HP開設に当たって
いやはやなんともまた今更感の強い思いで
こうやって文章を作ってはいますが・・・(汗
初めてパソコンというものに触れて
”インターネット”なるものが普及して
大学で実際に授業の一環でホームページみたいなものを作ってから
まさかこんなに時がたってから作ろうと思うようになるとは
いやマジで思わなかったよ
なんでまた急にと思うのも当然です。
最初に作ろうと本気で思ったのは・・・
転勤で名古屋に向かう時でした。
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いや、一体何年経つんだと言うツッコミが雨あられのように来ようとも
えぇ、そうですとも。
地元から離れることで連絡とか消息、近況などが分かればいいな。
程度の思いで考えたことだし
実際に離れてみるともう既にみんなHP持ってたり
メールアドレスもあるし
なーーんだ、必要ないじゃん♪
とか思いながら過ごした名古屋での転勤生活もいつの間にか5年が過ぎ
毎日なぁなぁな生活が続いていたわけですよ。
そんな折に厚木への転勤話が上がり再び私のHP作成意欲が盛り上がったんですよ!!
名古屋での知り合いも出来て
なかなか会えなくなるだろうし
近況報告が出来るような適当なスペースはないだろうか?!
。。。
これはもうHP作るしかないだろうと!!
5月にね。
既に旬は過ぎた感がありまくりですが
これからも温かく見守ってもらえればと思います。
というような文章をメモ帳に残したのが確か
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夏の頃だったのかな(汗
気づけば既に辺りは紅葉もそこそこに既に散り始め
各地で冬の足音が聞こえようかという
11月になっていました。
その間に何をしていたかっていうと
ほんと、色々ありましたよ。
いろいろ。。。
あ、いや。。。
一番おっきな事はひとつなんですが。。。
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彼女と離れることになった
長く付き合ってお互いのことを分かっているつもりだったんだけど
うん、まぁ色々と考え方の相違やらあって
離れることになった訳です。
私の方としては
「あまりに突然」
相手としては
「以前から考えていた」
はい、そうですね。
既にお互いの考え方に違いが感じられる
まさにそのとおりです。
。・゚・(ノд`)・゚・。 ウワァァァァァァァァン
ってな訳で
すごく時間があまって暇でしょうがない
自分自身ってどんな奴なんだろう?
とか
寂しくてしょうがないから愚痴を聞いてほしい
近況報告なんかも出来たら良いな
とか
色々と考えてこのホームページを作っていこうと思った次第です。
改めてよろしくお願いします。
スティールボールラン(1月19日)
来た!
ついにやってきた!!
キタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━ !!!
2004年4月に時が加速して以来、待ちに待ったこの日がやってきた!
数々の名(迷)作を世に送り出してきた
荒木飛呂彦画伯のジョジョの奇妙な冒険終了後の新連載ィィィィイ!!
ドッギャァアーン!!!!
その名も「スティールボールラン(以下SBR)」
いまや確実にネタ倉庫として最高傑作として名高い「ジョジョ」の第6部が完結して
既に9ヶ月。。。
その間に新作に関する噂が幾度となくネット上を騒がし
様々な憶測が飛びかう中、今日発売のジャンプにて連載が開始されたのだ!
2003年末に連載予告の広告が出て以来、
待っていたジョジョラーは多くの予測をしていたが
一番肝心なことはわかっていなかった。
その一番とは
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果たしてこれはジョジョなのか?!
第6部で時が加速してループしてしまった以上
その後繋げることは困難だろうと予測していた。
それが今号で答えは現れたぁ!
今回の舞台のスタートとなる年代は19世紀末の1890年、
サンディエゴからニューヨークまでの北米大陸横断レースである。
そしてその賞金は5千万ドル!
そのレースの協賛スポンサーの名前の中で驚くべき名前を見つけた。
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”スピードワゴン石油会社”
そう我々はこの名前をよく知っている!!
それだけではない。
このレースの主催者であるスティール氏が新聞記者からの質問で
「優勝候補者の名前を聞かせてください!」
に対して
驚くべき名前がそこにあることを眼にすることになる!
「アラブ諸国のエジプトからウルムド・アブドゥル」
これだけなら何らかの先祖やたまたまエジプトにはそういう苗字が多いのかもしれない。
まだまだ油断はできない。
しかしその次の次のコマでは。。。
イギリス下層階級の出身だが名門貴族に育てられ
競馬界で認められた天才ジョッキー
”ディエゴ・ブランドー”
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"通称ディオ"
キ・キ・キ・キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!
いやもうね、鳥肌もんですよ。
しかしあえて言おう
”とうとう出会えたな”
それだけではない。
その直後に一人の男性がこのレースに参加するべく
受付を行い、そのレースの誓約書に名前を記す。
そう、、、
「ジャイロ・ツェペリ」と。。。
当然この苗字にも見覚えがある。
そして物語の冒頭でも気になる人物が登場する。
いきなり集団のネイティブアメリカンに追われるこの人物「砂男(サンドマン)」。
そして追い詰められた時に
わざと馬の下に滑り込みわざと馬に蹴り上げられることによって
岩山の上へ飛び移り、集団から逃げることに成功する。
この的確な判断力、この死地にこそ生を見出す精神力。
そして自分が一度決めたらけして曲げることのない信念。
この男に私はある人物の面影を見出すことができた
この号では「砂男」と呼ばれてはいるが姉にすら本名で呼ばれていない。
もしやこの人物が・・・
しかしここまで来てもジョジョという単語は一つも出てこない。
何よりもその年代に注目。
ジョナサンジョースターが人間を辞めたディオ・ブランドーとの死闘の末
エリナとの新婚旅行の途中船が沈んだのは1889年2月7日のこと。
そしてSBRのレース開始は1890年9月25日。
その差わずか1年半。
さらに第2部のジョセフ・ジョースター登場では
1938年!ニューヨークと出ている。
ジョジョ年表に書き加えるならSBRは第1部と第2部の間の物語ということになる!
それにあわせスピードワゴンは少なくとも
1年半の間に油田を見つけSBRに協賛できるほどの大財閥を築いたことになる。
すげー豪運としか言いようがない(笑
もっとも生き残っている自体が運だとも言えなくないが(笑
さて、そうなってくると実際の登場人物とその関係を考えてみると。。。
・ スピードワゴン
きっと豪運によって油田を見つけたくらいだから
本人の可能性あり?
・アヴドゥル
まぁ、年代も違うし本人じゃないでしょ。
ただ代々占いをやってきたと言う以上ひょっとすると得意な能力(=スタンド?)を
持っている可能性もある?
・ ジャイロ・ツェペリ
さぁ、きた!
なぞの一族の登場です(笑
生涯孤独の身であったウィルAツェペリの息子、
シーザーが突然出てきたりするくらいだから驚きませんが。。。
年代を考えると兄弟とか、親戚?はたまた石仮面の犠牲となった父親の
縁者ということになるんだろうか?
・ ディエゴ・ブランドー
さて注目のこの人物。
その生い立ちからすると
イギリス下層階級出身(貧民街?)、名門貴族に育てられた(ジョースター家?)
紛れもなく"彼"ではないのだろうか?
しかしこの時点で既に「人間をやめている」以上
どうなんだろう?
だいいちディオの棺桶が見つかったのは100年後(第3部)のこと
なので本人ではないかと思われる。
となると兄弟の線もあるが父ダリオ・ブランドーの死際の言葉に
「死んだ後の気がかりはひとり息子のお前だけだ」とある。
となると荒木マジックにかからない限り、その父親の血縁者ということになるのか?
しかし、ここで大事なことに気付いた。
「ストーンオーシャン」で最後、プッチ神父のスタンド「メイドインヘブン」により
時が加速して別の宇宙が誕生しパラレルワールドとなった。
それを表すかのように最後に
アイリンと名前を紹介する徐倫に似た人物、
つまりこれと同じ事を考えてみると。。。
ババァーン!!
SBRはジョジョのパラレルワールド!?
神父の能力によって新たに作り出された新しい歴史の物語ということなのかあぁっ!
なのでこの世界ではディオは人間をやめておらずまっとうに騎手として育った!!
という事は出てくるのかな?今までの登場人物に"よく似た名前を持つ"人物が。
さぁ、まだまだ始まったばかりです。
今後の展開に期待しましょう!
P.S. ここまで書いておきながら読み直してみたらあとがきにこう書いているではないか
荒木飛呂彦
「ジョジョの奇妙な冒険P(パラレル)ワールドに突入した。
そしてジョジョでなくなったっていうことでSBR」
あら、本人がそう言ってんじゃん(笑
「ことば」
ことばというものはつくづく難しいものである。
それでいてひどく朧気で曖昧なくせに使い方によっては非常に危険なものでもある。
特に文章として一つの中で自己完結してしまっている場合は
そんなに気にならないとしても文章のように不特定多数の人間、
会話のように特定の相手に対しての「ことば」というものこそ真に恐ろしい。
その場合、「ことば」自身が問題であることよりも
「ことば」を使った言い回しが重要である場合がある。
特に会話(対話)といった場合には「ことば」を発する人間だけでなく
「ことば」を受ける人間がいることも考えつつ
ことばを構築していかなければいけないのだから当然といえば当然といえよう。
伝えたい「ことば」というものの本質は1つだったとしても
「ことば」を発する人間の意志とその言い回しによって
受け手は複数の「ことば」の"意味"を受けとることが出来る。
また、発している「ことば」が同じであったとしても
その状況、話し手、受け手の心情によっても
そこにはまったく同じ意味での「ことば」は存在しない。
人が生きていく上で他人との「ことば」=会話(対話)は絶対に必要不可欠なもので
これ無しにはきっと生きていくことは難しいでしょう。
私自身、どちらかというと「ことば」を使うという意味では苦手かもしれません。
頭の回転が遅いのか、色々と考えすぎて
上手くタイミングよく「ことば」を出すことができないんですよ。
こう言ったら、相手はこう思うんじゃないか?
いろいろと考えているうちにその話題から次の話題に行っちゃったりして。。。
他にも何か上手い言い回しなど無いかな?
と思いながら「ことば」が口からこぼれると頭ではまとまっていないままなので
シドロモドロになって訳分からなくなり、さらに頭に血が上り
なんとかフォローしなきゃっ!!
思いながらさらにことばを垂れ流してしまいパニックになってしまう。
そんな状況の時に限って「プッツン」と切れて暴走してしまい
訳分からないことを口走ってしまう。
そしてそんな自分が嫌になってしまうわけですよ。
だから私は「ことば」を選ぶ時にはとてもシンプルに話をしようと思っているんです。
なので口下手というのは本当ですよ。
でも、そういうと「いつもよく喋ってるじゃん?」と言われてしまいがちなんですが
そこはそれ、近くに人がいると沈黙=間が怖いんです。
自分自身に自信が無いのか、なんだか分からないんですが
とにかくそばに人がいて沈黙になる時間があると
不必要にいろいろなことを考えてしまうんですよね。
「この人、今何考えているんだろう?」と相手が考えているんじゃないかと考えてみたり、、、
かといって、自分から話を始めて見当違いな事を話はじめて
「この人、何言ってんの?」みたいになるのも怖いんです。
だけど、怖いからといって何も話さなければ相手には何も伝わらないし
相手の事もわかりません。
私は「ことば」を発することは苦手かもしれないけど
人と関わりあうことは好きなんです。
これはみんな同じかもしれないけども
人に関わりあうことだけはやめられないんですよ。
だから、口下手なんだけどつい「ことば」を出してしまうんですよね。
よく恋愛をしている時に
「相手の考えていることは分かる」
とか
「相思相愛だから改めて好きと言わなくても分かってくれる」
とか言いますが、私はそれは嫌いです。
言わなくては正確な「ことば」は絶対に伝わらないし気持ちだって伝わらない。
何故ならそれは「相手はきっとこう思っているに違いない」という思い込みと
相手の思っていることが偶然同じだったと言うだけに過ぎないから。
こんな事言ってると「鈍いなぁ」とか「女心わかってないなぁ」とか
言われるかもしれないけど、
わかんないよ?!だって相手は俺じゃないし、俺は相手でもない。
俺が考えるように相手が考えるとは限らないし、その逆もまた真なり。
それを解決して分かり合うためには間違いなく「ことば」が必要なんです。
お互いに分かった気になっているカップルよりも
チョコチョコ喧嘩していても
しっかりと「ことば」を口に出して話している方が絶対にいいと思う。
それこそ伴侶と言う意味も成り立つんじゃないのかな?
「一緒にいるだけでいい。」
そんなものはきっと恋愛じゃなくて恋愛のようなものじゃないのかな。
そんな口下手、怖がりな私ですが
どうも言い回しというものはさらに(!)苦手と言うよりダメダメっぽいです。
理系的発想の思考と言いますかなんちゅうか。。。
曖昧な物言いというよりかはズバリ真実=物事の中心になることを
ダイレクトに伝えてしまう傾向があるみたいです。
その為、場合によっては良いところをズバッと言うなぁと感心されたり
あまりにも核心的なことを言い過ぎて
「ことば」がやさしくない!もっとオブラートに包んだようにやさしく言ってよ。
と泣きながら逆ギレされたり。
実際、今までもなんとなく曖昧に「ことば」を出して伝えようとしたけども
上手く表現できずに
「なんだか分からないからはっきり言えよ!」と言われることがよくあって
ストレートな物言いが身についてしまったのかもしれないです。
しかし、どうもいまだ目上の人や初見の人と話をする時は
オドオドとはっきり言えない自分がいたりしますが。。。
相手と「ことば」を交わすと言うことは
相手をよく知るということになると思うんですよ。
そうする為には、
まず自分が持っているものを全て相手に出す必要があると思うんです。
(もっとも不必要なものまでダダもれにする必要は無いですがね)
だって腹に黒いものを持っていたり2枚舌のような人って信頼できますか?
出来ないっしょ?!
「ことば」を交わす=会話をすると言うことは
相手に対して真実、誠意を伝える。
と言うことだと思うんです。
なので仕事上で取引先なんかと話をする時に
「営業センス無いなぁ」とか「ばか正直に何でも言うことはない」とか
上司や同僚に言われてしまう時が良くあるんですよ。
でもね、歪曲した表現で遠まわしに伝えることが「営業センス」と言うなら
そんなもんはいらないし、逆に私はそういうのは嫌だと思うんですよ。
ただ、上手く言う人はホント上手く言いますよね。
完全にきっぱりといらないと言うのではなく
私自身、
そういう上手な言い回しの出来る人というのは見習わなけりゃいけないなと思います。
しかし、相手に対して誠意を見せると言うのが必要な時、
必要な「ことば」はまず真実、正直であること、
なんじゃないのかなと言うのが私の考えです。
そんな時に
「謝るにしても謝り方がある、なんでもばか正直に言えばいいってもんじゃない!」
とか言われたらカチンときませんか?
確かにそういう場合もありますが、
時と場合によるんじゃないの?!
まず自分の持っている情報を正確に相手に伝え
、その上で今後のことを相手と話し合っていくことが
互いに信頼を得ることに繋がるんじゃないかと思うんです。
ちょっと仕事であったので愚痴っぽくなりましたが。。。(^^;
まぁ、こうやってWebを使って「ことば」を外へ出している以上、
自分の「ことば」には責任を持たねばならないし
、ひょっとしたら傷ついたりしている人がいるかもしれない。
でも逆に同調してくれる人もいるかもしれない。
そう考えると「ことば」を発することは非常に難解で複雑なものである。
でもね、、、こんな口下手、怖がりな私ですが、
いや、だからこそ、、、
「ことば」を発することは決してやめられない。
2004.Apr.3
どうも私は凹んだり落ち込んでいる時とノリノリになっている時が波になってくるようです。
(これが普通なのかな?多かれ少なかれあることなのかも。)
すっかり割り切ったこととかと思っていても何かきっかけがあると
そこでが〜〜〜〜っくりと凹んだりして、
へたすると精神が体調に影響を与えてまで駄目になってしまう場合がある訳なんですが、
そんな時には仕事などでもポカしたり、忘れ物が増えたり、ダメダメタイムが増大し
更に言えばその駄目っぷりが更に自身を追い込んでダメダメループに突入しちゃうんですよねぇ。。。
その都度、回復まで時間がかかったりする時もあるんですが
対人的なもので復旧することもあれば、自然の中に身を置く事で復活することもあります。
今回に関しては友人からのメールと台風2号に感謝です(ぉ
一緒にするわけではないですが、、、(汗
友人と話しているうちに自らの内にある言葉を自分で考えながらまとめて言葉を出そうとして、
ゆっくりだけど自分の思いを整理出来るという場合もあれば、
自然の中の風景、大きさに身を捉えられて自らの小ささを感じる時。
どこかで借りてきたような言葉になるかもしれないですが、
大きな自然の大きな流れの中の一部、その中のちっぽけな私自身。
そんなことを考えちゃうと自分が只生きているだけではなく
大きな何かによって生かされているんじゃないかとか、哲学的(?)に考えちゃったりして。
自然の美しさに目と心を奪われて急に憑き物が落ちたかのように
我に返ったりします。
ジャイアンのように「俺のものは俺のもの、お前の物は俺の物」でも
錬金術のように「全は世界、一は俺!」とか
太極拳や風水における陰陽の考え方、
ゲーテによる「自然の極致は愛であり人は愛によってのみ自然に近づくことが出来る」
「剣禅一如」
色々と難しいことはわかりませんが
そんなことを考えているうちはともかく、我に返った後で考えてみると
上に言ったようなことを知らない間に感じているのかもしれませんね。
だからこそですが、、、
つまった時ほど一度、心を空にして空を眺めるとかそういう時間が必要かもしれないですね。
そして友人が気持ちを他の方向へ動かしてくれるというものもまっことありがたいもんぜよ。
感謝感謝です。そしてこうしてうちのサイトをのぞきに来てくださる皆さんにも感謝です。
他人から力を与えてもらえるのと同じように私自身も誰かに与えることが出来たとしたら
それは嬉しい限りかと。。。
私は今何を為しているかという事よりも、私はこれから何を為そうとしているか?
それによってどんな影響を与えることが出来るのだろうか?
きっとそれはすぐにはわからないものかもしれません。
ただ結果として例えば私が死んだ後にでも残り、影響を与えたということになれば
それだけで満足出来るんじゃないだろうか?
まだ私はきっと何も為してはいない。ならば前に進む以外にきっと道はないはず。
がんばるのだ。
May.22/2004
ちょっと前まで旅行や親しい人たちが集まる時には
レンズ付フィルムというのは当たり前の風景だった。
それこそ、お互いを撮り合うくらい何個もその場にある、
というのは大げさな話ではなかったし、
実際にみんなカバンの中には1個は持っている状況だったに違いない。
しかし最近ではデジカメにおされて・・・
いや、携帯電話におされてすっかり姿を見る機会が減ってしまった。
近年の携帯電話技術の発達速度といったら凄まじく、
カメラ付携帯電話というのが今では普通である。
しかも携帯電話をどこかに置き忘れるということはまず無いので
常に携帯して気に入った時、気に入った場所で
写真を撮るという形が出来てしまっている。
こんな状況で携帯電話と同じくらいの大きさもするレンズ付フィルムを
持ち歩くというのはまず有り得ない話になってしまった。
ましてや、通常のフィルム方式のカメラなどはますます無くなり
持っているのは専門的にカメラをやっている人間か、
職業としてカメラを使う人、という極端な話にもなりかねない。
先日、部屋の片づけをしていて1眼レフ方式のカメラとレンズ付フィルムを発見した。
1眼レフは祖父の形見分けの時に貰い、かつて祖父がそうだったように
私と共に様々な旅の伴侶として何夜も共に明かし、
幾千の人々、数多の風景を収めてきた。
にも関わらず私はこの戦友を忘れ、暗い棚の奥にしまいこんでいたのだ。
しかも、未だフィルムを戦友の中に残したままで。。。
残念ながら私とこの友人との最後の旅路を思い出すことは出来ない。
それほどの時間が経っているのであれば
フィルム自身が思い出と共に色さえもを失っているのではないかと思い、
この友人にはつらいことをしたと思い、少し胸が痛くなった。
しかし、こいつと今のところ再び旅に出る予定もなかったので
私はすこしもったいない気持ちでフィルムを現像に出した。
数日後、出来上がってきた写真をみて、私の胸は再び苦しくなった。
そこに写っていたのは数枚の海の写真と1人の女性の写真であった。
海の深い碧と突き抜けるような空の蒼。
そんな背景にマッチしてあたかも夏の入道雲を連想させる真っ白なワンピース。
夏の日差しを避ける帽子が風にさらわれぬように片手で抑えつつ
少しはにかんで「早く撮って」と満面の笑みをカメラへ向けている。
かつてその眼差しは私に向けられたものであったのだろう。
共に歩んでいこうと見ていた先は今、別のものとなってしまった。
そしてしっかりとつながれていた手と手、
つかんでいた心はお互いに別のものに変わってしまった。
風の便りに元気にしていると聞くこともあるが、
ただそれだけ。
そんな風に写真を眺めていたら
キミがひょいっと覗き込んできた。
「この間言ってた古いカメラのフィルム?」
そうだよ。現像したのを見てやっとなんだか思い出した。
「あー!!女の子写ってるじゃん!もしかして前の彼女とか、とか?」
そんな風にニヘーと笑いながら、つんつんと頬を突きながら言ってくる奴に
なんて言えばいいんだよ。
「いいじゃん、別にただ聞いただけだよ〜」
「しっかりと写真撮ってる奴にいい顔向けてるね。」
ちょっと頬を膨らませながらムーっとうなっている。
「よっぽど写真撮っている人に対して信頼してるんだよ」
「第一こんな風が強そうで日差しが強そうなところで・・・・」
頬をつつく指が、、、いや、突くというよりは
むしろグリグリえぐるようになってきた。
「でも、どんなにファインダー越しに信頼していたって、
フィルムからは何も伝わらないよ。
写真を撮ったこの時、この場所、このタイミングというものは
この四角い枠の中に残されているのかもしれないけど
その心、見つめている先、未来っつーの?
そういうのってきっと逆に四角い枠の中にだけ押し込まれて
後にも先にも進めなくなっちゃっているのかも。」
そういうとキミは少し寂しそうに笑った。
「だから写真は嫌いだ。」
「その時、思っていたこととか考えていたことにしても
時間が経つにつれてフィルムと一緒に色褪せていくんじゃないかと不安になる。」
だから、こうやって一緒にいるんだろ?
私がそう言うと
「そうだね、写真の女の子のことをどんなに想っていたって
今そばにいるのはワタシだもんねぇ〜!」
ちょっと妬いているのか、言葉が意地悪い。
反論しようとキミのほうを向いて言葉をつむごうとした時に
キミの唇に塞がれてしまい何も言えなくなってしまった。
そう、大事なのは今ここに一緒にいること。
う
うはっ!(>_<)
なんか書き出してみたものの最後まで読み直してみたら
すげー恥ずかしいんですけど。。。(汗
くれぐれも言っておきますがフィクションですよ。
私は俺じゃないしキミにあたる人物も残念ながら今はいません。
(エバって言うことでもないですが。。。)
キーワードはホントに撮り掛けのフィルムが見つかったってこと。
それでボーっとしていたらなんとなくイメージが湧いてきたので
だらだらと打ち込んでみたってこと。
しかも仕事中に。。。(^^;
まぁでもフィクションとはいえ登場人物の言葉や考えってのは
作者である私の代弁でもあるのかな?
最近は作文というか文章というか書くことがほとんど無く
ただ日記として、備忘録的に書いているだけな感じがするんです。
久々にそうではないショートストーリーを書いてみようと思ったんですが、
いざキーボードの前に座ってみると案外書けないもんですね〜(汗
何もしてなくてボーっとしている時には言葉が色々と浮かんできて
頭の中でイメージが作られているんですが
いざ文章として記してみようとPCへ打ち込んでみると
イメージと表現にギャップができてしまって
「う〜ん、これは何か違う。。。」っての繰り返し。
なんとまぁ、自分の表現力の無さが恥ずかしい。
でもまぁ、ふと頭に浮かんだことを頭の中で自己完結するのではなくて
こうして、形として残すことできっと何か得られるのかもね。
Aug.2.2004
メール
思えばあっという間に1年が経ちました。
別段、恋人などいなくても時間は過ぎていくし、歳も取っていく。
周りに見える風景も変われば周囲にいる人たちだって変わったとて何の不思議も無い。
時というものは金持ちだろうと貧乏だろうと若かろうが歳経ていようが
全てのものに平等かつ確実に変化というものを届けてくれる。
ふと片付けをしていた時に、一つ前に使っていた携帯電話が出てきた。
普通だったらお店で古いものは引き取ってもらうのが一般的だと思うのだが
なんだかその時は引き取ってもらわずに自宅に置いておいたのだ。
決してなることの無い着信音、掛けることの出来ない電話機などなんの役に立つのだろうか?
もう既に半年以上経過していた為、もちろん電池は切れていた。
ふと充電器も一緒においてあったので繋いで電源を入れてみた。
かつては見慣れたその待ち受け画面も今では逆に新鮮に見えた。
そして受信メールボックスを開いてみると、、、
「メールがありません」
最近でこそ当たり前のようになったメール配信ですが
初めてメールが使えるようになって初めて誰かからメールが届いた時のうれしさったら
もうなんとも言えずにっこりしてしまったもんですよね。
もう決して読もうともせず、読みたくも無かったメールとはいえ
もらった時にはきっとドキドキしながら読んだメールが消えてしまった。
ただそれだけでした。。。
胸が痛むことも感慨に耽ることもなくただ消えてしまった、それだけ。
時が経てば変化が訪れる。
それは悲しいことなのだろうか?それとも。。。
データが空になってしまった携帯電話、もう決して会うことのない(であろう)古い恋。
ただ何もなく、ただそこにあるだけ。
怒りも悲しみもなく喜びすら消えてしまった。
台風が近づき外は雨が降り、風が強く窓を叩いている。
さて、明日は晴れるだろうか?
そうきっとやまない雨はないし明けない夜などないのだから。
Sep.7.2004