賢信の戦った日々

入院中のことを日記のようにしてつづっています。
この中のことはあくまでも私の記憶です。
かけられた言葉などはあやふやです。
相手はそんな意味で言ったのではないかもしれませんが、
私はそう感じたというのもあります
2003/07/31    誕生日
今日は賢信の誕生日です。そして、主人と長女の誕生日でもあります。
 長女にはキティちゃん電報を送りました。
ケーキを買ってきて「去年も産婦人科でケーキたべたんやなあ。来年は家で食べさせてくれよ」といいながら食べました。去年の今頃は賢信が産まれて みんなで喜んでいた・・・
 2ヶ月前の5月。3女の誕生日にスポンジをおいしそうに食べていた賢信の顔が浮かびます。「あなたはあと2ヶ月で1才」とみんなで話していた事を思い出します。まさかこんな事になるなんて・・・
 看護師さん達がとても手のこんだ誕生日カードをくれました。中をあけるとアンパンマンの仲間達が沢山手を繋いで飛び出す仕掛けカードでした。
 そして「プレゼント色々考えたんだけど思いつかなくて、それで写真を一緒にと思ったんですけど、イヤでしたらもちろん断って貰って結構ですが・・・」と聞かれました。少しビックリしましたが、看護師さんの心使いが嬉しく、みんなで一緒に撮しました。
この日を境に賢信の顔が浮腫んでいくので この写真があって良かったと思います。
そして、「賢君の大好きなおっぱいに触りごごちが似ているから」とアンパンマンの柔らかいボールも頂きました。
 みんないい人がおおい。
主治医の先生は「手を当てるだけで手当と言ってなおるんですよ」と時間があれば賢信の頭に手を当ててくれている。当直の日には必ずこれをやってくれました。
 看護士さん達も「盗んできた!」とか言いながら他の病棟などから 私達が食べやすいテーブルや足をお湯でマッサージするフットスパなどを運んでくれる。
 朝の交代時間になるとみんなが集まってきて「賢君おはよう!」と声をかけてくれる。
 看護士さん達が来ると「いらっしゃいませ」なんて言ったり、冗談を言ったりして、まるで重篤人がいる部屋でないような雰囲気でした。
 私達も疑問な点は納得がいくまで聞きました。先生は「大事な本ですが」といいつつ主人に体の仕組みがかかれているほんをかしてくれました。主人は良く読んでいました。血液検査の結果が出ては「あーではないか こーではないか」と先生と3人で話していました。
 こうだからこうなんじゃないかと まったくの素人の私達の話を良く聞いてくれました。何度も同じ質問にも答えてくれました。
 よく 何も知識がないのに あそこまで先生に言えたなあと今では思います。
 でも 私達は真剣でした。一生懸命でした。それに真剣に付き合っていただいて感謝しています。
 私がやっている民間療法も意味がないなんて笑われるかなあと思いましたが、「お母さんの愛やねえ。おしっこの量増えたかもなあ」といってくれました。
 その内 この薬はこのラインから入れるなど覚えてしまい、生意気にも「それはCV茶フィルター無し」などと言っていました。でも、賢信の事を少しでも知っていることが嬉しかったんです。
 それも嫌がる風でもなく、「お母さんが一番のナースやね」と言われました。
 ただ、複雑でした。こんな事になっているのに食べたり、笑ったり出来る自分がいます。
私はどこかおかしいんじゃないかと悩みました。
あと、数日しか経っていないのに賢信の顔が出てきませんでした。
 写真を見ても「こんな顔だったかな?」と言う感じでした。思い浮かぶのは呼吸器をつけた顔だけでした。
 友人が来てくれました。悩んでいるときに話すと とてもパワーが出ました。
夫婦2人でいるとどうしても落ち込みがちになるのですが、友人に助けられました。
遠い所 来てくれたことに 本当に感謝しています。友人が居なかったら どうなってたかな・・・もっと暗かったかも。
 なあ 賢信 たくさん会いに来てくれるねえ。みんなからパワーを沢山もらってがんばろうな。今も充分頑張ってるけど・・・でも頑張ろうな。
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Last updated: 2008/3/16