「浩人くん、海行こうよ海」
「え、昨日も行ったじゃない」
「でも行きたいの! ね、いいでしょ?」
「ん、まぁいいけどさ」
「それじゃ出発ー」


[ title : no subject ]



あの日。レゥちゃんが『俺のいる場所』で俺の名前を呼んでからすぐに、彼女は目を醒ました。
それからの回復は驚くほど速く、何と次の日にはもう普通に歩いたり出来るようになっていた。
それから1週間。
動けるようになってからというもの、レゥちゃんは毎日学校帰りの俺をどこそこに行こうと誘ってくる。
俺が学校にいる間は玉村先生や穂乃香さんがその役目を負わされているようで。
「どうせほとんど暇ですからいいんですよ」と言った穂乃香さんの笑顔には、それ以上の喜びが含まれているようにも思えた。
実に久しぶりに草津さんの家にお風呂を借りに行ったときは、彼女は涙を流して再会を喜んでいたし、
いつの間にか篠片さんにも連絡が入っていたらしく、来月の頭には子どもと一緒に遊びに来るということだ。

そして今日も俺たちは海に来ている。
5月中旬の海はまだ水温が冷たいだろうに、レゥちゃんはものともせず水辺で遊んでいる。
例の廃船はいまだ沖合いにあって、始まりから終わりまでを見届けようとしているようでもあり…

「えいっ」
と、沖合いを眺めているところに水が飛んできた。完全に不意打ちだ。
「うわっ冷たっ! こらー」
「あははっ こっこまでおいでーっと… あれ?」
「ん?どうしたの?」
レゥちゃんはじーっと不思議そうに俺を見ている。 …正確には俺のほんの少し後ろを。
すると不意にがしっと肩をつかまれた。
「うおっ?!」
「よう、久しぶりだな、浩人」
「きょ、恭平さん?!」
1年前とほとんど変わらず、スーツにサングラス、という出で立ち。
でも、初めて会った時よりはどことなく柔らかい感じがした。
「しかし何でここに…? また何か事件でもあったんですか?」
「あんな事件は今までに1度しか起こってないさ。あんなのがほいほい起きてたらそれこそ俺たちの身体が持たない」
「まぁ、そうですよね」
「ここに来たのはな、ほら、これだ」
そう言って俺にフルーツがたっぷりと入った大きいカゴを手渡してきた。
「何ですか?これは」
「快気祝い。レゥのな」
「あぁ、ありがとうございます」
フルーツの中にはしっかりとオレンジも入っていて、これを絞ったらレゥちゃんが喜ぶだろうな、何て考えていたけれど、ふとある疑問が浮かんだ。
「でも俺、レゥちゃんが元気に動けるようになったなんて連絡してませんよね」
「あぁ、受けてない。それに新方式ではここには電波も届かないからな。レゥが止まってるか動いてるかなんて分からん」
「じゃあ何で?」
そう聞くと、恭平さんは何かを思い出したのか、くくくと含み笑いをしている。
「なんです?」
「あぁ、悪い悪い。 どうしてレゥが元気になったのが分かったのか?だったよな」
「はい」
それはな、と言いながらまたも何故かにやにやとしている。
「虫の知らせ、ってやつかな」
「虫の知らせ?」

「ねぇねぇ、2人でお話してないでさ、海に入って遊ぼうよ」
2人で話していたところに、レゥちゃんが砂浜から声をかけてきた。
「俺はスーツだぞ? 海に入ったら折角のお気に入りが汚れちまう」
「お気に入りだったんですか…」
まぁ確かに1年前は毎日のように着ていたけれど。
「それよりもレゥ、フルーツ食べるか?お前が元気になったお祝いで持ってきたんだが」
「え、フルーツ?うん、食べる!」
そう言って砂浜からこっちへ向かってくる。
「あれ?でも何でそのこと知ってるわけ?」
「俺もそのことを聞いていたところだったんだ」
どこにあったのか、果物ナイフを取り出してリンゴの皮むきを始める恭平さん。
「上手ですね」
「ん?あぁ… こう見えても家事一般のスキルは習得しているからな、よっと。 ほらよ」
「どうも」
「うさぎだ。かわいいね」
何と皮を器用に残してうさぎのようにしてある。いやしかしこれは… 全然似合わない。

「で、虫の知らせって言うのは?」
「これさ」
言いながら黒いノートパソコンを取り出す。
「俺のプライベート用のパソコンなんだが、これに1週間前にメールが届いてな」
「メール、ですか」
「あぁ、しかも、差出人が誰だと思う?」
「さっぱり見当もつきません」
「あれだよ」
そう言って、恭平さんは自分の真上、空を指差した。
「空から?」
「空より上だ」
「宇宙ですか?」
聞き返すと、恭平さんは肩をすくめたようにして、
「相変わらず勘が鈍いな… それとも忘れちまったのか?」
「え? う… あ!」
「やっと気がついたか」
「まさか、ラヴィータですか?人工衛星の」
「あぁ」
「でも、確かあのシステムは…」
そう。確かに1年前のあの時に、人工衛星によるレプリス管理システムは機能を停止した。
レゥちゃんの『お兄ちゃん』である、『恭介』さんと一緒に。
「確かにシステム、ラヴィータ共に今も沈黙を保っている。でも確かにメールの送り主はあれだ。それにな」
そう言ってまたも恭平さんはおかしそうに笑いをかみ殺している。
「内容がな、文字化けしていたんだ」
「文字化け…?」
文字化けしていて中身が分からないのに、何故レゥちゃんが元気になったと分かるのだろう…?
俺はますます訳が分からなくなってきた。

俺は相当疑問な顔をしていたらしく、恭平さんがそれの説明をし始めた。
「昔にな、俺が… いや、ボスが恭介にメールを送ったときがあってな。その時に送ったメールも文字化けしていたんだ。
 だから、文字化けメール、と聞くとついアイツを思い出してしまうわけだ。 
 それで、このメールを受け取った事をボスに話したら、実に久しぶりに休みをもらえてな。
 お前とレゥの様子を見て来いと。それと、念のためフルーツ盛り合わせも持っていけとも言われたんだがな」
それに、そんな用事でもなけりゃ俺は休む必要もないんだが。とも付け加えていた。

「若い恭平さん。おじいちゃんの恭平さんは元気?」
「あぁ、今もバリバリ仕事してるはずさ」
渡良瀬さんは、レゥちゃん関係の仕事が終わった今でも、世界のレプリスのためにいろいろ手を尽くしているという事だ。
「本当は、そろそろご隠居願いたい、とも思うんだがな…。 仕事以外する事がない、とか言って一向に拒否してるのさ」
そういうところは1年前、握手をして分かれたときから全く変わっていないようだ。
渡良瀬さんは渡良瀬さんで、新しい生きる目標を見つけたのかも知れない、と思った。

「つまり、だ」
未だ頭の上に疑問符が乗っかっている俺に向かって、恭平さんが言う。
「何だかんだ言っても、『恭介』も心配だった、ってことさ。もちろん、俺もボスもな」
「心配されなくても、俺はちゃんとレゥちゃんの面倒見てますから」
「それは分かってる。今のレゥを見ればな。これはな、俺たちが勝手に心配してるだけさ。別にお前がどうこうって訳じゃない」
「そうですか」
「そうさ。人の好意は素直に受け取っとくもんだぜ。」
「分かってます」
「それに…」
さらに加える。
「好意に好意を返すのは当たり前、ってな」
そう言って恭平さんはすっと立ち上がった。
「さて、お前らが元気にやってるのも分かったし、俺はそろそろ帰るかな」
「え、もう帰るんですか?」
「あぁ。 なんだ、泊めてってくれるのか?」
「え、そ、それは…」
「俺がいるといろいろと邪魔だろう?」
何て言いながら、くくっと笑いをこらえている。
「おやすみのキスとか、ひざまくらとか、な」
「そ、そんなことしてませんって!!」
「えぇー 浩人くん、嘘ついちゃダメだよ」
なんてレゥちゃんが言うものだからますます恭平さんに笑われる始末。

「あっはっは… あんまりべったりしすぎるのも感心しないぞ?」
「…大きなお世話です」
顔から火が出ている、という状態はきっと今の俺のようなことを言うに違いない。
自分でも真っ赤になっているのがありありと分かる。

「それじゃあな。」
「えぇ、恭平さんもお元気で」
「若い恭平さん、またね」
「あぁ、浩人の面倒しっかり見てやれよ」
「まっかせといて!」
そうして車に乗ろうとしかけて、あぁ、と何か思い出したようにこちらへ向き直った。
「そうそう、ボスが現役を引退したらここに住むかも知れん」
「えっ?!」
「海が見えるところで少し暮らしていたら、何だか気に入ったらしい。ま、現役を退いたら、の話だがな」
「その時は歓迎しますよ、ここの住人として」
「ありがとうよ」
車を出す直前に、「システムクラッシュから見事に立ち直った奇跡の例として、レゥを検査してみたいもんだ」などと皮肉たっぷりに
語っている彼を見て、全然変わってないな… と思ったりした。

走り去る車が完全に消えるのを待って、それから伸びをする。
と、後ろからレゥちゃんが抱き付いてきた。 …まぁ、こういうのもよくある事なんだけれど。
「浩人くん。今日の晩御飯は何がいい?」
「え、うーんと… レゥちゃんの好きなもので」
「じゃあ久々にカレーにしよう!」

結局、去年の5月から感じた事は、「人は一人では生きていけない」ということ。
そして、2人だけでも生きてはいけないのだ。俺たちは周りのいろいろな人に支えられているからこそ、生きていける。
そのことを、この1年で俺は学んだ。
俺の物語と、レゥちゃんの物語のあった1年。
そして、俺と彼女、2人の物語は、これから始まるんだ。