夕焼けの君へ
Starting line.

 

 

 

 怒り心頭に発するとは、まさにこのことだろうか。
 私は一人…なぜ一人なのか理由が全然わからないけれど、それすらもなんとなくいらいらする事実だ…山百合会の根城である薔薇の館二階でのっしのっしとうろついていた。
 授業のたっぷりあった今日だから、夏なのに太陽は少しかげり気味。夕焼け突入まであと少しといったところだろう。

 しかしどうでもいいけれど、根城っていうと私まるでどこぞの悪役伯爵みたいだ。
 そして多分、祥子さまと並んでその役柄が一番似合うのも私だと思う。性格面では私、高笑いでは祥子さま。
 ……なんてブルーな想像だろう、しかし。それすらもハイテンションに変えるくらい今は怒り心頭中。
 ちなみにきっと、執事が乃梨子ちゃんで捕らわれのお姫様が志摩子さんだと思う。どうでもいいことだけれど。

「すると夕焼けの部屋で血を見るわね、私」

 本気である。
 今日と言う今日は、はっきり言ってびしびし鍛えてやらないと気がすまない。
 おのれ、令ちゃん。
 許さない、令ちゃん。

 みんなの前で決着をつけておかなければ。
 江利子さまと私、どちらが大切なのかを、びしっと。

「…なんて、なあ。思ってみるだけだよね」

 ふと足を止めて、令ちゃんのお気に入りの椅子の前で立ち止まり、小さなため息一つ。
 そっと触れた背もたれはなんとなく、私のお気に入りの隣のそれよりぴんと伸びている気がした。

 …うん、解ってる。
 ……不毛だなって、解っている。
 二者択一、答えが出るはずなんて無いんだけれど。

 だって、令ちゃんだもの。
 私のほうを大切に思ってくれているって思うけれど、だからって江利子さまより私を選ぶなんて言える人じゃない。
 そんな令ちゃんだったら、きっと私はあの人を好きにはならなかったはずなのだし。

 というか、どっちの方が大切だなんていうほうがおかしい。それだって解ってる。
 ……そう、解ってるのだ。私が無茶を言っているだけなんだと、解っているのだ。もちろん、解っていて。
 解っていても、それでも。

「…悔しいだけ、なんだけれどね…」

 再び再開したのっしのっしを、数秒でストップ。
 窓際で夏の太陽に目を射られて、それを契機に私は今度は大きな大きなため息。 
 解っていたつもりのことを言葉にすると、やっぱりズーンと重たく響くものだ。

 そう、悔しいのだ。
 昨日の江利子さまと令ちゃんのシーンが、凄く悔しいのだ。
 悔しさのお陰で昨晩はなかなか寝付けなくて、今朝も今もちょっと眠くて困るくらい。

 令ちゃんと別れてしばらく駅付近をうろつき、お目当ての本を見つけてその帰り道。
 電車に乗った私が、出発から十分位してから目にしたシーンは今も焼きついて離れない。
 思い出せる、今でもしっかりと思い出せる。

 それは、駅に停車後十秒ほど。
 出発のベルが鳴り始めた、その直後だった。
 無理をすれば座れないほどではないというレベルの込み具合だった車内、私は当然のように立っていた。自分内部、元気をアピールしていた時。
 ぼんやりと、いつも通りくだらないあおり文句に満ちた釣り広告からふっと目を離した瞬間、彼女たちは飛び込んできた。

 令ちゃん。
 そして、江利子さま。

 駅のベンチで二人は、コーヒーか何かの缶を片手に話し込んでいた。
 凄く、凄く楽しそうな笑顔。
 江利子さまは普段滅多に見せない、相手に対する興味をありありと浮かべていた。
 令ちゃんも同じ。私には見せない種類の笑顔でそこにいた。

 驚いて、声も出ず。
 いつもだったら、もっと早く見つけていたら必ずしたであろう特攻も出来ず、私はただ二人を見つめていた。
 楽しそうな二人。
 笑っている二人を、窓の向こうに。
 閉まる、扉の向こうに。

「……やきもち、嫉妬、逆恨み。その類に決まってるんだけれど……」

 でも、やきもちも嫉妬も逆恨みも。
 そのどれも、解っていてもやってしまうっていう典型みたいなものだと思う。
 だから仕方ない、ちゃんと説明してくれない令ちゃんが悪いんだ。

 もし私に黙って江利子さまに会ったのならそれはもう、弁解の余地なし。許せない。
 でももし偶然駅で出会ったのだとしても、ちゃんと私に言ってくれるべきだった。あの後、私より遅く家に帰ってきた令ちゃんは(私より一時間以上遅かった。部屋を見張っていたから解ってる。なんたる浮気ものか!)、私にちゃんと駅での事実を報告するべきだったのだ。
 真実はなんとなく、わかっている。偶然だと思う……思いたい。違ったら心から落ち込む。

 けれど、違うかもしれないという思いが抜けない。
 それが私を怒らせ、よくある令ちゃん無視に走らせ、そして。
 …そして、私をこんなにもおびえさせているのだと思った。

「あーもうっ。令ちゃんとりあえず遅いーっ!」

 我慢できなくなって叫んでみる。
 そうすると少しだけ心の中がすっきりする。簡単で人にそれなりに迷惑をかける私なりのストレス解消法。
 祐巳さんには『さすがだね』って言われるけれど、でも多分半分以上びびってると思う。
 突拍子も無いことをやったりするけれど、基本的に祐巳さんはいい子ちゃんなのだ。私とは違って。

 やっぱりこれは問答無用の長女である彼女と、長女だけれど精神的には次女である私との違いなのかもしれない。
 ……ん、ちょっと待てよ?

「待てよ……なぜ私一人かな、今ここで?」

 今更のように疑問に思うあたり、私もかなり参ってる。
 よっぽど令ちゃんに対して腹が立っていたんだろう。この時間、この部屋で一人なんてどう考えてもありえない。
 祐巳さんとは同じクラスなわけだし、今日は特に委員会も無い。志摩子さんだって来ていてもおかしくないはず。
 でも、ここに私は一人。……うーむ、これはもしかしたら、もしかするのか……?

「はい、ご明察でございます。黄薔薇のつぼみ」

 かすかに背中側から聞こえた気のする音。
 正体を知ったのは、その声を聞いて、意味を理解してから。

 声の主と、そして。
 さっきの音が、会議室のドアが開いた音だって気がつきながら、ゆっくりと馬首を返す。
 びっくりドキドキを、黄薔薇のつぼみ的にはまあまあなレベルで隠しながら。

「……その声は、我らがカメラちゃんね」
「と、もう一人おまけつきだけれどね」

 振り返れば、彼女たちがいた。
 予想外ではあったけれど、ここにいること自体をどうこう言うような二人ではない。
 そして今はなんとなく溜め込んでしまいそうな時間だったから、誰かが来てくれるのはそれだけで嬉しかったりもするわけで。

「ごきげんよう、真美さん」
「はい。ごきげんよう、由乃さん」

 写真部、武嶋蔦子。
 新聞部、山口真美。

 友人でありかつ、ある意味敵でもある二人に私はとりあえずごきげんよう。
 何の目的があってここに来たのかは解らないけれど、とりあえずリリアンの生徒だし。私も。

「さて、何の御用かしら、お二人とも? ご覧の通り、今ここには私しかおりませんの」

 ……言っていて気がついた。
 この二人が何か言ってきたとしても、今は私一人で対処しなければならないのだった。
 ちょっとだけ、気構えを強くする。やっぱり祥子さまや令ちゃん、志摩子さんがいないとちょっと不安。

 例えばいつぞやのようなバレンタイン企画でも持ち出されたら、私ではちょっと対処に困るのだ。
 さて、どうしたものか……と考えていると、ちょっと思いもよらぬ言葉がカメラちゃんから聞こえてくる。

「いえ、今日は山百合会に御用があるわけではございませんの。由乃さんにお話が」
「私に?」
「そうなのです。……まあ、結果的にそうなったというだけで、本当は山百合会に用事があったのですけれどね」

 ちょっと残念そうに付け加える真美さんに、頷く蔦子さん。
 なんだろう……ちょっと妙な雰囲気に、構えをふっと解く。
 改めて眺めてみると、二人ともちょっと疲れた雰囲気。蔦子さんなんか髪の毛に碧の葉っぱがついていたりで、なんとなく不思議な佇まいですらあった。

「…とりあえず、座らない? 私もいらいらし通しでちょっと疲れてるんだ」

 言葉をまず、崩した。
 それが、合図。蔦子さんたちも頷いて、思い思いの席に腰掛ける。
 腰掛けながらそして、少しずつ謎解きを始めてゆく。

 いきなり、そして本質へ。

「令さまと江利子さまのことで、ね?」
「なんで知ってるの、それをっ!」

 折角座ったのに、思わず立ち上がる。
 どでん、って変な音がするくらいテーブルを強く叩きながら。
 ものとしてはいいけれどさすがに年をとってるせいか、小さすぎず大きすぎず揺れたから、その上にカメラを置いていた蔦子さんったら思わずかばって持ち上げてしまう程度には。

 ふう、って一眼レフを抱きしめながら安堵のため息のカメラ少女は、それはねって続ける。
 どことなく気まずそうで、でもなんとなくいたずらっ子をたしなめるような、そんな顔をしながら。

「まあ色々と、広くて浅いわけがあるのよ」

 広くて浅い、ねえ。
 ……なんとなくお茶を入れて長期戦の構えを取る必要性を感じるような、蔦子さんにしては珍しい歯切れの悪さだと思った。

 

 

 

 

 

「立ち聞きしただぁ!?」
「うん」
「まあ、偶然ね」

 呆れたような私に特に弁解するでもなく、二人は淡々と話を進めてゆく。蔦子さんったら、お茶なんてずずーっとすすりながら妙に落ち着いていたり。
 ちなみに結局、お茶は私が。長引きそうな予感、びんびんだったから。

 まあ怒ることすら忘れて呆れてしまった私に彼女たちが話してくれた内容としては、大体次のような感じだ。
 なんでもスクープを探していた二人がたまたま構内でこそこそと、例の温室へ向かう令ちゃんを見つけたらしい。
 跡をつけてみると温室に私以外のメンバーが全員集合しているというでは無いか。そりゃ二人でなくとも耳をそばだてたくなるだろう。私だってそうした。今の私なら、絶対に。

「しかし見つかったのが令ちゃんと言うあたり、リアリティだなあ」

 案外とドジな令ちゃんへの突っ込みに、二人は乾いた笑顔。
 まあおそらく、その面子が集まっていたのなら話の内容から解るのだろう、私のお姉さまのおおぼけ具合も。 
 目に浮かぶようだ、あたふたと私の話しをしているお姉さまの姿が。 

 ……っていうか、私のネタでいいんだよね、その密談って?

「うん、そう。令さまが、今朝由乃さんが凄い不機嫌でもう取り付く島も無かったんで困ってるって話だった」
「あれは本当に怖がっていたね。…怖いって言うか、困ったなあって言うか、そんな感じ」

 うん、それは当然。
 私の機嫌が悪い時、令ちゃんも困ってくれないと困る。
 自分中心ながら、島津由乃としてはそこは譲れないラインである。

 自分のことで悩んでこそ、令ちゃんなのだ。
 もちろんそんな令ちゃんを見れば、文句の十八個くらいは出てきてしまうのだけれど。

「そっか…それでみんなは来なかったんだね、ここに」
「山百合会、臨時引越しだったよ、あれは」
「そうね。普段ならスクープにするところなんだけれど、話を聞いていたらなんかそんな気にならなくてね」

 うんうんって頷くジャーナリスト二人。
 どういうことか尋ねれば、二人が交互に説明してくれる。
 令ちゃんの昨日のこと。

 予想通り、本当に予想通り。
 それが問題だなんて、これっぽっちも想像していなかった令ちゃんの真実。
 私が見て、驚いて、言葉をなくして、怒って。

 本当は少しだけ泣いちゃった景色の真実を。
 予想通りの、でも。
 でも、誰かに言ってもらえないと信じられない真実を。

「――とまあそんなわけで、令さまの件は偶然だったのよ。……って、なんか由乃さん、もうわかっていたみたいだけれどね」
「…まあ、なんとなくはね」
「解ってても拗ねるのが由乃さん流なわけね。ちさとさんが聞いたら泣くわよ」

 真美さんの皮肉は、ちくりと胸に響いた。
 真実だから。そうだって解ってる、私の欠点だから、小さくちくりとちくちくと。
 だから、つい私も反撃したくなる。

 言わずもがなの言葉を、友人へ。
 わざわざ知らせてくれたはずの友人へ。

「……どうして、わざわざ私のところへ? ほうって置けば騒ぎになって、新聞のネタになったかもしれないわよ?」

 真美さんに、だから、つい、ちょっとイジワルしてみる。
 そういえば三奈子さまだったらほうっておいたかもしれないなって、ふっと思った。
 今思えば、あのネタ精神がなんとも懐かしくすら感じられる。

 その妹である真美さんは、ちょっと寂しそうに笑って。
 多分その笑顔の裏側には、あの強烈なお姉さまの思い出があって。
 だからこそ。
 でもそれ故にちょっとだけ、きつい目で言ってくれる。

「大騒ぎになりたかったの、由乃さん?」
「……」

 まっすぐな瞳。
 三奈子さまと違う瞳。それはそう……友人としての、瞳だった。

「新聞部としてはその方がよかったかもしれない。でも、友人としてそれはどうかしら? 少なくとも私は、友人とそのお姉さまの大喧嘩を楽しむような人間では無いつもりよ。由乃さん、私をそういう人間だと思っていたのかしら?」

 新聞部だけれど、彼女はなかなか弁も立つ。
 公私混同、しないときは全然しない。三奈子さまとの違いは、その一点で。
 その一点だけでそして、私は少し泣きそうになってしまう。

 責められている辛さ。
 相手を信じなかった情けなさ。
 そして、友人の優しさに。

「…ごめん、真美さん」

 私は少し、涙声。
 ほんの少し、涙声。
 昨日を残す、涙声。

「ううん、いいの。解ってくれれば」
「そうだね。はい、これで和解成立」
「……ありがとう」

 そしてすぐに、笑顔にとける。
 私の笑顔。
 そして、二人の笑顔。

 素直な気持ちが、やっと感じられる。
 伝えようと、職務を捨ててまでしてくれたその気持ちが。優しさが。
 意地を張っていた心に、すうっと染みて行く。

 令ちゃんへの気持ちも。
 わがままも、怒りも、いじけた気持ちも、解けてゆく。

 けれど。
 ああ、けれど、だ。

「これでじゃあ、仲直りできるよね? 令さまと仲直り…ってなんなのよ、その顔は?」
「出来ない。令ちゃんにはとりあえず謝ってもらわないと納得できないもん」
「……なるほど、由乃さんらしいわね。そして素直じゃないわね」

 そりゃそうだ、素直なものか。
 いや、ある意味素直なのだけれど。

「仕方ないじゃない、私なんだから」

 そう、私なんだから仕方ない。
 凄い理屈に、苦笑いの蔦子さんと真美さん。
 こっちの方が記事としては面白いなんて呟くあたり、やっぱり新聞部。

「そうね。島津由乃だから仕方ないわね」
「記事にするの、真美さん?」

 答え、解っていて聞いてみる。
 そういうのも悪くないって、私は最近知った。
 祐巳さんがなんとなく、教えてくれたことだ。

 予想通りの言葉を、真美さんは。
 予想通りの顔をして、切り出してくれる。

 惜しいけれど、やめておくわって、そんな顔で。

「まさか。記事にしたら由乃さん、本気でかかってきそうだもの。そして私は非暴力主義。剣道部員は敵に回さないわ」
「懸命ね。……でも、ありがとう」

 剣道部。まあ、一応剣道部。
 でも運動神経なら、真美さんと五分以下。勝てる自信なんてこれっぽっちも無い。伊達に体育見学のプロじゃない。
 そんな事もちろん解ってる真美さんがそれでもそういってくれるのが嬉しかった。

「貸し一つよ、その代わり。妹出来たら真っ先に教えてね」

 いかにもらしい条件提示に、だからつい頷いてしまう。

「うん、解った。約束する」

 きっと破っても怒ったりはしない。
 けれど、今はそういう約束に託したいって思うのだ。
 この、心地よい借りを。
 約束っていう、中身は何でもいいに違いない取引で、締めたいと思うのだ。

「よし、一件落着。あとはじゃ、水入らずで。……由乃さん、頑張って」
「うん。……でもなあ」

 でも。
 それでも、でもが出てきてしまうのが私。
 呆れたような二人の何度目かの視線を無視して、少し考える。

 大切なこと。
 それはそう、とても大切なことなのだ。

 いい加減その辺にしておきなさいって言われても。
 頭の中で祐巳さんが、許してあげなさいって言ったとしても。
 それでも、私はそれではダメなのだ。

 悪い気は、発散してしまわないと。
 とはいえ、今のままではそれは溜め込まれてしまう。
 どうしたものか…って、少し考えて答えを見つける。

「…あ、そうだ。真美さん、水性マジック持ってる?」
「え? あ、うん。持ってるけれど……なにするの?」
「うん。ちょっとね」

 カバンから取り出した、どことなく真面目さを感じる質素なマジック。
 約束を交わした彼女のものだから、なんとなく凄く都合がいい気がした。
 よしっ。

 書き書き。
 真美さんから借りた黒を、私は私の右手で左手に書き込んでゆく。
 文字。
 言葉。

 未来の……多分ほんの数分後の私に伝える言葉を。

「よし、出来た」
「……ぷっ」
「ははっ。いいねいいね、由乃さん。折角だから一枚いい?」
「いいよ。あとで見せてね、その代わり」
「うん」 

 フラッシュが、赤く染まりかける部屋を少しだけ白く染める。
 きっとだから、私の左手の文字もちゃんと写し取ってくれたことだろう。

「そこまでしてしかりたいの、黄薔薇さまを?」

 真美さんが少し呆れたように聞くから。
 だから私はもちろんって、大きく大きく頷いて。

「違うよ、真美さん。由乃さんは、そうしておかないと叱ることを忘れちゃいそうだから書いたんだよ」
「あ、なるほど。もうどう見ても怒っていないものね、由乃さん」
「わー、ばらすなぁっ」

 瞬間、太陽は赤く染まる。
 だから多分、誰にもわからなかったって思いたい。
 さあっと、音がしそうなくらい赤く染まった顔のことは。

 その通り、ああその通りでござる。
 もう怒る気なんて欠片も無いんだもの。
 元々、怒りたいがために怒るような内容だったんだから。

「まあそうね。ちょっと考えれば幾ら由乃さんだって、令さまと江利子さまの密会なんてありえないって解るわよね。きっかけ一つですぐに許せるけれど、それじゃあ今朝の不機嫌の引っ込みがつかないってところかな? なるほど」
「さっすが真美さん、冷静なる推理。ご明察ー」
「本人じゃないのにそんな完全な理解しないでっ」

 完全に理解されていた。その通り、許すきっかけを探していたような私はものだ。
 凄く矛盾しているようだけれど、令ちゃんにぶつけるはずだった怒りだってそう。許すきっかけを見つけるために怒ろうとしていたようなもの。こういうのを本末転倒って言うんだ、間違いなく。
 見抜かれた、そして完全に。秘密を知られた……かくなる上は生かしては置けぬっ……となるのが時代劇だけれど、残念ながらここはリリアン、私は女子高生。

「当たったみたいだよ、蔦子さん」
「よし。これをネタにしばらくはスクープゲットと行きましょう、真美さん」
「……」

 残念ながらしかし相手二人は、幕府隠密か甲賀衆か……。
 火付盗賊改方にでもお出まし願いたいところだけれど、おそらくそれが一番似合う祥子さまは現在令ちゃんと密談中(注:幕府方隠密情報)。
 真っ先に切り込んでくれそうな私のナイトさんは、そして私が現在怒っていることになっているからさすがに助けは求められない。
 四面楚歌、打つ手なし。

「大丈夫だよ、由乃さん。そんな事しないから、私たちは」
「え?」
「そうそう。それに、ね?」
「うん」

 眼鏡がくすりと笑う。
 新聞部部長と、視線を合わせて頷きあって。

「大丈夫、黄薔薇さまには内緒にしておいてあげるから」
「え……」
「そーそー。顔真っ赤にしていた由乃さんのこととかね」

 うぎゃー。
 そっちか。それを言うなってばーっ。

「うわっ、由乃さんってばさらに真っ赤」
「うー。うるさいうるさいうるさいっ!」
「きゃっ。よ、由乃さん、暴力反対反対っ!」

 手近な小物と一緒に暴れる私。
 逃げ回る真美さん、カメラを守る蔦子さんを追い掛け回す。
 大きな机のお陰でそんなに広く無い部屋を二周、三周。
 どたばたと舞い上がる小さなほこりに、巻き起こる小さな、大きな叫び声。

 きっと薔薇の館始まって以来だろう。
 こんなに騒がしい会議室は。
 こんなにそして、どうでもいい。

 けれど楽しい笑顔が満ちる時間も、きっと……。

「は、はあ。はあ……解った、解ったよ、由乃さん。降参します、降参」
「うむ、素直で宜しい。…っていうか真美さん、体力無いわね」
「自慢じゃないけれどさっぱり。蔦子さんはー?」

 とりあえず扉のあたりで倒れこんだ新聞部幹部をしとめて、次は写真部放浪のエース。
 彼女は私たちとは丁度机を挟んだ反対側で、両手を上げて降参のポーズ。
 でも、心から楽しそうに。

「私も、降参かな。カメラが危ないし、続けていると」
「それもまた蔦子さんらしいわね」
「ほんとに」

 だから私も。
 真美さんも一緒になって、けたけた笑った。
 息を切らせながら。
 真美さんに、リレーの選手にだってなれるんじゃない、なんて言われながら。
 冗談じゃない、そこまで自分もバカじゃないって言いながら。

 夕焼けが顔をのぞかせた、その直後くらいの時間。
 私たちは、しばらく声を立てて笑い続けていた。

「…ね、由乃さん」
「なに?」 

 そろそろ引き上げるって段になって、蔦子さんが言う。
 スカートに少しついたほこりを払いながら、何気ない感じで。
 何気ない感じを装いながら、言ってくれる。

「ちゃんと仲直りしなよ。ぎりぎりになってあなたは、プッツンしちゃうことがあるから」
「……」
「そうね。今のつぼみで見ていて一番面白いのは由乃さんかも。何するか解らないもの」

 ……それはちょっとショックかも。絶対祐巳さんだと思っていたのに。
 なーんて、ごめんね。親友。心の中でちょっとあなたを売りました、申し訳ない。
 でもきっと、あなたはあなたで令ちゃんに色々言ってる気がするから、お相子って事で宜しく。

「それはまあ、確かに否定できないかなあ…」
「だよね。という事で、ちゃんと気合入れて仲直り宜しく」
「うん、そうね。私たちが今日のあなたを全部忘れる代わりって事で」

 どっちが有利でどっちが不利なのか良く解らない取引はでも。
 私としては、積極的に頷かない理由なんて何にも無い条件提示に満ちていた。
 仲直り、させてくれるんなら。
 危なっかしい私の手綱を、脅しって形でも持ってくれるなら。

「…解った、約束する。明日ちゃんと、令ちゃんと一緒に学校来るよ」
「よし、約束だよ」

 令ちゃんと仲直りする勇気を、くれるなら。
 私にとって、何の文句があるだろう?

「約束」

 真美さんがまず、手を伸ばした。
 三角形を描くように立ち尽くしていた私たちの、丁度真ん中あたりに。
 意図を悟ったのは、多分私のほうが少し先。
 でも、面白さ的に躊躇した私と、面白さ的に先んじようとした蔦子さんのお陰で、私が後。

「約束ね」

 蔦子さんの左手が伸びる。
 よく見れば、真美さんのまで左手だった。
 ……ま、解っていたけれど。

 私もそうするしか無いでしょう。

「約束……あははっ!」

 伸ばした左手、見えるのは『バカ』の一文字。
 いや、そりゃ笑うでしょう。
 約束、重ねた手の一番上がバカなんて、それこそそんなバカな。

 バカな約束。
 でも、なんとなくだからこそ。
 だからこそ、絶対に守るって決められたような。

 そんな不思議な夏の約束――。

 

 

 

 笑いながら二人が帰ってしまうと、部屋は驚くくらい広くて、静かで。
 夕焼けに屈してカラスなんか飛ばせている空も手伝って、なんとも物悲しい。
 一人、いつもの席に腰掛けて落ち着かない私は、時計を一分に一回は見上げて、時の進みが遅いって神様に文句を言っている。

「令ちゃん、遅すぎっ!」

 そりゃでも、無茶ってもの。
 隠密によれば、私が怒っていた(過去形。ここ重要)理由に気付いた令ちゃんなんだもの。
 臆病では無いけれど、勇気りんりんでもない私のお姉さまはきっと、かなりここに来るのにためらっているに違いないのだ。

 そうしつけてしまった張本人だから、それくらいはわかってしまうわけで。
 仕方ない、もう待つしか出来ないわけで。

「……眠い……」

 どうやって怒ろうか。何から切り出そうか。
 そんな事ばかり考えていた今日、気が張っていたのかもしれない。
 怒る理由をどこかになくしてしまった今、気が抜けてしまうのもまた仕方の無いところ。

 抜けた気は体中に伝わり、がっくりと机に突っ伏していた。
 組んだ腕に埋める顔。薄い制服越しに感じられる両腕は、軽く汗ばんでいる。
 夏だな。
 夏の、夕暮れ間近だな。

 眠いな。
 ……寝ちゃおうかな。
 遅い令ちゃんのバカなんか、待ってなくてもいいや。

 きっと。
 絶対。

「おそーいー……」

 きっと絶対彼女が来て、私の代わりに待ってくれていると思うから。

 

 

 

 

 私は、眠る。
 ただ、眠る。

 夢を見る。
 令ちゃんを目一杯叱っている夢。
 胸が少しだけ切なくなる夢。

 本当になれなかった。
 思い出になれなかった、それは今日のもしもを形作る夢の話。

 夢だから。
 目を覚ましたら、きっとそこには令ちゃんがいるから。
 そのときまで、眠ろう。
 令ちゃんに会うために、眠ろう。

「令ちゃん……」

 目を覚ましたらまず、なんて言葉をかけようか。
 気持ちよくて優しい、赤い光の差し込む部屋で、令ちゃんになんて?

 ……決まってるね。
 重たくなるまぶたをかろうじて上げると、光に照らされる左手の甲。約束の言葉。
 夕焼けの君へ、私へ、送る言葉。
 ……うん。解ってるよ、蔦子さん、真美さん。

 ちゃんと、私は。
 ちゃんと、言うよ。
 ちゃんと、そして仲直りするよ。

「――ばーか」

 って言ってから。
 きっと、ちゃんと、絶対。

 仲直り、するよ……。

 

 

 

 

 

 

 

夕焼けの君へ starting line.
〜interlude between Love & Love〜
F I N