ったと思います。
ただ、ショックで泣くことも考えることも出来なかったように思います。多分 泣いてはなかったです。とにかく ショック状態でした。
看護師さんが椅子をくれました。親戚のためにも大きい長椅子を持ってきてくれました。
1.2.3・・・合計8ヶくらいの点滴がついています。
頭を触ると異常に冷たい!布団をめくるとあちこちに点滴をし、服が着れず裸の賢信がいました。
 先生が「本当にこれは私も初めてみたのですが、脳の部分が左右綺麗に色が付いてるんです。脳外科の先生が見てやっとわかる程なんです。ウィルスも検出されず 考えられるとしたら血栓が静脈で詰まったとしか・・・・なぜこうなったかわかりません」と言うようなことを言われました。「普通の熱性痙攣ならもう目を覚ましている頃で、呼吸器をつけている子は薬を飲ませ眠らせる。だけど、薬を使ってないのにこの状態と言うことは やっぱり頭からだと思います。判断が難しいとはいえ、見逃して申し訳ない」えっ 脳は大丈夫って言ったやン。その時は反論もできませんでした。見逃して申し訳ないと真実を言ってくれた。でも、その時は複雑でした。いまとなっては言っていただいて良かったと思うし、今はもう仕方のないことだと思っています。 
脳症は判別が非常に難しいし、脳症に出会わないままの小児科医も沢山居るでしょう。だからミスとも見逃しとも思っていません。ただ、もしこの説明を受けていなかったら 私の気持ちはまた違ったかもしれません。
ヘタに隠されると疑ってしまう物です。
 後でCTを見て説明を受けても私はどこがおかしいん?という程で(薄くいろが着いているらしいのだが)良くテレビでやっている、脳出血のようにぶわーっと白くなっているようなはっきりわかる物でもありませんでした。どちらにせよCTを撮ってからこの状態になるのはすぐでしたから、その時わかっていたとしても そう変わりはなかったと思います。
 その後、違う先生(その後の主治医)が来て説明を始めました。GOTが急に上昇していると言うこと。GOTとは全身の細胞が壊れていることを示していると言うこと。そして、DICという血管内に血栓を沢山つくって詰まらせたり、その血栓に赤血球などがぶつかり血が壊れていくということ。入院時の血液検査は悪くなく、よくこれで外来の先生が、入院させた物だ、原因は不明。特に目立ったウィルスもないとのこと。そして、血液検査の結果の紙を頂きました。
 そして 賢信につけられている点滴の説明を受けました。カリウムの値が高く カリウムが上がると尿毒症になり心臓が止まるおそれがあるので カリウムを外に出す作用の薬、強心剤、DICを止める薬・・・そういう作用の薬か説明を受けました。
 その時 自分がそう思ったかは覚えていません。というか何も把握できていなかったかもしれません。
 とにかく夫婦で手と足を揉み続けました。
一つも動かない。何処を触っても動かない。
 手も足も氷のように冷たく、足下にあんかが入れられました。それでも暖かくならず、足につけられた体の酸素を計る機械は検出できずになっていました。
 姉が靴下を購入してきてくれました。手と足にはかせてやります。
 夕方、子供達が病室に入ろうとしたのですが、「駄目!」と看護士さんに止められ、ました。「子供達にはショックが強すぎるから」という配慮なのですが、子供達はビックリして泣き出してしまいました。賢信の大好きな婆ちゃんが来ましたが、ショックはかなり大きかったようでした。婆ちゃんは泣いてわめいていた。私は その時 ショックすぎて感情さえも 飛んでしまっていたのかもしれません。ただ、ボーっとその様子を見ていました。
その後、子供達は私の実家で過ごすことになりました。
 その日は食べる事も飲むこともできませんでした。
寝ることも怖かったです。昨日も私がウトウトしていたら様態が悪くなった。怖い寝るのが怖い。それでも主人に言われウトウトしているとやはり様態が悪くなる。寝るのが怖い
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Last updated: 2008/3/16