平成17年(行コ)第270号
控訴人 新井 秀雄
被控訴人 国
2005年11月16日
控訴人訴訟代理人
弁護士 島田 修一
弁護士 野澤 裕昭
東京高等裁判所第11民事部 御中
控 訴 理 由 書
第1 訴の利益について
原判決は、「本件厚労省通達発出の経緯及び同通達の内容に照らせば、厳重注意と勤勉手当の支給率とが結びつけられていないことは明らか」であるから、本件処分の無効確認を求める訴えの利益はないとして控訴人の請求を却下した(19頁)。しかし、以下の理由により、原判決は破棄されるべきである。1 旧厚生省の通知は、文書による厳重注意を受けた職員の勤勉手当を100分の55とする基準を定めていたところ、厚労省設置後は「別に定める」とされたが、その後「別の定め」は定められていない。したがって、控訴人の勤勉手当が旧厚生省の通知に準じて100分の55とされたことが窺われる。
2 平成12年12月2日から平成13年6月1日までの評定期間中、控訴人は本件処分以外の制裁を受けたり、無断欠勤その他100分の60から減額されるべき事由はない。
3 100分の55は最低の支給率であるが、控訴人は過去に100分の55とされたことは一度もない。
4 以上、控訴人の平成13年6月勤勉手当が100分の55とされた理由は、本件処分を受けたことにあり、他にはない。現に、同年1月4日、控訴人が本件処分書の交付を受けた際、荒木総務部長は控訴人に対し、本件処分にもとづき勤勉手当を5%カットする旨を通告し、被控訴人も平成13年6月22日付け答弁書(4頁)において、「文書による厳重注意を受けた者は、勤勉手当を100分の55とする厚生省人事課長通知があるので、次の6月の勤勉手当はこのようになる。」と説明した、と本件処分と勤勉手当の支給率に結びつきがあることを認めている。
本件処分を理由に勤勉手当を通常の100分の60から5%カットされたことは明らかであるから、この点の判断を誤った原判決は破棄されるべきである。そして、本件処分の無効が確認されない限り控訴人に生じた勤勉手当の減額という不利益は回復されないから、控訴人は本件処分の無効確認を求める利益はあるものである。
第2 本件処分の違法性について
原判決は、「感染研からの病原体等漏出の危険性について」の項目において、本件著書及び本件発言のうち、感染研の安全対策の設備に欠陥があるなどと指摘した部分は真実とは認められず、真実と信じるに足りる相当の理由があったと認めることもできないと判示した(28頁)。しかし、その判示は被控訴人の主張を一方的に採用した結果であり、控訴人が提出した証拠を吟味しない極めて一面的だとの誹りを免れない。
1 感染研の主張を鵜呑みした原判決
(1)原判決は、「以上の事実を前提」(27頁)として感染研からの病原体等漏出の危険性の有無について論及しているが、「以上の事実」とは判決書22頁の(3)アの事実である。しかし、そこで認定している事実は引用証拠が乙号証だけであることにみるように、P3実験区域の構造、HEPAフィルターの性能、各実験区域の排水処理方法、戸山庁舎の構造耐力、地震対策、火災対策等に関する被控訴人の主張を一方的に採用しただけである。
そして、「以上の事実を前提」に、「感染研は・・・病原体の漏出を防止するために、高機能の設備を重畳的に設け、万一緊急事態が発生したときに備えた設備や態勢も整備している等、高度の水準で安全対策を施していると認められる」として生物災害発生の具体的危険性を否定したのである。しかし、この結論にはとうてい納得できない。
(2)病原体等施設は本来危険な施設である。控訴人は、病原体等実験施設は本来的に危険な施設であることを、証人本庄重男、WHO勧告、内外の科学者の所見、日本国内での市民の認識と判決例等にもとづいて科学的客観的に立証したが、原判決はこれを一顧だにしていない。とりわけ戸山庁舎は日本で代表的な病原体等実験施設であるにもかかわらず、その病原体等安全管理規定はWHOや諸外国のそれと比べて安全確保の基準設定がより緩やかな内容であること、実験室内感染が1972年まで70例、82年から93年まで9件も発生していることから実験者を通じた二次感染の可能性が高いこと、実験動物の使用実績はマウスだけでも4万4000頭を超える(2000年度)など他の病原体等実験施設の比ではなく巨大であること、病原体の媒介動物であるゴキブリが庁舎内を徘徊していること、獣医学関係者の間では今や人畜共通伝染病として危険視されているボルナ病ウイルスが諸外国では危険度3に分類されているのに感染研は危険度が低い2に分類していること、情報公開された「設備保守日誌」(99年度〜00年度)だけをみても施設トラプルが頻繁に発生しており、戸山庁舎の施工管理から日常管理まで病原体等を取り扱うに相応しい管理がなされていないこと、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」で4類感染症に指定されているレジオネラ、が戸山庁舎の冷却塔で発見されたこと等々、戸山庁舎が病原体等実験施設として極めて危険な施設であることを数々の証拠で明らかにした。
しかし、原判決はそれら証拠を無視し、「以上の事実」だけを前提にして戸山庁舎の具体的な危険性を否定したのである。
2 論旨一貫しない原判決 原判決は、HEPAフィルターは病原体等の漏出を完全に防ぎえないこと、一定量の病原体等が漏出していること、P2排水処理に滅菌設備がないこと、耐震構造よりは免震構造が望ましいこと、防火対策が基準を満たしていないこと、ゴキブリが発見されたこと等を認定して、感染研から病原体等が漏出する可能性や危険性は科学的に完全に否定しえないことを窺わせる旨判示した(28頁)。しかし、そのように判示しながら、HEPAフィルターの性能に問題はない、安全キャビネットや排水設備に異常はない、として感染研から病原体等が現実に漏出し、生物災害が具体的に発生する可能性や危険性があることまでは根拠づけられるものではない、と結局はその危険性を否定した。一方で病原体等の漏出を認めながら、他方で生物災害発生の危険性はないというのであるが、この論旨は一貫しないというべきである。
(1)原判決は、病原体等が漏出する危険性を認定する証拠として一部の甲号証を列挙するが、危険性を認定する証拠はそれに止まらない。甲5、15、19〜21、 23、24、35、39〜42、121〜128、150〜155、157、158および証人武藤徹、同本庄重男、同川本幸立の各証言はいずれもそのことを認定する科学的な証拠である。これらを病原体漏出の危険性を認定する証拠から排除する科学的・合理的理由はない。
これらの証拠を総合的にみれば、戸山庁舎から病原体等が排気と排水を通して、日常、周辺に漏出していることは間違いのない事実である。また、大規模地震や火災の非常時においても回復しがたい生物災害が発生する危険性も無視できない。それなのに、どうして生物災害発生の危険性はないと言えるのか。原判決は説得ある理由は何も示していない。
(2)原判決は、甲26〜30、44〜46、118、137の2を根拠に生物災害発生の具体的危険性を否定するが、これは証拠の評価を著しく誤ったものというべきである。これらの証拠はいずれも情報公開法にもとづいて明らかとなった情報だが、いずれも被控訴人の主張に根拠がなく具体的危険性を裏づけるものである(詳細は原審提出準備書面、武藤証言、川本証言を参照)。
ア 甲26〜30の資料は、P3施設の排気ダクトに設置されている 「HEPAフィルターの現場DOP試験データ」と「P3実験室安全キャビネット点検報告書」である。これら資料は、病原体等が外部に排出されていること、安全キャビネットのHEPAフィルター走査試験で99.99%の集塵効率など確認されていないこと、を裏づけた情報である。
イ 甲44の資料は、1ミクロン以上の粒子はHEPAフィルターの上流側 では負荷を行っていない、下流側で計測された1ミクロン以上の粒子は塵埃である、とする被控訴人の主張の誤りを裏づけた情報である。
ウ 甲45、46の資料は、戸山庁舎のP2実験排水処理設備に滅菌装置は施されておらず、滅菌または消毒されないまま排水している事実を裏づけた情報である。エ 甲118の資料は、HEPAフィルターの交換工事の際に清掃を行うため、被控訴人が主張する塵埃説の誤りを裏づけた情報である。
オ 甲137の2の資料は、P2実験室の排水処理施設の滅菌処理がなされていない事実を裏づけた情報である。
(3)このように、上記各資料は、HEPAフィルターや安全キャビネット、排水設備の「性能」の問題点を指摘した貴重な情報であり、この情報に基づいて戸山庁舎で取り扱う病原体等が排気や排水を通して外部に排出されていることが裏づけられたのである。被控訴人がいうHEPAフィルターの捕捉率99.99%は0.1〜0.3ミクロンの検査結果でしかなく、証人武藤徹は上記資料に基づいてその大きさ以外の粒子の捕捉率はもっと低いことを突き止めたのである。原判決は被控訴人の主張を漫然と信用し、武藤証人が明らかにした重要な事実に目をつぶったというべきである。
3 WHO指針違反等について
原判決は、感染研の「安全管理規定」が諸外国に比べて緩和された内容となっていることや、WHO「病原体実験施設安全対策指針」の基準を満たしていない事実があったとしても、そのことは生物災害発生の可能性や危険性を直接的には根拠づけるものではない、と判示する(29頁)。しかし、その理由は何も示されていない。
(1)WHOを始めバイオ施設を保有する諸国は「安全管理規定」を整備しているが、その理由は、病原体等の危険度分類は封じ込め実験室等の選択にかかわる安全対策の大前提であり、危険度分類を通して地域社会の安全を確保することにある。したがって、危険度分類が緩やかであればそれだけ地域社会への危険度が高まることを意味する。この観点から感染研の「安全管理規定」を検討すると、レベル3の病原体がレベル1のそれより個体にとって危険度が高いとされていることは当然だが、地域に対する危険度が同じ「低危険度」とされていることは大きな間違いである。レベル1の病原体と3のそれが地域社会に漏れた場合、同じ危険度であることはあり得ないからである。レベル2についても、「軽微な」危険度とはいえない。感染研はO−157をレベル2の病原体と指定しているが、ヨ−ロッパではレベル3であるから地域社会にO−157が漏出した場合、「軽微な」危険度であるはずがない。
ここにみる感染研の姿勢は病原体の分類にあたって科学的な定見がなく、地域社会に対する危険性を真剣に考慮した形跡がないということである。だからこそ、WHOが1983年初版を1993年に改定してそれまでの危険度分類を高くしたときも、EU理事会指令が厳しい分類を指令したときも、感染研は改定しなかったのである。危険度分類が緩やかであればあるほど、地域社会に対する危険が高まることは国際社会の常識である。
(2)戸山庁舎におけるWHO「指針」の基準違反の実態は、甲170に見るとおりである。このことは、戸山庁舎に対する国際査察でも再確認された(甲12)。数々の「指針」違反の実態は、感染研が「指針」を重大視せず、安全対策につき唯我独尊の態度をとっているからにほかならない。「指針」は世界各国のバイオ専門家による作業グループが築きあげた科学的知見の集大成であり、最低基準の遵守を世界の病原体等実験施設に求めたものである。このことは、総括責任編集者であるコリンズ博士が「指針」は「安全な実験の仕方についての勧告」であり、「勧告は最低限の一連の指針で、先進諸国では容易に適用できるものであり、先進国でない諸国でも目標になるものだ。事実、いくつかの先進諸国では、国家的に同意された基準は、いくつかの点で、WHOの勧告よりも高い水準にある」と、「指針」が最低基準として普遍性を有すること、可能な限りそれより高い水準を設定するようにと述べていることからも明らかである(甲171)。
(3)こうして「安全管理規定」を厳しくし、WHO「指針」を最低限遵守することは、生物災害発生の具体的危険性を予防するうえで極めて重要であるが、原判決は、「安全管理規定が諸外国と比較して緩やかであった等の事実があったとしても、そのことは生物災害発生の可能性や危険性を直接的に根拠付けるものではない」とした。しかし、生物災害は、設備の性能、基準の遵守、基準の厳格さ等、それらの違反や軽視が積み重なって発生の危険性が強まるのであって、1つの違反が生物災害に「直接的」に結びつくものではない。原判決はこのことをまったく理解していないというべきである。
4 人為的過誤について
原判決は、人為的な過誤による災害発生の可能性等は否定しえないと指しながら、本件処分の対象は「設備」の欠陥の指摘に対してであって、人為過誤の可能性の指摘ではないから、それは「設備」の欠陥の根拠とはならないという(29頁)。また、「人為的な過誤の可能性があることから、感染研の設備が安全性を欠くとも主張する」とか、「人為的な過誤の可能性があることをもって、感染研の設備に欠陥があることの根拠ともならない」ともいう。
しかし、控訴人はそのような主張などしていない。本件著書において人為的過誤の実例を紹介し(甲3の97頁以下、110頁以下)、人為的過誤を想定した生物災害防止対策の重要性を提起しているのである。また、設備の安全性が欠けていれば人為的過誤は起こりやすいが、逆に人為的過誤が設備の安全性の欠落をもたらすものではない。原判決は、「設備」の欠陥の有無に問題を摩り替えているというべきである。
5「資料」について
原判決は、「原告が、具体的にいかなる−資料を参考に本件著書を著し、あるいは本件発言をしたのかは必ずしも明らかでない」としたうえ、第1に、実験等差止請求訴訟で提出された証拠資料等を参考にしたものだとしても、これらの資料の内容は(ア)のようなものにとどまること、第2に、感染研が同訴訟において病原体等の漏出の危険性を明確に否定していたこと、以上の理由にもとづいて「真実と信じるに足りる相当な理由があったとすることには疑問が残る」という(29頁)。
しかし、控訴人が本件著書を著したのは、感染研という巨大な病原体等実験施で長年研究してきた経験とそこから得た知見に基づくものであり、限定された資料に基づくものではない。また、(ア)の資料にとどまるというのも勝手な決めつけである。(ア)の資料とは原判決が限定的に列挙(28頁)したものにすぎず、それ以外に上記2(1)で紹介した科学的資料等も含み、国際査察でコリンズ、ケネディ両博士がなした批判、すなわち感染研の安全対策は極めて不十分だとして、「危険を及ぼす大きな可能性が存続する」「住民がいない土地に再移転することを、感染研は真剣に考慮すべきである」との査察結果(甲12)も貴重な資料である。本件著書が限られた少ない資料を参考にして出版されたという原判決の判示は、何の根拠もない。
さらに、「実験等差止請求訴訟で感染研が病原体等の漏出の危険性を明確に否定していたから」、本件著書の真実性には疑問が残るとした論旨は暴論というべきである。訴訟は主張が対立する場であるから、一方の主張、とりわけ国家機関である感染研が主張しているからその方が正しい、とどうして言えるのか。1審判決も出ていない段階で、どうして言えるのか。これは、当局の主張や見解を批判し反対する言論を弾圧する論理である。これでは内部告発も封殺されることとなる。言論表現の自由は、とりわけ国家権力に対して保障された基本的人権であろう。このことを理解しない原判決は、司法の役割を放棄したと厳しく批判されるべきである。
6 「設備」について 原判決は、本件著書および本件発言のうち、感染研の安全対策の設備に欠陥があるとの指摘は真実ではない等と結論づけたが、本件著書や発言は「設備」に限定したものではない。判決書添付の別紙をみてもこのことは明らかである。感染研は病原体等を外部に強制排出していること、媒介動物であるゴキブリが徘徊していること、実験者の安全を優先していること、地震火災のとき病原体等が一気に放出される危険があること、したがって住宅密集地での実験は危険であり、立地条件を考慮すべきこと、これらを総合的に批判したものであり、「設備」の欠陥だけを批判したものではない。原判決はここでも問題を歪曲するものである。
7 偽造について 原判決は、倉田が査察報告書を偽造したとの疑いを控訴人が持ったとしても理由がないとはいえないといいつつ、本件著書は倉田が査察報告書を偽造したと断定した上、訴訟で勝つために行ったこと、偽造は感染研の組織が生んだ犯罪であるとの事実を摘示しているから、このことはオビアット、リッチモンド両博士が倉田に署名代行権限を与えたことに照らすと、文書偽造という犯罪行為をしたと断定することまでに相当の理由があったとは言い難いという。しかし、本件著書を出版した平成12年11月10日当時、倉田の署名偽造問題は次の状況にあった。
(1)実験差止請求訴訟において、感染研は提出期限を経過した後の平成9年9月10日、オビアット、リッチモンド両名の名義に係る報告書を提出してきた。しかし、その報告書には作成日付が記入されていなかった。両名が先に感染研所長に宛てた手紙には日付が記入されていたので、報告書に日付がないことに疑問を抱いた原告住民らは報告書と手紙にあるオビアット、リッチモンド両名の署名の同一性を鑑定したところ、別人によるとの鑑定結果が出された。そこで、住民らは1年後の平成10年6月19日、東京地検に対し被疑者不詳のまま感染研提出の報告書について私文書偽造等の容疑で告発した。また、原告住民らは差止請求訴訟において感染研が偽造文書を提出した行為を厳しく批判したところ、感染研は初めて倉田がオビアット、リッチモンド両名の署名を代行した旨を明らかにした。報告書を証拠として提出してから1年後の弁明である。しかし、科学者が自ら作成した報告書の署名を第三者に代行させる慣習などないうえ、査察を受けた側が査察者に代わって署名を代行、しかも模写まですることはとうてい考えられないことである。
これに加え、倉田は査察の際の感染研側立会人であったこと、報告書を地裁に提出する際、指定代理人から署名代行の説明はなかったこと、署名代行であれば代行者が自分の署名をして代行であることを明らかにすべきところ、倉田はその事実を伏せたばかりか筆跡を真似て署名し、あたかもオビアット、リッチモンド両名が真正に署名したかのような装いを凝らしていたこと、以上の驚くべき事実が次々に判明したのであった。
(2)さらに、刑事告発の翌日、マスコミが「国側鑑定書に『偽造の疑い』」と報道した(甲10)。慌てた感染研は部長会を急遽開催し、席上、倉田は「ほんとうはそんなことはしたくなかったのだけれども、感染研のために、大所高所から考えると、自分が泥をかぶってもそれをやらなければいけないと決意した」(甲3の180頁)と自分が署名したことを認め謝罪したのである。部長会に出席した渡辺治雄細菌部長が控訴人が所属する細菌部のミーティングで倉田の上記発言を紹介したところ、腸内細菌室長が「とんでもない問題だ」と激怒し(甲3の180頁、甲11)、控訴人も「ひどいことをした。とんでもないことをした」と驚いた。研究成果を論文として発表する場合、研究者自身が自ら署名することは至極当然であり、その研究者以外の者が署名を代行することなどあり得ないことから、細菌部所属の研究者全員が倉田の行動に驚いたのである。
偽造問題は細菌部以外の研究者にも広がり、「いったいこれはどうなっているんだ」「真相をはっきりさせるために所の中で集会を開いてちゃんとしないといけないんじゃないか」「やっぱりとんでもないことじゃないか」等々、「偽造問題」として憤りのメールが感染研内で飛び交い、倉田を擁護する声は一つもなかった。科学に携わる者にとって倉田の行為は信じられないとの声が所内を覆ったのである。
新聞報道に続いて同年9月、週刊誌『アエラ』が“国立感染研が米国人署名偽造”として報道した(甲11)。そこでは、偽造容疑が浮上した経過、上記部長会の模様、厚生本省の驚き、森次保雄感染研副所長の「下書き」発言等、偽造にまつわる関係者の証言が詳細に報道され、さらにオビアット、リッチモンド両名は完成した報告書を平成9年8月中旬、WHOの当局者に参考までに渡していたことまで明らかとなった。
(3)平成10年10月、国はオビアット、リッチモンドは倉田に署名の代行権を与えた旨の書面(乙23、24)を地裁に提出してきた。刑事告発から4ケ月の間、倉田と感染研に向けられた偽造容疑が深まったことから、感染研は容疑を払拭するべく書面を提出してきたのである。しかし、現に署名代行の許可を与えていたのであれば、報告書提出の際、上記書面を同時に提出すれば済むことだし、筆跡を真似る必要など毛頭ない。倉田が署名したことが住民側の追跡から判明したため、追い込まれた倉田と感染研が慌ててオビアット、リッチモンドに対し代行を許可していたとの書面の作成を依頼もしくは懇願したことが優に推測される。
(4)以上の状況の中で、控訴人が、「後追いでそのようなものが出てきたとしても、倉田氏自身がそれを偽造したということの事実は変わるわけでもないし、その嫌疑は晴れない」と考え、また1年後に真相が発覚するまで司法と主権者を騙して隠蔽を続けてきたうえ、刑事告発の結論も地裁判決も出されていない中で、自然科学者である控訴人が本件著書において、署名偽造と批判したことには相当の理由があったと認めるべきである。
また、倉田は感染病理部長として差止請求訴訟で国の指定代理人を務めていたこと、報告書の内容が「感染研は感染症に関する業務の結果として、外部の隣接区域にバイオセーフティに係わる脅威を与えることはない」と断定し、住民ら申請の査察者の報告とは正反対の内容となっていたこと、倉田は主任指定代理人に代行の事実は伝えなかったことを認めたが(倉田調書39頁)、許可を当時得ていたのであれば主任指定代理人に伝えない理由は何もないこと、差止請求訴訟は感染研が戸山地区で行う病原体等実験の差止請求であるから感染研が当事者であるが、勝訴するため組織をあげて応訴するのが通常であること、以上の事実は倉田と感染研が差止請求訴訟で勝訴するため、倉田がなした署名の事実を伏せたまま報告書を提出したことを物語るものである。
(5)その後、感染研の所長以下の幹部で構成する部長会は倉田を副所長に推薦する決定をなし、平成11年4月、倉田は副所長に昇格した。偽造容疑が晴れない時期の昇格であったことから、差止請求訴訟の原告住民らは倉田昇格を厳しく批判した。平成12年3月、差止請求訴訟の原告団長である芝田進午(広島大学名誉教授)は署名偽造問題に関する意見書(甲158)を地裁に提出し、「感染研の場合は、かりそめにも学術研究施設である。その部長会が署名偽造犯罪者の責任を問うどころか、反対にそれを評価して『副所長』に昇格させた。このことは感染研部長会のメンバーが『マッド・サイエンティスト』なのではないか、彼らが全体として腐敗しているのではないかという疑惑を深めないではおかない」と厳しく批判した。倉田が報告書に署名したことを知った部長会は、所内はもとより所外においても容疑が何ら払拭されていなかつたにもかかわらず、倉田の昇格を事実上決定したことから、芝田原告団長は感染研を厳しく批判したのである。控訴人も同様、倉田昇格に驚くとともに、感染研が組織ぐるみで倉田を逆に評価したものと思い、本件著書で感染研を批判したのである。
(6)以上に見るように、本件著書を出版した当時、倉田が署名を偽造したことを疑うに足りる事情は多々あり、署名偽造という犯罪行為を行ったと信じたことに相当の理由があったと認めるべきである。原判決はオビアット、リッチモンドの署名代行権限を与えていたとの証明書の存在を最大の理由とするが、その証明書が作成されるまでの倉田と感染研の隠蔽の事実、作成時期が報告書提出の1年も経過した後であること、自ら査察しておきながら査察を受けた感染研の幹部に署名代行を認めることなど通常あり得ないこと、このような問題点に目をつぶったものである。
8 内規違反について
原判決は、控訴人が本件取材前に本件内規に規定された手続きを取るべきであったのに取らないで取材に応じたことは、内規違反であると同時に規律違反行為として控訴人に本件処分をしたことは理由があるという。しかし、本件処分は内規違反を理由としていないばかりか、本件訴訟の争点にもされなかったものである。原判決はこの点だけでも破棄されるべきである。
付言するに、控訴人は本件取材を職務遂行過程において応じたものではなく、主任研究官として応じたものでもない(取材申込は勤務時間外に自宅で受けた)。感染研のバイオセーフティ対策管理室の室員として取材を受けたわけではなく(控訴人は室員ではない)、感染研を代表する立場で応じたものでもない。本件著書は控訴人が市民の立場、科学者の立場から著したものであり、その著者として取材に応じたものである。そして、控訴人にも言論表現の自由は最大限保障されているから、本件内規(内容は単なる届出事項に止まらない)でもって控訴人の基本的人権を抑圧することなど許されるものではない。
第3 憲法21条違反
1 本件著書について
本件著書及び本件記事(以下、まとめて「本件著書」と言う)は、既に詳述したとおり合理的かつ客観的証拠に基づいた真実の内容を記載したものである。したがって、仮に被告の名誉・信用を毀損したとしても違法性が阻却されるから(刑法230条2の類推)原告に民事・刑事の責任はなく、これに対する不利益処分である本件処分は違法、無効である。
また、仮に真実性の証明がないとして何らかの被告の名誉・信用を毀損したとしても、原告が本件著書で述べた事実が真実と信ずることに相当な理由がある場合は、これに対し厳重注意という不利益な制裁的処分を課すことは違法となるというべきである。原判決は、本件著書について、「真実であるか、あるいは真実と信じるについて相当な理由があるのであれば、本件著書及び本件発言は正当な表現活動というべきである」とし(21〜22頁)、これが本件処分が裁量権を逸脱、濫用したと認められるかどうかを判断するに当たっても最も重要な要素であると判示した。これは、本件著書が公共の事実に関するもので、公益を目的とした言論活動であることを認めたうえで、表現の自由と名誉段損との調整を図った刑法230の2に関する最高裁判決の「真実との証明がない場合でも、行為者が真実であると誤信し、それが確実な資料に照らし相当の理由があるときは、罪は成立しない」(最大判昭和44年6月25日刑集23巻7号975頁)、および不法行為に関する最高裁判決の「真実であることが証明されなくても、その行為においてその事実を真実と信ずるについての相当の理由があるときには、右行為には故意もしくは過失がなく、結局、不法行為は成立しない」(最判昭和41年6月23日民集20巻5号1118頁)を踏襲したものである。
原判決が表現の自由を保護しようとした最高裁判決を一応踏襲した点は正当である。しかし、原判決の最高裁判決の理解は極めて浅薄であり、結局、表現の自由を著しく制約する方向で解釈適用しており、判例違反を犯したものである。
2 相当の理由の解釈
(1)前述の2つの最高裁判決については、「刑法230条の2第1項について表現の自由に配慮した定義づけ衡量をした点ではきわめて注目に値するが、アメリカで画期的判決と言われる1964年のニューヨークタイムズ対サリバン判決が打ち出した「現実的悪意」の法理と比べるとなお表現の自由の自己統治の価値を十分に活かしていないのではないか」と疑問が提起されている(芦部信喜『憲法学V人権各論(1)』353頁)。芦部は、「というのは、ニューヨークタイムズ判決は、『公共性のある論争点に関する討論は抑制されてはならず、騒々しく、かつ広く開かれているべきであり、またその討論は、政府および公職にある者に対する激しく痛烈な、時として不愉快なほど鋭い攻撃を含むのは当然である、という原則への深い国民的な誓い』を確認し、『誤謬を含んだ言明は、自由な討論には不可避であり、しかもそれは、もし表現の自由が『生き残る』ために・・・必要な『息づく空間』を持つべきものだとすれば、保護されなければならない』ことを明らかにした先例の趣旨を強調することから論を起こしている。」 (同353頁)そして、同判決は、名誉毀損的表現を行った加害者の表現の真実性が証明されれば被告は名誉段損の責任をまぬがれることができる、という真実性の抗弁は言論出版の自由を保障した修正1条とは相容れないルールだと断じ、「その表現が『現実的悪意』をもって、つまり、それが虚偽であることを知っていながらなされたものか、または虚偽か否かを気にもかけずに無視してなされたものか、それを原告(公務員)が『明白かつ確信を抱くに足る証明』によって立証しなければならない、という新しい法理を打ち出した・・」とアメリカの「現実の悪意」の法理を紹介し、前最高裁2判例は表現の自由の民主主義社会における優越的価値を最大限尊重したアメリカの法理より後退していると指摘している。
つまり、アメリカの法理は、公務員ないし公的存在の公的側面にかかわる名誉毀損事件では、被害者の方でその言説が「現実の悪意」をもってなされたことを立証しなければならないと非常に手厚く表現の自由を保護している。因みに、佐藤幸治は、「この法理(現実の悪意の法理)の基本的発想は日本憲法上も妥当なものと解され」ると明言している(『現代法律学講座5憲法〔第3版〕』526頁)。つまり、日本国憲法は、ニューヨークタイムズ事件判決の依拠する「現実の悪意」の法理を排除していないとの解釈が成り立つのであり、前記最高裁2判例の解釈に当たってもこの観点で表現の自由に十分配慮した解釈がなされるべきなのである。
(2)前記最高裁2判例の解釈について、平川宗信は、「憲法は、表現の自由に優先的衡量ないし優先的地位を与えている。このような表現の自由の優先的保障を前提とするならば、表現の自由の中核的部分は、一般的利益に優先し、それゆえ名誉の保護にも優先すると考えざるをえない。したがって、ある言論の保護が、表現の自由の中核機能をはたさせるために必要であると解される限りは、それは、名誉の保護に優先することになる.表現の自由の中核的機能とは、公的問題に関する討論、意思決定に必要・有益な情報の自由な流通を確保することにほかならない。それゆえ、他人の名誉を侵害する言論も、それを保護することがこのような情報の自由な流通を確保するために必要な限りでは、正当なものとされなければならない。言論が、違法とされ刑罰が科されるのは、かような必要がない場合に限られる」(『名誉毀損罪と表現の自由』65頁)とし、「その事実が真実であることを一応推測させる程度の相当な合理的根拠があり、それに基づいて言論がなされることが必要である。しかし、真実であることの蓋然性が高度であり、その事実を真実と判断しても無過失であると言える程度の確実な資料・根拠は必要でない。それだけの根拠はなく、真実と断定するにはなお疑問の余地を残していたとしても、この程度に相当な合理的根拠があればよいと解すべきであろう」 (同92頁)としている。そして、違法性阻却の要件としては、「その事実が真実であることを一応推測させる程度の相当な合理的根拠があり、それに基づいて言論がなされることが必要であり、それで足る」 (平川)との解釈が妥当とされている。表現の自由の基本的人権における優越的地位及び憲法上も「現実の悪意」の法理を排除していないとの解釈からすれば、平川の「その事実が真実であることを一応推測させる程度の相当な合理的根拠があり、それに基づいて言論がなされることが必要であり、それで足る」との判断基準は至極妥当なものと言える。
(3)本件著書は、感染研という国家機関(公的機関)及び感染研の感染病理部長(公務員)であった倉田の署名偽造容疑に関するものであり、まさにアメリカの法理の「現実の悪意」の法理、すなわちそれが虚偽であることを知っていながらなされたものか、または虚偽か否かを気にもかけずに無視してなされたものであることを国が立証しなければならないとの法理が該当する事案なのである。
もとより、「現実の悪意の法理」が、いまだわが国では認知されるに到っていないとしても、平川のいうように表現の自由の優越的地位、特に公的機関及び、当該機関の公務員にかかわり、かつ広く国民の生命健康の安全にかかわるテーマについての論説である本件著書は、憲法21条のもとで十分保障されなければならないから(もし、被控訴人がこれが真実でないというのであれば、言論の自由市場で自らの言論をもって反撃し国民の共感を勝ち取ればいいのである)、その発表の自由は最大限保障されなければならない。
よって、前最高裁2判例の解釈にあたっても、同判決に言う「真実と信ずるについての相当な理由があるとき」とは、「その事実が真実であることを一応推測させる程度の相当な合理的根拠があり、それに基づいて言論がなされることが必要であり、それで足る」というべきである。
3 原判決の誤り
(1)原判決は、最高裁の2判例の「相当な理由」という用語をそのまま使用してはいるが、単に同様の用語を使っただけで、表現の自由の保障の重要性に対する認識、理解に著しく欠けている。控訴人が本件著書をあらわすのに依拠した資料は、先述(第1、5)したとおり、控訴人が主任研究官として感染研内で実体験した事実および差止請求訴訟における原告住民が提出した膨大な証拠であり、そのなかには感染研名誉所員の証言(本庄重男)や世界的に著明なコリンズ、ケネディ博士の査察報告書が含まれている。これらの資料は、少なくとも「その事実が真実であることを一応推測させる程度の相当な合理的根拠」となるものである。
なお、原判決は病原体等の漏出の具体的危険性があるとの証明はないというが、本件は差止請求訴訟ではなく、言論表現の自由の保障如何が問われている事件であり、差止請求訴訟の要件である具体的危険性の有無は争点にならない。あくまで本件著書に「その事実が真実であることを一応推測させる程度の相当な合理的根拠」があるか、つまり病原体等の漏出等の危険性があるとの本件著書の記述が真実であると一応推測させる程度の相当な合理的根拠があるか否かだけが問われるべきであり、その観点からすれば控訴人が依拠した前記の膨大な資料はこれに十分当たるというべきである。
(2)これに対し、原判決は、「感染研が実験等差止請求訴訟において同訴訟の原告らや本件原告の指摘する病原体等の漏出の危険性を明確に否定していたのであるから、原告が、本件著書及び本件発言内容を真実と信じるに足りる相当な理由があったとすることには疑問が残る」として、相当な理由の存在を否定した。これは、当該言論で批判された当事者が表現者の言論の内容を否定する発言をしていたとの一事をもって表現者が当該言論を真実と信ずる相当な理由はないというものである。
しかし、これでは国家機関を批判するとき国家機関側が批判内容を真実でないと反論しただけで批判をした者は処分されてしまうことになり、先述(第1、5)したように、まさに言論圧殺に道を開く以外の何物でもない。原判決の論理では、自由な言論活動は完全に否定される。アメリカの法理である「現実の悪意」法理をひくまでもなく、最高裁判例の立場にたっても、このような表現行為を圧殺するような解釈は否定されるべきである。
前述したニューヨークタイムズ判決の「公共性のある論争点に関する討論は抑制されてはならず、騒々しく、かつ広く開かれているべきであり、またその討論は、政府および公職にある者に対する激しく痛烈な、時として不愉快なほど鋭い攻撃を含むのは当然である、という原則への深い国民的な誓い」を確認し、『誤謬を含んだ言明は、自由な討論には不可避であり、しかもそれは、もし表現の自由が『生き残る』ために・・・必要な『息づく空間』を持つべきものだとすれば、保護されなければならない』という表現の自由に対する手厚い保護の思想とのあまりの落差に愕然とするほかない。このような結論は現憲法においても決して許容されるものではない(前出佐藤幸治)。原判決の最高裁判決の解釈の誤りは明らかであるから破棄されるべきである。
4 署名偽造について
(1)原判決は・科学者が裁判所に提出する学術的な文書に作成者が自ら署名せず、訴訟の指定代理人が署名を代行することは通常想定し得ないこと、倉田が筆跡をまねていたこと、オビアット・リッチモンド両博士が倉田に署名代行を許可した証明書は偽造問題が起こった後に提出されていることなどの事情から、倉田が署名「偽造したとの疑いを持ったとしても理由がないとはいえない」と一応は述べる。しかし、原判決は「両博士は倉田に署名代行権限を与えていたとの証明書を作成していた事実が明らかになっていた」ことを根拠に、倉田が文書偽造という犯罪行為をしたと断定したことに相当な理由があったとは言い難く、まして感染研が組織として文書偽造という犯罪を行ったと信じたことについて相当の理由があったとはいえない、とした。
しかし、ニューヨークタイムズ判決の「公共性のある論争点に関する討論は抑制されてはならず、騒々しく、かつ広く開かれているべきであり、またその討論は、政府および公職にある者に対する激しく痛烈な、時として不愉快なほど鋭い攻撃を含むのは当然である、という原則」からすれば、控訴人による倉田及び感染研に対する批判は許容範囲内であることは明らかである。倉田は、(原判決は指摘していないが)署名代行した事実を裁判所はもとより当時の訟務検事にも隠していたのである(倉田証言)。原判決が指摘するような単に科学者として通常想定し得ない行動をしただけでなく、訴訟行為のあり方としてもきわめて異常な行動を倉田はしているのである。しかも倉田は、差止請求訴訟の原告が告発するまで署名代行の事実を隠し、告発で署名偽造問題が公になって初めて両博士の「授権証明書」をあわてて取り寄せた。
こうした倉田の常軌を逸した行動に対し、控訴人が署名偽造を疑い、かかる倉田を副所長に昇格させた感染研もこれと同罪として批判したことはまさに相当な理由のある言論活動というべきである。繰り返すが、アメリカの「現実の悪意」の法理が立脚する「公共性のある論争点に関する討論は抑制されてはならず、騒々しく、かつ広く開かれているべきであり、またその討論は、政府および公職にある者に対する激しく痛烈な、時として不愉快なほど鋭い攻撃を含むのは当然である、という原則」が日本国憲法でも妥当なものであること(前出佐藤幸治)や、少なくとも「その事実が真実であることを一応推測させる程度の相当な合理的根拠」があれば「相当の理由」があったというべきことを勘案すれば、この問題が当初新聞報道、アエラ誌で「署名偽造」問題として報道されたこと、倉田が訟務検事にすら署名代行の事実をひた隠しにしていたこと、倉田が裁判所に提出した外国人学者(オビアット、リッチモンド両氏)の署名を代行したことが発覚したとき、控訴人が所属していた細菌部では倉田を強く非難声が上げられたが支持する者は一切いなかったこと、所内の電子メ−ルでは盛んに「署名偽造問題」として問題とされそこでも支持する者はいなかったこと、科学者として自分の論文の署名を他人にしかも査察対象とした機関の者にさせることは科学者の良心としてとうてい信じられなかったこと、差止請求訴訟で住民側が倉田を副所長に昇格させた感染研を「マッド・サイエンティスト」と公然と批判した書面を証拠として提出していたこと、外国人学者の「証明書」なるものが裁判所に提出されていたが、本件著書を発表した段階(平成12年11月10日)で未だ検察庁の処分が出されていなかったこと(不起訴処分は平成13年9月11日)等が明らかにされた。こうした事実関係のもとで、原告が、本件著書を発表する段階で倉田が文書偽造を行なったと信ずるに足る「相当の理由」があったというべきであり、またかかる倉田を不起訴処分も出されていない段階で副所長に昇格させた被告も同罪として批判したことにも「相当の理由」があるというべきである。
(2)以上のとおり、本件著書は憲法21条の保護を受け(二重の基準の適用)て厳格な保護の対象となり、仮に被告の名誉・信用を毀損したとしても違法性が阻却されるから何ら責任を問われるものではなく、したがって本件処分は違法、無効である。
第4 結論
1 以上述べたとおり、感染研の病原体等実験業務が周辺住民にもたらす危険性は、控訴人に止まらず内外の専門家も指摘しているばかりか、具体的危険性は否定した差止請求訴訟の控訴審でさえ、「このように抽象的、一般的な危険性にとどまるものであるとしても、繰り返し述べているように、ひとたび病原体等が外部に漏出等するような事態が発生すれば、最悪の場合には回復が事実上極めて困難な甚大な被害が惹起される危険性がある」(乙45、116頁)として、あらゆる万全の施策を講じてこれを未然に防止することを感染研に強く求めたのである。また、国際査察をとおして実際に戸山庁舎の安全対策を検証したコリンズ、ケネディ両博士は、「安全対策は極めて不十分」だとして再移転を含む厳しい意見を表明したのである(甲12)。これに加え、第3で強調したように国家機関である感染研の安全対策、とりわけそれが住宅密集地に立地するために危惧される生物災害発生を未然に防ぐための安全論争に、感染研に所属する研究者自身も参加することは、その表現の自由の観点からみても、その目的が国民の生命・健康の保持にあることからみても、最大限に尊重されて然るべきである。批判的意見を処分でもって封じることは許されるべきではない。原判決はこれらの重要な問題点に対する判断を誤ったというべきである。
2 厳重注意処分は一種の制裁であり、職場のなかでかかる処分を受けることによって被処分者は評価を落とし、周囲の白眼視を受けるなど精神的苦痛を受ける性質を持っている。特に本件では、控訴人は感染研が新宿区戸山に移転する計画を発表した当初から自己の長年の研究や経験に基づきこれに疑問を持ち、所内で反対の声を上げ、住民が提起した差止請求訴訟では住民側証人として本件著書、記事と同様の感染研による生物災害の危険性を科学者の良心に従って現職職員の立場で証言してきた。その信念と誠実さは、尊敬に値するものであり、控訴人を題材にした映画も上映され社会的反響を巻き起こしてきた。かかる控訴人の言動に対し、被控訴人は本件処分まで静観し、注意すらして来なかった。
ところが、本件処分で控訴人は感染研所長らの査問を受け、本件記事を突きつけられて詰問された。そして、所長らは本件記事や本件著書の内容の真偽については何ら指摘せず、単に記載内容の事実を確認したのみで、内容の真偽について原告の意見、弁解を与える事もなく査問を打ち切り、有無を言わせずに本件処分を実行した。そして、勤勉手当をカットしたのである。
控訴人は、本件処分により長年自己の研究からくる信念、良心に基づいた活動を一方的に否定され、被告内で評価をおとしめられ、辱められた。これによる経済的損失はもとより控訴人の精神的苦痛は極めて強いものである。特に、科学者としての控訴人にとって、感染研が本件著書や記事の内容の真偽について論争することもなく誹謗中傷と逆に非難され、処分まで受けたことに対する怒りと苦痛は非常に大きいものがある。よって、控訴人の精神的苦痛に対する慰謝料と経済的損失に対し被控訴人はこれを賠償する責任がある。
以 上