歴史の部屋

佐久間用 (原資料2枚目)


VOLUME T


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印度パル判事

判決(意見) (以上2行付箋に手書き)


佐久間


判決 印度判事意見 (以上2行手書き)


 (訳者注)


1、体裁=英文との対照を容易にするため、(a)頁数=英文の頁が変わる度毎に日本文の該当箇所の欄外に、例えばE−7と頁数を示した。(b)章節の区別=英文のパラグラフの終わりは日本文でも同じく改行とした。従って箇条書きの場合もこれに準じた。ただし行文難渋のためやむを得ず改行したところも二三ある。(c)括孤=英文中にある括孤は訳文では二重括孤《・・・・》とした。訳文中に見られる一重括孤(・・・・)は訳者注を示すかもしくは文意を明らかにするため必要に応じて言葉を補ったことを示す、(d)傍線=英文中の一本又は二本のアンダーラインは訳文でもこれに準じて一本又は二本の傍線とした。(e)ラテン語=英文に用いられたラテン語を日本文でも、それと一見して分かるようにするため、ラテン語の日本語訳だけは片仮名交じり文語調としその傍に。。。。を付した。そして原文でアンダーラインが施してある場合は一本のときは「・・・・」二本のときは『・・・・』とカギ括孤を使った。

2、語調=終戦後日本政府が採用した新らしい口語調、すなわち平易分明な語調を努めて用い、次の諸点に注意を払った。(a)仮名使い=文部省国語課のすすめに従い、新仮名使いをできるだけ用いた。(b)引用文=ただし引用文については、それが日本文の公文書又は定刊本として現存している場合は原文のまま引用したので、文語体や旧仮名使いが所々に出てくる。例えば本件の条例とか法廷証となっている日本関係の条約などがそれである。なお、欧米の諸権威の論説からの引用とか、日本以外の国の出版物など、日本文の定訳が入手できなかったものは、適宜に翻訳しておいた。


備考 法律用語については東大の横田喜三郎教授、語調については文部省国語課員林大氏に負うところが多い。なお、印刷のために与えられた時間不充分のため、校正の不備な点がないとは言えないが、追って正誤表を出すつもりである。

アメリカ合衆国その他


 対


荒木貞夫 その他



インド代表 パル判事 判決書



極東国際軍事裁判所


目次 (原資料6枚目)


第1部


予備的法律問題  英文頁1−226


(a)裁判所の構成 10−15

(b)裁判所の管轄外の事項 18−21

(c)適用されるべき法 22−30

(d)裁判所条例――これは戦争犯罪を定義しているか 31−69

(e)定義――これは裁判所を拘束するか 34−45 65−68

(f)戦勝国――法律を制定し得るか 42−45

(g)戦勝国の主権に関する理論 48−62

(h)侵略戦争――犯罪であるか 69−153

(i)侵略戦争――1914年までの国際法において不法または犯罪であったか(「法または犯罪であったか」は脱落しているので、補った。「当な戦争は犯罪か」というような文言が非常に薄い手書きの字で書かれているように見えるが、判読困難である) 69−70

(j)侵略戦争――1914年からパリー条約成立の1928年までにおいて不法または犯罪であったか 70−76

(k)侵略戦争――パリー条約以後不法または犯罪であったか 76−80

(l)侵略戦争――パリー条約によって犯罪とされたか 80−108

(m)侵略戦争――パリー条約のために犯罪とされたか 108−116

(n)侵略戦争――その他の理由によって犯罪とされたか 116−153

(1)慣習法の発達によって 120−129

(2)国際法は進捗する制度であるから 129−145

(3)裁判所の創造的裁量によって 146−148

(4)自然法によって 148−152

(o)個人責任 153−226

  ケルゼンの見解 162−168

(p)グルックの見解検討 168−186

(q)ライト卿の見解検討 186−199

(r)トレイニンの見解検討 200−221

(s)国際生活における刑事責任の導入 212−223


第2部


『侵略戦争』とは何か 227−279

(a)定義の必要 227−230

(b)各時代に提案された各種の定義 230−241

(c)右の諸定義の承認に対する諸困難 241−245

(d)定義の基礎 246−248

(e)自衛 249−251a

(f)定義の案 251b

(g)決定要因 251b

(h)考慮を要すると思われる事項

(1)中国における共産主義 252

(2)中国のボイコット 257

(3)中立問題 258−262

(4)経済制裁 262−266

(5)強制的手段の合法性 267

(6)条約その他に違反する戦争 267−276

(7)背信的戦争 276−279


第3部


証拠及び手続に関する規則 280−348


第4部


全面的共同謀議 349−1014

(A)緒言 349−374

(B)第1段階 満州の支配獲得 375−512

(C)第2段階 満州からその他の中国の全部に及ぶ支配及び制覇の拡張 513−567

(D)第3段階 国内的施策並びに枢軸国との同盟による侵略戦争のための日本の態勢の整備 568−776d

 (a)戦争を目標とする国民の心理的準備態勢の整備

  (1)人種的感情 568−580

  (2)教育の軍国主義化 581−623

 (b)政権獲得 624−693

 (c)一般的戦争準備 694−741

 (d)枢軸国との同盟 742−776

(E)ソビエット社会主義共和国連邦に対する侵略 777−808

(F)最終段階 侵略戦争の拡大による、東亜の他の地域、太平洋及びインド洋への共同謀議の一層の拡張 809−979

(G)結論 980−1014


第5部


極東国際軍事裁判所の管轄権 1015−1026


第6部


厳密ナル意味ニオケル戦争犯罪(「厳密ナル意味ニオケル」に小さな丸で傍点あり)

 殺人及び共同謀議の起訴事実 訴因第37ないし第53 1027−1049

 占領地域内の一般人に対する厳密ナル意味ニオケル(「厳密ナル意味ニオケル」に小さな丸で傍点あり)戦争犯罪 訴因第54及び第55 1050−1120

 俘虜に対するもの 1121−1225


第7部


勧告 1226−1235

極東国際軍事裁判所 (原資料12枚目)


アメリカ合衆国、中華民国、大ブリテン、北アイルランド連合王国、ソビエット社会主義共和国連邦、オーストラリヤ連邦、カナダ、フランス共和国、オランダ王国、ニュージーランド、インド及びフィリッピン国

 対

被告――荒木貞夫、土肥原賢二、橋下欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、広田弘毅、星野直樹、板垣征四郎、賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、小磯国昭、松井石根、南次郎、武藤章、岡敬純、大島浩、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、鈴木貞一、東郷茂徳、東条英機、梅津美治郎


 同僚判事の判決と決定に同意し得ないことは、本官のきわめて遺憾とするところである。本事件並びにこれに関連する法律と事実との問題の重大性にかんがみ、本裁判所の決定のために生ずる問題につき、所見を述べることは、本官の義務であると感ずるものである。

 1946年4月29日、上記の11訴追国は、28名の者に対して起訴状を提出した。本裁判の進行中、被告松岡洋右、及び水野修身は死亡し、被告大川周明は精神異状のゆえに、本審理における訴追を取り消された。かくて残りの25名が現在被告として、いわゆる重大な戦争犯罪について裁判を受けるために本法廷に召喚されているのである。

 本件において、裁判該当期間中における各被告の日本政府との関係に関する証拠が提出されている。この関係を証明する詳細については、必要に応じてこれを述べることとする。

 これらの被告に対する起訴事実は、3類55訴因にわけて挙げられている。すなわち、

 第1類 平和に対する罪《訴因第1ないし第36》

 第2類 殺人《訴因第37ないし第52》

 第3類 通例の戦争犯罪及び人道に対する罪《訴因第53ないし第55》

 訴因の項の前に序論として検察側の主張の性質を充分に示す要約が記されており、さらにまた細目書として5つの付属書が付せられている。

 検察側の言葉をそのまま用いると、すなわち

 『第1類においては裁判所条例の定義するところに従い、平和に対する罪が36の訴因に分かって訴追せられております。最初の5つの訴因においては、被告は国際法、条約、協定および保障を侵犯して、宣戦布告せる、または宣戦布告せざる侵略戦争を遂行することにより、一定地域の軍事的、政治的、経済的支配を確保せんとする共同謀議につき訴追せられております。訴因第1は該共同謀議が東亜、太平洋及びインド洋の支配を確保せんとしたこと、訴因第2は満州の支配、訴因第3は全中華民国の支配、訴因第4は明示された16の国家並びに国民に対し不法戦争を行ない、訴因第1に記載の地域を支配せんとしたことを起訴しているのであります。訴因第5においては、被告は反抗するすべての国に対し、かかる不法戦争を行なうことにより世界支配を確保せんがため、ドイツ並びにイタリーと共同謀議せることに対し起訴されています。検察側はその次の12の訴因《第6より第17まで》において、全部または若干の被告が12の国家または国民に対し不法的戦争を計画し、かつ準備したことを、攻撃を受けた各国家または国民を各別訴因中に指名しつつ起訴しています。その次の9つの訴因《第18より第26まで》においては、各訴因別に全部または若干の被告が、8つの国家に対しかく不法戦争を開始したことを、攻撃を受けた各国家または国民を各別の訴因中に指名しつつ起訴しています。さらにその次の10の訴因《第27より第36まで》においては、被告が9つの国家または国民に対し、かかる不法戦争を行なったことを、攻撃を受けた各国または国民を各別の訴因中に指名しつつ告訴しています。

 『第2類においては、殺人または殺人のための共同謀議に対し、16の訴因《第37より第52》において起訴しています。訴因第37においては海牙(ハーグ)条約第3号に違反して、また訴因第38においては海牙条約第3号以外の幾多の条約に違反して若干の被告が平和時にこれら国民を攻撃することを日本軍隊に命じ、なさしめ、かつ許すことにより、アメリカ合衆国、フィリッピン国、全英連邦、オランダ国及び泰国《シャム》の国民を不法に殺害し、殺戮せんと共同謀議したことを起訴しています。

 『その次の5つの訴因《第39ないし第43》においては、被告は訴因第37及び第38に示されている人々を、1941年12月7日及び8日に真珠湾、コタバルー、香港、上海並びにダバオにおいて、平和時に日本国軍隊による武力攻撃を命じ、なさしめ、かつ許すことにより不法に殺害し、殺戮したりとして起訴せられております。

 被告は、その次の訴因《第44》においては俘虜、一般人並びに雷撃せられたる艦船の乗組員の殺戮をなさしめ、かつ許す共同謀議の廉で起訴されております。

 『本類最後の8つの訴因《第45より第52》に掲げられたる罪は、被告のある者が日本軍に中国の諸都市《訴因第45より第50》及び蒙古並びにソビエット社会主義共和国連邦の領土《訴因第51及び第52》を不法に攻撃することを命じ、なさしめ、かつ許すことにより、多数の一般人並びに兵士を不法に殺害し、殺戮した点であります。

 『第3類すなわち訴因の最終類《訴因第53より第55》においては、他の通例の戦争犯罪並びに人道に対する罪が問われております。ある特定の被告は訴因第53において、共同謀議して日本軍指揮官、陸軍省職員、警察官並びに下級官吏に、アメリカ合衆国、全英連邦、フランス、オランダ、フィリッピン、中国、ポルトガル並びにソビエット社会主義共和国連邦に属する数千名の俘虜並びに一般人に対し、残虐行為並びに他の犯罪を犯すことによりて条約並びに他の法律に違反することを命令し、授権し、かつ許可したる罪に問われております。

 『若干の明示せられた被告は、訴因第54において、訴因第53に記載の人々に対し同訴因記述の犯罪行為を犯すことを命じ、これが権限を与え、かつこれを許したりとして直接起訴せられているのであります。右と同一の明示せられたる被告は、最終の訴因《第55》において、訴因第53に挙示せられたる国家の俘虜及び一般人並びに諸人民の保護のために、条約、保障及び戦争諸法規の遵守を確保するため、適当なる手段を採るべき彼らの法律上の義務を、故意にかつ無謀に無視して、戦争法規を侵犯せし廉により起訴せられているのであります。

 『第1類中の訴因支持のための細目要項付属書A中に記述せられています。付属書Bにおいては、平和に対する罪並びに殺人の罪の部の諸訴因において罪に問われいる日本国が違反したる諸条約の条文が集められています。付属書Cにおいては、日本が違反せる公式保証が列挙しあり、そしてそれらは第1類平和に対する犯罪中に収録してあります。戦争法規及び慣例に関する条約、保証は付属書D中に論議せられてあり、被告が責任ある戦争法規及び慣例違反の細目はそれに記載せられています。起訴状の中に述べてある犯罪に対する各個人の責任、並びに本起訴状が関係する期間中に各被告が占めたる責任ある官庁は付属書E中に示してあります。』

 検察側は公判においてその主張をなすにあたり、『一般ニ認メラレタル共同謀議式立証方法』と称するものを提示した。

 すなわち、検察側は次のことを立証しようとしたのである。

 1、(a)全面的共同謀議の存在したこと

   (b)この共同謀議は、包括的で継続的な性質を有したものであること

   (c)この共同謀議は、1928年1月1日から1945年9月2日にわたる期間中に形成され、存在し、実行されたこと

 2、この共同謀議の目標及び目的は、起訴状に述べられ、かつ一般に大東亜として知られている地域全体を日本が完全に支配する点にあったこと

 3、この共同謀議の構想は、次の手段によってかような支配を確保するにあったこと、すなわち

   (a)侵略戦争

   (b)次のものに違反した戦争

    (1)国際法

    (2)条約

    (3)協定及び保障

 4、各被告は、自己に対する訴因中に記載されている特定の犯罪の行なわれた時期において、この全面的共同謀議の一員であったこと

 検察側の主張は、上述の諸項目の立証に成功したとき、それ以上何もしなくても、被告が有罪であることがただちに立証されるのであって、従って、ある特定の被告が、ある明示された行為の遂行に実際に携わったかどうかは、問題にならないというのである。

 訴因第1ないし第5においては、被告は、共通の計画または共同謀議の立案、または実行に参加したかどで訴追されており、その計画または共同謀議の目的は、一定地域の軍事的、政治的、経済的支配であり、その目的達成のために企てられた手段は、次のようなものだとされている。すなわち

 1、宣戦を布告した、または宣戦を布告しない侵略戦争

 2、次のものに違反した戦争

   (a)国際法

   (b)条約

   (c)協定及び保障

 これらの訴追中には、かような計画を遂行する行為が実際に行なわれたという意味がふくまれている。そしてかような行為について、被告に刑事上の責任を負わせようとしているのである。

 これらの訴因において、本裁判所の決定のために生ずる諸問題は、すなわち

 1、一国が他国を軍事的、政治的、経済的に支配することは、国際生活上犯罪であるか否か

 2、(a)侵略戦争

   (b)(1)国際法に反する戦争

     (2)条約に反する戦争

     (3)協定及び保障に違反する戦争

    は、国際生活上の犯罪であるか否か。また一体かような戦争の法的性格は、その戦争の開始にあたって宣戦布告が行なわれたか否かによって定まるものであるか否か。

 訴因第6ないし第17は、被告が単に上述の各種の戦争を計画、準備したかどについて訴追しているものである。これらの起訴事実を裏づけるためにはその不可欠の条件としてかような戦争が犯罪または不法行為でなければならない。

 訴因第18ないし第24は、上述の各種の戦争の開始に関するものである。従ってかような戦争が国際生活上の犯罪であるか否かによって、これら訴因の成立不成立が定まるのである。

 訴因第25ないし第36は、被告または被告中の一部が、上述各種の戦争を遂行したかどによって訴追するものである。従ってかような戦争が国際生活上の犯罪でない場合には、これらの訴因は成立しないものである。

 訴因第37ないし第52は、条約に違反して開始された敵対行為は法律上の戦争としての性格をもたないものであるから、それは日本軍にはなんら合法的な交戦国の権利を与えない、という立場に立って訴追を行なっているものである。

 これらの訴因については後にくわしく検討を加えることにする。いずれにせよ、すべてこれらの訴因には、上述のような種類の戦争が国際生活上で犯罪となったか否かの問題がふくまれていることは明白である。

 検察側の主張は、各被告は日本政府の機構を運用するにあたり、同政府内における自己の地位を利用して上述の行為をなしたというのである。検察側の主張する犯罪についての個人的な責任の根拠は、起訴状付属書Eの中に次のように述べられている。

 『各被告ガソノ占ムル地位ヨリスル権力、威信及ビ個人的勢力ヲ、本起訴状中当該被告ノ氏名ヲ記載セル各訴因ニ掲ゲラレタル犯行ヲ促進シ、カツ遂行スルタメニ用イタルコトガ罪ニ問ワルルモノトス。

 『各被告ガ以下ニオイテ、ソノ氏名ニ対シ掲ゲラレタル期間中、彼ガ閣僚タリシ諸内閣及ビ彼ガ支配的地位ヲ有セシ一般官庁機関、陸軍機関マタハ海軍機関ノスベテノ行為マタハ懈怠行為ニ対スル責任者ノ一人タリシコトガ罪ニ問ワルルモノトス。

 『各被告ガ、ソノ氏名ノ後ニ掲ゲラレタル番号ニヨリ示サルル通リ、1941年12月7日、8日ノ不法ナル戦争ヲ準備シ、コレニ導キタル1941年ニオケル左記時日、マタハソノコロ開催セラレタル会議及ビ閣議ノ幾ツカニオイテ採択セラレタル諸決議ノ際ニ出席シ、カツコレニ同意セシコトガ罪ニ問ワルルモノトス。』

 本官の見解によれば、ここに述べられた行為はすべて国家の行為である。そして、これらの被告がなしたとされている行為は、すべて政府の機構の運用にあたってなしたものであって、政府機構運用の義務と責任は、時局の進捗に伴って彼らの負うところとなったのである。

 かくして国際法上のいくつかの重大な問題が、本件においてわれわれの考慮すべきものとして生じて来る。これらの問題についての決定に到達することなしに、事実の問題を取り上げることはできないのである。

 本裁判所の決定すべき法律上の重要問題は、次の通りである。

 1、一国が他国を軍事的、政治的、経済的に支配することは、国際生活において犯罪であるかどうか。

 2、(a)起訴状で問題とされている期間内に上述のような性質の戦争が、国際法上において犯罪となったかどうか。

     もし右のようなことがないとすれば、

   (b)起訴状に述べられた諸行為の法的性格に影響を及ぼすほど、かような戦争を犯罪であるとなす事後法が、どんなものにもせよ制定されたかどうか。

 3、いわゆる侵略国家の政府を構成する各個人がかような行為について国際法上において刑事上の責任があるとなし得るかどうか。

 本件の証拠を正当に取り上げることができるようになる前に、裁判所はまた数個の第二次的性質を有する法律問題をまず決定しなければならない。これらの問題については、前に述べた、主要な問題を決定していくに際して、それぞれ適当な場所で述べることにする。ただし、以上すべての問題より先に、本官は、われわれ判事に関する若干の予備的事項を処理しておかなければならない。

 被告は、彼らが与えられた最初の機会に、現在のような構成の裁判所をもってしては正義の行なわれないおそれがあるという懸念を表明した。

 この懸念というのは、本裁判所の判事は、日本に対する戦勝国であって本訴訟の原告である諸国を代表するものであるから、被告は、かような判事によっては公正無私な裁判を期待することができず、従って、かかる構成をもつ裁判所は、本裁判を取り行なうべきではないというのである。

 戦争犯罪について告訴された者を裁判するための裁判所の構成については、常設国際司法裁判所規程作成のため1920年ヘーグに会同した法律家諮問委員会が、国際刑事裁判所設置に対する『希望(「希望」に小さな丸で傍点あり)』を表明している。これは、原則としては問題の賢明な解決策であると思われるが、この案は、今日まで各国の採用するところとなっていないのである。ホールいわく『戦争の法規慣例に違反したかどで訴追される者を裁判するに当たっては、戦勝国も戦敗国も、ともに公平な裁判所においてこれを裁判し得るものでなければならない』と。

 この点についてカリフォルニア大学のハンス・ケルゼン教授の見解を引用したいと思う。けだし、その引用が『世界の道徳的良心が人類の道徳的権威を主張しているというただ一つのことだけが、あらゆる人の眼につくように際立って示されている、照明の煌々としている裁判所においては』、とかく見失われがちな事態の一側面にわれわれの眼を転じさせるであろうと思われるからである。

 ケルゼン教授はいわく、『モスコーで調印された三国宣言の要求するものは、敵国の戦争犯罪人に対する戦勝国の裁判管轄権である。・・・・戦争中、枢軸諸国の憎むべき犯罪の犠牲となった国民が、これらの犯罪人を罰するために、自己の手に処罰権を握りたいと望むのは、無理からぬ話である。しかし戦争終結後は、われわれは再び次のことを考慮する心の余裕をもつであろう。すなわち被害を受けた国が、敵国国民に対して刑事裁判権を行使することは犯罪者側の国民からは、正義というよりはむしろ復讐であると考えられ、従って将来の平和保護の最善策ではない、ということである。戦争犯罪人の処罰は、国際正義の行為であるべきものであって、復讐に対する渇望を満たすものであってはならない。戦敗国だけが自己の国民を国際裁判所に引き渡して、戦争犯罪に対する処理(付属の正誤表によると「処理」は誤りで正しくは「処罰」)を受けさせなければならないというのは、国際正義の観念に合致しないものである。戦勝国もまた戦争法規に違反した自国の国民に対する裁判権を独立公平な国際裁判所に進んで引き渡す用意があって然るべきである。』

 同教授はさらに次のように述べている。『戦争犯罪人裁判の権限は、いかなる種類の裁判所に与えるべきか、国内裁判所か国際裁判所か、という問題については、国内の普通裁判所ないし軍事裁判所よりも、国際裁判所の方がはるかにこの仕事に適していることは、疑いの余地もあり得ない。戦勝国のみならず戦敗国をもその締約国とする国際条約によって設置された裁判所であってこそ、国内裁判所の直面するある種の困難には遭遇しないですむであろう。・・・・・』

 ケルゼン教授の提唱した方法に従って構成されたものではないが、やはり現被告の裁判のためにここに一つの国際裁判所がある

 各判事はもちろんそれぞれ戦勝国から来ているのではあるが、個人的な資格で本裁判に当たっているのである。普通かような裁判所の判事選任にあたって不可欠の要素と考えられるものの一つは道義的節操ということである。もちろんこれには、普通の誠実と正直より以上のものが含まれている。すなわちこれには、『ある程度先入感にとらわれていないこと、自分の意見ないし見解が他の同意を得られなかったときに生ずる結果を甘んじて受ける覚悟のあること、司法裁判手続に忠実であること、司法裁判上の義務の遂行に伴って犠牲を払わなければならない事態が生ずる場合にはその犠牲を喜んで払う用意のあること』が含まれるのである。本裁判所の判事のうち、何ぴとかがこれらの点について欠点を有するという理由の下に本件の被告が本裁判所の構成に異議を申し立てたことはない。最高司令官は本件における右の点すなわち判事の資格については、慎重な考慮を払われたと思われるのであって、裁判所条例そのものの中にも、判事が何らかの理由によって本裁判に参加すべきでないと考えた場合には、参加を拒否することを許す旨の規定があるのである。

 普通はこの点について(実際に本法廷で)申し立てられたものと同じような異議が出た場合には判事自身、責任をとることを欲しない旨、言明しても差し支えない、司法権の行使は、単に正義が行なわれることを保証する、というだけでなく、さらに、正義が行なわれつつあるという印象をあたえるような方法でなされるのでなければならない。

 イギリス、首席裁判官ヒューワート卿の権威ある言葉を用いれば、『単に正義が行なわれるというだけでなく、正義が行なわれていることを明白にしかも一点の疑う余地もなく人にわからせなければならないということは、単に相当に重要だというだけでは充分でなく、根本的に重要なのである。・・・・・正義の実施に当たって不当な干渉が加えられたのではないかという単なる疑いにしかすぎないものでもこれを生むようなことは、決してなすべきではない。』実際上にせよ、理論上にせよ、いやしくも法、特に刑法の施行に携わる者は、すべて、正義の行なわれないことを常に恐れているのである。本件に適用される法規について存する特別の困難、われわれの手段は犯罪を摘出するにどれほど充分なものであるか、という点についての通常の不確実性、これに加えて人種的ないし政治的原因から偏見が生ずるという困った事態が起こる可能性もあり、従ってわれわれ裁判官の立場は、きわめて重大な責任のあるものとなるのである。上述のような事情のもとにおいて、もし被告が何か、かような懸念を抱いているとすれば、被告を責めることはできないのである。そして本官自身としては、被告がかような恐れを抱くことは、充分理由のあるものと考える次第である。もし被告が、本裁判所のような団体によって裁かれるに際して、感情的な要素が入りこんで客観性に干渉することがありはしないかという懸念を抱いたとしても、われわれは被告を非難することはできないのである。

 上に述べたような影響力の結果を看過したり、過小評価したりすることはできない。その影響力は無意識にでも作用することがあり得る。われわれがよく知っているように犯罪がいかにして行なわれたか、だれがそれを行なったか、また犯人の動機と心理状態はどんなものであったかを見出すことに専念している場合には、だれでも無意識のうちに、いろいろな考えが頭に入り込んで来るものである。かような無意識の作用は、その人の意識の表面には上がらないかもしれないし、また意識からは間接的な微弱な影響しか受けないかもしれないから、これらのことは、一歩を誤れば客観的でかつ健全な判断をつまずかせる陥穽となるおそれが常にあって、人間が正義を行なうのは完全無欠なものだという信用を常に傷つけることになる。しかし、かような障害にもかかわらず、これ等の被告が甘んじて受けなければならないものは人間が行なう正義である。本裁判所としては、キーナン氏が冒頭陳述の終わりに引用した連合軍最高司令官の言葉を常に心に留めておくべきである。そして無意識的な希望に属するものであってほとんど衝動のおもむくところに従うようなものを何事にせよ真実として受け入れたがる心理を避けなければならない。

 以上のように考えて、本官は、この被告の異議は容認するに及ばないと考えるものである。

上の文中に出てくる「キーナン氏が冒頭陳述の終わりに引用した連合軍最高司令官の言葉」というのは、何であろうか。


それはこちらの資料の105枚目の4行目から出てくる。

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A08071311800?TYPE=jpeg


As a final word to the Tribunel,we reiterate the words of the Supreme Commander for the Allied Powers at the time of the surrender proceedings in Tokyo Bay:

"It is not for us here to meet,representing as we do a majority of the people of the earth,in a spirit of distrust,malice or hatred. But rather it is for us,both victor and vanquished,to rise to that higher integrity which alone benefits the sacred purpose we are about to serve,committing all of our people unreservedly to the faithful compliance with the understanding they are here formally to assume."We have attempted and will continue in our effort to act in strict conformity with this pronouncement.


訳文はこちらの資料の33枚目にあります。

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_A08071309400?TYPE=jpeg


 我々は本法廷に対する最後の言葉として東京湾における降伏手続の際の連合国軍最高司令官の言葉を繰り返します。

 「世界の人々の大多数を代表し不信悪意又は憎悪の精神をもって我々はここに会するにあらず。むしろ我々がまさに奉仕せんとしている神聖なる目的に貢献する唯一のものであるかの高次の完全性に止揚し、我々国民のすべてを彼らがここに正式に採らんとしている諒解への忠実なる判決(←この2文字判読困難)にまったく従わしめることが我々勝者並びに敗者の双方のなすべきことなのである。」

 我々はこの声明に厳格に準拠(←この2文字判読困難)して行動しようと努力をして来た又今後もこの努力を継続しようとするものであります。

 弁護側はさらに、本裁判について、他に種々の異議を申し立てている。そのうちの主なものは、次の二つに分類することができると思う。

 1、厳密に本裁判所の管轄権に関するもの

 2、本裁判所の管轄権は認めるとして、数箇の訴因中の起訴事実については、なんら犯罪を示すものではないという根拠に基づき、これについての被告に対する訴追を取り消すことを、裁判所に要求するもの。

 これらの異議中の一部には、降伏をもって終わりを告げた戦争中に犯されたとされている「厳密ナル意味(「厳密ナル意味」に小さい丸で傍点あり)」の戦争犯罪に関するものさえあった。予備的異議としては、これらの異議はなんら重要なものではない。

 戦争というものは合法的なものにせよ、非合法的なものにせよ、また侵略的なものにせよ、防御的なものにせよ、やはり一般に認められた戦争法規によって規律されるべき戦争であることに変わりはない。いかなる条約、いかなる協定も、絶対に「戦争法規(「戦争法規」に小さい丸で傍点あり)」を廃止したことはない。

 すべての国家または相当数の諸国家がなお戦争に訴えることを考慮に入れている限り、交戦国としてのこれらの諸国家の行為を律すると考えられる原則は、依然として国際法の肝要な一部をなすものと見なされなければならない。今日もなお交戦国が、国際正義の要求というよりは、むしろ自国の必要とするところに従って行動するという根づよい傾向がある。交戦国の行動に存するかような傾向を抑制するためには、強力な措置が必要なのである。

 ここに主張されているような、「厳密ナル意味ニオケル(「厳密ナル意味ニオケル」に小さい丸で傍点あり)」戦争犯罪ということは、関係各人にその個人的資格において帰せられるべき行為を指して言うのである。それらの行為は国家の行為ではなく、従って、他の国家の行為に対していかなる国家も裁判管轄権を有しないという原則は、この場合にはあてはまらないものである。

 オッペンハイムいわく『戦時において自己の権力内に陥った戦争犯罪人を処罰するという交戦国の権利は、国際法の原則として広く認められているところである。その権利は、交戦国が敵国領土の一部または全部を占領しており、その結果としてたまたまその地にある戦争犯罪人を逮捕し得る地位を占めている場合、有効に行使し得る権利である。休戦の条件として交戦国は、戦敗国の当局者に対して、戦争犯罪を犯したとされる人々を引き渡すべき義務を負わせることができる。その場合この人々が、勝者が現に占領している領土、もしくは戦争の終結において勝利を占めた場合に占領し得べき領土にあるか否かは問うところでない。何となれば、上の二つの場合ともに、被告は実質的に占領国の権力下にあるものであるからである。そして戦争犯罪人を訴追する権利は講和条約の締結によって喪失するを常とするとはいえ、戦勝国が戦敗国に対して休戦又は講和条約の条項の一つとして、戦争犯罪を犯したとされる人々を、裁判に付するために引き渡すべき義務を負わせることを禁ずる国際法上の規定はない。』と。

 ホール及びガーナーも右と同様の見解を述べている。すなわちガーナーいわく、

 『戦争法規違反の行為を犯した個々の軍人は、それらの行為が同時に一般刑事法上の犯罪である場合には、自国の裁判所において裁判及び処罰を受けるだけでなく、もしもその軍人が被害国の権力内に陥った場合には、その国の裁判所によって裁判及び処罰を受けるべきものであるという原則は、長い間認められてきたものである・・・・』と。

 ホールはいわく『交戦国は、攻撃の権利から直接生じて来るところの敵に対する権利を有しているほか、さらに戦争法規に違反した人々がその権力内に陥った場合、これを処罰する権利をも有する。・・・・上の諸権利のうちの第一の権利の実行に対しては、交戦国が一般的に認められた法規に対する違背を罰するにとどめるというかぎりにおいては、反対はあり得ない』と。

 この原則は、その犯罪が国家の行為でない時にのみ適用されるということを忘れてはならない。ある行為が国際法によって戦争犯罪として禁止されている場合において、犯行者が被害者の権力下におかれた際に、その国がこれを処罰し得るという立言は、その行為が敵国の国家としての行為でないという制限を付した場合においてのみ正しいのである。

 本官の判断では、次のことはもはや議論の余地はない。すなわちその当事者たちは、単に彼らがそれぞれ自国において高い地位にあったということのみによって、この点に関する彼らの刑事責任を免除されるということにはならない。もちろんこの場合、罪が他の理由によって彼らに帰せられ得るものと仮定してのことである。国家内における彼らの地位は、彼らのあらゆる行為を国際法上の意味における国家の行為となすものではない。




 裁判所の管轄権に関する第一の実質的の異議は、本裁判所が裁判することのできる犯罪は、1945年9月2日の降伏によって終結をみた戦争の継続期間中、もしくはその戦争に関連して犯された犯罪に限るべきである、というにある。本官の判断では、この異議は容認されなければならない。戦争に敗れたからといって、その結果戦敗国家及びその国民が、その存在の全期間を通じて行なわれた不法行為のすべてに対して裁判にかけられる立場に置かれると考えるのは、不条理である。(今次戦争を除いて)他の戦争の継続期間中、あるいはそれに関連して犯罪を犯したかもしれない人々を訴追する権限を、連合軍最高司令官もしくは連合国に付与している条項は、ポツダム宣言及び降伏文書中には何もない。

 検察側はカイロ宣言にポツダム宣言の第8項を読み合わせ、そこに強く依存している。そして次のように強調する。すなわちカイロ宣言は、1914年第1次世界大戦以来、日本がなしたすべての侵略行為に明示的に言及することにより、連合国に対しこれらの事件につき与えられ得るすべての権限を与えていると。それに関連のあるカイロ宣言中の条項は次の通りである。すなわち『右同盟国ノ目的ハ、1914年ノ第1次世界戦争ノ開始以来、日本国ガ奪取シマタハ占領シタル太平洋ニオケル一切ノ島嶼ヲ日本国ヨリ剥奪スルコト、並ビニ満州、台湾及ビ澎湖島ノゴトキ、日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニアリ、日本国ハ暴力及ビ貪欲ニヨリ日本国ガ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ。前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ、ヤガテ朝鮮ヲ自由カツ独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス。』と。

 ポツダム宣言は第8項に規定していわく、『カイロ宣言ノ条項ハ履行セラルベク、マタ日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及ビ四国並ビニワレラノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ』と。

 これらの両宣言は単に連合諸国の意向を声明しただけのことである。法律上の価値のあるものではない。それ自体だけでは国際連合にどんな法律上の権利をも生じさせるものではない。連合国自体は、これらの宣言を基礎としてなんらかの契約関係が戦敗国との間に成り立っているとは認めていない。(最高司令官の権限第3項参照。)

 本官がこれらの宣言を通読したところでは、前記の諸事件に関して戦争犯罪人を裁判し、処罰するという宣言国側の意図を表明したと同様の効果を有するものさえ見出すことができない。本官はさらに議論を進める用意がある。本官の判断では、たといこれらの宣言が、そのような場合をも含むものとして、読むことができると仮定しても、それはわれわれにとって大して助けにならない。連合国はそのような意図を単に宣言したからといって、それだけで右のような権限を法律上取得するものではない。本官の見解では、あまたの国家によって尊重されるべき国際法があるとしたならば、その法は、戦敗国がその敗北した戦争に関連して犯した罪ではなくて、その戦争とは関係のないほかの戦争もしくは事件において犯した犯罪を裁判し、処罰するという権利を戦勝国に付与するものではない。

 ポツダム宣言中に引用されたカイロ宣言は、むしろ検察側の主張と背馳するものである。その宣言はある明示された過去の諸事項にはっきりと言及しており、それに対してどんな処置をとるべきであるかを宣言している。本官はこれらの過去の諸事件に関連して、個々の戦争犯罪人に対して何か裁判を行なうとか、もしくは処罰をするということを示唆するものをその宣言のどこにも発見することができない。さらにかような事項にまで管轄の範囲を拡大する権限をわれわれに付与する条項は、本裁判所条例の中にも全然発見し得ないのである。

 従って本官の意見としては、1945年9月2日の降伏によって終わりを告げた戦争の一部分をなさない紛争、敵対行為、事変もしくは戦争の継続期間中、もしくはそれに関連して犯されたと称せられる犯罪は、本裁判所の管轄の範囲外にあると考えるのである。

 弁護側は左に掲げる諸事件は、同様の趣旨をもって、われわれの管轄外であると主張している。すなわち

 1、1931年の満州事変

 2、遼寧、吉林、黒龍江、熱河各省における日本政府の諸行動

 3、ハサン湖事件、ハルヒンゴール河事件に関する日本とソ連邦間の武力衝突

 これらのことは、起訴状訴因第2、第18、第25、第26、第35、第36、第51及び第52の中に含まれる諸事項に対するわれわれの管轄権に、影響を及ぼすものである。それらが訴因第1に訴追されている全面的共同謀議の一部となっていることは別として、これらの諸事項に関連する敵対行為は、1945年6月26日のポツダム宣言及び1945年9月2日の日本の降伏のはるか以前に、終結を見ているのである。

 起訴状訴因第1において、検察側は全面的共同謀議の訴追をなしており、これが立証された場合には、これは上記の諸事件をすべて前述の降伏をもって終わりを告げた戦争の一部として包含することになるのである。

 かくてこの問題は、結局本件において提出された証拠に基づいて決定されるべき、事実の問題となるのである。

 訴因第1に全面的共同謀議と称せられているものを、われわれが法廷記録にある証拠の中に発見し得ない場合には、本官の意見では、前述の諸訴因中の起訴事実は、われわれの管轄権の及ばないものとして、成立しないことになると思う。

 次に、右に挙げた場合の中に含まれている。各種の実質的な法律問題を取り上げて論じよう。これらの問題は弁護側もその予備的異議をなすにあたって取り上げたものである。

 その問題というのは、次の通りである。すなわち

 1、検察側の言うような性質を有する戦争は国際法上の犯罪であるか否か。

 2、国家の構成分子たる個人はかような戦争の準備その他をなすことによって、国際法上の犯罪を犯すものとなるか否か。


   本件に適用されるべき法


 まず第一に次の問題を取り上げよう。すなわち、本裁判所を設置した条例は本裁判所みずから、国際法であるとして決定することのできる法律以外に何らかの特別法を適用すべき義務を、本裁判所に課しているか否か、そして、もしそうだとすれば、その法とは何であるかという問題―本条例はいわゆる『戦争犯罪』を定義しているか否か。またもしかような定義があるとすれば、ここに裁判されている者たちの罪の有無を決定するに当たって、本裁判所はその定義によって拘束されるか否かの問題である。

 起訴状の一ヶ所においてはこれらの犯罪を『本裁判所条例ニ定義セラレタルガ如キ平和ニ対スル罪、戦争犯罪並ビニ人道ニ対スル罪』として挙げられており、また他の箇所では『本裁判所条例中ニスベテ定義セルガ如キ平和ニ対スル罪、戦争犯罪、人道ニ対スル罪並ビニ以上ノ罪ヲ犯スタメノ共通計画、又ハ共同謀議』と性格づけている。

 諸訴因を類別するにあたって『平和ニ対スル罪ノ特徴トスルトコロハ、該罪ハココニ記載セラレタル者及ビソノソレゾレガ、極東国際軍事裁判所条例第5条特ニ第5条《イ》及ビ《ロ》並ビニ国際法、マタハソノイズレカノ一ニヨリ、個々ニ責任アリト主張セラレオル行為ナリ』としている。

 第2類殺人は、次のように示されている。すなわち『該罪ハココニ記載セラレタル者、及ビソノ各自ガ個々ニ責任アリト主張セラレオル行為ナルトトモニ、記述ノ条例第5条ノ全項、国際法並ビニ日本ヲ含ム犯罪ノ行ナワレタル国々ノ国内法、マタハソレラノ一マタハ二以上ニ違背シタル平和ニ対スル罪、通例ノ戦争犯罪及ビ人道ニ対スル罪ナリ。』

 第3類通例の戦争犯罪並びに人道に対する罪は、次のように示されている。すなわち『該罪ハココニ記載セラレタル者及ビソノソレゾレガ、極東国際軍事裁判所条例第5条、特ニ第5条《ロ》及ビ《ハ》並ビニ国際法マタハソノイズレカノ一ニヨリ、個々ニ責任アリト主張セラレオル行為ナリ。』

 キーナン氏は、検察側の立証段階の開始にあたって、起訴状の根拠となった法律に関する陳述と称するものに相当の時間をさいたが、しかしここでも事態は依然として漠然たるままに残された。氏はいわく『マズ本裁判所ニヨリ審理サレ得ル罪ハ本裁判所条例ニテ定義セラレテオリマス』次いで氏は共同謀議という言葉を定義づけ説明していわく、『本起訴状中ニ起訴サレテオル第一ノ犯罪ハ共同謀議デアリマス、コノ犯罪ハ単ニ名ヲ示サレテイルノミデ、定義ハ与エラレテオリマセンカラ、何カ定義ヲ下サナケレバナリマセン。』氏がここで『単ニ名ヲ示サレテイルノミデ、定義ハ与エラレテオリマセン・・・・』云々といっているのは、裁判所条例中において名が示されており、同条例の中では定義づけられていないという意味のようである。共同謀議を説明した後、氏はさらに続けていわく、『起訴サレタ次ノ不法行為ハ、種々ナル形態ニオイテ訴因第6ヨリ第36ニ亘ッテイマス。シカシナガラ、コレラ不法行為ニハ、スベテ同一ノ本質的要素ガ含マレテイルノデアリマス。スナワチ「『宣戦ヲ布告セル、マタハ布告セザル侵略戦争ノ計画、準備、開始並ビニ実行』」マタハ「『国際法、条約、協定マタハ保障ニ違背セル戦争ノ計画、準備、開始マタハ実行。』」

 『コノ定義ノ最初ノ部分ヲトルナラバ、コノ場合本質的要素トハ『侵略戦争』デアリマス。コレハ国際法ノ下ニオケル犯罪デハナイデショウカ、ソシテ起訴状ニ言及シテアル期間中始終左様デアッタノデハナイデショウカ。ワレワレハ然リ、カツソウデアッタト主張スル者デアリマス。コノ結論ニ到達スルタメニハ、ワレワレハ二ツノ事柄ヲ立証致サネバナリマセン。スナワチ第一ハコノ問題ニ関スル国際法ノ存在スルコト、第二ハソレガ国際法ノ下ニオケル犯罪デアルトイウコトデアリマス。コノ二ツノコトヲ立証スルコトハ本裁判ニオケル重要ナル課題デアルト信ジマス。』と。

 氏はその点に関してさらに国際法を検討し、次の事実を裁判所ニ顕著ナル事実トシテ法的認知されるように要請した。その事実とは『各時代において、また数多の学者たちによって「普通法」とか「一般法」とか「自然法」とか「国際法」として知られている国際法規の一群が存在する』ということである。

 この件について検察側がとった立場は、本官の解釈では次のようなものである。すなわち検察側の主張では起訴状の基礎となっているものは、訴追された行為がなされたときに、すでに存在していた国際法の既存諸法規であって、これら訴追が成立するか否かは、ひとえに本裁判所がこれら国際法の既存諸法規について、どんな見解をとるかという問題にかかっているというのである。

 本裁判所の管轄権に関して弁護側から申し立てられた予備的異議の審理に際し、検察側のコミンズ・カー氏は1946年5月14日の陳述の中で、上述の立場を明らかにして次のように述べた。いわく、

 『われわれは本裁判所に対し、何も新しい法律をつくることを要請しているのでもなく、また本条例が何も新しい罪を創造せんとしていると認めるものでもありません』と。

 カー氏の言うところでは、国際法そのものは、

 『慣習により漸次創造され、しかして古くより樹立された原則を、司法官すなわち法の施行に当たる人々が新しき事態に適用し来ったところから漸次生まれ出でたものであるから・・・・新しき事態の発生せることを発見した場合、確立された既存の原則をこの新しい事態に適用すること、その場合そのような適用がすでに行なわれたという適確な先例がすべての場合に存在するか否かの問題には構わずに、そのような原則を適用することは本裁判所の義務であります』

というのである。

 その立場は検察側によりて、最終勧告において一層明確にされた。その最終勧告において検察側は『本裁判所条例ハ裁判所ノ構成及ビ管轄権ニ関シ、又証拠、手続ニ関スル一切ノ事項ニ関シ決定的デアル』と申し立てた。『第5条に例挙された犯罪』に関しては、検察側は『本条例ハ少ナクトモ1928年以降、実際ハソレ以前ヨリ存在セル国際法ヲ単ニ宣言セルモノ(宣言的法律)デアリ、現ニソノ意図ノ下ニ作ラレタモノデアル』と主張している。検察側は本裁判所に対して、右の命題を検討し、これに基づいてその判決を下すようにと促した。

 しかしながら、検察側の見解が何であろうと、本官の意見によれば検察側が行なわれたと主張する諸行為に犯罪性があるかないかは、それらの諸行為のなされた当時に存在した国際法の諸規則に照らして決定されなければならない。私見によれば、本条例はかような犯罪について一切定義を下すことを得ないし、かつ定義を下してもいない。それは、また本件で主張されている諸事実に対して、われわれ自身その存在を認めたところの国際法の諸規則を適用するわれわれの権能と管轄とをいかなる意味においても制限してはいない。

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