16:アラスカへ
(6月2日)


 きょうは、アラスカへ移動する。
 日本を発つ前に読んだガイドブックに「ニューヨークのテロ以降、アメリカを離着陸する飛行機にガソリンコンロを持ち込むことができなくなった」といった意味のことが書いてあったのが、少々気になる。
 成田からサンフランシスコまでは無事持ってこれたが、サンフランシスコからアンカレジの便は大丈夫だろうか。

 5時40分起床。ゆうべの飲みすぎのせいか、気分がさえないが、それは単なる寝不足かもしれない。そんな気分とは対照的に、きょうもサンフランシスコの空はピーカンだ。
 洗面などを済ませ、6時過ぎにはスタンバイ完了。あとは、ホゼが起きているのを待つだけだ。

 慌しく、けさもたっぷりの朝食を腹に詰め込んだ。ホゼには本当にお世話になった。頼りっぱなしだった。本当にありがたい。
 サンフランシスコの空港での別れぎわ、「デナリのクマは、ヨセミテのクマとは大違いだぞ。ヨセミテのクマなんて赤ちゃんだ! デナリのクマは牙をむいてかかってくるぞ! 気をつけろよ!」といってボクを送ってくれた。ありがとう、ホゼ。

 そして、厳重なセキュリティ・チェックに臨んだ。
 普通どおりのX-線のゲートをくぐる。
 センサーの反応があろうがなかろうが検査官によるボディチェックへと続く。両手を挙げて素直に従う。
 そのあと、靴を脱いでペタペタと歩いてゆき、椅子に腰掛けた。
 ボクから3メートルほど先のテーブルの上で、その靴を含め、手荷物一式を広げて検査官がチェックしている。ボクは、遠くそれを眺めている、と、「スタンダップ!」と言って別の検査官が、今度はセンサーを使って全身をなめまわした。X-線をくぐってからここまで、10分ほどを要した。
 まったくもううんざり。戦争なんかやめてしまえばいいのに…。

 シアトルまで2時間。さらにアンカレッジまで3時間半。アメリカ西部時間で午後4時前にアンカレジに降り立った。アラスカはさらに時間が遅いため時計を1時間戻す。

 アンカレジといえば、かつて北極回りで飛ぶ飛行機の中継地として賑わっていたと聞くが、外の風景は、ローカル空港そのものといった感じだ。だいいちダウンタウンへ向かう公共交通機関がないなんて、どういうことだ。いくら車社会のアメリカの一部とはいえ、バスくらいは用意しておいて欲しい。
 そんなわけで、ぼくは、空港のインフォメーションにいって、バンを呼んでもらった。
 白髪のおばあちゃんは、ゆっくりとした英語で丁寧にボクに応じてくれた。

 アラスカにおける、アラスカと日本のつながりは、ボクら、少なくともボク自身がもっていた印象とかなり違っていて、深いようだ。バンの運転手は、助手席に座ったボクが日本人だということ知ると、第二次世界大戦のことと、地震のことについて話をした。
 アラスカじゅうの人が、両国に同じ共通点を見出しているかどうかはわからないが、少なくても彼の中では、この2つの事柄が大きな共通点のようだ。
 なぜ、戦争かといえば、アメリカの歴史の中で、唯一の地上戦が行われた場所が、アラスカであり、その相手国が日本だからなのだ。のちに、アラスカのあちこちで知ることになるのだが、博物館とか観光地の書籍コーナーなどに、実に日本との戦争の歴史関係のものが多い。ボクは英語をすみずみまで理解することができないので、詳細まで読み取ることはできなかったが、少なくても、それ以前に統治されていたロシアのものに比べても、目にする頻度は桁違いに多い。
 もうひとつの共通点である地震についても、彼は、年代も含めて良く知っていたが、第二次世界大戦に比べたら、つけたしみたいなものだった。

 こんなふうに書くと、アラスカの人は、日本に対して敵対意識を持っているように思われるかもしれないが、決してそんなことはない。彼は、ユースホステルが近づくと、そこには直接向かわずに、小さなダウンタウンを行ったり来たりしながら、ここに日本食があるとか、このホテルに巨大なポーラーベアの剥製があるとか、ここのスーパーは何時までやっていて品揃えが抜群だとか、観光案内所に行かなくても済むくらい丁寧に案内してくれた。
 最後に「帰りも乗ってくれ」と言ってネームカードに出すところをみると、こういったサービスも営業のひとつなのだろうが、それを強く感じさせない自然さに、とても好感を持てた。

 そんなわけで、空港からダウンタウンに来るまでに感じたボクのアラスカに対する第一印象はとても良かった

 ユースホステルの予約は、今夜と、帰りの5月16日だけしかしておかなかったが、その場で「あすもうひと晩お願い」と言うと、あっさりOKしてくれた。まだ夕方4時前、バンの運転手に案内してもらったダウンタウンへ向かった。
 どこの町へ行っても、まず覗くのは本屋とアウトドアショップだ。
 アウトドアショップの中は、さすがアラスカ!といった感じで圧倒される。分厚いシャツ、頑丈そうなオーバーオール。ゴアテックスなどは影が薄く、どんな水もどんな寒さも絶対に通さない!といった気合が感じられるカッパが目を惹く。これほどまでしなければ、生き残って行けないのだろうか…と、大地の迫力が伝わってきた。
 そして、空腹を満たそうと歩き回ったが、ファストフードなるものが見当たらない。せいぜい、歩道のワゴンで売っているホットドッグくらいだ。それではなんとも頼りなく、down town deliという軽食風のレストランに入った。ハンバーガーとアイスティにグリーンサラダ。グリーンサラダは、さすがに品薄なのか、飛行機に揺られてやってきたことが明らかなように疲れ果てて見え、しなびていた。

 ホステルに戻ると、これからのウイルダネスの暮らしの中では当分出来ないであろう洗濯をして、暗くならない夜を待たずに、ベットに横になった。


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