ガン宣告      

         
     2000年8月22日
     国立病院を受診した。触診とエコーは一緒だったが、両方の乳房のレントゲンを4枚撮り、
     完璧と思えるような細胞摂取をした。
     そのときも医師は「まれなものかも・」、という楽観的な意見を言っていた。


     1週間後の30日、国立病院の細胞検査が出た。
     「結果を言うと、ガンです」と先生に言われた。はっきりと笑みをたたえて。
     「こんな時にまさかジョークもないよねぇ…夢かな…こんな時、頭が真っ白・・とかなるのかな・・
     と考えながら緊張のあまり、立ったままでいる私に、もう一度エコー診察を受けるように指示
     がなされた。
     しかし、その映像には、黒い陰がやはり鮮明にあった。

     これまで私は、決してガンにはならないという自信が不思議とあった。
     にもかかわらず、こんなに簡単にガンの宣告を受けるとは、全く青天のへきれきとはこのことだ。
     持っていた図書館の本を読む気力は、もうなかった。
     先生に「乳がんについて」のパンフレットを渡された。
     自分がガン患者であるのを、他人に知られるのがなぜか嫌で、そのパンフレットをバッグの奥
     に押し込めた。


     涙が何回か出そうになったが、気丈なのか涙は流れることはなかった。
     病院の外は、雨がシトシト降っていたが、傘のない私は、小雨の中、走る気力もなく、雨に打た
     れながら、車に乗り込んだ。
     帰りの道のりを考えて、違う路を通って見ようかな、と、こんな時、考える私はやはり、やや、
     おかしいのか…

     「どうだった」と聞く夫の顔は笑っていた。以前のように楽観的な結果を予測していたから、
     「ガンだって」という私の言葉にも「嘘…冗談…」という返事が返ってきた。

     しかし、私の顔にはそれが嘘でもなく、冗談でもないことが現れていんだろう、すぐに察知して、
     気持を切り替えたようだ。


     病院の説明を一通り終えた後「これから年をとるわれわれは色々な病気に直面するんだよ。
     それが夫婦の絆を強くしていくんじゃないの」「し方ないじゃないの・・」「くよくよ考えないように」と、
     私の体を労わってくれる言葉だけけが、聞こえてきた。それも明るい声で。
     
     これまでの心臓の鼓動の高鳴りが、静に穏やかになっていくのが手に取るように伝わってきた。
     こんなにも優しい言葉で包んでくれる彼に感動した。
     そして元気をもらった。何事もなかったような気持になっていく・・。
     現実は大変なことが起きているのに・・。

     やっと国立病院で手渡された乳ガンのための冊子を読む気持になった。
     1ヶ月の入院と2時間の手術時間、その後1ヶ月リハビリと放射線治療。
     調べれば調べるほど、気の重くなる記述が続いている。
     一通り読んで読む力は失せてしまった。


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