【epilogue.】
「なんでそんなことを勝手に決めているんですっ!」
祥子が叫んで机を叩く。比喩でなく本当に窓のガラスがガタガタと揺れた。この館もだいぶ傷んできてるみたいね、と関係ないことを思う蓉子。それから柳眉を逆立てている妹を見据えた。
「勝手になんて決めてないわよ。王子の配役だって先方とちゃんと打ち合わせしたし、シンデレラ役と踊って頂くことも了承してもらったわ。なにが問題なの?」
「だからって、どうして私がそれをしなければならないのですかっ!」
ドンッ。
ふたたびテーブルが揺れる。
「そりゃ私たちが決めたからよ」
「そんな……横暴ですわ! お姉さま方の意地悪っ!」
「お黙りなさい。さっきから聞いていれば見苦しい言い訳ばかり。妹ひとり作れないようなひとには発言権はなくてよ」
「――っ」
祥子は絶句した。
先日、志摩子に振られたばかりだからこれは祥子にとってきつすぎるひと言であろう。
「ぷっ」
美少女の呆けた表情というのもなかなか味があるものだ――なんてオヤジみたいな感想を蓉子が抱いていたら、隣で聖が耐えきれないように吹き出した。
「お姉さまっ! やることが子供っぽすぎませんかっ!」
くくく、と笑いながら聖が口を挟む。
「面白いんだよなぁ、これが、思った以上に」
「そうそう、祥子がこんなに面白い娘だとは思ってなかったわ」
江利子も笑いを堪えながら言う。
「お姉さま方っ!」
憤慨する祥子をよそに、ふたりの薔薇さまは、お腹を抱えて笑い始めてしまった。
その向こうでは令と由乃が困ったように顔を見合わせている。思わず蓉子も笑ってしまった。
「お姉さまっ!」
「あら、なにか聞こえるわねぇ」
「もしかしてどこかのつぼみの方とかじゃない? ねぇ、紅薔薇さま」
「そうね白薔薇さま」
蓉子が頷くと、黄薔薇さまが続ける。
「今年の紅薔薇のつぼみは見かけにわりにたいしたことないわね。このままだと山百合会も危ないわ」
「そうね、黄薔薇さま。由々しき問題だわ」
「せめて優秀な妹でもいればフォローしてくれるだろうにね」
ぶるぶる。
テーブルの上に叩きつけられたままだった両手が震えている。そろそろ噴火の頃だろうか。
「わかりました。そうまでおっしゃるなら、ここに連れてくればいいのでしょう! ええ、いますぐ連れて参ります!」
どっかーん。
さんざん嫌味を言われた祥子は、そう叫ぶと、一目散にビスケット扉に向かった。
ドスドスと足音の立つような、はしたない歩き方ではあるが本人は気付いてもいない。
祥子はその勢いのままドアノブに手を伸ばし――。
「きゃあーっ!!」
「えっ――?」
それから起こったことはわざわざ描写するほどのことでもない。
扉を開けた瞬間、不幸な一年生が、怒れる二年生の下敷きになって、目を回してしまっただけだ。
「あーあ」
呟いたのは誰だっただろう。
§
「お姉さま方にご報告いたしますわ」
「いったいなにが始まるの?」
先ほどとは打ってかわって落ち着き払った祥子は、妙に自信ありげだった。
傍らには祥子と正面衝突した運の悪い一年生が所在なげに立っている。少しだけ顔色が青いのは緊張のせいだろうか。
「自己紹介なさい」
「あ、あのっ…」
祥子に押し出された一年生は口籠もりながらも、ハッキリ気分の名前を告げた。
「一年松組、福沢祐巳と申しますっ」
フクザワユミ。白薔薇さまは縁起のいい名前だと笑った。
黄薔薇さまが「それで?」と祥子に話の続きを促す。
「先ほどの約束を果たさせて頂きます」
「約束?」
蓉子は尋ねた。
それは懐かしい響きを帯びて蓉子の耳と言うより記憶に囁いた気がした。
祥子と交わした約束。考えてみるともうあれは一年以上も前の話だ。
祥子は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
蓉子は祥子のとなりでビクビクと怯えている福沢祐巳ちゃんをじっと見つめた。
(約束、か)
こういう出逢いも縁と言うべきなのだろうか。
自分と祥子が出逢ったときのような繋がりが、ここから始まるのだろうか。
「運命的」という言い方はいまでも好きではない蓉子だが、マリア様のお導きというならなんとなく納得できそうな気がした。だってここはリリアンだから。
「私は、今ここに福沢祐巳を妹とすることを宣言いたします」
新しき紅の系譜の始まりは唐突で。
移りゆく季節のなかで、その薔薇はどんな花びらを咲き誇らせるのだろう。
ああ、たぶんそれは。
きっとマリア様だけが知っている――。