『黄薔薇観察日記』

takataka




 由乃には内緒で観察日記をつけている。
 日記は他にも書いているけど――由乃に内緒で、というところがポイント。



「観察日記? 面白そうね」

 祥子はほんとにおかしそうに笑った。
 付き合いが長いと、お嬢さまとしての体面を保つ優雅な笑みと、ほんとにおかしいときの年相応の笑みの違いがわかる。
 いまの場合は後者。

「私も祐巳の観察日記つけてみようかしら……書くこと、いっぱいありそう」

 いいと思うよ、と返すと祥子はその気になったらしく、どこかに大学ノートが余ってなかったかしら、などと戸棚を物色しはじめる。
 別に家に帰ればノートくらいいくらでもあるだろうに、思いついたら即座にはじめないと気がすまないのだろう。
 そのへんは祥子らしいな、と令は思う。

「じゃ、これ使ってよ」

 令は手持ちのノートの中からまだ使っていないものを差し出した。赤い表紙――紅薔薇姉妹にはちょうどぴったり。

「あら、いいの?」
「うん、家に大量に余ってるから。少し寄付しようかと思って持ってきたんだ」

 道場で子ども向けに合宿を開いたときに、レクの景品として買い込んだノートが山のようにあった。実は令の観察日記も、この余りノートの有効活用を考えてのことだったりする。

「じゃあいただくわ。私も何か持ってこなくてはね」

 これが少し前なら、自分で用意するからいいわ、と言われたかもしれない。
 祥子が自分のことを信頼してくれているのがわかって、令は少しうれしくなった。小笠原家の令嬢ともなれば、人からモノをもらったりあげたりするのにもいろいろと面倒があるだろうに。

「でも、意外とむずかしいものね」

 ペンであごを軽くつっつきながら、祥子の視線は何か答えを求めるように中をさまよう。

「令、あなたどういう風に書いてるの?」
「え、恥ずかしいなあ……」

 本来、日記なんて人に見せるものじゃない。それに、由乃のこととなると私は本当にダメなんだ。自分の中の一番弱くてもろい部分を人前にさらしてしまうようで、その相手が祥子であっても、やはり恥ずかしい。
 ごめん祥子、信頼してないわけじゃないんだけど。
 由乃のこととなるとだめなんだ。自分の一番弱い部分、支倉令という人間の一番だめな部分を由乃は知っている。知っているだけならともかく、それに対して激怒している。令ちゃんのバカ、なんていわれるのも日常茶飯事。
 でも。
 もしも私が由乃のことで何にも動じなくなったとしたら……由乃、どう思う?
 令は頬に両手を当てた。まずい。顔が熱くなってきた。

「照れてるのはわかるわよ、でも」

 祥子のセリフに手を止める令。祥子はずいぶん仏頂面をしていた。

「頼みもしないのに、日記帳が五冊も出てくるのって、どうかしらね」
「あ、このピンク色のが私と由乃が一緒のときの話で、黄色いのが由乃の家の話ね。こっちにかたまってる赤っぽいのが剣道部関係で、緑が山百合会がらみの……」
「そこまできっちり整理してるのね」

 あきれたように肩をすくめる祥子。
 そんなことよりも、てきぱきとノートを出すことができたのを誉めて欲しい。私も少しは進歩したんだから。
 山百合会の雑用をしているときでも、由乃のことを考えるだけで手が止まっちゃうくらいだったのに、大変な成長だと思う。

「私にはとても見習えないわ。やっぱりやめようかしら」
「簡単だって。最初は思いつくままに、適当に書いていけばいいのよ。こんな風に整理なんかしなくたっても」

 『黄薔薇観察日記 天の巻・由乃の一人でできるもん』を手にとって、祥子にしめしてみせる。数十ページごとにページのはしが切り取ってあって、そこにあかさたな……の50音。さらに、見どころには付箋で見出しをつけてある。

「こんなふうに付箋貼って索引つけて、由乃の可愛かったエピソードをいつでも引けるようにきっちり整理しなくても、目にとまったことを書き留めていくだけでも楽しいのよ?」

 さすがにここまでは、とでも言いたさそうな当惑げな顔でページを繰る祥子。

「いやあ、最初はふつうの日記だったはずなんだけど、書いていくうちにだんだんとはまってきちゃって。それに、読み返したくなっても『あの話はどこだったかな?』てわからないと厭なのよね。
 そういえば乃梨子ちゃんってパソコンに詳しいのよね。こんど日記のデータベース化頼んでみようかな」

 山百合会編『新明解由乃全書』CD−ROM版。支倉令・編(HDDインストール可)。
 いいかもしれない。ついつい表情のゆるむ令だった。

「へえ……『由乃抜糸! 感動のエピソードが今ここに!』」
「この前の入院ね。成功したとわかって安心しちゃって……ついつい日記にも気合が入ったわ」
「由乃禁断の白ポンチョ」
「身体測定かぁー。私ったら手編みの白ポンチョを用意したんだけど、由乃が般若みたいな顔で『透けるでしょ! 令ちゃんのバカ!』って嫌がるんで着せるのはあきらめたのよね」
「由乃、宇宙へ」
「ああ、発射の瞬間は緊張したわー。でもそのあと楽しそうに宇宙遊泳する由乃を見てたら、思い切って行かせてよかった……って宇宙!?」

 そんなこと書いたっけ!?

「冗談よ」

 しれっと言ってのける祥子。
 
「そんな冗談ありますか」
「乗る方もどうかと思うけど?」

 そう言ってくすっと笑った。
 参ったなあ。令は頭をかいた。なんだか祥子もずいぶん変わった。これも祐巳ちゃんの感化だろうか。
 見た感じはどこにでもいそうなふつうの女の子なのに、祐巳ちゃんのこの影響力はどうだろう。考えてみれば黄薔薇革命のごたごたで私と由乃を取り持ってくれたのも祐巳ちゃんだったし、あれほど揉めた瞳子ちゃんも可南子ちゃんも、今ではなんだかんだで薔薇の館に来ているし、紅薔薇のつぼみ恐るべし。
 そんな祐巳ちゃんの観察日記を祥子が書く。どんなものになるだろうか。

「祥子。書けたら私にも見せてよ」
「だ、だめよ! 日記なんて本来人に見せるものじゃないわ」
「えー、私は見せたのになー」
「だめです! とにかく、書いてみないことには見せられるものができるかどうかわからないでしょ?」



 翌日、祥子は意外にも自信ありげにノートを差し出した。

「いいわよ。ご覧になって」
 
 令はページを繰ってみる。
 祥子はぷいと窓の方を向いて他人ごとみたいにすましているが、時おりちらっとこっちの表情を伺っているのがわかってちょっと可愛い。



「○月×日」
 薔薇の館に行った。
 祐巳がいた。
 お茶を入れたり、由乃や志摩子となにか打ち合わせしていた。
 相変わらず顔に落ち着きがなかった」



「祥子」
「な、何か文句があって?」
「もう少しなんて言うか……こう……書くことあるんじゃない?」

 祥子ってこんなに文章が下手だっただろうか。いやそんなはずはない。蓉子さまに言われてやめるまでやっていた習い事の中には、家庭教師からの文章の書き方の指導くらいあったろう。

「わ、悪くて? そのくらいしかなかったのよ。だって、いつもと何も変わりないんですもの」

 見るからに動揺した様子で祥子が食ってかかる。
 令はちょっとがっかりした。もしこれが祥子の本心だとしたら、祐巳ちゃんがちょっとかわいそうだ。
 だって、書くことがないってことは、祥子がそれだけ祐巳ちゃんのことを注意して見ていないってことだから。学校生活のポイントから生活の隅々にいたるまで、姉が妹の指導をするのがリリアンでの習い。きちんと目を行き届かせているなら、もっともっと書くことはあるはずだ。
 私なら、どんなに退屈な一日でも、由乃ネタだけでノート一冊埋めてみせる自信はあるんだけどなあ。
 もっとも、ほんとにそんなに書いていたら家でほかのことが何もできなくなってしまう。
 だから令は涙をのんでいろいろ削って一日一ページに収めているのだ。

「なにか変わったこと書くものじゃないのよ、日記なんて。それじゃ何か事件のおきたときくらいしか書けないじゃない。日常の繰り返しの中から、いくらかでも印象に残ったところをひろいあげてかたちに残しておくのが日記の醍醐味でしょう」

 私の場合、由乃のことならなんでも印象に残っているから、いくらでも書くことがあるわけだ。

「日常……」
「そう。それに、これ祐巳ちゃんの観察日記でしょ? だったら、読めば祐巳ちゃんがどんな子か知らない人にでもわかるくらいでなくちゃ。これじゃあちょっとね」

 あからさまにがっかりした顔をする令。ちょっと演技入れて、わざとらしいくらいに。
 そうっと祥子の様子を見る。うつむいているその表情はうかがうことができない。でも、肩が震えているのはすぐにわかった。
 
「そう……そうなの。わかったわ。いいこと令。その言葉しかとおぼえておくことね」

 おや? 何か祥子の導火線に火をつけてしまったような気が。
 いけないいけない。

「見てらっしゃい! 文句を言わせないだけの祐巳の観察日記を書いてみせるから!」

 おやおや。
 大股で薔薇の館を出ていく祥子を見送って、令は書きかけのノートで口元を隠した。あからさまににやついているのを見られちゃ具合が悪い。
 どうやら私にも、お姉さまの面白がりのくせが移っていたようだ。




「さあ、お読みになったら?」

 翌日の朝、教室で祥子は自信満々の様子で赤いノートを差し出した。
 ぺらり、と一ページめくる。昨日と違って、びっしりと文章で埋め尽くされていた。



「×月×日
 祐巳の顔を見る。
 祐巳自身ではタヌキ顔だと思っているらしいのだけれど、こうしてよく見てみると決してそんなことはない。それに第一目の周りが黒くない。これだけでも十分タヌキ顔を否定する材料になりうると言い切れる。
 肌はこの歳の女の子ならではのやわらかさですべすべしている。もっと近づいてよく見てみると頬にうっすらと産毛があって、それが日の光できらきら光って見える。乳液は何を使っているのだろうか。それとリップクリーム。一度聞いてみなければならない。
 鼻は高からず低からずで、微妙に上を向いているのがやや残念と言えなくもない。でも全体のバランスから考えればこのくらいの方がいいのかもしれない。それと目。くるくるとよく動く。こういうのをどんぐりまなこと言うのだろうか、さっきからまるく見開かれたままなんだか困ったような色を浮かべている。
 お姉さま、朝から一体何を、とかなんとかあわあわと言っているが無視して髪に移ろう。少し栗がかった色の髪が両脇で二つの小さな房に結ばれている。その分け目は頭頂から後頭部にかけてすっとはしっており、生え際が生白いすじのように見える。
 この、祐巳のトレードマークともいえる髪形。もしかしたら祐巳が一番祐巳らしいのは髪型かもしれないと思った。二つに小さく結んだ髪型を見ては、そのくらいなら結ばなくてもいいんじゃないかしらと気になっていたのだ。
 しかし、その小さな房に指を差し入れてみて理由がわかった。相当な癖っ毛で、指を差し入れるとすぐに引っかかる。見るからに扱いにくそうだ。そんな髪質でもさほど乱れることのないこの髪型は、祐巳が苦労してあみ出したものなのだろう。
 以前家に来たときは髪を下ろしていたけれど、あれは頭を洗ったからなのだ。かわいた後そのままにしておくときっとすごいことになるものと思われる。
 でも、それはそれで見てみたい。いっそこの場でほどいてしまおうか、房が曲がっていてよ、とかなんとか言って。
 と、祐巳の変化に気付いた。さっき触れたときはひやりと冷たかった祐巳の頬が熱い。それに顔が真っ赤だ。どうしたのだろう、急に具合でも悪くなったのだろうか? 姉として妹の健康には気をつけなければならない。
 お姉さま、人目がありますから、マリアさまも見てますから、などと意味のわからないうわごとを言って、祐巳は熱くなった頬を両手でおさえた。人が見ているからなんだというのだろう、それよりも祐巳をじゅうぶん観察するほうがずっと重要だ。熱もあるようだし。
 お母さまがよくしてくれたように、額をこつんと祐巳の額にくっつける。私よりも微妙に熱い。もしかしたら微熱があるのかもしれない。ひゃっ、などと変な声をあげる祐巳。やはり具合が悪いのか。
 大丈夫ですから、もう予鈴鳴りましたから、と呂律の回らない舌で言うと、祐巳はふらふらと昇降口へ向かった。心配だ。
 私も教室へ向かう。もう時間もないので、観察日記は後半へ続く。次は手足編」



「どうかしらこの分量、それに緻密な観察眼。朝の始業時間までのほんの10分ほどを書いてみたんだけれど」

 感想を述べてもよくてよ、と祥子は腕組みして得意げに賛辞を待つ姿勢だ。
 令は悩んだ。
 そうだなあ。なんて言ってあげたらいいんだろう。
 観察日記っていっても、何もここまで緻密に書かなくてもいいと思う。
 それに祐巳ちゃんが祥子に全身あますところなく視姦されるのを、このままだまって見ていていいんだろうか。
 ま、いいか。(1秒)
 よそんちのことはよそんちのこと。

「いいと思うよ」



 薔薇の館の前で、令は由乃と会った。

「令ちゃん。なんだかきょう一日ずっと祐巳さんの様子がおかしかったんだけど、もしかしてまた祥子さまと何かあったの?」
「様子って?」
「なんだかぼーっとしちゃって、呼びかけても夢見ごこちでお姉さま……って呟くだけなんでちょっと引いたんだけど」
「まあ、いろいろね」
「む。令ちゃん何か知ってるな」
「なんでもないよ」
「なんでもなくない! 祐巳さんは私にとっても大切な友達なんだから、私にだってなにがあったのか知る権利があるわ。さあ、とっとと吐けーい」
「いたたた、ちょっと由乃やめてよ」
「まだまだ、火盗改めの責めはこんなもんじゃないわよ」

 と、そこへ白薔薇姉妹が来た。

「ごきげんよう令さま、由乃さん。なんだか楽しそう」

 志摩子が笑いかける。失礼、といって由乃をぶら下げた私の横を通り過ぎた。
 その後ろから乃梨子ちゃんが、「ごきげんよう」と会釈して通った。さらさらのおかっぱ頭が小さくゆれる。
 令も由乃も、つい毒気を抜かれてぼんやりと二人を見送った。

「夫唱婦随というか比翼連理というか。いいねえ、ああいう姉妹は」
「なによ……それは私に対するあてつけ!? あてつけなのね! 令ちゃんのばかー!」

 しみじみと言った令に、由乃がフライングクロスチョップをかけてくる。
 黄薔薇姉妹はこんなちょっとした感想も許されない殺伐とした姉妹関係なのだった。
 それにしても、ちょっと志摩子たちをほめただけでこの反応。
 由乃はもしかしたらやきもちやいてるんだろうか。可愛いなあ。

「なにチョップくらってにやにやしてるのよ気持ち悪いわね!」

 憤然と背中を向けてビスケットの扉を開ける由乃も可愛いな、と思っていたら、急にぴたりと足を止めた。

「志摩子、さん?」

 当惑したような由乃の声。
 私も覗き込んでみる。扉の向こうには志摩子と乃梨子ちゃんの背中。そしてそのむこうには。
 祐巳ちゃんを部屋の隅に追いつめて、しゃがみこんでじーっと足を眺めている祥子。



「だって、観察日記ってそういうものじゃないの? 令だっていいと思うって言ってたじゃない」

 半ギレでつめ寄られても。
 令は目を伏せてため息ひとつ。

「ごめん、適当に返事した」
「なんですって?」
「それについてはちょっと反省してる」

 ごめん、と頭を下げる。

「でも、観察日記っていうのはもっとこう、本人が意識してないところでそうっとやらなきゃだめよ。ふとしたことであらわれる自然な行動やしぐさを記録するところに意義があると思うなあ」
「じゃあ、令が書いたのを見せてちょうだい」
「あれ、昨日見たでしょ?」
「ほんのさわりしか見てなかったのよ。令が由乃のことどんな風に書くかなんて大体はわかるし、他人ののろけ話読んだって仕方ないでしょ。ただ、どんな風に書くのか、書き方を知りたいだけよ」

 つん、とそっぽを向きながらも祥子は手を出して日記を要求する。
 そんなにも由乃の可愛い生態が読みたいんだ。仕方ないなあ。令はむしろ嬉々としてノートの束を差し出した。

「はい、どうぞ」
「令さま、私これ読んだことありませんが……?」

 横から首を突っ込んできた由乃が、なんだか微妙な笑みを浮かべてノートの束を見ている。
 唇のはしがひくひくと引きつってるように見えるけど、何でだろう。

「あれ、そうだっけ? たしか富士山のやつと海のやつは見たよね」
「あのノートのほかにも書いてたの?」
「あれは絵日記でしょ。ほかにもほら、行動記録とか、今日の寝顔とか、今日の顔色とか、今日の怒りネタとか、ちゃんと一冊一冊ジャンル分けして書かないと」
「何よその偏執的な記録は」
「だって、由乃のことだもの。書いてるだけでも楽しいよ?」

 電光石火の速さで令の手からノートを奪う。
 がさがさとノートの山をあさる由乃の手が、だんだんとゆっくりになった。

「島津由乃ファッション全集」
「由乃コレクション'03」
「由乃スキーに百の質問」
「由乃の怒り顔2003」
「島津由乃寝相百選」
「由乃フィニッシュホールド四十八手」

「令さま、ちょっと」
「え、なに由乃」
「いいから、ちょっと」
「え、なになに」

「ごきげんよう、皆さま」

 令のセーラーカラーを引っつかんで、由乃はとてもあざやかな笑みを浮かべ、ぱたりと静かにビスケットの扉を閉じた。
 一拍おいて、ばかーという怒鳴り声。そして何かが階段を転がり落ちるような音が遠雷のようにひびいた。
 残されたのは大量のノートの山。

「ふうん……そういうものなのね」
 
 ノートをめくって、祥子は納得したようにうなづいた。



「祐巳、お待ちなさいったら!」
「待てません!」
「令に負けるわけには行かないのよ! 今からでも祐巳の記録を充実させないと」
「もう結構ですー!」

 祐巳はつい無意識のうちに古い温室へと逃げ込んでいた。自ら罠にはまったも同然の格好だった。

「まったく、手間をかけさせて……」
「ひっ」
「さあ、書かせてもらうわよ」
「お待ちなさい!」

 怯える祐巳と、今にも襲いかからんとする祥子のあいだにすっと立ちはだかる黒い影。

「ふふっ……姉妹関係にある方なのに、祐巳さま情報を求めて右往左往するなんて。スールとはその程度のものなのですか」
「細川可南子!」
「可南子ちゃん……」

 祥子は威嚇するようにきっと睨みつける。

「お下がりなさい。あなたに祐巳の何がわかるというの」
「観察日記ですって? なにをいまさら。」

 ふ、と鼻先で笑った。

「ごらんあそばせ! 私が絶え間ないファン活動で手に入れた祐巳さまの愛らしい姿態のかずかず!」
「なっ……」
「これは!」

 ばさばさばさと鞄からあふれるノート、そしてミニアルバム。
 その一冊をひろいあげて、祐巳は顔色を変えた。



【13:00】
 マリア祭ということでお聖堂へ。女の子ばっかりで最高。無理してリリアンに入った甲斐があった。
 でもお聖堂のキリスト像見て萎える。半裸の男の像なんて。いつか燃やす。

【13:12】
 クラスの子たちの噂話を小耳にはさみながら待つ。山百合会主催ということで、薔薇さま方がこの集まりを仕切るそうだ。
 そういえば、昼休みにコケシちゃん(仮名。コケシっぽいのでつけた。本名知らない)のところに来て何か話しているのを見かけた。きれいな人たちだとは思ったが、私の好みではない。
 そのコケシちゃんの後ろにドリル(仮名)がいる。横の子と何かかん高い声で話している。笑い声を聞いてるといらつく。
 あと上ばきがきつくて足が痛い。靴屋にもいらつく。『これ以上は男子のサイズだねえ』あの一言だけは許せない。

【13:20】
 壇上に人が出てくる。彼女たちが「薔薇さま」と呼ばれる人たちらしい。
 ふーん、と思って眺めていたが、後ろの方に一人だけぽつんと場違いともいえるくらい地味な人がいる。
 さながら、妖精たちの饗宴に迷いこんできた子ダヌキ。
 え……? 
 どうしてだか心臓の鼓動が高まる。
 どうしてなのだろうか。挨拶しているロサ記念室とかいう人をポーっと眺めてヘラヘラしてるだけの人に、どうしてこんなにも心惹かれるのか。マジで恋する五秒前。
 恋。
 これが、恋……?
 ばら色に包まれる視界のはしにびよんびよんと例のドリルが割り込んでくる。一発で萎えた。
 いつか切り落とす。
 
【13:33】
 おメダイ授与中に例のドリルが何か叫ぶ。とたん不愉快になる。スタンドプレーうざい。
 数珠がどうこう言ってる。

 だが、そんな中で見てしまった。
 あの方の頬につたう、光のしずくを。
 天使、降臨。
 胸が締め付けられそうに痛んだ。こんな気持ちは初めてのことだから。
 今すぐ抱きしめたい。その涙を拭ってさし上げたい。
 この方を苦しめるすべてのことから、守ってさし上げたい。
 体育座りで小一時間つけまわしたい。

 コケシちゃんとロサ・ギーガーとやらの小芝居も眼中になく、私はその方のとうといお姿だけを瞳に焼きつけた。
 と、コケシちゃんの絶叫『瞳子ー!』。
 ちょっとドラゴンボールを思い出した。フリーザー! って。
 そうかあのドリルは瞳子というのか。さっそく『いつかチョン切るリスト』に登録。
 女子では初の快挙だ。



「うわー……」

 マリア祭のかげでこんなサイコドラマが展開されていたとは。
 祐巳は震える手でミニアルバムに持ちかえる。

「いつの間にこんなにー!」
 
 マリア祭後からはじまって今日に至るまでの克明な写真の束。
 しかも、よく見るとところどころ後ろの方にカメラ構えた蔦子さんが映りこんでるし。

「この眼鏡の方、前から祐巳さまの写真によく写りこんでいたので誰かしらと思っていたんですが……」

 そんなこと本気で不思議そうに言わないでほしい。蔦子さんの裏で、向こうも同じこと考えていたとは。

「あら、そのくらいで祐巳さまのすべてを知り尽くしているとでもお思いなのかしら?」
「何ですって!」
「あら、瞳子ちゃん」

 温室の入り口で、おほほ、と口もとに小指をやって優雅に笑う瞳子ちゃん。

「その笑いはどういう意味なのかしら」
「ごめんなさい、瞳子ついおかしくって」

 わずか5センチ程度に接近して睨みあう一年コンビ。祐巳はプライドとかK−1とかあんな感じのポスターを思い出した。
 瞳子ちゃんが妙な対抗意識を燃やしているー!?

「それではあなたはどうだというの?」
「可南子さん、祐巳さまのこういうお姿はご存知?」

 ちらり、と一枚の写真を見せる。
 うわー。祐巳はついつい真っ赤になってしまう。これって祥子さまの別荘に行ったときの写真だ。
 ああ、歌ってるところの写真ってなんだか間抜けな顔してるなあ。

「なっ……祐巳さまの私服写真ですって!? 
 しかもこんなにも愛らしい! 地上に降りた最後の天使ですわ! 一万ボルトですわ! 瞳子さん、これを一体どこで!」
「さあて、どこでしょうかしら? 不思議ね。ほほほ……」

 ツッコんでいいんだろうか、と祐巳は思った。
 なんで瞳子ちゃんは私の写真持ち歩いてるの? しかもパスケースに入れて。
 うーん。最近の瞳子ちゃんはますますわからない。

「お待ちなさいあなた方!」
「何ですって!」
「どなた!?」
「はっ、あなたは……写真部エース、武嶋蔦子さま!」

 蔦子さんまでー。
 何でこの人たちはこの場所を知っているのだろうか。

「この私をさしおいて祐巳さん画像を語ろうとは笑止千万! あなた方にこんな写真がとれて?」
「こ、これは!」
「祐巳さまの一年次? なんて初々しい」
「マリア祭のおメダイかけた姿がまたなんとも……」
「そして、祐巳さん表情集! 今の時点ですでに256面相を記録しているわ」
「まあ、なんてレアな表情! どんなお気持ちでこんな顔されるのか想像もつきませんわ!」
「それにこのパラパラマンガ仕立ての連続写真! ほとんどモーフィングですわ! とても一人の人間の顔面とは思えませんわ」
「わかっていただけたかしら。あなた方と私では、キャリアが違っていてよ」

 くい、と眼鏡をずり上げて得意げな蔦子さん。
 次々あらわれる挑戦者。もはや収拾のつかない状況に祐巳があわあわしていると、
 ぽむ
 肩を叩かれた。
 ふりかえると、今までに見たこともないお顔でほほ笑んでいらっしゃる祥子さま。

「祐巳は、みんなに、愛されているのね」

 ひとことひとこと、丁寧にくぎって、あふれんばかりの力をこめて発音なさっていらっしゃられた。
 
「いえ! あの違うんです全然そんなじゃなくて!」
「どうしたの祐巳、そんな顔をして。わたくしは気にしなくてよ? ええ、ぜんぜん気にしなくてよ?」
 
 お姉さま、無意識に手にされたハンカチがすでにぼろきれと化しているようですが。
 そんな指摘はおそろしくてできなかった。

「あ、あのあのお姉さま! 観察日記書いてください。私もう逃げませんから!」

 優雅なしぐさで祐巳の差し出すノートを取った。
 そして、



『今日は何もありませんでした。
 ありませんでしたとも』



 ノートを突き破らんばかりのものすごい筆圧でぐりぐりと書いた。



 その夜、支倉家では。

「今日の由乃も可愛かったなあ……」

 全身のそこここにバンソウコウ貼った令が心の底から幸せそうに今日の出来事を書きとめていた。

「×月△日
 由乃、階段落ち決行(落とす方)。由乃かっこいい。
 あがって来い令ちゃん! とならなかったのがやや残念」


あとがき