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甘い強要




 うるんだ瞳で見つめる視界が、ぼやけて歪む。ゆうべから熱が上がり始め、ランシュは朝から寝込んでいた。
 ベッドを見渡すように天井の片隅に取り付けられた、監視カメラをぼんやり見つめる。
 不完全な体細胞クローンのランシュは生まれつき病弱で、いつ寿命が尽きるとも限らない。部屋の中には、いつくかの監視カメラが取り付けられ、常に容態をチェックされていた。
 先ほど医師がやってきて薬を投与していったが、あまり症状が改善されたような気がしない。
 側の机に広げたままになっている、作りかけのロボットを忌々しげに見つめる。
 今日完成したら、ロイド先生に見てもらおうと思っていたのに。
 思い通りにならない弱い身体に舌打ちしつつ寝返りを打った時、部屋の扉がノックされた。
 ランシュが返事をするより先に扉が開き、フェティが顔を覗かせた。
 こんな風にフェティが、こそこそとランシュの部屋にやってくる理由はいつも決まっている。
 後ろ手に扉を閉めて、フェティは苦笑しながら、取って付けたような声をかけた。
「具合はどう?」
 そんな事を気にかけて来たわけじゃない事を、ランシュは知っている。
「よくないよ」
 吐き捨てるように言って横向きに転がると、フェティは側までやって来た。
「そう思って、お見舞いを持ってきたわ」
 そう来たか。
 あらかじめ予想していたランシュの目の前に、フェティは小さな紙包みを置いた。中身はフェティの苦手な甘いお菓子なのだろう。
 誰かにお土産などをもらうたびに、フェティはこっそりランシュの部屋にやってきて、有無も言わさず置いて帰る。
 苦手なら断ればいいのにと何度か言ってみたが、せっかくの厚意にそんな事は出来ないと言う。
 大人ってめんどくさいと、つくづく思った。
「食欲ない」
 お菓子から目を背け、ランシュは枕に顔を伏せた。
「じゃあ、後で食べて。甘いもの好きでしょ?」
 そう言ってフェティはベッドの縁に腰掛けた。どうあってもお菓子を持って帰る気はないらしい。
「嫌いじゃないけど……」
 ランシュが顔を上げると、フェティはお菓子を机の上に移動させ、そこにある機械部品を見つめた。
「これに根を詰めてたのね。少しは休まないとダメよ。あなたはあまり丈夫じゃないんだから」
「だって、オレには時間がないし」
「でも、無理して倒れたら、余計に時間を無駄遣いしちゃうわよ。観念して今日はゆっくり休みなさい」
 少し体調が快復したら再開しようと思っていたのを、見破られたらしい。
 フェティはそっと手を伸ばし、ランシュの首筋に触れた。しっとりとした手が、ひんやりと心地いい。
「すごい熱じゃない。薬は?」
「さっき注射した」
「そう」
 ホッとしたように息をついて、離れようとしたフェティの手に、ランシュは自分の手を重ねた。
「フェティの手、冷たくて気持ちいい」
「あなたが熱すぎるのよ」
 呆れたように言いながらも、フェティの目は優しい。
「あと少しだけ、こうしてて」
「いいわ。ゆっくり休みなさい」
「うん」
 了承の声を聞き、ランシュは安心して目を閉じた。
 首筋に当てられたフェティの手が、少しずつ温かくなっていく。もう片方の手で、フェティが頭を撫でた。繰り返しゆっくりと撫でられ、うっとりとしてしまう。
 薬が効き始めたのか、フェティの手のせいか、頭痛や息苦しさが次第に遠退いていった。
 すでにフェティの手は、ランシュの熱を受けて充分に温かい。けれどその心地よさに、ランシュはウトウトと眠りに落ちていった。



(完)




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