◆ビザ取得大作戦◆

 かつて、アメリカ渡航にもビザが必要でした。

 大学生の時の話ですが、アメリカ好きの友人が「アメリカ旅行のためのビザを取るために、銀行の残高証明が…(どうのこうの)…」なんて言っていたことを思い出しました。それは、もう20年ほども前のことです。
 記憶が正しければ、その友人が必要としていた旅行のためのビザは、私の大学在学中に制度が大きく変わり、取得する必要がなくなりました。だから、その数年後、私が初めての海外旅行でアメリカを選んだ時には、飛行機の中で細長い紙に必要事項を記入すれば、ろくに英語が話せなくとも、書けなくても、難なくアメリカ大陸へ立つことができました。

 厳密に言えば、最初に書いた「かつて、アメリカ渡航にもビザが必要だった」という表現は正しくありません
 普通の旅行者は「帰りのチケットを用意するとか、滞在が90日以内であるとか、一定の条件を満たせば、ビザがなくても入国を許される」というのが現状で、その条件を満たすことができなければ今でもビザは必要なのです。
 この条件については、アメリカ大使館のHPに詳しく出ていますし、私自身、自分に関係することしかわかっていないので、あまり深くは触れないでおきます。

 確かなことは、「およそ半年を必要とするパシフィック・クレスト・トレイルを完全踏破をするには、アメリカ入国のためのビザが必要である」ということ。学生時代、「海外旅行ってたいへんなんだなぁ」と呑気に友人の話を聞いていた私が、今、おそよ20年の時をへてビザを取らなければならい状況にたたされているのです。


●2004年1月15日…(旅行代理店へ。有楽町にて)
 有楽町です。パタゴニア旅行から帰国して、札幌に帰る前の数日、私は先輩の家に滞在していました。
 せっかく東京にいるのだし、旅行代理店やチャンスがあればアメリカ大使館にでも行ってビザの情報でも得られれば…、なんて思いながらランチタイムのサラリーマンや買い物客で賑わう歩道を歩いていました。
 たまたまあった大手旅行代理店に入って、ビザのことを話すと、専用の支店があるからと電話番号を教えられました。

 電話ボックスからその支店に連絡をすると、悲観的な返事が帰ってきました。
観光目的で、ビザの取得は難しいと思いますよ
と。彼が言うには、かつて誰でもビザが必要だった頃に比べると、今は90日のビザ免除プログラムがあるから、アメリカとしても、相当な理由がなければ、観光ビザは発給しないと言うことです。「観光は90日以内で済ませてね!」というアメリカのメッセージがこの現実から受け取れます。

 しかし、現実として「観光ビザ」というものが存在しているわけで、可能性はゼロではありません。これについて、受話器の向こうの彼は「観光に90日以上を必要とする必然性を大使館に対して説明できれば発給される」という説明をしました。それに必要な書類は、自分で考え、揃えなければならないようですが、
「まず、大使館に連絡をするといいですよ。日本語でファックスサービスやってますから」
と、電話番号を教えてくれました。直接行ってもいいのかどうか尋ねると、
「行けるとしても大使館の窓口は午前だけしかやっていない」
とのこと。他にも彼は

・細かく計画書を書く
・申請書はインターネットで入手可能
・申請後発給まで10日〜2週間がめやす
・質問は電話より、記録が残るファックスがいい

など、申請のさいの情報とアドバイスをくれました。
 そんなわけで、「ビザ取得大作戦」は、札幌に帰って、ファックスを買うところから再スタートすることにしました。


●2004年1月19日…(アメリカ大使館「ビザインフォメーションライン」へ)
 まだ、時差ボケが残っているのか、午前4時にすっきりと目覚めました。きのうファックスを購入し、友人にテスト送信してもらい作動を確認。そして、さっそくアメリカ大使館にコンタクト。当然こんな時間に生身の人間が対応してくれるはずもなく、延々と続くテープレコーダーの指示に従い、ボタンを押していきました。
 その結果、届いたのは「観光ビザに関する情報」が2枚。本当に基本的な情報だけ。でも、これを基本にビザ取得の作業が始まるのです。

 ちなみに、このサービスは有料です。2枚の紙の情報に840円。電話代は別。
 アメリカ大使館のHPを見れば英語や日本語でさんざんビザに関する情報が書かれているのに、これだけ有料にする意味ってなんなのでしょうか。おまけに、テープレコーダの声に延々と対応していると、札幌東京間の電話代もバカになりません。ちょっと、ムッときました。


●2004年1月19日…(旅行代理店へ。札幌にて)
 アメリカ大使館HPから必要な書類「D-156」「D-157」をプリントアウト。日本語付きで、サンプル付きでもありますが、わからないところがいくつかありました。そういった質問も大使館で受けつけているといいますが、それも有料。もっと気軽に質問に応じてくれる所があればいいのですが…。

 インターネットで検索すると、札幌にもビザ取得のための代理店が見つかり、質問事項をまとめ、さっそく出向きました。
 窓口に出てきた若い女性は、丁寧に質問に答えてくれました。

・パスポートの発行地の「市」ってどこですか?
 →申請した場所、ボクの場合は千葉市です。
・出生地は「市」ではないのですが?
 →「町」ではなくて「郡」を書いて下さい。
・無職の場合の職業欄は「unemployed」でいいですか?
 →はい。ただし銀行残高、そうとうないと厳しいですよ。
・米国への到着予定日は未定なのですが?
 →あくまでも予定ですから、申請後変わっても問題ありません。
・米国に滞在中の住所は、1〜2泊滞在する友人宅でOKですか。
 →はい。
・渡米歴は何度もあり、書ききれないのですが…。
 →別紙に書いてください。

「D-156」「D-157」については、これで完璧!
 そして、せっかくの機会でもあるし、その他、幾つか訊いてみました。

面接ってどういうものなんですか?」
「うちは、観光ビザの人のことはわかりませんが、学生ビザをとる多くの人は、ほんの簡単な受け答えだけで済んでいると聞きます。何もしゃべらすに終わる人もいるようですよ」
 日本語が通用するということも聞いて、ひと安心です。

「申請代行をしているようですが、代行する作業はどの作業で、料金はどれくらいですか?」
「大使館指定の書類の記入を代行します。英文レターや補足資料の作成や、翻訳などはしません。料金は15,750円。うちでチケットを購入すれば10,500円です」
 できることなら、英文レターの作成や必要書類の翻訳といった作業の代行や、効果的な必要書類のアドバイスがいただければ楽なのに、と思っていたのですが、フォーマットを埋めるだけの作業でこの金額とは、なんとも法外な印象です。代行のメリットは全くありません。直前に丁寧に記入方法を教えて頂いたばかりなので、あまり悪く言うわけにはいきませんが、こんな料金設定の存在自体がとても不思議に思えます。

 さて、大使館指定の書類の記入は、これでなんとかメドは立ちましたが、問題は「観光に90日以上を必要とする必然性を説明する」ための資料です。その他、アメリカに必要以上に長期滞在しない(アメリカでの用事が済んだらさっさと帰国する)証明なども全て自分で作成しなければなりません。それも英文で。長い道のりが続きます。


●2004年1月24日…(インターネットで情報集め)
 私と同じようにビザの申請をする人はきっと多いわけで、体験談などをHPに載せている人も多いはず。そう思い、ここ数日はインターネットを見まくっていました。本当にいい世の中です。

 ちょうど良く、去年(2003年)パシフィック・クレスト・トレイルを完全踏破した人のHPをみつけました。彼の名前は日色健人さん、プロフィールを見ると、ボクよりもひとまわりほども若いじゃありませんか! HPにはビザ取得のドキュメントがバッチリと載っていて、そのまま使えそうな英文もバッチリ載っています。そのままコピーしてしまうのも気が引けたので、引用のお断りのメールをすると、快いお返事がかえってきました。さっそく彼のHPをお手本に自分の資料集めに入いりました。


●2004年1月下旬〜2月上旬…(資料集めと英作文と格闘の日々)
 2月なかばまでには面接が受けられるように目標を設定し、資料集めと英文資料の作成に入りました。
 資料が不十分であれば、今回のビザが発給されないばかりか、普通の観光に適応されるビザ免除プログラムによる入国も困難になるという情報もあり、失敗はかなり大きなダメージになります。小心者の私は立ち直れないかもしれません。人生における最大のショックを前に精神的なプレッシャーは増すばかりです。

 したがって、利用できる資料は何から何まで揃えて立ち向かおう、と総力戦の戦闘モードに入いりました。最終的に揃えた資料は次の通りです。

(1)本人のレター(自作の英文)
なぜ、ビザ免除プラグラムではなく、観光ビザが必要なのか。ちゃんと帰国するのか。自分と日本の社会とのつながりは何か。といった主張を大使館あてに英文で書きます。日色さんをお手本に、熱く!それでいてクールに審査官に訴えるように! A4の紙1枚。
(2)パシフィック・クレスト・トレイルのオフィシャルガイド(現物)
Pacific Crest Trail Association発行で、去年2003年、ヨセミテ・バレーのウイルダネスセンターでもらってきたパンフレットのようなもの。当然、英語で、これを見れば長い旅になることは一目瞭然です!
(3)旅行計画書(自作の英文)
(2)や、ガイドブックなどをもとにして、おおまかな時期と通過するポイント(町など)を表にしたもの。これが「私の旅にはどうしても半年必要です」ということを示す書類になります。
(4)Visiter's Permit(英文・コピー)
Pacific Crest Trail Association発行。HPで申請書を入手し、1月19日にファックスで申し込みました。1月28日郵送で届いたもののコピーを提出です。
(5)Visiter's Permitに同封されていた手紙(英文・コピー)
「あなたに許可書を発行します。気をつけて、良い旅を!」といった関係者の署名入りの手紙。「Dear Hidekazu,」で始まるこの手紙は、申し込めば、Permitとともに誰でももらえるものですが、少しでも力になれば、と添付しました。
(6)本人の銀行残高証明(銀行発行の英文)
「旅行の資金は充分にあります。アメリカでは仕事はしません」という証明。1月26日に申請し2月2日に届きました。三井住友銀行の場合、自分の口座がある支店で申請すれば、これよりも短期間で発行できるとのこと。手数料1050円のわりに、手書きだったりして少々頼りない印象です。
(7)父親の手紙(自作の英文)
大使館あて。「彼は確かにうちの息子です。私が身分を保証します。必ず日本に帰ってきます。あなたの国でそそうはしません。もし何かあったら責任をもって処理します」といった趣旨のもの。無職のボクは、会社や学校からの書類がないので、身分を証明するものとしては大切なものです。
(8)父親の会社在籍証明(会社発行の英文)
始めは父親の残高証明にしようと思ったのですが、単身赴任中ゆえ、銀行や印鑑や本人がバラバラで手間がかかりそうだったので在籍証明としました。ありがとう。
(9)札幌の自宅マンションの契約書(コピーと英訳)
2005年5月が契約満期のマンションの部屋。これで「日本に帰ってきますよ!」とアピールできるだろうと選びました。必要な部分だけを英訳しましたが、ビジネス用語が適切かどうかは非常に不安です。
(10)札幌の自宅マンションの家賃10月分までの領収書(コピーと英訳)
(9)とともに、「帰国後ここに住みます!」という意思表示を強烈にアピールするための資料。銀行振り込みの領収書のコピーに英訳をつけました。これもビジネス的表現になっているかどうかは「?」です。
(11)著書「シエラの暮らし」の契約書(コピーと英訳)
「日本の社会とボクは、こんなつながりがありますよ!」というアピール。
(12)著書「シエラの暮らし」の表紙カバーのサンプル(現物と英訳)
(11)の後押しをする資料。さりげなく…、見方によては堂々と「アメリカの自然はこんなに素晴らしい。帰国後、それを日本国民に熱く語ります!」なんていうことを熱く語ってしまいました。それも英語で。

 提出書類は、
・以上の(1)〜(12)までのもの
・大使館指定の「D-156」と「D-157」に、写真1枚と、手数料の領収書を添付したもの
・自分あての住所を書き切手を貼った封筒
が全て。それを、クリアファイルにはさんで、準備完了になります。


●2004年1月30日…(写真撮影)
 西日本方面に住む人がビザ申請に訪れる大阪神戸米国総領事館のHPを見たら、申請に必要な写真にも厳格なルールがあることを思い知らされました。
 背景は白、これくらいは当たり前のことで、5cm四方のサイズの中で、顔の大きさはどれくらいで、目の高さは下からどれくらいで…といった指定があります。そのHPのコピーを写真屋にもって行き撮影を依頼。1,500円なり。


●2004年2月4日…(ビザ申請手数料を振り込む)
 ビザを申請するには手数料の支払いが必要です。$100ということで、日本円では月ごとに変動しています。大使館のHPで確認すると「2月は10,800円」とあり、指定の東京三菱銀行で振り込みました。


●2004年2月5日…(アメリカ大使館での面接予約完了)
 インターネットは本当に便利。そして怖いですね。

 ほんの半月ほど前、アメリカ大使館にコンタクトした時に見た情報では「面接の予約はファックスを使い、数百円の手数料を払い行わなければならない」とありました。しかし、その方法はすでに変わっていました。インターネットを使い、手数料なしで可能になったのです。
 ビザの制度も世界情勢にあわせコロコロと頻繁に変わっているようですが、こういった道具の進歩に伴う手続きの変化(社会との接し方の変化)もめまぐるしいものがあります。今の社会でうまく暮らしてゆけるかどうかということは、人間関係とか礼儀とかよりも、道具の使い方の変化についていけるかどうか、ということにかかっているようにさえ思えてきます。すでに日々の暮らしの中で、そんな社会に取り残されつつある自分を感じることがあるのですが、これは結構ヤバイかもしれません。

 というわけで、英語が話せなくとも、難しい英語もなしで、大使館のHPをたどることさえできれば、目的を達成することができます。面接はいつが満員で、いつが空いているといった情報もひとめでわかります。2月13日の午前に予約を入れました。


●2004年2月13日…(面接当日)
 すごいビルです、アメリカ大使館。
 思ったよりも日本人以外の人が目立ちます。半分くらいは外人。アジア系の他に、スペイン語らしき言葉があちこちから聞こえます。日本人らしき人を見ると、いかにも学生というタイプと、スーツに身を包んだサラリーマンタイプが大多数です。

 大使館前の歩道には100人ほどの列。夜間出入口のような小さな扉の前で荷物検査をして中に入ってゆきます。扉の前で予約証の提示があり、予約なしの場合は中に入れないようです。1か月前、大使館で情報収集なんて考えていましたが、そんな理由では中には入っていけないようです。
 飲み物食べ物は持ち込めず、門の前の地面に置かれた大きなコンテナの中には多くのペットボトルが置き去りになっていて、バレンタインデーのプレゼントらしき包みまで入っていました。

 門を通っても、すぐに建物の中には入れず、エントランス前で散々待たされます。その間に係員が順番に資料を集めてゆくのですが、必要書類のチェックも兼ねていて、写真を取り直せ、とか、インターネットでデータを入力しなおせ、とか指示を与えています。
 きょうは、天気がいいからいいようなものの、雨や雪の日はどうなるんだろう、と心配になるほど、外にいる時間が長く、ようやく建物の中に入る時には、空港の金属探知機を通るとき以上に厳重な警備をくぐり抜けなければなりません。携帯電話、電子辞書などは、中にはいっさい持ち込めず、建物から出るまでは預けることになります。ここはアメリカであることを実感しました。

 いざ、中に入って見ると、そこはまるで小さな場外馬券売り場です。透明の壁に隔てられた窓口が10個ほどあり、機能しているのは3つほど。面接は、その壁を通して行われているようです。狭い待合室には、椅子に座りきれないほどに人があふれていて、半年ほど前に訪れたハローワークに雰囲気が似ていました。
 マイクを通してこもった声が順番に人を呼び出しています。アメリカ人の日本語であるため聞き取りにくく、「○番窓口までおこしください」といった丁寧な言い回しと、高圧的な口調のアンバランスさがおかしく感じられます。

 結果から言ってしまうと、面接はあっという間に終わりました。

 呼び出され、窓口に行くと、
「目的は?」
「滞在期間は?」
といった空港の入国審査の時のような質問が、まずありました。
 私は滞在期間を「7か月」で申請していて、「6か月」以内という通常の限度を越える申請でした。そのためか、審査官は、
「ちょっと待て」
と、書類を持ちいったん奥へ消え、1分程度で戻ってきて、こう言いました。
ビザは発給されます
と。ただし、
旅行にこの資料を持ってゆき空港の入国審査官に同じ説明をしてください
とも言われました。

 そう、ビザが発給されたからといって、それで即、アメリカ入国を許可されたわけではなくて、アメリカの入国審査官に許可されて初めてアメリカ入国を許可されるのです。滞在可能期間も、その時になって初めて確定します。だから、ビザの取得は、アメリカ滞在の初めの一歩でしかないのです。
 というわけで、面接を終えた私のもとには、提出した書類のうち、アメリカ大使館が指定するフォーマット以外の全てが戻ってきました。これを持って、アメリカに向かうことになります。

 考えてみれば、これらの返された補足資料が、アメリカ大使館側の手にあったのはわずか1時間ほどです。その間に、これだけ大勢の資料を、審査官がどのように見て、どのように判断したのでしょうか。あれだけ苦労して時間をかけて書いたのに「こんなものいらないよ」とでも言われたように、あっという間に私の手元に戻ってきてしまいました。
 終わってみれば、あっさりしたものですが、ビザが貼られたパスポートが私の手許に戻ってくるのは、2週間後くらいになるとのこと。2週間後が楽しみです。


●2004年2月23日…(ビザが届いた!)
 郵送でやってきました。
 私は、アメリカ大使館に提出した書類が全て郵送で送り返されると思っていたので、面接前に提出書類を全て郵便局に持ってゆき、その重さに相応しい切手390円を返信用の封筒に貼っておきました。しかし、書類の大部分は面接時に返され、この封筒に入って戻ってきたのはパスポートとクリアホルダだけ。80円の小さな封筒で良かったんじゃないかなぁ…、なんてケチなことを思っています。

 ビザの有効期限は1年。これで、ビザ取得という難関をクリアできました。




happy trail