歴史の部屋

 この訴追は『1945年7月20日のポツダム宣言、1945年9月2日の降伏文書並びに裁判所条例に準備(正誤表によると「準備」は誤りで「準拠」が正しい)』していると述べられている。

 問題のポツダム宣言中、関連のある諸規定は、第5項から第8項まで並びに第10項及び第13項中に含まれており、左の通りである。

『5、吾等ノ条件ハ左ノ如シ、吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルベシ、右ニ代ワル条件存在セズ。吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ズ。

『6、吾等ハ無責任ナル軍国主義ガ世界ヨリ駆逐セラレザレバ、平和安全及ビ正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲモッテ、日本国国民ヲ欺瞞シ誤導シテ、世界征服ノ挙ニ出デシメタル者ノ権力及ビ勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ。

『7、右ノ如キ新秩序ガ建設セラレ、カツ日本国ノ戦争遂行能力ガ破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ルマデハ、連合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ、吾等ガココニ指示スル根本的目的ノ達成ヲ確保スルタメ占領セラルベシ。

『8、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク、又日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、四国並ビニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ。

『10、吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ、又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニアラザルモ、吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰ヲ加ウルモノナリ。日本国政府ハ日本国国民ノ間ニオケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障碍ヲ除去スベシ。言論、宗教及ビ思想ノ自由並ビニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ。

『13、吾等ハ日本国政府ガ直チニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ、カツ右行動ニオケル同政府ノ誠意ニツキ適当カツ充分ナル保証ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス。

 右以外ニ日本国ニ残サレタル途ハ迅速カツ完全ナル壊滅アルノミトス。』

 降伏文書はこの要求を応諾し、第2節において左の通り無条件降伏を宣した。いわく、

 『下名ハココニ日本帝国大本営並ビニ何レノ位置ニアルヲ問ワズ、一切ノ日本国軍隊及ビ日本国ノ支配下ニアル一切ノ軍隊ノ連合国ニ対スル無条件降伏ヲ布告ス』

 本官の当面の目的のためには、本文書の最終の一節を引用すれば足りる。その節は次の通りである。いわく、

 『天皇及ビ日本国政府ノ国家統治ノ権能ハ、本降伏条項ヲ実施スルタメ適当ト認ムル措置ヲ執ル連合国最高司令官ニ服セシメラルルモノトス』

 『無条件降伏』という語は、今や全面的な敗北を容認する意味の兵語(military vocabulary軍事用語)の技巧的表現となってきている。その語の歴史に関しては、1865年4月9日に、南軍指揮官ロバート・E・リー将軍が、当時の北軍指揮官ユリシーズ・S・グラント将軍に降伏した(米国)ヴァージニア州アポマトックスにおける一場面に由来するとなすものもある。しかしながら、われわれの関心をもつものは、この語の歴史ではない。当面の目的のためにはこの語が特殊な意味をもつに至った経過よりは、その意味がどこにあるかを問題とするのである。無条件降伏とは完全な敗北並びにかかる完全な敗北の容認を意味するのである。それは、勝者の武力に完全に屈伏し、その運命を勝者の掌中に委ねることを意味する。敗者の得るところは規定に基づいてこれを得るのではなくて、実に勝者の好意から与えられるのである。正式降伏の後実施されるべき政策方針について勝者が寛大な立場から敗者に対して正式降伏前にある暗示を与えるということは、ここでは問題にならない。もとより、こう言ったからとて、敗者は勝者の力のもとになすがままになって何らの保護をも与えられていないというつもりではない。国際法及び慣例はこういう場合においての勝者の権利義務を定義することになっているのである。かような法律が、真の保護を付与する上にいかに無力であるとしても、少なくとも勝者に生殺与奪の権を委ねる立場に敗者を法律上立たせることはないのである。

 諸国が被征服国家との関係において国際法のもとに占める戦勝国としての立場が何であるかについては、後ほど検討することとしよう。本官はここで降伏要求の条件並びに最後の降伏条件に関する限り、それらの条件中には日本国または日本国民に関する絶対的主権を戦勝国家ないしは最高司令官に付与するものは全然ないということを指摘すれば充分である。さらにこれら諸条件の中には、明示的にも、また必要な黙示をもってしても、戦勝諸国もしくは最高司令官に対し、日本国及び日本国民のために法律を制定しあるいは戦争犯罪に関して立法することを許可するというようなものは存しないのである。ここで留意すべきことは、戦勝諸国が最高司令官に権能を付与するにあたって、いずれの協定にもせよ、協定に基づいて戦敗国から権能を継承したと主張しなかった点である。

 『最高司令官ノ権能』はその第3節において、左の通り述べている。すなわち

 『ポツダム宣言ニ含マレタル意向ノ声明ハ完全ニ実施セラルベシ。然レドモ右声明ハ我々ガ右文書ノ結果トシテ、日本国トノ契約的関係において拘束セラルルモノナリト認ムルガユエニ実施セラルベキモノニアラズ。ポツダム宣言ハ日本国ニ関シカツ極東ニオケル平和ト安全ニ関シソノ信条ヲ表明スル我々ノ政策ノ一部ヲ形成スルモノナルガユエニ尊重セラレカツ実施セラルルモノトス。』

 本官は次に本裁判所を構成する条例を取りあげよう。関連ある諸規定は第1条、第2条、第5条及び第6条中に見出され、左の通りである。

   第1章 国際軍事裁判所条例


 『第1条 裁判所の設置極東における重大戦争犯罪人の公正かつ迅速なる審理及び処罰のため、ここに極東国際軍事裁判所を設置す。

裁判所の常設地は東京とす。

 『第2条 裁判官。本裁判所は降伏文書の署名国並びにインド、ヒリッピン国により申し出でられたる人名中より連合国最高司令官の任命する6名以上11名以内の裁判官をもって構成す。


   第2章 管轄及び一般規定


 『第5条 人並びに犯罪に関する管轄。本裁判所は、平和に対する罪を包含せる犯罪につき個人として又は団体員として訴追せられたる極東戦争犯罪人を審理し処罰するの権限を有す。

左に掲ぐる一又は数個の行為は個人責任あるものとし本裁判所の管轄に属する犯罪とす。

 『イ、平和に対する罪 すなわち、宣戦を布告せる又は布告せざる侵略戦争、若しくは国際法、条約、協定又は保証に違反せる戦争の計画、準備、開始、又は実行、若しくは右諸行為の何れかを達成するための共通の計画又は共同謀議への参加

 『ロ、通例の戦争犯罪 すなわち、戦争法規又は戦争慣例の違反

 『ハ、人道に対する罪 すなわち、戦前又は戦時中なされたる殺戮、殲滅、奴隷的虐使、追放その他の非人道的行為、若しくは犯行地の国内法違反たると否とを問わず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又はこれに関連してなされたる政治的又は人種的理由に基づく迫害行為

上記犯罪の何れかを犯さんとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者、組織者、教唆者及び共犯者はかかる計画の遂行上なされたる一切の行為につき、その何人によりてなされたるとを問わず、責任を有す。

 『第6条 被告人の責任。何時たるとを問わず被告人が保有せる公務上の地位、若しくは被告人が自己の政府又は上司の命令に従い行動せる事実は、何れもそれ自体右被告人をしてその問擬せられたる犯罪に対する責任を免れしむるに足らざるものとす。ただしかかる事情は本裁判所において正義の要求上必要ありと認むる場合においては刑の軽減のため考慮することを得。』

 同条例中には右諸規定を除いては他に現在ここで考察中の問題に関係のある規定は存しない。同条例中には裁判所に対し、なんらの特定の法を適用、もしくは除外する義務を課するような明示的な規定はない。

 ここに考慮している問題について同条例の諸規定を検討する前に、本官は、これに関連する弁護側弁論中の一部門を処理したいと思う。この議論は、本官の考えでは、法の不遡及の原則から生じた、成文法の解釈に関する、すでに一般に承認された定則についての誤解に基づくものではないかと思う。弁護側は条例中になんらかの定義があるとすれば、それらは右の原則の下に無効であると言おうとしたのである。

 ある法律に対し遡及性を否認する規則は、その法律の制定者がそれを遡及させることができないというのではない。しかし、通常は遡及させてはならないし、また、遡及的作用を避けることができる限りは各裁判所は常にこれを避けるべきであるというのである。

 本裁判所条例によって意図されたことは、明らかに過去の諸行為について犯罪を認めることができる場合に、それを裁判するための裁判所の設置を規定しようというのである。本条例の有するこの範囲に関しては疑念はあり得ないし、従ってわれわれがその規定の中に不遡及性があると解釈することは困難である。

 また仮に本条例の制定者が、いやしくも法律を制定する権限を付与されていたとするならば、その権限はすべて過去の、しかも既遂の事実となった行為に関するものであることは否定できない。

 しかしこの点に関し本官が裁判所条例について抱いている見解を採るに至ったのは、右に述べた考慮からだけではない。それと反対の見解をとるならば、裁判所条例はラテン語にいう「権限ヲ超エタルモノ(「権限ヲ超エタルモノ」に小さい丸で傍点あり)」となるであろう。

 最高司令官の権能に関する諸条項は、さきに引用した通りである。これらは最も簡単な様式のものであり、最高司令官に対し国際法の規定を確定する権限を付与するとは、どこにも明記していないのである。

 この点に関して次のような主張がなされている。すなわち、モスコー宣言はこれに関する連合諸国の意向を明らかにしたものであり、同宣言において連合諸国は、『戦争犯罪人』とは平和に対する犯罪を犯したものとして今現に類別されている者を意味し、かつそれらを含むものであると明確に宣言したのである、と。

 モスコー宣言は1943年11月1日発表されたが、本官は同文書中に右に述べられたような見解を支持する何ものも発見することができなかった。同宣言は「厳密ナル意味ニオケル(「厳密ナル意味ニオケル」に小さい丸で傍点あり)」戦争犯罪人に言及している。その他の者に言及しているのは、最後の一節だけである。いわく

  『上述ノ宣言ハ、一定ノ地理的地域ニ局限セラレザル犯罪ヲ犯シタル重大ナル犯罪人ノ問題ニ影響ヲ及ボスモノニアラズ彼ラハ同盟国政府ノ共同決定ニヨリテ処刑セラルベキモノトス。』

 『重大ナル犯罪人』とはだれであるか同文書中のどこにも言っていない。同文書の初めの部分に「戦争法規(「戦争法規」に小さい丸で傍点あり)」に違反して幾多の残虐行為を実際に行なった人々が明確に指名されている。これらの重大犯罪人とは、単にこれら残虐行為に関する一般命令―もしそのようなものがあったとすれば―を発した責任者たちのことかもしれない。しかしかりに、この表現が侵略戦争準備の責任者を包含するように意図されたものと推定しても、同宣言は、連合諸国が、それらの人々が国際法上この点に関して有する法的立場のいかんにかかわらず、かれらを戦争犯罪人として予定していたとは言っていない。たとい連合諸国がそのような意向を持っていたとしても、国際法がそれを規定しているのでない限り、この諸国の宣言だけでは、これら諸国にかような法的権限を付与することにはならないのである。これは力を背景とする威嚇の宣言であったかもしれない。しかし連合国が力を行使する代わりに、事件を司法裁判所の手にゆだねる道を選ぶならば、そうしたという事実そのものが正にかような人々を法律に従って処理したいという、これら諸国の意向を充分に明示するものである。

 ここでカリフォルニア大学のハンズ・ケルゼン教授がこの点に関して、戦勝国の立場について述べたことに触れるのが適当であろう。この点に関して同教授を引用するのは、彼の意見が検察側に最も有利な意見であるからである。同教授は次のように述べている。すなわち

 『もし、今次戦争に対して道徳的責任を有する個人、すなわち国家の機関として、一般的ないしは特殊的国際法を無視して今次の戦争に訴え、もしくはこれを挑発した人々が戦争の張本人として、被害国によって法的に責任を負わされるべきであるとすれば、次のことを考慮に入れる必要がある。すなわち

 『1、一般的国際法は、問題となった行為に対して個人的責任を設定するものではなく、集団的責任を設定するものであること。また

 『2、罪を犯した人々が処罰される原因となる諸行為は国家の行為であること、すなわち一般的国際法によれば、政府の行為もしくは政府の命令又は許可の下に行なわれた行為であること。』

 同教授によれば、

 『もし個人が国家の行為として行なった行為のために、他国の裁判所または国際裁判所によって処罰されるべきものとすれば、その裁判の法的基礎となるものは、原則として、その行為が処罰の対象となるところの国家との間に締結された国際条約でなければならない。そしてその条約によって、それらの個人に対する裁判管轄権が国内裁判所または国際裁判所に付与されるのである。』同教授はさらに次のように指摘している。『もしそれが国内裁判所である場合には、その裁判所は、少なくとも間接的には国際裁判所としての権能を行なうものである。その裁判所は判事が単一の政府によって任命されるという、その構成の点においてのみ国内的なのである。その裁判管轄権の法的基礎においては国際的である。』

 一国の法律は国際法に違反する他の諸国の行為に対し、制裁を課する規範を含むものではないとケルゼン教授は言っている。一般的または特殊的国際法の規則を無視して戦争に訴えることは、国際法違反であるが、戦争の遂行方法を律する国際法上の規則の違反と異なって、それは同時に国内刑事法の違反となるものではない。このような行為に対し、個人を処罰する権限のある国内裁判所が適用する実体法としては、ただ国際法があるだけである。それゆえに国際条約は単に犯罪だけでなく、刑罰をも決定しなければならない。そうでなければ国際条約は、国際裁判所に対し、それが適当と考える罰を定める権能を付与しなければならない。

 ケルゼン教授によれば『国家の行為としてなされた行為について個人を処罰する権能を裁判所に付与する国際条約は、遡及力のある国際刑法の規範を構成するものである。なぜならばその行為は、それが行なわれた当時においては、個々の遂行者が責任を負うべき犯罪ではなかったからである。』

 本官は、同教授に対し尊敬を払うものではあるが、同教授がかような犯罪人に対する裁判及び処罰の合法性を支持するために提唱した命題のすべてに同意するものではない。かような条約によって常に「事後法(「事後法」に小さい丸で傍点あり)」を制定することができ、かつかような人々の裁判にこれを適用することができるという見解をうけいれることはできない。しかし今の場合、この命題に対して異議を唱える必要はない。この裁判の場合においては、そのような条約は存在しない。そして最高司令官の権能に関する諸条項は、最高司令官に付与されたどのような権力も、決して契約的関係を通じて戦敗国から継受したものでないことを特に明らかにしている。

 以上述べたところから見て次のことは充分明白であると思う。すなわちもし連合国が戦勝国として国際法のもとでかような人々を戦争犯罪人として取り扱う法的権利をもっていないとすれば、連合国は条約によっても、あるいはその他の方法によっても、かような権利を継受していないのである。連合国が法律上自己に属していない権力を、あえて自己の手に収めようという意図を少しでもほのめかしたことはない。従って国際関係において戦勝国が戦敗国に対して有する合法的権能の範囲が何であるかを探求するのは当を得たことである。20世紀の今日においては、戦敗国の人や財産に関してこの権力が今日なお無制限なものであると主張する者は一人もないと信ずる。復仇の権利は別として、戦勝国は疑いもなく、戦争法規に違反した人々を処罰する権利を持っている。しかしながら戦勝国が任意に犯罪を定義した上で、その犯罪を犯した者を処罰することができると唱えることは、その昔戦勝国がその占領下の国を火と剣とをもって蹂躙し、その国内の財産は公私を問わずすべてこれを押収し、かつ住民を殺害し、あるいは捕虜として連れ去ることを許されていた時代に逆戻りすることにほかならない。国際法が戦勝国に対しこのようにして任意に犯罪を定義することを許さなければならないこととなった暁には(英国の政治漫画家)デイヴィッド・ローの『平和』にあるように、数世紀前にたしか前に進むつもりで旅路についた国際法が、いつの間にか出発前に逆戻りしていることに気がついて、唖然とするであろう。おそらく人類もまた、その驚きを外面に示さぬだけの文明人とはなってはいても、内心では同様の驚きを感ずるであろう。




 戦勝国は現行国際法に従い犯罪を正確に定義したとライト卿は言っているが、「裁判所」に現行法に照らしてこの定義を検討する途が開かれていないならば、たといそれがたまたま正しい定義であったとしても、戦勝国によって与えられた定義にしかならないという事実を卿は看過している。本官の意見ではこのような権力は国際法の原則に反しており、戦勝国による危険な権力簒奪であって、どんな正義の原則に照らしても許されないことである。

 侵略戦争を国際犯罪と称してもよいかどうか、また侵略国の政府もしくは作戦指導機関を構成する個人を、かような犯罪に対し、責任のあるものとして訴追してよいかどうかの問題を考察するにあたって、グルック博士は、ニュールンベルグ国際軍事裁判所がその裁判の基準とすると考えられている裁判所条例は、右の両問題に対して独断的に肯定の答えを与えている、と言っている。同博士の見解では『連合国が、征服者の意志による行為としてこのような条例を起草し、かつ採用する権能を有したことは疑いを容れない。したがって、ニュールンベルグ裁判所が右に引用した制限によって同裁判所が完全に拘束されるものと考えるのはもっともである。』《ニュールンベルグ裁判所条例第6及び第7条参照、当裁判所条例第5及び第6条に該当》

 ニュールンベルグ裁判所は、それが同裁判所条例中のいわゆる法の定義に拘束されているものと見なしていたようである。しかしながら本件において、検察側に対し公正を期するとすれば、検察側はこの点に関し本裁判所条例に、なんら決定的性質があるとは主張していないことを指摘しなければならない。検察側の言をかりれば、『本裁判所ノ構成及ビ管轄権ニ関シ、又証拠及ビ手続ニ関スル一切ノ事項ニ関シ本裁判所条例ハ決定的ナモノデアル。』(本条例の)第5条に列挙された犯罪に関しては、検察側は次のように申し立てている。すなわち『国際法ガ少ナクトモ1928年以降存在セルトコロヨリシテ本裁判所条例ハ国際法ヲ単ニ宣言セルモノデアリ、又ソレヲ目的トシテイル。』と。われわれ判事はこの命題を検(←正誤表によると「ように申し立てている。すなわち『国際法が少なくと・・・・・・目的としている。』と。われわれ判事はこの命題を検」の代わりに次の文を入れるのが正しい。「ように申し立てている。すなわち『本裁判所条例は少なくとも1928年以降存在した国際法を単に宣言したものであり、又それを趣旨としたものである。』と。われわれ判事はこの命題を検」)討し、それに基づいて判決を下すように検察側から要望されている。もちろんこの点に関して、国際法の規定がそれと異なっているという結論に達した場合、判事が何をなすべきかについては、検察側は何とも言っていない。

 本裁判所条例中における定義と想定されたものが国際法上の正当な立場を表明していないと仮定した場合、グルック博士の言おうとすることが、裁判所条例は征服者の意志による行為である。それゆえにかような意志に従うことを余儀なくされた者はこれに服しなければならない、というのであるならば、同博士の言う意味は理解できる。しかしながら、どうしてグルック博士が征服者はこのように意志する権能を有すると言うことができるのか了解に苦しむ。本官は、現行国際法はそのいずれの部分においても、征服者に対してこのような権能を付与していないと信ずる。敵国人に対する交戦国の権利も、またかような人に関する征服者の権利も、かような権能を包含してはいない。敵の領土の軍事占拠に基づく権利も、また敵の領土の占領に基づく権利も、侵入者ないし征服者に対し、かような権能を付与するものではない。被告は俘虜として取り扱われると否とにかかわりなく、法的には侵入者ないし征服者に生殺与奪の権をゆだねたことにはならないのである。単に軍事的必要のみが侵入者ないし征服者に対し非常に広汎な権力を付与していると思われるのであって、恐らくかような軍事的必要の要求するところに限界を設けるのは、不可能なことであろう。しかしその場合においても、軍事的必要というのは単に便宜上の言葉ではなく、避けがたい現実であることを要する点を記憶しなければならない。

 交戦国は攻撃の権利から直接生じて来るところの敵に対する権利を有しているほ(←この1文字判読困難。「ほ」ではないかもしれない)か、さらに戦争法規に違反した人々がその権力内に陥った場合、これを処罰する権利をも有していることは疑いを容れない。ホールは次のように言っている。すなわち『上述の権利を行使することに対しては、もし交戦国が、一般に承認された法規の違反を処罰するにとどまるならば、なんら異議を挟む余地はない。しかしながら、なされた行為が非合法的であるとは一般的に考えられていない場合には、・・・・戦勝国がどの程度にもせよ、自己の見解を強行することが正当であるか否かは明確でない。そしてもとより死刑あるいは不名誉な罰を課するようなことは、できる限り避けるべきである。』と。ホールはここで「厳密ナル意味ニオケル(「厳密ナル意味ニオケル」に小さい丸で傍点あり)」戦争犯罪のことを言っているが、このような場合においてすらも、法律に関する戦勝国自体の見解は、その行為又は意志を正当化するものではない。本官の意見では、この点に関しては、征服者は国際法上より以上の権利を何ら享有するものではない。

 本官は、さらに国際裁判所はだれによって設置され、まただれによって構成されているとしても、かような征服者の意志表示によってなんら拘束されるものではないという意見を持っている。この問題をここでこれ以上検討する必要はない。けだし本裁判所条例は犯罪を定義するものではなくて、ある行為についてそれを行なった人を裁判所の管轄権の下におくような行為を単に明示しているに過ぎないというのが、本官の見解であるからである。

 この点に関して検察側は、ニュールンベルグ裁判所の判決にわれわれの注意を喚起している。同裁判所の判決を発表するにあたって裁判長ローレンス卿は、同裁判所を設置した条例の規定に言及して、次のように述べたと報道されている。すなわち、

  『これらの規定は、本件に適用されるべき法律として本裁判所を拘束するものである。裁判所は追って、これらの規定をさらに詳細に検討するが、そうする前に、事実を検討することが必要である。』

 そののちに「裁判所条例の定めた法律」を考察するに当たって、卿は次のように述べた。すなわち、

  『本裁判所の管轄権は協定及び条例の中で確定されており、裁判所の管轄に属する犯罪については、個人的責任を問われるべきものであって、それらの犯罪は、第6条に規定されている。本裁判所条例の定めた法律は決定的であり、かつ本裁判所を拘束するものである。』

 さらに右裁判所条例中の定義をとり上げて、卿は次のように述べた。すなわち、

  『既存の法がないならば犯罪の処罰はあり得ないということは、国際法であるか、国内法であるかにかかわりなく、すべての法の基本的原則である、という主張が被告のために行なわれた。

 「法律ノナキトコロ犯罪ナク法律ノナキトコロ刑罰ナシ(このカギ括弧内のすべての文字に小さい丸で傍点あり)」また「遡及的ナル」処罰はすべての文明国の法律に反するものであり、主張されている犯罪行為が行なわれた当時においては、どんな主権国も侵略戦争を指して犯罪であるときめていなかったし、侵略戦争を定義した成文法は何ら存在せず、かような戦争を遂行したことに対する刑罰は規定されておらず、また違反者を裁判に付し、かつ処罰するための裁判所も設立されていなかったとの申立が行なわれた。』



 ローレンス卿はさらに次のように述べた。すなわち

  『まず第一に「罪刑法定主義(「罪刑法定主義」に小さい丸で傍点あり)」は主権を制限するものでなく、一般的に裁判の原則の一つであることに注意すべきである。条約及び保障を無視して隣接諸国を無警告攻撃した者を罰するのは、不当であると断言することは明らかに正しくない。何となればかような事情の下においては、攻撃者は自らが不法行為を行ないつつあることを自覚しているに相違なく、従って攻撃者を罰することが不当であるどころか、もし彼の不法行為が罰せられずに放置されたならば、それこそ不当であるというべきである云々』

 ローレンス裁判長によれば、

  『侵略戦争に関する限り、右の見解は1939年における国際法の現状を考慮することによって一層強固なものとなるのである。』彼が続けていわく。『1928年8月27日の戦争法規に関する一般的条約、すなわちパリー条約あるいはケロッグ・ブリアン不戦条約としてさらに一般的に知られている条約は、1939年の戦争開始の当時、ドイツ、イタリー及び日本を含む63ヶ国に対して拘束力があったのである。

  『問題は、この不戦条約の法的効果は何であったかということである。右条約に調印したか、またはこれに加入した諸国は、将来において政策の一手段として戦争に訴えることを無条件に不法とし、そして戦争を明示的に放棄したのであった。右条約調印後は、どんな国でも、国家的政策の一手段として戦争に訴えた場合には、すべて右条約に違反したこととなる。本裁判所の見解によれば、国家的政策の手段としての戦争を厳粛に放棄することは、かような戦争は国際法上違法、また不可避(正誤表によると、「また不可避」は削除すべきものとされている)であって、かついろいろな恐ろしい結果を伴うところの、かような戦争を計画し、遂行する者は、こうすることによって罪を犯すものであるという命題を必然的に含むものである。国際紛争の解決のため、国家的政策手段として遂行される戦争は侵略戦争を含むこと疑いなく、それゆえに、かような戦争は右条約によって不法であると断定されているのである。云々』

 裁判所条例を「別個ノモノトシテ除外シテ(この括弧内のすべての文字に小さい丸で傍点あり)」考えた場合の国際法とは何であるか、また、パリー条約以後における国際法がどんな状態にあるかの問題は、下文に論ずることとする。ここでわれわれの唯一の関心事は、ローレンス裁判長の所論のうち、同裁判所条例の拘束的性質を論じた部分である。

 本官はそれが戦争犯罪を定義しているか否かをたしかめるために、僭越にも他の《ニュールンベルグの》裁判所条例の範囲を審査する義務を自ら負おうと欲するものではない。本官は同裁判所が決定したように、右条例は戦争犯罪を定義したものと仮定するとしよう。右条例が戦争犯罪を定義する趣旨のものであったと仮定しても、問題となるのはその定義が右裁判所の「権限内ニアリ(「権限内ニアリ」に小さい丸で傍点あり)」や否やということである。

 ローレンス裁判長は「罪刑法定主義(「罪刑法定主義」に小さい丸で傍点あり)」は主権に制限を加える主義ではなくて、裁判の原則にすぎないから、本件に適用される理由がないと考えるのである。

 本官はアメリカ合衆国憲法が第1条第9節及び第10節において、連邦議会は『事後(「事後」に小さい丸で傍点あり)法ヲ発スルコトヲ得ズ』とし、又『各州ハ・・・・イカナル事後(「事後」に小さい丸で傍点あり)法モ制定スルコトヲ得ズ』と規定することによって、この点に関して米国の主権そのものに制限を加えたかどうかについては明白な認識を持たない。本件においての裁判所条例の制定者は、少なくともその権能の一部をアメリカ合衆国から継受したのである。そして彼の有する立法権に関する限り―――少なくともそれが米国主権から委任されたものであるとして、その権力を支持しようとする試みがなされる場合においては―――その立法権は前に述べた制限に服するものである。しかしここではローレンス裁判長による右の法律格言(すなわち罪刑法定主義)の解釈は正しいという仮定の下に論を進め、主権の問題がどういう工合にここに介入して来るか調べてみよう。

 ローレンス裁判長は次のように述べている。『本裁判所条例の制定は、ドイツ国の無条件降伏の相手国たる諸国による主権的立法権の行使であった。そして占領地域に対するこれらの立法の権利に疑問の余地がないことは、文明諸国に認められてきたものである。裁判所条例は、戦勝国による権力の恣意的行為ではなく、本裁判所の見解によれば、以下に示すように、本条例制定の当時に存在した国際法を表現したものであり、そしてその範囲内において、本条例それ自体が国際法に対し一つの貢献をなすものである。』

 ローレンス卿はさらに言をついで、いわく『締約国は本裁判所を設立し、裁判所の施行すべき法を定義し、そして本裁判を適切に進行させるための諸規程を定めたのである。こうすることによって、締約国は、その各々が単独にでも行なったかもしれないことを、共同して行なったのである。何となれば、どんな国家も法を施行するため、かようにして特別な裁判所を設置する権利を有することは疑いを容れないからである。この裁判所の構成に関して、被告らがその権利の範囲内で要請し得ることは、事実及び法律に照らして公正な裁判を受けることだけである。』

 ローレンス裁判長によれば『本裁判所条例は、侵略戦争または国際条約違反の戦争を計画し、遂行することを犯罪としている。ゆえにロンドン協定の実施以前において果たして侵略戦争が犯罪であったか、またそれがどの程度において犯罪であったかを考察することは、必ずしも必要ではない・・・・。』

 ローレンス裁判長は『ドイツ国の無条件降伏の相手国たる諸国による主権的立法権の行使』に言及している。そして同裁判長はさらに、『締約国の各々が単独にでも行なったかもしれないこと』に言及している。従ってローレンス裁判長が以上の意見を述べた際、どちらの主権を念頭においていたかはあまり明白でない。同裁判長は、以下の二つの主権中のどちらか一方または双方を念頭においていたのかもしれない。すなわち

 1、戦敗国の主権

 2、戦勝国の主権

 ニュールンベルグ判決のこの部分は『裁判所条例の定める法律』なる項目に属し、管轄の問題に関連する二つの明確な(正誤表によると「明確な」は誤りで「別個の」が正しい)事項を取り扱っているように見える。すなわち第一は同裁判所の創設であり、第二は、こうして創設された裁判所によって施行されるべき法を定義することである

 それゆえに、上述のローレンス裁判長の所見は以下の諸問題を含むものである。すなわち

 1、《a》戦勝国は、それぞれの国家主権に基づく権利に従って、その手中に陥った俘虜を、「戦争犯罪」のかどで裁判し、処罰し得るか否か。

   《b》右の目的のもとに、戦勝国はそれ自身の主権に基づく権利に従って、次のことをなし得るか否か

    《1》かような裁判のための裁判所の設置、

    《2》かような戦争犯罪を定義する立法。

 2、どんな国家にしても《戦勝国あるいは戦敗国》、ある一国がその主権に基づく権利を行使する上において、

   《a》戦争犯罪について自国国民を裁判し、また処罰し得るか否か、

   《b》またこの目的のもとに次のことをなし得るか否か

    《1》かような裁判のための裁判所の設立、

    《2》かような戦争犯罪を定義する立法。

 3、《a》戦勝国は次の理由のもとに果たして戦敗国よりその主権を継受するか否か

    《1》戦敗国が無条件降伏したとの理由、

    《2》または降伏の条件に基づき、

    《3》あるいは右以上の何らかの理由、

   《b》もし継受するとすれば、この取得した主権は、戦敗国主権の通常及び特別の権利をすべて包含するか否か。

 右の数個の問題に関する限り、(同裁判長の)言明はあまり明らかでない。たとえば、ある国家の権利に関して、何が『疑いを容れない』ものであると言明しようとしたのかは明らかでない。判決には『どんな国家も法を施行するために、かようにして特別な裁判所を設置する権利を有することは疑いを容れない』とある。もしこれが特別な裁判所を設置することを指すものならば、ここでそれについて心配する必要はない。しかしながらもしこれが、かような『裁判所が施行すべき』『法を定義する』権利を指すものならば、本官は上述のように表明された意見に対してあえて反対の意を表するものである。国際法は今日においてもかような権利がどんな国家にも存するとはまだ認めていない。

 ローレンス裁判長の所見は以下の説を含んでいるように見える。すなわち、

 1、戦争犯罪人に対する管轄権は次の諸国家に属する、

  《a》犯罪人自身の国家、

  《b》犯罪人が相手国の手中に陥った場合、その交戦国、

 2、《a》戦争犯罪人の属する国家は、戦争犯罪を定義する法律を制定する権力を有していた。

   《b》降伏のゆえをもって、右の権力は今や戦勝国の手に帰している。

 3、《a》かような戦争犯罪人が、その手中に陥る可能性のある交戦国は、いずれも右犯罪人の犯罪を定義する立法の権利を有していた。

   《b》連合戦勝国もその結果として右の権利を有するのである。

 本官がすでに触れておいたように、以上の3項目にわたる命題中の第1に対しては異論はない。しかしすべての困難は前述の第3項《a》及び第2項《b》に存するのである。

 本官は、右にも第3項《a》と記された命題を真剣に支持する者はだれもないと信ずる。本官がすでに論及したように、被拘禁者は一般に認められた法の規則に違反した場合に限り裁判にかけられ、処罰されることができるものである。第3項《a》において構想されたような性質の権力は、すべて戦敗者を即時殺戮した昔の時代と今日の時代との間に横たわる数世紀の文明を抹殺するものである。

 右の裁判所条例が『戦勝国による権力の恣意的な行使』(ニュールンベルグ判決より)であるかないか、またそれが『本条例制定の当時に存在した国際法を表示した』(同前)ものであるかないか、『そしてその範囲内においては、条例それ自体が国際法に対し一つの貢献をなす』(同前)ものであるかないかは、われわれの当面の目的には関連がない。もし裁判所条例の制定者が裁判所が施行の義務を負うこととなる法律を制定しそれが法律であるとする権利を有していたとするならば、裁判所はその法律を施行しつつある一方においてかような疑問を提起するなどということはできない。もし条例の制定者が、自身の行為を正当化するように要求されることがあるとすれば、その場合にだけかような考察は関係を有することとなるのである。現在われわれの当面の問題は、裁判所条例の制定者らが、かれらの拘禁している俘虜を裁判するために戦争犯罪を定義する法律を設ける権利を有していたか否かにある。

 アメリカン・ジャーナル・オブ・インターナショナル・ロー(米国国際法雑誌)編集局のクインシーライト教授は、1947年発行の同誌に掲載された『ニュールンベルグ裁判の法律』と題する一論文中に、判決文中のこの部分に言及して以下のように論じている。すなわち、『各国家は・・・・・・少なくともその戦争犯罪がその国家の安全を脅威するならば、戦争犯罪を犯したもので(現在)その国家によって拘禁されているものを裁判するため、特別の裁判所を設置する権限を有する。この管轄権は、右裁判所条例により付与された管轄権をも包含する程に十分に広汎なものであると考えられる。』ライト教授が「戦争犯罪」を定義することを目的とする交戦国の立法の権利までも支持しようと欲するものであるかどうかは明らかでない。本官は同教授に、かような意図のなかったことを希望するものである。本官が同教授の所見を読むとき、同教授は(前述の立法の権利を支持しないのは勿論のこと)その行為が一般に認められた法の規則のもとにおいて犯罪行為であるばかりでなく、その上に右交戦国の安全をも脅威する場合だけに交戦国の裁判の権力を局限しようとさえしているように思われる。

 ライト教授のローチュス号事件判決及びこれから引き出された結論に対する言及は、戦勝国が有するとされる立法の権力の議論を少しも強化するものではない。刑事裁判権を拡張することは、「犯罪」を定義することによって刑法そのものの範囲を拡張することとは全然別個のものである。本官の意見としては、一国がその拘禁中の俘虜に関し、前節の最後にあげた行為(すなわち犯罪を定義すること)をなすのは国際法の原則がこれを禁じていると思う。

 戦勝国はその国自体の主権的立法者の資格において、国際法が定義し、決定した戦争犯罪を犯したことについて拘禁中の俘虜を裁判する権利を有するかもしれない。しかしながら戦勝国にかような裁判のために設けられた裁判所の施行すべきものとしてこの点に関して法律を確定するところの立法をなす権利があるとは国際法も文明世界も認めていない。

 本官はさらに次の見解をとりたいと思う。すなわち、かような国家がその俘虜に対して有するかもしれない権利は、同国の主権から由来するものでなく国際法によって国際社会の一員としての同国に付与された権利である。

 かような裁判所条例を公布する戦勝国は、国際法によって同国に付与された権限を行使するにすぎない。かような国家がまだ国際団体の主権者となっていないことは確かである。その国家は、強く要望されている、かのスーパー・ステート(超国家)の主権者ではない。

 ライト教授は、この立法権の新奇な源泉を示唆している。同教授によれば、『1943年11月1日のモスコー宣言第5条及び国際連合憲章第2条第6項は、国際連合の利益を代表する四強国が国際団体全体のために立法する権利を有していたという考えを支持する。』というのである。

 なるほどこんな絶体絶命的な努力を必要とする場合が時には起こるであろう。

 モスコー宣言第5条は、『治安ノ回復及ビ一般的安全保障制度ガ未決ノ間、国際平和及ビ保全維持ノ目的ノタメ、参加国ハ相互ニ、又ハ必要ニ応ジテ、国際連合ノ他ノ諸国ト国際共同社会ノタメノ共同動作ヲ目標トシ協議ス』と述べている。

 国際連合憲章第2条第6項は、本機構ハ国際連合ノ加盟国ニアラザル国ガ国際的平和及ビ安全ノ維持ニ必要ナル限リニオイテ、右原則ニ従イ行動スルコトヲ確保スベシと述べている。

 以上述べた規定中には、かような革命的方法によって「事後(「事後」に小さい丸で傍点)」国際法をつくり出す権限を与えているものは何も見出し得ない。もちろん法律は認められた手続によらず非合法的につくり出すことができる。すなわちラテン語でいう「不正ヨリ生ズル法力(括弧内のすべての文字に小さい丸で傍点あり)」であって、現在かようにしてつくりだされ、適用されるどんな法律でも、恐らく今後は法律そのものとなるであろう。

 国際法の現状のもとにあっては、一戦勝国、又は戦勝国の集団は、戦争犯罪人を裁くための裁判所を設置する権限を持ってはいるであろうが、いやしくも戦争犯罪に関して新しい法律を制定し、公布する権限は持っていない。かような国家又は国家郡(←「群」の誤りか)が、戦争犯罪人の裁判のために裁判所条例の公布に取りかかるときには、国際法の権威のもとにおいてのみそうするのであって、主権の行使としてするのではない。戦敗国民又は占領地に対する関係においてさえ、戦勝国はそれらに対する主権者ではないと本官は信ずる。

 いずれにせよ、主権が右の点について、少なくともその主権下に拘禁中の俘虜に対するその権力に関する限り、国際法によって制限をうけていることは、文明世界によって認められている。

 次の問題は、戦敗国が敗北し無条件降伏したという理由に基づいて戦勝国が果たして戦敗国の主権を継受したか否か、又かようにして取得され、または継受された主権が、戦勝国に対して前記の立法権を付与したかどうかという点である。

 ニュールンベルグ判決は『ドイツ国が無条件降伏した相手国たる戦勝諸国による主権的立法権の行使』と言っている。戦勝国による『主権的立法権』の取得又は継受に関するローレンス裁判長の見解が何であるかは、あまり明確ではない。もしも同裁判長の考察の方法が、彼の取り扱った事件の事の(正誤表によると「事の」は誤りで「事実の」が正しい)上での特色による、すなわち問題の降伏または占領の性格及び条件によって、戦敗国の主権が戦勝国に付与されたというのであるならば、本官がこの問題に関してこれ以上言うことはほとんどない。ただしわれわれの当面しているこの裁判においては、降伏の条件及び占領の性格によって日本の主権が戦勝国に付与されたのではないということを付言しておきたい。

 本官は、ポツダム宣言及び降伏文書から本裁判に関連ある条項をすでに引用したが、ここでもまた降伏文書の第7項第8項及び第10項を参照することができよう。われわれがさらに銘記しなければならないことは、連合国の制限的占領にもかかわらず、日本政府はその後引き続きその機能を果たすことを許されてきていることである。

 クインシー・ライト教授は、(ニュールンベルグ)判決のこの部分を支持するにあたって、次の命題を掲げて(←「揚げて」かもしれない)いるようである。

 1、ドイツの主権からの「裁判所」の管轄権の継承ということには充分な根拠がある。すなわち

  (a)かような継承は同訴訟の事実の上での特色にもとづいてこれを支持することができる。

  あるいは

  (b)降伏の法律的結果として支持することができる。

 2、国際法のもとでは、一国はある領土を征服した後併合宣言をなすことによってもしその宣言が世界の他の諸国によって一般的に承認されるならば、右領土の主権を取得することができる。

  (a)数ヶ国が共同的にその主権を保持し得ることに疑問はない。

  (b)(1、)四連合国は他の目的もあるが、わけても独立ドイツ政府を承認するのを適当と認める時期が来るまで同国を統治しようという目的のもとに「ドイツの主権」をかれらの手中に握ることとした。

    (2、)この期間において右諸国がドイツにおいて立法、司法並びに行政の権力を行使することは、国際法上許され得ることであり、ただその征服した領土において主権国家に適用されるべき国際法規の制限を受けるに過ぎない。

    (3、)右諸国の権力は、軍事占領者の権力以上のものである。

 ライト教授もまた、この主権の継受がドイツの裁判の有する、事実の上での特色に基づいて起こった結果であると考えているかどうか、あまり明白でない。

 本官は、本件においてはこの点に関する事実上の立場はまったく異なっているとすでに述べた。

 『国際法上の命題として無条件降伏は戦敗国の主権的立法権を戦勝国に移す』ということは本裁判に関連のある戦争当時の国際法のもとにおいては全然支持されないものである。

 オッペンハイムが警告したように『占領なくして征服はないが、しかし征服と占領を混同してはならない。』『占領は武力をもって敵の領土を占有することであり、その領土を十分に占拠し終わると同時にその行為は完成されるものである。』『交戦国は敵の軍隊を殲滅し、その全領土を占領し、もって武力戦を終息せしめた場合でさえも、その占領した領土を併合することによって敵国家を滅亡させることを択ばないかもしれない。そして戦敗国と・・・・講和条約を締結し、その政府を再建し、そして占領した領土の全部あるいは一部を右政府に返還するかもしれない。征服は、交戦国が敵の軍隊を殲滅し、その領土を占領した後、その占領した領土を併合することによって敵の存在を破壊した場合に初めて起こるものである。それゆえに、征服とは、正しく定義すれば、戦争において交戦国の一方が他方の軍隊を殲滅し、その国を占領した後、その領土を併合することによってその国を滅亡させることである。』

 本官は、征服の法律的効果は戦勝国が戦敗国の主権を継受することになるかどうかという問題を追及する必要はない。本官の意見では、戦勝国は被征服領土の主権者となると仮定しても、そのような主権が戦敗国又は戦敗国民から継受されたものであり、従って戦敗国の主権の継続であるということは正しくない。たといそれが主権であるとしても、それは今や被征服領土に延長された戦勝国の主権である。いやしくもそれが主権であるならば、それは戦敗国民あるいは戦敗国から継受されたのではなくてそれら(の意向いかん)にかかわらず取得されたものである。

 本官はそれを戦敗国の主権と呼ぼうとは思わない。その国家は、滅亡させられたのであるから、もはや『存在セザルモノ(「存在セザルモノ」に小さい丸で傍点あり)』である。あるいは、新国家が出現したかもしれない。しかしそのような国家は専ら占領者のに基礎をおいている。戦敗国の主権、あるいは、さらに正確に言えば、戦敗国が保管者であったところの主権は、その保管者とともに滅亡させられたか、もしくは単に停止状態におかれているのである。まことに主権は国家そのものから切り離すことのできる神秘的なものではない。主権なるものは国家が(国家としての)自覚を持つようになり自己の機能を意識的に主張する限りにおいて、国家の概念及び活動のすべてを一般的に人格化したものにすぎない。

 それはそれとして、われわれの当面している問題は、完全な敗北と無条件降伏の事例ではあるが、征服の事例ではない。

 単なる占領、敗北及び条件つき降伏あるいは無条件降伏が、戦敗国の主権を勝者に付与するものでないことは明らかである。征服前の戦勝国の法的地位は、軍事占領国のそれと同様である。戦勝国が戦敗国に関してどのようなことをしようとも、それは軍事占領国の資格において行なうのである。軍事占領国は被占領地の主権者ではない。

 しかし国際法において、戦勝国は戦敗国の主権を継受すると仮定しても、戦勝国は戦勝国としての資格においてでさえ、主権に属すると主張されている権力を有するものではない。

 俘虜は、かれらが俘虜の身分にある限りは国際法の保護の下にある。国家はそれがどんな国家であっても、又戦勝国であるか戦敗国であるかを問わず過去の行為に対する俘虜の責任に影響する「事後法(「事後法」に小さい丸で傍点あり)」を制定することはできない。特に俘虜が国際裁判所において裁判される場合においてはなおさらそうである。彼ら自身の国家は既存の、またはそのために特に設けられた、国内裁判所において彼らを裁判し処罰することはできよう。そしてその国家がこの目的のため、かような国内裁判所を拘束する「事後法(「事後法」に小さい丸で傍点あり)」を創設し得ると仮定しても、そのゆえにその国が国際裁判所によって適用される法律を創設する権限を有しているということにはならない。被拘禁者が国際裁判所において裁判される以上は――俘虜として戦勝国によって裁判される場合であろうと、あるいは戦敗国によってその国の市民として裁判される場合であろうと問題ではない――そのいずれの国家も、彼らの犯罪を決定するために国際的な裁判所によって適用されるべき「事後(「事後法」小さい丸で傍点あり)」法を公布するような立法行為をなすことはできない。かような国家は、裁判所を設置することについては、選択権を有するかもしれない。――つまり、その裁判のために一国による裁判所を設立するかもしれない。われわれはかような場合に、彼らが法律を確定するにあたって、何をしたろうとか、何をしなかっただろうかとかということに関心をもつものではない。しかし彼らがひとたび国際裁判所を設置するや否や、彼らはその裁判所のために犯罪を定義する法律を創設することはできなくなるのである。

 ここでついでに申し述べておくが、ドイツの一主権者がその国内裁判所のために、ある法律を定める条例を出した場合、その条例は、どんな程度においても国際法に貢献するものではないと本官は確信する。戦争犯罪のため俘虜を裁判し、処罰することに関する立法権の範囲の問題は、日本による米国機搭乗員の裁判と処罰に関する本起訴状中の罪状に関連しても、われわれの考察を要する問題となるであろう。もちろんこの点に関して検察側は、日本政府にはかような権力はないと主張している。

 合衆国のジャクソン判事は、欧州枢軸国の主要な戦争犯罪人を訴追するに当たって米国代表主席検察官として提出した報告書において、次のように述べている。

  『われわれは、審理なしに彼らを処刑もしくは処罰しようと思えばできる。しかし公平な方法によって到達した適確な有罪の判定なしに、無差別に処刑もしくは処罰することは、しばしば与えられた保証に違背するものであって、アメリカ人の良心に顧みてあまりやましくないことはなく、かつまたわれわれの子供たちが誇りをもって記憶することのできるものでもあるまい。』

 ジャクソン判事ともあろう人物が、余人ならいざ知らず、合衆国大統領ほどの権威ある人に対して熟慮の上で提出した報告書の中において、この20世紀の世にかような言辞を用いたということは、まったく驚くべきことである。果たしてどのような権威に基づいて、勝者は審理なしに俘虜を処刑し得るのかと質問してみたくなる。パリー条約によって、戦争は国家的政策の手段として放棄され、その結果かような戦争は犯罪となり、そしてかような戦争は相手国に自衛権を与えるにすぎないという見解をわれわれが容認するならば、勝者の法的立場は、どんなものになるであろうかということを、わざわざここで考慮する必要はない。防禦という武器が、利欲的または侵略的目的のために、勝者に役立つか否かの問題はここで考慮する必要はない。戦争を違法なものとすることが勝者の権利の上に及ぼす制限的効力の問題は別としても、ジャクソン判事がその報告書中に言明したような権利は、近世のどのような勝者も享有したとは思われない。もし勝者がかような権利を実際にもっていたならば、過去の行為について犯罪の新たな定義を下すことは、あるいは可能なことであったかも知れない。そして俘虜の申立を聴取した後に―もしそれがどこの国であっても、その国の良心を安んずるものであるならば―かような新定義に照らしてこれを犯罪人として処罰することができたであろう。その場合においては、既有の権利を行使することについて、ある特殊の方法を単に応用したというにすぎないであろう。しかし本官は、現行国際法のどこにも勝者にかような権力を付与するものを全然見出すことができない。ある領土の一時的軍事占拠も、占領による領土の究極的獲得も、―それはもし戦争による獲得が現在においても可能であるならば―また征服も、いずれもその領土を占領している交戦国または勝者に対し、住民もしくは戦時中または停戦後捕獲した俘虜に関し、先に述べたような権利を与えるものではない。占領者の戒厳令下においてさえ、俘虜及び被占領地の住民の立場はさほど無力なものではない。

 戦争が合法であるか否かに関してとられる見解が何であろうと、現在においては、勝利は勝者に対し無制限で、しかも確定されていない権力を付与するものではない。戦争に関するいろいろな国際法規は、戦敗国に属する個人に対しての勝者の権利と義務を確定し、規律している。それゆえ本官の判断では、現存する国際法の規則の域を超えて、犯罪に関して新定義を下し、その上でこの新定義に照らし、犯罪を犯したかどによって俘虜を処罰することはどんな戦勝国にとってもその有する権限の範囲外であると思う。これは実は法の遡及性に反対する規範ではない。むしろそれ以上に実質的な内容をもったものである。右のようなことをするのをいずれの国に対してでも、もし許すとしたならば、それは、国際法がその国に与えていない権力の簒奪を許すことになる。

 以上のすべてを考慮に入れて、本官は本裁判所条例を次のように解釈する。すなわち本条例は戦争犯罪を定義しようと意図するものでなく、単に裁判所において審理されるべき事柄を規定するにとどまり、裁判に付せられた人々がどのような犯罪を犯したかを――もしかような犯罪を犯したとすれば――国際法に照らして決定することは、これを裁判所に任せている。

 ある方面においては、本裁判所は戦勝諸国によって設置されたものであるから、これを設置する裁判所条例の諸規定のいずれに関しても、右諸国の権能に対し疑義を挟む権限は本裁判所にはない、との見解を抱くものもあるようである。ライト卿が『ニュールンベルグ』裁判に関する卿の論文の中で述べた見解でさえも、この解釈を支持するのかも知れない。右論文中において、ライト卿はニュールンベルグ裁判所条例第6条の規定を引用したのち、『これらの規定は裁判所によって適用されるべき法律を規定し、裁判所に対して拘束力をもつものであった』と述べ、後に『判事は自己の任命の権限に疑義を挟み、またロンドン協定及び裁判所条例に規定されている法律の定義を適用することを拒絶することはもちろんできない・・・・』と言っている。本官は法律の定義の与えようとする立法に疑義を挟むことが、判事の任命の権限を疑うという問題をなぜ必然的にひき起こすのか、その理由を了解し得ない。本官はかような見解を支持する原則を、まったく見出すことができないと告白せざるを得ない。

 右の見解を抱く人々は次のように言っている。

 1、『裁判所判事の権力の唯一の源泉は、裁判所条例及び条例に従って行動せよとなすその任命である』

 2、裁判所条例による以外は彼らにはまったく権力はない。そしてさらに

 3、本裁判所の各判事は裁判所条例に従い、服務せよとなす任命を受諾したのであって、裁判所条例を離れてはまったく服務することができず又命令を発する資格もない。

 右の諸点からして、前述のような見解を抱く人々は、『条例はかような問題を裁判所に付託していないのであるから』本裁判所は連合国最高司令官が果たして自己に委任された権限を超えたかどうかの問題を審判する権限はない、と結論しているのである。

 本官はどんなにつとめてみても右の見解に承服することができないのをまことに遺憾に思うものである。本官は条例によって設置された本裁判所は、どのような法律によっても占められていない分野の上に打ち建てられたものではない、と信ずる。もし国際法なるものが存するとすれば、本裁判所の設置されている分野は、すでにその法律すなわち国際法によって占められているのであり、さらにその国際法は少なくともその運用が、何らかの権威により、法律上有効に排除されるまでは引き続き効力を有するものである。本裁判所条例そのものでさえその権能を国際法から継受しているのである。本官の意見によれば、本裁判所条例は国際法の権威を無視することはできず、本裁判所はこの国際法の権威に基づいて本裁判所条例の諸規定が法律上有効であるか否かに疑義を挟む権限を充分に有している。いずれにしても本裁判所条例が明示的にまたは必然的な黙示によって国際法の適用を排除するのでない限り又排除するまでは国際法の適用は継続されるべきものであり、かような国際法の権威のもとにひとつの裁判所条例によって法律上有効に設置されたある裁判所は、その条例の規定のいずれかが「越権」を構成するか否かの問題を検討する権限を充分に具えているのである。この裁判そのものがこの問題を伴うであろう。その問題を検討せよと裁判所条例によって特に付託されることは要求されないであろう。

 国内制度においては次のことは考えられないことではない。すなわち裁判所設置の権限を有する権威が、同時に立法の権限を有するものではないかも知れない。かような場合には、その権威が、文書をもって裁判所を設立するとともに同文書によって立法しようと意図しているからという、単にそれだけの理由で、その裁判所にその立法行為を「越権(「越権」に小さい丸で傍点あり)」であると宣する権限がないということにはならないであろう。従って本官はこうして制定された規範の適用を裁判所が要求された場合に、裁判所がこの問題を検討することを、阻止し得るものが何であるかを知らない。この点については裁判所を設置する文書が同時に立法する意図をも有するとしても、それは何ら事態を変更するものでない。又右の事実は、裁判所に次のような義務を課するものでない。すなわち

 1、他のすべての点についてその法律の発布者の権能を支持すること。

 2、裁判所設置を布告する文書の全規定を支持すること。

 3、何らかの特殊な方法によって裁判所条例を解釈すること。

 本問題を慎重に考慮したのち、本官は次のような結論に達した。

 1、本裁判所条例は問題の犯罪を定義していないということ。

 2、(a)どのような犯罪でもこれを定義することは条例の作成者の権限内にはなかったということ。

   (b)もし条例が何らかの犯罪を定義したとしてもその定義は「越権(「越権」に小さい丸で傍点あり)」行為にほかならず、従ってそれはわれわれに対して拘束力を有しないものであるということ。

 3、この点に関してその(条例の)権威に疑義を挟むことはわれわれの権限内にあるということ。

 4、本件に適用され得る法律はわれわれが国際法であるとして判定すべき法律であるということ。

 かようにして究極においてわれわれ判事の決定すべきこととして生じてくる主な問題は、起訴状中において『平和に対する罪』の範疇の中に訴追されている行為が、果たして国際法に照らして何らかの犯罪を構成するかどうかということである。

 訴追されている行為は明示された性質を有する戦争の『計画、準備及び開始』である。

 『戦争』がその性質のいかんを問わず、国際法上の犯罪となったとは、検察側は主張していない。彼らの主張は、彼らの言うような性質を有する戦争は国際法上非合法であり、犯罪的なものであるとされたのであるから、従ってかような犯罪的戦争を挑発した者たちは、国際法上の犯罪を犯したものであるというのである。

 従ってここにわれわれが決定すべき二つの主要な問題が起こってくる。すなわち

 1、ここに訴追されているような性質の戦争が、国際法上の犯罪となったか否か。

 2、訴追されているような性質の戦争が国際法上の犯罪であると仮定すれば、果たしてここに訴追されているような役目を果たした個人たちが、国際法上のもとにおいて刑事上の責任を負うべきであるか否か。




 本官は如上の問題の最初のものをまず取り上げてみよう。

 便宜上、問題は四つの特定期間について考慮することができよう。すなわち

 1、1914年の第1次世界大戦までの期間

 2、第1次世界大戦よりパリー条約調印日《1928年8月27日》までの期間

 3、パリー条約調印日より本審理の対象たる世界大戦開始の日までの期間

 4、第2次世界大戦以降の期間

 右に挙げた四期間中の最初の第1期に関する限り、どんな戦争も国際生活における犯罪とはならなかったということについては、一般的に意見が一致しているように見受けられる。ただし『正当な』戦争と『不正な』戦争との間に画(←この字、判読困難。画の旧字体の「劃」に見えるが、違うかもしれない)然たる区別が存することは常に認められて来たところであると主張する人が時にはあった。国際法学者や哲学者の論説には、時としてかような区別をつける表現が用いられたかもしれない。しかし国際生活それ自体がこの区別を認知したことはいまだかつてなかったのであり、またかような区別が具体的結果を生ずることもかつて許されなかったのである。いずれにせよ、『不当な』戦争は国際法上の『犯罪』であるとはされなかったのである。実際において、西洋諸国が今日東半球の諸領土において所有している権益は、すべて右の期間中に主として武力をもってする暴力行為によって獲得されたものであり、これらの諸戦争のうち、『正当な戦争』を見なされるべき判断の標準に合致するものは恐らく一つもないであろう。




 右に挙げた期間中の第2期において、すなわち1925年にクインシー・ライト氏は『戦争の非合法化』について次のように論述している。いわく、

  『現行の国際法のもとにおいては、戦時もしくは他の非常の必要が生じた場合に行なわれるものでない限り、「戦争行為」は非合法である。しかし平和状態から「戦争状態」への移行は、合法的でも非合法的でもない。』と。またいわく、

  『戦争状態は一つの出来事と見なされるのであり、国際法は戦争のやり方に関しては、平時に行なわれるものとは異なった法則を規定しているが、その戦争の起源は国際法の範囲外にあるのである。古代及び中世期のそれとは異なっているこの疑念の行なわれる理由は、国際関係の現状における戦争の諸原因の複雑なこと、現行の立憲政体の中で責任の所在を発見することの困難なこと、及び種々の出来事を企画に起因するものとなすよりも、むしろ自然の原因に基づくものとする科学的習慣が行なわれていること等の中に見出されるのである。』と。またいわく、

  『戦争を責任ある個人たちの行為に帰することが不可能である限り、戦争を非合法と呼ぶのは無意味である。それらの戦争は犯罪ではない。疾病の症状である。その症状は諸国家が現行の教育、社会、宗教、経済及び政治の基準と方法とを、国際関係に関する限りにおいて、修正するような治療を必要としていることを示すのである。』と。

 1927年12月12日、アメリカ合衆国上院に提出した決議案中において、ボラー上院議員は次のように述べた。いわく、

  『戦争は人類社会にとって現存する脅威中の最大なものであるから、・・・・』また『文明は野蛮状態から脱して現在の状態にまで向上する過程において、武力及び暴力手段を排除してこれに代わった法律及び裁判所の発達によって特徴づけられているのであるから・・・・』

  『国家間の戦争は今日まで常に合法的制度であったのであり今日もなおその通りである。従って各国家は正当な理由の有無にかかわらず、他のどんな国家に対しても宣戦することができるのであって、しかも、それはなお厳密に各国の法的権利の範囲内に含まれているのであるから。そしてまた・・・・

  『どこにおいても文明国民の道義的感情は、残忍で破壊的な戦争という制度に圧倒的に反対であるから。

  『合衆国上院の見解は次の通りであることを決議する。すなわち国家間の戦争は、これを国際法上の一つの公の犯罪となすことによって、国際紛争解決のための一つの制度または方法としてこれを非合法化すべきであること、及び国際法に反する犯罪を定義し、これを罰すべき権限を米国議会に付与しているわが国の連邦憲法第1条第8節に準じ、右憲法がわが議会に与えたものと同様の諸権限に基づいて、自国内の国際戦争の醸成者または教唆者、さらにまた戦争利得を起訴、処罰すべきことを各国家が厳粛な協定又は条約により確約するように奨励されるべきであること・・・・』と。

 それゆえに1927年12月12日現在においてすらボラー上院議員は次のように言明することができたのである。すなわち、『国家間の戦争は今日まで常に合法的制度であったのであり今日もなおその通りである』また『各国家は正当な理由の有無にかかわらず、他のどんな国家に対しても宣戦することができ、しかもなお厳密に自己の法的権利内においてこれを行なうことができる・・・・』と。本官はこの見解にまったく同意するものである。その前文みずからが示すように、ボラー上院議員はこの言明をなすにあたって、戦争の害悪を充分に認識していたのである。

 ホールの国際法第8版《1924年》の中に、われわれは次の一節を見出すのである。

  『国際法にはどんな司法的または行政的の機関も存在しないから、国家がみずから不当な取り扱いを受けたと考え満足すべき弁済を得るためにすでにあらゆる平和的手段を尽くした場合には、実力によってみずからのために救済を強要する方法をとっても、なんらさしつかえないこととなる。かようにして国際法は、戦争を、その決定に効力を付与するために許された方式の一つとして認めて(い)る。理論的には・・・・それ《国際法》は法律の範囲内に包含され得る国家間の関係の全分野を取り扱うと称せられるものであるから、それはどんな原因に基づいた場合に戦争が正当に開始されたものとなるか諸原因を定義すべきである。・・・・それはまたさらに進んで不法行為者を特殊の(法律上の)無能力者にすることによって、不法行為の進行を防止するところまで行ってもそれは無理とはならないであろう。』

  『これらの目的の最初のものについては国際法は非常に不完全にではあるが、ある程度までそれを達成しているのである。・・・・国家間に起こった紛争の大部分の場合においては、争いの諸原因を常に法律の広義の基本原則と結びつけることはあるいは可能であるかもしれないが、それらの原因はかような原則に照らして確定的に判断するには余りにも複雑である。さらにまた、時として、これらの紛争は、それらの(法の)原則が何であるか、またその結果として、行動を直接に支配する第二次的原則の命令に関し、見解が―その見解は正直なものではあるが―相異なるという点にその起源を有することがある。そしてまたあるときには、これらの紛争は、また権利の問題を度外視した露骨な利益の又は感情の衝突闘争が起こった後でなければ、解決ができないほどに激しい衝突によってひき起こされることもある。それゆえに、実際的価値を有する一般的規則をつくりあげることは不可能なのである。』

  『第2の目的については、国際法は、それを達成しようとさえしていない。しかしながら、法律は2人の戦闘者の一方が違法行為を犯したと宣言することがどんなにできるとしても、法律がその決定したところを実施する力がないときに、戦争に対して刑罰の性格を与えるふりをするのは無益の業であろう・・・・従って国際法には、戦争を、その当事者たちが欲するならば招来することのできる一つの関係として、その起因の正邪ににかかわることなく容認し、かつまたかような関係から生ずる種々の効果を規正することに、力を注ぐよりほかに取るべき道がないのである。ゆえに、どのような戦争においても、両当事国はまったく同一の法律的地位にあり、従って同等の権利を有するものと見なされるのである。』

 さてここで本官は、国際団体あるいは国際法の性格に関する自己の見解を表明するために、語を挿む必要はない。これらの用語については本官は後で努めてその意義を明示するつもりであるが、これらは、国際生活に関して特殊な意味に解するとしても、正当な戦争と不正な戦争との間、あるいは非侵略戦争と侵略戦争との間に明らかな一線が画されたことはなく、また戦争の法的性格についての差異がかような区別に基づいて存したこともないのである。』(←このカギ括弧は誤りであろう。英文にはない)

 ケンブリッジ大学のラウターパクト博士が校訂したオッペンハイムの『国際法』第6版《1944年》の中に、われわれは次のような一節を見出すのである。すなわち

  『・・・・戦争が概存(←正誤表によると「概存」は誤りで「既存」が正しい)の権利を実行するため、かつ法律を改正するための、一般に認められた国家政策の手段であった間は、戦争の理由が正当であるかないかは、法律的には何らの関連性を有しなかったのである。どんな目的をもったものであっても、戦争の権利は国家主権の特権であった。かように考えれば、すべての戦争は正当であった。』と。

 諸規約及びパリー条約がすでに締結されている今日、法律的事態が変化しているかどうかは、後で検討することにする。かような諸規約及び条約によって影響を被らない事態に関する限り、前述の四期間中の最初の二期の間は、どんな戦争も犯罪とはならなかったということは充分に明白であると思われる。戦争は国際生活上の一害悪であったかもしれない。それはまたクインシー・ライト氏の言う通り、国際生活の疾病とさえなったかもしれない。しかし確かにそれは犯罪ではなかったのである。

 これら二つの期間を離れる前に、侵略戦争が国際社会における犯罪となったのは、恐らくこの第二の期間中であろうと考えているらしい現代の著名な国際法学者が少なくとも2名あることを指摘するのが衡平な取り扱いであろう。この2名とは、アメリカ合衆国のグルック博士及びソビエット連邦のトレイニン氏である。グルック博士は、侵略戦争を国際社会における犯罪とする国際慣習法が発達したと考えているようである。トレイニン氏によれば、第2次世界大戦前においてすら『歴史的過程の二つの傾向』があった。その一つは帝国主義的利害の衝突、国際関係の分野における日々の闘争、並びに国際法の無益なことであって―-これは帝国主義時代における侵略的諸国家の政策を反映する傾向である――いま一つは正に前者と並行しかつ相反するもの、すなわち、国家の平和、自由及び独立のための闘争であり、これは新しくかつ強力な国際的要素である勤労者の社会主義国家、すなわちソビエット連邦の政策を反映する傾向である。

 トレイニン氏によれば、今述べた第二の傾向に鑑みて、刑事責任の観念を国際生活に導入する余地が若干あったのである。

 しかし本官の意見では右両者のどちらの見解も支持することのできないものである。本官は次の期間における本件に関する事態を考慮するに際して、詳細にこれらを検討しよう。



 さて、さきに示した第三の期間、すなわちパリー条約以降の期間にはいるが、この問題に関係のある文献は今日までに恐ろしく多量にできあがっていると言わなければならない。これら各権威の意見を細心に検討すると、次に述べるような相反する結果を生ずると思う。

  1、ケロッグ・ブリアン条約は侵略戦争に訴えることは違法行為であるとなした。《カリフォルニア大学ハンス・ケルゼン教授》

  2、パリー条約は、その条項の違反を国内裁判またはある種の国際裁判によって処罰し得る国際犯罪であるとすることができなかった。《米国ジョージ・A・フィンチ氏及びグルック博士》

  3、(a)文明諸国の発展過程において、侵略戦争を国際犯罪であると認める国際慣習がすでに生じたと見なすべき時期が到来した。《グルック博士》

   (b)国際法は漸進的制度であって、その規則及び原則は、どのような時期においても、国際法の一切の淵源を、すなわち、『国際条約』及び「判決」はもちろんのこと、これと同様に、『法の一般原則』『国際慣習』及び最高権威たる国際法学者の学説をも検討することによって確定されるものと考えれば、裁判所条例に明示された・・・・諸行為は、被告らが訴追されている諸行為をなした時よりもはるか以前に、国際法によって犯罪と認められたことは、ほとんど疑う余地のないことである。《ライト教授》

  4、(a)パリー条約は、文明諸国が戦争は違法であるという原則を認めたことの証拠である。《ライト卿》

   (b)右のように認められ、かつ実証された原則は、国際法の規則として取り扱われる価値がある。《ライト卿》

   (c)パリー条約は『侵略戦争は違法である』という原則を『自然法』の規則から『実定法』の規則に変更した。《ライト卿及びライト教授》

   (d)人道の観念が次第に広まってゆきつつある現代の生命ありかつ実効ある力としての国際法が進歩したので、侵略戦争をもたらすことが国際的犯罪であるか否かを決定すべき任務に直面した国際裁判所は、かような行為を犯罪であると決定する権利を与えられまた義務を負わされている。《ライト卿》

  5、(a)(1)国際犯罪が存在するためには、国際団体が存在しなければならない。《トレイニン氏及びライト卿》

     (2)国際団体は不完全かつ未発達のものであるが、存在してはいるのである。《トレイニン氏及びライト卿》

     (3)この国際団体の基本的要件は諸国における平和的関係の存在である。《トレイニン氏及びライト卿》

   (b)(1)戦争はそれ自体悪事であり、国家間の平和を乱すものである。《トレイニン氏及びライト卿》

     (2)戦争はある明示された理由に基づいてこれを正当化することができるかもしれない。《ライト卿》

     (3)侵略戦争はこの正当化の範囲外にあるものである、従って犯罪である。《ライト卿》

   (c)パリー条約以前の国際団体における戦争の法的地位がどのようなものであったにせよ、パリー条約は、これを明確に違法であると宣言した。《ライト卿》

  6、1943年のモスコー宣言以来またその結果として新しい国際社会が発達を見るに至った。この発達過程を促進するため、またこれらの新しい概念を強化するために法律思想はこれらの新しい関係のための正しい形態をつくり、国際法の体系を案出し、この体系の不可分的一部として、国際関係の基礎を脅かすものの刑事責任の問題を諸国民の良心に訴える義務を負わされている。《トレイニン氏》

 このトレイニン氏の最後の命題は、実は、前述の第四の期間に関連して考察すべきであるが本官は、この識見ある著者の提示した他の命題とともにこれに検討を加えてみよう。




 まず最初にパリー条約の効果について考察してみることとする。

 本官の意見としては、同条約は現存の国際法になんらの変更をももたらさなかった。また同条約はこの点に関してなんら新しい法則をもたらさなかった。

 この問題は明確に区別された二つの観点から検討しなければならない。すなわち

1、パリー条約はどのような戦争であっても、それを国際生活上の犯罪と定めたか否か、

2、同条約は、国際生活に船倉の正当化の問題を導入し、侵略戦争をもって正当化することのできないものとし、かような戦争はそれ自体の有する有害な性格からして犯罪または不法行為であるとなしたか否か。

 通常ケロッグ・ブリアン条約もしくはパリー条約として知られているこの条約は、1928年8月27日調印されたものである。

 その前文において、各締約国は人類ノ福祉ヲ増進スベキソノ厳粛ナル責務ヲ深ク感銘していることを認めた後、次のように声明している。

  『ソノ人民間ニ現存スル平和及ビ友好ノ関係ヲ永久ナラシメンガタメ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ率直ニ放棄スベキ時機ノ到来セルコトヲ確信シ、』

  『ソノ相互関係ニオケル一切ノ変更ハ、平和的手段ニヨリテノミコレヲ求ムベク、又平和的ニシテ秩序アル手続ノ結果タルベキコト及ビ今後戦争ニ訴えて国家ノ利益ヲ増進セントスル署名国ハ、本条約ノ供与スル利益ヲ拒否セラルベキモノナルコトヲ確信シ、』

  『ソノ範例ニ促サレ世界ノ他ノ一切ノ国ガコノ人道的努力ニ参加シ、カツ本条約ノ実施後速ヤカニコレニ加入スルコトニヨリテ、ソノ人民ヲシテ本条約ノ規定スル恩沢ニ浴セシメ、モッテ国家ノ手段トシテノ戦争ノ共同放棄ニ世界ノ文明諸国ヲ結合センコトヲ希望シ、

 左ノ諸条ヲ協定セリ

 第1条、各締約国ハ国際紛争解決ノタメ戦争ニ訴ウルコトヲ非トシテカツソノ相互関係ニオイテ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ放棄スルコトヲソノ各自ノ人民ノ名ニオイテ厳粛ニ宣言ス

 第2条、締約国ハ相互間ニ起コルコトアルベキ一切ノ紛争又ハ紛議ハソノ性質又ハ起因ノイカンヲ問ワズ平和的手段ニヨルノ外コレガ処理又ハ解決ヲ求メザルコトヲ約ス

 第3条、本条約ハ前文ニ掲ゲラルル締約国ニヨリソノ各自ノ憲法上ノ要件ニ従イ批准セラルベクカツ各国ノ批准書ガスベテ「ワシントン」ニオイテ寄託セラレタル後直チニ締約国間ニ実施セラルベシ

 本条約ハ前項ニ定ムルトコロニヨリ実施セラレタルトキハ世界ノ他ノ一切ノ国ノ加入ノタメ必要ナル間開キオカルベシ。・・・・』

 (ここで)同条約の沿革の概観を述べることは有益であろう。

 まず最初に不成功に終わった1924年のジュネーヴ議定書からはじめよう。同議定書の前文において、各締約国は一般的平和と国家の存立、独立ないし領土を脅かされるような諸国の安全とを保障するという、確固たる熱望に燃えていると宣言し、国際団体の各構成員の連帯を認める旨を述べ『侵略戦争はこの連帯の侵害を構成するものであって、国際犯罪である』と主張した。国家の安全と矛盾しない限りの最小限度に各国の軍備を縮小すること及び共同行動によって国際的義務を履行することが、同議定書の目的であると宣言された。各国はこの議定書を批准しなかったので、それは法的効力を生ずるに至らなかった。かような事情のもとにあっては、侵略戦争は国際犯罪であるとなす同文書内の主張は、法的結果をもたらさなかったが、国際社会において侵略戦争を非とする観念を生じさせたかもしれない。

 1927年9月6日、第8回国際連盟総会において、オランダ代表はジュネーヴ議定書の基本原則の研究を再度取り上げて、ひとつの決議案を提出した。当時ジュネーヴ議定書の主な反対者は、英国及び英帝国自治領であった。そして依然としてこの反対があったため、この復活の試みは失敗に帰した

 しかし第8回連盟総会開会中、1927年9月24日、次のポーランド決議が採択された。

  『総会は、

  諸国家の団体を結合する連帯を認め

  一般的平和の維持に対する強き希求に燃え

  侵略戦争は決して国際紛争解決の手段たり得ず、従って国際犯罪なることを確信し、

  一切の侵略手段の厳粛なる放棄は、軍備縮少の目的をもって企てられたる事業の進捗を容易ならしむるものと予想せらるる一般的信頼の雰囲気を醸成するに資すべきを考慮し、

  ここに左のごとく宣言す。

 1、一切の侵略戦争は禁示(←「禁止」の誤り)せられかつ将来常に禁止せらるべきものとす。

 2、諸国家間に生ずべきあらゆる種類の紛争の処理につきてはあらゆる平和的手段を使用すべし。』

 この決議にはパリー条約の二つの特徴がすでに含まれていたことがわかるであろう。すなわち

 1、ある一定の種類の戦争の放棄。

 2、平和的手段によることなしに国際紛争の解決を求めないという平和約束。

 1928年1月16日から2月20日まで、ハバナにおいて開催された第6回米州諸国会議の最後の総会議において、メキシコ代表は次のような趣旨の決議案を提出した。すなわち

 1、すべての侵略行為はこれを違法行為と認め、かつ違法行為としてこれを禁止する。

 2、米州諸国はその相互間に起こるかもしれない紛議を解決するにあたって、あらゆる平和的手段を用いるものとする。

 この決議は同会議において採択された。

 その頃フランスはアメリカ合衆国の世界大戦参戦第10周年紀念の祝賀の計画を立てていた。その紀念日は1927年4月6日に当たった。3月22日ブリアン氏がジェームス・T・ショットウェル教授と会見した際、ショットウェル教授はブリアン氏に対して、国家的政策の手段としての戦争の放棄の観念を系統立てて説いた。同教授の示唆に従ってブリアン氏は、アメリカ国民にあてた個人的メッセージを送り、米仏両国の間で戦争を不法行為化しようとする、ある種の相互協定に両国が公に同意することによって、意義ある(米国参戦)紀念日を祝賀してはどうかと提案した。同氏は『戦争を不法行為化する』というアメリカの標語が、『国家的政策の手段としての戦争の放棄』を意味するものと解釈した。

 これがブリアン氏とケロッグ氏との間の文書交換のいとぐちとなったのである。1927年6月1日ブリアン氏は前文及び3ヶ条から成る彼自身の条約草案をケロッグ氏に送った。これは単に2国間の文書にしておくつもりであった。この3ヶ条は、上述の文書を多数国間の文書とするために変更する必要のある部分を除いては、ほとんど原文は変更されず遂に1928年8月27日に調印された条約の3ヶ条として再現した。

 その間、1928年2月27日に期間が満了するはずであり、当時なお有効であった1908年の仏米仲裁裁判条約が、1928年2月6日調印の新条約によって取り替えられた。その新条約は次のような趣旨の宣言を有する新しい前文をもったものである。すなわち右両締約国は、

  『両国の範により、その相互関係において国家的政策の手段としての戦争を不法とすることを示すだけでなく、国際紛争の平和的解決のための国際取極めの完成によって、世界のいかなる国の間にも戦争が起こる可能性を、永遠に除去する日の到来を促進することを熱望』すると述べたのである。

 (前述の)今一つの条約に関しては、ケロッグ氏は1927年12月28日付の同氏の通牒において、ブリアン氏が提案した戦争放棄の条約は、単に二国間のものでなく多数国間のものと、すべきであると示唆した。

 そこに意見の相違が起こった。フランス政府は、もし条約を多数国間のものとするのであったら、ブリアン氏によって提案された条項には、制限を加えなければならないと主張した。アメリカ政府は、たとい条約が多数国間のものとされても、同規約の本文は提出された草案にある通りにすべきであると主張した。ついにフランス政府は、両政府が両者の間に6月以来取り交わされた交換文書を、ドイツ、英国、イタリー及び日本の各政府に共同提出すべきであるというアメリカの提案を受諾した。この段階に来るまでソビエット連邦はこれから除外された。

 第三の段階において、ケロッグ氏は1928年4月13日、ドイツ、英国、イタリー及び日本の各政府に対して回章(かいしょう。circular letter。廻し文)を発し、ソビエット連邦を除いて当時存在していたすべての強国によって調印されるべき多数国間条約の案を、これらの(四ヶ国の)政府に提出したのである。この草案の実質的な二つの条項は、これを多数国間のものにした若干の辞句上の変更を除いては、前年6月のブリアン案のそれと同一であった。

 フランス政府は、4月20日に前述の各国に対して、2ヶ条から成る実質的な条項を5ヶ条に拡張し、かつ若干の制限及び但書を明確な字句で挿入した代案を回付したのである。このフランス案の目的は、米仏間の文書交換の際に、フランス側によって提出された各種の但書、解釈及び諒解事項をひとまとめにするにあった。

 ケロッグ氏は4月29日、米国国際法協会における演説中に、フランス側の考慮事項に言及し、フランス側の希望事項は、彼が回覧に付した草案の範囲内においてこれに応ずることができることを示した。彼の自分の面前の聴衆だけでなく、各国政府及び世界一般に対してもこれを示したのである。彼のこれらの解釈はこの交渉全体の転機となった。英国、イタリー及び日本の各政府は、1928年4月13日付のケロッグ通牒に対して回答を発送するに先だち、同年4月29日のケロッグの解釈的説明を入手し(これを考慮し)ていた。

 その後長く続いた幾多の交換文書をここでわざわざ検討する必要はない。結局英国政府は、1928年5月19日付の長文のまた条理を極めた通牒において、4月13日のケロッグ提案を、同月19日のケロッグ氏の演説とともに理解されるべきものとして、受諾したのである。さらに英国政府はケロッグ氏の招請状を英国の自治領及び印度にも差し出してはどうかと提案をなし、また後日『英国モンロー主義』と称せられるようになったところのある諒解を必要条件として提示した。ケロッグ氏は自治領及び印度政府に招請を出してはどうかとの提案に応じて、直ちに行動し、6月中旬までに、右のすべての政府から承諾の回答に接したのである。前述の必要条件に関しては、英国政府はこれを条約の本文中に取り入れるようにとの要求もせず、またこれを英国の留保というほどの言葉で明示したわけでもない。しかし英国政府は、ケロッグ氏から再提出されたところの、決定的形式にまとめ上げられた同条約案を、1928年7月18日付の通牒をもって、受諾するに際して、この必要条件を再び主張した。そして8月6日に至って英国政府は、5月19日付及び7月18日付の両通牒の写しを在ジュネーヴ国際連盟事務総長宛に送付し、右を他の加盟諸国家政府に回付することを要請したのである。

 右必要条件は左の通りである。

  『国家的政策の手段としての戦争の放棄に関する第一条件の辞句に鑑み、本官は閣下に対し、世界のある地域については、その福祉と保全とが英国の特別かつ重大なる関心事であることを改めて申し述べておきたい。右の諸地域に対する干渉はこれを黙過し得ないことを明らかにすることは、英国政府が従来腐心してきたところである。これらの地域を攻撃に対して防護することは、英国政府にとっては自衛の措置である。英国政府がこの新条約は右の点に関する同国政府の行動の自由を妨げるものではないという明確な諒解に基づいてこれを受諾するものであることは明瞭に諒解されねばならない。合衆国政府もこれに比すべき利害関係を有し、これが外国によって無視された場合には、同国政府はこれを非友好的行為と認める旨声明した。ゆえに英国政府はその立場を明確にするにあたり、同時に合衆国政府の意思と趣旨とを表明しているものと信ずる次第である。』

 1928年6月23日ケロッグ氏は、右の諸政府に対して、さらに回章を送付し、その中で4月29日ケロッグ氏の演説から抜粋した解釈的の諸節を引用した。この通牒とともに右条約案は、その各条項の本文になんらの変更をも加えずに再提出された。ただしその前文においては、今後『戦争ニ訴エテ国家ノ利益ヲ増進セントスル「署名国」ハ本条約ノ供与スル利益ヲ拒否セラルベキ』ものと規定する一修正が加えられた。

 右条約は、この形式において各国によって受諾されたのである。

 合衆国上院が右条約を批准する前に、ケロッグ氏はしばしば上院外交委員会に出席した。このとき国務長官と同委員会の各委員との間に取り交わされた質問応答において、議論のある点はほとんど全部はっきりと示されたのである。右条約の条項が締約国間の従前の交換文書によって影響を受けるかどうかという問題については、ケロッグ氏は、それらの通牒にあったことで、条約そのものの中に明示的または黙示的に含まれていないものはない、との意見を固持した。自衛の問題に関して、ケロッグ氏は次のように言明した。すなわち、自衛権は関係国の主権下にある領土の防衛だけに限られてはいない。そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為を含むかについては、各国みずから判断する特権を有する。かつ自衛権を行使した場合は、その自国の判断が世界の他の各国によって是認されないかもしれないという危険を冒すものである・・・・と。『合衆国はみずから判断しなければならない・・・・そしてそれが正当な防衛でない場合には、米国は世界の輿論に対して責任を負うのである。単にそれだけのことである。』と。これはケロッグ氏自身の言明である。

 以上がパリー条約の成立するに至った経緯であり、また同条約の趣旨としてその作成者たちの意図したところである。

 上述の経緯は実質上トインビー教授が述べたところをそのまま採った。それはパリー条約の締約国がこの条約によって単に契約上の義務だけを発生させようとしたことを示している。その発案者たちは国際団体全体のためにこの条約を案出したのではない。各当事国によってそれぞれの利益のために提出された留保条件があった。これは契約上の義務とは両立するが、法律とは両立しない。それは疑いもなく多数国間の条約ないし規約であった。法律は多数国間の条約によって初めてこれをつくることができるとはいえ、多数国間の条約がどれもこれも法律をつくるのではない。法の規則の設定は、諸国家が自発的にそれを受諾するということに係っているけれども、その規則が一たび設定された以上は、それは諸国家をその意志のいかんに拘わらず拘束するものでなければならない。しかしながらこの条約の課する義務は常に諸国家の意志に係っているのである。というのは各国のとった行動がこの条約によって約諾された義務に違反するものであったか否かということは、各国それぞれみずから決定すべき問題として残されているからである。

 その他の考慮は別として、国際生活において、自衛戦は禁止されていないばかりでなく、また各国とも『自衛権がどんな行為を包含するか、またいつそれが行使されるかをみずから判断する特権』を保持するというこの単一の事実は、本官の意見では、この条約を法の範疇から除外するに充分である。ケロッグ氏が声明したように、自衛権は関係国の主権下にある領土の防御だけに限られてはいなかったのである。

 社会で行なわれている行為の規則の法的性格を決定するのに関係があるものとして考慮すべきことは左の通りである。すなわち

 1、紛争当事者以外の機関が最後的に(事実の)確定をなすという方法によってこそ初めて法律は確実なものとされ得るのであること。法律はそれに利害関係を有する者の『独断的決定(「独断的決定」に小さい丸で傍点あり)』によって確実なものとされるのではない。かような確実性こそ法の本質である。

 2、法の命令的性質を立証し、もしくはこれを実効的なものとする機関の存在することが法の規則にとって絶対的に必要であるということ。

 法律の外面的性質は、その法律の主体の意志とは独立してつくられた命令であるという事実によって示されるか、もしくはその作り方のいかんに拘わらず、法の主体の意志と独立し、主体そのものに関連して存続するものであるという事実によって具現されているのである。

 ケロッグ氏によって説明され、かつ各締約国によって了解され、受諾された草案においてのパリー条約は、右のような判断の標準に合致しないであろう。ケロッグ氏の説明の形式と範囲における自衛及び自存の権利の留保は、パリー条約を法の規則の範疇の外におくものである。

 国際生活の現状のもとにあっては、この留保を軽々しく取り扱うことはできないということに留意しなければならない。インターナショナル・コミュニティー(国際団体)の現段階においては、もしこれをコミュニティー(団体)と呼ぶことがはたしてできるとすれば、この自衛権または自存権なるものは、今でもなお基本的権利であって、国際関係の性質そのものから生ずるものである。国家の義務のすべては、通常この権利に従属するものである。

 ホールいわく、

  『法律が個人に与える保護が不充分である場合には、―-もし彼の生死が問題となったならば――彼が必要を目されるどんな手段によってでも、自己を防御することを許されなければならない。そしてどんな行為であっても、その行為によって、かつその行為だけによって、自存を完うし得るということを証明できる以上は、人間の性質と矛盾することのない行為が禁止されているとは言い難いのである。しかしながらこのような形式の権利は、特殊な規則の源泉というよりもむしろ、すべての権利と義務がその支配の下に存在するところの条件であって、正当に言えば、おそらく右の規則の源泉という資格では全然作用できないものであろう。これは他の原則に従って行動する義務を停止させることによってその機能を果たすものである。・・・・生存が直接目前の問題となっているというほどには差し迫っていない場合もある。そしてそんな場合には自存の観念をいわば拡張して、重大な危害に対する自己防御をも包含することによって、各国はあたかも自国の存立にかかわる一大事に直面したかのように、そのような場合と同じ方法で、普通の法の規則のある一部分を無視することを許されている・・・・』

  『自存権は、ある場合においては、友好国または中立国に対する暴力行為を正当化することがある。というのは、その国(すなわち友好国又は中立国)の位置及び資源からして同国が敵国によって自己に危険を及ぼすまでに利用され得る場合、また敵国側が、その国をかように利用する意図を持っていることが明瞭である場合、さらにまたその国が無力であることによるか、もしくはその国の中のある一派と通謀するという方法によって、(敵国がその国を利用することに)成功する場合などである・・・・』

  『国家は外国にある自国民を保護する権利を有する。』

 仏人リヴィエルはこの自衛権または自存権を次のように説明している。『これらの自存の諸権利《すべて自存権という一個の権利に帰することのできる存続、尊敬、独立及び相互通商の諸権利》は、国家は国際法上の人格であるという観念そのものを根拠とするものである。これらの諸権利は、国家間の法規《ドロワ》の一般的成文法《ロウ》及びわれわれの政治的文明の共通の制度を形成する。国家を国際法の主体としての性質を持ったものと認めるということは、その国家が右のような(自存の)諸権利を正当に所有するものとして『法律上で(「法律上で」に小さい丸で傍点あり)』認めるということを黙示するのである。

  これらの諸権利は明示的または黙示的合意から生ずる諸権利、すなわちある場合には仮定的または条件付き、相対的、偶然的権利と言われるものに対して、本質的な、または根本的、原生的、絶対的、永久的権利と呼ばれている。』

 リヴィエルいわく、『一国家の自存権と、他国の権利を尊重すべき同国の義務とが衝突したときは、自存権は義務を無効のものとする。(ラテン語の)いわゆる『生存権(「生存権」に小さい丸で傍点あり)』である。人間は自己を犠牲にする自由を持っているかもしれない。(しかし)一国の運命を委ねられている政府として、国家を犠牲にすることは断じて許されていない。その場合政府は、自国の安全のため、他の一国の権利を侵害する権利を与えられているし、かつある状況のもとにおいては、侵害する義務を負うことさえある。これは必要やむを得ないという口実であり、国家的理由の適用である。これは妥当な口実である。』

 カウフマンの説によれば、国家は理想実現の手段であり、国家の構成員に対して、その命令に服従することを正当に要求することができる。その理想とは、他の諸国によって現わされているところの相対抗する物質力の世界において、歴史の中における自己保存及び自己発展を遂げることである。この理想は究極において、国家の有する物質的並びに精神的力によってのみ達成し得るものである。これはその国家の構成員のあらゆる物質的並びに精神的力を活用することによって、初めて達成し得るのである。勝利を収めた戦争において判明するように、国家の本質は力である。

 ヘーゲルの説によれば、国家間の関係というものは、約束はするけれども、しかしそれと同時にその約束を超越しているところの独立した団体相互間の関係である。国家の保存のために行なわれることは何ひとつ非合法ではない。

 各当事国がそれぞれ自身で判断したその国の利益こそは最高のものであるとの見解を支持する著者もある。もし相手国に譲歩の意志がない場合は、どの国の利益が法律的により一層強いものであるかを決定し得るものは戦争を措いて外にない。この説は、その著者たちによれば、法律の否定ではなくて、国際生活においてなし得る唯一の法律的立証である。

 ウェストレーキは、この権利についてさらに狭義の見解をとっている人であるが、彼は次のように述べている。

  『正義が真の国際的自存権として示しているものとしてわれわれが考えているものは、その実は単に自衛権にすぎない。他国からの攻撃、攻撃の脅威もしくは攻撃の意図を当然察知することのできる準備またはその他の行為に対して、国家は、もしその国自体の良心的判断に基づいて必要である場合には、予防的手段によって自国を防衛することができる。かような行動に出るとき、その国はたとい表面上は侵略的であっても、本質的には防御的に行動しているものである。攻撃という言葉のうちに、われわれは国家自体の、またはその国民の、法律上の権利に対する一切の侵害を含ませている。この場合、その侵害が違反国によって行なわれたか、その国民によって行なわれたかにかかわりなく、また国民によって行なわれる場合に、国家がこれを適当に制止しなかったか、または事件の性質上補償が可能であるのに充分の補償をしなかったかは問わない。そして右の適当な制止という言葉によってわれわれの意味するところは、かような制止が行なわれなかったことは、問題の政府の無力から来るかもしれないにしても、軽微のもの以外のすべての侵害《ラテン語にいう『法ハ瑣事ニ拘泥セズ(「法ハ瑣事ニ拘泥セズ」に小さい丸で傍点あり)』》を有効的に防止することである。右のように許容された権利に基づいて行動する国家の良心的判断は、現在の不完全な世界組織が存続する以上、有権的な制裁に代わらざるを得ない。

 われわれの現在の目的にとっては、自衛権に関して存するこれらの異なった見解は大した影響はない。われわれとして注意する必要のある点は、侵略という概念が自衛という概念とともに一対をなす(正誤表によると「とともに一対をなす」は誤りで「の補語」が正しい)にすぎず、従ってある戦争が自衛戦であるかないかという問題が依然として裁判に付することのできない問題として残され、そして当事国自体の『良心的判断』のみにまつ問題とされている以上、(パリー)条約は現存の法律になんら付加するところがないということである。同条約は単に世界の輿論を刺激するのに役立つだけで、その(条約の)違反に伴う危険は、ただ違反国にとって不利な世界的輿論を喚び起こすというだけのことである。あるものの規定する義務が実際上今もなお当事国の単なる意志次第でどうにでもなるものである場合、そのあるものを『法律』と称することはできない。

 ラウターパクト教授は次のことを指摘している。すなわち『パリー条約の履行の問題については、自衛の許される場合《すなわちこの条約の目的を無視することの許される場合》が発生したかどうかを決定すべき唯一の判定者としての地位から動かないとその主要締約国みずからが決意した結果、それは裁判に付することのできない事項として取り扱われてきた。』この問題は関係国にとっては疑いもなく最も重要なものである。しかしラウターパクト教授が正しく指摘しているように、これはまた同時に法的確認を受け得る問題の中でも、『特に顕著(「特に顕著」に小さい丸で傍点あり)』なものである。この問題は法的決定の範囲の外におかれるべきであるという主張は、重要事件を裁判に付し得ないということの例証ではなく、かえって法律文書としてのパリー条約の価値を削減しようとの目論見から生まれた議論の余地ある解釈である。

 しかしながらわれわれの考慮すべき問題は、パリー条約の履行または不履行が法的に確認され得るか否かではなくて、それが各締約国によって法的に確認され得るものとされたか否かということである。本問題はまったく締約国の規約――すなわちその規約に参加した締約国による解釈のいかん――に係るものであるということを記憶に止めるとき、(以下のことが言えるのである。)もし各締約国がその規約に特定の意味を与えようと意図したか、またはそれを特定の意味に解釈し、それに基づいて行動したとすれば、現在われわれはその規約に対して、それ以外の解釈を与えるべきではない。

 この博識な教授は、自衛のために武力に訴えることに対して法的決定を下すのは不可能であるという見解は、おそらく本問題の二つの異なった面を混同した結果であろうと言っている。まず第一に、もしも直ちに行動に出なければ国家の存立及び重大な利益が救済の望みのない程度にまで危険にさらされていると国家が信ずる場合においての実際の武力行使がある。この場合には、歴史上の有名な定義を借りて言えば、国家は瞬刻も猶予を許さず、逃れるすべもなく、また手段を選ぶ暇も、考慮をめぐらすいとまもない緊急行動の必要に迫られていると信ずるのである。自衛に訴えることは、何よりもまず関係国自体の判断すべき事柄でなければならないというのは、自衛の法的概念の本質である。しかしそうだからといってはたして右の国家にそう信じなければならない理由が本当にあったかどうかを調べるために、これを裁判に付し得る問題としてはいけないというわけはない。すなわち右国家のとった行為の合法性が裁判に付し得る問題であってはならないという理由はないのである。

 次に指摘されていることは正しい言い方である。

  『戦争放棄のための一般条約を崩壊の運命に導く主要素因となるおそれのあるものは自衛権ではない。かような崩壊の素因となり得るものは、自衛に訴えることが法的決定に服従すべき問題ではないという主張にあるのである。』

 もしこれがこの条約の正しい解釈であったとしたならば、その結果は戦争防止の手段としてのこの条約の法的価値をなくしてしまうことになるということが認められる。この条約は、交戦国が侵略の意図をもって始めたものであると公式に声明した戦争だけに、非合法の烙印を捺すことになる。この条約は諸国家が自国のとった行動の有する道徳的な、そして政治的な意義並びにそれに伴う危険を充分に自覚しつつ、自国の重大権益に対する現実の危険またはそのおそれを排除するために始めた戦争であると誠実に声明した場合の戦争を非合法なものとするものであるということはできない。この解釈によれば、自衛権行使の際の裁量が、条約上の義務の履行にあたって要求される信義という一般の法的要求に服せしめられるということは重要性がないことになる。各種の法律制度は、特に信義の要件に言及している規定を含んでいる。上述のように、解釈されたところの同条約の法律的目的を破壊する主要なものは、信義の義務が履行されたか否かを決定する能力のある客観的な法律上の権威を排除することである。

 しかしながらラウターパクト教授自身は、不戦条約に関連し、かつ自衛権に関するところの宣言ないし留保事項には、同条約の締約国が、前述の解釈に見られるように同条約の法律的価値の主要部分を消失させてしまうような、解釈を下す意図をもっていたと推定しなければならないような事情はないという意見を述べている。同教授はいわく

  『締約国の意図は、明示的な宣言がなくても、必然的に有効である原則、すなわち自衛権は裁判に付しえないとする、当初に述べた解釈に黙示的に含まれた原則を再確認するにあったにすぎないということはあり得ることであり、またおそらくは真実であったであろう。』

 かような見解は正しいかもしれない。あるいはこの自衛権の性質について、すでに述べられたことから推定して、各国は見解を異にしていたかもしれないのである。われわれは、どのようなことがなされるべきであったか、またどのようなことをなし得たかという問題にはさほどの関心を抱くものではない。もし実際においてこの問題が関係国によって決定されるものとして留保されていたならば、同条約の価値は、この事実に基づいて評価されるべきであり、こうもあったであろうかという仮設上の事実に基づいて評価されるべきではない。たとい各当事国が自衛権の適用範囲についての謬見ないしは誤解のもとにかような行動をなしたとしても、同条約の効果に関する限り、われわれはそれを詮索すべきではない。本件においては検察側はその最終論告中に、きわめて公平に次のことを認めたのである。すなわち『ケロッグ・ブリアン条約調印の際、同条約は自衛権に干渉せず、かつこの問題に関しては各国個々の判断に任せるように規定されたのである。』と。

 本官の意見としては、同条約の当事国が即刻の行動の問題だけを、彼ら自身の判断で処理することを留保条項とする意図を有していたということは、正当なものと言い得ないのである。当事国自身が同条約をかように了解したことはなく、ケロッグ氏自身も、当事国の意向ではこの条約がこの点に関して何を意味することになっていたかという点を充分明瞭にしていたと本官は信ずるものである。

 ラウターパクト教授は自衛に訴えることを法的に規律するための機構が同条約中に設けられていないということが主要な困難であると指摘している。かような機構は国際連盟規約中には設けられている。同氏によれば、連盟理事会及び総会は、戦争に訴えることに関する連盟規約の諸規定の履行について、道徳的判定だけでなく、法律的判定をも下す可能性があることを考慮に入れている。しかしながら国際連盟は、あらゆる国家を包含する組織ではなく、かつその組織みずから各国がそれから脱退できるように規定を設けていたことを忘れてはならない。合衆国は当初から加盟せず、日本は加盟後に脱退し、ソ連邦は日本の脱退後に加盟したのである。そればかりか、パリー条約以前に締結された諸規約は、単に開戦に至るまでの諸手続に言及しただけであって、戦争自体の合法性ないし非合法性に影響を及ぼさなかったのである。

 同条約を解釈するにあたり、われわれは戦敗国民に対して行なわれつつある事件において、これを解釈することを要求されているという事実によって、少しでも影響されてはならないのである。われわれの下す解釈は、決戦が行なわれる前に、この問題がわれわれに提出された場合に下すところの解釈と同一でなければならないのである。国際法がまだ揺籃期にある今日、国家間の行為を規律するための法律及び主義が正義及び節度を侵すことがないよう細心の注意を払うべきである。この分野こそは、人間がその過誤に対して大なる償いをしなければならない分野であることを歴史は如実に示しているのである。報復のためではなく、世界平和の将来のために、本裁判に関心をもつ者は、憎悪の炎を燃やし続けるような結果になることは、ここでは何一つとして絶対に行なわれないことを期待すべきである。

 法の機能は、結局においては外部から課せられた掟にその有効性の形式的淵源が存するところの規則に照らして、当事者の行動を律することにある。

 国際団体の中では、法の規則の有する右の基本的特色は、国際法の拘束力は国際団体の個々の構成員の意見(正誤表によると「意見」は誤りで「意思」が正しい)から生まれてくるものであると演繹する国家主権の概念によって、絶えず阻害されている。

 本件において提起された問題の考究に関連して検討をなすにあたっては、最初から主権の学説に当面させられるのである。国際紛争の処理における法の機能を制限する問題について検討をなすにあたっても、本裁判所は同様の学説に直面するのである。

 国家主権の理論は、国際法において主として次の二点に表示されるのである。

 第一、将来のために国家が拘束を受ける国際法の内容がどんなものでなければならないかを決定する国家の権利として。

 第二、特定の問題に関して既存の国際法の内容がどんなものであるかを決定する権利として。

 第一の結果として、

 1、国家は、どんな規則も同国がそれを明示的ないし黙示的に承認していない限り、それによって拘束されるものではない。

 2、国際立法の分野においては単なる多数決ではなく、全員による完全な意見の一致が絶対に必要である。

 第二点においては、ある一つの規則がその国家に適用され得るか否かを決定する唯一のものがその国家自体であるという意味を含んでいる。

 各国家がどのような規則についてもこの権利を保持する限り、本款の意見ではその規則は通常の意味における法律とはならないのである。たといわれわれ裁判官があえてそれに『法律』という名称を与えたとしても、それに違反したところで、なんらの結果をもたらすものではないのである。その違反はなんらの犯罪をも構成しない。その理由は、ただ単にいわゆる違法者以外には、何人もその法律の違反があったか否かを断言し得ないからである。

 この条約の法律的効果についての本官の見解は、同条約に対してなされた種々な反対意見について考究することを不必要とするものである。この条約は現状を永久に保証するように企図されたものであり、これによって1928年に不安定かつ不当な現状を確立しようという試みがなされたと、時には言われている。

 われわれはこれらの非難を検討する必要はない。あるいはこれらの非難は正しいものであるかもしれない。少なくとも合衆国代表のジャクソン主席検察官は、ドイツ戦争犯罪人に対するニュールンベルグ裁判の最終論告において、ある特定年度において存在した欧州の状態の背景をあえて詮索しようとしないことによって、右の見解を強力に支持したのである。すなわち同氏は、それ以前のいずれかの期間における状態を理由として正当化することを許そうとしなかったのである。しかしながら以上の非難は、われわれの目前の問題には関係はない。とにかくこの条約が法律であるならば、これらの解釈によって指摘されている欠点も、法としての同条約の性格を変更させなかったであろう。

 国際生活に犯罪の概念を導入するためには、法律の支配下に入れられた国際法団体(インターナショナル・コミュニティー)が存在していることが不可欠の条件である。しかしながら現在のところは、まだこのような団体(コミュニティー)は存在していないのである。

 『国際法』及び『国際法団体』という表現は、いずれもある特定の意味に限って、現在の国際生活に関連して使用されているのである。

 本官は他の箇所ですでに国際法団体の性格について論じておいた。もちろん、ある意味では、かような団体(コミュニティー)は存在しているとも言えるが、それが法律の支配下にあるところの団体であるというのは、これによって若干の奇怪な分野まで包含することを許すことになるばかりである。

 明らかに承認された国際義務によって規律される分野を除いては、国際法団体は存在しない。これらの義務は、明瞭に承認された部分的な共通利害関係という限定された範囲内だけに存在するものであるから、各国の個々の利害関係が常に第一に考慮されなければならないものとなるのである。

 近代国際法は真の社会の生活の表現としてよりも、むしろ外部との接触を規律する手段として発展したものである。

 国際的立憲制度の必要が明らかになってくる以前に執筆したメーンは、手きびしい論評を加えている。彼はこれを18世紀の迷信、すなわち哲学者が『僧侶の迷信』と彼らが考えるものから逃れようと熱望したあまりに、つかみとってひろめた『法律家の迷信』と称している。

 現代の混乱や錯雑の結果、実現性のない希望を抱かせ、迷信を復活させ、さらに法の衣をまとった代用宗教と呼ばれても仕方のないものをひろめることにまで立ち至ったということは、国際法学者の落度ではなく、むしろ彼らの不運である。

 パリー条約によって各国がみずから負担した義務の性格と範囲を熟慮した結果、本官は国際生活において従来存在した戦争の法律的地位はなんらの影響も受けなかったとの結論に到達したのである。同条約から生じた唯一の効果は、不法な交戦国に対する世界の輿論を不利にすること、またこれによって国家間に法を遵奉する感情を発達させることがあり得るということに過ぎない。この効果は、ある著者にとってはどんなに微々たるものに思われようとも、地位や権威の高い人々はそれに大きな重要性を与えたのである。英国控訴院判事の一員たるワディントンのパーカー卿は、1918年3月19日英国上院における国際連盟に関する討議において、次のように述べた。

  『予はただ一つおそれることがある。それはすなわち、国際連盟支持の運動が、それを主唱する人たちがあまりにも急いでいるために、ある危険をおかしていることである。彼らは土台の安定性よりも、上部建築の細部にとらわれている。』と。

 これは同卿が国際裁判所及び国際警察部隊についての計画に関して述べたことである。これらの計画が国内法と国際法との間に誤った類推をすることに基づくものであることを指摘した後、パーカー卿はさらに次のように言っている。

  『裁判所と組織的警察を有するすべての健全な国内法体系は、歴史的に発達したものであって、その根源は遠く昔に遡るのである・・・・もしわれわれが最初に問題のその部分を取り上げるとするならば、目下せっかくわれわれが建設しようとしている建物全体が崩れてしまうのではないかと予は懸念する。現在において、大国家に対して、裁判所による裁決にあらかじめ服することを求めるのは、ゆゆしい問題である。その裁判所は、2、30ヶ国の代表によって構成され、その代表の多くは、一方または他方に投票することに、間接の利害関係を有していることがあり得るのである。・・・・』と。

 同卿はさらに、国家間における遵法精神は、いまだその発生の初期にあると認めることが、唯一の健全な方針であると指摘した。戦争は反社会的行為である、共同社会に対する犯罪であるといって、戦争自体に反対する輿論を動員することに、その主力を注ぐことが、目的達成の正しい方法であったのである。ジンメルン教授は同卿の演説を要約して次のように述べている。すなわち、まだ萌芽期にある世界市民意識を前提とすれば、パーカー卿の築いている建物は、法理論者のそれよりも、たとい見栄えはなくとも、土台のしっかりしたものである、というのである。これはいわば犯人追跡の叫びの組織化であり、それ以上の何ものでもない。この段階は法の支配の段階に先だつものであり、この段階がなければ、法の支配は可能となり得ないのである。

 何かこのような考慮がパリー条約の締約国を動かし、そのために、これらの諸国は同条約を現在の程度のままにしておくつもりになったのであるかも知れない。世界共同社会の原始期にある現段階において、おそらくそれ以上のことは望んでも得られそうにもなく、また得策でもないと考えられたのであろう。一国はその声望を簡単に捨てるものではないという仮定、すなわち国家の名声は近代諸国が国の宝として一般に尊重するものであるという仮定に、おそらく多くの期待がかけられたのであったろう。

 世界の輿論をどちらかの方向に向かわせる可能性は、現代の国際生活において看過し得べき要素とは考えられていないようである。少なくとも各国は世界の輿論を非常に重要であると考えるらしく、この目的のためのプロパガンダは国際生活において日増しにその重要性を加えつつある。

 ブリアン氏が、同条約の最初の諸締約国を歓迎するにあたって、このことについて述べたことに(今ここで)注意するのは興味あることと思う。同氏はいわく、

  『この条約は実効がないとか、制裁の方法を欠いているという異議を唱えるものもあるであろう。しかしながら真の実効性というものは、輿論の力をも含めた道徳的強制力を事実の領域から排除することに存するものなのであろうか。実際、本条約の締約国として他のすべての締約国の非難を受けることをあえて意に介しない国は、次第にそして自然にその国に対抗してもり上って来るそれらの他国の共同結束に出遇って、ひいてはその国が遠からずその痛みを感ずるようになるという恐ろしい結果を必然的に招く危険をおかすことになるのである。そして本条約の調印国であってその国の当局者が、自国をかような危険にさらす責任をあえてとるというような国が果たしてどこにあるであろうか。』《本件の法廷証第2314号A参照》

 1929年、当時の米国国務長官スチムソン氏はパリー条約の制裁手段について右と同じ見解をとった。すなわち氏は、公式声明において、締約国間におけると同じく「その結果として交戦国及び中立国の権利の問題全般にわたって、根本的変化があった」という英国の議論を否定し、さらに続けて『(パリー条約の)効力いかんは、まったく世界の輿論及び調印国の良心にかかっているものである』と声明した。




 さてパリー条約に関して残された最後の問題を取り上げよう。すなわち、パリー条約は、どのような戦争についても、これを犯罪であると宣言してはいないけれども、その効果は、国際生活における戦争に対してはその正当化を求めること、それによってさらに正当化し得ない戦争をその戦争の持つ性質そのものからして、犯罪ないし不法行為であるとすることであったか否かという問題である。

 これが(すなわち、パリー条約の効果は右の通りであるというのが)ライト卿の見解であり、これには慎重な考慮を要する。

 本官の了解するところによれば、パリー条約によって締約国が国家的政策の手段としての戦争を放棄したその瞬間から、どこの国も戦争を行なう権利を失い、そのために一つの権利としての戦争は国際生活から駆逐されたのであるとライト卿は言おうと欲しているようである。そうなると、今後どんな国でも、戦争ということを考える場合には、その行動を正当化しなければならない。そうしなければその国は一つの犯罪を犯すことになるのである。けだし戦争というものは、その本質からして犯罪的行為を伴うものであるからである。戦争は自衛のために必要となった場合にだけ、正当化することができるのである。そこで侵略戦争は、自衛のための戦争ではないから、これを正当化することができず、従って犯罪となるのである。

 もし右条約になんら留保条項がなかったとすれば、右に述べたことはおそらくその通りであろう。しかし困ったことには、パリー条約は、自衛戦とは何かという問題を当事国自身の決定――それは世界の輿論を不利にする危険をおかすだけのことである――にゆだねたので、この点に関するその効果を全然消滅させてしまったのである。本官の意見では、どのような規則によるにしてもただ当事国だけが自己の行動の正当化し得るものであるか否かを判定するものとして許されている場合には、その行動は正当な理由を要求するどのような法律に対しても、その圏外に立つものであり、またその行動の法的性格は依然としてそのいわゆる規則によって影響されることはないのである。

 本官が前に触れたように、ラウターパクト教授は、右の条約は、自衛権を唯一の留保条件として、国家的政策の手段たる戦争を放棄するという意味に解すべきだという見解にくみしているようである。右の自衛権を主張する当事国は、その国自身の判断だけに基づいて行動をとるかもしれないが、同時にまた他の諸国は果たしてその当事国にその権利があるか否かについて、審判を行ない得るのである。この所説は本件の審理において検察側の主張するところでもある。

 クインシー・ライト氏の意見もこれと類似しているように見受けられる。同氏は歴史の初期において、戦争は正義を実現するための妥当な手段であるとする概念が一般に行なわれ、その概念の実際的適用の点だけに、いくらかの制限が加えられていたと述べた後、次のように論じている。いわく、

  『連盟規約は躊躇しながら、一方パリー条約は規約よりも確固たる態度をもって、右の概念とは異なった仮定――すなわち、戦争は、現実のまたは目前に迫っている戦争自体に対する防衛のためでない限り、適当な手段ではないという仮定を前提としている。かくしてこれらの条約文書の下においては、何がいわゆる『正当な戦争』であるかという点を判断する標準は、その戦争によって達成しようとする主観的目的を考慮することから転じて、その戦争が勃発し継続されるに至った客観的条件に対する考慮へと変化していったのである。』

 彼は、世界機構の確立を目標とする戦後の諸種の努力に伴って、もはや交戦国の立場の不正を区別しようとはせず、侵略の事実と防衛の事実とを識別しようとする観念から「交戦権(「交戦権」に小さい丸で傍点あり)」が国際法の最も著しい特色となってくる次第を指摘している。

 この点に関するラウターパクト博士の見解を本官が受け容れることができない理由は、すでに述べた通りである。クインシー・ライト氏は与えられた判断の標準は、主観的目的を考慮することではなくて、客観的条件を考慮することであると述べているだけであるが、しかしこの考慮は一体だれにさせるというのか。この質問に対してライト氏は確定的な解答を与えていない。本官はすでにこの件に関する見解を述べたのであって、本官の意見では、本裁判に関する限りにおいて、この点が決定的な問題であると考える。

 パリー条約に関連して諸国家が言及した自衛権は、本件の審理において検察側の主張したところと異なり、国内法において認められているところの犯罪行為に対する私的防衛権とは、断じて同じものではない。それは主権国家固有の権利であり、国家の主権という言葉そのものの中に包含されている権利である。これは相手方の、ある暴力行為によって初めて生まれてくる権利ではない。この権利の範囲並びに根本的性格を示すため本官はすでに諸権威の言を引用した。この権利は主権の本質的基礎として存続する限り(←この部分、正誤表によると、「本質的・・・・・・・存続する限り」は誤りで、「本質的要素そのものであり、主権が国際生活の根本的基礎として存続する限り両立しないものではないという見解」が正しいとなっている。しかし、この正しいとされる文章の最後の「両立しないものではないという見解」は、正誤表の次の事項から混入したもので、除くのが正しい。結局「本質的要素そのものであり、主権が国際生活の根本的基礎として存続する限り」が正しいことになる)単なる暗黙の意義をもってこれを動かすことはできない

 条約をどのように解釈するかという問題が、国際法上裁判に付し得る問題であるという説は、これを否定する必要はない。同時に、自衛あるいは自存の権利は国際生活において同じく根本的なものである。かような権利が暗黙の意味によって、少しでも制限を加えられたと言うことはできない。もしパリー条約締結当時において、この権利が国際法上、裁判に付することのできないものであったならば、これは今日においてもなお依然として裁判に付し得ない事項でなければならない。パリー条約はこの点に関する法律上の事態を変更しなかったのである。

 一方においては、国際関係における国家主権の非妥協的な諸要求があり、他方においては国際関係における政治的発展及び次第に増進する一般人の自覚と、世界の輿論の諸要求に基づく諸種の必要が増大しており、双方を調和させることは確かに非常に困難である。しかしこの困難を解決する方法は、本件のような裁判を行なうことだけにあるのではない。

 国内法の場合と異なって、国際法においては、紛争を一般的に裁判に付し得るということは現行法の一部ではなく、それは特別に約束され、制限的に解釈された義務の性質を帯びるものである。従って、国際法においては、なんらかの現実の紛争が裁判に付し得るものか否かの問題が起こったときは、紛争当事国がその特定の紛争に関して、ある国際裁判所の管轄権を容認する約束をなしたか否かを調査するのが当然妥当な手続である。

 1934年においてすでに次のような見解がブダペストで開かれた国際法協会で表明された。すなわちパリー条約は国際法に一つの革命をもたらした。それは戦争が全然なくなったという意味の革命ではなく、1928年以前に国家的政策の手段として行なわれた戦争は合法的であり、交戦国の権利及び中立国の義務を発生させたが、1928年以後に行なわれたこのような戦争は違法となり、従って権利や義務を発生させない。ラテン語にいわゆる「法的権利ハ不正ヨリ生ズルモノニアラズ(このカギ括弧内の文字すべてに小さい丸で傍点あり)」という意味における国際法の革命である。1938年アムステルダムで開かれた右協会の第40回会議においても、右と同様の見解が繰り返し表明された。そこでは、国際法学者中のある者は次のような意見を述べた。すなわち、パリー条約の締約国であって右条約に違反する国家は、攻撃された国についても、また中立諸国についても、なんら交戦国としての権利を有せず、被攻撃国及びその国民に対して、または中立国及びその国民に対して、傷害を与える度に、法に照らして、その責を負わねばならないというのである。

 パリー条約が戦争の法的性格に対して与えた影響に関する右の見解は、すべて人がこれに同意していたわけでもなく、いわんや諸国家が今後実際上、右の条約に対してとる態度の上に起こり得る変化を反映したものではない。もし右の条約の効果が戦争を違法となし、その戦争の創始者から交戦国としての諸権利を剥奪するにあるとしたら、かような戦争が起こった場合には、どのような国家も中立国としての義務は有しないということになるであろう。

 ウィーンのショイネル博士は、1928年以来の中立に関する各国の慣行を検討し、その結果を前述のアムステルダム会議において発表した。同教授は、まず第一に国際連盟設立以来1928年にいたるまでの期間、次のケロッグ・ブリアン条約以後における中立の発展の跡をたどり、第一の期間に関しては、数個の国家が国際連盟規約の諸条項をどれだけ尊重したかを調べ、その結果を次のように要約している。いわく、

  『この期間を通じて、すべてこれらの諸国は、実際上の慣行として、中立に関する法律があたかも存続しているかのように行動した。』

 さらに同教授は右の見解を支持する実例を挙げている。第二の期間についてショイネル博士が発見したところは、同博士の言をかりれば、左の通りである。いわく

  『1928年以来、これら諸国の政府は、その締結した条約においても、またその政治的声明及び行動においても、伝統的意味における中立は、国際連盟参加国並びにケロッグ・ブリアン(パリー)条約締約国の義務と両立しないという見解(←正誤表によると「両立しないという見解」は誤りで、「両立しないものではないという見解」が正しい)を容認した。数個の国は躊躇するところなく中立を宣言し、あるいは戦争勃発の際に中立を維持するという義務を負うことを約諾し、あるいは、戦争勃発の際は中立を維持したいと希望する旨を宣言した。云々』

 右の言葉は、諸国家間においてそのパリー条約に対する実際上の尊重の念について、どんな変化があったかに関する問題を、決定的とは言えないまでも、ある程度まで明らかにするものである。列国が、戦争は1928年以後違法となったかのように行動したとは思われない。少なくとも列国はパリー条約に違反した戦争の場合でさえ、交戦国の権利は認めた方がよいと思っていた。本官が後に示すように、米国及び英国はかような戦争に伴う交戦状態に付帯する権利義務について、右の見解をとったのである。1933年2月27日ジョン・サイモン卿は下院において、中日両国に対する物資輸送禁止問題を取り上げて、英国を『中立国政府』と称し、その結果として中日両国に対し同様に禁輸をなす必要がある旨を述べた。それゆえその当時において、中国における日本の戦争は違法のものとは考えられていなかったのである。

 フィンチ氏の指摘したように、次のような事例がある。すなわち、

  (1)1933年1月、日本が九国条約、国際連盟規約、及びパリー条約に違反して、中国に対し、いわゆる侵略を行なっていたとき、スチムソン国務長官は米国議会に対して、『大統領が国家間の紛争または衝突に際して、ある国に対する武器及び軍需品の輸送が、武力行使を促進または助長するものと判断した場合、それがどこの国であってもその国に対する武器及び軍需品の輸送を、他の生産国と協力して任意に制限または禁止する権限を大統領に付与すべきこと』を勧告した。この勧告に対して議会はなんらの処置をとらなかったが、これから2ヶ年半後の1935年8月31日、米国議会はあらゆる交戦国に対する軍需品の輸出を禁止する中立法を可決した。

  (2)右の中立法は、イタリーのエチオピアに対する戦争に際して、ローズヴェルト大統領によって実施された。

  (3)1935年の中立法は、一時的性質を帯びたものであった。1937年5月1日の中立法がこれに代わって恒久的立法となった。この法令は、一切の交戦国に対する武器その他の輸出禁止を継続したのである。

  (4)欧州戦争は、1939年9月1日、ポーランドへの侵入を契機として開始された。

  3週間を経て9月21日、ローズヴェルト大統領は、輸出禁止の撤廃ならびに『古くから行なわれた国際法の原理』に基づいた『米国の歴史的外交方針』、すなわちジョン・クインシー・アダムスによれば『紛争の両当事者の主張を正当と認めること、換言すれば紛争の是非についての一切の考慮をさける』ところの『現実的かつ伝統的な中立という堅固な基礎の上に立つ』ところの米国の『歴史的外交方針』への復帰を要請した教書を米国議会に送った。

  パリー条約の解釈に対する米国政府の公式の態度をその立法の歴史に照らして見るとき、パリー条約に違反した戦争は、1939年9月1日の当時において、国際法上非合法であるとの主張を受け容れることは不可能であると、フィンチ氏は指摘している。

 本官自身の見解では、国際社会において、戦争は従来と同様に法の圏外にあって、その戦争のやり方だけが法の圏内に導入されてきたのである。パリー条約は法の範疇内には全然はいることなく、従って一交戦国の法的立場あるいは交戦状態より派生する法律的諸問題に関しては、なんらの変化をもたらさなかったのである。




 もしパリー条約が上述のように戦争の法的性格に対して直接にもなんら影響を及ぼさなかったとすれば、次の問題はその他の方法によって国際生活において――なんらかの範疇に属する戦争、が犯罪または非合法なものになったかということである。

 この問題に対してグルック博士は肯定的に答えて、侵略戦争を国際生活における犯罪であるとなす慣習国際法が発生してきた、と言っている。その目的のために、グルック博士は次の諸事項を基礎にしている。すなわち

  1、今や文明諸国民の生活において、侵略戦争を国際犯罪であると考える一つの国際慣習が、発生してきたものと解すべき時機が到来した。

  2、国際法の分野においては、国際常設司法裁判所規程の第38条の言葉を借りれば、慣習は『法として容認された一般的慣行を証明するもの』と考えられて差し支えないということは周知の法である。

   (a)証明の必要のあることは次の一点に尽きる。すなわち、今世紀にはいってから文明諸国の間に正当化されない戦争は、人類と人類の法律との存続にあまりにも危険な脅威を与えるものであるから、かような戦争は犯罪的であると烙印を押し、そう取り扱わなければならないという各国の厳粛な信念を表明するところの協定を結ぶ一般的な慣習が発生して来たことである。

  3、この慣習及びこの信念の証左としてパリー条約に加えて、次に掲げる厳粛な国際的宣言を挙げることができる。

   (a)戦争という最悪の事態に立ち至った場合、許され得る行為の性質に制限を加える協定――1899年及び1907年のヘーグ条約並びに俘虜の待遇に関する1929年のジュネーヴ条約。

   (b)1923年国際連盟により提唱された相互援助条約案――《その第1条》において侵略戦争は国際犯罪であること、ならびに、各締約国はいずれもこの罪を犯さないことを約諾することを厳粛に宣言している。

   (c)国際紛争の平和的解決に関する1924年国際連盟議定書《ジュネーヴ議定書》の前文――侵略戦争について、これを犯罪であるとして言及している。

   (d)1927年9月24日開催の国際連盟総会の第18回本議会においてなされた諸声明。

   (e)1928年2月18日、第6回汎アメリカ会議《ハバナ》における、アメリカ州共和国、21箇国の満場一致の決議。これは、『侵略戦争は、人類に対する国際的犯罪を構成する』旨、声明したものである。

   (f)調停仲裁問題について、1928年12月、ワシントンで開催された、アメリカ州諸国の国際会議において、すべての共和国代表によって調印された一般協定の前文。これには、各調印国は、『ハバナ決議に述べられた各国の相互関係における国策遂行の手段としての戦争の放棄は、アメリカ州諸国間の関係の根本的基礎を構成するものであることを証明・・・・』しようと欲する旨の声明が入っている。

   (g)1933年10月10日、リオ・デ・ジャネイロにおいて調印された、不侵略、及び調停に関する不戦条約の前文。これは、締約国が『侵略並びに領土獲得の戦争を不法とする目的をもって・・・・』右の条約を結ぼうとする旨声明している。

   (h)アメリカ州の一国によって作成され、1924年国際連盟総会の第3回軍縮委員会によって慎重に討議された、有名な軍縮保障条約草案の第1条。これは、『締約国は、侵略戦争は、国際的犯罪であることを、厳粛に宣言する・・・・』と規定している。

   (i)1927年12月12日に提案されたポラー上院議員の決議。



 前に示唆された慣習の証左として、グルック博士は右に挙げた数個の厳粛な国際的宣言を引用している。これらの宣言が、大抵は、国家間の協定の中に含まれていることに気づくであろう。

 国家間の協定は、グルック博士がこれに与えたような意義をもっているかも知れない。これらの協定は、『締約国の間に(「締約国の間に」に小さい丸で傍点あり)」権利と義務を生ずるほか、次第に育成されつつある一般人の信念の表示としての意義をもつかもしれず、かくてまた、国際慣習法としての一つの法則の形成に究極において貢献するかもしれない。

 しかし、すでに一般に認められた諸原則を失効させる諸規則の基礎と称せられる慣例の価値を決定するのは、なかなか困難である。ホールが指摘したように、ある場合には、これらの慣例の普遍性がその権威を確立することもあろう。しかし他の場合には、これらの慣例を裏づけるものとされる実際上の慣行は、それ自体としては異議のないものであっても、これを決定的であるとするだけの価値があるかという問題があるであろう。またさらに他の場合には、二つの相対立する実際的慣行のうちのどちらが、新たな権威を確立したり、古い権威を破棄したりするほどの力を持っているか、もしくは例外たり得ると主張する慣行がそういう力を持っているか否かを決定しなければならない。

 本件においては、いわゆる慣習法というものが、かりに確立されたとすると、すでに充分に確立されている一つの基本的な法、すなわち各国家の主権が、これによって破壊されることになるであろう。主権は、いわゆる慣習ができ上がる前に、すでに国際制度上の基本的な権利として認められていたのであって、しかも不可欠の権利としてこれが承認されなければならなかった理由は、今日もなお存続しているのである。

  『国際法によって保護される利益は、諸国家の生活上非常に重大な利益というものではない。大きな政治的、経済的対立関係には、司法上の方式はあてはまらないのであって、このことを考えるだけで、右に述べた言葉の正しいことが充分にわかるのである。国際法がその真の機能を発揮するのは、相当に制限されたささやかな領域内においてであって、諸国家がその利益を優越させるためには、同国の存立自体をさえ賭けることになるような利益の大衝突の起こっている領域においてではない。』

 右は現在の国際法の領域についてアンチロッティが述べていることである。

 アンチロッティの右の説が、国際法の関与するところは国家間の些細な問題だけであると言おうと欲する限りにおいて、国際法の現実の内容と範囲という点から考えて右は正確な言葉とは言えないであろう。各国家の存立及び国際団体の一員としての各国家の権利に関する重要問題も、確かに国際法の取り扱う主題となっている。しかるに今日でも、諸国家の生活における非常に重要な問題は、国際法体系の範囲外におかれているのであり、これらの問題を裁判に付し得る問題とすることは、いずれの国もこれをがえ(ん)じないのである。かような国際関係上の大問題が政治の領域に属し、法の領域には属していないと見なされて来たということは、否定できない事実である。これらの大問題が法の領域内にもちこまれないうちは、それについて、慣習法が発達することはできないのである。自衛上ある種のことが必要となって来たかどうかについて、各国がみずから判断する権利を、どこまでも固持して譲らない限り、この問題は法の領域外に残るのである。

 本官はすでに1925年クインシー・ライト教授の述べた見解を引用して、同教授の意見では、その当時までは、戦争が犯罪となっていなかった、ということを示した。

 1927年12月ボラー上院議員は、合衆国上院に提出した決議案中に述べていわく、当時までは『国家間の戦争は、今まで常に合法的な制度であったのであり、今日もなおその通りである。従って各国家は正当な理由の有無にかかわりなく、他のどんな国に対しても宣戦を布告することができ、しかもなお厳密に自己の法的権利の範囲内に留まっているのである。』と。グルック博士は、このボラー氏の決議案に言及しながら、当時存在した法に関する右の言明には触れていない。

 本官の考えでは、以上の言明は、当時存在していた法律については、これを正確に示しているものである。従って問題は、ここで言われている慣習法なるものが、いつ発達したかである。確かにパリー条約の締結前、数ヶ月中に発達したものではない。本官の意見によれば、その後において、発達したものでは決してないと思う。慣習法は宣言だけで発達するものではない。何度も繰り返して行なわれた宣言は、せいぜいそのような宣言をなす慣習ないし慣例をつくったに止まる。

 グルック博士が言及した宣言を、ここで提案されている慣習法の証拠としてわれわれが認め得る前に、これらの宣言は、かような問題を法の領域外においている現存国際制度の基礎そのものに関するものであることを記憶すべきである。

 国家の主権こそは、今でもなお、いわゆる国際団体の真の基礎である。各国家は、ある種の事項については、みずから自己の事件の当事者であるばかりでなく、裁判官であり、執行者である。国家主権の理論並びに『自決権』の原則を余りに厳格に適用する場合に生ずる危険については、今日でも充分に評量されていない。そして、ある中央権力の支配的勢力を犠牲にすることによる危険を冒す方が、その作用が他国の国内活動の分野の中まで手を伸ばすことを許容するよりは、むしろよいと今でも考えられている。

 人類が諸国家に分割されたのは、世界帝国という観念が消滅して、すべての国家が最高権威者なしに独立的に相対立したとき以来のことである。

 かような分割は避けられないことであった。その正当性は、まったく異なる人生観によって支配されているかもしれない他国の人々の、自分らとは異なる見解や努力によって妨害を受けることなしに、各国の国民が自己の特質、能力を発展させることができたということにある。このような国家の形成には特別の価値がある。けだし、かような方法こそ、一様な才能を有する国民の集団が自己の生活、自己の才能及び能力を最高度に発展させ得る唯一のものだからである。国民の内在的な能力をことごとく完全に発展させることは、各国家社会の使命であって、また至るところにおいて、すべての人間の活動を有益に使う機会を与えるということが、これを正当化する理由になるのである。

 国家社会は、その起源と発展の経緯からして、自国国民の利益が一般人類の普遍的目的に関係をもっていることを承知している。従って他の国家社会も、単に自国と同等の権利を有するだけでなく、自国の立場を補足するものである、と見なす義務を負っている。国家は外部との絶対的な隔絶を望むことはできないし、また絶対的な自給自足を求めて努力することもできない。この意味において諸国分立の時代は、また国際社会の時代であると言うことができるのである。しかし、この国際社会は、決して法の支配の下にある社会ではない。

 もちろん、いろいろな社会の中でも国家という社会が、それらの社会の達し得る発展の最大限を画するほどに確定的であってまた完全な方策であると考えることはできない。人民の各階級は、それぞれ一面的な性質をもっている。従って外部から刺激を受けて外来の概念や観念を感じない限り、一定の教育や知識の水準に停滞するのである。それゆえ、彼らみずからの発達と外来観念との間において、また外来観念の同化とこれに対する適応との間にたえず交流が行なわれる。このようにして各国民はそれぞれ、国内社会において、過去においても発展を遂げてきたし現在も発展しつつあるのである。

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