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〜デナリ・トレッキング7日目〜
(6月11日)


 日付が変わった頃から雨がテントを叩き、きのうに蚊にかわって、きょうは、この雨の音がテントの中に響いていた。目を閉じてしまえば、どちらの音か区別がつかないから、寝ているものとしては、どちらでも関係ない。ここデナリのウイルダネスには、夜の静寂というものは存在せず、夜そのものがないのだから、それはもっともな話かもしれない。夜が恋しい。

 空は灰色の雲。地平線の彼方に青空が見えている。なぜかテントの中に蚊が多い。ベンチレーターからは入ってきたのか。
 5時半、早々に撤収を完了して、歩き始める。
 きょうは、ウイルダネスの最終日だ。眼下に見えているパークロードまで降りて、そこでビジターセンターに戻るシャトルバスを拾えば、デナリにおけるウイルダネスが終わる

 30分程度で急な斜面を転げ落ちるように下った。背丈よりも高いブッシュ。降り続いた雨のせいで、ブッシュを抜けたボクは土砂降りの雨に打たれたようにずぶ濡れになり、おまけに足元は、斜面を下ってきた水が集まりできたぬかるみのせいで、泥だらけ。全身がドロドロだ。
 そんなわけもあって、たとえダートであってもバスが走れるくらい固い道に出た時には、軽い足取りに変わった。

 そして、とうとうワンダーレイクにやってきた。南北に細長い湖の北岸にある小さな丘の上。凪いだ湖面が鏡のようにアラスカ・レンジを映している。あいにくマッキンリーの頂は低い雲に覆われているが、薄暗い風景が神秘的だ。写真を撮っていると弱々しい朝日が射してきて、それと同時に蚊が勢いを増していった。

 6時半を過ぎる頃、その日最初バスが東へ向かって行った。小高い上から湖畔の東岸に沿って小さな散歩道が南へ続いている。実に久しぶりのトレイルだ。足元に瑞々しく小さな花が揺れる。そのトレイルをしばらくたどったあと、その後、パークロードを南に向かって歩いた。
 このあとのバスは、9時10分にカンティシュナを出て10時半にアイルソンビジターセンター着く便だ。このままパークロードを歩いていると、9時半頃にピックアップされることになるだろう。

 歩き疲れた。ツンドラの上を悪戦苦闘しながら歩いたあとだけに、パークロードでは自然と足の回転が速くなってゆく。重い荷物を背負っているだけに疲労のペースも速い。
 パークロードが少し広くなっている路肩にザックをおろし、雄大な眺めを楽しみながらバスを待つことにした。幸いここからは南側に展望がひらけていて、その広がりはマッキンリー・リバーの広大な河原へと続いている。

 9時40分。キャンパーズバスがやってきた。ここにザックをおろしてから約1時間半がたっていた。ザックの奥でシワシワになっていたチケットをドライバーに見せて乗り込む。これまでは気づかなかった体や持ち物からの悪臭が鼻をついた
 そして、腰かけているだけでどんどん前へ進んでゆく今の自分が不思議でならない。車ってなんだ? 歩く旅ってなんだ?
 アイルソンビジターセンターに着くと、思いきり顔を洗った。バンダナも洗った。髪はボサボサ。ウエアの腕のあたりを鼻に近づけて臭いを気にする。右も左もやってみたが何も感じない。悪臭に慣れてしまっているのか。早くシャワーを浴びたい。

 出た〜。グリズリーだ!
 ビジターセンターに戻る途中のシャトルバスの車窓。3頭の子供を連れたグリズリーがツンドラを駆けている。子供たちはじゃれあい無邪気だ。
 当然バスは止まる。ドライバーは簡単な解説を乗客にすると、自分自身、好奇心丸だしで双眼鏡を覗いてバスをいつまでも走らせようとしない。うらやましい仕事だ。
 グリズリーはあまりに遠く、その体の大きさは伝わってこなかったが、走る親グマの波打つように揺れるシナモン色の毛並みの輝きに、存在の大きさは充分に伝わってきた。

 ビジターセンターに戻ると、早速テントサイトをキープし、洗濯とシャワーに10ドルを使った。この値段だけあって、シャワーには大きなバスタオルがついていた。これでサッパリ! 蚊がいないのも快適だ。
 あす、フェアバンクスへ向かうバンを電話で予約する。
 そして、飲んで食って、午後の大部分を過ごした。

 午後8時を回ったが、低くなり始めたばかりの太陽がとても心地いい。初夏のデナリ最高!

 ここライリークリークのキャンプグラウンドもグリズリーの危険性はあるのだが、けさまでいたウイルダネスの領域に比べると、もうほとんど緊張感がない。だいいち、このキャンプ場には我々バックパッカーが食料を保管しておくためのベア・ボックスは設置されていない。必要なら木から吊るせと、レンジャーは言う。ボクは、まだベア・キャニスターを返却せずに持っていたので、それで保管できたが、何もないバックパッカーは、他の車できているキャンパーに保管をお願いしていた。
 もうちょっと国立公園側の配慮があってはいいのでは、と思う。
 テントの中では、蚊の音も雨の音もせず、かわりに車のエンジン音が時折、響いていた。


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