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ひと晩じゅう、雨の音が頭から離れなかった。眠っている間も、薄れた意識の中でずっとテントを叩く雨の音が響いていた。 が、その音が、いつしかしなくなった。天気が回復したのか。それとも…。 ある程度予想はしていたが、雨が雪に変わっていたのだ。 3シーズン用のシュラフでも、夜の間、特に寒く感じるようなことはなかったが、テントの中から覗いてみると、あたり一面が雪景色に変わっている。うっすらと積もっている程度の雪の量ではあるが、このまま降り続くと地形がわからなくなってしまう。そして、ベア・キャニスターも埋もれてしまって、その場所にたどり着けなくなる恐れもある。テントが潰れるほどではないが、頻繁に内側から叩いて雪を落とす作業を繰り返す。
雪は、4〜5時間続いただろうか。午前9時頃、再びテントの中に音が響き始めた。雨の音ではないが、シャリシャリとしたその音は、雪がみぞれに変わったことを告げていた。あたり一面が真っ白な雪景色のせいか、この天気にわりに黄色いテントの中がとても明るい。雪にもかかわらず落ち込んだ気分にならないのは、こんなことも影響しているのかもしれない。 午前10時、完全に雨に変わり、テントの中は、再びイライラの原因となる音で満たされた。 ベアキャニスターのところへいき、スニッカーズを1本かじった。 うねるようなツンドラの大地は真っ白だ。 雨の中、丘の上で傘をさす男がひとり。 100メートルほど離れた緩やかな斜面に、小さなテントひとつ見える。 アラスカ・レンジの頂は雲に覆われていて、それを見つめながらスニッカーズをかじる。 今の自分の状況を客観的に記憶に留めると「何がどうなって、今、おれはこんなところで、こんなことをしているのだろう」と不思議にも思ったが、それが結構心地よい不思議だった。 テントの底は水がにじんでいる。これは外から入ってきた水ではなくて、テントの内側に結露した水分が、流れ落ちてきたものだ。雪が降るほどだから、ボクの意識にはなくても気温は低くなっていたのだろう。それが結露につながり、テントの中に水がにじんでいたのだ。 あとひと晩が限界だ。きょうは、この白い大地の中、歩いて行くのは靴が濡れるばかりでなく、ルートを失うこともある。今夜はここにもう一泊するとしても、あすは歩き始めなければならない。この他にも、早く歩き始めなけばならない理由が、実はもうひとつあるのだ。 バックカントリー・パーミット申請のさいに書いた通り、デナリのウイルダネスは、30以上に分かれていて、ボクは、そのうちの3つのユニットにそれぞれ2泊ずつするスケジュールで申請していた。だから、今、テントを張っているユニットは、きょうまで2泊しかできず、きょうは次のユニットに向けて歩き出さなければならないのだ。 しかし、この天気では歩き出すことはできない。天候不良の緊急事態、ということで自分を納得させた。 雨は降り続き、その雨は雪を溶かした。昼すぎに外を眺めた時には、所々ツンドラの大地が黒く顔を出し始めていた。その時、ボクの目を惹いたのは、何かの群れの足跡だ。グリズリーではないだろう、これほど多いのだから。カリブーか。 10メートルほどの幅で続く群れの足跡の帯が、ボクのテントから30メートルほどしか離れていないところを通過している。それに気づくことがなかったのがとても残念で、ボクはその足跡の帯の続く先を見つめながら、途方もない大地の広がりを、体全体で感じていた。 夕方5時。テントの前室の布が乾き始めている。いつの間にか雨はやんでいたのだ。 退屈なテントの中の時間を時折うとうとしながら過ごしていたボクのスキをついて、外の状況は刻々と変わっている。ムース・クリークの流れの音が異様に大きくテントに届き、南西の風が思い出したように強く吹く。そして、また雨になった。本当に思わせぶりな天気だ。 こんな天気が続いていたら、目的のワンダレイクまでは歩けないかもしれない…。 ワンダーレイクは、デナリ・ナショナル・パークの一番奥のキャンプ場がある所で、マッキンリーが最も美しく見られる人気の場所だ。本来は、ここまでシャトルバスが走っているのだが、まだ本格的シーズンには早く、夏の営業が始まるのが、あすなのだ。 ボクが、このデナリに着いた時は、ワンダーレイクへはまだ歩いて行くしか方法のない時期で、それだから、今、こうしてワンダーレイクを目指している、というわけだ。 目的地についたあとは、開通直後のシャトルバスに乗ってこのウイルダネスをあとにすることになるが、パークロードは、今、その開通に向けての道路の補修が行われている。丘の上に立つと、パークロードを時折通り過ぎるトラックが小さく小さく見えている。 ウイルダネスといっても、ちょっと歩けば文明が往来しているのだ。 夕方9時。雨は完全に止んだ。東の空は薄く青みがかっている。天気が回復に向かっている。安心してメシにした。マッシュルームピラフを食べたあとのコヘルで2度湯を沸かし、飲んだ。匂いには、つい神経質になってしまう。 |