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5.



 謁見の間の扉の前には誰もいない。だが、よく見ると扉の上部左右に監視カメラが取り付けてあった。
 二人が扉の前にたどり着くと、まるで自動ドアのように扉が内側に開いた。扉の内側に入ると、内側から人が開閉している事がわかった。監視カメラで誰が来たか確認しているのだろう。
 そこは十メートル四方の空間になっていた。今入ってきた手前の扉に二人、その正面にある奥の扉に二人、衛視が立っている。左手の壁には監視カメラの映像と思われるモニタが四つ埋め込まれていた。
 ロイドが用向きを伝えると、衛視が奥の扉を開いてくれた。二人が謁見の間に入ると扉は静かに閉ざされた。
 扉の奥には広大な白亜の空間が広がっていた。コンサートホールのように高い天井には煌びやかなガラスの装飾に彩られた巨大な照明が設置され、大理石の白い床と壁が部屋を明るく感じさせた。
 入口の扉からまっすぐに赤い絨毯が敷かれ、正面にしつらえられた階段の上の玉座まで続いていた。
 玉座には王が座っている。広い部屋の中には、王とロイドと結衣しかいない。
 事情が事情だけに人払いがされているのだろうが、突き詰めればロイドは王と一対一での謁見を許されている事になる。どういうわけで、この横柄なエロ学者がそこまで信頼されているのか、結衣には不思議でしょうがなかった。
 ロイドは玉座の階段の下まで絨毯の上を進むと、跪いて頭を下げた。慌てて結衣も跪く。
「陛下、レフォール殿下の影を連れて参りました」
 ロイドが恭しく告げると、王は声を上げて笑った。
「ロイド、顔を上げろ。おまえにそこまでへりくだられると、こそばゆい」
 ロイドは立ち上がると王を見つめて少し笑った。結衣も続いて立ち上がる。
 王は穏やかに微笑むと結衣に視線を移した。結衣は恐る恐る王の顔を見つめる。
 さすがに兄弟だけあって、先ほど出会ったラフィット殿下とよく似ている。ラフィット殿下からひげを剃って髪を心持ち長くしたような感じだ。だが、その瞳は遙かに威厳に満ちていた。
 自分とはあまり似ていない。ということは、王子は母親似なのだろう。
 ロイドが横からひじでつついた。
 そうだ、挨拶しなければならない。
(”はじめまして”じゃ軽すぎる。えーと……)
「お初にお目にかかります、国王陛下。ユイ=タチカワと申します」
 結衣はそう言って頭を下げた。名前を告げるのが精一杯だ。それ以上余計な事を言うと、絶対ボロが出る。
「なるほど。レフォールによく似ている。ラクロットから女性だと聞いていたが、この声はおまえの仕業か? ロイド」
 王は目を細めてロイドを見つめた。ロイドが肯定すると、王は結衣に話しかけた。
「ユイとやら、此度は愚息が迷惑をかけてすまぬ。あれが見つかるまでの間、影を頼まれてくれるか」
 国王直々に言葉を賜り、何か答えなければならないが、焦れば焦るほど言葉が見つからない。
(えーと、えーと……。そう! 相手は社長! 取引先の社長!)
 結衣はにっこり微笑むと、身体の前で両手を重ね背筋を伸ばすと四十五度の角度でゆっくりとお辞儀をした。
「かしこまりました。必ずご期待に添えるよう努力いたします」
 身体を起こすと、王が満足げに頷いた。
 大仕事を終えた気になって、結衣がホッとしていると再び王が口を開いた。
「ユイ、ひとつ私の頼みを聞いてくれるか?」
「はい」
 何だかわからないが、とりあえず返事をする。すると王はにっこり微笑んで思いも寄らない事を要求した。
「レフォールになったつもりで、私におねだりをしてみよ」
「はい?」
 結衣は笑顔を引きつらせたまま固まった。
 いきなり演技力テストだろうか? しかし、王子の事を何も知らないのに王子になったつもりでと言われても、どうすればいいのかわからない。
 王子から見れば王は父親。父親におねだりって何を?
”パパァ、マンション買ってぇ”――って、何か違う。
 第一王宮に住んでいる者がそんなものを買って欲しいわけがない。
 王子が王にねだるものって何? 庶民の王道を行く結衣には見当も付かない。
 脳みそをフル回転させながら固まっている結衣に、ロイドが耳打ちした。
「え?」
「いいから、言ってみろ」
 本当にそんなものでいいのだろうか? おもしろそうに笑うロイドをチラリと見た後、結衣は半信半疑のまま、言われた事を復唱した。
「父上! ボクにロイドを下さい!」
 結衣の言葉を聞いて、王はガクンと首を折って項垂れた。やっぱりまずかったのではないか? 結衣が不安になっていると、王は突然顔を上げた。
 目を閉じ、拳を握りしめ、感無量といった表情で天井を上向いた後、思い切り溜めて言葉を吐き出した。
「っっいいっ! 息子のおねだり!」
「え?」
 呆気にとられて結衣は再び固まった。横でロイドがクスクス笑う。
 何の事かわからず困惑してロイドと王を交互に見つめている結衣に、王はため息混じりに愚痴をこぼす。
「レフォールは昔からちっとも私に甘えてくれないのだ。後にも先にも、あの子が私に欲しいとおねだりしたのはロイドだけだ」
「はぁ……」
 結衣は訝しげにロイドを見つめた。この男のどこがそんなに気に入ったのだろう。
 王は名案を思い付いたように嬉々として結衣に提案した。
「どうだ、ユイ。私の養子にならぬか?」
 あまりにも唐突な申し出に、結衣は苦笑を湛えてやんわりと拒否する。
「それはちょっと……。私にも両親がおりますので」
 王は腕を組んで考え込んだ。
「それはそうだな。レフォールにはすでに婚約者が決まっているから、あの子の妃というわけにもいくまいし」
 たとえ婚約者がいなくても、自分と同じ顔の夫など御免被りたい。
 すると王はまた何か閃いたらしく、ポンと手を打った。
「そうだ。ロイドと結婚してはどうだ? そうすれば王宮内に住む事になるし、時々レフォールの代わりに私に甘えてくれればよい」
 思わずロイドの方を向くと、彼もこちらに視線を向けていた。偶然顔を見合わせる事になってしまったが、すぐにロイドは関心がなさそうに視線を外した。
 結衣は益々苦笑する。ものすごくイヤだ。どう断ればいいのかわからず、しどろもどろになる。
「……えっと、彼とはさっき会ったばかりですし……結婚とかは……その……」
「ロイドはいい奴だぞ」
「……え……」
 思わず顔が引きつる。
(王様、あなたは騙されています。この男は二重人格です。こいつが私にした数々の仕打ちを知れば、その考えは吹っ飛ぶはずです)
 よっぽど暴露してやろうかと思ったが、ロイドを信頼している王に信じてもらえそうにはないので、黙っておく事にした。
 結衣は大きくため息をついて肩を落とすと曖昧に言い逃れる事にした。
「……もう少し、考えさせて下さい……」
「よいとも。一生の事だしな。いい返事を期待しておるぞ」
 王は嬉しそうに笑うと、結衣を解放してくれた。
「陛下、我々はそろそろ失礼いたします」
 ロイドがそう告げると、王は息子を溺愛する父親の顔から、国王の顔へと戻った。
「あぁ、頼んだぞ」
「御意、承りました」
 ロイドが一礼し、それにならって結衣も頭を下げると、二人は謁見の間を後にした。
 元来た廊下を引き返しながら、ロイドが結衣に話しかけた。
「おまえ、陛下に気に入られたようだな」
「愛する息子と似てるからでしょ。言っとくけど、あなたと結婚なんてしないからね」
 結衣がきっぱりそう言うと、ロイドは意地悪な笑みを浮かべる。
「王命に背くのか? いい度胸だな」
「私は日本に帰るのよ! 王様に甘えるのは王子様の役目でしょ? さっさと見つけてよ!」
「わかったから廊下でわめくな。誰かに聞かれたらどうする」
 ロイドに言われ、焦って周りを見回したが、相変わらず二人の他には誰もいなかった。
 ホッと胸をなで下ろすと、ロイドが背中をポンと叩いた。
「さっさと戻ろう。ラクロットさんが待ってる」
「うん」
 少しペースを上げて、二人はラクロット氏の待つ王子の部屋へ向かった。




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