賢信の戦った日々

入院中のことを日記のようにしてつづっています。
この中のことはあくまでも私の記憶です。
かけられた言葉などはあやふやです。
相手はそんな意味で言ったのではないかもしれませんが、
私はそう感じたというのもあります
2003/07/30    頭部CT
その日は賢信の頭のCTを取ることになりました。
2階のCT室にうつるのに小児科の先生が全員集合と言った感じでした。
 移動の時は呼吸器を外さないといけないし、点滴の管も沢山ついているので移動は大変な物となります。
 凄く怖くてCTを取っているときも不安でした。
 結果は予想を遙かに上回る物でした。
「想像以上に脳が腫れ上がっています。」と言われました。
「それはどういうことですか??障害が残るんですか?」
「脳の腫れが引くまで何とも言えません。腫れがひいた後のダメージが何処までいっているかです」
「一度 ダメージを受けると再生できないのですか?」
「脳が腫れると膨らみますよね。でも頭蓋骨の大きさは決まっている。だから風船と同じように腫れて行き場のなくなった脳細胞は破裂するんです」
「最初に取ったCTですが、この部分が少し色が変わっているンです。最初にここにダメージがかかっているんです」
私は思わず「そこはどこの部分なんですか?」とききました。
「視床です」私は思わずへたり込んでしまいました。視床の部分が重要と言うことはしっています。主人は知らないようでした。
私は「視床がやられるとどういう影響があるのですか?」と聞きました。
「意識です。だから今も意識が戻らないんだと思います」
 その場に流れている致命的だという雰囲気はひしひしと感じました。
 私は病室に戻り 無性に悔しくなってきました。
「くそ!みんなアカンと思ってる!」
赤ペンを取りだし、賢信の横に貼っている写真の下に「あきらめません」と付け加えました。
視床だろうが何だろうが関係ない!奇跡を起こしてやる!
賢信はまだ1才や!発達途中や!命さえ助かれば何とかなる!
 その夜から友人に教えて貰った足裏を暖める民間療法を始めました。
 私に出来ることはこれと手足のマッサージしかなかったのです。
 その日からおしっこが沢山出てきました。
長女のクラスには 生まれつき半分 脳のない子がいます。それでも小学校に来ています。
 私は賢信が助かっても片方が障害が確実に残るだろう(痙攣が片方だったので)車椅子は必死だろうと考えていました。
 その子のお母さんに色々教えて貰おう。車も車椅子が乗せれるように改造しよう。そう考えていました。
 賢信 頑張ってくれ命さえ助かってくれればあとはママが何とかしてあげる。気功でも針でも何でもして 絶対あなたが笑えるようになるまでしてあげる。夢見たんだよ。賢信の目が開く夢。でもそれを友人に話したら「話すと正夢にならない」と言われたので頑張って正夢を見るね。
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Last updated: 2008/3/16