歴史の部屋

 国家の外部的均衡関係に基づいた全人類の連邦が将来の理想であるかもしれない。そしておそらくは、すでにわれわれの時代の人々も、かような構想を念頭に描いているであろう。しかし、この理想が実現されるまでは、国際団体(インターナショナルコミュニティ)の、―-もしこれを一つの団体(コミュニティ)と呼ぶことが少しでもできるとすれば――根本的な基礎となるものは、現在においても、将来においても、依然として国家主権であろう。

 国際機構は、今日までのところでは上述の国家主権の本質を充分に実現させるための、なんらの規定をも設けていない。その実現は、各国家のに委ねられている。真の国際平和のための機構は、現在までのところ、まだ何ひとつない。今日まで、平和とは、単に戦争の否定として考えられただけであって、それ以上の何ものでもなかった。かような状況のもとにあって、『力』の行使が依然として基本的原理である限り、私見によれば、グルック博士が言及したような宣言なぞは、なんら慣習法をつくり得ないのである

 しかし、そもそもこれらの宣言とは何であるか。それをなんらか価値のあるものと見なす前に、まずわれわれは各国が戦争を犯罪であると宣言するようにと求められた場合に、その都度、これに充分に応じなかったという事実を無視してはならない。

 国家は常に、何を防衛戦争と考えるかを決定する権利を保持することに深い注意を払ってきたのである。今日に至るまで、どの国も、ある特定の戦争が『防衛戦』であるか否かの問題を裁判に付し得るものとするだけの用意を持っていない。国家がこの点に関する自己の決定を最後的のものとする考えを持続する限り、どのような戦争も犯罪とはされないのである。

 以上の事実や事情を全部慎重に考慮した結果、本官の得た意見はグルック博士が言及し、検察側が依拠した諸種の宣言によって、何ら国際慣習法は成立しえなかったというにある。

 これらの宣言は、せいぜいそれをなした人々の所信の表現に止まるものである。さらにこれらの宣言には、未だどこの国によっても、なんら実行が伴っていない。慣習が法の起源として考えられる場合は、次の二つの本質的要素が前提されている。すなわち、

 1、人民の法律的な感情のあること。

 2、慣習を示すところの、ある外面に現われた、不断の一般的な行為があること。

 慣習は同じ外面的な状況のもとで同じ行為が行なわれることによって示される。現在審理の対象となっている期間中における諸国家の行為は、むしろこれに反している。

 グルック博士は『慣習法』を特殊な意味で考えているのかもしれない。ある意味では、慣習法、成文法及び判例法が、同じ枝から発芽したもの、すなわち一般人民の意識から派生したものであることは否定し得ない。この意味において、単に慣習法だけでなく、すべての法の発達の核心は、法的意識に置くことができる。すなわち『一般人民の普遍的確信にほかならないところの、人民の確信の自然的和合』にあるとすることができる。この目的のためには、それが慣例の中に現われてくるということは、法の起源にとって、本質的なことではない。この意味では、共通な一般的確信以外には、慣習法の起源に対する前提条件はなくてもよいのである。しかしかような特殊の意味の慣習法は、われわれのさして関心を抱くものではない。もちろん疑いもなく、それには、独特の科学的価値はある。しかしわれわれは、裁判官が(これを)適用することのできるものとなるという意味での慣習法に関心をもつものである。慣習が裁判官によって適用され得るためには、前提条件が存する。プフタは、慣習法を科学的に評するに当たって、右のような前提条件を問題にはしなかった。しかし彼はそれを認めてはいたのである。彼はいわく、『もし前提条件なるものの意味を別のものと考えると、たとえば裁判官がそれを適用するための、そして彼が慣習法を容認するための、前提条件という意味のものと考えれば、ここに述べているものは、もはや慣習法そのものの前提条件ではないのである。この場合に答えを与えなければならない問題は、訴訟当事者が慣習法に訴えた場合、ないしは何か他の理由によって裁判官が慣習法を参照することが必要となった場合、裁判官の考慮すべきことは何かということ。そして慣習法が現実に存在すると想定され得るのは、そのような前提のもとにおいてであるかということである。』

 以上のように、単に一般人民の確信による慣習法の起源と、それが裁判所によって適用され得る、という二つの問題の間には、歴然とした区別があるのである。人民の確信の中に存する、という意味にいての慣習法があるかもしれない。しかしそれは裁判所によって適用されるための前提条件が欠けているために、裁判所が適用し得る法律ではないかもしれない。ここに本件に欠けている慣例が登場してくるのである。人々は法律を単に意識しているというだけではなく、その法律の通りに生活しなければならない。すなわち彼らはその法に従って行為し自己の行動を律しなければならない。

 この遵法生活ということは、単に表示の形式として要求されるというのではなく、慣習法確認の手段としても、要求されるのである。諸国家の行動が考慮される場合には、おそらく敗けた戦争だけが犯罪であるというのが法律であると認められるので(あ)ろう。

 なおここで次のことを述べておきたい。(パリー)条約の締結後の四ヶ年の間に、同条約の締約国が大規模に兵力に訴えた例が三たび生じたのである。1929年、ソビエット・ロシアは、東支鉄道に関する紛争について中国に対し敵対行為を行なった。次いで1931年、1932年には日本が満州を占領した。さらに1932年には、ペルーによるコロンビア国レテイシア州への侵入があった。その後も1935年イタリーによるアビシニア侵入と、1939年のロシヤによるフィンランド侵入があった。もちろん1937年には日本による中国への侵入もあった。

 ラウターパクト博士は次のことを指摘している。すなわち、相当の数に上る主要な締約国間で一つの戦争が起こったり、または数回も相次いで戦争が起こる場合、相当程度の普遍性をその根本要素とすると当然認められるある規約も、その戦争のためにこの基礎をまったく《すなわち当事者に対してだけでなく他の締約国に対しても》失ってしまうと主張することもできる、と。しかし今のところこの問題はこのままにしておこう。

 本官の意見では、どのような種類の戦争でも、パリー条約ないしは同条約から生じた結果のために、不法または犯罪的となったものはない。またいずれかの戦争を犯罪的であるとする慣習法もなんら成立してきていないのである。




 コミンズ・カー氏は、検察側を代表して、同氏がまさに国際法の基礎そのものであると性格付けたものを申し立て、それによって氏のいわゆる充分に確立された原則を、新しい事態に適用するように裁判所に慫慂したのである。氏は次のように述べた。

  『すべての英語国の法律制度と同様に、国際法は普通法及び、より特殊な法から成り立っているものであります。この、特殊な法とは、個々の国々の場合には、成文法によってつくり出され、国際法の場合には条約によってつくり出されるものであります。しかし英語国の法律制度の基礎とまったく同様に、国際法の基礎も普通法であります。すなわち、それは慣習により、また古く確立された原則が法律家によって新しい事態に適用されることによって、徐々につくられるものであります。充分に確立された原則の適用された先例が、あらゆる場合に明確に存するかの(←この部分、正誤表によると「存するかの」ではなく、「存するかどうかの」が正しい)問題には関係なく、いやしくもかような事態が発生したとされる場合には、これらの原則を適用することは、本裁判所の権限と義務に属するものであることには、疑いの余地はないと思います。』

 ある種類の戦争が国際生活上の犯罪であったと本裁判所が宣言する上において、このいわゆる国際法の基礎がどの程度までその助けになるかという点については、間もなく考察を加えることにする。カー氏の右の申し立てにおける文脈は、氏の言及した充分に確立された原則というものが、一箇の『命名法』に関するものであることを示しているに過ぎない。そこではカー氏は、ポツダム宣言中に用いられた『戦争犯罪人』という表現の意味についての弁護側の主張をとりあげて論じているのである。氏は、ヴェルサイユ条約第227条を引用して、同条文は『原則を定め、またすでに充分確立された原則を、新しい事態に適用する』ものであるとしている。ヴェルサイユ条約の問題の条文は、『同盟及ビ連合国』が『国際道義ニ反シ条約ノ神聖ヲ涜シタル重大ナル犯行ニツキ』ドイツ皇帝を『訴追』する旨を提案しているものである。

 この条文から求め得る原則は、わずかに次のものであるようである。すなわち、

 1、同盟及び連合国は戦敗国の元首またはその首脳を裁判に付し得ること。

 2、これらの国が右裁判のための裁判所を構成し得ること。

 3、右裁判所は、国際的約定による厳粛な義務と、国際道義の効力を擁護するために、国際政策上の最高の動機に基づいて行動すべきこと。

 本官が読んだところでは、この条文には、戦争を犯罪であるしたり、戦勝国の設ける裁判所に、かような戦争が不法ないしは犯罪的であると宣言することを強制するような原則は、なんら存しないものである。

 ライト卿が、国際法の進歩的性格及び国際裁判所の法創造力について述べていることも、カー氏の申し立てと同類のもののようである。

 同様に国際団体の性格の発展したことや、自然の法則や、人道の観念が広まっていくことについても、種々の申し立てがなされているのである。

 ライト卿は次のように言う。すなわち

 『どのような国家も自衛戦を行なう権利と同じように侵略戦争を遂行する権利を有するということは、各国間において多年仮定されてきたものであり、少なくとも慣行の上では当然なこととして認められてきたのである。ゆえにここに主張される命題は、革命的なものであると言うことができる。事実、戦争の弊害と罪とは、昔から道徳家たちの絶えず論じてきたことであった。「一人殺せば悪人、百万人殺せば英雄」と言われてきた偉人崇拝の念あるいは主権という観念かもしれない。それが人類の道徳観を麻痺させるのである。しかし国際法は進歩するものである。その進歩の時期は、世界の動乱期と一致している。必要という圧力は、自然法と道徳観念に強烈な刺激を与え、そのために、それらを変じて、文明人類の合意によって、慎重にかつ公然と認められた法律的規則とする。25年の間に二度も起こった世界大戦の経験は、各国民の観念にも、また国際正義の反映する国際法に対する彼らの要求にも、深刻な反響をもたらさずにはおかない。国際法が人道の観念の拡大しつつある現代における、生命あり実効ある力となるべきものであるとすれば、それは進歩せずにはいられないものであるから、そのように国際法は進歩を遂げてきたと余は確信する。侵略戦争を行なうことが、国際的犯罪であるか否かの決定の任務をもつ国際裁判所は、以上余が簡単かつ不完全ながら提示しようとした理由に従って、これを国際的犯罪であると主張することができるし、かつ、主張しないわけに行かない。以 (←「以 」となっているのは、正誤表によると「上」が脱落していて、「以上」が正しい)述べたことに、さらに次のことを付け加えよう。すなわち1931年の満州蹂躙、1935年のアビシニア征服のような、パリー条約に対する、比較的小規模ではあったが、ゆゆしい侵害は、同条約違反として強く非難されたのである。事実、同条約には制裁の規定はなかったが、アビシニア征服という侵害行為は、一部の国家による制裁を招いたのである。さらに、ここに述べた見解については、それを支持する強力な法律的意見が存在する。』

 ライト卿は続けて次のように言っている。『上述の問題を決定する任務をもつ国際裁判所は、この任務の遂行にあたっては、国内裁判所が、問題となっている慣習の存在が、証明されたかどうかを決定する場合と同一の原則に基づいて、これをなすのである。すなわち提出された資料に基づいてこれをなすのである。もちろん、国際法上の一規則が各国間の慣習法の一部として、その存在を確証されたかどうかという問題が係争点となっている場合には、これらの資料の性格が異なることは言うまでもない。かような資料が何であるかについては、余の意見を既に述べておいた。また国際裁判所は、慣習法が道徳の論理及び文明人類の良心の原理と調和するように努力するであろう。小をもって大を律する例ではあるが、商事法が国内法体系の一部として承認されるまでは、商事法はそれに特有の裁判所によって施行されるべき法として存在したのである。国際裁判所は、時が経ち経験が積まれるにつれて、人々の眼が開けて来、陳腐な概念や偏見は廃物(←判読困難。「廃」ではないかもしれない。become outwornなので、古臭くなる、時代遅れになるという意味である)になるということを、心に銘記するであろう。』

 国際法の進歩的性格に言及しているのは、その実、法律制度の発生をもたらす究極的活力に訴えているということである。

 この点について行なわれた観察は、法源の理論に対しきわめて貴重な貢献をなすものであり、その意味で確かに不易の価値あるものである。これによって法がどのようにしてでき上がるかが、真に明るみに出てくるのである。

 法律制度の発展を招来する生きた力を発見するのは、疑いもなく法源の理論の機能であろう。しかしこれ等の生きた力も法となるには、なお、ある充分な社会的発展の過程を経なければならない。しかし戦敗国民を裁判することは、この目的のための正当かつ充分な社会的発展過程であるとは、本官は考えない。少なく(と)も国際生活における法律関係を発展させるにあたって、かような戦敗国の無力感が根拠として用いられることを許すべきではない。単に力で抑えるということは、それが単なる力に過ぎないと判明する時が来るのをいつまでも防ぐことはできないのであり、法の領域に属するものとして適用することはできないのである。

 ライト卿と同様に、ライト教授、トレイニン氏及びグルック博士も、この法の進歩的な性格と、絶えず拡まりつつある人道の観念に訴えている。

 文明諸国の生活において、今や国際慣習が、侵略戦争を国際的犯罪であるとするほどに発展を遂げたものと解すべき時が到来したとグルック博士は言う。同博士の主張は、この種の問題は、盲目的な法的観念論に基づいて処理すべきものではない。その解決がどの様な論理的結果、並びに実際的結果を生ずるかに照らして、現実的に処理すべきものであるというのである。

 トレイニン氏は、主に、1943年10月30日のモスコー宣言に依存しており、これは国際団体における社会生活の発展上、一新紀元を画するものである、と強調している。氏の言葉はこの発展過程を容易にし、これらの新しい観念を強くするには、法律思想はこれらの新しい関係の正しい形態を案出し、新しい国際法体系をつくり上げ、その体系の不可分の部分として、各国民の良心の眼を国際関係の基礎を脅かす企図に対する刑事上の責任の問題に、向けさせなければならないというのである。

 本官の見解では、国際社会は、これらの学者たちが考察したような結果が生じ得る段階には、まだ到達していない。

 国際連盟の結成された後でさえ、主権をそのままに維持する同位的な国家群(coordinated states協調的な国家群)があったにすぎない。国際社会の発展に関して最もよく述べているものはジンメルン教授の、『国際連盟と法の支配』と題する著書である。シュワルンゼンバーガー博士も、同じ見解をとっている。

 すなわち、『人々が今次大戦から学んだことは、独立な、自治的な、そして協同の精神をもつ諸国民の間における有機的な結合という概念を設けることである。』民主主義と中央集権は同列の概念に属するものではない、と言われている。本質的に見てこの両者は、自由に対する奴隷制度と同じように相容れないものである。かようにして、国際連盟は『道徳的には信義の偉大な努力であるとともに、行政的には分権の偉大な努力であったのである。』

 連盟は単に国際協力の制度に過ぎなかった。

 『締約国ハ

 戦争ニ訴エザルノ義務ヲ受諾シ

 各国間ニオケル公明正大ナル関係ヲ規律シ

 各国政府間ノ行為ヲ律スル現実ノ基準トシテ国際法ノ原則ヲ確立シ

 組織アル人民ノ相互ノ交渉ニオイテ正義ヲ保持シカツ厳ニ一切ノ条約上ノ義務ヲ尊重シ

 モッテ国際協力ヲ促進シカツ各国間ノ平和安寧ヲ完成センガタメ

 ココニ国際連盟規約ヲ協定ス』

 国際連盟以上の高位にある国際法団体は生まれなかったのである。

 連盟は国家主権に対して特に慎重な考慮を示し、全会一致の原則を採用することによって、主権の重要性を特に強調したのである。連盟においては国家主権と国家の利害が、依然として根本的な役割を演じたのである。

 世界大戦勃発以来、国際法の根本原則を、国際生活に特有の言葉で、再声明すべきであるという気持ちが、多くの学者の間に存していることは疑いがない。

 同時にこのことは、今日においても未だに行なわれていないと言わなければならない。現状のもとにおける国際機構は、近き将来において、国家主権の原則を廃棄するというような徴候を、いささかも示していないのである。

 国際生活上広く行なわれている『人道の観念の絶えざる拡大』に関して述べ得ることは、次のことに尽きる。すなわち、少なくとも第二次大戦前においては、列強はなんら、かような徴候を示さなかったということである。それについては、国際連盟設立のための決議の起案委員会の会合において起こったことを、一例として挙げればよい。すなわち日本代表の牧野男爵が連盟の基本的原則として、各国民平等の宣言をなすように決議案を提出した際に起こったことがそれである。英国のロバート・セシル卿は、これをもってきわめて論争の的となり易いものであると言明し、これは『英帝国内において、きわめてゆゆしい問題を惹き起こすものである。』という理由によって、同決議案に反対したのである。同決議案は不採択を宣せられた。すなわちウィルソン大統領は一部諸国の容易ならぬ反対に鑑み、これは可決されないものと認めると決定したのである。

 以上のことに、もし次のこと、すなわちその後も依然として一国による他国の支配が存続し、諸国家の隷属が依然として指弾されることなしに、広く行なわれ、かついわゆる国際法団体はかような一国家による他国家の支配を、単に支配国家の国内問題であると見做し続けているという事実を加えて考えるならば、かような団体が、人道をその基礎とするものであると、たというわべにだけでも言うことがどうしてできるのか本官にはわからない。

 この点に関して本官は、ニュールンベルグにおいてジャクソン検事が最終論告で主張したことに、言及しないわけには行かない。同検事によれば、一国家が他国家の征服支配の準備をなすことは、最悪の犯罪である。現在ではこれがその通りであるかもしれない。しかし第二次大戦前には、いやしくも強国としてかような企図ないし準備をなしたという汚点を持たない国はなかったのであって、かような場合にそれが犯罪であるとどうして言い得るか、本官には理解することができない。本官の言おうとするところは、強国がすべて犯罪的な生活を送っていたということではなくて、第二次大戦前には、国際社会はまだ上述のような汚点を犯罪となすほど、発展を遂げていなかったと考えたいという意味である。

 第二次世界大戦中において、原子爆弾はその敵国の都市破壊よりも、より完全に、利己的な国家主義並びに孤立主義の最後の防壁を破壊したと言われている。これによって一つの時代が終わりを告げ、次の時代――すなわち新しい、そして予測することのできない精神時代が始まったと信ぜられている。

  『1945年8月6日及び9日に広島・長崎の両市を木ッ葉微塵にした、かの爆破のごときは、未だかつて地球上において起こったことがないことはもちろん、太陽や星においても、すなわちウラニウムよりもはるかに緩慢に発散されるエネルギーの源から燃焼しつつある太陽や星においてもなかったことである。これはニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの科学記者ジョン・J・オニールが述べたところである。彼はさらにいわく、

  『広島に落下した原子爆弾は、一瞬にしてわれわれの伝統的な経済的、政治的、軍事的諸価値を一変した。それは戦争技術の革命を惹き起こし、われわれをしてすべての国防問題を即刻考えなおさずにはいられないようにしたのである。』

 これらの爆破によって『すべての人間が単に国内問題だけでなく、全世界の問題にも利害関係をもつということ』を人類は痛感させられたであろう。おそらくこれ等の爆発物はわれわれの胸中に、全人類は一体であるという感じ――すなわち

  『われわれは人類として一体をなすものであって、これらの爆発の悪魔のような熱のうちに、完全に溶解され化合したきずなによって、われわれすべての人類は人類信仰、(←正誤表によると、「人類信仰、」ではなくて、「人種、信仰、」が正しい)ないし皮膚の色のいかんを問わず結びつけられているのである。』

という感じを目覚めさせたであろう。

 これはすべて、これらの爆発の結果、生まれたものであるかもしれない。しかし確かにこれらの感情は、爆弾の投下されたそのときには、存在していなかったものである。本官自身としては原子爆弾を使用した人間が、それを正当化しようとして使った言葉の中に、かような博い人道感を見出すことはできない。事実第一次世界大戦中、戦争遂行にあたってみずから指令した残忍な方法を正当化するために、ドイツ皇帝が述べたと言われている言葉と、第二次大戦後これらの非人道的な爆撃を正当化するために、現在唱えられている言葉との間には、さして差異があるとは本官には考えられないのである。

 原子爆弾が真に戦争前のたわごとを、すべて吹き飛ばすのに成功したかどうかは疑わしい。われわれはただ夢を見ているのかもしれない。世界の現に当面している諸問題は、単に1914年以降われわれを悩ましてきたものが、より複雑な形で再現したものではなく、また新しい問題も単に古い国内問題が世界的な意味をもってきたというのでもなくて、真に世界の問題であり、人類の問題であるという事実を、果たしてわれわれ(人類)がどれほど意識してきたかは、今後に俟つべきものであって、今のところわからない。

 国際社会というものがあるとしたならば、それが病気にかかっていることには疑いはない。おそらくは国際団体を構成する諸国家は、計画社会(a planned society)への過渡期にあるというのが、現在の事態であるとも言えよう。

 しかし、それは将来のことであり、恐らく単なる夢にすぎないであろう。

 すべて世界政治を学ぶ者すべてが抱く夢は、各種(←この部分、「各種」まで傍線があるが、英文を参照して訂正した)の力の複雑な相互作用をニ三の基本的な常数と変数とに還元し、この常数と変数を用いることによって、一切の過去を平明にし、さらに未来とも鮮明かつ簡単に現わすことである。現実の世界において、この夢が実現できたら結構なことである。しかしこの未来についてはそれ自体の発展に委せるよりほかにないが、ただ次のことを言っておこう。すなわち国家に犯罪性のあることを一層はっきりさせるために、現存の法を枉げてまで国家の行為に対する刑事上の責任を、その行為をなした個人に負わせようとしなくても、上に述べた未来の展望はいささかも影響を受けるものではない。未来がどうなるかはその未来を組織する人々がつくるところの、この点に関する万全の規定によって定まることは確かであろう。

 今次の大戦中及び戦後に、多くのすぐれた学者が『戦争犯罪人、その訴追及び処罰』という問題について、啓蒙的な見解を含んだ論著を発表した。これらの著書のうちには、なんらかの報復の欲望に刺激されて書いたものであるといっているものは一つとしてなく、又これらの訴追においても、それが右の動機から行なわれたものであると言っているものはない。これらの学者の大部分は、その著述又は寄稿をしたのは次のような理由からであると主張している。すなわち、第一次大戦後『正義の実現の失敗』によって、彼等が大きな衝撃を受け、また特にその失敗が、『融通のきかぬ概念論者』、『杓子定規な法律解釈家』、『思想的死後硬直(「死後硬直」に小さい丸で傍点あり)におちいった』人々、と呼ばれても仕方のない法律家たちの手を経て、生じたものであったからというのである。またこれらの法律家たちは、非現実的な、陳腐な、そして根本的に関連のない専門的形式に基づいた議論を、いかにも合法的、論理的に見せかけることによって、戦争犯罪人の問題に関して、一般人の頭の中にはなはだしい混乱を生じさせたと言われている。これらのことが今日主要な障害となって、問題を正しく解決することを妨げているのであり、そして学者は、これらの障害を除去し、かつ『法の一部門中の迂遠な、専門上の複雑な用語に関する単なる教科書』をつくるためではなく、『国際正義の原則に裏づけられた国際法の理論に対して尊敬の念を払うようにさせる武器』を与えるために、その最善を尽くしたのであるとされているのである。

 これらの学者の一部の者が次のように言っているのは正しい。すなわち、法というものは単に人間の智慧をよせあつめて、ジッグソウ・パズル(はめ絵遊び)の一片一片のように、あてはまる場所と場合に、自由に適用していける規則としてまとめあげただけのものではない。『法というものはそのようなものではなく、人間相互間の行為を規制し、人間社会の存続を可能にする動的な人間力である。』

 法の主なる特質は、法が人間の合理性及び人間の天賦の正義感から発しているという点にある。

  すなわち『疑いもなく安定性と一貫性とが法の規則の本質的な属性である。』とこれらの学者は言う。

  『先例こそ秩序ある法律制度の「前提条件(「前提条件」に小さい丸で傍点あり)」である。しかし先例は、新しい事態ないしは一定の諸事実に対して、疑いもなく関連性があり、完全に適用できるものであるという点が確かでなければならない。そしてもし適用のできる先例がない場合には、新しい先例をつくらなければならない。けだし法は、常に自己を常識の上に打ち建てようとしなければならないものであり、また人間の正義の実現に努力しなければならないものであるからである。』

 もちろん本官はこれらの学者たちに対して、敬意は表するが、ただすべてこれらの見解においては、それが国際法に関して言われたものである場合には、きわめて大きな一箇の仮定がなされていることを指摘したい。われわれが国際法というものと求める場合、われわれは各国家社会のような、完全に法の司配下(←「支配下」の誤りであろう)におかれた存在を取り扱っているのであろうか。それともまたいまだ形成の途上にある未完成の社会を取り扱っているのであろうか。否、われわれの取り扱っているのは、関係当事者が全員一致のもとに合意に達した規則だけが、法の地位を占めるに至った社会である。新しくつくられる先例は、平和を愛好し、法を遵守する国際団体の各構成員を保護する法とはならず、かえって将来の戦勝国に有利であり、将来の戦敗国に不利な先例となるにすぎないであろう。疑わしい法理論を誤って適用すれば、必ず、渇望の的たる国際社会の形成そのものに脅威を与え、将来の国際社会の基礎そのものを動揺させることになるであろう。

 法は、組織された一つの社会における法である場合、すなわち社会の、そして個人の、活動に関する社会的な共存関係の諸条件の総和であるべき場合に、はじめて一つの動的な人間力となるのである。法は、人間の合理性及び人間の天賦の正義感から発するものである。しかしその法とはどんなものであるか。また国際法はかような性格をもつものであるか。

 右に示したように、一国家社会は、その起源と発展の事情からして、自己の構成員の利害が、人類一般の普遍的な目的に関係をもつものであることを承知しており、従ってまた他の国家社会が、単に自己と同等の権利を持つ資格があるばかりでなく、自己の権利を補充するものと考える義務を負っている。従って一国家が他から絶対的に隔絶しようとしたり、あるいは絶対的な自給自足体制をとろうと努めたりすることはできない。この意味において各国家発生の瞬間から、国際社会もまた生まれ出たわけである。これによって国民国家の時代はまた国際法の体系の発展によって特色づけられるという事情が明らかにされるのである。

 それでもなお、この国際社会が法の支配下にある社会であると言うことは困難である。次にジンメルン教授の言葉を詳しく引用しよう。同教授はきわめてたくみにまた正しく国際社会の特徴を述べている。すなわち、

  『イギリスの伝統に基づいて教育を受けた者にとっては、国際法という言葉は、最もよい場合にも人を混乱させ、最も悪い場合には憤激を感じさせる概念を現わすものである。それは決してわれわれが法と考えているようなものではない。われわれの見るところでは、それはしばしば、法の名をかたるもの、「偽物ノ(「偽物ノ」に小さい丸で傍点あり)」法、専権を巧みに法服で包んでいるものと紙一重の関係にあるもののように思われるし、また事実そうである。

  『イギリス人の目から見れば、満足すべき政治制度は法と力との琴瑟相和した仲から生まれた愛児(いとしご)なのである。・・・・それがわれわれのいわゆるイギリス立憲政治の本質である。政治学者が分析する場合には理論的には分けられるが、実際の慣行においては不可分に融け合っている二つの過程、すなわち法の遵奉、もしくは戦後の論争によく用いられた言葉を借りれば「制裁」と「平和的な変化」という二つの過程の作用がこの立憲政治によって保障されるのである。かようにして、裁判官や立法者や、また上は総理大臣から下は警察官に至るまでのすべての行政官が相互に依存する各部分となって単一の組織をつくり上げるのである。

  『この立憲制度は、外からの刺激とか、上からの強制があるからその機能を果たすのではない。その推進力は内部から供給されるのである。その妥当性は同意から得られる。そのエネルギーは輿論との接触によって絶えず更新され、溌剌としたものとなるのである。立法府が適切な成文法の中に具現しようとしているものは人民の意思である。裁判官がその解釈に、そして警察官がその励行に、それぞれ従事しているものは人民の意思である。これらすべての人々が社会的機能と思われているものを遂行しているのである。彼等は社会において最も継続的かつ有力な、社会奉仕の機関である国家組織を、永久に絶えることなく、しかも常に変化する社会の要求に適応させているのである。

  『法をこの大きな全体の一部として考える場合それは規定として公式化された社会的習慣であると定義することができよう。もしこれらの規定のうち、いずれかの部分が反社会的なもの、時の一般的感情にもはや合致しなくなっているもの、否もはや一般的感情によって嫌悪さえされているものと思われる場合には、それは改正されるのである。このように、法という観念と改変という観念とは、決して相容れないものではなく、逆に事実上相互に補足し合うものなのである。法は死んだ材料でつくり上げた不動の建築物、固定された永久的な石碑なのではない。人間によって創造され、代々譲り伝えられる生きた、そして発展しつつある社会の、不可欠の部分なのである。・・・・

  『次に国際法に目を転じてみよう。そこに見出すものは何か。それは上述したところとほとんど正反対の事態である

  『まず、われわれは、国際法の規則や義務を、一体どこにさがし求めるべきであるか。社会意思の習慣の中に具現されているものにこれを求めることはできない。まして、社会の感情に具現されているものに、これを求めることはなおさらできないのである

  『実際において国際法は、組織をもたない法である。それは組織に基礎をおいていないのであるから自然に成長するということはあり得ない。国際法はこのように社会と結びついていないのであるから社会の必要に適応することができない。国際法はそれ自身の力では微妙な種々の段階を経て一つの体系としてでき上がることもできないのである。・・・・

  『この理由はきわめて簡単である。1914年以前の国際法の諸規則は、ニ、三の例外を除けば全世界を一つにした社会の運営上の経験から生じたものではなかった。それは単に多数の自己中心主義の政治的単位が互いに接触した結果できたものにほかならない。その接触はあたかも、星辰がはてしない天空を荘厳に移動するにつれて、その軌道が時として相互に交叉するのにも譬えられよう。これらの外的撃突ないし衝突が累積した結果として、かような衝突の事情を検討し、それを処理すべき規則をつくることが、相互に便宜なこととなったのである。』

 本官の判断するところでは、これが国際法の今なお占めている地位であり、さらに今後において各政治的単位がその主権を放棄することに同意して、一個の社会を、形成するのでないかぎりは、また形成するときまでは、国際法はこのような地位にあるであろう。すでに前に示したように、戦後の国際連合は確かにこのような社会の形成に向かって重要な一歩を踏み出したものである。社会的意識をさらに拡める必要を説いたり、現代世界の物質的な相互依存関係に伴う諸問題の実際的解決策を説いたりすることが、裁判官たる本官の任務でないことは、本官も承知している。裁判官に与えられた仕事は、単に法の定式化と分類及び解釈にすぎないけれども、今や国際関係は、すでに裁判官であっても、沈黙を守ることのできないような段階に到達しているのである。本官はラウターパクト教授とともに、今こそ国際法が個人をもってその究極の主体と認め、かつ個人の権利を維持をもって、その究極の目的と認めるべきときであると信ずるものである。『個々の人間、すなわちその福祉とまた多種多様な形をもって現われるその人格の自由、これこそすべての法の究極の主体である。この目的を有効に実現する国際法こそは、それが平和と進歩とを実現する手段としての優越した地位に到達することを保証するのに効果の大きい、実質的な意義と権威とを獲得するであろう。』確かにこのことは、戦敗国民の中から戦争犯罪人を選んで、これを裁判するというような方法とは、まったく異なった方法によって行なわれなければならない。ラウターパクト博士が推奨するような国際機構は、支配権を握っている一外国が自国と被支配国との間の種々の折衝を、その国際機構の管轄に属しない自国の『国内問題』であると主張することを許さないであろう。




 本裁判において、裁判官の創造的な裁量をなすようにという勧告がいくたびかなされたが、これは本官に多大の熱意をもたせるものではない。本裁判の判決はなにも新しいものをつくり出すことはないであろう。単に勝者が敗者を裁判に付し得るという先例をつくり出すに留まるであろう。各主権国がこのような(先例に従うという)制限を受けることを進んで容認しない限り、この判決によって主権国一般に対する先例をつくり出すことは絶対にできないであろう。確かに、これは各主権国が条約ないし協定によってなし得ることである。

 現被告のような地位にある者が、本件において訴追されているような行為に対して、責任を負うべきものとして決定されないならば、パリー条約は何の役にも立たないということが言われている。果たしてそうであるかどうかには、本官は疑いをもっている。もちろん結局において法は、それを具体的な事態に適用する機関が法とはこんなものであると決定するところの法にしかならない。しかし、法の適用を求められた機関は、たとい、魅力にみちた重大意義を有する国際法の概念――すなわち『平和に対する罪についての法的概念』―-の発展に貢献すべき絶好の機会を逸する危険をあえて冒すとしても、無理に法を、本来の法とは違ったものにするようなことをしてはいけないのである。

 法の支配下にある一個の国際団体の形成、あるいは正確に言えば、国籍や人種の別の存在する余地のない、法の支配下にある世界共同社会の形成を、世界が必要としていることを本官は疑わない。このような機構の中においては、本件で訴追されているような行為を処罰することは、全体としての共同社会の利益及びその構成員の間に必要である安定かつ有効な法律関係を促進するのに貢献するところが確かに大きいであろう。しかしそのような共同社会が生まれるまでは右の処罰は何らの役に立たないのである。特定の行為に伴う処罰に対する恐怖心が、法のあることによって生ずるのではなくて、単に敗戦という事実に基づいて存するにすぎない場合には、戦争の準備が行なわれているとき既に存在している敗戦の危険は法の存在のゆえになんら増大するとは考えられない。すでにより大きな恐怖、すなわち戦勝国の勢力、威力、というものが存する。法を犯す者がまず効果的に法を犯すことに成功し、そしてのち、威力あるいは勢力によって、圧服されるのでない限り、法は機能を果たさないものであるとしたら、本官は法の存在すべき必要を見出し得ない。もしも(今)適用されつつあるものが真に法であるならば、戦勝諸国の国民であっても、かような裁判に付せられるべきであると思う。もしそれが法であったとするならば、戦勝国はいずれもなんらこの法を犯すことがなかった、かつかような人間の行為について彼らを詰問することを、だれも考えつかないほど、世界が堕落していると信ずることは、本官の拒否するところである。

 この論題を去る前に、次のような議論について一言せざるを得ない。この議論においては、自然法に関する各種の学説を引用して、それから次のような結論が引き出されている。すなわち『一般的、共通的ないし普遍的な良心の要求こそは、人間の良心によって表明されそれによって、たとい成文法規の存しない場合であっても、すべての文明国を全般的に拘束するところの自然法を現わすものである。』と。国際公法が自然法にその源を発することを立証するために、古代から現代に至るまでの多数の権威の言葉が援用されている。この目的のために引用されている諸権威はアリストテレスからライト卿にまで及んでいる。この自然法が単に歴史上のことではなくて、生きた国際法の本質的部分であることを立証するために、1907年のヘーグ条約《第四条約》の前文、またアメリカ独立宣言が援用されている。ヘーグ条約はその前文において、人道ノ法則及ビ公共良心ノ要求ということに言及している。またアメリカ独立宣言は『自然の法則並びに自然の神』について述べている。これらの、また、その他多くの、諸権威に基づいて、『国際公法』は自然法に基礎を置くものであると結論されている。すなわち次のように言われている。『国際法の原則は、人間の本質そのものに基礎を置くものであり、人間は自己の理性によってこれを知るのである。それゆえにわれわれは、これを正しい理性の命ずるところと呼ぶのである。よってこれらの原則は、ある個人ないしは国家の恣意的な意思に服するものではない。従って世界連邦は一個の自然的、有機的、道徳的、法律的、政治的な統一体をなすのである。』さらに次のように述べられている。『今まで述べられて来たところから、世界連邦は共通の福祉を促進するために実定法を制定する固有の権能を、享有しなければならないという結論が出てくる。けだし一方においては、正しい理性の命ずるところは一定の場合の特定の事情に応じて適用され、決定されるべき単なる一般的規定でしかないのである。従って国際関係を支配する実定制定法または協定は、自然法と道徳法の一般的原則の政治的解釈及び適用を意味するものである。・・・・他方においては、すべてのものの統一ある協力は、拘束力ある規則を発することによってのみこれを得ることができるのである。』




 果たしてこのように自然法に訴えることが関連性のあるものであるかどうかを云々することは、本官の任ではない。自然法の概念、すなわち単なる立法府の『賛成』に基づいたものではなく、事物の真実性そのものの上に立てられた概念が、あらゆる時代を通じて、あらゆる国において培われてきたことには深く根ざされた理由があるかも知れない。確かに自然法の学説には根本的な意見の相違が存したことがあった。また自然の正義の命ずるところと、法律上の規範との関係についても、色々異なった思想上の傾向や歴史上の段階に応じて各種の意見があったのである。前述の二様の決定方式の間には、深くて、そして、合致させることのできない分裂が生じたこともしばしばあり、また時には両者の相違が類と種の相異、すなわち同じ事物についての二様の味方であると思われたこともある。しかし、精神的要求の特徴をすべて包含する、根強い、概念の統一性を認識することが、これらの見解の相違によって妨げられてはならない。科学にとって困難のもととなるものが現実において存在しなくなるということはない。すなわちわれわれが、ある必要を充たすことができないからといって、それを無視することは、非現実的な夢想にすぎないであろう。

 現代において、多くの人々が自然法に対して戦いを宣したが、この戦いとは過去の哲学体系の中の誤謬や遺漏に対する反動にほかならない。実に、『多くのものにとっては、「自然法」という言葉は今日もなお魔女の大釜の芳烈至醇な匂いを漂わせているものであって、一言自然法と言っただけでいろいろの感情や恐怖の念が堰を切って流れ出すのである。』もし過去の誤謬や遺漏を補正するという口実のもとに、この戦いがこれらの体系の目的そのものを破壊するまでに行なわれたとすれば、それは確かに不正であり、不合理である。

 しかしこの自然法の原理は、法と正との基本的原則を述べるためのものにすぎないということを忘れてはならない。基本的原則は、法律上の諸命題の内在的内容の正しさをはかりにかけることはできるが、しかしこれらの命題の法としての形式的性格を動かすことはできないのである。自然法の原理の実現こそ、立法の目的でなければならないという主張は、まったく正当であるかもしれない。しかし、この原理がそのまま実定法として認められなければならないという主張が果たして、容認することのできるものであるかは本官の疑問とするところである。ともあれ現在の国際法においては、かような理想は大してわれわれの助けにならない。ただホールの国際法第8版の序論に言及したいと思う。この博学な著者は、そこにおいて国際法を構成する要素が何であるかを論じ、かつ国際法の本質と起源に関する見解を述べている。同氏は脚注において、多くの学者または一般の意見に、きわめて大きな影響を与えてきた学者たちの基本的な思想を掲げ、かつ前述の自然法の理論を、現在の法の性格を決定するための指針として同氏が用いなかったことに対して、二つの有力な理由を挙げている。氏の結論は、次の言葉の中に述べられている。すなわち

  『各国家は独立の存在であって、どんな統制にも服さず、かつ自己より上位のものを認めない。一般の福祉のために法を定める権限を委任された個人、もしくは個人の団体というものはなんら存在しない。国家が妥当な検討をなした上、両親に基づいてみずからこれに服する義務があると感ずる規則だけが、その国家を拘束するものである。従って、もし各国家が、厳密な意味における法、ないしは法に類するものと呼び得るものに服さなければならないものであるならば、諸国家は一般の同意による一群の諸規則を、その起源がどうあろうとも、人為法として容認するか、そうでない場合には、各国を律すべき一般原則に関して意見の一致を見ていなければならない。・・・・かりに絶対的正の理論を世界中が認めたとしても、一国家の義務の尺度は、かような絶対的正の命ずるところに認められるものではなく、国家間において実定法として承認されている規則のうちに見出されるものである。正の絶対的基準が法の絶えず目途とすべき理想を示す上において、いかに、有用であろうとも・・・・それが現存の慣行の法的価値を判断する標準として考えられる場合には、それはまったく混乱と弊害のもととなるばかりである。』

 本官は心からこの見解に同意する者であり、従ってまた自然法に関する各種の理論に、これ以上拘泥すべきでないと考えるのである。ただ次の点を付言しなければならない。すなわち国際団体は、まだ『世界連邦』にまでは発展していないのであり、かつおそらくは未だに、世界の国家群のどれ一つとして、『共通の福祉』の管理者であると主張することのできるものはあるまい。

 国際生活は、まだ法の支配下にある団体として組織されてはいない。団体生活というものについては未だに一般の合意が成立していないのである。いわゆる自然法が、前に示唆されたような方法で機能を果たすことを許されるためには、まずかような合意が必要である。右のような諸国家の団体生活について合意が成立したとき、初めて団体生活を円満に行なうために必要な条件によって、ある種の外的基準が与えられるのであって、この基準によって、ある特定の決定が正当であるか否かを測定すべき標準が与えられるのである。

 本官の判断では、本審理の対象である今次大戦が開始された時までには、どのような種類の戦争も国際生活上の犯罪とはなっていなかったのである。戦争の正、不正の区別は、すべて依然として国際法学者の理論の中にだけ存していたのである。パリー条約は戦争の性格に影響を与えなかったのであり、どのような種類の戦争に関しても、なんらの刑事上の責任をも国際生活に導入することに成功しなかったのである。同条約の結果として、国際法のもとで不法なものとなった戦争はひとつもない。戦争そのものは従前通り法の領域の外に止まり、単に戦争遂行の方法だけが法的規律のもとに置かれたにすぎない。戦争を犯罪となすような慣習法は何ら発達していない。国際団体自体が、犯罪性の概念を国際生活に導入することを正当とする基礎の上には立っていなかったのである。

 第二次世界大戦以後において、この点についてなんらか国際法の発展があったかどうかを検討することは、本裁判の目的にとってはあまり関連性がない。かりにその後の法の発展によって現在ではかような戦争が犯罪であるとされるようになったとしても、本官はそれによって、現在の被告が影響を受けるものではないと考える。

 前に示唆されたような、国際法の自己固有の本質による発展は別として、この期間内に国際法の発展をもたらした源泉が二つあり得るということが示唆されているように思われる。すなわちトレイニン氏は、1943年のモスコー宣言、そしてグルック博士は、戦勝国の意思及びそれにもとづいてでき上がったもの、すなわち国際軍事裁判所条例がそれであるとしている。もし戦勝国がかような(グルック博士の言ったような)ことを企てたとしても、それによって所期の効果を生ずることはできないと本官が思考する理由については、すでに述べた。同じ原則は、前に示唆されたようにモスコー宣言がもたらしたものと言われる結果についてもあてはまるであろう。もしこの宣言が真に国際生活上の新紀元を開いたとしたならば、またその結果として、なんらか新しい法の規則が生まれたとしたならば、かような「事後(「事後に傍点があるように見える)」に発展したものの助けを借りて、被告の過去の行為を処罰する権利をわれわれに与えるような正義の原則を本官は知らない。

 本件において主張されているような種類の戦争が、国際生活上犯罪となったか否かの問題について、本官があのような答えを与えた以上は、本件において申し立てられているような機能を果たした個人が、国際法上においていくらかでも刑事責任を帯びるものであるか否かを論ずるのは、本官にとってどちらかというと不必要なこととなる。しかしこのことについては、最近いろいろな優れた法学者や政治家たちが大いに論じているから、本官としては、侵略戦争は、それが一体何であるかはさておき、国際生活における犯罪であるという仮定のもとに、これらの諸権威の説に注意を払い、そしてのちに同問題に対する本官の見解を述べるという方法を採りたいと思う。

 この点に関して、起訴状は、被告らが日本政府の指導者、組織者その他の資格において侵略戦争を計画し、これが準備をしたと主張している。言い換えれば、この点に関する被告の行為は、通常国家の行為なのである。




 国家の行為に関する個人の責任について、キーナン氏がこの問題は事案を決定する重要問題であると強調しているのはまさにその通りである。これらの個人が、自国政府の機構を運営することによって、国際的犯罪を犯したか否かの問題は、国際関係上真に重大な意義をもつものである。本問題に対する答えは、次のような問題に対して、われわれがどんな答えを与え得るかによって定まるところが大である。すなわち、条約を締結した諸国は、自国の国家機構の運営という問題について、外部から干渉を受けないという自国の主権を国際関係に分野において制限することに同意したか否か、またいずれにせよこれらの国がその政府機構の運営を委任されていた人々を、かれらがこの運営を誤ったことを理由として、国際裁判所に引き渡してしまうというほどに、列国共通の意思に服したとなし得るか否かということである。問題は国民に不幸をもたらしたこれらの人々の行動が、どんなに誤っていたか、ということではなくて、このことによってこれらの人々が、国際社会に対して責任を負うべきものとなったか否かということである。

 第一次大戦を惹き起こした者の責任の問題は、講和会議の委員会がこれを取り上げて入念な報告を出している。この報告は、カーネギー国際平和財団の手によって英文で刊行されている。同委員会の報告は次のようなものである。すなわち、

 1、この戦争は、中欧諸国がその同盟国トルコ及びブルガリヤとともに計画したものであること。

 2、この戦争は、これを避けられないものとするために故意に仕組まれた諸行為の結果起こったものであったこと。

 3、この戦争は、これらの諸国によって、次の諸事項に違反し、野蛮な方法によって遂行されたということ。すなわち、

  (a)確立された戦争法規並びに慣習

  (b)人道の基本的な法

 それでもなお、同委員会は、国際法に対する個々の違反者の個人的責任の問題を取り扱うに際して、これらの人々の裁判を勧告することができなかったのである。

 戦争を挑発した行為に関しては、同委員会は、責任がどこにあるかを明確にする事はできるという意見を持っているが、戦争を惹き起こした者を刑事裁判の対象となすべきではないと勧告したのである。また同委員会は、ベルギーとルクセンブルグの中立に対する侵害についても、同じ結論に到達した。

 しかしながら、国際法の原則並びに国際信義に対する侵害の重大であることに鑑みて、彼らを講和会議によって正式に不法と宣言すべきものであると勧告した。

 戦争を挑発する原因となった諸行為については、講和会議が、この種の前例のない事項について、かような行為をなした者に対して、それ相当の処置を取るために、特別の手段を採用し、さらに進んで、特別な機関をも創設することは正当なやり方である、と同委員会は勧告した最後に、将来のために、国際法の基本原則に対する、かような重大な侵害に対して、刑事上の制裁を設けることが望ましい旨が提唱されたのであった。

 同委員会の二名のアメリカ代表委員ランシング及びスコット両氏は、同委員会の結論並びに勧告の一部に反対し、次のように声明した。すなわち、戦争惹起について責任ある者と戦争の法規及び慣習の違反について責任ある者とが、かれらの道徳的並びに法律的の罪に対して処罰されるべきであること、並びにこれらの不法行為者が全人類によって呪われて然るべきであることについては、他の委員と同様、真剣にこれを希望するものである。しかしながら道徳的な性質をもつ罪を裁くには、司法上の裁判所は適切なものとは考えられない、と。両氏は、人道の原則すなわち『人道の法』を犯したとされている人々を、司法裁判所の審判に付すべきであるという同委員会の過半数の提案に反対したのである。また『国家の元首たる人々を、不法の戦争行為を直接に命じたかどについてだけでなく、さらにかような不法行為をあえて阻止しなかったかどについて、国際刑事裁判所において裁くべきであるという、前例のない提案』に対しても、両氏は反対したのである。

 クインシー・ライト氏は、1925年の著書『戦争の非合法化』において、次の点を指摘している。

 『同委員会の発見した主要な困難は国際法が戦争を起こすことをもって絶対的に不法なものとは認めていないということであった。しかしかりにそう認めたとしても、だれか特定の個人を、それはたとい主権者であろうとも、これを国家の行為に対して責任のあるものとなし得るか否かについては疑問があるであろう。』

 ライト氏によれば、さらに

 『現代国家機構が複雑である点から考えれば、宣戦布告の責任を一個人ないしは個人の集団に帰することは困難であろう。今日絶対君主国はほとんど存在しない。大臣は立法府に対する責任のもとに行動し、さらに立法府は選挙民に対して責任を負う。民主主義流行の時代においては、個人をもって国家的な宣戦布告に対して責任のあるものとしようとすれば、当然その国民全部を起訴することになることが多いであろう。この実際上の困難が、国家独立の理論と相まって、国際法における国家責任の原則の認められる原因となったのである。』

 マンレー・O・ハドソン判事は、1944年に出版された『国際裁判所 過去と将来』と題する著書の第15章において、『国際刑事裁判所の提案』の問題を論じて次のように述べている。

  『国際法が諸国家に適用されるのは、主としてその「相互ノ(「相互ノ」に小さい丸で傍点あり)」関係についてである。国際法は国家に対して、他の国に「対スル関係(「対スル関係」に小さい丸で傍点あり)」においての権利を設け、義務を課する。国際法の内容は、国家間の協定の取扱い方及び諸国家の慣行から推論されるところいかんによることがきわめて大である。』

 同判事に従えば、これこそ国際法が共同社会の見解を反映することのきわめて少ないゆえんであり、また国際機構の遅々たる進歩が、共同社会そのものの利益の保護を助長しなかったゆえんである。同判事はさらに次のように述べている。『歴史的に見れば、国際法は、国家が犯すことのあり得る犯罪という観念を、なんら発達させていない。折にふれて、ある国家がみずから共同社会の利益の擁護者という地位に立とうとし、他国の行為の当否を判断する権限を有すると僭称したこともあった。しかし国家の行動を不法なものとなすことが、その行動の事前事後を問わず、国際犯罪に対する法の制定によって、一般に法律化されたことは、史上未だかつてないのである。わずかに、ごく最近に至って、犯罪性という概念を国内法から国際的目的に借りてこようとする公の企てが試みられている。不成功に終わった1924年のジュネーヴ議定書においては、「侵略戦争」は「国際的犯罪」であると宣言され、この宣言は1927年の国際連盟総会及び1928年の第6回アメリカ州諸国国際会議も重ねてこれを行なった。しかしながら右の1924年の議定書が、「国際的犯罪の制止」を保障するために起草されたものであるにもかかわらず、これらの言葉に対しては、なんらの定義も与えられなかったのである。特定の行為を犯罪であるとして烙印を押すような国際法上の有権的な規定が採用されたことは、かつて無かったのであり、かつ国際裁判所がある国家を有罪であると判定する裁判権を与えられた例もまだないのである。』

 次の個人の責任の問題に論及したハドソン判事は次のように言っている。いわく、

  『国際法が個人の行為を律するものであると考えられるならば、国際刑法というものをつくり出すのは、さほど困難なことではなくなる。一時は海賊を目して「全人類の敵」となし、また海賊行為を目して「国際法に対する犯罪」であるとすることが流行した。1789年のアメリカ合衆国憲法は、「公海において犯された各種の海賊行為及び重罪、並びに国際法に対する諸犯罪」とはどのようなものであるかという定義を下すこと、並びにこれを処罰する権能を議会に付与した。これらの用語をどんな意味に解すべきであるかについては、全部の意見が一致しているわけではないが、今日では次のような見解が通説となっているようである。すなわち広い意味での海洋における武力的暴力行為は、国際法により、海賊行為として不法なものとされ、従ってどんな国家でも、かような行為を処罰することができる。かつ通常ならば、一国が管轄権を僭取したことに対して、他の諸国は異議を唱え得るかも知れないが、この場合は異議を唱えることができない。』と。

 同判事はさらに次の点を指摘している。

  『国際法に対する犯罪としての海賊行為という概念を捉えて、類推により、この概念が他の種々の目的に役立つように使われてきたというのは、この意味においてである。19世紀の各種の条約は、奴隷売買に従事する者を、各国が海賊として処罰することができるように、あらかじめ規定している・・・・』

 同判事はさらに指摘していわく、

  『かような類推論法を用いたにもかかわらず国際法の支配する領域を拡大して、不法とされかつ禁止された個人の行為まで律せしめようとする権威ある企ては、今までに何ら見られない各国家は、犯罪を制止するについての自国の権能を他に譲らぬよう、これを固守するに汲々たるものがあって、国々によって異なり、地方地方によって異なる見地及び手続のために、国際的ないしは超国家的刑法の発達は阻碍されてきたのである・・・・』

 同判事は、この主題に対する結論として次のように言っている。

  『政治機構に関してどのような発展がまさに行なわれようとしているにせよ、国際法の及ぶ範囲を拡大して、国家のもしくは個人の行為を不法とし、これを処罰する司法作用を包含させるには、現在はいまだその時機が熟しているとは言えない。

 この点に関連して、ここでちょっと注意しておいてもよいと思うのは、次のことである。すなわち、国際関係において個人の行為を取り締まることが望ましいと考えられたときは、いつでも条約そのものの中に、その趣旨の充分な規定を設ける措置がとられてきたということである。

 近時の数多の条約は、個人の反社会的行為を不法とすることを規定しており、かつ各締約国はその共通の目的を達成するための刑事法を採択することに合意している。

 諸条約は、直接に個人に適用されるものではなく、これらが個人行為にどの程度の圧力を及ぼすかは、かかって各国がその条約義務をいかに履行するかにある。すなわち各国が条約の条項を、その国内法その他の中にいかに具体的にとり入れるかによって定まるのである。

 この見解は、1899年及び1907年の陸戦の法規慣例に関するヘーグ条約の中に、明確に表明されている。同条約によって、締約国ハ其ノ陸軍軍隊ニ対シ同条約ニ付属スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スベキことを約定したのである。右の両条約のどちらも直接に個人に効力を及ぼすものではない。ただし1907年の条約は次のように規定している。すなわち一国の軍隊に属する人が、同規則の条項に違反して犯した行為について、その国家は責を負うべく、また賠償の責を負うべきこと。傷病兵の取扱いに関する1929年のジュネーヴ条約の違反事件を処理するためになされた数多の提案の中に、右と同様の見解が述べられている。ただし、この条約の第29条及び第30条は、その点に関して明確ではない。

 かようにして、この分野における国家の特権に対する侵害は、常に忌避されて(正誤表によると、「忌避されて」ではなく、「避けられて」が正しい)来たのである。



 右の意見と明らかに反対な見解を、カリフォルニア大学のハンス・ケルゼン教授が述べている。いわく、

  『第二次世界大戦勃発の際においては、第一次大戦勃発の際に比して、法的事態は異なっていた。枢軸諸国は、ケロッグ・ブリアン条約の締約国であって、同条約は侵略戦争に訴えることは不法行為を構成するとしている。そしてドイツはポーランドとロシヤとを攻撃することによって、ケロッグ・ブリアン条約ばかりでなく、被攻撃諸国との不可侵ないし不侵略条約にも違反したのである。

 第二次世界大戦を惹き起こした張本人を詮索することは、特に混み入った問題を提起するものではない。「法律問題(「法律問題」に小さい丸で傍点あり)」「事実問題(「事実問題」に小さい丸で傍点あり)」のいずれも、裁判所に重大な困難を課するものではない。従って第二次世界大戦の勃発について、道徳的責任のある人々に対してなされた刑事上の訴追を放棄する理由は全然ない。これがまた枢軸諸国の憲法の問題でもある限り、それらの国々が多かれ少なかれ独裁制のもとにあった事実、それゆえに、それ等の国々のいずれにおいても、国家を戦争に突入させた法律上の権能を有していた者の数は、きわめて限られていたという事実によって、この問題に対する解答は簡単なものとなる。ドイツにおいてはおそらく総統一人、イタリーではヅーチェ(統領)と国王、日本では首相と天皇である。ルイ14世の言葉とされている「朕ハ国家ナリ」という断言が、どんな独裁制にも適用され得るとすれば、独裁者を処罰することは、その国家を処罰するのとほとんど同じこととなる。』

 しかしながら、右に述べたところはただ外見上反対に見えるにすぎないもので、これは本官が他の箇所でケルゼン教授の所説をすでに引用したところから明らかであろう。同教授は右の論説の前にその序論として次のように述べている。

  『今次の戦争に対して道徳的責任を有する個人すなわち国家の機関として、一般的ないしは特殊的国際法を無視して、今次の戦争に訴え、もしくはこれを挑発した人々が、戦争の張本人として、被害国によって法的に責任を負わされるべきであるとすれば、次のことを考慮に入れる必要がある。すなわち一般的国際法は、問題となった諸行為に対して個人的責任を設定するものではなく、集団的責任を設定するものであること、また罪を犯した人々が処罰される原因となる諸行為は、国家の行為であること、すなわち一般国際法によれば、政府の行為もしくは政府の命令又は許可の下に行なわれた行為であること。』

 ケルゼン教授は次に『国家の行為』という語の意味を吟味していわく、

  『一つの行為が国家の行為であるという言明の法律的な意味は、その行為が国家に帰属させられるということであって、その行為を行なった個人に帰属させられるべきものではないということである。もしもある個人がなしたある行為―国家の行為はすべて個人によって行なわれる―が、その国家に帰属させられなければならないとしたならば、その国家がその行為について責を負うべきものである・・・・もしも一つの行為が国家に帰属させられるべきであって、それを行なった個人に帰属させられるべきでないとするならば、一般国際法によれば、その行為の当事者である国家の承諾を得ずに、他国がその行為の責任をその個人に負わせるべきではない。国家とその国家の機関の地位にある人、もしくは国民との関係に関する限り、国内法を考慮しなければならなくなる。そして、国内法にあっては、同様の原則が一般に行なわれている。すなわち一個人の行為が国家の行為であるときは、すなわちその行為がその個人に帰属させられないで、国家に帰属させられるときは、個人はその行為に対して責任を負わない・・・・。一般国際法に従えば、一国家自体の行為に対する国家の集団的責任は、その政府の一員としてその行為を行なった人の個人的責任を除外している。これは一国が他国の管轄権から免除されることの結果である。』同教授の言葉を借りると、『この原則は例外がないわけではないが、どんな例外でも、右の原則を制限する国際慣習法の特別の規則に基づくものでなくてはならない。』のである。

 さらに同教授は次の点を指摘している。いわく、

  『この点に関しては、国家の元首と他の国家官吏との間にはなんらの差異も存在しない。・・・どんな国家でも他の一国の行為に対して、管轄権を主張することができないという一般国際慣習法の規則は、戦争の勃発によってその効力を一時停止される、と推定し、その結果その規則を交戦国間の関係に適用することはできないと推定するに足りるような理由は存しない。』

 同教授に言によれば、

  『もしも個人が国家の行為として行なった行為のために、他国の裁判所または国際裁判所によって処罰されるべきものであるとすれば、その裁判の法的の基礎となるものは、原則として、その処罰されるべき行為の主体である国家との間に締結された国際条約でなければならない。そしてその条約によって、個人に対する管轄権が国内裁判所または国際裁判所に付与されるのである。もしそれが国内裁判所である場合には、その裁判所は、少なくとも間接的には国際裁判所としての機能を行なうものである。』・・・・

 同教授は確信をもって次のように断言できるといっている。すなわち、

  『一国の法律は国際法に違反する他の国家の行為に対して制裁を課する規範を含むものでない。一般的または特殊的国際法の規則を無視して戦争に訴えることは国際法の違反であるが、戦争の遂行方法を定める国際法上の規則の違反と異なって、それは同時に国内刑事法の違反になるものではない。かような行為に対して、個人を処罰する権限のある国内裁判所が適用する実体法としては、ただ国際法があるだけである。これゆえに、国際条約は単に犯罪だけでなく、刑罰をも決定しなければならない。そうでなければ、国際裁判所に対して、それが適当と考える罰を定める権能を付与しなければならない。・・・・』

 この学識ある著者の以上のような考察に本官が付加すべきことは、ただ本官がすでに触れておいた通り、同教授によって考えられているような種類の条約は、本件においては存在していないということである。

 同教授は次に掲げる教授自身の見解について確信を持っていると言う。すなわち

 1、本件において主張されているような諸行為については、国際法自体はそれらの行為の主体たる個人に刑事上の責任があるものとはしていないこと。

 2、かような諸行為は、国際法の現状にもとにおいては、どのような個人についても犯罪を構成するものでないこと。

 3、戦勝国は単に占領の理由だけによって、次のようなことをなし得るものでないこと。すなわち

  (a)かような諸行為を遡及的に犯罪であるとすること。

  (b)かような諸行為の主体である各個人を、法によって処罰すること。

 4、戦勝国は、問題の個人がその機関として行動したところの国家から適当な条約によって、かような権能を継受することができるということ。

 かようにして、第二次世界大戦後の事態について同教授が概説したところは、マンレー・O・ハドソン判事の表明した見解と異なるところはない。ただ、ケルゼン教授は、適当な条約が存在していたならばその力を借りてかような裁判及び処罰を、合法的なものとすることができたであろうと考えている。さきに本官が指摘したように、同教授の見解は、原則として、支持し得るものであるかどうか問題であるが、本官の意見としては支持できないものであると思う。しかしながら本件に関する限りにおいては、かような条約はないと言えば充分であろう。

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