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去年、パシフィック・クレスト・トレイル(以下PCT)を歩こうときめたとき、このビザの取得が最難関でした。 今年は、去年の経験があったので、まあなんとかなるだろう…と、思っていたのですが、去年とは違い、平日に仕事をもっていたため、東京に行く日をつくれるかどうか、それが一番の心配でした。が、運良く、年末年始の休みに、面接の予約が入れることができ、仕事納めの忘年会の翌日に、贅沢にも飛行機で東京に向かうことにしました。 ビザの申請のためにそろえたものは、アメリカ大使館指定のフォーマットの他に… ・英文レター (ビザ申請の理由を書いたもの) ・行程表 (こういう旅をするには半年かかります!) ・銀行の残高証明 (これが軍資金!アメリカでは仕事をしません) ・お天気お兄さん?の契約書の英訳 (春までにもう少し稼いで、絶対に仕事はしません) ・父親の英文レター (息子はあやしい者ではありません) ・父親の在籍証明書 (私もあやしい者ではありません) ・賃貸住宅契約書の英訳 (帰国後に住むために部屋は借りたままです) ・賃貸住宅の家賃払い込み領収書の英訳(05年10月まで) (繰り返しますが、帰国後もここに住みます) ・「シエラの暮らし」のカバーと英訳 (シエラネバダについて熱く語れます) ・PCTで撮った写真20枚ほど (去年アメリカに長期滞在しましたが、こんなことしてました) ・PCTスライド会のビラの英訳 (PCTを北海道で宣伝します) です。去年の経験がものをいい、3週間程度でそろえることができました。 最後の2〜3こは、必要なかったかもしれませんが、念には念を入れて、そろえられるものは総動員しました。説得力に欠け、出直しを命じられても、もう再び東京に来るチャンスなんて、仕事の契約が切れる4月にならないとないかもしれないので、ここは一気にきめるべく、12月29日の朝一番の飛行機で千歳を発ちました。 12月30日に訪れたアメリカ大使館では、去年とほぼ同じように流れてゆきました。 違っていたところは、まず指紋の採取があったことです。これは小さなスキャナのようなものに両手の人指し指をあててとるもので、どってことありませんでした。 そして、もうひとつ去年と違っていたのは面接が2回あったことです。去年は、空港でやる入国審査のような日本語の簡単なやりとりが1回あっただけなのですが、今回は2回、いずれも英語でした。まさか英語でくるとは思っていなかったのですが… ( 掲示板から抜粋) …、私のビザ申請の理由がアパラチアントレイル踏破であることを知ると、面接を担当した領事官のひとりは 「このギアはいいぞ、高いけど!」 と、モンベルの厚いカタログを持ち出してきて、別のひとりは 「わたしの町は、トレイル沿いにあるの。小さな小さな町だけど、よってね!」 と、面接書類のすみに故郷の名前を書いてくれました。 領事官のフレンドリーな対応に、緊張感もとけ、PCTで出会ったエンジェルたちの笑顔が甦ってきました。 そんなわけで、無事面接は終わり、年があけた2005年1月7日にビザのスタンプがおされたパスポートが郵送されてきました。 私は返信用封筒に240円ぶんの切手しか貼っていなかったのですが、提出した資料が重すぎたせいで、150円の送料不足でした。アメリカ大使館の皆さん、ゴメンなさい。
2005年1月13日 |