『薔薇の館に今日も黄色の風が吹く。』
 
 
 今日も薔薇の館は、平和です。
 
「暇ねぇ……」
「暇ですねぇ……」
 縁側に座るおばーちゃまのようにのほほんと呟く二人組は全校生徒が憧れる麗しの黄薔薇さまとそのつぼみで、向かい合って座る二人の間のテーブルには紅茶、側にはクッキーが上品に添えられていた。薔薇の館、放課後のいつものお茶会。ちなみに実況はわたくし福沢祐巳がお送りしております。
「しばらくは、何の行事もないものね」
 紅薔薇さまが呟く。由乃さんが掃除当番で来ていない以外は全員集合している山百合会メンバーはだから、暇だった。
 みんな何となくいくつかの固まりに分かれてとりとめのない会話をしている。私は志摩子さんとテーブルで向かい合いながら、椅子ひとつ分離れてとなりに座る黄薔薇姉妹の会話に耳を傾けていた。窓の外の暮れ始めた空でカラスが鳴く。かぁーかぁー。
「ときに令」
「はい?」
「今週の日曜日、何か予定はあって?」
 にっこりと笑って、黄薔薇さま。
 私なんかは薔薇さまの笑顔というだけでみとれてしまうものだけど、さすがはつぼみ歴の長い令さま。麗しの薔薇さまを前にしてもいたって自然に受け答えをする。
「日曜ですか? 特にありませんけど」
「それじゃ、久しぶりに私に付き合ってくれない?」
「え……」
 令さまの顔がパッと華やぐ。
 やっぱりお姉さまからのお誘い。いつまでたっても嬉しさは変わらないみたい。
 私はそれとなくお姉さまである祥子さまに、私を誘ってオーラを飛ばしてみた。けどお姉さまは紅薔薇さまとすっかり話し込んじゃっていて、こちらには見向きもしない。残念。
「ちょっと、観たい映画があって。どう?」
 その時だった。
「は、はい。ぜひ……」
 バサァー
 電線に留まっていたカラスの群が、一斉に飛び立っていった。
 驚いた志摩子さんがびくんと肩を震わせる。黄薔薇さまに令さま、そして白薔薇さまに紅薔薇姉妹のお二方も「何事?」という感じで窓の方を振り向いた。真っ赤に燃える夕焼け。
 
 扉が、閉まる音がした。
 
 続いて階段の軋むおどろおどろしい音が伝わってくる。ぎし、ぎし。一歩一歩、近付いてくる。
 何かが、来る。
「カァー! カァー!!」
 けたたましく鳴き散らすカラスは必死に何かを伝えている。みんな逃げるんだ。ここは危ない。今からここは戦場になる。
 ぎし、ぎし。
 奴が、来る。
 
 バーン
「令ちゅぅわぁぁぁーーーーんっ!!」
 
 来た。
 
 
 まあそれから何が起こったのかと言えば、三つ編みお下げ女がズカズカ歩いてきて両の拳でロサ・フェティダ・アン・ブトゥンのドタマを挟んで万力鋏回転式を喰らわせ痛い痛い由乃痛いやめて由乃許してお願い令ちゃんのバカ令ちゃんのカバ今週の日曜は二人で笑点の収録観に行くって約束したでしょ歌丸師匠のアタマと黄薔薇さまのおデコのどっちがテカってるか直に確かめようって誓い合ったでしょ、ていうか何で由乃さんは黄薔薇さまと令さまの会話の内容を知ってるんだろうね?
「さっき令ちゃん波がものっすごい届いたから、そこから読み取ったのよっ!」
 そうですか。
「なんて、こと」
 紅薔薇さまがわなわなと呟く。志摩子さんは目の前の惨事にガクガク震えながらマリア様に祈りを捧げている。お姉さまは「令、なんて不憫な」などと言いながらハンカチ片手によよよと泣き崩れた。白薔薇さまはニヤニヤ笑いながらこの状況を楽しんでるご様子。
 一方黄薔薇さまはこんな阿鼻叫喚の図にもいつものことよといった顔だ。
「あら、令は今週の日曜日は予定がないと言っていたけど?」
「それは令ちゃんのバカが忘れてやがるんですっ」
「そう。ところで、それ」
「それ?」
「そろそろ放したら?」
「……あ」
 ぱっ。ぼす。
 由乃さんの地獄グリグリからやっと解放された令さま、そのままテーブルの上に突っ伏してしまいました。あー白目剥いてます。
 合掌。
「さっきの話、本当なの?」
「ホントですよっ!」
 慌てて皆で令さまを介抱してる横で由乃さんと黄薔薇さまの間には火花が散っていた。いや、どちらかというと由乃さんが一方的にヒートアップしてるって感じ。
「ふーん」
 事実、黄薔薇さまは興味無さげにそう呟くと、こう続けた。
「じゃあ、いいわ。あなたたちで楽しんでらっしゃい」
「え?」
 これには耳を疑う、とまでいかなくても意表を突かれた。
 なにせ、ここに鎮座ましましておられるのはあのスッポンの江利子さまだ。ラバーカップの江利子さまだ。いつもなら由乃さんが噛み付いてくると嬉々としながらあーだこーだやり返す彼女が、今回はあっさり引き下がった。
「……何を企んでるんですか?」
 由乃さんじゃなくても、ここにいる皆同じ疑問を抱いているはずだ。
「あら、失礼ね。あなたが先に令と約束していたなら、そっちを優先するのは当然じゃなくて?」
 黄薔薇さまはさらりと言うと、紅茶を一口。これでこの話はおしまい、そう告げるかのように。
 皆呆気にとられた表情だった。何か腑に落ちない、というか。そこにタイミングが良いのか悪いのか、令さまが意識を取り戻した。
「令ちゃん、大丈夫?」
 それで場の空気は一気に崩れた。令ちゃんゴメンね私やりすぎた、いいのよ由乃私こそ約束忘れててごめん、令ちゃん! 由乃! 抱き合うふたり、ああなんて美しい姉妹愛なのああマリア様ありがとうございますああ令良かったわねでも情けなくテーブルに突っ伏するあなたもそれはそれで良かったわキュートだったわ、白薔薇さまは不満そうな顔でちぇーつまんないのとか言ってるけど薔薇の館は今日も平和でピースフル!
「令、大丈夫?」
 事の成り行きを見守っていた黄薔薇さまも、心配そうな表情で令さまに言葉をかけた。
「あ、お姉さま……あの、ごめんなさい。私、由乃と約束していたのを忘れていて」
「ふふ、あなたってやっぱり、可愛い」
 黄薔薇さまの手が令さまの髪を撫でた。
「こんなことでもちゃんと、謝ってくれるのね」
「お姉さま……」
 白い手が耳を滑り、頬を擽る。その仕草に令さまがぴくりと反応した。
「私の可愛い、令──」
 細い指が唇をなぞる。目を細める令さま。
 
 なになになにーっ!?
 
 皆たじろいだ。まさか。二人に、二人の間に漂うこの空気は。
 黄薔薇さまはうっとりとした表情で、しかし少しだけ唇の端を上げて、言った。
 
「あぁ私、あなたのその唇が、未だに忘れられないの」
 
 ああ──
 来た。
 来たよ。来ましたよ。
 スッポン・フェティダ。ラバーカップフェティダ。
 頭が良いとは言えない私でもわかる。このお方はそう、令さまが目覚めるのを待っていたんだ。よりからかい甲斐のある状況を作り出すために。
 さすが江利子さま。恐るべし、江利子さま。
 そしてこのお方は、こうなるともう誰にも止められない。
 そして。
 ヤベェ油断したという表情の令さまの隣では、額に青筋を浮かばせた由乃さんが見るも恐ろしい形相で手にしたカップを握りしめていた。
 由乃さん。ヒビ。カップヒビ入ってる。
 
 
「痛い由乃痛い刺さってる爪が刺さってるすごい痛い由乃やめて」
「れ〜い〜ちゅ〜わ〜ん〜?」
「違う! 誤解! 誤解だってば由乃っ!」
 令さまが必死の弁解をするも、由乃さんの勢いは止まらない。
 かれこれ15分である。由乃さんのスイッチが再度入り直ってからもう15分。由乃さんが令さまを、腕を鷲掴みにしながら問い詰めだしてからすでに15分。
 先程のバイオレンスさ溢れる所業とはうって変わって、今度は表面上は冷静を装っている分余計に恐かった。
「なんて、こと」
 紅薔薇さまがわなわなと呟く。志摩子さんは目の前の惨事にガクガク震えながらマリア様に祈りを捧げている。お姉さまは「令、なんて不憫な」などと言いながらハンカチ片手によよよと泣き崩れた。白薔薇さまはニヤニヤ笑いながらこの状況を楽しんでるご様子。ってこれさっきと同じじゃん。
 そしてこの状況を招いた当の本人である黄薔薇さまは、何故か自らの体を抱き締めながら頬を赤らめて呟いた。
「あなたはもう、私とのあの夜を忘れてしまったというの?」
 由乃さんのこめかみの青筋が一本増える。令さまの冷や汗が数ミリリットル増える。
「何ですかそれっ! あの夜ってどの夜ッスか!」
「あの日のランデブーやその日のスワッピングもこの日のディープマーキングも一切合切を忘れてしまったというのっ……ああ、なんてこと」
 黄薔薇さまは凄いことを言うだけ言ってよよよと頽れた。志摩子さんがどこからか取り出した辞書でスワッピングを引いている。あー卒倒しちゃった。白薔薇さまはくっくっとお腹を抱えて笑っている。
 一方、おろおろするばかりの令さま。
「あ、あの、お姉さま、何をそんな冗談を」
 と、そんな令さまを横目で睨み付ける眼が一瞬光ったかと思うと、由乃さんは素早く令さまの腕を捻ると首に腕を回して力を込めた。
「ぐぇ」
 やけに慣れた動作で固め技をかけられた令さまは、カエルの鳴き声のようなものを口から発して床にその身を倒した。すわ死んだかと皆が駆け寄る。白薔薇さまはすでに大爆笑だった。
 そんな中、床に叩きつけられたカップが割れる音がして。
「こ、こ、この、きばらぁーーー!!」
 由乃さんがロサ・フェティダの名を純和風の呼び方で叫ぶ。そして左手を腰に当て右手でびしぃと指さした。
「ワレ、ワシの令ちゃんにいったい何しくさったぁ!!」
 
 宣戦布告だった。
 
 
 支倉令は一体どちらのものなのか。一対一の闘いによって決着がつけられることになった。
 決戦は金曜日だった。
 勝負の内容は「どっちが多く知ってるかな? 令ちゃんのヒ・ミ・ツ」だった。
 放課後、薔薇の館前の中庭。廃材によって組み上げられた仰々しいステージの上で、その勝負は始まった。
 夕暮れのリリアンに麗しき乙女二人の叫び声が木霊した。
 
 
”令ちゃんは昔、中学生にもなって私をミラクル☆ガールズごっこに誘ってきた”
”令は手で触らないで耳を動かせる”
”令ちゃんの枝毛の最大分岐数は三又”
”令はお風呂上がりにメリットのニヲイがする”
”『りぼん』より『なかよし』”
”出川よりダンディ坂野”
”唇の端から上方向に息を吐いて前髪を浮き上がらせる癖があるライカSMAPの中井クン”
”2週に一度はヒゲ剃ってる”
”某地区は純桃色”
ピー はどどめ色”
 
 
 結果。
 勝者、鳥居江利子。
 22ラウンドTKO。
 
 凄まじいヒートアップをみせる勝負の途中に黄薔薇さまが「実はこの前のアレは全部冗談だったのよ」とか言い出したのに怒り狂った由乃さんがステージから足を踏み外して頭打って気絶したため、セコンド藤堂によってステージに雑巾が投げ込まれたのだった。決着は、割とあっけなかった。
 すると黄薔薇さまは「あー楽しかった」と爽やかに伸びをすると、倒れている由乃さんに一言「令をよろしくね」と言い残して校舎の中へと消え去った。
 そんな感じで黄薔薇さまと由乃さんの令さまを巡る抗争は幕を閉じたのだった。
 
 その後、学校の敷地のど真ん中で自分の恥部を物凄い勢いで暴露され心に深い傷を負い部屋に閉じこもった令さまだったが、由乃さんがドアの前までまで食事を運んできてくれたり学校であったことを話してくれたり、廊下から由乃さんの歌声で『孫 / 大泉逸郎』が聞こえてきてドアの隙間から覗いてみたら目覚まし時計が置いてあったりなどの思いやりに胸を打たれて、今はまた元気に学校に通っている。特に『孫』がキたらしい。
 これぞ姉妹愛。
 たぶん。
 
 
「じゃ、行って来まーす」
 ちょっとした用事で校舎に戻るだけなのに、由乃さんと令さまはわざわざ律儀に言った。
「はいはい、行ってらっしゃい」
 テーブルで書類を整理している黄薔薇さまが苦笑しながら応える。
 あの抗争から一週間。窓から入る日差しが穏やかな薔薇の館。
 二人が仲良く並んでビスケットの扉を出ていくと、窓際に立っていた白薔薇さまがにやにや笑いながらテーブルに近付いていくと、後ろから黄薔薇さまを後ろから羽交い締めにした。黄薔薇さまの方がびくんと揺れる。
「……びっくりした。何してるのよ、聖」
「んー」
 白薔薇さまは黄薔薇さまの頭の上に顎を載せるとぐりぐり動かした。
「あんたさ」
「何」
「ジツは、寂しいんじゃないの〜」
「寂しいってそんな、別に……」
「別に?」
「……そんなことないわよ」
「ふ〜ん」
 にやにや笑いながら、白薔薇さま。黄薔薇さまの隣の席に腰掛ける。
 自分の椅子を離す黄薔薇さま。自分の椅子を近付ける白薔薇さま。
「……なによ」
「なんでもないですよ?」
 黄薔薇さまがそっぽを向く。あ、ちょっと頬が赤い。
「いやー、江利子ってこんな可愛かったっけ」
「……は?」
「なんか意外」
「ちょっと、祐巳ちゃんの前で変なこと言わないでよ」
「えー、祐巳ちゃんも黄薔薇さま可愛いと思うよね?」
「え、あの……」
 実は私も、なんだかこんなわかりやすく照れてる黄薔薇さま、かわいいなぁ。
 なんて、ちょっと失礼なことを思ってたりするのだった。
「……はい」
「ほら〜」
 白薔薇様は肘で黄薔薇さまをつんつんしながらにやにや笑う。
「……もう、祐巳ちゃんもこんなバカに付き合ってないで、お茶入れてお茶っ」
「は、はいっ」
 仕事を言いつけられ急いでキッチンへ。
 そうして紅茶を入れる準備をしながら、私はあることに気付いた。
 ここからだと、薔薇の館の二階がよく見渡せる。
 白薔薇さまは「あ、お茶私の分もお願い」なんて呑気に言ってる。黄薔薇さまは相変わらずの赤い顔。紅薔薇さまとお姉さまはまた雑談に興じている。
 志摩子さんは黄薔薇さまにちょっかいを出し続ける白薔薇さまをちらちら見ながら、ちょっと寂しそうな表情だった。ここの姉妹、普段はあまりベタベタはしない様子だけれど、やっぱり寂しいものは寂しいらしい。
 逆に今頃、これでもかというくらいのバカップルっぷりを見せつけながら校内を闊歩しているであろう黄薔薇姉妹のことを思う。
 黄薔薇さまと由乃さんの一件といい。本当に、姉妹の関係というのは色々あるものだなと思った。
 ちらりと自分のお姉さまに視線を送ると、偶然目が合った。にこりと微笑むお姉さまに慌てた私は思わず俯く。茶葉を少しこぼしてしまっていることに気付く。頬が火照っていることに気付く。
 この笑顔にはやっぱり、しばらく慣れることはできなさそうだった。
 
 今日も薔薇の館は、平和です。
 
 
 
 
「ちょ……ダメだってば、聖」
「うへへ、いいじゃねえかよお江利ちゃん」
「ってなんか始まってる!?」