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4.



「生体実験って、よくやるの?」
「ん?」
 謁見の間に向かい、ロイドの後に続いて廊下を進みながら結衣は尋ねた。
 天井が高く、広くて長い廊下には、二人の他に誰も歩いていない。
「さっき、生体実験のサンプルにするって言ってたじゃない」
「あぁ。オレはほとんどしない。薬学、大脳生理学、生体力学、遺伝子工学、とまぁ一通りかじってはいるが、オレの専門は機械工学だ。生き物の身体を使う必要はほとんどない。どうせ使うなら自分の身体を使う。他人の身体は扱いづらい上に、結果や反応がわかりにくいからな」
 それを聞いて結衣はホッとひと息ついた。と同時に、はったりで脅されていたのだと知り、ムッとしてロイドを睨んだ。  ロイドは結衣の様子をおもしろそうにクスクス笑う。
「おまえ生体実験を勘違いしてるだろう。泣き叫ぶ実験体をベッドに縛り付けて、生きたまま切り刻んだりするのを想像していないか? それは実験じゃなくて解剖だ。生体実験ってのは、生き物の身体を使って行う実験の事だ。基本的に動物実験の事を言う。結果がどう転ぶかわからない実験に人の身体を使う事はまずない。そういう実験をオレは許可していない」
 そういえば、ロイドはなんとかの局長だと名乗っていた。実はエライ人だったんだ、と今頃気がついた。
「どうして、他人の身体だとわかりにくいの?」
「人体実験をする段階になったら、人体に悪影響がない事はほとんど立証されている。だから被験者が目に見えて体調を崩す事はないんだ。しかし、目に見えない小さい影響はあるかもしれない。こっちの知りたいのはそこなんだが、勝手に関係ないと判断して教えてくれなかったり、説明が下手で上手く伝わらなかったり、間に人を介すと、とにかくわかりにくい。たとえば、同じ部位に同じダメージを受けても人によって感じ方は違うからな。できればありのままを伝えてもらいたいんだが」
「じゃあ、そういう機械を作れば? 相手の感覚がそのままわかるっていう」
 結衣が何気なく言った適当な言葉にロイドが食いついた。
「そうか。五感伝達装置か。おもしろそうだな」
 そう言った後、ロイドは歩きながら腕を組んで考え込んだ。何やら意識はどこかへトリップしてしまっているようだ。まじめな顔をしながら、時々口元に笑みを浮かべるのが薄気味悪い。
 結衣は目を細くして、横目で見上げながらため息をついた。
「どうせ、またエロい事考えてるんでしょ」
「あ?」
 突然こちらの世界に帰ってきたロイドが立ち止まり、結衣の言葉にニヤリと笑った。
「そういう使い道もあるか。益々おもしろい」
 結衣はさらに大きなため息をついて肩を落とした。
「そんなものより王子様を見つける事が先決でしょ。さっさとどこが壊れてんのか見つけてよ」
「こら、言葉」
 そう言ってロイドは結衣の額をペチッと叩いた。
 再び廊下を歩き始めたロイドが、少しして立ち止まった。結衣も立ち止まり、ロイドの見据える前方に視線を移した。
 廊下の突き当たりにある謁見の間の扉が開き、身なりのいい中年紳士が出てくるところだった。ロイドは前方を見つめたまま小声でつぶやいた。
「いきなり面倒な方に鉢合わせしたな」
「誰?」
 結衣も小声で問いかけた。ロイドは前を向いたまま答える。
「殿下の叔父上だ。おまえは一言も口をきくな。目があったら愛想笑いして会釈だけしてろ」
 中年紳士は扉を背にして、まっすぐこちらに向かってきた。ロイドが廊下の端によけ、会釈して道を譲り、結衣もそれにならう。
 栗皮色の髪を肩の長さで上品に刈り込み、口ひげを蓄えた中年紳士は、ロイドの前で立ち止まり声をかけてきた。
「久しいな、ヒューパック」
「お久しぶりです。ラフィット殿下」
 ロイドは少し微笑んで、恭しく頭を下げた。
「相変わらず、調理機械とかをちまちま作っているのか? 私の元に来れば、国に貢献できる研究開発を思う存分させてやるぞ」
「もったいないお言葉痛み入ります。ですが、庶民の私にはちまちました機械の方が性に合っております。国家に貢献する研究開発などおこがましゅうございます」
 ロイドがそう言って再び頭を下げると、ラフィット殿下は口の端を少し持ち上げて鼻を鳴らした。
「相変わらず食えない男だ」
 今までの横柄な態度からは想像もできないロイドの豹変ぶりに、結衣が呆気にとられているとラフィット殿下はこちらに視線を移した。
 真正面から視線がぶつかり、結衣はロイドに言われた通り愛想笑いを湛えて会釈した。
 ラフィット殿下は結衣を見据えて嘲笑を浮かべると、小馬鹿にしたようにあごを突き出した。
「レフォール、叔父の私にまともな挨拶もできんのか。毎日フラフラと遊び呆けておると聞いたが、帝王学どころか礼儀作法も疎かになっているようだな」
(やっぱり、バカ王子?)
 ラフィット殿下の辛辣なイヤミに結衣の愛想笑いは徐々に苦笑へと変わる。
 ラクロット氏に王子の事を聞くのは王に挨拶した後の予定だった。王子の事を何も知らないので、どう反応していいかわからない。
 しゃべるなと言われたがどうすればいいのか、問いかけるようにロイドを見つめると彼が代わりに口を開いた。
「僭越ながら、レフォール殿下は先日風邪をこじらせて、喉を痛めておいでです。侍医から声を出さぬよう言われておりますので、平にご容赦願います」
 ロイドがそう言うと、ラフィット殿下は鼻で笑い、
「そういう事情なら仕方ない。――という事にしておくか」
と言って、二人の前を立ち去った。
 ラフィット殿下の姿が廊下の角を曲がって見えなくなると、結衣はそちらに向かって舌を出した。
「やな奴。他人事ながらムカついた。なんであんなにイヤミなの?」
「あの方は殿下がいなければ次期国王になられるお方だ。だから頼りない殿下を快く思っておられない」
「それってヤバくない? 暗殺とか考えてんじゃないの? 王子様に忠告した?」
 結衣が顔をしかめると、ロイドは険しい表情で結衣を見据えた。
「めったな事を口にするな。あの方の事は殿下ご自身が判断なさる事だ。オレがとやかく言う事じゃない」
 確かに証拠もないのに適当な事を言うべきではない。相手はこの国のやんごとなき身分の方なのだ。後になって「間違いでしたすみません」ではすまない。
「……ごめん」
 結衣が首をすくめると、ロイドは再び謁見の間に向かって歩き始めた。少ししてロイドは正面を向いたまま静かに告げた。
「だが、おまえは殿下ではないから忠告してやろう。たとえ甘い言葉をかけられても、あの方に気を許すな」
 横柄なロイドが自分の身を案じてくれた事が意外で、結衣は呆けたようにロイドの背中を見つめた。
 反応がないのを不審に思ったのか、ロイドが振り向いて言葉を補足した。
「殿下の代わりに決断されては困るという事だ」
 結衣はムッとしてロイドを睨む。
 どうせそんなところだろう。この男にとって自分は王子の身代わりでしかない。王子が見つかるまではいてもらわないと困るから身を案じただけなのだ。
 そう思うと少しでも、いい奴かもと見直した事が腹立たしくなってきた。
 だが、王子の身代わりである以上、王子の意に反する事をするわけにはいかない。この点に関してはロイドの言う通りだ。
 元々ロイドはいい奴なんかじゃない。そう思っていれば、何を言われようが、何をされようが腹も立たないはずだ。そう自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えると結衣はロイドに問いかけた。
「あなたは? 甘い言葉に乗らないの? 国家に貢献する研究開発って魅力じゃないの?」
 ロイドは興味なさそうに軽くため息をつくと、前を向いて歩き始めた。
「どうせ武器か兵器の開発だろう。そんなものおもしろくもない」
 どうやらロイドの研究開発の原動力は「おもしろいかどうか」らしい。
 結衣は小走りに後を追うと、ロイドの横に並んでさらに尋ねた。
「じゃあ、おもしろい兵器を作れば?」
「おもしろい兵器って、どんな兵器だ? どっちにしろオレはごめんだ。我が子を戦場に送りたがる親がどこにいる」
 吐き捨てるように言って顔を背けたロイドを見つめて、結衣は小さく笑った。
 ロイドにとっては自作マシンが”我が子”なのだ。いい奴なんかじゃないけど、悪い奴でもなさそうだ。
「呑気に笑ってるが大丈夫なのか? おまえ、いくら言っても言葉気をつけないし。陛下にちゃんとご挨拶申し上げろよ。その声をお聞きいただきたいから、風邪ひいてることにはできないぞ」
 ロイドの言葉に結衣はいきなり不安になった。
 自国の天皇陛下ですら、言葉を交わす事はおろか、姿さえテレビで見た事しかない。外国の国王にどんな言葉で挨拶すればいいのか見当も付かない。
 結衣が今まで言葉を交わした一番エライ人は、せいぜい取引先の社長が関の山だ。
「ど、どうしよう。王様に話すような敬語なんてわからないわよ。あなた何て言ってたっけ。おこがましい? そんな言葉、生まれて今まで使った事ないし……」
 頭をかかえて、うろたえる結衣を横目で見下ろして、ロイドは呆れたように嘆息した。
「ったく。変に敬語を使おうとするな。おまえのような庶民は丁寧語で充分だ。タメ口きかなきゃそれでいい」
 それを聞いて結衣は少しホッとした。国王ではなく取引先の社長だと思えばいい。
「奥の扉が閉じるまで黙ってろ」
 そう言ってロイドは歩くスピードを上げた。




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