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8.



「そういう寝方をするのはニッポンの習慣なのか?」
 突然部屋の中で聞こえた男の声に、結衣は悲鳴と共に飛び起きると叫んだ。
「誰?!」
「ねぼけるな。それとも一夜にしてオレの事を忘れたのか?」
 目の前で腰を屈め、ベッドに片手を付いたロイドが、結衣を覗き込みながら額を叩いた。
 結衣は一気に目を覚ました。
 ここは異世界クランベール王国。目の前にいるエロ学者に手違いで呼ばれ、王子の身代わりを押しつけられ、強引にファーストキスを奪われ、ショックのあまり泣き寝入りしたのだ。
 ぼんやりと昨日の出来事を反芻していると、
「思い出させてやろうか?」
そう言ってロイドは、片手でメガネを外しながら顔を近づけてきた。
「覚えてるわよ! ロイド=ヒューパック!」
 結衣が叫んでロイドを突き放すと、ベッドの上で小鳥がピッと鳴いた。
 ロイドはメガネをかけ直し小鳥を見た。そして結衣に向き直り、目を細くして問いかけた。
「おい。あいつにオレの名前をつけたのか?」
「え?」
 言われて、記憶をたどる。そういえば何となくロイドの名前を呼んだ時、小鳥の背中を触ったような……。
 試しに小鳥を呼んでみた。
「……ロイド、おいで」
 小鳥はピッと一声鳴くと羽ばたいて、差し出した結衣の手の平に着地した。
 間違いなさそうだ。一回だけと言っていたから訂正はきかない。苦笑してロイドを見上げると、ムッとした表情で見下ろされていた。
「どういうつもりだ」
”なんとなく”じゃ答えにならないだろう。結衣は苦し紛れに出任せを言う。
「この子私の命令を聞くんでしょ? あなたに命令してみたかったのよ」
 ロイドは冷ややかな笑みを浮かべる。
「ほおぉ、どんな命令をするつもりだ」
 そこまでは考えてなかったが、この機会に仕返しをしてやろう。結衣は不敵に笑うと、小鳥のロイドに命令した。
「ロイド! このエロ学者をやっつけて!」
 結衣がロイドを指差すと、小鳥はピッと返事をした。しかし、返事をしただけで動かない。
「あれ?」
 結衣は不思議そうに小鳥を見つめた。小鳥は何事もなかったかのように首を傾げている。まだ学習が足りなくて高度な命令はわからないのだろうか。
 結衣も首を傾げていると、目の前でロイドが腹を抱えて大笑いした。
「そういう命令は無効だ。人工知能搭載のロボットは決して人を傷つけないよう、あらかじめ絶対命令を焼き付けることが法律で義務づけられている。そういう邪な野望は捨てて、せいぜい”オレ”をかわいがってくれ」
 勝ち誇ったように腕を組んで見下ろすロイドを、結衣は頬を膨らませて見上げた。
 そして、ふと気付いて立ち上がると、ロイドに詰め寄った。
「ちょっと! どうしてあなたがここにいるのよ!」
「鍵どころか戸が開いていたぞ」
「だからって勝手に入ってこないでって言ったでしょ? しかも寝室まで入ってくるなんて、どういう神経してるのよ!」
 思考回路ならともかく、神経が疑われるのはさすがに看過できないらしく、ロイドが不愉快そうに事情を説明した。
「外から何度も声はかけた。だが、返事がない。まだ寝てるのかと呆れて、寝室の扉の隙間から拡声器で怒鳴ってやろうと思ったら、おまえがベッドの横にへたり込んでるように見えた。具合でも悪いのかと心配して差し上げたんだ。ありがたく思え」
 今度こそ本当に身を案じてくれたらしい。なにしろ本人が心配したと言っているのだから間違いない。間違いないけど、やっぱり意外だ。
「……ごめん、まぎらわしくて」
 結衣が素直に謝ると、ロイドは満足したらしく、
「まぁ、習慣の違いというのは誤解を生みやすいからな」
と、勝手に見当違いの結論に納得しようとしている。
「誤解しないで! 日本人もちゃんとベッドの上で布団かぶって寝るから!」
 妙な日本の習慣を頭にインプットされては困る。
「何か用だったの?」
 結衣が尋ねると、ロイドはポケットから見覚えのあるピルケースを取り出した。指先につまんだ銀の粒を結衣の鼻先に突きつけ、例のごとく命令する。
「口を開けろ。今日の分だ」
 結衣は黙って口を開いた。口の中に銀の粒が放り込まれ、ゆっくりと喉の奥に滑り落ちていく。少しして、咳き込みそうになる違和感が喉から消えた頃、ロイドが話しかけてきた。
「レフォール殿下、喉のお加減はいかがですか?」
 結衣は少し笑ってロイドを見上げた。
「あぁ、もう大丈夫だ」
 ラクロット氏にしごかれたので、もう風邪をひいている事にしなくてもいい。
「では後ほど、朝食後にでも私の研究室にお越し下さい。お渡ししたいものがございます」
「わかった」
 結衣が承知すると、ロイドは部屋を出て行こうとした。それを結衣は引き止めた。
「あ、ロイド、ボクの朝食を三十分遅らせてくれるようにラクロットに伝えて。昨日、風呂に入ってないんだ」
「かしこまりました」
 ロイドは振り返り、恭しく頭を下げた後、身体を起こしてフッと笑った。
「なかなか、やるじゃないか」
「まぁね。腹括ったの。ちゃんとやるから、そっちもさっさと王子様を見つけてよ」
「御意」
 ロイドはそう言うと、軽く手を挙げ部屋を出て行った。全然”御意”な態度ではない。
 ロイドを見送り、ひと息つくと、ふとゆうべの事が頭をよぎる。
 結衣は両手で両の頬をパチンと叩いた。今は考えないようにしよう。
 肩に留まった小鳥をソファの背もたれに移動させた。
「ロイド、そこで待ってて」
 小鳥がピッと返事をした。結衣は目を細めて見つめると、急いで浴室へ向かう。
 結衣の王子様生活が始まった。



(第1話 完)



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