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2.



 ふと、人の気配を感じて結衣は目を覚ました。しかし、怖くて目を開けられずにいた。ボソボソと男の声がしたのだ。
 辺りはまだ明るい。昼間から泥棒? それとも痴漢?
 玄関の鍵が開いていたのだろうか? 昼間にベランダや窓からは侵入しないだろう。
 相手の目的がよくわからないので、様子を探ろうと少し目を開けて驚いた。
 至近距離でメガネをかけた見知らぬ男が顔を覗き込んでいたのだ。
 慌てて目を閉じる。
 蜂蜜色の髪に濃い緑の瞳だった。なんか外国人っぽい。
「殿下ではないようだが……。それにしてもよく似ている。……って、おい! さっき目を開けただろう」
 そう言って男は結衣の額をペチッと叩いた。
「……いった……」
 額を押さえて横向きに転げた結衣は、横柄な不法侵入者に怒りがこみ上げてきて飛び起きざまに怒鳴りつけた。
「あなた誰?! ひとの部屋で何やってんのよ、変態!」
 男はひるむことなくメガネの奥から冷ややかな目で結衣を見つめると、もう一度額を叩いた。
「ねぼけるな。どこがおまえの部屋だって? よく見ろ」
 言われて結衣はまず自分の周りを見た。身体の下からお昼寝マットが消えている。床はフローリングからタイル張りに変わっている。
 ゆっくりと首を巡らせると、ドーム状の天井に覆われた巨大なガラスの筒の中にいた。しゃがんだ男の背後に筒の出口が穿たれ、その向こうにキーボードとディスプレイを備えたコンピュータのようなものが見えていた。
 結衣は辺りをキョロキョロと見回しながら男に問いかけた。
「ここ、どこ? どうして私、こんな所にいるの? それにやっぱり、あなた誰?」
 男は結衣をまっすぐ見つめて質問に答えた。
「オレはクランベール王国科学技術局局長、ロイド=ヒューパック。ここは王宮内にあるオレの研究所だ。おまえがここにいるのは一種の手違いだろう」
「手違いって何?」
 結衣が眉を寄せて訝しげに見つめると、ロイドは再び説明した。
 昼食後、王子の姿が見えなくなった。王子の世話係、ラクロット氏は極秘裏に王宮内を隈無く捜索したが、どこにも見当たらない。そのため、王に報告し、王の勅命を受けたロイドが自作マシンで王子の捜索を行う事になった。
「それが、この装置だ。この装置は指定された範囲から指定された検索パターンにより、人物に限定してパターンマッチングを行い、一致したものを一致精度の高い順に画面表示する。オプションでここに転送する事も可能だ」
「難しい事はよくわからないけど、ようするに人捜しマシンなのね。それで、私が王子様と似てたからここに転送されたと」
「そういう事だ」
 一応大体の事情はつかめた。人を転送するなど、ここはかなり高い技術力を持った国のようだ。
 だが、結衣にはその肝心なところがわかっていなかった。
「で、クランベール王国ってどこの国?」
 ロイドは少しの間、黙って結衣を見つめた後、呆れたように言った。
「世界一の大国を知らないとは、おまえどこの辺境からやって来たんだ」
 日本は確かに国土面積も小さく、溢れんばかりの借金もかかえているが、一応先進国だ。普段愛国心などとは無縁の結衣も辺境呼ばわりされては、さすがにムッとする。
「日本よ。それに世界一の大国ってアメリカじゃないの?」
 ロイドは不思議そうに首を傾げた。
「ニッポンにアメリカ? どっちも聞いた事ないな」
「私だってクランベールなんて聞いた事ないわよ。どこにあるの? 地図見せて」
「やれやれ」
 わざとらしく大きなため息をついてロイドは立ち上がった。それを見上げて結衣は思わず目を見張る。
(この人、大きい……!)
 背の高い結衣が大きいと思える男はあまりいないので、たまに見かけると驚いてしまうのだ。
 ロイドはガラスの筒を出てすぐ側にある机の引き出しを探ると、地図を持って引き返してきた。
 再び結衣の前に片ひざを付いてしゃがむと、広げた地図を結衣の目の前に突きつけた。
「真ん中の一番大きい大陸がまるごとクランベールだ。で? ニッポンはどこだ?」
 見た事もない文字と見た事もない形状の大陸が並ぶ地図を凝視したまま、結衣はロイドに問いかけた。
「これ、世界地図?」
「あぁ。世界地図も見た事ないのか?」
 呆れたように嘆息するロイドに、結衣は叫ぶように反論する。
「だって! 私の知ってる世界地図と違うんだもの!」
「はぁ?」
 キョトンとするロイドに結衣は手の平を広げて差し出した。
「書くものちょうだい」
 ロイドが白衣の胸ポケットからメモ帳とペンを取り出して渡すと、結衣は床の上でそこに簡単な世界地図を書いた。それをロイドの前で指し示しながら説明する。
「ここがアメリカで、ここが日本。私の知っている世界はこうなの!」
 ロイドはしばらく結衣の書いた世界地図を黙って見つめていた。少しして、額に手を当て天井を仰ぐとひとつ大きなため息をついた。そして俯くと頭をガシガシとかきむしった。
「面倒な事になったみたいだぞ」
「どういう事?」
 今ひとつ状況の飲み込めていない結衣は首を傾げてロイドを覗き込む。
 ロイドは横目で結衣を見ると口を開いた。
「おまえがここにいるのは手違いだと言っただろう。オレはオプションの転送設定なんかしていなかったんだ。装置の検索モジュールに潜在バグでもあったのかと思ったが、事はそんな単純なものではなさそうだ。装置に誤動作を起こさせる何らかの要因があったとしか思えない。でなければ、ここに異世界の人間が転送されるはずはないからな」
 学者の言う事は無駄に小難しくていけない。結衣はロイドの言葉を頭の中でかみ砕いて自分なりに理解した。ようするにここは結衣の知らない世界。
「異世界……?」
「そうだ。おまえは異世界から来たんだ」
 ぶっきらぼうにそう言うと、ロイドは立ち上がり、
「ラクロットさん、まずい事になった」
 そう言いながら、ガラスの筒から出て行った。
 結衣がそれをガラス越しに目で追うと、ロイドは部屋の隅に控えていた初老の紳士に何か話しかけている。紳士は最初驚いたような顔をした後、ロイドの話を聞きながら時折何度か結衣の方を見て頷くと、足早に部屋を出て行った。
 結衣はその様子を呆然と見つめながら、停止しかけた頭でポツンとひとつ考えた。
 異世界って、外国とどっちが遠いんだろう。




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