鹿児島指宿の旅   9-30
              
   
       「動けるうちに・・」と口癖の友人と指宿の旅へ・・。
       友人Kとの付合いは20年くらいか・・私が都城に来て以来だ。
       このホテルの砂蒸し風呂が魅力で行くことになった。いぶすき岩崎ホテル。
       友人はほとんど九州の旅はなく、5年前に私と一緒に宮崎へ行った以来の旅と言う。私と比較すると気の毒だ。

       準備不足と、簡単に考えていたせいもあり、かなりの珍道中となった今回の旅。
       降りるインターチェンジを間違え、国道を間違え、入り込んだ県道らしい細い道が、なんと国道につながる近道
       だったような・・。道路標識だけを頼りに、なんとかホテルに着いた。

       私の運転で3時間。隣の友人はのんびりと「道はどこかへずっとつながっているから大丈夫よ」と、この旅の間、
       数回言っていた。そして、私の心配はよそに、道路標識を見ようともせず、(見るためにはめがねが必要な彼女)
       彼女がめがねをかけたことは一度もなかった。

       ホテルにチェックインするには時間が早く、昼ごはんを食べるために、翌日予定していたフラワーパークへ行くことにした。
       フラワーパークは、以前、異なる友人達や、夫と行った事がある場所。
       季節の花が広大な敷地の中に数百、いや、数千種類植えられており、とても綺麗なところ。
       私はゆっくり歩きたい場所なのだが・・。歩きたくない友人のためにカートーを借りて、庭園内を回った。
       庭園を回りながら、彼女の様子を見て・・「しまった・・彼女はお花に興味のない人だった」と言う事を思い出した。
       1時間500円で借りたカート。20分で帰ってきてしまった。
       この庭園の中にあるレストランまで歩くのがきついという彼女。ここでの食事をあきらめて次の場所へ・・

       先日のテレビで「日本一人気の温泉・たまて箱温泉」と紹介していたので、この近くだったので行くことにした。
       食事の出来るレストランも確か・・あったような・・

       くるぐる・・田舎道を迷いこみ・・引き返し、また進み、後戻りし・・到着した「たまて箱温泉」。
       ガ〜ン。本日、レストランはお休みでした。もう泣くしかない・・わ〜ん・わ〜ん。
       ばあさんが泣いても、ちっとも可愛くないので泣かない。

       山川の港の駅で何か食べられるらしい情報を得て、山川の港へ・・
       昼のオーダーストップが3時と書いてある。ギリギリセーフで間に合った。
       漁師飯なるものを食べた。かつおの刺身が乗っている丼。750円。

       やっと昼ごはんにありつけて眠くなったので、ホテルにチェックインすることにした。
       予約したホテルのプランは、「グルメ旅プラン」。通された部屋は広く、海を臨む綺麗な部屋だった。
       疲れて昼寝・・彼女はいびきをかき・・すぐさま寝入っている。

       お目当ての砂蒸し温泉・私は4回目だ。
       初めての彼女も楽しそうだった。しかし、部屋から砂蒸し温泉までの距離がかなりあり、歩くのが嫌いな彼女は
       「まあ・・良く歩くのね」とため息をついていた。

       その後、楽しみな夕食。大海原に面した和食レストランでの食事。内容はかなり良かった。
       平日とあり、宿泊客も少なく静かに食事が出来た。15種類くらいの料理が出たが、食べきれないので少しずつ食べて
       最後のデザートの果物を食べて終えた。

       部屋で二人、色々な話で夜更けまでしゃべり・・休むことにした。
       が・・・彼女のいびきがすごく、私はほとんど眠ることが出来なかった。やはり部屋を別にすればよかった。
       少しは眠ったのだろう・・
       翌朝、体調は悪くなく、また珍道中が始まった。

       池田湖へ行く。有名な巨大なうなぎがいるはずなのだが、1年前に死んだそうだ。
       おみやげや新鮮な魚を買うべく指宿の道の駅に向かった。
       またしても、道を間違える。反対方向へ6キロくらい走っていた・・もう疲れたぞぉぉ・

       やっといぶすき道の駅に到着。楽しみにしていた鮮魚が少ない。ミズイカと鯖とカマスを買った。
       指宿はオクラの産地らしい・・50個くらい入ったオクラが100円だった。
       ここで私の気力はやや尽き・・
       昼ごはんをどこか美味しい場所で・・という提案は消されて、この道の駅で昼ごはんを食べて帰ることにした。

       国道を鹿児島方向へ走り、途中のインター入り口の標識を見て高速に乗れば帰れる。
       つもりだった・・また間違った。
       鹿児島市内の大きな産業道路の手前を左に入り、高速へ乗らなければならないところ・・
       まっすぐ走り、産業道路に入ってしまった。
       きゃぁぁ・・この道路は、車が多く車線も多い。
       すぐに左のわき道に逃げこみ、元の道を探すことに・・
       なぜかその道の両サイドは、ラブホテルが数件並んでいる。
       友達は「すごいね。こんなに沢山あって、どこも儲かっているのだろうね・・同じ業種が並んでいるのも、
       とてもメリットなのよね」と会社経営の彼女の言葉に、なぜか納得しながら、私は、高速の入り口を必死になって探した。

       おおっっ・・高速の入り口に通じる道路に出た。
       ここからはもう迷うことなく、まっすく゛走ればいいと思うと、疲れがどっと出て、一時も早く帰りたいと思った。
       道の駅を出てから2時間、休憩なしで、自宅に帰り着いた。
       彼女は私の家においていた自分の車に乗り込み、帰っていった。
       私は、夕方まで自分のベッドで2時間眠りこけた。
       
       今回の教訓。リサーチは入念にすべし。一人部屋にすべし。ナビは必要。休憩も必要。
       旅行を終えた翌日、午後から仕事に出たが、身体がきつい・・そりゃぁ・そうよね。
       でも、健康になったと実感する。
       


                                長崎旅行 2015-9-12
                
       夫が加入しているグループで一泊旅行が行われた。昨年は大分で、今年は長崎。
       加入者は仕事柄、連泊が出来ない人が多く、毎年一泊らしい。
       昨年の秋に夫が加入したので、今回は初めての旅行となった。
 

       メンバーの中に観光バスを持っている会社社長がおり、この旅のスケジュールもバスも全てお任せ。
       サロンバスというバスに乗り長崎へ向かった。
       このバスは、後方にはテーブルが設置されており、食事や宴会がすぐ出来るという便利なバス。
       向かい合わせで座り、会食を楽しみながらの旅だった


       上の写真は鍋島藩領主・鍋島氏の陣屋跡。
       この入口には、元禄期に建てられた約30mの石垣とそれにつづく長屋門があった。
       門を抜け主屋を抜けると、枯山水の庭園があり、高台の鶴亀城二の丸まで続いていると聞きました。
       元禄期の建物に、明治・昭和期の近代和風の書院座敷が相まった建物だった。
       鍋島氏も薩摩との戦いがあったようで、わが郷土との関連もあり、感慨深いものがあった。

                


     夕食を済ませ訪れた場所は、高台にある稲佐山。
     香港、モナコと共に「世界新三大夜景」に選ばれているらしい。繁華街からタクシーで向かい、存分に夜景を見た。
     夫の友人が以前、この山頂にあるホテルに宿泊し、とても良かったと語り、どうしても私に見せたかったと言ってくれた。
     ロマンチックな一時。

                          

                             大浦天主堂の入り口。
            幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設した
            中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の国内現存最古の教会堂。
            聖堂内を飾るステンドグラスには、約100年前のものもあります。 と記述がある。
            今回は、入り口のみで中に入る時間がなかった。ステンドグラスを見たかったぁぁ。
            流石に長崎は教会も多く、人々はクリスチャンが多いようだ。

             
                       「平和祈念像」                    グラバー邸
        平和への願いを象徴する高さ9.7メートル、重さ30トン、青銅製の平和祈念像。
        この大きさに驚いた。制作者は長崎出身の彫刻家北村西望らしい。
        この像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、天を指した右手は“原爆の脅威”を、
        水平に伸ばした左手は“平和”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という想いが込められていると言う。
        毎年8月9日の原爆の日は、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれている。
        この広場の原爆資料館には時間の関係で行けなかった。
        悲惨な飼料が沢山あると聞くが、やはり目を背けてはいけないと思う。
 

        右の写真はグラーバー邸
        貿易業を通し、我が国の近代化に大きな功績を残したトーマス・B・グラバーの住居。
        現存する日本最古の木造洋館らしい。屋根は、四葉のクローバーのような形となっている。
        邸内は、エスカレーターが設置されており、足の悪い人などに配慮されていて、とても散策しやすかった。
        中学生の頃、修学旅行で訪れた以来かな・・いや、会社の慰安旅行で行ったかな・・

        この後は、長崎港で昼食を取り、男性陣はアルコールが入り、帰りは楽しい宴会のバスの中となった。
        私は観光会社の一社員となり、マイクを握り笑いを取った旅だった。


                             上京   11-27
             
      
      
    
       「どこか行きたいなぁ・どこか行こうかな・・」「どこか行ってくれば・・」と夫との会話で東京へ行く事にした。
       千葉に住む兄に会うのを第一の目的とし、第二は帝国ホテルに泊まることを目的とした。

       鹿児島空港を10時17分くらいに飛び立ち、12時くらいに羽田に着いた。羽田で滑走路のトラブルなどがあり、
       飛行機が遅れた。羽田で軽い昼ごはんを食べて、姉に教えてもらった北総線の電車に乗り、新鎌ヶ谷に到着。
       改札を出ると懐かしい姉の笑顔が迎えてくれて、兄は車の中で待っていてくれた。
       この前兄夫婦に会ってから6年が経過している。二人とも、年老いた印象を受けた。

       兄の家につくと、テーブルには果物やケーキ、コーヒー碗・紅茶碗が並べられ、きれいなお花も活けてあり、
       歓待の心が伝わり、とてもうれしかった。
       懐かしい話や、兄の難病の膠原病の話・姉が実践している糖質制限の食生活など、話していたら、あっという
       間に夜になってしまった。
       夕食はお寿司を取ってくれて、夜8時、兄の家を後にした。

       新橋駅の近くの帝国ホテルについたのが夜の9時過ぎだった。
       正面玄関を入ると、ロビーには、真っ赤なバラの花が大きな球体に活けてあり、ため息が思わずもれた。
       チェックインすると予約した部屋よりグレードの高い部屋が用意してあり、写真のようなリビングと寝室の二部屋
       があった。
       リビングの窓からは銀座の夜景が見えた。
       翌朝、寝室の窓からは紅葉した日比谷公園の樹木と、緑の中の皇居が遠く見えた。
       静かで、ゆったりとしたいいホテルだ。
       今年の1月に初めてこのホテルに泊まったが、それ以来、帝国ホテルの魅力に魅了されてしまい、またこの
       ホテルに泊まりたいと今回も強く思った。

       
ホテルマンも厳しい社員教育がなされているのだろう・とても感じがいい・美しい日本語を使っている。
       作家、村松友視が書いた「帝国ホテルの不思議」という文庫本をバッグに入れてきた。
       ゆっくりと、この本を帝国ホテルで読んでみようと思った。
       ホテルマンにこの本を見せると、「この本がまだ文庫本になる前に、全社員に配布されまして、私たちも読みました」
       と答えた。

       翌日、チェックアウトが12時だったので、ゆっくりとホテルで買い物などして過ごし、日本橋のブリジストン美術館へ
       向かった。
       抽象絵画の展覧会を行っていたが、私は具象画しか好きではないので、常設展を主に見て回った。
       私の好きな印象派のモネやコロー、セザンヌなど数点を見ることが出来た。

       銀座まで歩きデパートで少し買い物をし、ネットの友人のがんちゃんに会うために、その時を待った。

       初めて会うがんちゃんだけれど、郷里の人でネットの付合いが、もうかれこれ10年以上だ。
       会う直前迄、会うことをためらったが、交わす会話もとても自然で初めて会った人じゃないねと、互いに言い合い
       笑った。
       ネットのつながりに疑問を感じている夫には、会うことを言えずに事後承諾となった。

       羽田を5時前に飛び立ち東京の旅は終わった。
       今度はいつになるのか・・来年の11月は夫の大学の同窓会が東京で行われるので、夫に私もついて行こう。
       そしてまた帝国ホテルに泊まろう・・帝国ホテルはシングルの部屋がない・・
       一人で泊まっても、二人で泊まっても同じ料金だ。二人で泊まれば半分となり安くなる。
       と、言っても、泊まるだけで1部屋安くて3万5千くらいだけれど・・。しかし、その価値はある。



                            熊本八代へ  7-26
                   
    顧問先の病院の奥様の招待で熊本八代の「たから湯」という旅館へ行ってきた。
    静かな田舎街の温泉地に、高級感の漂うその旅館は一日に4客しか取らないという旅館だった。
    館内の廊下、手すり、いたるところヌカでピカピカに磨きこまれで美しく、木の感触が軟らかく、壁は大きな
    石づくりの旅館だった。
    私たちの部屋は、下部の写真
     

   広い和室とベットのある洋室。
   お風呂は歴史を感じさせる造りのある温泉で館内の地下にあった。
   お風呂に入り、楽しみの夕食。
   食前酒に始まり、数種類の料理が次々と運ばれてきた。
   ガラスの器にイカソーメンがウニ入りで運ばれ、次は丸い漆器に5種類の料理。
   更に黒豚の角煮・天然鮎の塩焼き、刺身、はもの吸い物、和牛のステーキ、赤だし・ご飯漬物・デザート・お茶
   どれもとても美味しいものだった。器や小道具にもかなりのこだわりを持っていた。
   2月に行った水野旅館の料理とは、かなりレベルが高く上品で旨かった。

                   
   上の写真はこの旅館のオーナーが所持する山荘。
   奥様は「旅館たから湯」のかなり上得意のお客様らしく、この山荘はプライベート山荘ながら、奥様に貸されたり
   しているようだった。
   今回も特別に私たちに見せてくださった。
   石づくりの3階建ての大きな山荘は、イタリアの建築物を思わせるような造りで、広大な12丁の山林の中にあった。
   室内はイタリアのソファーやテーブル・ドア・椅子があり、ベランダを降りるとプールが設置されていた。
   優雅なお金持ちの現実をしっかり見た。すごいーーぃぃい。

   この旅館のオーナーも然ることながら、招待して下さった奥様もすごい人なのだ。
   身に着けている服はすべて、専属のファッションデザイナーが作っている。
   月に数回日本全国を旅行する、その時の飛行機はすべてプレミアムシート。
   泊まるホテル旅館もスイート。値段を聞いてびっくりの私たち庶民。
   2週間前は京都の美山荘にお泊りで、そのおみやげを戴いた。1泊5万くらい。
   日本各地に飛行場にはお迎えの車の運転手がおり、目的地までハイヤーらしい。
   来月はニューヨークへ行くとか・・200万くらい、と簡単に言われるが、とても庶民に想像がつかない。

   このお金持ちの奥様は威張らずグチを言わず、明るく前向きな話ばかりだ。
   人の話にも耳を傾け、夫とかなり話が合うみたいで、この日は夕食時間5時間にも及んだ。
   奥様の運転手さんも同行し宿泊していたが、彼は9時に部屋へ帰っていった。
   気がつけば夜の11時で、私たち3人と旅館の女将はびっくり。
   色々な人を喜ばせることが好きで、多くの人がその恩恵にあやかっている。
   私たちが奥様に色々とお世話になっており、お返しがしたいと思っていた矢先、逆に招待していただき恐縮した。

   どんな方法で奥様にお返しができるか・・。考え中。
   

                         佐賀 唐津へ   2-28

      
   佐賀県の唐津に行ってきた。家から高速道路を車で4時間くらい走ったところにある。
   食いしん坊の夫が「クエ」を食べさせる旅館があると知人に聞き、ネットで探したら「水野旅館」と言う
   料理旅館があり、早速アクセスした。
   しかし、時期的にクエは、1月で終わったらしく、今回は食べる事は出来なかった。
   福岡に住む夫のいとこの夫婦と、この旅館で待ち合わせて一泊した。
   水野旅館の門は、鍋島藩の家老の家の門を譲り受け、移築したもので400年経過していると女将が
   説明してくれた。
   門をくぐり、玄関に入るとお雛様が飾られていて、小さなひな人形たちが出迎えてくれた。
   旅館の内部は、古い日本家屋作りで落ち着ける雰囲気があり、唐津焼きの陶器に季節の花々が
   活けられており、素敵な旅館だった。
   私たちの部屋は、20畳もあろうかという和室で、床の間に椿の生け花が美しく活けられていた。
   窓の外は、海水浴場がすぐ近くにあり、有明海の大海原が広がっていた。

   いとこたちの部屋には、綺麗な風呂のついている部屋だったが、お風呂は、別の中浴場でいとこの
   奥さんと一緒に入った。

   楽しみの夕食。唐津焼きの器に、海の幸が沢山あり、感激。最近、あまり食べられない私も、殆ど食
   べられた。
   寒ひらめの刺身・車エビの蒸しもの・海老しんじょう・イセエビのゲソ煮・さわらの菜の花焼き・ウニの茶碗蒸し
   水イカの活き作り、牡蠣焼きなどなど・・。

   美味しい食べ物と、楽しい会話で盛り上がり、夜が更けるのであっという間だった。
   私のグチ話なども聞いてもらい、胸がすっきりする思いだった。
   いとこは、会う度、私を褒めてくれるので、とても嬉しい。
   日頃、評価を受けない者にとっては、ちょっと恥ずかしいが嬉しいものだ。

   日本酒の好きな夫の為に、いとこ夫婦が好きな日本酒を買い求めて持ち込み、なんと3人で1升、飲んで
   しまった。
   更にそれでは足りず、ワインシャブリを1本空けた。
   飲めない私は一人で素面・・なんとつまらない。

   翌日、唐津焼きを購入。
   夫のマグカップ、事務所で使う来客用の湯のみ茶碗と、家で使う皿など買って帰った。
   値段がもっと安価なら、色々買いたかったが、とてもいいものは高く手が出ない。
   人間国宝になっている作家の作品は、壺が300万円とか展示してあった。(@_@;)。

   いとこの奥さんとは、共通話題も多く、とても気が合い話やすく、これまでも何回も旅を一緒にした事がある。
   2人で熊本に旅した事もある。
   近いうちに、また帝国ホテルに泊る企画をすると彼女が言ってくれた。とても楽しみだ。

   北山という田舎の山奥で、有名な蕎麦を食べてそれぞれに帰る事になった。
   その蕎麦屋は「木漏れ日」という店で、いつも多くの客で行列を作っているけれど、今回はとても少なく、
   ゆっくり美味しい蕎麦を堪能できた。かき蕎麦は絶品。

                        東京へ 26-1-30
     
          

       夫の顧問先の会社が45周年を迎え、その祝賀パーティーが、東京帝国ホテルで行われた。
       招待をされたのは夫だけだったけれど、私も便乗して帝国ホテルへ行ってきた。
       鹿児島空港を7時30分の飛行機で出発し、東京に9時10分に到着し、電車を乗り継いで
       ホテルに着いたのは10時30分ちかくだった。

       照明が少し暗めの広いロビーには、赤い花が大きく生けられており、気品のある空間を作っていた。
       さすが・・帝国ホテル・・。広い〜い。日本一のサービスを売りとしているホテルらしい・・
       高級感の漂う中、少しためらいがちな田舎人夫婦は歩いた。

       フロントには10名くらいの社員が、チェックアウトする人たちの対応をしていた。
       ホテルの本館ロビーで荷物を預けたいので、フロント近くをウロウロしていると、すぐにホテルマンが
       近づき、「何かお探しですか」と、声をかけてきた。
       「今日、パーティーに呼ばれているのですが、今夜こちらで宿泊しますので、荷物を預かってほしい
        のですが・・」と話すと、私の手から荷物を受け取り、フロントにつれて行った。

       フロントで、名前を言うと「お部屋の準備が出来ており、ご案内が今スグできます」と言う。
       現在の時刻10時30分。確かチェックインは2時のはず・・
       夫は11時30分から2時までパーティーに出席するから、その間、私は荷物をホテルに預けて
       チェックインの2時までホテルの中のショップやレストランや、銀座をウロウロして時間をつぶそう
       と思っていた。
       胃の具合がまだ完全に良くなっておらず、身体を休めたいと思っていたので、この対応には、
       とても嬉しく感動した。

       ボーイの案内で部屋に着き、部屋の説明を受けた。
   
       部屋が広い。洗面や浴室も広く、風呂はユニットバスではなく、ちゃんと洗い場まであり、とても
       使いやすい浴室だった。バスローブも容易されており、他のアメニテイーもとても充実していた。
       日々谷公園が目の前に見える8階の部屋だった。
       うっかり、通常のホテルのつもりで、ボーイにチップをあげるのを忘れてしまった。

       夫がパーティーへ出かけた後、私は一人で銀座へ行った。
       ホテルのある有楽町から晴海通りを歩くと、すぐに銀座だ。若い頃から、銀座はとても好きな町で、
       東京在住の頃から幾度となく買い物や、食事に行っていた。
       上京したら必ず、行く場所である。
 
       写真右は、銀座4丁目。三越がみえる。三越の前には和光がある。私が若い頃は、和光を
       「服部時計店」と言っていた。年がばれそう・・(;一_一)
       良く待ち合わせの場所として多くの人たちに使われているのは、今も変わらないみたいだ。

       日本で一番土地の価格が高いと言われている、銀座4丁目にある和紙の専門店の鳩居堂も
       好きな店で、ここで数個おみやげを買った。
       5丁目の方向に歩き、文明堂のパーラで、名物のハヤシライスを食べた。飲み物が付き1000円也。
       ブラブラと、みゆき通りなど散策し、疲れたのでホテルに戻る事にした。

       パーティーを終えた夫が部屋に帰ってきて、しばらく休憩し、パーティーに招待してくれた、顧問先の
       会社の本社へ行くことにした。
       その本社は、夫が4年間学生生活を送った町の中野にあり、なんと夫が住んでいた場所の
       近くに建っていた。
       社長や都城から転勤してきた親しい課長に挨拶し、会社を後にした。
       夫が若いころ住んでいた場所を、探しながら歩いた。
       40年前の記憶をたどりながら歩くが、町の様変わりも大きなもので、大通りや町の名前は残って
       いたものの、「だいたい、この辺だった」という事で中野を後にした。
       懐かしい思いが蘇った夫は、学生生活の事を思い出し、当時の事を色々話してくれた。
       私も、2.3度はこの場所に来たが、全く覚えていない。
       地下鉄でホテル近くまで帰ってきて、有楽町で夕食を食べた。
     
       築地が近いので、美味しい魚にありつけそうだ。
       良く耳にする寿司屋に入り、刺身や色々食べた。
       私は胃の具合を気にしながら、薬を飲みながら、少しだけ食べた。
       トロのマグロが・・う・・・ま・・・い・・・。マグロて、こんなに美味いものなのか・・と思った。
       日頃食べているマグロとはかなり違う。お代りを注文。

       翌日、チェックアウトは12時というのでゆっくりホテルで休み、地下鉄で築地まで行くことにした。
       築地市場で自宅や友人、知り合いに中トロや干物の魚などを送るため、店を覗き、品物を物色した。
       気温が1月にしては高く、過ごしやすい日で、築地の市場の中や商店街を歩くには、いい日和
       だった。
       観光客や商売の人たちや、多くの人たちでにぎわっている築地。
       卵焼きも有名なのか、多くの卵焼き専門店があり、その店の前にはたくさんの人だかりがあった。
       いい干物屋さんを見つけた。キンキ・ノドグロ・関アジ・いわしなど・・高級魚の干物もあり、値段も
       手ごろだったので、この店で購入した。
       この店の店主にマグロの美味しい店を紹介してもらい、そのマグロも買い、一緒にクール宅急便
       で送ってもらうことにした。
       いい品物は築地に集まると聞くが本当にそのようだ。
       昼は、夫がリサーチ済の寿司屋さんで食べた。
       昨夜食べた有楽町の寿司屋の方が美味しかった。

       賑やかな築地を後に、東銀座まで歩き、地下鉄に乗り羽田へ向かった。
       帰りの飛行機は満席だった。
       楽しい旅は終わった。今回、かなり歩いたが足は痛くならず、胃の具合も悪くなく、天候にも恵まれて、
       楽しい気持ちで帰れる事がとても嬉しかった。

       帝国ホテルはとても魅力的なホテルだ。
       一人で上京する時も、このホテルを利用したいと思うけれど、シングルの部屋はなさそうだ。
       一人で泊まっても、2人の料金のようだ。だったら、やはり夫と泊まった方がいい。
       しかし、値段が高い・・でも、またもう一度、泊まりたいホテル。



                   鹿児島サンロイヤルホテル 11-8
         桜島が雄大にそびえる錦江湾を、眼下にする鹿児島市内のホテル、サンロイヤルホテルへ
         泊まってきた。。
         繁華街から少し離れた場所だけれど、周りには大きなビルやコンサート会場などがあり、
         このサンロイヤルホテルの近くには、これまでには何回も来ている。
         食事が美味しいらしい・・と以前から評判があったが、一度も行った事はなかった。
         夫は会議で2度訪れた事はあったらしいが、食事の印象は残っていないと言う。

         8日、金曜日夕方、犬の御飯と猫の御飯を済ませて、自宅から1時間少しで到着。
         
         フロントで手続きをすると、なんと予約が通っていなかった。驚き。
         電話で、地元の人間だから、黒豚などの郷土料理より、季節のマツタケなどの料理を・・と
         食事内容まで予約したのに・・。
         部屋の空きがなかったら、どうしょう。
         他に鹿児島市内には、ホテルは沢山あるけれど、そちらに移動するのも面倒だし、ここに
         今夜は泊まるつもりで来ているので、あわててしまった。
         幸いに平日だから、部屋は空いていた。ホッとした。
         
         普通の部屋。
         窓からは錦江湾に浮かぶ桜島が、どんと大きく見える。
         行き通うカーフェーリーや海運関係の車などが忙しそうに走っている。       
         ホテルなのに温泉があり、まずその温泉の入る事にした。なんと入浴者の女性は私一人だった。
         男性の方は、団体のスポーツ選手等がいて、賑やか過ぎたと夫は言っていた。 

         夕食は、予約が通っていなかったので、和食の食事会場で、好きなものを頼む事になった。
         まずいくら・刺身の盛り合わせ・黒豚の角煮・酢のものの盛り合わせ・真名鰹の西京焼き・鯛の荒煮
         さつま汁・にぎり特上・などなど・・後は夫が飲むアルコール3種類。2人で17000円分食べた。
         味は普通より少し上程度だった。

         朝食は、普通過ぎるくらい普通で、がっかりした。コーヒーもかなり普通。

         翌日は、鹿児島市内のデパートが北海道物産展を行っていたので、そちらを覗き昆布やお菓子など
         買って帰った。犬猫の朝食を頼んでいる友人にも、昆布や北海道の珍しい物をお礼に買った。
         
         このホテルの感想は、わざわざまた行こうとは思わない。
         先日、行った城山観光ホテルの印象があまりに良過ぎた感があり、その印象が深く、この感想に
         なったのかもしれない。
       
         次の宿泊ホテルは、東京の帝国ホテルになるようだ。ここはかなり期待していいと思う。
         楽しみ。


                       城山観光ホテル   25-8-30
                 

    鹿児島市内の城山という高台にある、今年50年を迎える城山観光ホテルに宿泊した。
    城山観光ホテル  http://www.shiroyama-g.co.jp/

    品格の高いこのホテルは、クリスマスディスナーや、食事会にはこれまでも行ったことはあったけれど、
    宿泊は初めてだった。
    ホテルでありながら、館内に温泉があり、それを楽しむのも、とても楽しみだった。
    部屋から温泉までの道程だけは、部屋着が使えるけれど、食事会場やロビーその他は、部屋着は御法度
    で、夫はスーツで、私もちょっとおしゃれして、食事の会場や、お店へ・・・。
    夕食をフレンチと和食、中華から選べたので、今回は中華を選んだ。

    前もってこのホテルに勤務する息子に、宿泊の連絡を入れておいたので、夕食の中華の店では、息子から
    の配慮があり、飲み物をサービスしてくれた。
    料理はとても美味く、お酒と一緒に食した夫も、ご機嫌だった。

    また、朝食は、和食の専門店と、バイキングから選べたが、バイキングは、日本で3位の人気とかで、私たち
    もそのバイキングの方を選んだ。
    バイキングの会場には、和食・洋食のすごい種類の料理が並び驚いた。
    とても、全部は、お皿には載せられない数だった。味も良く、つい、食べ過ぎた朝食だった。

    残念なことに、この日は、息子は休みで、息子と会話を交わす事は出来なかった。

    部屋からは桜島と錦江湾が眺められた。最近、火山の活動が活発で、灰が降る日が多い鹿児島市内だけ
    れど、この日は活発な爆発はなく、静かな桜島だった。
    夜景を見ながら、ゆっくり食事し、そして部屋でくつろぎ、幸せな一日だった。
    帰りは、美味しいと評判のこのホテルのパンをわんさか買って帰った。
     
    
                      霧島の旅    25-7-19      

                          
     夫の顧問先の病院の奥様の紹介で、霧島の旅行人山荘に宿泊した。
     このホテルは自宅から45分くらいのところにある近場のホテル。
     夕方、犬と猫の世話してから出かけた。
     霧島の山々の中は、緑の濃い場所。
     夏は涼しく、春はみやま霧島の花が美しく、秋の紅葉もとてもいい、冬は積雪もある。
     四季折々に味わえる場所だ。
     近くにこんないいところがあり、いつも来る度に、幸せを感じられる場所だ。

     通されて部屋は、露天風呂と、ベランダに二つの椅子、和室と洋室がある広い部屋だった。
     部屋の中にも風呂があったが、私は館内の大浴場に入り、夫が翌朝、この部屋の露天風呂に入った。
     どの風呂も、硫黄の香りが漂う、とてもいい温泉だった。
     
     このホテルには、貸し切り露天風呂が林の中に4か所くらいある。
     私たちも、到着した日の午後6時から1時間の予約で、赤松の湯という貸し切り風呂が用意されていたが、
     私の道案内の不備で、道を間違ってしまい、この時間に到着しなかったので、貸し切り露天風呂には入
     る事は出来なかった。ナビがあることを忘れていた。(>_<)

     食事の場所はとても眺望が良く、遠く桜島を眺めながら、錦江湾に沈む夕日を見ながらの食事だった。
     鹿児島空港の光が夜は美しく、またその向こうに鹿児島市内の光も見えた。

     食事の内容も良く、とても満足のいくものだった。
     夫は好きな日本酒を飲みながら、日頃、無口な人が饒舌になった。
     アルコールに弱い、私は、食前酒の一口で赤い顔になってしまった。

     朝、ホテルの庭にある足湯や、貸し切り露天風呂など散策し、犬猫の待つ自宅に戻った。

     さて、来月は、息子が勤務する城山観光ホテルに宿泊する予定だ。


                      小旅行    25-5-31
       年齢とともに、身体がきつくなってきたので、小さな旅行を2.3ヶ月に一度は、夫と始めようと
       思っている。
       5月は31日に指宿の吟松というホテルに泊まり、あわびを食べて、砂蒸し温泉に入り、ゆっくりとホテル
       での一日を終えた。
       旅行の一番の気がかりは、犬と猫の世話だけれど、今回も、友人のTちゃんに依頼し、安心していくこと
       ができた。
       夫の運転で、2時間くらいで指宿は到着する。
       途中で道の駅により買い物をしたり、昼食をとったりし、のんびりと遠回りして指宿スカイラインを走った。
 
       以前から行きたかったフラワーパークも行けて良かった。


                          島原の旅     5-27
      旅行と言うほど大げさなものではなかったけれど、夫と島原へ「あわび」を食べに行った。
      雑誌で見つけたホテルをネットで検索すると、理想的なホテルがあった。
      海が近く、魚介類が美味しく、あわびを食べさせてくれるホテル。それも格安な。

      早速予約して、熊本からカーフェリーに乗り、島原へと向かった。
      台風が接近し、空模様があやしかったが、空はなんとか曇ったままだった。
      熊本港から島原の港に約1時間を要して到着。
      雨にならないうちに・・と島原城を散策。長崎の歴史を城内の展示物で学んだ。
      島原城は、江戸時代7年の歳月をかけて築いたもので、五層天守閣を中核に、大小の櫓を要所に
      配置した、安土桃山期の築城様式を取り入れた壮麗な城だったらしい。
      しかし、残念な事に明治の御一新で惜しくも解体され、天守閣をはじめすべての建物をなくした城は、
      石垣とお掘だけを残していた。
      が、島原の人々が城の復元を望み、昭和35年から47年に少しつづ、城が復元されたようだ。、

      城の中を散策すると、江戸時代、キリスト教弾圧の当時の資料が陳列されていた。
      「踏み絵」となったマリア像や、奉行所が通達とした立看板等が展示され、その影でひそかに
      信仰していた人々の暮らしの知恵もあった。
      仏像に見せかけてマリア像が彫ってある石仏や、見えないところにクルスが刻んであったり・・
      感慨深いものもあった。
      城を出ると、忍者に扮した案内人がいた。日曜祭日は、天草史郎や殿、姫の紛争者もいるらしい・・

      楽しみのホテルは島原では、有名なホテルらしく、誰でもが知っており、ナビを使わずとも到着する事
      が出来た。

      部屋は、好都合に修学旅行の高校生が普通の部屋を使うので、我々は露天風呂付きのスイートに
      近いいい部屋に案内された。
      窓の外は、大海原が広がり静かないい部屋だった。
      楽しみな夕食は、ネットの案内通り、夫の所望の「あわびの踊り焼き」が付いていた。
      案外柔らかく、他の料理も美味しいものだった。まずは満足。

      翌日は、台風の影響で小雨の日となってしまった。
      目的地の「大川内焼きの里」へ向かった。
      有田焼きで有名な有田の窯場を車窓から眺め、「ここにも、いつか行きたいね」などと夫と会話を
      交わしながら、2時間近くで目的地「大川内焼き」の窯場のある町に到着した。

        
     この橋を渡り待望の窯場へ・・                    案内板も磁器で書かれていた

     細い沿道の左右はすべて焼き物屋さん。30近い磁器を販売する店と窯場が並び、ショーウインドーには、
     鍋島藩が誇る伊万里焼きの器が並び、とても心ウキウキできる沿道だった。

     一軒の喫茶店のある窯場に入り、コーヒーを飲むことにした。
     その店で出された可愛い青磁の茶碗が気に入り、兄嫁に買うことにした。
     旅の楽しみの一つは、その地のお土産を買うことだ。
     次の店では、兄の湯のみを買い、青磁の専門店では、夫のモノを買おうと物色していると、夫が私に花器を
     買ってくれた。結構、花器にしては値が張るものだったが、とても嬉しかった。
     青磁器は、青磁原石を細かく砕いた釉薬をかけて焼き上げたもので、自然の青翠(せいすい)色の光沢が
     神秘的で、不思議な美しさがある。

                    
      手作りの青磁、気品のある花器は、何を生けても映える。
      事務所のカウンターで、今日もお客さんを迎えている。
      我が夫婦の最近の口癖が「今のうちに体力や足腰が大丈夫な時に、色々な場所に出かけよう」に
      なっている。    


                              地元 宮崎の旅  1-16
               唯一の友人であるKは、宮崎県人になり20数年が経過しているというのに、宮崎を知らない。
               その友達のと、宮崎の旅に出た。運転は私。
               まずは・・綾町
                
                        
              照葉樹林で有名な綾町の照葉大吊橋・水面からの高さ142m、
              歩道吊り橋としては世界一。
              高所の苦手な人は渡れそうにない吊り橋。
              途中、橋が透けていて、歩けなくなる人もいた。が、私たち、おばんはんは平気。

              地元の自然を守りながら、そしてその自然を生かせる産業を町におこしたい・・と考えていた
              当時の町長の働きかけで出来たお酒の杜。
              体験可能な伝統工芸工房と食事や宿泊の施設を備えた産業観光テーマパーク
              『酒泉の杜(しゅせんのもり)』があり、夫の注文のワインを買い、食事をして後にした。

                     
                    全ての部屋が太平洋に面して、オーシャンビューの部屋。
                    友人が海を見て過ごしたいという要望でこのホテルにした。
                    女二人は、夜更けまで飽きることなく、しゃべり・・笑った。
                    翌朝、朝寝坊して、ホテルの人に「朝食の時間が迫っています・・」
                    と起こされて慌ててレストランへ・・

       ホテルに隣接する青島。鬼の洗濯岩といわれている岩が並んでいる。
      右は青島神社・巨人軍が毎年お参りし、選手たちが持っているというお守りを私たちも早速、買った。        
     
     太平洋に突き出した鵜戸崎岬の突端にある洞窟の中に、朱塗りの色鮮やかな御本殿がご鎮座する
     珍しい鵜戸神宮です。
     岬のまわりには奇岩、怪礁が連なり太平洋の荒波が打ち寄せて、美しい景勝地となっています。
     右の写真は、男性は左手、女性は右手で願いを込めながら運玉を投げ、亀石と呼ばれる岩の枡形に
     入れれば願いが叶うといわれています。が、最近はしめ縄の中ならばOKと、甘くなっている。
     5個のうち4個、入った私・・いいことがたくさんありそう・・・   

           
                         
                     
         お昼ごはん・・水産会社がいけすに貝類を育てていて、それを注文して炭火で焼いて食べる・・
         数年前、北海道の厚岸で食べた牡蠣は、超美味かったが・・ここの牡蠣はいまいち・・

                 
             帰り道によった飫肥城・
             城壁は残っており、町並みも武家屋敷の名残があり、とても落ち着く町。

                これで宮崎のプチ旅行は終わった。

            

                      
                    バンコクの旅   2007-7-19〜24

              福岡空港から台北経由で「微笑みの国」バンコクへ行きました。
              旅の一行は、夫の友人3名と、後から旅行会社の社長も入り
              私を含めて5名でした。女性は私一人・・。

              最初の日は機内食を含めて1日に4食も食べました。
      
                   ホテルは5つ星のホテルで、その玄関です。
                   「プラザ・アテネ」です。

             
           このホテルに3泊するので、一人でしたが、スイートルームを取りました。
           広くて綺麗で、トイレもシャワー室も2つあり大理石で豪華でした。
          お部屋の花は毎日変えてくれて、サービスが届いたホテルでした。

         


            
  ↓  到着の夜は「タイスキ」を食べて、夜の街へ・・タイスキは、日本にいたタイの人が日本の水炊きを食べて
     考案したという料理で、まさに「水炊き」でした。
     この料理の前に「エビのからあげ」がきましたが、これが美味しく、みんなおかわりをしていました。
     
            
          物価がかなり安く、買い物がしやすい町です。 日本の半分くらいの値段。
  
  ↓  2日目は、船をチャーターし、朝、水上マーケットへ行きました。人々の生活が見られて、果物が買えました。
      私の大好きな「マンコ゜ースチン」はかなり安く、日本で買うと、1こ300円するのが、1キロで3バーツ、
      120円で買えました。
      匂いがきついと言われている「ドリアン」も、匂いは気にならずとても美味しいでした。
      貧富の差が大きいこの国は、川べりに多くの貧しい家が並んでいました。
      子供たちが、川に飛び込み元気に遊んでいる姿には、ホッとしましたが、色々な世界があると痛感
      した旅でした。川の水は濁っていましたが、ゴミは浮いてなく、大きな1メートルくらいのなまずが、
      泳いでいました。
     この国はゴミを捨てると罰金が科せられる法律があるようです。

          

           
   ↑仏教の国らしく、いたるところに寺院がありました。そして托鉢のお坊さんにも朝はたくさん会いました。
     男子は母親のために殆どの青年が仏門に入るようです。
     写真左は「暁の寺院」                             右は王宮です。

                
    ↑ 今回の旅の目的の一つ・・
       「ジム・トムソン」です。
       「ジム・トムソン」は絹製品で世界的に有名です。この絹で財をなした氏の博物館もありましたが、
       マンゴータンゴというシャーベットも美味と情報誌に書いてあり、食い気でそちらをまっしぐらに体験
       しました。
       冷たくて甘く濃厚な美味しいシャーベットで大満足
       ここで買った夫のネクタイ、私の絹のシャッ、おみやげのTシャッ・・などなどたくさん買いました。

  
    夕方タイマッサージに行き、身体をもんでもらいました。1時間300バーツ(1200円)
    爪の手入れが100バーツでした。
    この夜の食事は、小泉元首相が行ったという写真があるお店で、タイ料理を食べました。
    有名なスープの「トムヤンクン」も食べました。世界三大スーブらしい「トムヤムクン」
      

    ↑ 思っていたより匂いはきつくなく、酸っぱさと、甘さ、ちょっと香辛料が効いたスープで、
       美味しく食べました。しかし、かなり香辛料のきつい料理が多い国です。
       おなかの調子がおかしくなりそうで「正露丸」持参して良かったと後半思いました。
   
       町の中を「ツクツク」といタクシーが走っていました。右の写真 ↑
       普通のタクシーより安く、荷物がたくさん積めるようで、引越しをしている女性を見かけました。
       乗ってみたいでしたが、残念ながら乗る機会がありませんでした。

         7―22日
    ↓ 世界遺産に登録されている「アユタヤ」へ行きました。車をチャーターしての移動でしたから、
       かなりラクチンで体力のない私でも、平気でした。
       260年前に戦争で破壊されてしまった王様のお墓です。
       仏像の頭の中に宝物が埋蔵されていたらしく、全ての仏像の頭が取られており、悲惨な姿を
       さらしていました。胸の痛い思いのする光景でした。

            

   

          

   ↑ バンコク最後の夜は、「豪華に・・」という合言葉で、豪華なレストランの夕食になりました。
      テーブルの料理は豚一匹が焼かれている高価な料理、肉を食べるのでなく、皮を食べるもので、
      香ばしく美味でした。値段は1皿1万円でした。ロケーションもよく、ガラス張りの階上から、バンコクの夜景
      を楽しみ、生バンド演奏が奏でる雰囲気の中で楽しい夕食をとりました。

    その後、男性郡は夜の町へ消え、私はトラベル会社社長の誘いで、超高層の屋上ガーデーデンへ。
    広いスペースのガーディンは、風が渡り、気持ちいい空間がありました。
    多くのお客さんが夜景を楽しみ、生演奏のジャズの音楽を楽しみ、ゴウジャスなひと時でした。
    ちなみに、そこではスプライトを飲んだ私。スプライト、グラス一杯1700円なり。
    設備とサービス料がかなり入っているのでしょう・・
    でもいい場所、また訪れたい一番の場所でした。
    夫がとても感動しそうな場所で、今度は彼と是非来たい場所でもありました。
    

            
      
              ↑   7―23    バンコクの空港で出国の手続き中。

                   ついたところは漢字の国   台北
        
   
  ↑  市場では豚の足がそのまま、ペーコンになっているようなものが売られ、ちょっとギョッとしました。
      本場の中国料理を楽しもうと、一行で、レストランに入りましたが、私は夏バテしてしまい、食欲をなくし、
      早々にホテルに帰り、熱いお風呂にゆっくり入り汗をかき、しばらく休んでいたら、元気が出ました。


             
       
               ↑ 南門市場の中の果物やさん。
              マンゴー・ライチ・りんごぽい梨・黒いバナナ・などなど・・並べてありました。


         ↓  2005年までは、世界で一番高いビルだった「タイペイ101」へ行きました。
            エレベーターも最速   キロ。日本の会社が建設したものでした。
                      
        お昼ごばんは、このビルの中で本格中華を食べました。
        みんな好きなものを、それぞれ注文し、お皿をまわして多くの種類の料理を食べました。
         「ホイコーロ」はとろけそうで、ライスペーパーに包まれたエビの料理もかなり美味でした。
        食べるのに一生懸命で、写真が一つも残っていません。(;一_一)


            
             ↑蒋介石を記念した中正記念館の門。
         中国の国民党と共和党の勢力争いで、中国を追われて国民党はタイペイに
         流れて、今を築いていますが、台湾の歴史をもっと勉強してくれば、もっと深く考えることが出来て、
         もっと楽しかったろうに・・と後悔しました。
         今は中正記念館も名前を公園に変えられ、時代の流れ、権力の移行を強く感じられました。

           
            
            ↑  衛兵の交代式の模様
               御霊が祭られているお寺の門に衛兵が立ち、守っていました。
               1時間交代で立っている兵隊さんは、立つたままで、身動きは無論、瞬きもしてはいけない
               と、いう厳しいものらしいです。

          平和すぎてぼけしている日本人の危機感のなさを痛感しました。
          タイにしても徴兵制度があり、(13%の確率で男子は徴兵される)、ここ台湾では全男子に
          徴兵制度があり、町のあちこちに警察と軍部の人々の姿が多く見られました。

          旅の感想・・タイの国の穏やかな人々の基本姿勢には「感謝」があると感じました。
          人に会うと、まず手を合わせ会釈する習慣があり、その姿に出会うと、ホッとする気持ちに
          なりました。
          町の道路事情が悪く、いつも足元に気をつけて歩かなければならず、日本との違いを感じました。
          そのせいか車イスの人を見かけることは殆どなく、障害を持つ人には町を歩くことはちょっと不可
          能な町のようでした。
          
          台北の印象は、昔の日本の姿勢が生きているような気がしました。
          日本の昔の良い文化「謙虚」「礼儀」が今も残る町でした。
          物価は日本と変わらず、食べ物も大変おいしいものが多い国でした。
          建物は古いものが多く、日本ではとっくにリフォームするだろうと思われるものがかなり
          乱立していました。

                           終わり    トップに戻る