手術が終わり  

    2000年9月13日、PM5:00   
      午後の2時30分くらいに手術室に入り、出てきたのは4時30分くらいだったようだ。
      気がつくと、酸素マスクが口にはめられて、足には血圧計がセットされ、自分の部屋のベット
      に寝ていた。

      手術した患部は、感覚がない。動かすのも怖い気がした。
      心配しながら、私の顔を覗き込む家族の顔があり、私の病状や痛みの有無とか、話している
      家族の会話が聞こえてきた。        
      そんな家族に「それは違うよ。痛くないよ」と答えたいが、その気力はない。
     
      看護婦さんが痛み止めの注射をしに来た。
      その注射が身体に合わなかったらしく、身体が異常な倦怠感に包まれ苦しくなった。

      
その薬が切れたのは2時間後で、それからはかなり楽になり、会話も交わせるほどになり、
      麻酔の影響の喉の渇きも、家族に口を水でゆすいでもらうと気持良くなった。
      酸素の量を測定し、酸素マスクが外されて、その夜はなんとか休んだようだ。

    手術後1日目
      ほとんど痛みはなく、爽快とまではいかなくても、気持良く目覚めることが出来た。
      午前8時に水を飲んでいいと許可が出て、35時間ぶりに水を口にした。
      その後尿管も外され、トイレも歩いて一人で行れるようになった。

      患部から2本のチューブがさがり、体液とリンパ液が溜まり、その量は看護婦さんが
      測定していた。
      移動の時は、その管から出ている液をためる弁当箱みたいな道具と、点滴と、背中に
      挿入してある痛み止めの薬の入った、ドレーンを連れて歩かなければならなかった。

      お昼の食事は普通食が来た。
      メニューは「チャンポン」。食欲も落ちることなく、家族が持ってきた果物も美味しく食べた。
 

   
手術後2日目
      歩く速度はやはりゆっくり、痛みはほとんどない。
      これは背中に入っている薬のおかげらしい。
      しかし、その副作用で、頭が重く、看護婦さんに言って、この薬は夕方とってもらった。
      少しずつ手を動かすように指示があり、柔らかいテニスボールでリハビリが始まった。

   手術後4日目
      患部にさし込んであった体液を出す管は、身体から10センチくらい残し、箱は取り外せら
      れた。
      もう散歩なども行っていたので、この管の箱が取り外せた事で、行動がかなり楽になった。

      病院のコインランドリーで洗濯。
      夫に依頼してもいいが、大きな乾燥室があり、3時間くらいで乾くので、洗剤を買い自分で
      行っている。

      看護婦さんが洗髪してくれた。


   手術後5日目
      回復とともに、見舞い客が来るようになり、散歩も草々に切り上げなければならなくなった。
      昼間は痛みは殆ど感じないが、夜になると少し痛くなり、座薬をもらって休むようになる。
      微熱。

   手術後6日目
      随分元気になった。患部から出ている管は小さな管に変えられて、ガーゼで押さえられている。
      患部は毎日主治医が消毒と診察している。
      鏡で自分の身体を見た。
      手術の後がくっきり、縫われている糸も生々しく肌についている。やはりショック。


   手術後7日目
      1週間が経過した。患部にさし込まれていた管が完全に取れた。
      すっきり・・。微熱も下がり、気分もさわやかになり、ぐっすりと夜も休めるようになった。

      見舞い客の花束や、お菓子が嬉しい。
      秋の彼岸花、バラ、カーネーション、季節の花が、気持を優しく温かくしてくれる。
      1週間の時間の経過が、こんなにも大きく体力を養い、気力を育むとは、人間の身体の
      不思議を実感する。




                              
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