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なんとか最後まで歩ききることができました! 2005年4月9日、ジョージア州北部のスプリンガー・マウンテンをスタートした私のアパラチアン・トレイルの旅は、8月20日、メイン州のマウント・カタディンの頂上でフィナーレを迎えました。 前年のパシフィック・クレスト・トレイルに比べると、およそ1か月も短い134日間の旅でしたが、変わりやすい天気や蒸し暑さ、単調でラフなトレイル、人間の生命や健康を脅かす森の生物など、私を取り巻く環境は想像以上に厳しく、悪戦苦闘の連続でした。他に、去年の経験が心の余裕としてではなく、驕りというかたちで私の中に影を落としていたことも、あとから振り返ってみれば苦戦の要因のひとつだったように思います。 そんな状況のなか、完全踏破へと導いてくれたのは、私を取り囲む人たちでした。 今回は、日本を発つ前に「リポートボランティア」というかたちで、たくさんの皆さんに情報発信のお手伝いをお願いしました。一日の最後にテントの中でポストカードを書くという行為が、日々前進しているという確かな手ごたえとなり、また、「これをゴールまで続けなければいけない」という、いい意味でのプレッシャーとなりました。お忙しいなか、協力を頂いた皆さんには、心から感謝いたします。 さらに、たくさんの日本食を持ってトレイルまで駆けつけてくださったアメリカ在住のヤマシタさんご夫妻、鹿俣さんご一家、メイン州のご自宅へ招いてくれたハシモトさんご一家、日本から差し入れを送ってくださった札幌市の小室さん、本当にありがとうございました。 もちろん、途中で出会ったハイカーやトレイル沿線の住民の皆さんのホスピタリティも前進の大きなエネルギーになったことは言うまでもありません。 「パシフィック・クレスト・トレイルは、このあとも歩くことはあるだろうけど、アパラチアン・トレイルは、たぶんこれが最初で最後だろうなぁ」。 これは、バージニア州のダマスカスで出会った PCT ハイカーが言ったセリフで、私もその時は共感しました。しかし、ニューハンプシャー州、そしてメイン州とゴールが近づくにつれて「機会があったら…というよりも機会をつくって、PCT だけでなく AT にもまたいつか戻ってきたい」という気持ちが強くなってきました。 気持ちの変化の一因が、北上とともに広がった北の大地の雄大な風景にあることは間違いありませんが、他にも、巡り合わせとか運命とかでは説明しがたいような出会いに驚き、その不思議な力に翻弄されながらも、それを乗り越えて前進することの爽快感やゲームで味わうようなスリル。さらに、どんな環境においも生命を維持してゆこうとする生物の本質が、自分の体を通じて理解できるという感動。こういった全てのロングトレイルの魅力が、今もゴールの興奮の余韻とともに私を刺激し続けています。言い換えると「ロングトレイル中毒」が、今も進行中といったところです。 その魅力を、このあと紹介ゆく「PHOTO JOURNAL」で感じとって下さい。
2005年8月31日 |