12月31日
“上映日誌”ならぬ、ただの“年末年始日誌”になっておりますが、とりあえず、書き留めておこう。
昼過ぎから本を読んでいた。『博士の愛した数式』読了。おもしろかった。(ちなみに、昨日は『クライマーズ・ハイ』を読了。こちらもおもしろかった。)ことほど左様に、今年話題になっている小説を読んでいる、という感じです。本と言えば、今年は結構、ノンフィクションばかり読んでいた気がする。数年前と変わったのは、学術系(それも科学社会学系)の本をあまり読んでいないことか。
さて、本年もいよいよ終わり。今年のことは簡単に21日に書いたので省略。明日からは“上映の年”が始まるわけだが、まあ、数日間はぼけっとしていることでしょう。
ありきたりですが、皆さん、良いお年を。
12月30日
東京に居ることにした年末年始だが、これといって予定もない。普段からテレビはあまり見ないが、この時期、特番ばっかりで、いつも以上に見る気がおきない。少し年末年始の影響かな、と思う心境の変化は、突然、無性に小説が読みたくなって、3冊ほど買ってしまったことだろうか。のんびり読書も悪くない。
そんなことを思いつつ、映画のことも気になる。見なければいけない映画も多々ありそうだが、うまく気分と合わないと、ついつい遠ざかってしまう。で、結局、『味』を見に行きました。魯菜を守り続けている佐藤ご夫妻、現在の中国の様子など、とてもおもしろかったです。ただ、どうしても引っかかる部分があったのでした。とてもスタイリッシュなカットが数多くあって、それはそれで感心する人もいるのかもしれないが、どうも描かれる世界との違和感が残ってしまったのです。ドキュメンタリー映画の難しいところは、「素晴らしい絵」があるからといって、作品の魅力につながらないことがあるのではないか、と思います。もちろん、見る側の好みの問題もありますが。
監督のリー・インさんとは、以前、一緒にある仕事をしていたことがありました。その時、彼が設立したのが龍影というプロダクションでした。その後順調に作品を作っているみたいなので、うれしいかぎりです。
12月29日
諸々の用事を済ませて、事務所へ。
それから、デジタルムービー工作室へ。今日は予告編の簡単な直し。ポレポレ東中野での上映日時が確定したので”早春”としていた後付を日時入りに変更するのだ。直し自体は簡単な作業なので、1時間ぐらいで終わる。
今日から1月1日までポレポレ東中野は休館なので、1月2日に持っていかないと、でも、正月にちょっと面倒くさいなあ、などど不謹慎なことを思っていたりしたのだが、誰か居るかもしれない、と思ってポレポレ東中野に行ってみることにした。案の定、表の入り口はシャッターが下りているし、事務所には誰も居ない様子。諦めて帰ろうとしていたら、裏扉が開いていることに気づく。入ってみると、劇場スタッフ控え室に堀田さんが居た。「助かった!」と思って、すかさず「日時入りに予告編を直したので、前の予告編と差し替えてください」とお願いしておいた。うまくすれば、1月2日から日付入りを流してもらえるでしょう。公開まで2ヶ月弱の予告となるわけで、少しは受け取る感覚が違うことを期待したい。
今日がとりあえずの仕事納め。諸般の事情で、今回の正月は東京に居ることにした。気分的には落ち着かないと思うけど、この年末年始、少し気分転換しよう、と思ったりはする。
12月28日
今日は仕事を忘れて、映画を見に行こうと思って映画を見に行った。まず、『ラスト・サムライ』。徹頭徹尾、全く乗れず。気を取り直して、ラピュタ阿佐ヶ谷に行って、連句アニメーション『冬の日』を見る。堪能。短い上映時間だけど文句無くおもしろかった。とにかく、多種多彩なアニメーション作家の映像が万華鏡のように現れつつ、芭蕉の句を基底にしているので、統一感もあるという不思議な空間が現れる。ちなみに、本作の企画・監督の川本喜八郎さんは、私が最も尊敬する映像作家の一人。こんな形で新作が見れて、うれしかった。壮大なテーマに挑む新作『死者の書』の完成が待ち遠しい。
12月27日
今日はのんびりしていて、思わず寝坊してしまった。
昼過ぎにメールをチェックすると、パルテノン多摩の映画NEWSが届いていた。NEWSを見てみると、パルテノン多摩の『ニュータウン物語』紹介ページに、予告編を載せたことが書かれてあった。さっそくホームページに行って見てみると、確かに予告編が載っている。ありがたい。少しは映画の雰囲気が伝わればいいのだが・・。付け加えると、『ニュータウン物語』上映の関連企画として、写真展「多摩ニュータウン今昔」というものをパルテノン多摩独自に企画していて、おもしろそう、と思ってわくわくしてしまった。映画を上映する小ホールの隣にあって、先の写真展を行う歴史ミュージアムは、多摩ニュータウンの歴史が簡潔にまとめられていて興味深いところです。
もう一つ嬉しいメールが届いていた。多摩ニュータウンタイムズというところからの取材依頼。私のインタビューを載せてくれるそうだ。試写会にも来てくださっていたので、どうなったかな、と気になっていたから、とりあえず、よかった。
夕方、台湾映画祭へ出かける。今日は、山形国際ドキュメンタリー映画祭で見逃してしまった、『生命(いのち)』が上映されるのだ。監督は台湾を代表するドキュメンタリー映画監督・呉乙峰(ウー・イフォン)さん。上映が始まる前に散らし置き場をチェックしてみると、どうもあまりはけていない様子。残念。さすがに、知った方をちらほらみかけるな、と思っていたら、大学からの知り合い、吉岡文平くんが声をかけてきた。彼はスタッフとして仕事をしているそうだ。彼が主役、私が準主役の自主制作映画『第一アパート』(監督・井土紀州+吉岡文平)を作ったのはいつのことだったか。前置きが長くなったが、『生命(いのち)』を見る。過大な期待があったせいか、どうしても引っかかる部分があった。まず、監督と”友人”の手紙のやり取りが、少し鼻についた。(その展開の種明かしが一番最後にあるわけだが、そこでさらにその思いは強くなった。)加えて、時間をかけた大変丁寧な取材だと思うのだが、それでも何かが足りない、という思いを抱く。だが、その何かが自分でもよく分からない。映画を見るということはとても不思議なことでもあって、普通に見ていればとてもおもしろく見たのかもしれないが、呉乙峰(ウー・イフォン)さんの映画だということ、山形でも大変評判になっていたこと、などから変な先入観を持ちすぎていたのだとも思う。もっと素直に見た方がよかったんだろうなあ。
12月26日
今日はなんだか一日中、年賀状の続きをやっていた。数年前まで、年賀状を全く出さない状態だったのだが、前作『科学者として』を公開する時にいろんな方にお世話になり、さすがにまずいだろう、と思って出すようになった。今年は、『ニュータウン物語』の製作でお世話になった方が増えたから、数も多くなってしまった。”年賀状”というよりは、近況報告のつもりでもある。と言うのも、映画に出ている方々や岡山での協力者にも、きとんと東京の映画館で上映することをお伝えしていなかったので、この機会にお伝えしておきたい、とも思ったのだ。そんなこんなで、計185枚を出し終わった。企業とかで考えれば、大した数ではないだろうけど、自分にとっては過去最高の枚数だと思う。(プラスして、新井秀雄さんを支える会関係で70枚。全合計255枚。)元旦に着かないかもしれないけど、三が日には着くでしょう。ひとまず、ほっとする。
世間では、今日が仕事納めというところも多いようだ。私もそうだったらよかったのだが、来週月曜日には、予告編のちょっとした直しをすることになっている。せっかくポレポレ東中野での公開日が決まったので、公開日を入れたものに直すのだ。今やっておけば、年始早々、ポレポレ東中野で今かかっている予告編を差し替えることが出来るでしょう。細かいことですが、公開日が分かるほうがやっぱり親切だと思うのだ。
12月25日
昨晩、「微調整が必要になった」と書いた後、ゲストの方々と連絡がとれ、これで晴れてパルテノン多摩での座談会内容が全て固まったのでした。お待たせしました!詳しくはこちらで。とにもかくにも、自分が話を聞いてみたい、観客の方も話を聞きたいであろう、という方々を集めることが出来ました。おもしろいトークになると思いますので、ぜひ、足をお運びください。パルテノン多摩NWESの締め切りにもぎりぎりセーフで間に合った。これがほんとの滑り込みセーフ。
メールで諸般の連絡をした後、新井秀雄さんを支える会向けの年賀状を作成し、印刷。印刷中、ぼーっとしているのもなんだから、突然思いついたように、パソコンでSPECTRUMの解散コンサートDVDを見る。いきなり趣味がばれてしまうが、20年前に2年ほど活動していた、日本の伝説のブラスロック・バンド。このDVDは、今年発売されたもので、武道館での解散コンサートが収録されている。来月には別のライブDVDが出るみたいなので、気になっていたりする。(蛇足ですが、ライブDVDって、数少ない市場が成立しているドキュメンタリーのジャンルかもしれない。)
遅くなってしまったが、事務所に行って、年賀状の宛名書き。昨年もらった年賀状を引っ張り出してくると、全然、整理していなかったことに気づく。去年はそれどころじゃなかったんだなあ、とあらためて思う。出す人を考えていたら、以外に、多いことが判明。この前刷ったものでは全然足りない。少しより分けて、別の形の年賀状を作ることにして、今ある分だけ宛名を書いた。新年気分、というよりは、宣伝気分。ほとんど映画の公開のことしか書いてないからなあ。
12月24日
今日はうれしいことがあった。パルテノン多摩の対談ゲストがやっと全て決まったのだ!この間、どうしても来ていただきたい、話を聞かせて欲しい方の返事を待っていたのだが、OKが出たのだ。ご無理なお願いを受け入れてくださった方に感謝したい。ただ、困ったことに、スケジュールがバッティングしてしまって、微調整が必要になった上に、予定日を変えて欲しい方には連絡がつかず。明日が締め切り、明日には本当に決まっていることを願うのみ。それでも、ゲストの人選が確定したのはよかった。
事務所にて原田さんと打ち合わせ。年末年始であまり動けないが、これからやらないといけないことを確認しておきたかったのだ。新しい年が始まると、公開まではあっという間だろう。楽しみであり、不安でもあり・・・。
12月23日
昼前にNPO・NGO大忘年会会場へ向かう。先日のとある集まりでご案内いただいたので行ってみた。チラシ折込のお手伝いを一旦抜けて、台湾映画祭の会場である六本木に行って、チラシを置いてもらう。再び取って返し、大忘年会会場へ。すでにワークショップが始まっていたが、なんとか加わることが出来た。付け加えるなら、今日の催しの言いだしっぺらしい、「人類生き残り研究会」を主催される、田中正直さん(「爆笑問題」の田中さんのお父さんです)ともお話することができた。
あっという間に時間が経って、マイクアピールの時間。事前に申し込んであったので、私にもアピール時間があった。環境問題関係のNPOが多かったので、さすがに「映画監督です」と挨拶すると浮いていた。けど、それなりに一生懸命アピールした。その後、しばし交流する時間があったのだが、いろんな方から声をかけていただいた。ありがたい。中には前作『科学者として』を見てくださっていた方もいて、ついつい「今度の作品も見てください」と自己宣伝。楽しい時間を過ごしつつ、フェイス・トゥ・フェイスで話が出来るのもとても貴重。映画も見てくれればいいのだが・・。せっかくの懇親会になるも別会場に行かなければいけなかったので退散。
で、近くで行われるある映画の上映会場に行ってチラシを置かせてもらえないか頼んだところ、あっさり断られた。まあ、色々事情があるみたい。(と言いつつ、度量が狭いなあ、とも思ったりする。)忘年会会場に戻ってもよかったのだが、なんとなく戻りにくい気もして帰宅。
今後やらなければならないことを一応整理してみる。まだまだ一杯あるなあ、とため息が出るが、ここらで一回整理しておかないと、年明けにすぐ動けないと思っているのだ。なんだかんだ言っても、世間は年末年始動かないから、こちらも自然と休みになるだろうし。
12月22日
午前中、まちづくり関係の団体に映画の公開情報を数十件送る。ほとんど迷惑メールのような気もするが、背に腹は変えられない。中には、反応してくださる方がいたり、ホームページに情報を掲載してくださったりする方もいるので、ありがたい。
そんなことをしていたら、事務所に行くのが遅くなってしまった。
パルテノン多摩でのゲスト交渉がいよいよ大詰め。だけれども、どうしてもある方がつかまらず、返事をいただけていない。さすがに時間も無いので、その方以外のスケジュールを決めてしまった。24日には確定して発表できるでしょう。
明日、23日は遊ぼう、と思っていたら、チラシを撒きにいかなければいけない箇所が3箇所あることが判明。やれやれ。
12月21日
ついに今日で公開まで2ヶ月となった。「まだ2ヶ月ある」と思うか「もう2ヶ月しかない」と思うか、微妙な心境である。確かなことは、まだまだやらなければならないことが一杯ある、ということだ。
それにしても、世間はクリスマスと新年気分一色のようだ。(私の場合はこの時期、誕生日が重なっていたりする・・。)自分としては全くそんな気分になれないのだ。多分、東京での公開が終わるまで、「新年」という気がしないであろう。
思えば、昨年の今頃は編集真っ最中で頭を抱えていた頃だ。一時期すっかり自信をなくして、憂鬱な気分で新年を迎えたことを思い出す。そのことを思えば、公開に向けて動いている今年は、少しは前進なのかもしれない。1年でよくここまで来た、と思うか、ここまでしかこれなかったと思うか・・。少なくとも、いろんな人に助けていただいたことだけは確かだ。
こんなことをふと考えたりするのも、今日は年賀状をパソコンで印刷していたからかもしれない。
12月20日
アジア・ビデオアート・コンファランス2003の会場である、POLA Museum Annexへ向かう。準備に忙しそうな最中、チラシを置かせていただけないか頼んだところ、すでに置いてある、とのこと。ありがたいやら、徒労感やら複雑な心境。せっかく銀座まで来たのだから、どうしようか、と思っていたら、近くにINAXギャラリーがあることを思い出し、覗いてみた。2階のギャラリーに頼んでみたところ、快く置かせていただいた。少し上映まで間があるので、1月から出してくださる、とのこと。ありがたい。ここの1階は書店になっていて、建築関係の書籍・雑誌が充実している、INAX出版を抱えるだけあって、建築関係の本は充実している。近くまで来るとよく立ち寄る所だ。そんなに時間がないのに、ついつい見てしまう。ちなみに、パルテノン多摩でのゲスト予定者の2名は、ここから本を出しているので、ゲスト告知のチラシが出来たら、また置かせてもらいに来よう、と思った。
次に、同じ銀座で開催ということで、68ショートフィルム・フェスティバルの上映会場、東京国際フォーラムに向かう。受付でチラシを置かせてもらえないか頼んだところ、置けなかった。が、担当者が『ニュータウン物語』のことをチラシを見て知ってくれていて、スタッフだけにでも配ってくれることになった。ほんの小さな宣伝だけど、ありがたい。
次の用事に向かう前に、新宿に立ち寄る。2ヶ所でチラシ補充。
その後、バイオハザード予防市民センター幹事会。おまけに、今日は望年会。雑談の中で、事務局長が関わる別のNPOメンバーに、前作を応援してくださった方がいることが判明。世の中狭いなあ、と思うと同時に、今度の作品も見てくれればなあ、と思う。
12月19日
上映とは関係の無い個人的なことで少々時間をとられる。
時間をとられたことがちょうど都合がよかったのだが、早稲田大学で行われた”22世紀映画祭”という、なんだか凄いタイトルの上映会に行ってチラシ(+VIDEO ACT!のカタログ)を置かせてもらう。グループ現代の川井田さんも『ヒバクシャ』のチラシを撒きに来られていた。この作品、全国で自主上映を続けてきたが、3月にユーロスペースでついに劇場公開されるので、最近、同じくチラシ撒きでいろんな所でお会いする。しばし、立ち話で近況報告。
早稲田大学を出て、歩いて水俣フォーラムへ。来年、1月6日からの川崎展でチラシを置かせていただくよう、チラシを届けに行ったのだ。
事務所に行って、21日(日)に行われる、伊勢真一監督の新作『風のかたち』の上映会主催者に連絡をとろうとするが繋がらず。こうなったら、最後の手段、というわけで、上映会場に直接チラシを送ってしまった。うまく、届きますように。
ポレポレ東中野の上映日が決まったので、念のため、すでに掲載が決まっている雑誌に、公開日をFAXする。
しばし、パルテノン多摩でのゲストについて思案するが、今のところ次の手はなし。時間との駆け引き。
そうこうしていると、うっかり一つ、チラシを持っていく場所を忘れていたことに気づいた。慌てて原宿にあるCINEMA
PLAY CAFE"OH!GOD"に行く。今日から、『シザーハンズ』を上映しているのだ。クリスマスが背景だからだと思うのだが、私にとっては、最も印象深いアメリカの郊外映画。そんな気持ちもあって、チラシを置きに行ったのだが、少ししか置けなかった。まあ、しょうがない。
再び、早稲田大学に戻って、チラシとカタログを回収。
なんだか慌しい一日ではありました。
12月18日
あれやこれやややこしい話が続く。加えて、ちょっと年賀状を作ってみていたら、時間がやけにかかってしまった。年賀状もちゃんと出さないと、とは思っている。
さて、ポレポレ東中野の上映期日ですが、2月28日(土)〜3月19日(金)、連日10:50からの1回上映となりました。3週間の上映です。
時間が遅くなったが、事務所に行く。あれこれ連絡したり、確認を取ったり。パルテノン多摩でのゲスト交渉はいよいよ大詰め。あと一人、この方の返事次第で全て固めることが出来るでしょう。何とかいい返事をいただけることを願いつつ・・。
夜、VIDEO ACT!の会議。
12月17日
昨日休んだのですっきりしたと思ったら、さにあらず。なんだかすっきりしない。
事務所に行って、パルテノン多摩でのゲスト交渉。かなりいい線までは来たのだが、若干、まだ決まっていない。こういう交渉は本来苦手なのだけど、もう少し頑張ってみるしかない。タイムリミット近し。
少し事務所で整理。この間、かなりたまったチラシ類を片付ける。「ああ、このイベントでもチラシを配れたかもしれない」と思うものがちらほら出てきて、後悔。まあ、後悔先に立たず、というわけだ。
そうこうしているうちに、急場しのぎで追加印刷したチラシが印刷所から届く。早くポレポレ東中野の初日が決まればもっと刷れるのだが・・・と思っていたら、初日が決まりました。決まったのはありがたいんだけど、もう数日早く決まっていれば、もっと違った対処が出来たのに・・・タイミングが悪すぎる。
ポレポレ東中野の初日は2月28日(土)に決定。初めから、この線で、という話だったので、落ち着くべきところに落ち着いた、という感じだ。ポレポレ東中野の初日が、パルテノン多摩の最終日。ということで、プリントをもう1本焼くことになる。これも織り込み済みではありました。その分、その後の上映が広がればいいのだが、という淡い期待もあったりします。(いずれにせよ、1本だけで上映するのも、不安がありましたしね。)
12月16日
今日は勝手に休みの日とした。(まあ、ちょっとした雑用はあったけど。)しばらくなんだかんだと一日家に居る日がなかったものだから、今日は家に居ることにした。
ぼけっと本など読んで過ごすが、取り立てて書くこともない。まあ、こういう日もたまにはないと・・。
12月15日
パルテノン多摩の座談会ゲストに考えていたある方が、どうしてもスケジュールが合わない、というメールが届いた。多忙な方なので難しいかと思っていたが、残念だ。がっかりしてばかりではいけないので、遠方からの参加を前向きに考えてくださっている方に、念のためビデオと資料を送る。ついでに、先日作った資料を沖縄に送る。
内幸町ホールで行われる、『ホーム・スイートホーム2』の上映会に出かけて行って、チラシを置かせていただく。快く応じてくださり感謝。
事務所に行って、少々やっかいなことに対応する。簡単に言えば、チラシがそろそろ底を尽きかけているのだ。実は印刷所に裏面を刷っていないものをストックしてあったので、急遽、当面必用な分だけ追加印刷することにした。年明けには本格的に増刷したいところなのだが、色々複雑な事情が・・。
夕方、下高井戸にある”不思議地底窟・青の奇蹟”に行く。今日から、土屋さんの『新しい神様』が上映されるので、チラシを置かせてもらった。
その足で、アテネフランセ文化センターに向かう。今日は純粋に客として参加。(と言いつつチラシの棚をチェックするとどっさり余っていた。あんまり持っていってくれていないようだ。残念なのか、まだあってよかったのか複雑な心境。)『ヴァンダの部屋』公開記念上映として、その前作『骨』の上映とペドロ・コスタ監督と青山真治監督のトークショーがあるのだ。「混むかな」と思いつつ、開場時間ぎりぎりに着いたら、案の定、長蛇の列。なんとか座ることは出来たのだが。それにしても、大変な反響と盛り上がり。
さて、その『骨』。『ヴァンダの部屋』がドキュメンタリーならこちらはフィクション。もっとも、両作品の境界は極めて低い。『骨』においても特徴は明確に刻印されている。しかしながら、『骨』を見ながら、この監督を”天才”というような言い方をするのは間違いだと気づいた。実は、特別なことをせず、誠実に映画に向き合った結果として鮮烈な映画が生まれているのだ。こういうことが、実は一番難しい。同時に、監督たるもの「こういう風に撮りたいなあ」と思う人も多いはず。いい映画だ、と思いつつ、ストーリーだけ追えば、案外「だめんずウォーカー」みたいな映画なんだけど。そのことを含めておもしろかった。
トークで初めてペドロ・コスタ監督の話を聞いた。才気を感じさせつつ、意外(と言っては失礼か)にフランクな感じもある。おもしろい話が一杯あったがとてもここに書ききれないので割愛。
12月14日
今日は、港区高輪にある、物流博物館に出かける。産業考古学会主催の上映会があるので行ってみた。様子がよく分からないが、思い切ってチラシを置かせていただけないか頼んでみたところ、あっさり置いてくれた。物流とニュータウン、ちょっと強引なこじつけだが、こういうのもおもしろいと思ったのだ。
さて、上映会。産業映像上映会と題して、”人と水の調和 それは壮絶なドラマ”というテーマがついていた。実は次回作と関係がある内容だったので、興味もあったのだ。(おまけに上映会でチラシも配ってくれた。ありがたい。)
1本目は『洪水をなだめた人びと−治水と水防に見る先人の知恵』(1996)。コンクリートで固めてしまった現在の川ではなく、自然の摂理を十分に生かしながら作られた治水技術の数々が紹介されている。圧倒的な空撮と丁寧な撮影がいい。中でも、最後に登場する西広板羽目堰の映像が素晴らしい。2本目は『梓川開発の記録』(1966)。ダムの建設記録。初期工事だけなところが興味深い。3本目『水のある砂漠・イラン』(1973)。いわゆるイラン革命前の貴重な映像。(製作は日本)地下水道”カナート”が紹介されている。驚いたのはナレーションが城達也で音楽が富田勲だった。いずれも”産業映画”と言われる作品で、普段なかなか見ることが出来ない映画だ。なお、物流博物館には”物流”に特化した産業映画を収蔵しているそうで、中には松本俊夫監督『300トントレーラー』とか野田眞吉・松本俊夫監督『オリンピックを運ぶ』のようなそそられる作品もある。これらを含めていつでも見せてもらえる作品が10本ほどあるそうだ。
また、物流博物館では”特集 物流の視点”という連続上映会をやっていて、土本典昭監督の傑作『ある機関助士』なんかも上映されている。今日は、前回なんらかの事情で上映できなかった作品を特別上映。『荷役近代化への道』(監督・平原直/1958)を見る。説明によれば、この方はプロの映画監督ではなく、荷役近代化に尽力された方だそうだ。だからこそ、近代化以前の荷役の映像が種々雑多、北は北海道から南は鹿児島まで記録されていて、大変貴重かつ興味深い。啓蒙のために作られた作品だが、時が経つと別の側面を帯びてしまう映像の不思議さを思う。その後上映が続いたのだが、さすがにちょっと疲れたので退散。
なんだかとても”濃い”一日ではありました。
12月13日
昨晩、この日誌をアップしてから、パルテノン多摩のゲストに来てもらいたい、某大物に依頼の手紙を書く。なかなか引き受けてくださらない方らしいが、あたって砕けろ、という気持ちで依頼してみることにした。
また、ある方にはメールで依頼をした。これで候補者6人全てに打診したことになる。いい結果になることを祈りたい。
今日は、出かけていくついでに、新宿中央郵便局で上記の手紙+ビデオを送る。
出かけて行ったのは、”映画『無法松の一生』と完全復元パフォーマンス”が行われるセシオン杉並。残念ながら、別の箇所に行かなければいけなかったので、見ることは出来なかった。そのため開場より少し早く行ったのだが、受付に以前から知った方がいたので、話は早かった。加えて、置きチラシは余ることが多いが、余っても適当に撒いてくださることになり、助かる。
次に出かけていったのは、”映像のバリアフリーを目指して!”という企画。何やら聞きなれない言葉かもしれないが、盲人・ろう者は、映像文化を十分に享受することが出来なく、ハード面のバリアフリーだけでなく、ソフト面のバリアフリーも目指そう、というイベント。とりあえず、チラシを置かせてもらって参加した。
具体的には、副音声・字幕つきの映像を増やすということで、まず、2作品が参考上映された。その1本『奇妙な出来事アトピー』は、いわゆる教育映画であるが、とてもおもしろかった。
さて、シンポジウムで、なぜ、映像のバリアフリーが進まないかという話を聞いていて、数年前とあまり進んでいないことにいささかショックを受けた。実は、日本はこうした技術・機器は進んでいるのだが、機能させる「仕組み」が圧倒的に遅れているのだ。毎日新聞「ユニバーサロン」編集長・岩下恭士さんが最新情報を報告されていたが、アメリカでは封切映画に副音声・字幕が付き、『ラスト・サムライ』もこうした形ですでに上映されているとか。日本では封切映画でそうした上映がされるのは極めて難しい。(一時、松竹映画が字幕つきに挑戦していた記憶があるが。)実は、私もこの点は気になってはいたが、前作では結局何も出来なかった。今作も今のところ難しい。こうしたことを行う、最後の云十万がどうしても出せないのだ。だから、こうしたことを行う公的助成があれば行えるのだが・・。加えて、旧作の問題も大きい。盲人・ろう者からの要望はあるのだが、著作権の問題が絡んで進展していない。私が思うに、著作権の問題をクリアーにするために、何か公的な機関に作品を預け、副音声・字幕つきの映像を作る許可を与えるような仕組みは作れないだろうか。助成もこうした機関に行えばスムーズだと思うが。(もちろん、そうしたことは視野に入っているのだが、製作者の理解が無い、というのが現状なのだ。)ちなみに、私はこうした方法ならいくらでも作品を提供したい、と思っている。(もう1点ろう者の方から重要な指摘があった。それは生放送のニュースに字幕をつけて欲しい、ということだ。これも技術的にはリアルタイムで字幕を出すことは物理的に可能なのだが、テレビ局側は「万が一の間違いがあってはいけない」ということを口実に行っていない。デジタル放送を騒ぐ間には、こうしたことを積極的にやってはどうか、と思う。)
長くなったが、最後に付け加えておきたい。今まで、盲人・ろう者向けのような書き方をしたが、バリアフリーが障害者だけではなく、高齢者も視野に入っているように、映像のバリアフリーにも高齢者向けという視点も含まれている。付け加えて補足しておきたいのは、こうした活動に奔走されている、プランニング21の保木政男さんにも敬意を表したい。以前、偶然、岡山でもバリアフリー上映会をされていたところに出かけていったことがあるが、汗だくになって上映をされていた姿は印象に残っている。
シンポジウムの後『アイ・ラブ・ユー』も見た。
チラシはあまりはけなかったが、手撒きさせてもらうことを言い出す勇気が無かった。
今日はもう一つ、上映会に出かけた。ドキュメンタリー映画『風の舞』の上映会が武蔵野公会堂であったのだ。やや、ナレーション・音楽が付きすぎだ、と思うのだが、予想以上にいい映画だった。なんと言っても、塔和子さんの詩が素晴らしく、詩を読む吉永小百合さんの声も良かったのだ。来週19日までユーロスペースで上映中。
帰りがけ、チラシを手撒きさせてもらった。今日の主催は婦人有権者同盟・武蔵野支部だったので、女性がほとんど。多くの人がきょとんとされていたが、とにかくチラシを受け取ってくださった。少しでも気にかけてくださればいいのだが・・。
12月12日
朝起きるとどうも頭が痛い。「これは風邪のひき始めだ」と思って、少しゆっくり休むことにする。
しばし休んで再び起きだして、沖縄の三浦さんに送らなければいけない資料を整理する。特に必用なのは、私の活動暦だとか。このホームページに載せているものをもとに作成していたら、いくつか間違いを発見。自分の活動でありながら、曖昧になっていた部分もあり、反省。
明日、チラシを置かせて欲しいイベントに電話で確認。始まる前に直接届けることにする。
そうこうしているうちに、新井秀雄さんの裁判に関して進行協議があるので、一応、裁判所に向かう。
中途半端な時間になったが、まあ、早めに行ってもいいか、と思い、地球環境パートナーシッププラザに行く。環境問題関係の情報がたくさんあるところで、前作『科学者として』もチラシを置かせてもらった。『ニュータウン物語』は若干ずれるかもしれないな、と思いつつも、大きく言えば環境のことと言えなくはない。(こじつけっぽいけど。)少々無理を言って、チラシを置かせてもらった。
ここの来たのは、今日、水俣フォーラム主催で土本典昭監督作『水俣の図・物語』の上映があるからなのだった。作品は以前に見ているので、上映会には参加しなかった。上映準備中の忙しいところへお邪魔して、チラシの件を話すと、この方(名前を失念してしまった・・。)は、ドキュメンタリー映画専門誌neoの読者だったのだ。同誌には『ニュータウン物語』の製作ルポを連載していたわけで、映画のことを知ってくれていたのでありがたかった。快くチラシも置かせていただき助かりました。
12月11日
メールで諸般の連絡。加えて、パルテノン多摩での対談ゲストの候補者に依頼のメールを送る。
出掛けに、早稲田映画まつり会場である、大隈講堂に行ってチラシを置かせてもらう。
事務所に行って諸々の整理。対談ゲストについて再度検討したうえで、パルテノン多摩の学芸員・金子さんに再度相談にのっていただく。
14日日曜日に、真宗会館というところで重松清さんの講演会があることを新聞で知り、講演会にチラシを置かせていただけないか問い合わせる。検討していただいて、置かせて頂けることになったので、チラシを郵送する。(残念ながら、別件で行くことが出来ないのだ。)
事務所でメールを開いてみたら、ゲスト候補の方から連絡が入っていた。すぐ決めてしまう方が楽ではあるのだが、後で「こんな映画とは思わなかった」と言われるとあまりいいことにはならないと思い、ビデオテープを送って、まずは見ていただくことにした。いい感触ではあるのでこのまま決まってくれるといいのだが・・・。
そんなことをしているうちに、試写会の時間が迫ってきた。今日は私一人で対応しなければいけないので、少し緊張する。
今日は遅い時間に設定していたが、あいにくの雨。出足は鈍い。見知った方が何人も来られた。計15名来場。もう少し来て欲しいところではあったのだが・・・。
上映前に慣れない挨拶。
さあ、エンドロールが流れて、上映がそろそろ終わるぞ、と思っていたらハプニング。外のモニターで見ていたら、突然画面が真っ暗に。後で映写技師の方に聞いたら、映写機のヒューズが切れたそうだ。エンドロールでまだ助かった。
前作『科学者として』公開の際に出演したことがある、FMせたがやで紹介してもらえることになった。他はどうだろう。
今日で3回続いたシネカノン試写室での試写は終わり。1月の2回は映画美学校試写室だ。プリントを引き上げて事務所に戻る。
家に帰ってからポレポレ東中野のホームページを見ると、これからの上映予定に載っていた。
最後に一言。毎日映画コンクールはだめでした。まあ、これに懲りず、上映宣伝を続けていくしかないのではある。
12月10日
出かける前に、多摩ニュータウン方面の団体等にメールを送ったり、掲示板に書き込んだりして案内を出す。人によっては”荒らし”に思われるかもしれないな、と思いつつ、やはり知ってもらいたいという気持ちが先にたってしまう。(関係者でこの日誌を読まれた方がいましたら、ごめんなさい。)
富士フィルムにプリントを取りに行く。少し早くつきすぎたので、試写が終わるまでしばらく待つ。ちらほら選考委員の方々もお見かけし、非常に居心地が悪い。こういうことにつき物とは言え、審査さされるというのは心地いいものではない。選考される作品のラインナップを察するに、まあ、難しいだろうなあ。これも経験と思うことにしよう。
手で運ぶのは大変なので、ちょっと贅沢をしてプリントをタクシーでシネカノン試写室まで運ぶ。映写技師の方がいて、手渡せてよかった。
ちょうど場所も時間も合ったので、突然ドキュメンタリー映画『TAIZO』を見ることにしてしまった。(なんだか仕事もせず、毎日遊んでばかりいるような気が・・これって遊びなのか仕事なのか・・。)映画館で公開されるドキュメンタリーはやはり気になってしまうのだ。加えて、ビデオシアターとしてオープンした渋谷シネラセットも見ておきたかった、ということもある。作品はあまりいいとは思えなかった。
事務所に行って、数ヶ所、チラシを発送。多分、置いてくれるでしょう。原田さんから貴重な情報を得たので、チラシを撒けないか(置けないか)打診してみたが、予想通り断られた。大体、行政が絡んでいるものは渋い返事だ。
さて、明日は原田さんが別件で忙しいので、たった一人で試写会を行うことになる。なんとかなるでしょう。
12月9日
座談会ゲストについて再度考える。以前、メールで打診していた方に、電話で再度アプローチしてみる。結論から言えば、あっさりOKが出た。決まった方3名、残り4名未定。付け加えるなら、今回の座談会は多角的にニュータウン、あるいは『ニュータウン物語』を考える人選を考えていて、分野も多岐にわたるようにしたい、と思っている。とは言っても、全く接点が無い人に頼むのも難しかったりするので、今のところ接点があった方を中心に声をかけている状態だ。
諸々の情報を整理してみると、今週末から来週にかけて、チラシを撒けそうなところが結構あり、時間のやりくりが大変そう。
明日、毎日映画コンクールの試写があるので、フィルムを富士フィルム試写室に届ける。そうすると、偶然というのは不思議なもので、某試写をやっていたのだが、大学の後輩が映写のお手伝いをしていたのだった。久しぶりに会ったこともあって、少し立ち話をしながら、諸般の事情で詳しくは書けないのだが、今後の上映にあたって力添えになってくれそうな話に進展した。こういうことがあるから、出歩いているのも無駄ではない。
どうしても見ておきたかったので、『延安の娘』を見に行く。あさってまでの上映なので滑り込みセーフだ。感想は今は書けそうにない。どうしたわけか、時々、悪い作品ではないが手放しで「いい作品だ」と言うにはためらいを覚え、「判断保留」になる作品がある。この作品もそんな状態になってしまった。ただ、内容ではなく別の意味で試金石になる作品だと思っている。この作品はNHKとの共同制作で、ハイビジョン用に作られたと聞く。そうした作品がちゃんと「映画」として公開されるのはきわめて珍しい。テレビ局は劇映画には積極的に製作に関わっているが、ドキュメンタリー映画ではほとんど聞いたことがない。山形国際ドキュメンタリー映画祭に何度も行って痛感するのは、欧米のドキュメンタリー映画の多くにテレビ局が製作に絡んでいることだ。実際はなかなか大変なことも多いそうだが、まがりなりにもドキュメンタリー「映画」を製作しているのだ。例えば、かのフレデリック・ワイズマン監督の映画は、最もテレビからは遠そうでいながら、アメリカのケーブルテレビ局が製作しているのだ。日本でももう少しテレビと映画のクロスオーバーが起きれば、ドキュメンタリー映画の製作も少しは変わってくるのではと思ったりする。そういう意味でも、『延安の娘』の例は、貴重な試金石となるだろう。(NHK内の評価はまた別問題ですが。)ちなみに、正月映画として公開される『味』も同様な試金石第2弾とも言えるでしょう。
話が長くなってしまいましたが、最後にちょっとうれしかったこと。『延安の娘』もキネコ作品ですが、タイミングは『ニュータウン物語』をやっていただいた、笠原征洋さん(ヨコシネディーアイエー)でした。
12月8日
メールでいくつか事務連絡。
今日は特に決まった予定がなかったので、原稿書き。
パルテノン多摩が発行しているニュースで大きく『ニュータウン物語』を取り上げてくださることになっていて、自ら文章を書くことにした。このニュース、毎月発行されているがカラーでとても立派なもの。今日書いたものは、1月31日発行予定号で、なんと多摩地域40万世帯に新聞折込されるものなのだ。率直すぎるかと思うほどの文章を書いた。堅い話ではなく、なぜ、私がパルテノン多摩で上映したいと思ったか、その気持ちを綴ってみた。
事務所に行って、パルテノン多摩での座談会ゲストのことをあらためて整理してみる。候補として考えながらも、まだ交渉できていない方もいる。上記ニュースとの絡みもあって、25日までに決めないとまずい。今日、一人OKが出て、今のところ決まったのは計2名。目指すはあと5名。(一日は私の単独トークにしよう、と思っている。)明日以後、再び交渉しなければ。
今週も試写があるので、今日はテレビ関係者に試写会のFAXを送る。テレビで取り上げてもらうのはなかなか難しいかとも思うのだが、自分から諦める話でもない。やるだけやってみよう。
12月7日
今日からポレポレ東中野のモーニングショーで予告編が流れ始めるので確認に行く。大きなスクリーンで初めて予告編を見て、感無量、となるかと思ったら、意外にもそうした感情はわかず。むしろ、とにもかくにももう一つ課題をクリアーしたという安堵感のほうが強かったような気がする。少しでも作品に興味を持ってもらえることを願うのみだ。ちなみに、『自転車で行こう!』には結構お客さんが入っていたので、そのことも含めてうれしかった。(上映作品そのものにお客さんが入ってくれないと、予告編も見てもらえない、というのは厳然たる現実だったりする。)
さて、続けてその『自転車で行こう!』を見る。おもしろかったです。主人公のキャラクターがおもしろいこともありますが、大阪市生野区を主人公を追って走り抜けるカメラが実に気持ちいい。私も数日間だけ生野区を自転車で走ったことがありますが、小さな路地、工場などが入り組んだ街の雰囲気を思い出しました。ちなみに、カメラマンの南幸男さんは岡山県出身の方で間接的に知っている方でです。さらに昨日、おもしろいことに気がつきました。監督の杉本信昭さんは、直接には知らないのですが、法政大学出身。私も法政大学出身。そして『あしがらさん』の監督・飯田基晴さんも法政大学出身。はからずも、ポレポレ東中野のモーニングショーは、法政大学出身の監督が少しずつ年齢が若い者へバトンを渡していく格好になるのでした。こういう偶然というのもおもしろいものですね。
午後からは、昨日に続いてAz Contest2003に出かける。『土徳』はシネマ下北沢で見ていたので、それ以外の作品を見る。見た作品は、『かけがえの前進』『熊笹の遺言』『レター』『人生紙芝居』『アフガンアライブ』の計5本。前の4作品は今までに何度か見るチャンスがありながら見逃していた作品だったので、まとめて見ることが出来てありがたかった。個々の作品の感想は長くなるので割愛。不満な点がいくつかあったのだが、いずれの作品も現実と向き合おうとする真摯な姿勢を持っていることは間違いない。
休憩中、審査員で来られていた田口ランディさんにご挨拶。前作『科学者として』のアンコール上映の際に対談させてもらって以来、お会いしていなかったので、覚えていらっしゃるか不安でしたが、覚えていてくださりました。試写状を出しそびれていたので、すかさず試写状を渡してしまいました。
審査員3名による審査結果は、準グランプリに『熊笹の遺言』を選ぶも、グランプリはなし。これも一つの見識と思う。各々がドキュメンタリー映画に何を期待するか語られ、わが身のことにも引きつけて考えてしまいました。
上映会終了後、あまりチラシが減っていないことが残念だったので、出口でチラシを手撒きする。圧倒的に若い観客が多く、少しでも興味を持ってもらえたらと思う。
最後に、うれしい、思いがけないエピソード。Azは慶応大学のサークルなのですが、受付をやっていた男子学生の一人が、なんと『ニュータウン物語』の舞台である山陽団地出身だったのです。5歳までしかいなかったそうですが、チラシを見て興味を持ってもらえたようでした。世の中の出会いとは不思議なものだとつくづく思います。
12月6日
昨晩、と言うか今朝まで相変わらず予告編をアップするため試行錯誤するがうまくいかず、諦めてとりあえず寝る。
出かけていく用事があるため起きだして、またまた少しいじってみる。ん、テストしてみたらなんとかいけそうだ。よし、このまま予告編を見れるページを作ってしまえ、という感じで予告編のページを作る。Windows Media形式ですが、多分、見れると思います。低域用と高域用を用意しておきました。高域用は画質はきれいですが、ISDNの方が見るには、相当時間がかかります。(一度つながってしまえば、次からは楽ですが。)低域用は字幕がつぶれてしまって、よく分かりませんが、雰囲気ぐらいは伝わるかと思います。デザイン的にはしょぼいページですが、時間があれば直します。とりあえず、ほっです。
さて、出かけたのはAz Contest2003という、慶応の学生サークルが主催するドキュメンタリー映画祭。今年で4回目だそうだ。もちろん、チラシを置かせてもらいに行ったのだが、作品の方も気になったので見ることにする。(河瀬さんの作品は山形で見たのでパス。)何人か知った方がいたり、山形で『ニュータウン物語』を見た、という方もいた。
昨年の東京ビデオフェスティバルで”ビデオ大賞”をとった、『Rogo』という作品がおもしろかった。作者のおじいさんを淡々と撮った作品なのだが、馴れ馴れしくもなく、適度な距離感を持ちつつ詩的に描かれる様子が気持ちいい。ただし、タイトルを英語にする必然はあまり感じなかった。『老後』だと生なましすぎると思ったのかな。私は一瞬、おもちゃのROGOかと思ってしまった。
東京ビデオフェスティバルの入賞作は、おもしろい作品が多くて、いままでいろんな刺激を受けてきた。ジャンルは多岐にわたるが、ドキュメンタリーとしても見るべき作品は実に多いと思う。
今年初めて設けたという規定部門は、”Made
in Japan"というテーマで募集した作品から4作品が上映された。どの作品もいい線いっているんだけど、物足りなさが残ってしまった。
それにしても、学生が行うドキュメンタリー映画祭というのも貴重だなあ、と思う。
チラシを持って行ったのではあるけれど、結局映画を見ているわけで、はたしてこういうのは、仕事なのか趣味なのか・・。
明日も見ようと思っていたりするのだった。
12月5日
事務所にて予告編に関わる若干の作業。パルテノン多摩のホームページで予告編を流してもらえることになったので、素材を送る作業をする。おととい出来た予告編の最後に出る情報はポレポレ東中野用になっているので、劇場情報をカットしたものを送り、パルテノン多摩のほうでパルテノン多摩の情報を付け加えてもらうことになったのだ。また、自分のホームページ用にあれこれまた試行錯誤してみる。
今日は2回目のマスコミ試写。シネカノン試写室がほぼ埋まり、ひとまずほっとする。知った方が数人。多摩ニュータウン方面から4人。上映中は相変わらず落ち着かないので、気を紛らわすためにもしばし近くの本屋に行く。
知った方がいたせいだろうか、上映後は前回ほどには胃が痛い感じはしなかった。とは言うものの、緊張するのは変わらず。少しぐらいどこかで取り上げてもらえないかなあ、とも思う。(某誌は掲載してくれるそうだ、ありがたい。)しばしこうした時期が続くが、なんとか乗り切っていかねば。
来週も試写があるが、一旦、プリントを引き上げる。来週、毎日映画コンクールの試写が入ったので、綱渡りのようにプリントを運ばなければいけないのだった。
12月4日
昨日「こうご期待!」なんて書いてしまったものだから、ホームページに予告編を載せよう、と思って悪戦苦闘する。
なさけないことに、こういう仕事をしながら、私の映像環境がデジタル化したのはこの夏。本格的に扱っていないせいもあって、相変わらずの試行錯誤。
それにしても、デジタル化と言って、なんでもぱっぱと出来るかと思ったら大間違いで、なんでこうもファイル形式が違うのであろうか。(もちろん理由があるのでしょうが。)ファイルの書き換えが思いのほか面倒くさい。
加えて、私のパソコン環境がばらばらなことにも原因がある。事務所にあるビデオのパソコン編集機はインターネットに接続させておらず、この日記を書いてインターネットに接続しているパソコンは自宅にありノート型ときている。(蛇足ながら、事務所にはもう一台パソコンがあって、そちらはインターネットに接続しているのだが、とんでもなく古い代物で、とってものろいのだった。)ホームページに動画を載せるのは意外にやっかいなのだった。(詳しい人が読めば笑われてしまうが・・。)
そんなわけで予告編アップならず。
愚痴日記でした。
12月3日
パルテノン多摩での座談会に向けて、メールでゲストの依頼をする。多方面にわたる方々で、自分も話を聞いてみたい方々だ。はたして承諾していただけるか、固唾をのんで返事を待っているところだ。そうしているうちにタイムリミットは近づく・・・。
午後、デジタルムービー工作室に行って、予告編の仕上げ。音楽をつけ、劇場情報などを入れる。なんとか形になった。前より随分良くなった、と思う。これで少しでも「見たい」と思ってくれるといいのだが・・。
さっそく、ポレポレ東中野に持って行く。12月6日からモーニングショーで『自転車で行こう!』というドキュメンタリー映画が始まるので、その日から予告編を流してもらうことになっている。なんとか間に合った、というわけだ。
近日中に当ホームページでも予告編を流せるようにしたいと思っていますので、こうご期待!
12月2日
なんだか疲れていたのか、ちょっと寝坊。
事務所に行って、新聞記者関係に電話。当たり前といえば当たり前であるが、昼間はなかなか記者がつかまらない。それでも何人かの記者には「ぜひ、試写会に来てください」と頼み込む。「行きます」と言っても来てくれないのがこの世界だけど、まずは知ってもらわねば。そう思っていると、あるマスコミ関係の方から問い合わせが入る。この方は来てくれそうだ。
そうこうしているうちに、(と言うか昨晩判明したのだけど)明日までにやっておかなければいけないことがあったことを切実に思い出す。加えて、今日、どうしても行かなければいけないところもあった。
で、まずは、JVJA第2回写真展『世界の戦場から』に出かける。ある方からこの写真展のことを聞いたこともあって、出かける。明日までなのだった。広河隆一さんが準備している『DAYS JAPAN』のことも気になっているのだ。この雑誌名、かつてあった講談社の雑誌と同じである。その思いは分かる。私も学生時代、愛読していた雑誌だった。加えて言うなら、広河さんが移転前の予研問題を取材され、新井秀雄さんを写した号は今でも手元にある。『科学者として』を作るきっかけにもなったと思う。その名前を復活させることに期待はある。ただ、予約購読という形なので、まだ少し迷っている。(ちなみに、私は1誌だけ年間購読をしている。予研問題がきっかけで購読しはじめた「技術と人間」という雑誌。いい雑誌なんだけど、あまり書店で置いてないので、定期購読している。)
上映日誌のはずが、さらに脱線する。
写真展を見て、慌てて帰宅。明日までに、予研=感染研裁判控訴審判決を検討した文章を書かねばならないのだった。だいたいこの手の文章はいつもぎりぎりになって書いている。今回も同じ。難しい判決文とにらめっこしながら、3時間ほどかけて書く。少しでも役に立てばいいのだが・・。
明日は、予告編の仕上げ。明日こそは完成させなければ。
12月1日
今日から12月ということで新しいページのスタートです。
事務所に行って、今日は多摩方面のマスコミ関係に試写会の案内を送る。多摩方面からは試写会場が遠いこともあって、はたして来てくれるだろうか。
そうこうしていると、毎日映画コンクールから連絡が入る。とりあえず、審査員の方々に見てもらえることにはなったので、フィルムの搬出入が少々ややこしくなる。まあ、あまり難しく考えず、これも何かのチャンスと思い、あまり結果を考えず見てもらおう。
夕方デジタルムービー工作室に行って予告編の本編集開始。作業に入る前に山本さんに意見を聞く。実際に作業を進めながら修正を加えていくことにした。プロデューサーの伏屋さんも顔を見せてくださった。
1分半のものなので、3時間ぐらいで終わるかな、と思っていたら、これがこれが時間がかかってしまった。私の手際が悪い、ということもあるのだが、よりいいものにするために、試行錯誤していて時間がかかってしまった。でも、山本さんにいろんなアイディアを出してもらってよかったと思う。私が編集したものは、すんなり見れるものではあったのだが、ひっかかりが少なすぎた。予告編であるからには、観客に何がしかの興味・ひっかかりを持ってもらわないといけないわけで、そういう面では徐々によくなっていったと思う。こういうことは一人でやっていると意外に気づかなかったりするものなのだ。
10時半まで作業をしたが、結局、完成せず。やり残しをあさってまた行うことにした。
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