歴史の部屋

 右の論は一見ステフェンがあたかも復讐の欲望を、倫理的に正当なものとして、弁護しているかのように見えるけれども、右に述べられた彼の思想を子細に検討すれば、彼が実際に考えていることは、単なる復讐の感情ではなくして、むしろ不法行為がなされたことに対してだれでも当然抱く憤激の念であることがわかるのである。もし彼の思想から、処罰の有し得る教育的又は予防的価値に対する信念を除いたとすれば、その感情が法律を正当化するとは言い難いのである。憤激の念は不法行為がなされた結果生ずるのである。法律を正当化するものは、その法律の有する予防能力である。かりにある組織の中においてこの予防が不可能であるとすれば、そこにはその法律を導入すべき正当な理由が欠けている。すなわちその組織は、刑罰を導入するに不適当なものである。

 憤激の感情の中で、社会にとって真に重要な要素は否認の念の表現である。この否認の感情は、まず第一にその行為に対して起こるものであるが、それはまた必然的にその行為者にまで及ぼされる。問題は、かような非難の念を表示するための、妥当な、そして可能な方法は一体何であるかということである。私見によれば、国際社会の現段階においては、必然的に敗戦という偶発事項に依存しなければならない方法、そして敗者に対してだけ適用のできる方法は、どのような倫理的根拠をもってしても、これを正当化することはできない。この非難を表示する方法としては利用のできる方法がほかにもいくらかあり、現段階においては、世界の輿論を表示する他の方法(だけ)で、国際団体は満足すべきである。

 トレイニン氏によれば、今次大戦以前においては、平和に対して不断の脅威となる『侵略的帝国主義制覇政策、すなわち、国際関係の分野において、武力行使を認める充分な余地を故意に与えるような政策は、当然の理として、諸国家の自由、独立及び主権を擁護する法規体系としての国際法の発展、並びに強化に寄与することはできなかった』のである。

 『ただし』とトレイニン氏はさらに続けるいわく、『右の事実からして、国際刑法の問題を導入することが、その時宜を得ないもの、もしくは無益なことであったと一般的に結論するならば、それは重大な誤りをおかすものである。これは、正に国際関係の困難さと複雑さを無視するに等しい。』と。

 同氏によれば、第二次世界大戦前においてさえ、『史的発展過程における二つの傾向』があった。その一つは、帝国主義的利害の衝突、国際関係の分野における日々の闘争、及び国際法の無益なこと――言い換えれば、帝国主義時代における侵略的諸国家の政策を反映する傾向――であり、いま一つは前者と平行していて、かつ正反対な傾向である。すなわち諸国家の平和、自由及び独立のための闘争であって、新しくかつ強力な国際要素、すなわち勤労者の社会主義的国家たるソビエット連邦の政策を反映する傾向である。

 従って、右にのべた第二の傾向(の存在したこと)にかんがみて、刑法の概念を国際生活に導入すべき余地は多少とも存していたのである。

 トレイニン氏は、この傾向は第二次大戦の結果、その範囲がきわめて拡大され、強大な勢力を持つようになったと述べている。諸国は今や『各国民がそれぞれその好むところの政治形態を選択するというすべての国の有する権利を尊重し、かつより高い生活水準、経済的発展並びに社会保障を確保するために、経済の分野においてすべての国家間の全幅的な協力を達成するように努力する』旨合意するに至った。同氏は1943年10月30日のモスコー宣言に言及して、それが右の趣旨を厳粛に確認したものにほかならないと言っている。次のことは必ずしも明確ではないが、トレイニン氏はこの諸大国のなした厳粛な決議を、国際生活の基礎を確立し、その結果として国際制度に犯罪性の根拠を与えたものとして解釈しているように見うけられる。同氏はいわく、『昔の帝国主義的掠奪の横行した時期には、国際法原則の微弱なことが妨げとなって、国際法の違反を防止すべき一連の措置を体系的に発展させることができなかったのであるから今日においては、その逆に、国際関係の基礎をなす諸法律を強化することが、その必然的結果として、詐欺、恐怖又は狂気的理念によって、国際的な法の秩序をあえて覆そうとするすべての分子に対する闘争の強化をもたらすようにならなければならない』と。

 トレイニン氏は、ここにおいて、モスコー宣言を、法の完全な支配下にある国際的結合を確立するものとして解釈し、従ってそれはその結合の平和を乱す行為をすべて犯罪となしたと考えているように見うけられる。この見解に従えば、戦争は国内法における個人の自己防衛権を根拠としてこれを正当化することができない限り、すべて犯罪となるであろう。

 別の個所において、トレイニン氏は、各国家間に種々錯綜した関係を育成し、発達させたのは資本主義制度の手柄であると言っている。同氏によれば、実にこの資本主義制度に基づいて一つの堅実な国際的結合が発達してきた。(同氏はいわく)『諸国家の利害が抵触し、かつまた各国がその政治的制度の様式を異にしているにもかかわらず、右の国際的結合は諸国民及び諸国家を結びつける無数の紐帯を形成するものであり、実際に、偉大な経済的、政治的並びに文化的価値を表示するものである。』トレイニン氏によれば、国際犯罪とは国家間及び国民間の結合に対する侵害であり、言い換えれば、国家間及び国民間の関係の基礎をなす紐帯に対する侵害である。国際犯罪は実にこれらの紐帯の弱化、阻止並びに決裂を企図するものであると言われている。

 本官は本稿中の他の個所において、いわゆる国際団体の性格が第二次世界大戦直前においてどんなものであったかについて見解を述べた。それは単に数個の独立主権国を同格の単位として組織された一団体にすぎず、かつその秩序ないし安全が法によって保証されていると言うことのできるような性質の団体では決してなかった。

 こう言ったからとて、本官は決して国際法を絶対的に否定せよというのではない。国際法の諸規則に関する限り、これらの遵守することが義務事項でないと示唆するものでもない。これらの諸規則はそれを遵守することが国家の利害と矛盾しないとの打算に基づいてできたものであるかもしれない。さりとてこれらの規則をもってかような打算の結果であると特色づける要はない。ある国家はその意思に基づいて、ある規則の遵奉を約するに先だち、右のようなある種の打算に基づいて、そうしようと意思したかも知れないが、右の規則に設定に不可欠な『意思』を供給した上は、もはや、こうして設けられた規則の命ずる義務から身をひく権利を保有することはできない。従ってその規則は当事者の意思とは別個に存在することとなる。その規則が、その創始にあたって、かような意思に依存しなければならなかったという事実は、さして問題にならない。しかしながら数個の国家がかようにして特定規則の義務上の拘束のもとに入ったというだけで、直ちに右の諸国が法の支配下にある一つの団体を結成したとは言えない。この団体の秩序ないし安全はまだ法によって保証されていない。かような団体の中での平和は、単に消極的な概念にすぎず、それは戦争の否定または「現状(「現状」に小さい丸で傍点あり)」を維持するという保証以上の何ものでもないのである。現在においてさえ(資源及び物資の)配分作用は、各国それぞれみずからのために行なうよりほかに途がない有様である。国際関係の基底をなすものは、依然として列国互いに競い争うところの闘争であり、その闘争の解決のための裁判官はもちろん、その解決の執行機関も、またそのための決定の標準さえ、まだ存しないのである。被支配国民、隷属国民は今日依然として存在しており、現行制度の中には、闘争なしに平和的調整を行なうための何らの規定も存せず、かような調整をはかり、これをなし遂げることは、今なおそれらの国民自身の努力に俟つほかはないのである。

 平和的手段ニヨルノ外紛争ノ解決ヲ求メザルコトという規定をもって各締約国を拘束するといわれる条約ないし規約でさえも、紛争を司法的もしくはその他の方法による拘束力のある解決に委ねるようにとの特定の義務をその規定の中に含んではいないのである。別段の約定がない限り、どのような国家も、他国との紛争を拘束力のある司法的決定に付託する義務をもたず、または両当事国を拘束するような決定を伴う他の解決方法に委ねる義務を課せられないとなすのが、国際生活において認められている法則である。これは国際制度中に存する一つの根本的なギャップ(間隙)である。このギャップを埋める手段として工夫されたものは、ただ戦争があるだけである。すなわち国際的不法行為に対する自助の合法的手段としての戦争――企てられた変更の客観的な良し悪しとは関係なしに、現存の諸権利を変更する目的をもってなされる国家主権の行為としての戦争――があるだけである。

 戦争の放棄を目指してある規約が締結される場合においてさえ、このギャップはほとんど目に触れることなしに放任され、それについて規定が設けられることももとよりなかったのである。かようにして設計された一社会の基礎は、法によって規定された公共の秩序ないし安全を意味する平和ではなく、かつその平和に対する侵害が犯罪となるような性質の平和ではないのである。かように設計されたコミュニテー(団体)にとって、犯罪の概念は未だ時期尚早である。

 被告らに刑事責任を帰する理由として挙げられたもののうち、その最も妙を得たものとしては、そうすることによって、戦敗国民全体の性格に付せられていた汚点は充分に拭い去られるであろうし、又これは戦敗国の個々の市民と戦勝国の個々の市民との間の理解を深め、有効的感情を増進するのに役立つという理由がある。戦争のために、戦敗国民のすべてが、平和を愛好する諸国民の憎悪を招いてしまったと言われている。戦争の真の責任者であるこれらの少数の人々を裁判し処罰することによって、戦敗国民もまた他のすべての国の国民と同様に、これらの軍閥者流によって均しく禍いを及ぼされたことを世界は知るに至るであろう。これこを平和愛好諸国民の念頭から戦敗国民に対する憎悪の念を一掃し、その代わりに同情と好感とを持たせるものであるから、将来の世界平和に対して、真の、実質的な、貢献をなすであろう。右の説が仮に正しいとしても、本官が渇望の的であるこの目的が、法律による裁判所によってこれらの個人を処罰することをどうして正当化するのか理解に苦しむものである。もし本件のような裁判の目的がかようなものであるとしたならば、戦争責任の所在を調査する査問委員会によっても、きわめて容易に同様の成果を挙げることができたと思う。このような委員会は各国から派遣された、資格のある裁判官をもって構成され、彼らの宣言するところはなんら不必要に法を枉げることなしに、所期の効果を生むことができたであろう。

 検察側が提示した理由並びに各権威の意見を慎重かつ子細に考察した結果、本官は左の結論に到達した。

 1、国際生活においてはどの種類の戦争も、犯罪もしくは違法とはならなかったということ。

 2、政府を構成し、その政府の機関としての機能を遂行する人々は、彼らがなしたと主張される行為について、国際法上なんらの刑事責任を負うものでないこと。

 3、国際団体は、国家もしくは個人を有罪と決定し、これを処罰するための司法的手続を、その機構内に包含することを得策とするような段階には今日までのところまだ到達していないこと。

 本官は日本の計画ないし共同謀議の目的が何であったかについて、主張されたところに関しては、まだなんら論及していない。一国による他国の支配が国際生活における犯罪となったなどと大真面目に主張するものは一人もいないと信ずる。この(日本の)目的を達成するために考案された手段の合法非合法の問題はしばらくこれを措くとして、その目的そのものはまだ国際生活においては、違法なもの、もしくは犯罪性を有するもの、とはされていなかったという決定を下さなければならない。右の見解によるのでなければ、この国際団体全体が犯罪性のある種族をもって構成された団体であるということになる。少なくとも強大な国々の多くはこの種類の生活を営みつつある。そして、これらの諸行為が犯罪性のあるものであるとすれば、国際団体全体が犯罪的生活を営みつつあるのであって、その中のある者は実際にこの犯罪を犯しつつあり、他はこれら犯罪についての事後共犯となりつつあるのである。今日までのところどのような国家であっても、まだかような行為を犯罪として取り扱ったものはなく、またすべての強国はかような行為をなした国家との間に依然として緊密な関係を継続している有様である。

 法の問題はある知的隔離区域、すなわち法理論並びに紛争の局地的歴史のみを保留して、他はすべて強制的にこれを除外しているような領域において決定されるものではない。紛争が発生する現場であるところのこの世界に関して無智であることは、われわれには到底できないことである。

 トレイニン氏の希望事項はすべて、1943年のモスコー宣言に基づくものであって、同氏によれば、この宣言によって、諸国は、今や『各国民それぞれその好むところの政治形態を選択するという、すべての国の有する権利を尊重する』旨合意したのである。しかしながら同氏の希望は現実の生活においては今日なお実現されていないし、まして、第二次世界大戦以前の期間、すなわちわれわれが本件において考慮している期間においては、強大な諸国の政策を反映する趨勢はかような希望を抱くことさえも全然許さなかったのである。

 この事態のもとにおいては、本官としては、少なくとも第二次世界大戦以前にあっては、国際法の発展の程度はまだこれらの行為を犯罪もしくは違法とする程には至っていなかったという見解をむしろとりたいと思う。

   第2部 『侵略戦争』とは何か


 本件における証拠を取り上げる前に、なお答解(←「解答」の誤植であろうか)を要するいま一つの問題がある。われわれは侵略戦争とは何を意味するものであるかを決定しなければならない。




 シュワルゼンバーガー博士は、その著書『権力政治』において、次のように述べている。すなわち権力政治の制度のもとにあっては、侵略戦争と防衛戦との区別は、単に宣伝担当者だけの関与する(←正誤表によると、「担当者だけの与する」は誤りで、「担当者だけの関与する」が正しい。もっとも「関」の字は脱落しているのではなく、印刷されているが、読めないほど薄いだけである)事柄であり、また正当な戦争と不正な戦争との博物学的区別は無意味な空論におちて行くほかはなかったのであるが、戦争に訴えることを特別の場合のみに限るか、もしくは戦争を全く廃止しようと真剣に試みている国際団体においては、この区別はなくてはならないものである。

 1936年の国際法協会のパリー会議において、自衛権の問題が討議された。しかしながら、この問題の討議はこれを延期して(その代わり)『国際調停』に関する委員会に付託してさらに検討を加えさせることに定義された(正誤表によると「定義された」は誤りで「決議された」が正しい)。しかしその散会に際して侵略と自衛権とは不可分であるという考えのもとに侵略の問題も同委員会の検討事項として追加された。

 右の委員会は、1938年にアムステルダムで開かれた同協会の次回の会議において、協会は恐らく『自衛権の定義並びにその付帯事項に関して(←正誤表によると「付帯事項にして」は誤りで、「付帯事項に関して」が正しい。ただし、ここも「関」が脱落しているのではなく、読めないほど薄いだけである)は全般的な意見の一致に達する』ことはあるまいと思われると報告した。従って委員会はまた侵略の問題と同じく、この問題も、それ以上検討することを一時延期するように提案した。

 同委員会の委員は左の人々、すなわち、J・L・ブライアリー、H・ラウターパクトの両教授、H・Eカロヤニ、C・ジョン・コロンボス、C・G・デーン、アルブレヒト・D・デイエコフ、B・ゲオシチェ、F・T・グレイ、F・N・キーン、M・J・マコウスキー、G・M・パリッチア、W・A・ビューエス(←正誤表によると「ビューエス」は誤りで「ビューズ」が正しい)の諸氏、並びにJ・フィッシャー・ウィリアム卿であった。

 右の報告は、マックミラン卿を議長とする同協会の会議に提出されたのであった。

 ビューエス氏はこの報告を提出するにあたって、委員会は『何はともあれ、各国家間に見られる大きな見解の相違が一応いずれかへ落ち着き、委員会として何らか有益な仕事ができる機会が得られるようになるまで待つべきである』ということに全員一致で決定したと述べた。

 テンプル・グレイ氏は侵略の問題は、いまや、例年必ず起こる厄介事みたいなものになっていると述べ、同氏が『難問中の難問』と呼んでいるこの問題についての意見の交換を求めた。氏はそれより先に、特定の諸条約特にソ連とその隣接諸国との条約の中で行なわれた、侵略に定義を与えようとする試みに言及した。この種の定義の一例は『敵国の領土内においてその所在を発見された者が侵略者である。』というのであった。グレイ氏はこの定義は、問題を実際以上に簡単なものにしようとするおもむきがあるのが、その欠点であると思うと述べた。氏は次いで仏露間の不侵略条約の第5条に含まれた約諾に言及し、これは単なる機械的な防御方法を考慮するのでなくて、それ以外のものを考慮に入れるという方向への興味ある一歩であると述べた。グレイ氏はさらに続けていわく。

 『しかしながらこれは、敵性行為であるところの、ある種のものを取り扱っていない。言い換えれば、具体的にあらわれない非友好的行為を好んで行ない、国際的離間策に参加するものも、侵略者であり得るということについて、何ら触れるところがない。』

 氏は、悪宣伝をその一例として挙げた。

 ホイットマン氏の考えによれば、『紛糾が醸され、もしくは勃発するたび毎に、それに含まれている問題を仲裁裁判もしくはなにかの裁判所による平和的解決に委ねることを拒否する国が侵略者である。もし当事者の双方に全然かような意思がない場合は、武力で結末をつけさせるよりほかにどうともいたし方がない。』というのである。

 ラバリアティ氏は、『世界を挙げて侵略行為及び侵略の脅威で騒然としている時に「侵略」を定義することができないならば、これを定義することは恐らく永久にできないであろう。』と述べている。氏はさらに続けて『自衛と侵略とを秤にかけると、時にはいずれをいずれとも言うことがほとんどできない位にきわどい平衡状態にある場合がある』といっている。

 マックミラン卿は卿自身としては、定義ほど危険の多いものはない、すなわち定義にこそ「危険アリ(「危険アリ」に小さい丸で傍点あり)」との見解を以前から常に持っていたと述べた。卿は右の問題の討議を延期することを支持し、結局問題は延期されたのである。

 もとより、右に引用した見解は、同協会が国際法学者を構成員とする全く非公式の団体である以上、公式の権威あるものではない。しかしながらその会員は卓越した人々であるから、彼らの発表するところは常に尊敬に値するものである。

 パリー会議において自衛権に対する一つの定義が提案されたが、これは全く自衛に関する戦前の見解とも言って差し支えないものに基づいて定義したものである。




 クインシー・ライト氏は1935年に、国際法における侵略の概念を論じた。しかしながら、定義を提案するにあたって氏は、その定義は侵略のもたらす結果が刑事責任の性質を帯びたものでなければならないと要求してはいないと明らかに述べている。氏によれば『侵略者とは、武力に訴えないという義務に違反した理由で、これに、他の諸国の予防的、威嚇的または匡正的措置を受けさせることのできる国家を言う』のである。氏は侵略は国際義務の違反と同じ意味のものではないと強調している。たといある国家が武力に訴えないという義務に違反したとしても、法によってそれから何らかの実際的な結果が招来されるのでない限り、その国家はこの定義のもとでは、依然として侵略者とはならないのである。侵略行為に対応してとられるべき手段は、膺懲的性質のものであるよりは、むしろ予防的、威嚇的ないしは匡正的性質のものであり得るし、またかような手段の適用も他の諸国にとっての義務事項とするよりは自由裁量事項とすることができる。しかし何らかの制裁、すなわちその侵略行為に対する法律上の結果が伴うのでない限りは、違反者はこの定義のもとでは侵略者とはならないのである。

 ライト氏は、侵略の判定の標準を三種類に区別し、各種類は、また主として法律的、軍事的、心理学的または手続上の出来事に注意を向けるところから、これをさらに四つの項目に分類している。この三つの主要な種類は左の通りである。

 1、戦闘開始前に起こった諸事件に重きを置く判定の標準。

 2、戦闘開始の時に起こった諸事件だけに着眼した判定の標準。

 3、戦闘の進展に伴って起こる諸事件に基づいた判定の標準。

 第一の種類は通常の正義の概念に最もよく適合するものではあるが、これを迅速に適用することはできない。問題の是非を正当に評価することができるようになるまでには、数百数千にも達する数多の事件を検討しなければならないかもしれないし、そしてこれはどうしても長期にわたり、また労苦の多い分析を必要とすることになる。


 第二の種類は、ライト氏によれば、通常の正義の概念にはそれほど適合するものではないが、通常の侵略の概念にはおそらくもっとよく適合するであろう。この場合においても、戦争状態が発生した時と場所において起こった諸事件を実際目撃する人々は、興奮しているか、又は偏見を持った観察者ばかりであることが多いという欠点がある。この種に属する判定の各標準は、異常に緊張した時に突発的なる事態に対する情況判断をもととしているのであるから、これによっては、戦争防止手続が必要とするところの的確な結論を導き出すことは稀にしかできない。

 第三の種類においては、侵略者の定義は次のように考えられている。『侵略者とは、武力に訴えないという義務を負う国家でありながら他国に対して武力を行使しているものであり、しかもその国家がその武力を用いないという義務を履行するためのものとして受諾した手続に従って提議された休戦を拒否する国家である。』

 別の個所において、クインシー・ライト氏は、国際連盟がそれぞれ相異なりそして別々の用をなすものとして採択された左記の判定の標準に向かって動いたということを指摘している。すなわち、

 1、最初の戦争行為を行なうこと、特に外国領土への侵入によってそれを行なったことに対して責任のある国家は、侵略者である。――この判定標準は軍備縮小の討議に関連して提案されたものである。

 2、敵対行為開始の当時において、防御上の必要が最も少なかった国家は、侵略者である。――これは停戦後の賠償の要求に関連して提案された。

 3、国家はその武力を用いないという義務を履行するためのものとして受諾した手続に従って提議された休戦の受諾を拒否した場合には侵略者となる。――この標準は、連盟において敵対行為を惹き起こした紛争の多くの場合に提案された。戦争行為をなすにあたって交戦諸国のどちらが先であったかという点、もしくは戦端開始の当時における交戦諸国の道徳的必要条件を検討することはしないで、その代わりに、連盟は、戦闘停止を求められたときに、いずれがそうする積極的意思を有していたかの点に検討を加えたのである。

 クインシー・ライト氏自身の見解は、右の三つの標準の中その第一をとるもののようである。氏の言葉によれば、パリー条約の加盟国間においては、同条約に対する違反がない限り戦争状態は決して存在し得ないというのである。戦争状態をつくり出すことを、妥当な防衛の措置であるということはほとんどできないとライト氏は言っている。しかし防衛という語は、従来、武力を非とする規則の厳密な適用を緩和することができそうな漠然とした事情をすべて包括するように用いられる傾きがあったのである。

 しかしながら、ライト氏の提案する定義は、後で判るようにわれわれにとっては大して助けとなるものではない。氏自身その定義を刑事責任の決定以外の目的に限っている。

 中にはこの語の定義は、機宜を得たものでもなければ、必要なものでもないという人もある。裁判所にとっては侵略行為が行なわれたか否かを、個々の場合における事実に基づいて決定することは少しも、困難ではないと言われている。確かに定義には危険がある。しかしながら単に言葉を定義しないで、それをカメレオンの様に変わり得るようにしておくことのみによって危険がすべて除かれるということには本官は同意しない。各国が銘々に他国のために、侵略とは何であるかを決定してやることはあるいは容易なことかもしれない。おそらくは各国とも自国の利益と考えるものに対して行なわれる戦争は侵略的であると言うに違いない。個人によって解釈されるにせよ団体によって解釈されるにせよ、侵略という言葉ほど弾力性のある解釈又は利害関係に左右された解釈のできるものはない。しかしながら裁判所がこの問題を決定するように求められた場合には、裁判所として決定に到達することは必ずしも容易ではないかも知れない。

 本官の意見では、現在組織のもとにおける国際生活においてはどの種類の戦争が侵略的であるとして不法化されるべきかを決定することは、『単なる一般的知識だけに頼っていては』不可能である。かような場合の定義の任務は明白である。それは単に問題を明らかにするだけではなく、その起源ならびに他の同種の事実との関連性を明示し、その本質的要素を決定することによって、これに知識の体系中における正しい位置を与えるのである。このような場合には、いわゆる『平易な一般的』概念では十分ではないであろうし、またわれわれはある特定の集団が抱いている観念と全国際団体に存する真の一般的観念とを混同してはならない。これは諸国家が侵略的なものとして見なすような手段に関する諸国家の間の明白な意見の一致という問題である。

 これらの裁判の基本的な根拠は人道に立脚した国際生活の組織であると公言されているのに、実際には、他国の支配下にある国家が依然として存在しているという事実に照らして考えるとこの問題にはさらに難点が伴うのである。侵略的という言葉は、はたして支配国の利益とは区別された被支配国の利益に関連があるのか、または単に「現状(「現状」に小さい丸で傍点あり)」に関するものであるかという問題が当然生ずるのである。かようにして、かりに「一般的」という言葉が広義に解釈され被支配国民をも包含するものとするならば、一般的概念については意見の一致を欠くことがあり得るのは明白である。もし人道という言葉が、ここでもまた世界の不幸な被支配国民には関係がなくなるような何らかの特定の意味で使われているのでないとしたら、人道に基づいて組織された団体において、被支配国民の利益はかような場合には顧慮してはならないという理由は少しも見出せない。

 法の最も本質的な属性の一つとしてはその断定力が挙げられる。法によらない正義、すなわち立法府又は行政府による正義(すなわち処分)よりは、法による正義(すなわち裁判)をわれわれが選ぶのは、おそらくはこの断定力があるからであろう。法による正義の優れている点は、裁判官が善良であり(←正誤表によると「裁判官が善良であり」は誤りで「裁判官がいかに善良であり」が正しい)いかに賢明であっても、彼らの個人的な好みや彼ら特有の気質にのみ基づいて判決を下す自由を持たないという事実にある。戦争の侵略的性格の決定を、人類の『通念』とか『一般的道徳感識』とかに委ねることは、法からその断定力を奪うに等しい。国際紛争の諸分野のうちでも、感情が激昂し、そして諸国が(←この「そして諸国が」について、正誤表で「(全行一字上げ)」と訂正がある。これは一字下げで始まっているのを訂正するものである)今ごろになってもまだ、やっと戦争の訴えないで、平和的措置による解決をはかるように説き勧められて、やっとその気になってきたばかりである分野においては、法の果たすべき機能は非常に困難であり、また微妙なものである。いずれにしても、、ここではどのような法の規制にせよ、それは流砂のように変転きわまりのない意見や考慮の足りない思想といった薄弱な基礎の上に立つものにしてしまってはならない。その規則が曖昧であることを、魔法にかけられた(←「魔法にかけられた」について、正誤表に「(全行一字上げ)」と訂正がある。これも一字下げで始まっているのを訂正しているのである)冒険者が一切の困難から解放してくれるものと思うところの魔法の鈴として早合点して、これをうけいれてはならないのである。

 本官は、パリー条約の法律上の立場についてのラウターパクト博士の見解、並びに自衛権の留保は、「遅滞ハ危険ナリ(「遅滞ハ危険ナリ」に小さい丸で傍点あり)」という事態が存在する場合、どのような措置がとられるべきかを決定する権能だけを指すものであるとなすことについての同博士の見解は既に考慮した。

 博士によれば、自衛のための武力行使の合法性はその個々の特定の場合について司法機関もしくは他の機関が公平に決定するのに妥当な主題であるというのである。本官が、右の見解に同意出来ない理由については、すでに述べた。しかしながらラウターパクト博士は、この点に関連して侵略の定義について(←正誤表によると「侵略の定義にいて」は誤りで「侵略の定義について」が正しい。しかし、ちゃんと「侵略の定義について」と印刷されており、この正誤表が誤っているのだろう)、少しく述べており、それは、われわれの現在の目的にとって、何か役に立つかもしれない。

 この博識な教授は、どのような場合に、戦争をも含めた武力の行使が「一見シテ明確ニ(「一見シテ明確ニ」に小さい丸で傍点あり)」自衛の措置として見なされるべきかをあらかじめ定めようとして、次のように述べている。すなわち『かような情況は、自衛手段の対象となっている国による侵略を構成する。』と述べている。教授は、そして相異なる諸国家が侵略の定義を採択したところの幾多の条約に言及し、最後にこの定義を設ける試みがさらになされることを勧告している。教授によれば、かような試みが、法律的に根拠がないとか正義に反するものであるとか考えることはできないというのである。

 ラウターパクト博士の言及している条約は左の通りである。

 侵略を定義するためのソ連と他の数ヶ国間の諸協約。

 1933年7月3日に、ソ連と、アフガニスタン、エストニア、ラトヴィア、ペルシヤ、ポーランド、ルーマニア、トルコとの間に結ばれた、侵略の定義を目的とする、協定の第2条によれば、左の行為のうちのどの一つでも、最初に犯した国家を国際紛争における侵略国と見なすというのである。すなわち

 (1)他国に対して宣戦を布告すること。

 (2)宣戦の布告はなくても、軍隊によって他国の領土に侵入すること。

 (3)宣戦の布告はなくても、陸軍海軍もしくは空軍によって他国の領土、艦船もしくは航空機を攻撃すること。

 (4)他国の沿岸もしくは港湾を海上封鎖すること。

 (5)一国の領土内で結成され、そして他国の領土を侵略している武装集団を援助すること、またはその武装集団に対するどのような援助または保護をも絶つために用い得るだけの一切の措置を自国の領土内で講ずるように被侵略国から要求されたにも拘わらずこれを拒否すること。

 次いで同教授は、右の定義は1933年5月に、軍備縮小会議の安全保障委員会によって提案された侵略の定義に忠実に従ったものであることを指摘している。1933年の軍備縮小会議に提出された英国の協約案の中では連盟規約第16条にいう『戦争行為ヲナス』という言葉を右に引用した定義中の第4項を除いてそれとほとんど同じように定義している。

 これに忠実に従ってジャクソン検事はニュールンベルグ裁判において、侵略行為の犯罪性を決定する目的のために『侵略者』の定義を提案した。同氏は次のように述べた。

 『侵略者とは左の行為の一を最初になした国家の事であると一般に考えられている。

 『(1)他国に宣戦を布告すること。

 『(2)宣戦布告の有無にかかわらず、その軍隊によって他国の領土に侵入すること。

 『(3)宣戦の布告の有無にかかわらず、その陸軍海軍もしくは空軍によって他国の領土、艦船もしくは航空機を攻撃すること。

 『(4)他国の領土内で結成された武装集団に支援を与えること、またはこれらの武装集団に対するどのような助力もしくは保護も絶つために自国の領土内で、自国の力で出来る一切の手段を講ずるように被侵略国から要請されたにも拘わらずこれを拒否すること。』

 ジャクソン氏によれば、

 『どのような政治的、軍事的、経済的もしくはその他の考慮も、かような行為の口実とはならないし、またかような行為を正当化するものでもないというのが一般的な見解である。しかしながら、正当な自衛権の行使、言い換えれば侵略行為に対する抵抗もしくは被侵略国を援助する行為は、侵略戦争を構成しない。』のである。

 同氏は、これらの裁判によって、われわれはこの戦争を起こす導因となった諸条件を調査しようとするものではないと強調した。氏はこの戦争を侵略戦争であるとする訴追と、ドイツには何の不平もなかったという立場との間の差異を指摘して、次のように述べた。

 『1935年当時もしくはその他の年におけるヨーロッパの現状を弁護(←「擁護」の可能性もある)することはまったくわれわれの任務に属することではない。アメリカ合衆国は欧州政治の戦前の複雑な潮流についての論議に参加しようと欲するものではない・・・・』

 『われわれの立場は、ある国家がどれほどの不平を持っていようとも、また現状がどれほどその国にとって不都合なものであろうとも、侵略戦争はかような不平を解決し、またはこれらの状況を改善する手段としては、違法であるというのである。』

 平和の静的な観念がはたして国際関係において正当と考えられるものかどうかということについては、ここで考えてみる必要はない。はたして「平和」を決定的に創造し得るものであるか、また永遠に続くべき現状というものがあり得るものか本官は疑いを持っている。いずれにしても、国際関係の現状にあっては、右のような平和の静的な観念は全然支持することができない。言うまでもなく今日の現状における被支配国民を、単に平和の名においてのみ永久的な支配に服させることはできない。従来は主として戦争によって達成された人類の政治的、歴史的発展を、法の範囲内にもたらそうとする問題に対して、国際法は正面から取り組む用意がなければならない。この問題が解決されて初めて、戦争及びその他の武力による自助の方法を有効に排除することができるのであり、またかようにして初めて、われわれは平和的手段以外の方法によって調整をはかろうとする努力に対する刑事責任の導入を考え得るようになるのである。右のような努力に対する刑事責任を導入する前に、国際法は平和的な変更を達成するための法則をまず確立することに成功しなければならない。それまでは『手にあるものはあくまでこれを確保しよう』とする全くの日和見主義者の武力によってのみつくり上げられ、そしてこれまで維持されてきたかも知れないところの現状そのものを人道及び正義の名において維持しようという試みは、直接的であるにせよ間接的であるにせよ、これを正常化することはほとんどできないし、またこの現状を擁護し得ないことは、われわれのよく知っていることである。人類のうちで幸いにも今日まで政治的自由を享受することのできたものは、今決定論的な禁欲的な人生観を持つ余裕が十分あり、かつ政治的現状の観点から平和を考えることができる。しかしながら全人類がひとしく幸運であったのではないのであり、人類の相当の部分は今でもなお政治的支配から脱れたいという望みに絶えずかられているのである。これらの人々にとっては、現代とは、全体主義の脅威ばかりでなく、帝国主義の現実の害毒に直面している時代なのである。彼らはここに一柱の勇敢な神があって、宇宙に真の民主的秩序を建設しようと奮闘しているという単純な信仰を抱くことのできる立場に置かれたことは、今までのところないのである。彼らは現在の事態がどのようにして発生したかを知っている。剣士は一度刀の先で願望を達した後は、もし彼が二度と再び刀を用いないでその戦利品を持ち続けることができるならば、一刻も早く刀を鞘に納めようと心から望むかもしれない。しかしながら銃剣や軍刀のような武器ではできないことがあるとすれば、それはおそらく、その上に座ったまま、じっとしてそれを使わないでいることができないということであろう。

 もしわれわれが、すでに右に述べたような限界を持って定められたところの、承認された法の原則を取り扱っていたとしたら、あるいはジャクソン検察官の示唆した取り扱い方はわれわれを共鳴させるものであったかもしれない。しかしながら、その国の憲法の定めるところに従って行動しつつある国に、ある特定の行為をなした一国の人々の刑事責任を定めるために、われわれが創造力を発揮することを要求され、また、国際法の進歩的な性質を利用し、そして新しく見出された規範を正義人道の名において、適用することを要求されている場合においては、独断的に一定の限界線を設けて、それから先は見て見ぬふりをすることが、どうしてできようか。示唆された取り扱い方は、なるほどわれわれをあらゆる面倒な問題から解放し、また、われわれの困惑のすべてに容易な解決を与えるであろう。しかしそれによってわれわれが人道の名において、健全であり有益であると称し得る何ものかに達することができるかどうか疑わしい。

 ジャクソン検察官が示唆したような定義を国際法から無理に引き出すことになれば、国際法は『国際的分野の既得利権に仮面をかぶせ、kの権益防御の第一線とすることを意図した理念的仮装』以外の何ものでもなくなるであろう。平和的変更のための機構を準備せずに、たまたまそこに存在する現状を永久に続けようとする策は、国際生活上あまり尊敬されるものではあるまい。

 独断的に定めた現状の維持をかように強調しても、平和の真の条件を理解する上に少しも役立たないことは確かであり、正義に対する尊敬の念を築き上げるものでもない。かような基礎の上で行なわれる裁判は、世界の悩みの原因である主要事実を、完全に閉め出すことができるくらいに渾沌としたものであろうし、また同時にかような裁判をすることは、後日に至って報復的で侵略的な感情が集団的に表現されるような状態を招来するもととなるおそれが充分にある。有罪という観念は、通常捉えがたいものである。戦時の宣伝によって刺激され、もつれさせられた激越な感情の支配のもとで、その罪の帰属を定めようとするときに、特にそうである。その上にまた前述の提唱にあるような独断的で人為的な制限を、われわれの審理に課するならば、その結果生じてくる事態は、感情的な一般論を用いて報復的な能弁な申立をする絶好の機会を与えることになるかもしれない。しかし、かような審理はおもしろくはあるかもしれないが、それによって教えられるところがあろうとは思われない。それは戦争の原因または平和の条件を理解する上に、ほとんど貢献しないものである。




 さきに示唆された判定の標準のうちには、本審理についてわれわれに若干の困難をもたらすものもある。ソビエット社会主義共和国連邦及びオランダが、本件における訴追国であり、また両国とも日本に対して自国側から宣戦したということを、記憶しておかなければならない。ソビエット連邦に関する限り、かりに自衛ということは、ある条件のもとに、戦争を開始することを容認するものであると解釈しても、同国の対日宣戦当時の事態が、防衛の考慮から必要となった戦争であるとして、これを正当化するような事態であったとは言えないであろう。すでに敗北した日本に対する戦争の中に『方法を選ぶことも、また熟考の時間をも許さないような緊急、かつ圧倒的な自衛の必要』を読み取ることは、おそらく困難であろう。

 検察側は最終論告において、次のように言っている。すなわち『1944年春、日本参謀本部は初めて対ソ戦を考慮に入れた防御計画の起草を開始しなければならなかったということを、検察側は否定するものではない。しかしながらそれが行なわれたのは、ソ軍がすでにドイツ・ファシスト軍の脊髄を破壊し、日本軍が連合軍のために敗北を喫しつつあるときであった。』と。そもそも攻撃を受ける危険のないところに、幾分でも防衛の必要があった――その必要が緊急なものにもせよ、そうでないものにもせよ、圧倒的であるにもせよ、そうでないにもせよ――と判断するのは困難であろう。日本はすでに致命的に弱められソビエット連邦はそれを知っていた。1945年8月6日、日本は最初の原子爆弾攻撃を受けた。

 ソビエット連邦は1945年8月8日、日本に対して宣戦を布告した。日本の無条件降伏を要求するポツダム宣言は、1945年7月26日発表された。日本は1945年6月初旬、ソビエット連邦に対して調停方を要請し、ついに1945年8月10日降伏を申し出た。その間、8月8日ソビエット連邦は宣戦を布告し、同国がとった行動の正当であることを次のように声明した。すなわち

 『「ヒットラー・ドイツ」ノ敗退、降伏ノ後、ナオ戦争ヲ継続セントスル唯一ノ強国ハ日本ダケデアル。

 『日本ハ同年7月26日三大国、スナワチ「アメリカ合衆国」、大英帝国及ビ中国ニヨッテナサレタル日本軍隊ノ無条件降伏要求ヲ拒絶シタ。カクテ極東ニオケル戦争ノ調停要請ヲ内容トスル日本政府ノ「ソビエット」連邦ニ対スル申入レハ、一切ノ根拠ヲ失ウノデアル。

 『日本ガ降伏ヲ拒絶シタ事実ヲ考慮シ、連合国ハ「ソビエット」政府ニ対シ、日本ノ侵略ニ対スル戦争ニ参加シ、カクテ戦争ヲ終結セシムルニ必要ナ時間ヲ短縮シ、犠牲者ノ数ヲ減少セシメ、シカシテ世界平和ノ速ヤカナル克復ニ寄与センコトヲ提案シタ。「ソビエット」政府ハ連合国ノ標榜スル所ノ主義ニ忠実ニ準拠シ、連合国ニヨリナサレタル申合セヲ受諾シ、同年7月26日ノ連合国宣言ニ参加シタ。

 『「ソビエット」政府ハ、カカル政策ハ平和ノ再来ヲ早メ、国民ヲコレ以上ノ犠牲ト苦難トヨリ救イ、カツ「ドイツ」ガ無条件降伏ヲ拒否シタル後、「ドイツ」国ノ被リタルゴトキ危険ト破壊トヲ避ケシムベキ機会ヲ日本ニ与エル唯一ノ道ナリト信ズル。上述ノ根拠ニ基ヅキ、「ソビエット」政府ハ明日、スナワチ8月9日ヨリ「ソビエット」連邦ガ日本ニ対シ戦争状態ニ入ルコトヲ認メル旨ヲ声明スル。』

 以上は検察側文書、法廷証第64号よりの抜粋である。この声明はなんら「遅滞ハ危険ナリ(「遅滞ハ危険ナリ」に小さい丸で傍点あり)」ということに言及しておらず、また実際のところ、それは存在しなかったのである。ソビエット連邦は、ただちに行動を起こさなかったならば、その生命も、またその生存上に欠くことのできない権益も復讐の可能性のないまでに危うくなるであろうと信じたとは言わなかったし、また本審理中に証拠が明らかにした事情に徴しても、こう言うことはできなかったのである。すなわち『連合諸国に対する公約を遵守し、ソビエット連邦はアメリカ合衆国並びに大英帝国の要請に応じて、1945年8月9日侵略国日本に対し宣戦を布告、もって第二次世界大戦の一層速やかなる終結に寄与せり・・・・』と。証拠の示すところによれば、ソビエット連邦のかような行動は他の連合諸国との間であらかじめ協定されていたものであり、そしてこれらの諸国は、すべてパリー条約の加盟国であったのである。本官はこれらの列強がことごとく犯罪行為に参加したと考えさせるような解釈を、同条約に与えてはいけないと考える。

 この文書の中でソビエット連邦が述べている正当性の理由は、たしかに自衛ではない。そして日本がソビエット連邦に対して持っていたと言われている侵略的意図を示す証拠が、本裁判の審理において提出されたけれども、開戦の決定に際しては、ソビエット連邦がかようなことを考慮した形跡はない。本官の意見では、本審理においてわれわれが推論の前提としているところの法の立場から見れば、われわれとしてはこの文書の中で与えようと試みられている正当性の理由を、国際法上における開戦の正当な理由としてこれを認めるか、さもなければかような行動を、不当であって、従って侵略的かつ犯罪的であると断言するか、のほかはないと考える。もちろんパリー条約に関する限り、ソビエット連邦の布告した宣戦は同条約の規定に違反するものではないと主張出来るかもしれない。ソビエット連邦の方では、国際政策遂行の手段として戦争の訴えたのであると主張するかもしれない。さらに日本はすでに同条約に違反し、それによってその利益を亭有(←正誤表によると「亭有」は誤りで「享有」が正しい)する権利を失っていたのであり、従って同条約に違反して戦争を遂行しつつあった締約国に対する戦争であった以上、ソビエット連邦のこの戦争は、同条約に違反するものではないといえるであろう。ある特定の戦争が犯罪的であるか否かの判定の標準が、それが同条約の違反であるか否かにある、とする場合においてのみかような抗弁は有効である。

 オランダの行動に関しては、もしわれわれが侵略ということについて、ジャクソン検察官が示唆したような判定の標準を受け入れない場合に限り、自衛の手段として肯定することができるかもしれない。検察側は、これは『将来の戦略的便宜上』そうされなかったにすぎないと主張している。検察側によれば、『1941年12月8日、日本がオランダに対し戦争状態に入ったことは疑いを容れないところである。オランダはかような事態を認識し、それゆえに同国と日本との間に戦争状態が存在していると宣言したのである。』

 ここで本問題をこれ以上検討する必要はない。本官は、これら二国をも含む訴追国が、侵略の判定の標準は他に求めなければならないという共通の立場に立っている事実そのものを指摘すれば充分である。そうしなければ、諸権威によって提案された判定の標準によれば、ソビエット連邦は日本に対する侵略戦争を開始したという罪を犯したという結果になるであろう。もっとも、ソビエット連邦がまた対フィンランド戦においても同じ罪を犯し、従って人道に対する罪をも犯したということは、本審理においては考慮の外に置いてもよいかもしれない。ここでかように指摘するのは、単に提案された判定の標準がどういう結果をもたらすかということを示すためにすぎない。みずからかように犯罪を犯した国々が、自国民中の同種の犯罪人を等閑に付し、一丸となって戦敗国民を同様の犯罪のかどで訴追しようとは、かりそめにも信じられないので、本官は、各国は侵略ということに関して、この結果を生じるような判定の標準のいずれをも採用していない、という結論に達するものである。

 本裁判の審理中、一再ならず示唆されたように、裁判にも付されず処罰も受けない盗賊があるかもしれないと言い張ったところで、それだけで、盗むことは犯罪ではないということにはならないし、また世の中には処罰されずにいる盗賊たちもいると立証したところで、盗みのかどで現に裁判されつつある盗賊にはなんら利益となるものではないという議論もあるかも知れない。これは盗むことは犯罪であることが確実に分かっている場合には、確かに正しい論法である。しかしながらある特定の社会におけるある特定の行為が、犯罪であるか否かがまだ決定されていない場合にあっては、問題の行為が同社会の他の構成員に対してどういう関係にあるか、またその行為が他の構成員によってなされた場合、同社会はその行為をどう見なすかという点を検討するのが当を得たことであると本官は信ずる。

 侵略者、侵略、侵略的という言葉に対し、どういう意義を与えねばならないかを決定するに先だち、われわれはある種の戦争が犯罪的となったということに関して、いろいろ行なわれている見解の中で、どれがわれわれによって採用されているかを決定しなければならない。言うまでもなく、われわれは現在ある種の戦争は国際法上の犯罪であるという仮定のもとに、議論を進めているのである。

 国際生活において戦争がいかにして犯罪となるかについてわれわれはすでに少なくとも四つの異なった見解があることを認めた。

 ライト卿によれば、正当化し得ない限りにおいて、戦争は犯罪である。すなわち戦争の唯一の正当化は自衛または自己保護のために必要であったということであるから、「侵略的」とは、この見解によれば、かような見地から正当化し得ないものを意味しなければならない。ニュールンベルグ裁判所はこの見解をとったものと思われる。この点に関してわれわれは自衛の基礎としてはなんらかの客観的条件を必要とするか、あるいは単なる主観的目的で充分であるかを決定しなければならない。たといわれわれが自衛には必ず客観的条件がなくてはならないという見解をとるとしても、国際法のもとにおいては、だれがかような客観的条件の存否を判断すべきかという問題が残るであろう。

 グルック博士によれば、パリー条約あるいはその他のどの条約によっても、どのような戦争でも犯罪とはなってはいない。しかし侵略戦争は犯罪であるという一般の確信が繰り返し言明されたことによって、国際生活において侵略的戦争を行なうことは犯罪であるとする慣習的国際法が生ずるに至った。この見解において、われわれは上記の諸言明を研究し、侵略の意義を探求しなければならない。

 ケルゼン教授は正しい戦争、不正な戦争の区別は従来から認められているという見解をとっているようである。現にパリー条約は不正な戦争を明確に定義している。かようにして不正であると宣告された戦争は犯罪となる。この見解は、実質においては、われわれの現在の目的に関しては、ライト卿の見解と同一であり、侵略者、侵略的あるいは侵略という言葉の意義が同一のものとなる。

 A・N・トレーニン氏の見解は、この点では適用がやや困難となる。氏は、国際犯罪とは国際的結合の基礎に対する侵害であると定義している。従って国際生活における犯罪の観念は、このような団体の基礎として平和が確立されて初めて生まれ出るのであるというのである。

 本官はトレーニン氏の見解は結局現状に対する侵害または侵害の企図は、犯罪であるということに帰着することをすでに指摘した。これはニュールンベルグ裁判において、ジャクソン氏の主張した見解に一致するもののようである。

 本裁判にあたっては、検察側は第五の見解、すなわちある手続上の欠陥をもって開始された戦争は犯罪であり、従ってその手続上の欠陥は侵略になるという見解、をわれわれに提示している。

 どのような戦争も国際生活においては、犯罪とされたことはないという本官の見解はすでに述べた。もちろんこの見解においては、戦争の侵略性を決定するという問題はまったく起こってこない。

 しかしながらある範疇の戦争が国際生活において犯罪となされたとすれば、承認してもよいかも知れない唯一の見解は、ライト卿の見解である。同卿はパリー条約の結果として、正当化し得ない戦争は犯罪となったと主張している。この点に関してパリー条約以前の国際法上の地位は、1927年12月ボラー上院議員によって明瞭に示されたのであり、われわれの考察を当時の法律の状態に関する氏の言明以上に押し進める要はない。

 どのような範疇に属する戦争が現在では犯罪となるかに関して、上述のライト卿の見解をわれわれが承認すれば、侵略の判定の標準は正当化の欠如となる。もちろん侵略者とされるためには、その国家が最初に戦争行為をなしたものでなければならない。本官の意見では、時間的にいってどちらが先に動いたかの問題は必要条件ではあるが、充分な条件ではない。

 人道の基礎の上に組織された国際団体が存在するという前提の下に論を進めるならば、ある民族が自分の意に反して他の民族の支配下に置かれるということは、最悪の種類の侵略である。またかように侵略された被支配民族をかような侵略から解放するために援助する行為は、正当化し得るものとして容認しなければならない。ジャクソン氏は侵略を受けた国家を援助する行為は、正当化し得るものとして、これを支持している。本官としては、人道を基礎として組織された国際社会において、支配という侵略的行為を受けている民族を援助する同様な行為を、同様に正当化し得ないという理由は見出せない。



 自衛は確かにかような正当化の理由である。本件において、検察側はケロッグ・ブリアン条約は『自衛権に干渉しなかった』こと、また同条約においては『この問題については各当事国がそれぞれ自主的に判断することになっていた』ということを認めている。しかしながら、検察側の議論はたとい自衛権にかような広範囲が残されているとしても、それは『侵略者の意のままに事実を全く無視して、ただ一つの弁護として主張』できるものではないというのである。『いやしくも国際法が実施されるものとすれば、自衛権の主張のもとになされた行為が実際に侵略的であったか防御的であったかは、結局は調査と、審判を受けねばならないのである。』検察側はニュールンベルグ判決とともに、本官がすでに本官のこの判決のはじめの部分で指摘したラウターパクト(←正誤表によると「ラウターパクト」は誤りで、「ラウターパハト」が正しい。これまで何度も登場した「ラウターパクト」氏と同一人物だろう。ドイツ語圏ではchは特殊な読み方をする。aの次に来ると「ハ」と発音する。ラウターパハト氏はドイツ語を公用語とするAustrian Polandで生まれたようであり、その姓名もドイツ語読みをするのが正しいのだろう。そのことに翻訳者が気づいたということだろう)博士の編集にかかるオッペンハイムの著書国際法の中にある同博士の所説も根拠としている。検察側の申立ては『自衛は武力的攻撃が合理的に予見し得る場合にのみ適用し得る』というのである。

 本官は国際生活における諸国家の自衛の性格及び範囲については、すでに論じ、またそこで国内法のもとにおける個人の私的自己防衛権との相違を指摘した。またケロッグ・ブリアン条約がこの権利に対してまったく影響を与えなかったことも指摘した。

 今回の太平洋戦争直前に行なわれた日米交渉の最中でさえ、アメリカ合衆国は合法的自衛行為とは『自国の権益が攻撃され、もしくは安全を脅かされるという事実の存否、その時期並びに場所等の決定は当事国自身に俟つものである』ということを意味していると諒解していた。また自衛とは『近代戦の電撃的速度』に鑑み、軍隊をどのような戦略的地点にでも配備するということにまでも及ぶものであると諒解されていた。《法廷証第2876号参照》

 ケロッグ氏が米国のパリー条約批准に先だって、自衛という問題について、自衛権は当事国の主権下にある領域の防衛だけに限定されるものではなく、また本条約によって、自衛権の範囲に入る行為の限度並びにその発動の時期については、みずから決定する特権があり、その場合にはその判断が世界の他の諸国によって是認されないかもしれないというおそれがあるにすぎないと言明したことには、本官はすでに触れた。

 ローガン弁護人は、最終弁論においてこの自衛権は、列強による経済封鎖と称し得るものにまで及ぶという見解をわれわれが容認するように求めた。ローガン弁護人いわく『人間が進化すれば、科学は進歩し、各国は自国維持の必要上、相互に依存し合う程度が増大してくるのでありまして、そうなりますと、戦争の仕事も、火薬を爆発せしめ、それによって敵を殺す方法ではなく、それとは異なり、しかも相手国の抵抗力を減じ、自国の意思に服従せしめんとする同様に恐るべき性質の手段をとるようになります。・・・・一国からその国民の生存に必要な物資を剥奪することは、確かに弾薬や武力を用い強行手段に訴えて人命を奪うのと変わるところのない戦争方法であります。と申しますのは、それは緩慢な行動をもって相手国の抵抗力を減じ、結局は在来の敵対行動として用いられた方法と同様、確実にこれを敗北せしめることになるからであります。そしてこの方法は、緩慢なる餓死という手段で、徐ろに全国民の士気と福祉を減耗することを目的とするものでありますから、物理的な力によって人命を爆破し去る方法よりも、一層激烈な性質のものであると言うことさえできるのであります。』この論に対して深い考慮を払わなければならないことは否定できない。

 上院外交委員会の個々の委員との質疑応答に際して、ケロッグ氏は、自衛権は経済封鎖にまで及ぶことを説明している。この条約は自国の領土、属領、貿易あるいは権益を防衛する米国の権利を侵害または剥奪するものではないと了解された。同委員会は報告において「特ニ(「特ニ」に小さい丸で傍点あり)」次の適切な陳述をした。すなわち、『本条約の条項または条件によって、自衛権はすこしも制限あるいは侵害されるものではないという了解のもとに、本委員会はここに本条約を報告する。各国はすべての時期において、また条約の条項いかんにかかわらず、自国を防衛する自由を有し、また各国は自衛権の内容と必要と範囲とについての唯一の判定者である。』以上が同委員会が『条約の真の解釈』であると了解したところである。



 本官の判断では自衛の性質及び範囲並びに適用の機会は、すべてパリー条約以前に存在した法律に照らして決定されるべきものである。さらに本官が、この問題は同条約以後においてもなお依然として裁判に付し得ない問題であったという見解を持つものであることは言うまでもない。本官がかように言う理由はすでに述べた通りである。しかしここでは、この条約が成立した後、本問題はある程度裁判し得るものとなったという仮定の上に論を進めているのである。



 検察側は『次のことは裁判所が決定すべきである』と述べた。すなわち、

 (a)主張されている諸事実は、自衛という言葉の本来の意味において、自衛の場合にあたるかどうか。

 (b)被告は本心からかような事態の存在を信じたかどうか、あるいは単なる口実であったかどうか。及び、

 (c)かように信じなければならない、なんらかの合理的な理由があったかどうか。

 検察側の言うところによれば『以上三つの条件が満たされたときに、初めて各国はその独自に判断する権利を行使し得るのである』しかしながらソビエット連邦の日本に対する戦争の場合においては、これらの条件はどれ一つとして満たされないのである。

 おそらく現在のような国際社会においては、『侵略者』という言葉は本質的に「カメレオン的」なものであり、単に『敗北した側の指導者たち』を意味するだけのものかもしれないのである。

 戦争が正当化され得るか否かに関するこの問題を決定するためには、次のような点を確かめるべきであることを単に示唆するだけにしておこう。すなわち、

 1 侵入国側の情報及びその「善意ノ(「善意ノ」に小さい丸で傍点あり)」所信によればその主張する正当化の理由の基礎として、なんらかの客観的条件が存在したか否か。

 2 侵入国側で信じた客観的条件と称するものは、被告がこれに基づいてなした行為と同じような行為を、道理を弁えた政治家がこれに基づいてなすことを正当とするようなものであるか否か。

 「善意(「善意」に小さい丸で傍点あり)」かどうかの問題とか『妥当性』の問題を決定するにあたっては、戦勝国を含む他の諸国の類似の政治家たちが当時なした行動及び抱いた意見を考察するのは、確かに当を得たことであろう。かような問題は、精神的検疫所では決定しがたいものである。これら問題をどのように決定するにしても、それはすべて被告の生命または自由の問題を決定せずにはおかないという場合には、普遍的適用性をもつ基準によって、被告の行動を判断することこそ公正と言わなければならない。そうするにあたってわれわれは、言葉以外の行為とそれを説明しまたは偽装するために用いられた言葉との間にあるかもしれない、捉え所のないような関係は、どんなものでも見過ごしてはならないのである。



 本官は自己防衛または自己防御に関する法律を、実質的にはパリー条約以前の法律そのままであり、ただ国際生活の事情のなんらかの変更によって正当と認めて差し支えないような修正をうけることがあり得るものであると解したい。

 国際社会は、ある一国が『他の諸国の自由な国民が国内の武装した少数者または国外からの圧迫による征服の企図に対して抵抗しつつある場合にはこれを支持する』政策を遂行することは正当であると考えているようである。この考えはわれわれをして世界における「共産主義の脅威」の真の性格またそれと他国の事件に対する合法的干渉の範囲との関係を考慮するに至らせるであろう。1917年過激派が露国を手中に収めて以来、共産主義が世界の悪夢となったことは周知の事実である。現存の諸国がそのいわゆる『共産主義の脅威』の中に予期していた『破滅』は、おそらく外部から来る力の破壊的衝撃ではなくて、むしろ内部からの社会の自然的崩壊であった。しかしながら諸国はこの脅威を表現するにあたって、いずれもこの内部崩壊的疾患を軽視して、あるいはまったく無視して、むしろ外部から加えられる衝撃の妄想を強調したがっていた。

 通常、どんな国でも他国に対して、単にその国内であるイデオロギーが発展したという理由だけで、その内政に干渉する権利は持っていないのである。しかしながら中国における共産主義は、単に、現存の諸党派のある党員が支持した政治的な主義だけを意味したのではなく、また他の政党と政権を争うため特別の一党を組織することでもなかった。それは国民政府の現実の対抗者となったのである。それは自己の法律、軍隊及び政府を持つばかりでなく、自己の行動地域さえも持っていた。その結果、共産主義の発展は、事実上においては、まったく外国の侵入に匹敵するものであった。それで、中国に権益を有する他の諸国が、その権益を保護するために中国の中に入り込み、共産主義の発展と闘う権利を持つであろうかということは確かに適切な問題である。

 ここで共産主義自体が単に異なったイデオロギーの発展とは見られていないということに注意するのも、また当を得たことであろう。国家及び財産に関する共産主義的理論と、現存の民主主義的理論との間には、重大な根本的相違がある。一口に言えば、共産主義とは『国家の衰(←判読困難)滅』を意味し、またそれを企てているものである。伝統的のフランス及び英米の民主主義は、概してロック、ヒューム及びジェヴォンスの哲学に基づいて、かつそれに英国国教またはローマ・カトリック教あるいはアリストートルの哲学的仮説を点綴したものである。ロシア共産主義はマルクス哲学を基礎としている。

 確かに『民主主義』及び『自由』という言葉は、共産主義的理想に関連してもまた用いられている。しかし、その場合には、根本的に異なった意味をもたせられている。共産主義的理想における『民主主義』とは、今日行なわれている『民主政治』の衰(←判読困難)滅を意味し、また暗示している。共産主義的「自由」の実現の可能性は、現在の民主主義的国家組織が消滅して初めてあらわれるのである。

 レーニンいわく、『ひとり共産主義社会において初めて、すなわち資本主義者の抵抗が完全に挫かれた時、資本主義者が影を絶った時、階級がなくなった時・・・・《言い換えれば、社会の構成員の一人々々が自発的にマルクス哲学を受け入れる時》その時こそ初めて「国家・・・・は死滅し、」その時においてのみ「自由を論ずることが可能となる。」その時こそ真に完全な民主主義、なんらの例外もない民主主義が可能となり、実現されるのである。そして、かようにしてこそ民主主義自体が死滅し始めるのである。・・・・ただ共産主義だけが真に完全な民主主義をもたらし得るのである。そしてその民主主義は、完全なものであればあるだけ早く不必要になり、ひとりでに死滅してしまうのである。』

 このように、ロックないしヒュームの哲学に立脚した民主主義に関する共産主義者の態度は、確定している。

 かような事情において一般に感じられていることは、共産主義の発展は正当な観念によって導かれておらず、従って共産主義者はそのほかの世界にとって真に信頼のおける安全な隣人ではないということである。

 かような感情が正当なものかどうかは、本官の論ずべきことではない。このような感情は、世界の最も賢明な人々が必ずしも一様に懐いていたところではなかった。ソビエット・ロシアにおける「あらゆる反対意見に対する冷酷な抑圧、全面的統制、規格化及び種々の政策遂行にあたっての不必要な暴力行為』を率直に非難しつつも、同様の率直さをもって、『資本主義の世界でも暴力と抑圧が存在しないことはなかった。』と指摘している者もある。

 印度のパンディト・ジャワハラル・ネールは次のように言っている。すなわち『余は取得社会及び財産の基底、根底をなしているものが暴力であることをますます自覚してきた。・・・・飢餓の恐怖が常に到る処で大多数の人民を少数の意志にむりやりに屈服させているときに、政治的自由をとやかく言ってみても何の役にも立たなかった。・・・・暴力は双方に共通して存した。しかしながら資本主義制度のもとにおける暴力は、同制度の有する内在的なものであるように見えた。一方ロシアにおける暴力は、もとより不当なものではあったが、しかしその目的とするところは平和、協力及び一般民衆の真の自由に基づく新秩序にあった。』さらにパンディト・ネールは、ソビエット・ロシアが幾多の失策はあったにもせよ、莫大な困難を克服し、この新秩序に向かって長足の前進を遂げた次第を指摘し、結論としてソビエット連邦国の存在及びその示した模範は『暗黒でかつ暗澹とした世界における輝かしく、かつ頼もしい現象である。』と言っている。

 しかし、このような評価は、共産主義諸国家と同時に資本主義的民主主義諸国をもその構成員として有する国際社会が、両イデオロギー群の間の関係を調整し、安定しようとして出あう困難を解決するには、なんら役立つところがない。実在するにもせよ架空的であるにもせよ、かような困難は過去においても、なお現在においても、ほとんど一般的に感じられているものである。

 しかしながら、このような困難の解決をここで問題としようとしているのではない。本官は次のことを指摘すればよいのである。すなわち共産主義発展の影響するところが、かように現在の国家及び財産組織の根底そのものに及ぶ以上、当然次のような諸問題が生じて来、われわれはこれに決定を与えなければならない。

 1、一国家の存在がその国内における共産主義の発展によってかように脅かされたとき、その苦境にある国家に対し、現存国際社会の姉妹国中の一国は、援助を与える権利を有するものであるか。もしそうだとすれば、その権利はどの程度にまで及ぶものであるか。

 2、その苦境にある国の国内に利益を有する一姉妹国は、共産革命の危険に対して右の利益を護る権利を有するものであるか。もしそうだとすれば、その権利はどの程度にまで及ぶものであるか。

 3、共産主義のイデオロギーを記憶に留め、かつ国際社会における若干の国がすでに共産主義機構を採用している事実を念頭に置いて考えた場合、他の諸国内におけるこの共産主義の発展を「善意ヲモッテ(「善意ヲモッテ」に小さい丸で傍点あり)」憂慮したものと仮定したとき、及び実際に憂慮したときにおける他の現存姉妹諸国の干渉権は、もしあるとすればどの程度にまで及ぶものであるか。

 ある特定国内の一派が同じ国内の他の一派と戦っているとき、この他の一派が共産主義者であるからという口実のもとに、前者一派に対し(外部から)援助を与えるという件について現在の世界のとっている態度は、右の諸問題を解決するに大いに役立つものである。

 戦勝国のあるものは、『彼らの主義とはなはだしく相違した主義のもとに運営されている政府を有する諸国家に接触していては、自国の繁栄をはかることも安心して生活することもできないと常に感じていた。』とわれわれは聞かされる。はたして戦敗諸国もまたかような感じをともにし、それに従ってその政策及び行動を設定考察する権利を有するものであるか、これは今後に俟つ外はない。『どんな国でも政治的に異なり、かつ道徳的に反対な環境で辛抱することはできない』とわれわれは聞かされ、また『その信条とするところを開陳しない民族は、すでにその信条を放棄しかけているものである。』という『深遠であってかつ不変な真理』を示される。本官はここでかような場合における「接触」を予防するには、太平洋ないし大西洋の広さをもってしても、なお充分だとは思われないかもしれないということを指摘するだけでよかろう。

 それらの態度振る舞いは実にわれわれの現在の目的にとって緊要なものであろう。一個人の生命ないし自由を奪うということになるのであったら、彼の行為を判断するに当たって、普遍的な適用性のある基準をもってすべきであることは確かに当然なことである。



 中国のボイコットが本問題とどのような関係をもつかは、本件の中国段階を論ずるときに考慮しよう。日本がこれに関連してとった行動が侵略行為であったか否かを決定せよと求められたとき、われわれ判事がこのボイコット運動を全く無視することは不可能であろう。

 これに関連して考慮すべき困難な問題が今一つある。国際生活において普く行なわれている強権政治制度を看過してはならない。自衛ないし自己防御が、右の制度内における国家の地位の維持を包含するかどうかという点は適切な問題である。本審理における被告らは、その太平洋における行動に関してもまた、それがかような防御的性格を有したものであると主張している。

 本官の意見では、パリー条約は、自衛の条件の判断を当事国各自に任せた。ゆえに何か充分な客観的状態が存在するものと「善意ヲモッテ(「善意ヲモッテ」に小さい丸で傍点あり)」確信していたという事実が立証されなければならないという点だけを強く主張する。

 何が充分な客観的状態となり得るかを正しく判断するには、国際協同体そのものの態度に徴さなければならない。

 後に述べるところによって明らかになるように、列強はその態度行動を、『一国がその領土内において外国人の生命、財産を安定した状態のもとに置くことが長期にわたって出来ない事情は、それによって被害国である隣国をして、同国内に侵入し、その地を占領しようとする試みを起こさせるものであり、かつそれを正当化するものである。』という立脚点に基づいて決定したものであるらしい。リットン報告書は、隣接国でない国でもかような行動をとることを正当視しているようである。国際社会を構成する一国が、自己のものと見なす領土内で発生した諸事件について、国際法によりすでに確立を見たものだと信ぜられている一定の行動の基準をあくまで顧みない場合には、国際社会は、同国は決定的に不法行為を犯したものと見なすことになっている。かような不法行為があった場合には『かような不法行為国は、他国による自国の占領または自国を他国の保護監督下におこうとする外部からの試みを自ら招くものと見なすべきである。』と言われている。『右のような冷厳な二者択一は、あるいは利己的な目的のためかもしれないが、無能な国家の不遵守につけ込む諸国家の側の不法行為を必ずしも意味するものではない。それは一国の領土保全を尊重するということは、その国の主権者に対して、その領土内において国際法の要求するところのすべてに応じ得る最高の支配権を確立することを常に要求するものである、という事実を強調するにすぎない。』本官は、この征服を正当視する論を支持するものではない。ただ、これは単なる理論ではなく、少なくとも西半球以外の地域においては行動の原則であったということを指摘しているのである。

 これに関連してなお考察すべき問題がもう一つある。――すなわち中立に関する問題並びに中立国の権利及び義務の範囲に関する問題である。起訴状の訴因には種々の時期における、かつ種々の国々に対する日本の行動に関して、侵略戦争の計画、開始及び遂行が個個に訴追されている事実から見るとき、本問題はここで非常に重要な意味をもつものである。たとえば日本が中国に対しパリー条約に違反する戦争を開始した後において、他の諸国が日本に対してどのような態度に出たかは、その後日本がこれら諸国に対してとった行動の性格を決定する上に考慮すべきことである。従って次の諸点を探究することが必要であろう。すなわち、

 (1)中国事変後においてもこれら諸国は中立維持の義務を負っていたものであるか。

 (2)交戦中の日本の行動に関する敵意ある批判――もしそういうものがあったとすれば――をも含むこれら諸国の態度は、果たして中立国の権利内であって、かつ中立国の義務と相容れるものであったか。

 (3)もしそうでなかったとすれば、かような国家に対する日本の行動はかような外国の態度から見て正当づけられ得るものであったか。

 他のことはさておき、中立国に、交戦国の行動に関して敵意ある論評をする権利が、果たしてどの程度まで有るかという問題は、次のこと、すなわち今日では新聞の効果と、それに加えてラジオが話された言葉を一瞬にして世界の隅々にまで伝え得る事実を念頭に置いてみれば、確かにゆゆしい問題である。一国家の放送の効力は、それだけでも交戦国に対して、どんな軍団の壊滅にも優る被害を加え得るものである。従ってもし交戦国が、ある中立維持の義務を負う国家の放送ないし新聞による発言を、自己に対してはなはだ不利益なものと感じた場合には、その交戦国は、かような発言の中止を要求するか、もしくはその国と戦う権利があものと見ることができる。

 1928年6月23日にケロッグが列国に発した説明書中に、フランスが条約に加盟した場合には、同国によって中立を保障されている諸国に対する同国の義務の履行を妨げることになるというフランスの懸念に対して、ケロッグは同意しないことを声明した。この説明書によれば、この条約の結果として、中立が無効になるものではないというのであった。

 『パリー条約以来、随時アメリカ合衆国において制定された中立法規は、米国議会並びに大統領が、たとい合衆国がブリアン・ケロッグ条約の締約国であっても、中立であり得ると信ずることを示すものと考えられる。米国の中立法規は、活発な意見の対立の結果出来たものである。一方においては、米国は新しい国際法と中立とは相容れないものであるとの観念に基づいて、侵略者に対する武器、軍需品及び軍事資材の輸出は禁止されるべきであるとの論理的結論に達しなければならないと主張された。1929年2月キャッパー上院議員は、大統領がケロッグ条約の侵害国と宣した国家に対しては、武器、軍需品の輸出を禁止せよという決議案を提出した。この決議案は否決された。』これは前に言及した1938年のアムステルダム会議に提出されたショーナー博士の報告から抜粋した引用である。これは目下提起されている問題に対して、相当な光明を投げるものである。付随的なことであるが、少なくともこの強国(米国)は、本条約違反の戦争を不法とは考えてはいなかったことを示すようである。もし他の見解をとったとすれば、かような強国が、不法行為の行なわれることを公然と援助するほどその国際的行動において無法であったとしか取れないことになる。武器売却の利潤の考慮だけが、かような大国にかような行動をとらせたとは考えられないことである。

 多数の著名な著者もまた、伝統的な中立法は、この条約の結果としてなんら効力を損なわれたものではないとの見解をとっている。

 T・D・ムーア判事は、1933年の著述において以下ように(←正誤表によると「以下ように」は誤りで「以下のように」が正しい)述べている。すなわち『永年国際法の学徒また執行官として、本官は、中立が過去の遺物と化したという推定は理論として不健全なものであり、事実として虚偽であると躊躇なく言明するものである。今日世界のいずれの政府も、各国政府はむしろその反対の推定に基づいて行動し、かように行動することによって、現実の実情を認めているにすぎないのである。』と。

 1933年2月27日、英国下院においてジョン・サイモン卿は、中華民国及び日本に対する武器積出禁止の問題を論じた際、英国は『中立国』であると言い、それゆえ日華双方に対し禁輸を適用する必要があると説いた。

 もちろん中立法は、一国の政府が適当と認めた場合、その参戦を妨げるものではない。『単に中立法は、中立を仮装しながら戦争行為をなすことを禁止することによって、国際関係における公明と礼譲とを守ることを要求するにすぎない。』国際法の基本的原則によれば、もし一国が武力紛争の一方の当事国に対する武器、軍需品の積出しを禁止し、他の当事国に積出しを許容するとすれば、その国は必然的に宣戦の有無にかかわらず、戦争の当事国となるのである。

 かくして日華交戦中、米国があらゆる手段を尽くして中国を援助した事実は、日本がその後とった対米行動の性格を決定する上に重要な考慮の点となるのである。検定側(←正誤表によると「検定側」は誤りで「検察側」が正しい)は、米国が『中国に対して、経済的にもまた軍事資材の形においても、非交戦国間にはかつて見られなかった規模において援助し、かつ米国市民若干の者は、日本の侵略に対し中国人とともに戦闘に参加した』ことを認めている。

 この点について、われわれはいわゆる中立国による一交戦国に対するボイコットあるいは経済制裁の意義を考慮しなければならないかもしれない。



 本官は別の個所において、国際関係におけるボイコットの合法性、非合法性の問題について論じた。国際生活においてこれ(ボイコット)とまったく似かよった事態が生ずるのは、刑罰を加えるために取り出された一国に対して、二国以上の国家が相提携して一切の商業的交通を断つ場合である。二国以上が提携または結合すること自体が、ある一つの国が合法的にとり得る行動を化して不正、陰険な性格を帯びる行為となし、かつこれに対して、排斥された方の国が正当に苦情を言い得るものとなすことが考えられよう。

 チャールス・チェニー・ハイド及びルイス・B・ウェーレは下記のように評している。すなわち『ある特定国に対して制限または懲罰を加える権利を、ある国家群が、その群に属する個々の国に比して、より広汎に享有するかどうかはきわめて疑わしい。《もちろんその特定国が、当事国となっている一般的取極めの結果として、そうなった場合は別であるとしてである。》目的を達成する単なる威力は、そうする特別の合法的権利を示すものではない。それにもかかわらず、合同干渉の若干の事例が成功したということそのことから、ややもすれば、かような国家群にとって好ましくない行動に出た国に対して加えられた圧力は、この国に対して単に諸国の一致した力が結集されたという事実から正当性を取得するに至るという観念を助長する傾きがある。国際社会の一員の行動を牽制するために国際ボイコットのような手段を適用する場合には、その措置の合理性あるいは正当性はその背後の力またはその成功に依存するものではなく、干渉を受けた国の行動の性格いかんという、まったく異なった考慮に依存するのである。

 ある特定国の国際的に非合法である行為の諸結果を諸国が切実に感じたときに、その特定国の行動を防ぐために、場合によっては集団的にでも諸国が干渉し、また干渉する権利を主張することは無理もないことである。その諸国の行動を正当化するのは、圧服された行為の本質的違法性である。他の手段よりも、ボイコットがたまたま干渉の具に供せられた場合、上記の原則は明白に適応し得る。しかしボイコットの有する強力な効果そのものからしても、これが正義の要求するところに発揮される代わりに、かような国家群の気ままに用いられたり、復讐の具に供せられたりすることがないように特に留意しなければならないのである。』

 この点に関しニ、三の抑制条件が提唱されている。すなわち

 1、国際ボイコットの形で現わされている企画または組織された干渉というものは、事実としてその存在を確認し得るはっきり定義された行為がなされたとき、その行為を防止し、またはそれに対する懲罰として行なう場合のほかは実施されるべきではない。

 2、右は、その行為の遂行者である国家に対して、公平な団体の面前において審理される機会を与えることなしに適用されるべきではない。

 3、右は、公益のために特定の偶発事件に際してこの武器を行使するという多国間の協定に参加した諸国の一員として、事前に承認している国家に対してのみこれを向けられるべきである。

 上のような提案の抑制条件について、チャールス・チェニー・ハイド氏並びにルイス・ウェーレ氏が提唱した説明を簡単に調べてみよう。すなわち、

 1、その禁圧された行為というものが明瞭な性質のものであることが最も重要である。その存在を決定する手段として、法律問題についての結論を求めるような複雑な内容をもったものであってはならない。それは単純な事実状態であり、容易にそれと見極めることができ、誤解の恐れのないものでなくてはならない。要求条件である不当行為を判定する諸標準の間に存する区別は、いわゆる侵略戦争と単なる敵対行為との相違にこれを窺うことができる。前者に対して懲罰を課することは、必然的に法律と関係のないわけでない複雑な状態の調査、並びに多くの場合疑いの余地が多分にある結論を引き出すことを必要とする。

 2、公平な団体の面前において審理される機会を与えられることは絶対必要な条件である。その理由は、国際社会の有する力とその健全性はもっぱら法律に対するその社会の尊重の度合いによるからである。一国家群の力そのものが、弁護の機会を与えないような即決手段によって一つの国家に向けられるときは、国際正義の根本はややもすると見失われ、かつそれに対する尊重の念もまったく失われてしまうものである。

 3、ボイコットは、特定の事情のもとにおいてこれを使用することをあらかじめ協定した国家に対してのみ、限定して使用されるべきであるという制限理由は明白であろう。

   ボイコットを行なう者は、みずからは平和を維持しつつ、なお協定に違反した交戦国を処罰し、同時に、一方に味方したゆえに中立の口実を放棄したものとして違反国に対する法的義務に違反する罪を課せられないような保証を必要とするからである。どこかの方面に戦争が勃発したとき、交戦国と平和状態を維持する意を表明する国に対しては、国際法は重い責任を賦課する。国際法は、かような国家が、一方に不利になるように他方の交戦国をあえて援助することを禁止する。国際法は戦争に参与しようと努力しながら、しかもなおかつその国と平和関係を維持しようとする努力ないし要望はこれを認めない。もしその国が好意を寄せる交戦国の援助者として参加するならば、国際法は、その国のとった右の行動は純然たる交戦国としてなすものであり、中立国としてではないと判決を下すのである。一言で言えば、平和状態にあると想像される国家の政府による参加というものは、予期されていないばかりでなく、また厳重に不法視されている。戦争開始にあたって、これらの条件は直ちに効力を発する。強調を要する点は、正当かつ理由の立つ戦争ちおう機会を最小限度にしようとして企図された、そしてかような条件を変更しようとする条項を含まない一般的取極めによって、これらの条件が改められるものでも、また軽くなるものでもないということである。(3はここまでである)

 単に多数国間の条約の条項に違反して戦争を開始したということは、それだけでは、平和を維持しようとする、同協定の他の参加国に対して、中立国として、普通一般の義務を尊重することを要求する権利を条約違反の交戦国から剥奪するには決して充分でない。従ってその参加国の二または三国が合同して、違反国に対しボイコットを適用した場合、かつたといその違反国の交戦行動の促進を防止することができたとしても、彼らはなおみずから非中立国的行動の科に問われることとなる。

 戦争を遂行している一国に対しボイコットをすることは、その紛争に直接介入することと同じである。これは、実際的にはあたかもそのボイコットを行なう国自身が交戦国であるのと同様な決定的結果を導入することがあり得るからである。これは中立の法則並びに国際法が今なお非交戦列強に賦課する根本義務を無視するものである。

 従って米国が日本に対してとった経済的措置並びにABCD包囲陣の事実は、日本がこれらの諸国に対してとったその後の行動の性質を決定する問題に重大な意義をもつものである。もちろん軍事的にせよ経済的にせよ、このような包囲陣の計画が実際存在したか否かは、本件に関して提出された証拠に基づいて決定されるべき事実の問題である。

 検察側は、対日経済封鎖は単に軍事的補給品の減少のみを目的としたものであると評している。弁護側によれば、『封鎖はあらゆる種類の民需品及び通商、さらに食糧にさえ影響を与えた』のである。弁護側はいわく、『これは圧倒的に優勢な軍艦をもって通商の出入りを禁じたような時代おくれな包囲陣以上のものであった。これは有力かつはなはだしく優勢な経済立国国家が、その存在並びに経済諸条件において世界との通商関係に依存しており、明らかに経済的に独立し得ない一島国に対して、とった行動であった。』この問題は後ほど真珠湾攻撃に関する段階を考慮する際、再び取り上げよう。

 本官はすでに、日本のある特定の行動が侵略的であったか否かを決定するには、われわれは日本に対する有害なプロパガンダ活動及びいわゆる経済制裁等を含む関係国のそれ以前の行動を考慮に入れなければならないということを示すために、充分に説述したと思う。



 この問題を離れるに先だち、本官は、パリー条約以後でさえ、国際社会では戦争一歩前のある種の強制手段は合法と認められていることを再び想い起こしてみたいと思う。われわれが本件において提出された証拠の取調べにあたって、もしこの事実を見逃すならば、それはわれわれの義務を怠ることになる。もし戦争開始の意図を明確に示す証拠が提出されたのであるならば、この点に関する困難は少しもないであろう。しかしながら、もし提出された証拠が、それ自体ではこの立証目的に不充分である場合、そして法廷が以前に生じた事件または協定の価値を判断するにあたって、これにその後に起こった戦争の兆候を示すものだという遡及的解釈を付するように要請される場合には、法廷は、かような以前においても、かような妥当な心理状態の可能性が存在したという事実を見落としてはならない。



 本件に関する起訴状は、次のようなものを不法な戦争としている。すなわち、

 1、ある国々の、並びに太平洋及び印度洋においての軍事的、政治的及び経済的支配を獲得することを目的とする戦争

 2、次の事項に違反する戦争

  (a)条約

  (b)協定

  (c)保証

  (d)国際法

 検察側の言い分は、条約、協定、保証ないし国際法に違反する戦争は不法なものであり、ゆえにかような戦争を計画ないし遂行したものは、それによって犯罪を犯したものであるというのである。

 条約、協定ないし保証に違反する戦争は、それ以上のことをなしたのでない限りは、単に契約違反を意味するにすぎないかもしれない。本官の意見では、かような違約はかんらの犯罪とはならないものである。条約、協定ないし保証は、戦争自体の法的性格を変更するものではない。

 問題となっている条約及び協定は、起訴状付属書Bに列挙されており、保証は付属書Cに挙げてある。

 付属書Bは次の条約及び協定を列挙している。

 1、国際紛争ノ平和的解決ノタメノ条約

   1899年7月29日海牙(ハーグ)ニオイテ調印

 2、国際紛争ノ平和的解決ノタメノ条約

   1907年10月18日海牙ニオイテ調印

 3、敵対行為ノ開始ニ関スル海牙条約第三号

   1907年10月18日海牙ニオイテ調印

 4、アメリカ合衆国及ビ日本国間ニオイテ通牒ノ交換ニヨリ締結サレタル協定

   1908年11月30日調印

 5、阿片及ビソノ麻薬濫用防圧ニ関スル条約及ビ最終議定書

   1912年1月23日及ビ1913年7月9日海牙ニオイテ調印

 6、同盟国並ビニ連合国トドイツ国トノ間ニ締結サレタル平和条約、通称「ベルサイユ」条約ト称スルモノ

   1919年6月28日「ベルサイユ」ニオイテ調印

 7、1920年12月17日寿府(ジュネーブ)ニオイテ締結サレタル「ベルサイユ」条約ニ基ヅク国際連盟ヨリノ委任統治条項

 8、1921年12月13日ノ全英連邦、フランス、日本及ビアメリカ合衆国間ノ太平洋方面ニオケルソノ島嶼タル属地及ビ島嶼タル領地ニ関スル条約

 9、全英連邦及ビ「所要ノ変更ヲ施シタル上(「所要ノ変更ヲ施シタル上」に小さい丸で傍点あり)」1921年12月13日ノ四国太平洋条約ノ署名国タル日本及ビ他ノ諸国ヨリオランダ国政府ニ対シ発シタル1922年2月4日付同文通牒

   全英連邦及ビ「所要ノ変更ヲ施シタル上(「所要ノ変更ヲ施シタル上」に小さい丸で傍点あり)」1921年12月13日ノ四国太平洋条約ノ署名国タル日本及ビ他ノ諸国ヨリポルトガル政府ニ対シ発シタル1922年2月6日付同文通牒

 10、ワシントンニオイテ1922年2月6日締結調印セラレタル九国条約

 11、1922年2月11日ワシントンニオイテ調印セラレタルアメリカ合衆国日本間ノ条約

 12、1925年2月19日寿府ニオイテ調印セラレタル国際連盟第二回阿片会議条約

 13、1928年8月27日ノ「ケロッグ・ブリアン」条約

 14、麻薬ニ関スル条約

    1931年7月13日寿府ニオイテ調印

 15、友好関係ノ存続ソノ他ニ関スル日本国タイ国間条約

    1940年6月12日東京ニオイテ調印

 16、陸戦ニオケル中立国ノ権利及ビ義務ソノ他ニ関スル条約

    1907年10月18日海牙ニオイテ調印

 17、ロシア国及ビ日本国間ニ「ポーツマス」ニオイテ1905年9月5日調印セラレタル条約

 18、日本国及ビ「ソヴィエット」社会主義共和国連邦間ノ関係ヲ律スル基本的法則ニ関スル条約

 19、「ソヴィエット」社会主義共和国連邦及ビ日本間ノ中立条約

    1941年4月13日「モスコウ」ニオイテ調印

 これら条約及び協定中、1及び2、すなわち国際紛争ノ平和的解決ノタメノ1899年及ビ1907年ノ海牙条約、3《敵対行為ノ開始ニ関スル海牙条約第三号》、並びに13《1928年ノ「ケロッグ・ブリアン」条約》だけが戦争の合法性ないし非合法的性格の問題となんらかの直接的関係を有するように見える。1、2、及び13に関しては、すでにその及ぼす結果を詳細にわたって考察した。ヘーグ条約第三号については、やがて検討することにする。

 それ以外の条約及び協定中、4、8、9、10、11、15、17、18、及び19は、当事者間の一定の権利及び義務を生じさせる双務的協定である。それらはその条項によっては戦争を禁止しなかった。起訴状がかような条約及び協定に「違反する戦争」といっているときは、次の二つのうちのどちらかを念頭においているようである。

 1、かような条約及び協定によって規定された法的関係に対し、有害な影響を及ぼすような効果を有する戦争。

 2、上述のようにして規定された法的関係の中止を招来すべき方法として企図された戦争。

 本官の判断によれば、戦争というものは、かような双務的条約及び協定の規定した法的関係から生ずる権利及び義務の違反を伴うものであるとの理由だけでは、その他の面において犯罪的でない以上、これを犯罪であるとはなし難いと思う。かような条約及び協定の違反というものは、戦争により惹き起こされたのではあるが、相手方に対して、たとい戦争に訴えてでもこれに抗議し、反抗し、かつその権利を維持する権限を付与するに止まる。いずれにしても、かかる違約を伴う戦争は、国際法上なんら個人的な責任ないし犯罪の問題を惹き起こすものではない。

 しかしながら上述の第2は、本審理における共同謀議の訴追に対して、重要な意義を持っている。この訴追を考察するときにそれを取り上げよう。

 第6はヴェルサイユ条約であり、第7は同条約に関するものである。本条約中関連のある規定は、すでに本論の前の部分において相当詳細にわたって考察された。第16項は中立の問題に関するものである。本官はすでにわれわれの目前の問題に対する中立の意義並びにその権利及び義務に関して考察した。

 第5、12及び14は阿片並びにその他の麻薬の使用に関する条約及び協定に言及している。本官の見るところでは、これらの条約は現在審理中の問題となんらの関係もない。問題となっている戦争のいずれかがこれらの条約のいずれかに違反することをその目的としていたという証拠は全然提出されていない。もし戦争中に占領地域においてかような条約の違反があったならば、かような違反は「厳格な意味における(「厳格な意味における」に小さい丸で傍点あり)」戦争犯罪となるであろう。しかしながら、どうしてかような事実が戦争の性格それ自体に影響を及ぼすに至るか本官は諒解に苦しむものである。

 後に折を見て再びこれら条約協定及び保証のあるものを論ずることとしよう。

メールを送る


Copyright (C)masaki nakamura All Rights Reserved.